週報:【選びによる救い】(2025/04/20)
神は、聖徒たちが救われるよう永遠の昔からキリストにおいて選んでおられました。まだ何の創造もされていない永遠の昔から、もう既に神は救いの選びを定めておられました。選ばれている者は、そのような選びを受けている者として生まれます。つまり、私たちはもう生まれた時から既に救いが決定済みの存在だったのです。そして、救われるように定められた頃となったので、神は「キリスト・イエスを信じる信仰により義と認められる」よう恵みにより働きかけて下さいました。ですから、私たちが既に救われているという事実は、永遠の昔から救われるように定められていたことを示す明白な証拠なのです。神はキリストによる救いの愛を、まず私たちに対し定めておられました。まず先に私たちが神を愛したのではありません。神がまず定められていた私たちをキリストにおいて愛されたので、キリストにより救われた私たちも神を愛するようになったのです。これについて使徒ヨハネはこう言っています。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4章9~10節)聖書が言っている通り、「神は真実で正しい方」です。ですから、神は永遠の昔に定められた救いの選びを決して曲げられません。つまり、神は選ばれていた者たちを絶対に捨てることがありません。このため、キリストにより救われた聖徒たちは、救いの信仰に固く立つことができるのです。神は聖書で聖徒たちにこう言っておられます。「私はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」このような選びを受けているもののまだ救われていない人が、この日本にも多かれ少なかれいるに違いありません。そのような人たちも救われるため、キリストの福音が宣べ伝えられねばならないのです。キリストは「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と言われました。キリストにある永遠の命を受けるよう選ばれている人ならば、その宣べ伝えられた福音を知り、信仰に入って救われるのです。「そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。」と使徒時代について書かれていることが今でも起こるわけです。