【Ⅰ列王記22:22~32】(2024/10/06)
【22:22】
『彼は答えました。『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』』
神の御前に進み出た霊が、どのようにしてアハブを惑わすか語ります。この霊は、アハブ『のすべての預言者の口で偽りを言う霊とな』ることで、アハブを惑わそうとしました。こうすれば預言者がアハブに対して偽りを語りますから、アハブが惑わされることとなり、その結果、アハブはラモテ・ギルアデに攻め込んで死ぬこととなるのです。この霊が『偽りを言う霊となります。』と言っているのは重要です。聖なる御使いは決して罪を犯しませんし、他の存在にも犯させません。『偽りを言う』とは罪の事柄です。ですから、この霊が聖なる御使いではなく、堕天使の一人だったことは明らかです。
【22:22~23】
『すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせよ。』と仰せられました。今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。』
神は、霊が惑わすやり方を話す前から、もう既にそのやり方を完全に知っておられました。しかし、神は現実性を重視されます。ですから、神は全てを知っておられたものの、ここで初めてそのことを聞いたかのように答えられ、『あなたはきっと惑わすことができよう。』と言われました。神はこのようにして、この霊によりアハブが惑わされて死ぬことを望まれました。ですから、この霊は神の刑罰における代行者として用いられたとしていいでしょう。こうしてアハブの預言者たちは、アハブに対し偽りを言うこととなりました。もしアハブが罪深くなければ、このような惑わしはされなかったことでしょう。
アハブの預言者たちが偽りを告げたのは、つまるところ、神がアハブに『下るわざわいを告げられた』ことでした。その『わざわい』とは死の災いです。これは事実上の死刑宣告でした。しかし、アハブは自分の罪に対する報いを受けるのですから、自業自得だったのです。神はこのように罪に対してしっかり報いられる御方です。
【22:24】
『すると、ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬をなぐりつけて言った。「どのようにして、主の霊が私を離れて行き、おまえに語ったというのか。」』
ミカヤの発言を聞いたゼデキヤは、その発言を不快に思いました。何故なら、その発言を聞いたゼデキヤは、『主の霊が私を離れて行き、お前に語った』と感じたからです。預言者は自分が神の預言者だという強い自負を持っています。ですから、自分の預言が偽りであるなどと言われるのは耐え難いことなのです。それは預言者にとり、自分の存在を否定されるのも同然です。ですから、ゼデキヤはミカヤの発言を冒涜的だと見做したかもしれません。そのためでしょう、ゼデキヤは『ミカヤの頬をなぐりつけ』ました。これはゼデキヤの憤りによる行動です。しかし、ゼデキヤはミカヤの発言に関して何も分かっていませんでした。ですから、ゼデキヤがミカヤを殴ったのは完全な間違いでした。
【22:25】
『ミカヤは答えた。「いまに、あなたが奥の間にはいって身を隠すときに、思い知るであろう。」』
ゼデキヤに殴られたミカヤは、臆することなくゼデキヤに答えます。ここでミカヤが言っているのは、どういう意味なのでしょうか。『奥の間にはいって身を隠すとき』とは、ゼデキヤが自分の家に帰って奥の部屋に行くという意味だと考えられます。その頃には、ミカヤが言ったようにアハブは戦場で死ぬこととなります。ですから、その時においてゼデキヤはミカヤの言葉が正に真実だったことを『思い知る』のです。
【22:26~27】
『すると、イスラエルの王は言った。「ミカヤを連れて行け。町のつかさアモンと王の子ヨアシュのもとに下がらせよ。王が『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰って来るまで、わずかなパンと、わずかな水をあてがっておけ。』と命じたと言え。」』
普通の国であれば、ミカヤは容赦なく処刑されていたかもしれません。ミカヤは事実上において王の死を宣告したのですから、処刑されても不思議なことはありませんでした。しかし、アハブはもう既に神の奇跡を見て、神のことをよく知っていました。そのような神の預言者であるミカヤを処刑することはアハブに出来なかったのでしょう。ですから、アハブはせめてミカヤを『獄屋に入れ』ることにしました。『町のつかさアモンと王の子ヨアシュのもとに下がらせよ。』とは、つまり彼らの管理下に委ねたことです。『アモン』とは個人名であって、民族としてのアモン人と関わりがあったかどうかは分かりません。『王のヨアシュ』はアハブの子でしょう。アハブは、獄屋に入れられたミカヤが酷く取り扱われるようにします。すなわち、『わずかなパンと、わずかな水』だけで生きるようにさせたのです。これは酷いことでした。アハブは神を尊んでいなかったのです。だからこそ、神に仕えている預言者ミカヤをも尊ばなかったわけです。もしアハブが神を尊んでいれば、ミカヤをも尊んでいたことでしょう。
