【Ⅰ列王記19:11~16】(2024/06/30)


【19:11】
『主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。』
 神が強い臨在をもって働きかけられたので、エリヤの周りには『大風』が起こりました。その大風は『激しい』勢いでした。このため、大風は『山々を裂き』ました。どれだけ鋭い風だったかがよく分かります。その風は『岩々を砕』くこともしました。非常に大きな力を持っていたことが分かります。この『大風』により、エリヤは神のことを強く感じたはずです。というのも、エリヤが神を強く感じるため、神はこのような大風を起こされたのだからです。しかし、それでも『風の中に主はおられ』ませんでした。何故なら、この風は神が御自分を感じさせるため起こされた道具のような現象に過ぎなかったからです。神は大風を完全に超越しておられました。神は風の中に閉じ込められるような御方ではありません。

『風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。』
 風に続いて『地震が起こ』りました。この地震の詳細はここで示されていません。恐らくこの地震も風と同様、非常に凄まじかったはずです。この地震によりホレブ山の全体が揺り動かされたかもしれません。しかし、この『地震の中にも主はおられ』ませんでした。この地震も、やはり神が御自身を感じさせるために起こされた現象だったからです。神は地震をも超越しておられます。もし地震の中に神がおられたとすれば、神は物質の中に閉じ込められた有限存在となってしまうのです。

【19:12】
『地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。』
 風と地震に続いて『火があ』りました。この火もやはり詳しいことはここで書かれていません。しかし、これもかなり凄まじい度合いの火だったと考えられます。この『火の中にも主はおられ』ませんでした。神は火をも超越しておられたからです。神は火の中に閉じ込められることをされませんでした。この通り、エリヤの前では風と地震と火という3つの現象が神により起こされました。これらは「3」度の現象ですから、つまり神がエリヤに強く御自分を感じさせられたということです。またその3回とも現象の中に主はおられませんでした。これもやはり神がその中におられなかったことを強く示しています。この時に神は「3度」の現象を起こされたというのがポイントです。

『火のあとに、かすかな細い声があった。』
 神による3つの現象が起きてから、続いて『かすかな細い声があ』りました。これは『かすかな細い声』ですから、よく注意していなければ聞こえない声だったかもしれません。この『声』が何を語っていたかは全くここで示されていません。この声の内容は分からないものの、それが神の御声だったことは確かです。神は先に起こされた3つの現象で御自分を示されず、この『声』により御自分を示されました。何故なら、声はただ聞こえるだけであり、目には見えないからです。このような声であれば、目に見えない神にとり相応しいのです。聖書から分かることとして、神は雷のような御声で語られる御方です。モーセたちがシナイ山にいた時がそうでした。その時に神は雷のごとき御声で語られましたから、イスラエル人たちは恐怖に満ちたのです。福音書でも、やはり神が雷のような御声で語られたと記されています。このため、その御声を聞いた人たちのうち雷が鳴ったと言う人もいたのです。ところが、神はこの時にそのような声でなく、『かすかな細い声』でエリヤに働きかけられました。どうしてこの時のエリヤに対して、神は雷のような御声で語られなかったのでしょうか。その理由は、この時のエリヤが精神的にかなり疲れ果てていたからなのでしょう。そのような精神状態の時に雷のような御声をエリヤが聞いたとすれば、ますます精神が弱ってしまいかねません。ですから、神は配慮としてエリヤに『かすかな細い声』で語られたのでしょう。多くの人は弱った病人に対して優しく語りかけるものです。神がこの時のエリヤに『細い声』で語られたのは、これとよく似ています。このように神が雷のような声だけでなく『細い声』でも語られるということは、覚えておきたいところです。

【19:13】
『エリヤはこれを聞くと、』
 神は『かすかな細い声』を、エリヤが耳で聞こえるようにして語られました。つまり、物質的な音声として『細い声』がそこに鳴り響いたわけです。ですから、もしそこにエリヤ以外の誰かがいたとすれば、その者もエリヤと共にその声を聞くことができたと思われます。しかし、この時、そこにいたのはエリヤただ一人だけでした。神は往々にして御自分を特定の人間にだけまざまざと示されるものなのです。

『すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。』
 この時のエリヤは『外套』を身に着けていたようです。この『外套』がどういったものだったかは分かりません。かなり新しかったとか、ボロボロだったとか、そういったこともここでは書かれていません。しかし、この外套については詳しいことを知らなくても、特にどうということはありません。エリヤは神の『かすかな細い声』を聞くと、この『外套で顔をおおい』ました。これはエリヤが神を強く感じたからです。何故なら、エリヤは堕落した罪深い被造物でしかないのに対し、神は偉大で聖なる御方だからです。つまり、エリヤは自分が感じた聖なる神に対し非常な恐れを抱いたので、どうしても顔を隠さずにいられませんでした。エリヤは『すぐに』顔を隠しました。これはエリヤが即座に神のことを感じたからです。そして、エリヤは『外に出』ます。これはエリヤが自分のいた場所から離れ、他の場所に移動したという意味です。それからエリヤは『ほら穴の入口に立』ちました。どうしてエリヤは穴の入口に立ったのでしょうか。これはエリヤがすぐにも隠れられるようにしたかったからなのでしょう。何故なら、人は恐れている時ほど色々と心配するからです。エリヤが心配していたのであれば、穴に入って隠れたいと願ったとしても不思議なことはありません。しかし、まだこの時のエリヤはその『ほら穴』に入りませんでした。

『すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」』
 エリヤが穴の入口に立つと、神は先に言われたのと全く同じことを、またエリヤに言われました。意味なくエリヤに前と同じことを言われたのではありません。神はもう1度このように言うことで、エリヤの心の思いをますますよく確かめようとされました。1度だけより2度のほうが確認の度合いが強まるのは自然なことだからです。

【19:14】
『エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」』
 神から先と同様のことを聞かれたエリヤは、先に答えたのと同じ内容で答えました。エリヤは以前と全く同一のことを言いました。つまり、これは繰り返しです。ここにおいてエリヤの状態また思いがまざまざと示されました。神はこのようことを確認するため、エリヤに2度同じことを聞かれたのでした。ここでエリヤが先と同じ答えをしていることから、エリヤが偽りを言っていないことは明らかです。何故なら、もしここでの答えが偽りだとすれば、先の答えにおける偽りと合わせ、エリヤは二重の偽りを語ったことになるからです。エリヤは神に対し、こういった偽りを語るはずがありません。ここでの内容は先に見た箇所と同じですから、また内容の説明をする必要はないでしょう。

【19:15】
『主は彼に仰せられた。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。』
 エリヤの答えを確認された神は、エリヤが『ダマスコの荒野へ帰って行』くよう命じます。『ダマスコ』とは、イスラエル国の北東に位置する国の首都であり、そこはアラム人の国でした。ここに行くよう命じられたエリヤ自身はアラム人ではありませんでした。ここではエリヤに『ダマスコの荒野へ帰って行け』と言われていますが、これはエリヤがダマスコの地域にいたからでしょう。この『ダマスコの荒野』で、エリヤは『ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせ』ねばなりません。この『ハザエル』こそアラムの王として定められていたからです。神の御心に定められた者だけが、このように国家の王となります。その時にエリヤが『油をそそ』ぐのは、王に任職するための聖なる儀式です。古代で新しい王となる時は、よくこのような儀式が行なわれていました。それは預言者や祭司といった高貴な存在の職務でした。この油注ぎは、王だけでなく、預言者や祭司が就任する際にも行なわれました。これは非常に重要で決定的な儀式でした。

【19:16】
『また、ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。』
 エリヤは、『ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王と』することもしなければいけませんでした。この時のイスラエル王はアハブであり、7代目の王でした。『エフー』はこのアハブから3代後の王であり、イスラエル10代目の王となります。神はこのエフーがイスラエル王になるのを望まれました。ですから、これからエフーがイスラエルの王となるのです。誰でも神の御心に定められていなければ、決して王になることはありません。このエフーも、もし神の御心に定められていなければ、イスラエルの王にならなかったでしょう。

『また、アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。』
 更にエリヤは、エリシャに油を注ぎ、自分の後継者ともするべきでした。このエリシャは『アベル・メホラの出』ですが、そこはヨルダン川の中央部分辺りから10kmほど西に離れており、そこから20kmほど南西にはティルツァが、30kmほど南西にはシェケムがあります。ティシュベからは30kmほど西に離れており、ヨルダン川を渡らなければ行けません。エリヤには後継者がいることもいないことも可能でした。神はこのうちエリヤに後継者がいるのを望まれました。その後継者として神は『エリシャ』を定めておられました。ですから、これからエリシャがエリヤの油注ぎによりエリヤ『に代わる預言者と』されるわけです。エリシャが油を注がれることからも分かる通り、任職のために行なわれる油注ぎは、王だけでなく預言者にも行なわれました。