【Ⅱ列王記6:32~7:1】(2025/07/06)
【6:32】
『エリシャは自分の家にすわっており、長老たちも彼といっしょにすわっていた。』
イスラエル王がエリシャの処刑を決めた時、エリシャは自分の家にいました。そこには『長老たちも彼といっしょにすわっていた』のですが、『長老たち』とは古代ユダヤ社会にいた70人の長老たちでしょう。そのうち何人ぐらいがエリシャの家にいたかまでは分かりません。エリシャの家で、エリシャたちは何をしていたのでしょうか。この時にはサマリヤがアラムに包囲されている状態だったのですから、なるべく安全を得るため、家にいて成り行きを注視していたのかもしれません。
『王はひとりの者を自分のもとから遣わした。』
イスラエル王は、エリシャへの憎しみから、エリシャを処刑するために使者を遣わしました。それは『ひとりの者』であり、二人とか三人ではありませんでした。また軍隊とか何かの部隊が遣わされることもありませんでした。これは王が一人でも遣わせばエリシャを捕まえるのに十分だと考えたからなのでしょう。
『しかし、その使者がエリシャのところに着く前に、エリシャは長老たちに言った。「あの人殺しが、私の首をはねに人を遣わしたのをご存じですか。気をつけなさい。使者が来たら、戸をしめ、戸を押してもはいれないようにしなさい。そのうしろに、彼の主君の足音がするではありませんか。」』
エリシャは『神の人』でしたから、神がイスラエル王のことについても知らせておられました。このため、王の遣わした使者がまだエリシャのもとに着く前に、エリシャは王が使者を遣わしたことを知っていました。エリシャがイスラエル王のもとに偵察者を遣わしていたため、事前に王の遣わした使者について知れたというのではありません。聖書にそのようなことは書かれていません。神がエリシャにイスラエル王のことを知らせておられたと考えるべきでしょう。エリシャはその使者について知っていましたから、長老たちに使者のことで注意するよう命じます。もしその使者がエリシャの家に着いても決して戸を開けないように、とエリシャは長老たちに指示します。何故なら、エリシャは王から処刑されるべき理由を何も持っていないからです。しかし、使者が家に入れば、エリシャは捕えられるため、処刑されることにもなるでしょう。そのようなことが起こるべきではありませんでした。
ここでエリシャは、イスラエル王のことを『人殺し』と言っています。これはイスラエル王が既に心の中でエリシャを殺していたからです。それゆえ、まだエリシャを実際に殺していなくても、イスラエル王は人殺しだったのです。使徒ヨハネも『兄弟を憎む者は人殺しです。』と言いました。霊的に言えば、もし心の中で憎んでいるなら、実際には殺していなくても、既に人殺しと見做されるのです。何故なら、その憎しみの思いは、まだ殺人に至っていないだけの未熟な状態でしかない言わば「殺しの種」だからです。その種が生長し熟すると殺人に至るわけです。
【6:33】
『彼がまだ彼らと話しているうちに、使者が彼のところに下って来て言った。』
エリシャは、王の遣わした使者が、家の中に入らないことを望みました。ところがエリシャと長老たちがまだ話をしている間に、当の使者がもうエリシャの家に着きました。エリシャの望み通りとはならなかったわけです。しかし、このように使者がエリシャたちのところに来ることこそ神の御心でした。もしそれが御心でなければ、この使者はもっと遅く到着したでしょうから、戸を通って入ることはできなかったでしょう。
『「見よ。これは、主からのわざわいだ。』
イスラエル王から遣わされた使者は、その時に起きていた飢饉とアラム軍の包囲を『主からのわざわい』だと言っています。これは正しくその通りでした。イスラエルが罪を犯していたため、呪いとしてそのような悲惨が起こるようになったのです。ここで使者が『見よ。』と言っているのは、強調しているのであり、「まさしくそうだろう。」という意味です。しかし、その災いにエリシャは何も関与していませんでした。何故なら、エリシャは『主からのわざわい』を齎すような罪を何も犯していなかったからです。もしイスラエルにエリシャのような人しか存在していなければ、このような災いは決して起きていませんでした。
『これ以上、何を私は主に期待しなければならないのか。」』
この時のイスラエルは、あまりの悲惨さにより、苦難の思いが満ちていたでしょう。そういった中で神に対する信仰も弱まっていました。ですから、王から遣わされた使者は『これ以上、何を私は主に期待しなければならないのか。』と言っています。彼がこう言ったのは、これまで神の助けが与えられていなかったからです。これまでに助けが無かったのだから、これからも無いはずだ、というわけです。しかし、いかなる時も聖徒たちは神に信頼すべきでした。神は恵み深く、その時の状況がどうであれ、どんなことでもお出来になるからです。
【7:1】
『エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう仰せられる。『あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」』
王から遣わされた使者がエリシャのもとに着くと、『主のことば』がエリシャに与えられました。その御言葉をエリシャは自分の前にいた使者に告げ知らせます。神はその御言葉の中で、明日になれば上等な穀物が安値で売り出されるようになると言われました。この時の状況を考えれば、そのようなことが起こるのは実に驚くべきことだったでしょう。この時はあまりにも酷い飢饉のため、鳩の糞でさえ高額で売られていたぐらいだからです。しかし、神は明日にどうなるか全てを知っておられました。ですから、前日から明日はどうなるかエリシャを通して、このように預言されたのです。
