【Ⅰ列王記14:19~26】(2024/03/24)
【14:19】
『ヤロブアムのその他の業績、彼がいかに戦い、いかに治めたかは、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。』
ここではヤロブアムについて3つの事柄が言われています。まず『ヤロブアムのその他の業績』とは、聖書で記録されていないヤロブアムの業績です。その業績がどれぐらいあり、またどのような内容だったかは分かりません。その業績には良い内容も悪い内容もあったと思われます。しかし、良い内容と悪い内容の比率がどのようであったかは不明です。次に『彼がいかに戦い』とは、ヤロブアムが指揮した戦争の記録です。ヤロブアムは王でしたから、他の多くの国でもそうだったように、軍の最高指揮官でした。有名なあのアレクサンドロスも王であり軍の最高指揮官でした。古代において、王の指揮した戦争は文書で記録されるのがしばしばでした。何故なら、王の行なった戦争とは非常に注目すべき大きな事柄だからです。そして『いかに治めたかは』とは、ヤロブアムの王権行使による国家運営のことです。ヤロブアムが王としてどのような支配をしたかはよく分かりません。かなりいい加減な統治をしていた可能性もあります。しかし、意外と善政であった可能性もあります。これら3つの事柄は『イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされてい』ました。つまり、Ⅰ列王記の記者は、それらの事柄をよく知りたければその文書を参照するようにと指示しているのです。もしこれら3つの事柄がここで全て記録されたとすれば、ヤロブアムに関する記録だけで恐らく5~10ページぐらいの量となっていたかもしれません。これでは明らかに聖書のバランスがおかしくなりますから、神はこれら3つの事柄を聖書でなく『イスラエルの王たちの年代記の書』に書かせられたのです。しかし、この『年代記の書』はもう既に失われています。神がその文書を消し去られたのです。何故なら、その文書は聖徒たちが見る必要のないものだからです。もし見る必要があったとすれば、神はその文書を今でも聖徒たちが見れるように残しておかれたことでしょう。ですから、私たちは聖書で書かれているヤロブアムの記録を知るだけで十分とすべきです。
【14:20】
『ヤロブアムが王であった期間は二十二年であった。彼は先祖たちとともに眠り、その子ナダブが代わって王となった。』
ヤロブアムが北王国イスラエルで『王であった期間は二十二年で』した。神が22年の間、このヤロブアムをイスラエルの上に王として立てておられたのです。この「22」という数字に象徴性はありません。これは分解することもできません。こうしてヤロブアムは『先祖たちとともに眠り』ました。これは先祖たちが死んだように死んだという意味です。『眠』るというのは死の暗喩です。何故なら、眠りは死とよく似ているからです。ヤロブアムがどのようにして死んだか、ここでは示されていません。また彼が何歳で死んだのかも示されていません。既に見た通り、彼は死んでから墓に葬られることがありませんでした。ヤロブアムの王家で墓に葬られるのは、あの子ただ一人だけだからです。この通り、ヤロブアムは死んでから恵みを受けることがありませんでした。彼が神に酷いことをしたので、自分も死んでから神に酷くされたのです。一方、あの子は死んでから恵みを受けました。その子は神に酷くしなかったので、神もその子が死んでから酷くされなかったのです。
ヤロブアムが死ぬと、ヤロブアムの『子ナダブが代わって王とな』りました。これは神がナダブをイスラエルの次の王として立てられたことを意味します。この箇所から、北王国イスラエルの王は世襲制だったことが分かります。もし先に見たあの子が死んでいなかった場合、このナダブでなく、その子が王になっていたかどうかは分かりません。もしかしたらあの子が王になっていた可能性もあります。
【14:21】
『ユダではソロモンの子レハブアムが王になっていた。レハブアムは四十一歳で王となり、主がご自分の名を置くためにイスラエルの全部族の中から選ばれた都、エルサレムで十七年間、王であった。彼の母の名はナアマといい、アモン人であった。』
南王国ユダのほうでは、『ソロモンの子レハブアムが王になってい』ました。このレハブアムは南王国ユダについて言えば、初代の王です。サウルから数えるならば、レハブアムはユダヤにおける第4代目の王となります。このような数え方をする場合、ヤロブアムも第4代目の王であることになります。このレハブアムが北王国イスラエルの支配者だったのではありません。ヤロブアムも南王国ユダの支配者ではありませんでした。レハブアムもヤロブアムも、互いの国を支配することはありませんでした。
この『レハブアムは四十一歳で王となり』ましたが、この「41」という数字に象徴性はありません。「40」か「42」であれば象徴性があったかもしれません。またレハブアムが『王であった』期間は『十七年間』でした。この「17」という数字にもやはり象徴性はありません。「14」であれば象徴的な意味が含まれていたかもしれません。このレハブアムは58歳まで王でしたが、「58」という数字にも象徴的はありません。これが「70」であれば象徴性があったかもしれません。
