【Ⅱ列王記1:16~2:2】(2024/12/01)
【1:16】
『王に言った。「主はこう仰せられる。『あなたが使者たちをエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いに立てにやったのは、イスラエルにみことばを伺う神がいないためか。それゆえ、あなたは、上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」』
3度目に部隊を遣わして、やっとエリヤを呼び出せたアハズヤでした。エリヤに会った際、アハズヤがどのような反応を示したかは分かりません。私たちは、ただアハズヤがエリヤに会ったことだけを知ればそれでいいでしょう。こうしてエリヤはアハズヤに対し、神からの宣告を告げます。エリヤはこれまでそうしていた通り、アハズヤの前でも神の言葉をそのまま告げ知らせています。この宣告を聞いたアハズヤがどのように思ったかは、ここで何も書かれていません。ここでエリヤが『あなたは必ず死ぬ。』と神からの御言葉を告げたのは、悔い改めに導くための脅迫ではありませんでした。ヒゼキヤ王の場合、悔い改めに導く目的で神は『あなたは必ず死ぬ。』と言われました。ヒゼキヤ王はその言葉を聞いて悔い改めましたから、神の憐れみを受け寿命が伸ばされることとなったのです。しかし、このアハズヤの場合は、これから本当に死ぬからこそ、このように言われたのでした。
【1:17】
『王はエリヤが告げた主のことばのとおりに死んだ。』
エリヤを通して語られた神の御言葉の通り、アハズヤは死にました。この通り、神が語られた御言葉は必ず実現されます。何故なら、神は絶対であられ、その語られる御言葉も絶対だからです。アハズヤが、死の宣告を聞いてどれぐらいしてから、どのようにして死んだかは、分かりません。恐らくアハズヤは苦しい死に方をした可能性があります。何故なら、アハズヤは呪われたからこそ死ぬこととなったからです。こういうわけですから、アハズヤがエリヤを呼び出したのは、結局のところ無意味でした。無意味どころか、アハズヤにとり、それは悲惨を増し加えることだったと言えます。何故なら、アハズヤはエリヤを呼び出したことで、それまで間接的にしか聞いていなかったエリヤの言葉を、エリヤの口を通して直に聞くこととなったからです。
『そしてヨラムが代わって王となった。それはユダの王ヨシャパテの子ヨラムの第二年であった。アハズヤには男の子がいなかったからである。』
アハズヤが呪われた死を受けてから、イスラエルでは『ヨラムが代わって王とな』りました。『アハズヤには男の子がいなかった』のですから、このヨラムはアハズヤの子孫ではありません。これはアハズヤが呪われていたからでしょう。つまり、呪われていたからこそ、自分の子どもを後継者として王にできなかったわけです。もしアハズヤが呪われていなければ、アハズヤの子が次の王になっていた可能性はかなりあります。このヨラムがアハズヤに続いて王となったのは、『ユダの王ヨシャパテの子ヨラムの第二年』でした。このユダ王ヨラムは、アハズヤに続いたイスラエルの王ヨラムと同じ名前ですが、しかし同一人物ではありません。
【1:18】
『アハズヤの行なったその他の業績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
これまでの王についても書かれていたのと同じく、アハズヤの場合も、その記録が『年代記の書にしるされている』とここで書かれています。しかし、アハズヤの場合は『その他の業績』としか書かれていません。アハズヤについて年代記の書に書かれている事柄は、かなり少なかったのでしょう。これは、アハズヤの治世が非常に短かったからであるはずです。短い治世で多くの成果を出せる王は、それほど多くいないものです。
【2:1】
『主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、』
これからエリヤは『たつまきに乗せて天に上げられる』ことで、人生を全うさせようとしていました。この出来事については、また後ほど詳しく述べられることとなります。しかし、どうして神は『エリヤをたつまきに乗せて天に上げられる』のでしょうか。これは神がエリヤの願いを聞かれたからでしょう。エリヤは、前に自分の命を取り去って下さいと神に祈り求めました。エリヤは神に仕える忠実な預言者でしたから、神はそのようなエリヤの祈りを聞いて下さるわけです。このようにして人生を全うさせるのは、実に驚くべきことです。このことから、エリヤがどれだけ神に忠実だったか、どれだけ神から喜ばれていたか、またどれだけ特別な人物だったか、よく分かるでしょう。
『エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。』
エリヤはその人生を全うする際、『エリシャを連れてギルガルから出て行った』のですが、この『ギルガル』は死海のすぐ北に位置しており、ヨルダン川の西に面しています。この時にエリヤがエリシャを連れて出て行ったのは、後の箇所からも分かる通り、エリシャにとってエリヤは『主人』だったためです。
【2:2】
『エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから。」と言ったが、』
エリヤがエリシャを連れて出て行く時は『ベテルに遣わされ』ていました。この『ベテル』とはギルガルから西また北西に30~40kmほど離れた位置にあります。しかし、そこに行く途中、エリヤはエリシャに『ここにとどまっていなさい。』と命じます。このように命じたのは、恐らくエリシャの忠実さを試すためだったのでしょう。もしエリシャが神に忠実な者であれば、エリヤにどうあろうとも付いて行こうとするはずだからです。神を切に求める者は、神に仕えるエリヤのような預言者をも重視するものなのです。つまり、神のゆえに、神の人からも離れようとしないわけです。