週報:【神によらねば誰も求められない福音】(2025/01/26)
商売であれば人々のニーズが重要となります。多くの人のニーズが満たされるような商品やサービスを提供するわけです。そうすれば購入してくれる人が多くなり、売り上げも増えます。多くの人が持つニーズであるほど、またニーズの度合いが強いほど、そのニーズに合致した商売が行なえた際、利益も高くなるでしょう。例えば米価格が高い今に5kg1500円の米を販売できたとすれば、人々のニーズに適いますから、すぐ売り切れてしまうでしょう。優れた経営者ほど人々のニーズを上手に掴みます。ところが、福音伝道の場合は話が全く違います。聖なる福音の場合、それを求めるニーズは誰にもありません。何故なら、キリストが言われた通り、生まれながらの罪深い人間は誰でも霊的な「死人」だからです。そのような死人は、パウロも言った通り、福音という霊的な事柄を少しも理解せず、愚かにさえ感じます。このため、堕落した生まれながらの死人たちは、福音を聞いても求めることが決してありません。実際的な死人が物理的な音声を聞いても全く分からないのと同じことです。この福音を人が求めるのは、神の御恵みによる一方的な働きかけによります。そのようにして人は初めて福音を求め、信じ、悟るようになります。それは人間自身の思いや欲求によりません。「こういうわけですから、事は人間の願いや努力によらず、憐れんで下さる神によるのです。」とパウロが言った通りです。神が恵んで下さらなければ誰でも霊的に死んだままです。ですから、教会としてはキリストの福音をより多くの人々に宣べ伝えるべきなのです。そのようにして宣べ伝えられた福音を御恵みにより信じた人は、福音で語られているように、御子キリストにある永遠の命を持つこととなります。御言葉にこうある通りです。「御子を信じる者は永遠の命を持つ」。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命です。」