週報:【聖書から学べる有益な比較】(2021/10/31)


神の言葉である聖書から学べる様々な比較について、今回の週報では幾つか見てみたいと思います。今回は全部で5つの比較です。①「貧しいが愛のある家」と「金持ちで優雅だが愛のない家」。これは前のほうが優っています。何故なら、愛がなければ全てが無意味となり虚しいからです(Ⅰコリント13:1~3)。「お金さえ沢山あって豊かな生活ができれば愛がなくても別にいい。」と考えるのは堕落した考え方です。この比較について賢王ソロモンはこう言っています。「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」(箴言15:17)「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」(箴言17:1)②「やかましい女性と一緒にいること」と「大いなる孤独」。優っているのは後者のほうです。孤独は大きなストレスをもたらしますが、五月蠅くて手に負えない女性はより大きなストレスをもたらすからです。ソロモンはこう言います。「争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。」(箴言21:19)③「罪の楽しみはあるが聖徒たちと一緒にいれない」対「多くの苦しみや困難はあるが聖徒たちと一緒に歩む」。後者が前者よりも上です。何故ならば、あの偉大なモーセが前者ではなく後者を選び取ったからです。ヘブル11:24~25の箇所ではこう書かれています。「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。」④「全世界を手に入れるが地獄へ落とされる」VS「この世では少ししかまたは何も得られないが天国へ入る」。軍配が上がるのは後者です。何故なら、前者は素晴らしい幸せをほんのちょっとの時間だけ味わってから地獄で永遠の苦しみに至りますが、後者はほんのちょっとだけ我慢すれば天国で永遠の幸せを味わえるからです。全世界と引き換えに地獄を選んだ人は、どのようにしても天国での永生を取り戻すことはできません。このことについてキリストはこう言っておられます。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26)⑤「この世で長く生きること」VS「すぐにこの世を去ってキリストと共にいること」。この比較の勝利者は後者のほうです。何故なら、「万物は、御子によって造られ、御子のために造られた」(コロサイ1:16)からです。また、この御子にこそ救いと真の安息と至福があるからです。ですから、パウロはこう言ったのです。「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。」(ピリピ1:23)