週報:【天皇家と神道の結び付きについて】(2024/09/08)


悠仁さまが成年皇族となられ、高校を卒業されてから儀式が行なわれるようです。周知の通り、この儀式も含め天皇家では数多く儀式が行なわれています。それらで神道と結び付いた儀式が実に多くあります。この天皇家は神道と密接に結び付いています。天皇家を神道と無関係に考えるのは、ユダヤ人を聖書と無関係に考えられないのと同様、出来ないことです。もし天皇制が無くなれば、今の日本民族も恐らく存在するのは難しくなるでしょう。日本人は天皇に自分たちの本質が現われていると意識的にであれ無意識的にであれ強く感じています。天皇のいない日本人とは、国旗や国名や民族名をある国が持たないのと似ています。しかし、神道から天皇および天皇家が離れても天皇制の存続は可能なのでしょうか。これは天皇と日本において最も本質的な問いの一つでしょう。もし天皇と神道が、あたかも命と心臓の如く密接に繋がっているとすれば、事はあまりにも重大です。もしこうだとすれば、天皇制が永続する余地はあり得ないことになるからです。何故なら、唯一真の神は偽りの神々を消し去られる御方だからです。聖書にはこう書かれています。「偽りの神々は消え失せる。」神は、バアルであれゼウスであれ、これまで偽りの神々をことごとく消し去ってこられました。人間はこれからも偽りの神々を勝手に脳内で創り上げるでしょうが、神はそのどれをも御心のままに消し去られます。これは神道における八百万の神々も除外されません。ですから、もし天皇と神道が命と心臓のように一体であるとすれば、天皇制は偽りの神々と共に消え失せることになります。実際の所、天皇制と神道は一体のように繋がっているのでしょうか。そうでない可能性が高いと私は見ています。何故なら、昭和天皇はいわゆる「人間宣言」で自分が神であることを否定したからです。これは天皇が神の子孫であると考える神道に真っ向から反対する言葉です。このような発言を昭和天皇がしたのに、天皇制は今も変わらず続いています。それゆえ、天皇家が神道から離れたとしても、何とか上手くやっていけると思われるのです。明治維新を考えても分かる通り、日本民族は昔からの伝統を新しく切り替えても、順応して上手にやっていけます。これは天皇の場合でも同じはずです。ですから、私たちは本当に天皇家の救いを神に祈らねばなりません。天皇家も、キリストを信じるならば救われて神の聖徒とされます。こうなることを私たちは是非とも願うべきなのです。御言葉から分かる通り、神もそのようになるのを願っておられます。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」