【Ⅱ列王記2:15~20】(2025/01/05)


【2:15】
『彼を迎えに行って、地に伏して彼に礼をした。』
 エリシャがやってくると、預言者たちは『彼を迎えに行って、地に伏して彼に礼をし』ました。これは崇拝としての礼ではなかったでしょう。単に偉大な預言者に対して敬意を払っただけのことでしょう。もしこれが崇拝の意味を持つ礼だとすれば、エリシャはこの預言者たちを諫めていたはずです。しかし、どうやらそのようにエリシャが諫めることはなかったようです。ですから、この礼は単なる儀礼的な意味しか持たないはずです。

【2:16】
『彼らはエリシャに言った。「しもべたちのところに五十人の力ある者がいます。どうか彼らをあなたのご主人を捜しに行かせてください。主の霊が彼を運んで、どこかの山か谷に彼を投げやられたのかもしれません。」するとエリシャは、「人をやってはいけません。」と言った。』
 預言者たちは、エリヤが天に取り去られたことを知りませんでした。彼らは、エリヤが移されたにしても、地上のどこかに移されたと思っていました。ですから、彼らはエリシャにエリヤを捜すことの許可を求めました。しかし、エリシャはエリヤが天に移されたことを知っていました。この地上のどこかを捜しても、エリヤは見つかるはずがありません。ですから、エリシャは預言者たちに『人をやってはいけません。』と言いました。

【2:17】
『しかし、彼らがしつこく彼に願ったので、ついにエリシャは、「やりなさい。」と言った。それで、彼らは五十人を遣わした。』
 預言者たちがどうしてもと『しつこく彼に願ったので』、『ついにエリシャは、「やりなさい。」と言』いました。エリシャは捜しても無駄であることをよく知っていました。しかし、それでも『やりなさい。』と言って捜させたのは、仕方なしにそうしたのです。つまり、エリシャはあえて彼らに捜させることにしたわけです。それは、彼らに捜させることで、捜しても無駄だということをよく分からせるためだったのでしょう。言っても分からないのだから無駄骨を折らせることで分からせる、というわけです。

【2:17~18】
『それで、彼らは五十人を遣わした。彼らは、三日間、捜したが、彼を見つけることはできなかった。彼らはエリシャがエリコにとどまっているところへ帰って来た。エリシャは彼らに言った。「行かないようにと、あなたがたに言ったではありませんか。」』
 エリシャから捜す許可を受けた預言者たちは、三日間も捜しましたが、エリヤを見つけることはできませんでした。エリヤはもう天に取り去られたのですから、見つからないのは当然でした。このため、諦めた『彼らはエリシャがエリコにとどまっているところへ帰って来』ました。すると、エリシャは『行かないようにと、あなたがたに言ったではありませんか。』と言い、彼らに対し不満を示します。エリシャが行かないようにと言ったにもかかわらず、しつこく行かせてくれと預言者たちは願ったのですから、エリシャが不快になっても当然のことだったでしょう。エリシャのような人がいたとすれば、明らかに間違っているというのでもない限り、その言った通りにしたほうがいいでしょう。そうしなければ、この預言者たちのように無駄なことをすることとなるかもしれません。

【2:19】
『この町の人々がエリシャに言った。』
 『この町』とはエリシャがいたエリコのことです。そこにいた『人々』はエリシャと話しましたが、どれぐらいの人々だったかまでは分かりません。また、その人々がどのような種類、どのような立場、どのような性格だったのかも分かりません。

『あなたさまもご覧のとおり、この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産が多いのです。」』
 町の人々が言っている通り、エリコの『町は住むのには良い』所でした。つまり、経済的に乏しくなく、物質的にも恵まれ、平和に過ごせた、ということでしょう。しかし、そのようなエリコにも問題がありました。それは『水が悪』いことです。そのためでしょう、エリコの『土地は流産が多い』のでした。流産が多いというのは、かなり悲惨なことです。町の人々が『あなたさまもご覧のとおり』と言っていることからも分かる通り、エリシャはこれらの事柄をもう既に知っていました。

【2:20】
『すると、エリシャは言った。「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」人々は彼のところにそれを持って来た。』
 エリコの人々から話を聞いたエリシャは、塩の盛られた皿を持って来るように命じます。その塩で有害な水を清めるためです。町の人々は、エリシャに言われた通り、その塩をエリシャのもとに持って来ました。エリシャが水を良くしてくれるのではないかと思ってのことでしょう。