週報:【御子の福音を拒み続けることについて】(2025/06/01)
父なる神にとり、イエス・キリストの福音ほど重要なものは他に無いでしょう。何故なら、「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」のだからです。罪深い人間が救われるため、御父は御自分の御子を惜しまず死に引き渡されました。「私たち全てのために、御自分の御子をさえ惜しまず死に引き渡された方」とパウロは聖書で御父について言っています。ヨハネが福音書で書いたように「父は御子を愛しておられ」ます。ですから、御子が犠牲にされた救いを示す福音ほど父なる神が重視しておられるものは無いのです。神は、この福音以外のために御子を十字架の死へ引き渡されたりしませんでした。それゆえ、人がこの福音に対しどのような態度また反応を持つかは、人生で最も重大なことになります。父なる神は、人がこの福音にどのように応じるかを非常に重視されます。すなわち、神は人が福音を聞いて信じるか信じないか注目されます。この福音のために神は御子を死に引き渡されたのですから、その反応を神が重要視されないというのは考えられないことです。もし人が福音を信じるならば、神はそれで良しとされるでしょう。何故なら、福音を信じる者は神の恵みにより救われるからです。主は「信じてバプテスマを受ける者は救われます。」と福音書で言われました。この福音で示される御子にこそ永遠の命を受けさせる救いがあるのです。「御子を信じる者は永遠の命を持つ」と聖書に書かれている通りです。しかし、福音を聞いても信じなければ神に喜ばれることができません。「信仰が無ければ神に喜ばれることはできません。」と聖書は言っています。そのように信じない者は、その不信仰により事実上、福音を否認していることになります。このような者に対しては、福音を聞くことのできる機会が取り上げられてしまうでしょう。御子とその救いを否認し続ける不遜な者に対し、神はいつまでも福音を聞かせ続けられないはずです。こうして不信仰な者たちは地獄に至ることとなります。それは御子による救いと赦しを拒み、罪深い汚れた状態のままでいることをその人が愛したからなのです。