週報:【福音を拒絶する悲惨さについて】(2024/10/06)
日本人はキリストの聖なる福音を聞いても、全く受け入れようとしません。日本人は福音を拒絶しても、それが重大なことであるなどと全く考えもしません。何故なら、ほぼ全ての日本人にとって福音で言われていることは愚かに思えるからです。パウロが聖書で「十字架の言葉は滅びに至る人々にとっては愚かです」と言った通りです。福音を愚かに感じているため、それを拒絶しても別に重大だとは思わないわけです。もし重大だと思うならば、そもそも福音を愚かには感じなかったことでしょう。しかし、日本人が別に重大だと思わなくても、それが重大であることに変わりはありません。ちょうど幼児が火を見て危険だと思わなくても、実際に火が危険であることを止めないのと同じです。どうして福音の拒絶が重大かと言えば、それは福音で言われているキリストの贖いを不信仰により侮辱することだからです。父なる神が「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された」ので、永遠の贖いが実現されました。このような聖なる尊い福音を不信仰により拒絶するというのは、真理に対する冒瀆です。ですから、日本人が福音を受け入れないままでいるのは、実に重大な罪深さを示しているのです。このように福音を不信仰により拒絶する罪深さは、神からの呪いを齎します。今の日本があまりかつてのように良い調子を出せていないのは、実にこのような罪深さに対する呪いが注がれているからです。このような呪いがある限り、今の日本が色々な対処や解決策を講じても、根本的な状況は全く変わらないままです。日本はまず最も大きな呪いの原因である神社やお寺における偶像崇拝の罪を悔い改め、救い主イエス・キリストを信じ、神から罪の赦しを受けるべきなのです。これこそ日本がまず第一にすべきことです。こうすれば呪いを齎す罪がキリストにより赦されますから、日本は神から祝福され、かつてのような勢いを取り戻し、大いなる繁栄の御恵みに与かれることでしょう。日本は多くの罪深い点を持っていますが、特に偶像崇拝の罪が除き去られねばなりません。この偶像崇拝の罪は、呪いの足枷となります。こんな足枷を付けたままでは日本が力強く、軽やかに、素早く動くことなど出来ないでしょう。キリストの福音を信じて悔い改め、この不要な足枷を神に外していただくべきです。こうなれば神が日本に大きな力と勢いを与えて下さることでしょう。