週報:【日本人の不信仰とキリストによる救い】(2024/10/13)


日本人のほぼ全てはキリストの福音を信じようとしませんが、このような不信仰により日本人は神の御前で罪に定められます。「信じない者は罪に定められます。」とキリストが言われた通りです。日本人もキリストを信じるなら、そのキリスト信仰により神から赦され、義と認められます。「人はキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」とガラテヤ書で書かれている通りです。このようにして救われた人に対し、キリストは罪の赦しを宣言して下さいます。「人よ。あなたの罪は赦されました。」と。しかし、日本人は信じようとしませんから、救われることがなく、罪の赦しもありません。今の日本人が福音を信じないのは、神が今の日本人を救われるように定めておられないからです。もし定められていれば日本人は福音を信じていたでしょう。使徒行伝では「こうして永遠の命に定められていた人たちは信仰に入った。」と書かれています。つまり、今の日本人はその多くが永遠の命から除外されているため、信仰に入ることもないわけです。全ては神の定めにかかっています。救いは決して人間の願いや努力によりません。「事は人間の願いや努力によるのでなく、ただ神の憐れみによる」とパウロが言った通りです。今の日本人のように福音を信じなければ、罪に定められますから、罪人として地獄に行かねばなりません。そして、そこで永遠に神から罪に対する刑罰を受け続けるのです。この地獄よりも恐ろしい場所は他に全くありません。そこでは苦しみと嘆きしかなく、燃える火の中で水の一滴さえも与えられることがありません。もはや後戻りすることも出来ないのです。しかし、そこで苦しむことになったのは自分の罪が原因なのですから、地獄に行っても文句は言えません。聖書が言うように「罪の責任はその人自身の頭に帰する。」のです。しかしながら、日本人でもキリストを信じるならば救われ、もはや地獄に行くことはありません。何故なら、キリストは私たちの罪を赦すため、御自分の聖なる御身体を十字架で永遠の犠牲として下さったからです。ペテロはこう言っています。「そして(キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。」(Ⅰペテロ2章24節)ただこの御方だけに人の救いがあります。他に救いは全くありません。「この方以外には誰によっても救いはありません。」と使徒が言った通りです。この聖なる救いに日本人も与かれるよう、大いに伝道が為されねばなりません。