週報:【日本人と宗教について】(2024/09/29)
日本人は宗教と聞けば、すぐ嫌悪感や抵抗感を示します。「宗教なんて私には…」などと言うのです。実際に宗教を深く知っているのではありませんが、しかし自分に関係ないものとして拒絶するわけです。しかし、世界的に見れば宗教は日常に溶け込んだ一般的な存在です。「世界各国要覧」を見ると、人類の大半が何らかの宗教に属していることが分かります。日本だけが例外的にここまで宗教に対してアレルギー反応を起こしています。しかも、日本人が宗教を嫌うのは、自己自身の愚かさを曝け出しています。何故なら、もし宗教を嫌悪するならば、天皇と天皇家における神道はどうなるのでしょうか。神道は宗教です。日本人が「宗教なんて…」と言うならば、その発言は神道である天皇に関しても当てはまるでしょう。まさか天皇だけは宗教であっても構わないとでも言うつもりでしょうか。それは道理に適わないことです。しかし、日本人は宗教に全く疎いので、このようなことさえ考えることがありません。更に、日本人が「宗教なんて…」と言って拒否感を示すとすれば、神社やお寺における崇拝行為はどうなるのでしょうか。神社もお寺も宗教の施設また宗教の現われです。日本人は事あるごとに宗教に抵抗感を示しながら、自分たちは日頃から宗教である神社やお寺に慣れ親しんでいます。もし宗教に拒否感を示すならば、神社やお寺にも行くべきではありません。また、もし神社やお寺に行くのであれば、宗教に拒否感を示すべきではありません。このように一貫していないのは明らかに矛盾しており、おかしいからです。しかし、自分たちの宗教的なおかしさに気付かないのが日本人なのです。そして、世界情勢と各国における調和が重視される昨今にあって、宗教に拒否感を示すのは評判や印象における危険性があります。何故なら、国の指導者でも一般人と同じく宗教に属している場合がかなり多いからです。トランプもオバマもブッシュもイギリス王もメルケルもキリスト教です。カーター元大統領は牧師でした。もし日本人が宗教を軽視するとすれば、彼らをも事実上において軽視することとなるでしょう。しかし、軽視されてしまうのは寧ろ日本人のほうです。日本人は宗教に抵抗感を示しているのに、実際は色々な宗教行為に参加したりして、自分たちの酷い混迷と無知ぶりを自ら示しているからです。このような日本人を不思議に思う外国人も多いのです。このような日本人に教会は言わねばなりません。聖書的なキリスト教だけは受け入れよ、と。日本人は救い主イエス・キリストを信じるべきなのです。日本は神道も仏教も捨てるべきです。他の宗教もやはり遠ざけるべきです。ただこのキリスト教だけが神の造られた唯一真の宗教だからです。聖書的なキリスト教だけを真の宗教として受け入れ保持することこそ、真に一貫した正しい宗教的な態度であり、それは神に喜ばれることです。日本人もキリストを信じるならば救われ、永遠の命に入ります。「御子を信じる者は永遠のいのちを持つ」と聖書で書かれている通りです。しかし、キリストが言われたように「信じない者は罪に定められます」。もし日本人が信じなければ罪に定められるので、日本は罪深い存在として神から呪われてしまいます。