【Ⅱ列王記2:25~3:5】(2025/01/19)
【2:25】
『そこからさらに、サマリヤへ帰った。』
エリシャはカルメル山に行ってから、南に位置するイスラエルの首都『サマリヤへ帰』りました。これまでエリシャはずっとエリヤと共に歩んでいました。ですから、まだエリヤが取り上げられていなければ、この時もエリヤと共にサマリヤまで行ったことでしょう。しかし、もうエリシャは一人で歩むこととなっています。これまでの歩みと流れ・状態が全く変わったわけです。
【3:1】
『ユダの王ヨシャパテの第十八年に、アハブの子ヨラムがサマリヤでイスラエルの王となり、十二年間、王であった。』
『ユダの王ヨシャパテ』は、ユダ王国における第四代目の王です。在位期間は紀元前870~850年ぐらいでした。このヨシャパテが王となってから『第十八年』に、『アハブの子ヨラムがサマリヤでイスラエルの王となり』ました。このヨラムはイスラエルにおける第9代目の王です。ヨラムの在位年数が『十二年間』だったのは、「12」であるものの、特にこれといった象徴的な意味は含んでいないと思われます。
【3:2】
『彼は主の目の前に悪を行なったが、彼の父母ほどではなかった。』
ヨラムは『主の目の前に悪を行なった』のですが、これは彼が律法に従わなかったことです。何故なら、悪とは律法に違反することだからです。聖書は、そのことをここで非難しているのです。しかし、その悪の度合いは『彼の父母ほどでは』ありませんでした。けれども、それは父母に比べればというだけの話であって、ヨラムが罪深い歩みをしたことに変わりはありません。ただ度合いの点で父母よりはましだったというだけのことです。
『彼は父が造ったバアルの石の柱を取り除いた。』
ヨラムもアハブと同じように罪深かったものの、しかしアハブ『が造ったバアルの石の柱を取り除』きました。バアル崇拝は、アハブを通してイスラエルに入ってきました。何故なら、アハブの娶った異邦人イゼベルはバアル崇拝者だったからです。夫婦は一体ですから、イゼベルがバアル崇拝をしていたため、アハブもバアル崇拝に陥ったのです。そのようにしてイスラエルに入った『バアルの石の柱を取り除いた』ことが、ここでは評価されているのでしょう。というのも、それは正しく良いことだからです。神の忌み嫌われるバアルの石の柱を除去することが、どうして神に喜ばれないでしょうか。
【3:3】
『しかし、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を彼も犯し続け、それをやめようとはしなかった。』
ヨラムはバアルの石の柱を取り除いたものの、『しかし、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を』『犯し続け』ました。その罪とは偶像崇拝です。つまり、ヨラムは自分が行なっていた複数の偽神どもに対する偶像崇拝の中で、単にバアル崇拝を取り除いただけに過ぎませんでした。ヨラムはバアルの石の柱を取り除いても、偶像崇拝者であることに変わりありませんでした。しかも、彼は『それをやめようとはしなかった』のです。聖書はここでそのことを非難し問題視しているのでしょう。こういうわけですから、罪深い偶像崇拝者であるという点で、このヨラムはヤロブアムと何も変わりませんでした。
【3:4】
『モアブの王メシャは羊を飼っており、子羊十万頭と、雄羊十万頭分の羊毛とをイスラエルの王にみつぎものとして納めていた。』
『モアブ』という国は、イスラエルの東南にその境界線を接しており、そこは死海の東に広がる地域です。このモアブの南はエドムの国と接していました。この『モアブの王メシャは羊を飼って』いましたが、それは非常に多い数だったでしょう。何故なら、この王は『子羊十万頭と、雄羊十万頭分の羊毛とをイスラエルの王にみつぎものとして納めていた』からです。このようにモアブ王が貢物をイスラエルに納めていたのは、モアブがイスラエルに服属していたからです。つまり、この貢物は隷属の印だったわけです。しかも、その貢ぐ量は莫大でしたから、かなりイスラエルの支配力は強かったことが分かります。彼が納めていた子羊と羊毛における雄羊は『10』(万頭)ですから、つまりこれはモアブ王の貢ぎ物が不足のない完全な量だったことを示しています。
【3:5】
『しかし、アハブが死ぬと、モアブの王はイスラエルの王にそむいた。』
アハブがまだ生きている頃は、ずっとモアブがイスラエルに服属し続けていました。しかし、アハブが死ぬと、モアブの王はイスラエルに対する服属を断ち切ろうと反逆しました。どうしてこういうことが起きたのでしょうか。律法からは、罪深いほど呪われて支配の力が弱まり、正しく歩むほど祝福されて支配の力が強まる、ということが分かります。先に見た通り、アハブのほうがその子ヨラムよりも罪深かったのですから、ヨラムのほうがモアブに対する支配の力を強く持てたはずでしょう。アハブが支配できたのならば、アハブより罪深く無いヨラムは尚のこと支配できたはずです。しかし、そうはなりませんでした。これはモアブが背くことで、神がユダヤに強く働きかけるためでした。