週報:【選ばれた者に与えられる信仰と福音伝道】(2025/05/18)


ペテロが主イエスこそキリストであるという信仰を告白した際、キリストは彼にこう言われました。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ16:17)「キリスト・イエスを信じる信仰」を、人間は自分自身から決して持てません。それは神が信じるように与えて下さる賜物なのです。ですから、バプテスマのヨハネはこう言ったのです。「人は天から与えられるのでなければ何も受けることができません」。聖なる十字架の言葉を、生まれながらの人間は受け入れられず、悟れず、信じることができません。寧ろ、それを愚かで価値の無いものとさえ感じてしまいます。しかし、キリストについての御言葉は、信じる者にとって救いを受けさせる神の力です。使徒パウロは聖書でこう言いました。「十字架の言葉は、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」キリストの救いを信じることができるのは、選びに基づく神の憐れみによります。信じるよう選ばれている者は、必ずキリスト信仰を受け、救われることとなるのです。それを信じるのは、ただ神の一方的な憐れみによるのであり、人間的な意志とか努力にはよりません。ですから、使徒パウロは聖書でこう言ったのです。「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ9:16)このような尊い信仰を受けるよう選ばれた人が、この日本にも必ずいるに違いません。しかし、そのような人も、キリストを知ることなしには信じることができません。パウロが「聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。」(ローマ10:14)と言った通りです。ですから、彼らが救われるため、キリストの福音がこの日本にも大いに宣べ伝えられねばなりません。主はこのように言われたのです。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)