週報:【人間の存在意義とキリストの御救い】(2025/02/23)


人間の存在意義は何かと問う人がいるかもしれません。聖書でソロモンはこう言っています。「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとって全てである。」つまり、神に恐れつつ喜んで従い、神を心から求めて生き、神の栄光を豊かに現わすこと、これこそが人間の存在意義なのです。ところが人間は自分の創造者なる神に背いて罪を犯し、神の御前で死んだ存在となりました。ですから、キリストは生まれながらの人間を「死人」と言われました。このように堕落して以降の人間は、もはや全く神に生きようともしなくなり、ただ自分の罪と汚れの中に歩む役立たずの無能で無益な者となりました。聖書はこう言っています。「全ての人が迷い出て、みな共に無益な者となった。」このような罪深い人間は誰も神からの栄誉に値しません。値するのは寧ろ地獄での永遠の刑罰です。しかし、神の御子キリストはこのような人間を救うため、十字架の上で血を流し死んで下さいました。この聖なる贖いを信じるならば、その人は神から罪の赦しを受け、御恵みにより義と認められます。使徒パウロは聖書でこう言いました。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23~24)今現在の日本人は、ほぼ全てこの聖なる御救いを信じておらず、たとえ聞いても受け入れることがありません。今の日本において、キリストという命の門に入り、その道を歩んでいる救われた者はごく稀です。日本人は誰も彼も地獄に至る滅びの門を歩み続けています。キリストはこう言われました。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入る者が多いのです。命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者は稀です。」地獄に行くとも知らず罪と闇の中を歩み続けている人々が大半を占めるこの日本は、何と霊的に不幸で惨めでしょうか。彼らの心は石のように固く、その目は閉じて見えず、その耳は完全に塞がれているのです。しかし、彼らもこれから救われるように福音が宣べ伝えられねばなりません。神はこの日本人が救われるのも望んでおられます。「神は、全ての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と聖書に書かれている通りです。