【Ⅰ列王記22:39~44】(2024/10/20)
【22:39】
『アハブのその他の業績、彼の行なったすべての事、彼が建てた象牙の家、彼が建てたすべての町々、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
『アハブのその他の業績』とは、聖書で書かれていないアハブの業績でしょう。それの詳細については分かりません。多かったかもしれませんし、少しだった可能性もあります。『彼の行なったすべての事』とは、『業績』とまでは呼べないアハブが行なった記憶すべき行為のことでしょう。これも、それがどれぐらいあったかまでは分かりません。『象牙の家』とは、アハブが自分の居住用として造った家のことでしょう。アハブは王でしたから、このような家を建てることもできました。『すべての町々』とは、アハブがイスラエル王国に建てた町々です。これもどれぐらいの数だったかなど詳細は分かりません。これらは『イスラエルの王たちの年代記の書にしるされている』のですが、この書については既に何度も述べておいた通りです。神はその文書が必要ないと判断されたので、保たれず失われるようにされたのです。
【22:40】
『アハブは彼の先祖たちとともに眠り、その子アハズヤが代わって王となった。』
アハブが死んでから次のイスラエル王はアハブの『子アハズヤ』となりました。このアハズヤは、北王国イスラエルにおける第8代目の王であり、サウルから数えれば第11代目です。このアハズヤの頃にも、ユダヤには多くの預言者がいましたが、その中で最も強く神の働きをしていたのはエリヤでした。
【22:41】
『アサの子ヨシャパテがユダの王となったのは、イスラエルの王アハブの第四年であった。』
『アサの子ヨシャパテ』は、ユダ王国における第4代目の王です。サウルから数えれば第7代目となります。このヨシャパテは『イスラエルの王アハブの第四年』に王となりましたから、王の年齢と経験においてはアハブとそれほど変わらなかったことが分かります。
【22:42】
『ヨシャパテは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。』
ヨシャパテは『三十五歳で王となり』ましたが、この「35」という数字に象徴性は全くありません。これが「33」であれば清めを、「40」であれば十分性を、意味していました。このヨシャパテは『エルサレムで二十五年間、王であった』のですが、この「25」という数字にも象徴性はありません。25年の統治は、ユダヤ王の中で少なくないものの、しかしこれよりも長い統治を行なった王が何人もいます。ヨシャパテの『母の名はアズバ』でしたが、彼女はつまりアサの妻です。アズバの母である『シルヒ』は、アサの義母になります。
【22:43】
『彼はその父アサのすべての道に歩み、その道からそれることなく、』
ヨシャパテは邪悪なアハブと異なり、全体的に健全な態度を保つ王でした。ですから、『彼はその父アサのすべての道に歩み』ました。『アサ』も全体的に健全な態度を持つ王でした。良い事柄で親のように歩むのは良いことです。そして、このヨシャパテは『その道からそれることなく』歩み続けました。つまり、決して堕落することが無かったのです。神がこのヨシャパテを御恵みにより堕落から守っておられたのです。
『主の目にかなうことを行なった。』
ヨシャパテが『主の目にかなうことを行なった』と言われているのは、彼が神の戒めに沿って歩んだということです。これはヨシャパテの『父アサ』もそうでした。このようにするのは神の喜ばれる御心に適ったことです。しかし、アハブは主に喜ばれる歩みをしませんでした。だからこそ、アハブは神から罰されて死んだのです。
『しかし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。』
ヨシャパテは全体として良い歩みをしましたが、『しかし、高き所は取り除』きませんでした。『高き所』とは、前にも述べた通り、偽りの神々である偶像を祀る高い場所のことです。このように罪深い場所は即座に取り除かれるべきでした。しかし、ヨシャパテはそうしませんでした。これは、ヨシャパテが偶像崇拝への思いを完全には捨てていなかったことを意味します。ここにヨシャパテの罪深さがありました。このように『高き所』がずっと保たれていましたから、『民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり』していました。その生贄を捧げる対象は偶像です。また民はそこで『香をたいたり』もしていました。これもやはり偶像に対しての香でした。それが対象となるべきは疑いもなく真の神だけです。ヨシャパテが『高き所を取り除かなかった』からこそ、民はこのように高き所で偶像崇拝をしていたのです。ヨシャパテは高き所を除かないことで、民に偶像崇拝を許容していたのも同然でした。何であれ支配者が否定しないのは、民から事実上の認可と見做されるものです。ですから、支配者は禁止すべき邪悪な事柄を明確に禁止せねばならないのです。そうしなければ、民は「OKサイン」が出されていると感じることになるでしょう。
【22:44】
『ヨシャパテはイスラエルの王と友好関係を保っていた。』
ヨシャパテがユダ王だった頃のイスラエル王はアハブでしたが、このアハブとヨシャパテは『友好関係を保ってい』ました。しかし、だからといってユダとイスラエルが一つになることはありませんでした。あくまでもユダとイスラエルはそれぞれ別の国であるままでした。それは、神がユダとイスラエルの一体を求めておられなかったからです。ソロモンが犯した罪のため、この2つは分裂したままでいるべきだったのです。