週報:【神から背き去り罪の奴隷となった人間】(2025/05/11)
人間は僕として神に服従するため創造されました。「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとって全てである。」と聖書で言われていることからも、これは分かります。神に従い神に生きること。これが人間という被造物の意味また定義なのです。ですから、人間が神に従わないなら、人間から存在意義は全く失われることとなります。しかし、人間はこのような存在として創られていながら、神に服従することを自らの意思で全く拒絶しました。罪を犯せば神のようになれるというサタンの誘惑に陥り、神に従わないで自分自身を自分の主としたのです。このようにして人間は神から全く背き去りました。苦々しい反逆による罪深い偽りの自由を愛したのです。「これで神という軛の奴隷でいられずに済むこととなった。」というわけです。しかし、神に従って生きるところに真の自由があります。何故なら、神は正しくあられ、その命じられることも正しいからです。信号機の指示に従うことで交通における真の自由が得られるのと同じです。人間が神から離れ自分自身に従うようになり、そこに自由を感じたのは、信号機の指示を守らず自分勝手に動く人が「真の自由を得た。」などと勘違いしているのとよく似ています。つまり、人間は神に背くことで真の自由を失い、罪に縛られる奴隷となったのです。このような罪深い人間に対し、キリストは「悔い改めなさい。」と命じられました。今の日本人は、このように堕落した罪深い自分たちのことをよく知り、悔い改めて神から罪の赦しを受けるべきです。もし悔い改めてキリストの贖いを信じるなら、神はキリストのゆえに私たちの罪を赦して下さいます。「この方を信じる者は誰でもその名によって罪の赦しが受けられる。」と聖書に書かれている通りです。そのようにして日本人も神の御前で悔い改めて救われた者となれば、どれだけ幸いなことでしょうか。そのようにして救われた日本人ならば、天国に行くこととなります。しかし、信じず悔い改めないままでいるなら救われることはなく、地獄に行くこととなります。