レハブアムの父はソロモンというユダヤ人でしたが、その母は『アモン人』でした。ソロモンは多くの異邦人を妻として娶り、アモン人も娶っていたからです。既に見た通り、ソロモンがアモン人を娶るのは良くありませんでした。聖書はここでレハブアムの母がアモン人であると語ることで、遠回しにソロモンを非難しているのかもしれません。しかし、レハブアムの母が異邦人であるアモン人だからといっても、レハブアムが正統的なイスラエル人であることに変わりはありません。何故なら、聖書から分かることとして、男系においてヤコブの血が継承されていれば、たとえ異邦人の血が混じったとしても、その子は正統的なイスラエル人だからです。このレハブアムのように異邦人の血をも持っているイスラエル人と、両親がどちらもイスラエル人であるイスラエル人は、どちらも正統的なイスラエル人という点で全く一緒です。それというのも、この二者はどちらも父を辿ればヤコブに行き着くからです。ただ聖書は古代イスラエル人が同族である古代イスラエルとだけ結婚するようにと求めています。
『エルサレム』という都は、神がイスラエルの中で特別的に選ばれた場所でした。神は他の場所を都として選ばれませんでした。神はどうしてこのエルサレムを『イスラエルの全部族の中から選ばれた』のでしょうか。これは太陽が太陽系の中心に位置しているのと似ています。どうして太陽が太陽系の中心に位置しているのか?と問われるならば、その答えは「太陽が中心に置かれることで多くの惑星を動かすためだ。」というものになるでしょう。これと同じで神はどうしてエルサレムを都として選ばれたのか?と問われるならば、その答えは「エルサレムをイスラエルの都とすることにより神の御計画が成し遂げられるためだ。」というものになるでしょう。神はこのエルサレムの神殿に『ご自分の名を置』いておられました。神の御名は神と同一です。それは私たちの名前が私たちと同一であるのと一緒です。ですから、神はエルサレム神殿に御自分の御名を置くことで、そこにおられたのです。
【14:22~23】
『ユダの人々は主の目の前に悪を行ない、彼らの先祖たちよりひどい罪を犯して主を怒らせた。彼らもまた、すべての高い丘の上や青木の下に、高き所や、石の柱や、アシェラ像を立てた。』
南王国ユダに住む『ユダの人々』も、神の御前で悪を行ないました。つまり、聖なる律法が命じている通りのことをしませんでした。その悪として、ここでは偶像崇拝が示されています。彼らユダ族の人々が立てた『高き所』とは、偶像崇拝をするための場所です。『石の柱』とは、偶像を祀ったり記念したりする宗教的な石柱のことでしょう。『アシェラ像』は異邦人が拝んでいた偽りの神々の一人です。彼らはこれらを『すべての高い丘の上や青木の下に』立てました。『高い丘の上』に立てたのは、偶像崇拝の場所や祭壇や像に天上性を付与させるためです。『青木の下』に立てたのは、異邦人たちがしている偶像崇拝のやり方を真似たのです。ここで『彼らもまた』と言われているのは、つまり「南王国ユダの人々も北王国イスラエルの人々と同じように」という意味です。ユダ族の人々が行なったこのような偶像崇拝は、『彼らの先祖たちよりひどい罪』でした。ユダヤ人は荒野時代から偶像崇拝に陥っていました。しかし、ユダ族が行なった偶像崇拝の邪悪さは、これまでのユダヤ人が行なったどの偶像崇拝よりも、かなり酷い邪悪さを持っていたのです。このようにユダ族の人々は、偶像崇拝の罪に陥っていました。これは彼らの王であるレハブアムがアモン人を母として持っていたことも作用したはずです。レハブアムが偶像崇拝者であるアモン人を母として持っていたならば、レハブアムはそれだけ偶像崇拝に近い者となります。つまりレハブアムは偶像崇拝にあまり抵抗を持たなかったでしょうし、実際にレハブアムは偶像崇拝者となりました。母に倣うのは自然なことだからです。そのようにして王が偶像崇拝をするならば、一般の人々も偶像崇拝に抵抗を持たなくなるのです。
このような邪悪さのため、ユダ族の人々は『主を怒らせ』ました。聖く正しく歩むようにと神から贖い出された者たちが、その神を裏切り極度の堕落に陥ったからです。偶像崇拝とは普通の罪と異なり、非常に邪悪性の強い罪です。日本のことを考えれば分かる通り、それは核兵器の投下にも値するほどに酷い極悪なのです。ですから、そのような極悪を行なったユダ族の人々に対し、神はかなり激しく怒られたことでしょう。私たちは、このような偶像崇拝に陥らないよう注意せねばなりません。もし偶像崇拝に陥れば、私たちは神の怒りを燃え上がらせるでしょう。ここで偶像崇拝をしたユダ人という悪しき前例が私たちの前に示されました。ですから、私たちは彼らを教訓とすべきです。神は私たちが彼らのようになるのを決して望んでおられません。
【14:24】
『この国には神殿男娼もいた。』
