週報:【御言葉を信じて救われることについて】(2025/07/06)


人が救われて神から義と認められるのは、キリストを信じることによります。使徒パウロは聖書でこう言いました。「しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。」(ガラテヤ2:16)信じるのはキリストについての御言葉によります。パウロはこう言っています。「信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについての御言葉によるのです。」神は、この御言葉により主イエスの聖なる御救いを啓示されました。ですから、キリストについての御言葉を抜きにしては決して救われることができません。この聖なる御言葉を信じるのは、2通りの方法があります。すなわち、聞くことと読むことです。聞くのであれ読むのであれ、御言葉を信じるならば、人は救われます。神は御言葉を信じる者にキリストの救いを与えて下さるからです。説教中で語られる御言葉を信じて救われた人は、聞いて信じることで救われたのです。聖書を読んでいる時に救われたアウグスティヌスは、読んで信じることにより救われました。たとえ聞くだけで文字として読まずとも、それとは逆に読むだけで音声として聞かずとも、心で御言葉を信じ受け入れるなら、誰でも救われることができます。もしそうでなければ、目が不自由なため文字を読めない方や、耳が不自由なため声を聞けない方は、決して救われることができなくなるでしょう。しかし、そんなことがどうしてあるでしょうか。こういうわけですから、声だけにせよ文字だけにせよ、とにかくキリストについての御言葉が宣べ伝えられねばならないのです。声だけの宣教には路上演説などがあり、文字だけの宣教にはトラクト伝道などがあります。声も文字も両方あるならば、それもそれで素晴らしい幸いなことでしょう。問題なのは御言葉が全く宣べ伝えられないことです。これでは神の言葉が無いのですから、救われることもできなくなります。日本には、これからもキリストの福音が宣べ伝えられて行かねばなりません。主はこう言われました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」日本人もキリストを信じて救われることができますように。「神は、全ての人が救われて真理を知るようになるのを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)