【Ⅱ列王記4:11~14】(2025/03/09)
【4:11】
『ある日、エリシャはそこに来て、その屋上の部屋にはいり、そこで横になった。』
『ある日のこと』、エリシャは女が備えてくれた『屋上の部屋にはいり、そこで横にな』りました。『部屋』とそこにある『寝台』が用いられたわけです。この時にエリシャがこの部屋に行ったのは、これで何度目だったかは分かりません。もうかなりの回数だった可能性もあるでしょう。
【4:12】
『彼は若い者ゲハジに言った。』
『若い者ゲハジ』とは、エリシャに仕えている僕です。エリシャがエリヤに仕えていたように、エリシャにもそのような僕がいました。これは喜ばしいことでした。何故なら、ソロモンも聖書で言っている通り、『二人は一人よりも優っている』からです。1人しかいなければ何かと困ることも多いのです。
【4:12~13】
『「ここのシュネムの女を呼びなさい。」彼が呼ぶと、彼女は彼の前に立った。エリシャはゲハジに言った。「彼女にこう伝えなさい。』
エリシャは、ゲハジに部屋を作ってくれた女を呼び出させます。またエリシャは、このゲハジを通して女に自分の言葉を伝えさせました。エリシャはどうして自分でこのようにしなかったのでしょうか。それはゲハジがエリシャに仕える者であって、このようにするのが適切だったからなのでしょう。アロンもモーセが語る言葉を取り次ぎ、民に向かい語っていました。何事でも適切さというのがあるものです。
【4:13】
『『ほんとうに、あなたはこのように、私たちのことでいっしょうけんめいにほねおってくれたが、』
エリシャが言っている通り、女はエリシャたちのことで『いっしょうけんめいにほねおってくれ』ました。『私たち』とは、エリシャとその僕ゲハジでしょう。前の箇所から分かることとして、女が骨折った内容としては、食事および部屋の設置という2つのことです。他にも女が骨折ったことはあったのかもしれません。ここでエリシャが『ほんとうに』と言っているのは、女がどれだけ心から骨折ってくれたかよく示しています。この女は、エリシャが神の人だからというので本当に色々と尽くしたのです。
『あなたのために何をしたらよいか。王か、それとも、将軍に、何か話してほしいことでもあるか。』」』
エリシャは自分たちに良くしてくれた女に何とか報いたく思っていました。女は神の人に対して良いことをしたのです。ですから、彼女はその行ないに対し報いられてもよかったのです。このため、エリシャは女に『王か、それとも、将軍に、何か話してほしいことでもあるか』と聞いてみます。エリシャであれば王とか将軍に話すことができ、しかも求めを受け入れさせることもできたからでしょう。何故なら、エリシャはエリヤの後継者である神の人だったわけですから、王であれ将軍であれその霊的な権威を認めぬわけにはいかなかっただろうからです。そういった権威があるなら、その求めを受け入れねばならないことにもなるわけです。
『彼女は答えた。「私は私の民の中で、しあわせに暮らしております。」』
エリシャから何か求めるように言われた女は、特に求めるものはないと答えました。『しあわせに暮らしております。』と彼女が言ったのは、つまり「もう既に充足しているから何も求める必要性がない。」という意味です。彼女は謙遜とか控え目な心からこう言ったのではないはずです。本当に充足していたのでしょう。人は豊かに充足していれば、それ以上に何か求めなくなるものです。それどころか、この女もそうだったように、他者に恵みを施すことさえするようになります。
【4:14】
『エリシャは言った。「では、彼女のために何をしたら良いだろうか。」』
エリシャは、自分たちに良くしてくれた女に、どうしても報いたい思いがありました。しかし、その女が充足しており何も求めないというのでは、どうしようもありません。ですから、エリシャは『彼女のために何をしたら良いだろうか。』と言って嘆きを漏らします。受けた恩を返したいのに返せない場合、人はこのように嘆くものです。