【Ⅱ列王記4:42~5:2】(2025/04/20)
【4:42】
『神の人は、「この人たちに与えて食べさせなさい。」と命じた。』
ある人がエリシャのもとに持って来た食物を、エリシャは近くにいた者たちに食べさせるよう命じます。『この人たち』とは、次の節で言われている通り『百人もの人』でした。彼らがどのような種類の人たちだったかは分かりません。仲間だったかもしれないし、民衆だったかもしれません。しかし、彼らの詳細については、あまり重要ではありません。ここで注目すべきなのは、エリシャを通して働かれた神の奇跡です。
【4:43】
『彼の召使いは、「これだけで、どうして百人もの人に分けられましょう。」と言った。』
エリシャが与えるようにと命じたのは『召使い』でした。エリシャには召使いがいました。その数がどれぐらいだったまでは分かりません。多かったかもしれないし、少しだったかもしれません。この『召使い』は、『与えて食べさせない。』と命じられたものの、与える対象となる人たちが多過ぎたため、『これだけで、どうして百人もの人に分けられましょう。』と言いました。『大麦のパン二十個と、一袋の新穀』だけでは、100人に与えられないと思ったからです。つまり、この召使いは単純に現実的な考え方をしていたわけです。ですから、もしパンと新穀の袋がもっと多くあれば、この召使いはこのようなことを言わなかったでしょう。ここで言われている『百人』とは、厳密な数字でない可能性もあります。つまり、私たちも日常的によくするのと同様、大まかな数字としてこのように言った可能性があります。
【4:43~44】
『しかし、エリシャは言った。「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう仰せられる。『彼らは食べて残すだろう。』」そこで、召使が彼らに配ると、彼らは食べた。主のことばのとおり、それはあり余った。』
とても配り切れないと思った召使いに対し、エリシャは『この人たちに与えて食べさせなさい。』と命じました。何故なら、主が『彼らは食べて残すだろう。』と言われるからです。主がそのように言われるのです。ですから、必ずそうなるのです。実際、エリシャに言われた通り召使いが配ると、全ての人に配ることができました。神が奇跡を行なわれたのです。その奇跡がどのような感じだったかは分かりませんが、恐らく召使いが配っている最中に、パンが増殖し続けていたのでしょう。神は全能であられますから、このようなことをお出来になるのです。こうしてパンは『あり余った』のですが、実際にどれぐらいの数が余ったのかまでは分かりません。
この通り、神が言われたようになりました。神の御言葉は真実なのです。『神は決して偽りを言われない。』と民数記では書かれています。神は真実で正しい御方であられます。ですから、その語られる御言葉も真実で正しいのです。
【5:1】
『アラムの王の将軍ナアマンは、』
『アラム』とは、イスラエル王国の北東に位置するシリヤ人の国です。このアラムも、古代の他の多くの国々と同様、王制の国でした。この箇所からは、この『アラムの王の将軍ナアマン』にいての話が始まります。ナアマンは異邦人であって、ユダヤ人のような神の民ではありませんでした。
『その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。』
ナアマンは、主君であるアラム王から『重んじられ、尊敬されてい』ました。それはここで書かれているように、神がナアマンを通しアラムにかつて勝利を得させられたからです。ナアマンは異邦人でしたが、このように神の働きかけを強く受けていました。それは聖書で彼に関する話が書かれることにより、聖徒たちが霊的なことを学べるようにするためでしょう。ナアマンが尊重される要因となった戦いは、どのような戦いであったのか不明です。ただその戦いにおける勝利のため、ナアマンは重んじられるようになったのですから、かなり重要だったり大きな戦いだったことは間違いないと思われます。しかし、その戦いの詳細については知らなくても問題ありません。
『この人は勇士ではあったが、らい病にかかっていた。』
ナアマンが『勇士』であったのは、神の御恵みによります。神から武勇の力を与えられていたため『勇士』となることができたからです。最近で言えばロンメルとかそういった感じの人物だったのかもしれません。しかし、勇士であっても彼は『らい病にかかってい』ました。古代においてこの病は特に珍しいものではありません。ナアマンがらい病にどこでかかったか、いつかかったか、どのようにしてかかったか、といった詳しい事柄までは分かりません。私たちはただ彼が『らい病』にかかっていたということを知っていればそれで問題ありません。
【5:2】
『アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕えて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、』
ナアマンの妻には、かつて略奪の際にイスラエルで捕えた若い女が仕えていました。仕えていたのが僕としてであったのか奴隷としてであったのかは分かりません。名前や年齢や出自など彼女の詳細もよく分かりません。またこの娘が捕えられた際の『略奪』がどのようであったのかも分かりません。