週報:【キリストを信じない理由について】(2025/06/08)
人が、主イエスを信じないのはどうしてでしょうか。それには幾つかの理由があります。まずキリストを信じようとしないのは、罪深い闇の中を愛し、そこに留まり続けたいと願うからです。キリストを信じるなら、罪を告白せねばなりません。しかし、それが嫌であり、ずっと神の御前で罪を隠し続けたままでいたいのです。福音書ではこう書かれています。「悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。」(ヨハネ3:20)信じようとしないのは、高ぶりがその心にあるからでもあります。神の御前に遜りたくないという高慢な思い。自分自身が自分の主でありたいと思う願い。このような傲慢さが神に嫌われるため、その人は救いから遠ざけられるのです。聖書はこう言っています。「神は高ぶる者に敵対し、遜る者に恵みをお与えになる。」日本人のように富んでおり、知的であり、評価や国際的な名声も高いと、尚のこと信じようとしなくなります。何故なら、神はこれらとは逆であるような存在を救いに選んでおられるからです。使徒パウロは聖徒たちにこう述べました。「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」(Ⅰコリント1:26~27)しかし、最も究極的な理由は、信じるよう神に選ばれていないからです。つまり、神に選ばれていないため、上で述べたような信じない理由を持つ者となるように定められているわけです。神は「私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と言われました。ヤコブは愛のうちに選ばれていたため救われ、エサウは憎しみにあって選ばれていませんでした。今の日本人は上で述べたような理由を持つ人が多くいます。ですから、日本人はなかなか救われていないのです。しかし、日本人でも選ばれていれば必ずキリストを信じて救われます。そうなるよう神に永遠の昔から定められていたからです。