【22:28】
『ミカヤは言った。「万が一、あなたが無事に戻って来られることがあるなら、主は私によって語られなかったのです。」そして、「みなの人々よ。聞いておきなさい。」と言った。』
ミカヤを獄屋に入れよと命じたアハブに対し、ミカヤは尚も語ることを止めません。ミカヤは、もしアハブが無事でいられたならば神は自分を通して語られなかった、と言います。ミカヤは神が自分により語られたことを知っていました。ですから、このように言えたわけです。もし神がミカヤを通して語っておられなければ、ミカヤはここでこのように言えなかったでしょう。実際に神はミカヤを通して語られましたから、アハブが無事でいられることはありませんでした。こうしてミカヤは『みなの人々よ。聞いておきなさい。』と、そこにいる人々に告げました。つまり、ミカヤが語ったことを決して忘れるなというわけです。それはアハブが死んだ際、人々がミカヤの言葉は神により語られたことを確認するためでした。
【22:29】
『こうして、イスラエルの王とユダの王ヨシャパテは、ラモテ・ギルアデに攻め上った。』
こうしてアラムとイスラエルの戦いが始まりました。結局のところ、アハブは『偽りを言う霊』により惑わされました。これはアハブが堕落した罪深い歩みをしていたことに対する神からの報いです。神は腐りきっていたアハブを罰そうとしておられました。ですから、アハブは惑わされるより他なかったのです。
【22:30】
『そのとき、イスラエルの王はヨシャパテに言った。「私は変装して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてください。」こうして、イスラエルの王は変装して戦いに行った。』
『そのとき』とは、アラムとの戦争準備を整えている時でしょう。その時に、アハブは『変装して戦いに行こう』とします。これはアラム軍により殺されるのを避けるためでしょう。アラムが王であるアハブを狙うことぐらい、アハブにはよく分かっていたはずです。またアハブには、神からの刑罰を避けようとする思惑もあったと思われます。つまり、変装すれば敵に見つからないので、結果として神の刑罰を受けずに済むというわけです。このようにしてアハブは『変装して戦いに行』きました。しかし、アハブは霊的な事柄を弁えていませんでした。変装しようとも変装しなくとも、神の御心に適っていれば殺されず、御心に適っていなければ殺される、ということをです。ここにアハブの人間的な愚かさがありました。一方でアハブはヨシャパテに『自分の王服を着ていてください。』と求めます。どうしてアハブはヨシャパテに自分の王服を着るよう求めたのでしょうか。聖書にその理由は書かれていません。これはアラムにヨシャパテがイスラエルの王だと勘違いさせて殺させることで、自分は死を免れようとしたのかもしれません。邪悪なアハブですから、このように考えたとしても不思議なことはありません。
【22:31】
『アラムの王は、自分の配下の戦車隊長たち三十二人に命じて言った。「兵や将校とは戦うな。ただイスラエルの王を目ざして戦え。」』
『アラムの王』であるベン・ハダデには、『配下の戦車隊長たち三十二人』がいました。この「32」(人)という数字については、もう既に述べておいた通りです。この『戦車隊長たち』に、ベン・ハダデはアハブだけを狙うように命じます。『兵や将校とは戦うな。』ともベン・ハダデは言いました。これはアハブを打ち取れば、すぐにも戦いに勝利できるからでしょう。王が殺されたならば、配下の隊長たちはもうどうしようもなくなるからです。つまり、ベン・ハダデは戦いにおける効率化を求めたことになります。ベン・ハダデがこのように命じたのは、神の罰が関わっていたはずです。神は、何としてもアハブを罰して死なせようとされました。ですから、神はベン・ハダデが誰よりもアハブを狙うよう戦車隊長たちに命じさせたのです。
【22:32】
『戦車隊長たちはヨシャパテを見つけたとき、「確かにあれはイスラエルの王に違いない。」と思ったので、彼のほうに向かって戦おうとした。』
戦いが始まると、アラムの隊長たちはヨシャパテをイスラエル王だと勘違いしました。何故なら、ヨシャパテは王服を着ていたからです。アラムの隊長たちはイスラエルの王を見たことが無かったのでしょう。ですから、王服を着ているというのでヨシャパテがイスラエル王だと勘違いしてしまったのです。このため、アラムの隊長たちはヨシャパテ『のほうに向かって戦おうとし』ました。これはベン・ハダデから命じられた通りのことです。このようになることこそ、アハブの狙いだったのでしょう。このままヨシャパテがイスラエル王だと思われたまま殺されれば、もうイスラエル王は殺されたことになりますから、真のイスラエル王であるアハブは殺されることがなくなるはずです。こうしてアハブは神の刑罰を免れるつもりだったのかもしれません。