【Ⅱ列王記2:21~25】(2025/01/12)


【2:21】
『エリシャは水の源のところに行って、』
 塩が持って来られたので、エリシャは『水の源のところに行っ』たのですが、この『水の源』がどこだったかは書かれていません。そこが、どのような場所だったか、またそこに行くまでどれぐらいかかったかも分かりません。しかし、これらは別に知らなくても問題ないことです。

【2:21~22】
『塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」こうして、水は良くなり、今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。』
 水の源に行ったエリシャは、塩をそこに投げ込みます。その際は、神の言葉が告げられました。すると、そこの『水は良くなり』ました。神が『この水をいやした』からです。塩を投げ込む際に神の言葉が語られたこと。これが重要な点です。もしエリシャが塩を投げ込む際に告げなければ、この水は癒されなかったでしょう。先に神を呼び求めること無しに水を打っても、水が引き裂かれなかったのと同じです。何故なら、もし御言葉抜きに水が癒されたとすれば、神が水を癒されたことが示されませんから、エリシャに栄光が帰されてしまいかねないからです。このようにして神はエリシャを通して、エリコの水を良くされました。エリコに御恵みが注がれたわけです。水が良くなってから『今日にいたっている』と書かれているのは、つまりⅡ列王記におけるこの箇所が書かれている時の『今日』です。この箇所が書かれた時まで長い間、ずっとエリコの水は清いままに保たれていました。

【2:23】
『エリシャはそこからベテルへ上って行った。』
 エリコで水が癒されてから、エリシャは『ベテルへ上って行った』のですが、この場所はエリコから20~30kmほど西に離れています。これまでエリシャはずっとエリヤと共に歩んでいました。しかし、もうこれからは1人で歩むこととなりました。新しい歩みがエリシャに始まったわけです。

『彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、』
 エリシャがベテルに至る『道を上って行くと』、その町から多くの子どもたちが出て来ました。後の箇所を見ると、この子どもたちは非常に多く、少なくとも42人はいたことが分かります。『小さい』と書かれているその小ささが、実際にどれぐらいの年齢だったかまでは分かりません。

『彼をからかって、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭。」と言ったので、』
 ベテルから出て来た小さな子どもたちは、エリシャを大胆にからかいました。これは酷い侮辱でした。何故なら、この子どもたちは、侮辱の言葉を繰り返して強調したからです。このように侮辱されたエリシャは、神に仕える正しい預言者でした。ですから、子どもたちがしたエリシャに対する侮辱は、神を侮辱したのも同然でした。それゆえ、この侮辱は致命的でした。エリシャはまさかこのように侮辱されるなどと予想していなかったことでしょう。しかし、このようになりました。これは正にソロモンが『何が起こるかを知っている者はいない。』と言っている通りです。

【2:24】
『彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。』
 町から出て来た子どもたちにからかわれたエリシャは、『振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろ』いました。エリシャが子どもたちに『振り向い』たのは、エリシャが子どもたちの侮辱を強く心に留めたことを示しています。そして『彼らをにらみ』つけたのは、その侮辱に大きな憤りを抱いたことを意味します。『主の名によって彼らをのろった』のは、つまり自分の怒りを神に委ねたのです。こうすると雌熊が出て来て、その子どもたちのうち『四十二人の子どもをかき裂』きました。子どもたちは神に仕えるエリシャを侮辱したのですから、神を侮辱したのも同然でした。ですから、神はエリヤの呪いを有効とされ、子どもたちに働きかけたのです。神の怒りがこの雌熊において示されたとすべきでしょう。つまり、この雌熊たちは、神の怒りを実際に物質化した存在だったわけです。この時にかき裂かれた『四十二人の子ども』たちは、全体の部分であり、全ての子どもがかき裂かれたわけではありません。この子どもたちがかき裂かれて死んだかどうかは分かりません。また死んだにしても、どれぐらいの割合で死んだかまでは分かりません。

 律法では『復讐してはならない。』と命じられています。エリシャはこの時に呪うことで復讐したと言えるでしょうか。これについて気になる人もいるかもしれません。この時にエリシャが復讐したとは言えないでしょう。何故なら、エリシャは単に神により呪っただけだからです。実際に復讐されたのは神であられました。エリシャは子どもたちに手を出していません。もしエリシャが実際に手を出していたとすれば、それは律法に違反していたことでしょう。しかし、エリシャはそのようなことをする人ではありませんでした。

 この時に『四十二人』の子どもがかき裂かれたのは、象徴的な意味があります。つまり、偶然に42人がかき裂かれたのではありません。神の意図により42人がかき裂かれたのです。この「42」とは、聖書で少しだけの数量を意味します。ですから、この時にかき裂かれた子どもたちは、全体に対し少しだけだったことが分かります。かき裂かれないでいた子どもたちがかなりいたのです。また聖書でこの数字は3つの「14」から成り立っており、構成された内容であることをも意味しています。ですから、この時にかき裂かれた子どもたちは、3つの群れに分かれていたでしょう。つまり、42人が一纏めにしてかき裂かれたのではないのです。

【2:25】
『こうして彼は、そこからカルメル山に行き、』
 ベテルで大きな出来事があってから、続いてエリシャは『カルメル山に行き』ました。この山は、エリヤがバアルの預言者たちと戦ったあの山です。エリシャがこの山まで行った理由については、ここで書かれていません。エリシャはベテルからこの山までかなりの距離を移動したでしょう。