【Ⅱ列王記5:13~15】(2025/05/11)
【5:13】
『そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。』
ナアマンが帰ろうとした際、『彼のしもべたちが近づいて』きました。やはり、ナアマンには部下たちが共にいたのです。ナアマンは将軍という高い地位の者ですから、このような部下が共にいたのは当然だったでしょう。しかし、この『彼のしもべたち』が、この時にどれぐらいいたかまでは分かりません。
『「わが父よ。』
ナアマンの僕たちは、『わが父よ。』と言ってナアマンに語りかけます。ナアマンが実際の父だったというのではありません。このように言われたのは、ナアマンが子を父のように治めるごとく僕たちを治める者だったからでしょう。実際にナアマンは将軍であり、僕たちは服従する者でしたから、その関係は父と子に似ていたはずです。またこれはナアマンの称号だった可能性もあります。何故なら、ナアマンは神によりアラムの国に勝利を得させていたからです。キケロもローマの国をカティリナから救い出したため、「国父」という称号で呼ばれることになったのです。いずれにせよ、ナアマンがこのように言われたのは、ナアマンがかなり尊ばれていたことを示しています。神がナアマンに尊厳を与えておられたからです。
『あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」』
僕たちは、エリシャがただヨルダン川で『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけであると話します。つまり何も難しいことは求められていない、と。確かにエリシャがナアマンに求めたことは難しくなかったでしょう。だから言われた通りにすべきだと僕たちは言いたいのです。「あなたは難しいことを求めている。」とでも僕たちはここで言っているかのようです。確かに僕たちがナアマンにこう言ったのは、もっともなことでした。このように僕たちがエリシャの言葉通りにするよう忠言したのは、神がナアマンを癒すよう憐れんでおられたからでしょう。
【5:14】
『そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。』
僕たちの忠言を聞いたナアマンは、態度を変え、エリシャの言った通りにすることとしました。このような変化は、神がナアマンを癒そうとしておられたからでした。つまり、神がナアマンの心を動かされたのです。もしナアマンの癒しが御心でなければ、神はナアマンが僕たちの言葉に心を動かさないようにしておられたことでしょう。もしくは、そもそも僕たちがエリシャの言葉通りにすべきだとナアマンに話しかけるようにされなかったはずです。
『すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。』
ナアマンがエリシャの言葉通りにしたところ、らい病からすっかり清められることとなりました。ヨルダン川の水にらい病を清める効果があったのではありません。ヨルダン川にそのような効果があるとは今までに全く聞かれたことがありません。そうでなく、神が奇跡により癒しを与えて下さったのです。それはナアマンが神の人エリシャの言った通りに行なったからです。つまり、ナアマンはエリシャの言葉をどのような感情があったにせよ信じました。このため、神はナアマンに御恵みを注いで下さったのです。ですから、他のらい病人がナアマンと同じようにヨルダン川で身を浸したとしても、らい病から清められることはなかったでしょう。この時にナアマンが受けた癒しは完全なものでした。『幼子のからだのようになり』と書かれている通りです。神がナアマンに全き癒しを与えて下さったのです。
【5:15】
『そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し、』
ナアマンはらい病から癒されましたから、御礼をするため、『その一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し』ました。ナアマンは将軍という高い地位にあり、王からも重んじられていました。このようなナアマンが、らい病から癒されるというほどの幸いを受けたにもかかわらず、感謝とか御礼をするため引き返さないというのは、あり得ないことだったはずです。この時にいた『一行の者』がどれぐらいだったかは分かりません。かなり多くの者がいた可能性も十分にあるでしょう。
『彼の前に来て、立って言った。「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。』
ナアマンがエリシャの前に『立って』と書かれているのは、エリシャに対する敬意とか大きな喜びを示しているとも思われます。何故なら、ただ「彼の前に来て言った。」とだけ書かれているのではないからです。『立って』という言葉が入っているのは、恐らく特別な意味を持っているのだと考えられます。このように引き返したナアマンは、神に対する信仰をエリシャの前で告白しました。ナアマンは、ただイスラエルで崇められている神だけが真の神であると知ったからです。何故なら、らい病を癒せるような御方が真の神であると考えないほどナアマンは愚鈍な者でなかったからです。確かに、らい病を癒せるような存在はまさしく神であられます。他の神々は偽りの神々ですから、らい病を癒すことなど決して出来ないのです。確かにナアマンがここで言っている通り、『イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられない』のです。イスラエル人が拝んでいた神は、私たちクリスチャンが拝む神と同一の御方です。古代ユダヤ人とクリスチャンの神以外に神は全く存在していません。