レハブアム時代のユダには『神殿男娼もい』ましたが、これは律法で禁じられている罪の職業です。『イスラエルの男子は神殿男娼になってはならない。』と律法では言われています。このことから、この時代のユダが極度に堕落していたことは明らかです。この『神殿男娼』とは何でしょうか。これは、神と宗教のため信者や参拝者と性行為をしようとする者たちです。口実は色々とあったでしょうが、例えば「神に喜ばれるために私と交わり恍惚状態を経験せねばならない。」などと言うのです。純粋だったり無知だったりする者たちは、このような男娼の騙しに引き込まれてしまうのです。神殿男娼は性行為を宗教儀式として行なっていますから、神殿の場所に臆することもなくいることができました。これはユダヤだけでなく古代であればどこにでも一般的に見られた存在です。古代ギリシャにもこのような者がいました。ここでは『神殿男娼』のことだけが言われています。しかし、ユダには神殿娼婦も恐らくいたことでしょう。男娼だけしかいなかったとは考えにくいからです。このような者たちがユダにいたのは驚くべきことです。神と聖なる宗教を性的な交わりのために利用するのです。これはとんでもないことです。このような者たちがユダにどれぐらいいたかまでは分かりません。ここでこのように言われているほどですから、ユダにはそれなりにこのような者がいたと考えられます。
『彼らは、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、すべての忌みきらうべきならわしをまねて行なっていた。』
カナンにいたカナン人たちは『主がイスラエル人の前から追い払われ』ました。カナン人たちは堕落していたのでカナンの地から除かれ、代わりにイスラエル人がそこへ導き入れられたのです。これについてはもう既に確認した通りです。神は、イスラエル人がこのようなカナン人たちの行ないを真似ないよう命じられました。というのも、カナン人たちは神に嫌われる忌まわしいことばかりしていたからです。彼らはそういった行ないのため、神に罰せられてカナンの地から追放されたのです。それなのにユダの人々は『主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、すべての忌みきらうべきならわしをまねて行なってい』ました。イスラエル人はこんなことをするためカナンの地に導き入れられたのではありませんでした。イスラエル人は異邦人のどのような悪しき行ないであれ真似るべきでありませんでした。
【14:25】
『レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、』
レハブアムが王となってから5年目に、『エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来』ました。エジプトの王は「パロ」という名でも呼ばれていました。エジプトはエルサレムからかなり離れていますから、シシャクはエジプトから攻め上るまでにかなりの時間を要したはずです。このシシャクの侵攻は『レハブアム王の第五年』でしたが、この「5」(年)という数字に象徴的な意味は含まれていません。ここではユダのことだけが言われています。つまりイスラエルのほうはシシャクに攻められませんでした。
【14:26】
『主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。』
エジプトから攻めて来たシシャクは、神殿と王宮にあった『財宝』を奪い取りました。それは『何もかも』であって、パロは一つも残すことがありませんでした。これがユダに考えられないほど大きな損失を齎したことは間違いありません。またパロは『ソロモンが作った金の盾も全部奪い取』りました。この盾はユダにとり貴重な財宝だったはずです。ですから、それが全て奪い取られたユダは大きな悲しみまたはショックを受けたに違いありません。ユダはエジプトを追い払うことができませんでした。エジプトはユダを凌駕していたからです。この時のエジプトはユダより力があったのです。このような出来事はユダにとり大きな屈辱だったでしょうが、神がこのようにされたのです。神は、罪に陥ったユダをこのようにして罰されたわけです。律法では、もし罪を犯すならば悲惨な状態になると宣告されています。この時のユダは正にそのような状態となりました。もしユダが偶像崇拝の罪に陥っていなければ、このような悲惨も味わわなくて済んでいたことでしょう。これがダビデの時代であれば、決してこのようなことは起こりませんでした。何故なら、ダビデは神の御前で正しい歩みをしていたからです。つまり、ダビデ時代のイスラエルは何か奪い取られるべき理由を持っていませんでした。寧ろ、その頃のイスラエルは戦争に打ち勝って自分たちが敵から奪い取っていました。これは支配者であるダビデが正しい歩みをしていたので、国の全体が祝福されていたからです。
この通り、ユダは罪のため惨めな状態となりました。罪を犯すならばこのような損失に苦しむこととなります。神が罪に対して報いられるのです。日本も罪深かったので、大きな損失に苦しむこととなりました。ですから、私たちはユダのような偶像崇拝の罪を犯さないようにせねばなりません。敬虔さと益は密接に繋がっています。神は敬虔な者に対し祝福を与え、不敬虔な者には呪いを注がれるからです。特にこういった偶像崇拝の罪は、もっとも益と損失に大きく関わる罪の一つです。