【Ⅱ列王記8:7~13】(2025/08/03)


【8:7】
『エリシャがダマスコに行ったとき、アラムの王ベン・ハダデは病気であったが、』
 エリシャがある時に行っていた『ダマスコ』は、アラムの首都であり、イスラエルの北東に位置しています。どうしてエリシャがここに行っていたのかは分かりません。その時にアラム王は病気でしたが、何の病気だったかまでは分かりません。後の箇所を見る限り、かなり深刻な病気だったと思われます。

【8:7~8】
『彼に、「神の人がここまで来ました。」という知らせがあった。王はハザエルに言った。「贈り物を持って行って、神の人を迎え、私のこの病気が治るかどうか、あの人を通して主のみこころを求めてくれ。」』
 エリシャがダマスコにいるとの知らせをアラム王は聞きましたから、自分の病気がどうなるかハザエルを通してエリシャに聞こうとしました。このようにアラム王は、自国の者でなく、別の国に属しているエリシャを頼りにしました。これはエリシャがどれだけ有名で評価されていたかよく示しています。もしそうでなければ、わざわざ他国の民族であるエリシャに病気がどうなるか聞こうとしなかったことでしょう。また王はここでエリシャを『神の人』と呼んでいます。エリシャが神に仕える聖なる人物だったことは、イスラエルだけでなく、アラムにまで知れ渡っていたことが分かります。

【8:9】
『そこで、ハザエルはダマスコのあらゆる良い物をらくだ四十頭に載せ、贈り物として携えて、彼を迎えに行った。彼は神の人の前に行って立ち、そして言った。「あなたの子、アラムの王ベン・ハダデが、『この病気は直るであろうか。』と言ってあなたのところへ私をよこしました。」』
 ハザエルはアラム王に命じられた通り、エリシャのもとに行きました。この時に贈り物を『らくだ四十頭に載せ』て行ったのは、その贈り物が十分な量だったことを意味しています。聖書で「40」は十分であることを示すからです。エリシャの前に行ったハザエルは、ベン・ハダデから言われた通りのことをエリシャに尋ねています。この点で彼には何の問題もありませんでした。しかし、後の箇所から分かる通り、その心には良からぬ思いがありました。

 この箇所ではベン・ハダデが自分をエリシャに対し、『あなたの子』であると言っています。これは父が子を教えるかのように、エリシャがアラム王に病気のことで教えるためでした。アラム王は、神の人エリシャが言った通りのことを素直に受け入れるつもりだったはずです。ですから、実際的な親子関係がなくても、教えにおける親子関係であればあったわけです。

【8:10】
『エリシャは彼に言った。「行って、『あなたは必ず直る。』と彼に告げなさい。しかし、主は私に、彼が必ず死ぬことも示された。」』
 アラム王の病気がどうなるか尋ねられたエリシャは、『あなたは必ず直る。』と告げるようハザエルに命じます。しかし、神はエリシャにアラム王が『必ず死ぬことも示され』ました。必ず直るのに必ず死ぬ。これは正反対のことだと思えますが、どういうわけなのでしょうか。まず、正しいのは『彼が必ず死ぬ』ことです。このように言われた通り、これからアラム王はすぐにも死ぬこととなります。それでは、どうして『あなたは必ず直る』とアラム王に告げられるべきだったのでしょうか。これはアラム王に対する神の配慮であると思われます。つまり神は、アラム王が安心したままの状態で死ぬことを願われたのでしょう。ですから、このような心を前向きに持てる言葉が告げられるべきだったのです。死ぬことになると思わないまま死ぬというのは、感情の動揺が起こりませんから、恵みである場合もあるわけです。

【8:11~12】
『神の人は、彼が恥じるほど、じっと彼を見つめ、そして泣き出したので、ハザエルは尋ねた。「あなたさまは、なぜ泣くのですか。」エリシャは答えた。「私は、あなたがイスラエルの人々に害を加えようとしていることを知っているからだ。あなたは、彼らの要塞に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し、幼子たちを八裂きにし、妊婦たちを切り裂くだろう。」』
 エリシャがハザエルにアラム王のことを告げると、ハザエルを見つめ、それから泣き出します。ハザエルはどうしてエリシャがこのように泣いたのか理解できませんでした。何故なら、まさかエリシャが自分の心を見抜いているなどとは思いもしなかったからです。しかし、エリシャはハザエルの心について知っていました。神がエリシャにそのことを教えておられたからです。ここでエリシャが言っている通り、ハザエルはイスラエルに対し暴虐を行なおうと企んでいました。これからハザエルはアラム王になるため、そのように行なえる力を持つこととなります。しかし、イスラエルがこのようにされるのは、神からの呪いだったはずです。イスラエルには忌まわしい偶像崇拝の罪があったからです。もしイスラエルが正しく歩んでいれば、刑罰の道具としてハザエルが用いられることもなかったでしょう。

【8:13】
『ハザエルは言った。「しもべは犬にすぎないのに、どうして、そんなだいそれたことができましょう。」』
 ハザエルは、エリシャから心の企みを見抜かれたので、驚いた振りをします。相手が相手であり、企みが企みでしたから、その通りですなどと認めるわけにもいかなかったのです。このように人は本心を見抜かれると、何とか誤魔化そうとするものです。ハザエルはここで自分が『犬にすぎない』と言っています。つまり、まだ小物に過ぎないのだから大きな暴虐をどうしてできるだろうか、と言いたいのです。しかし、このように言いながらも、ハザエルの心にはイスラエルに対する暴虐の思いがありました。このような企みは罪深いことでした。ソロモンが聖書で『愚かなはかりごとは罪だ。』と言った通りです。

『しかし、エリシャは言った。「主は私に、あなたがアラムの王になると、示されたのだ。」』
 神はエリシャにハザエルが次のアラム王になると示しておられました。これは預言です。神はハザエルがベン・ハダデに続く王となるのを知っておられました。何故なら、神はそうなるよう既に定めておられたからです。ですから、これからその通りになるわけです。