【Ⅱサムエル記5:8~6:12】(2023/01/15)


【5:8~9】
『その日ダビデは、「だれでもエブス人を打とうとする者は、水汲みの地下道を抜けて、ダビデが憎む足なえとめしいを打て。」と言った。このため、「めしいや足なえは宮にはいってはならない。」と言われている。こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。』
 ダビデは、自分の住む場所としてエルサレムを狙い定めていました。そこは堅固だったので王が住む場所として相応しかったからです。昔から支配者たちは防御の堅い場所に好んで住もうとする傾向があります。エルサレムとは7つの山に囲まれた天然の要塞であり、敵から身を守るためには最適な場所でした。その地形が非常に良かったので、第一次ユダヤ戦争の際は、ローマ軍でさえエルサレム攻略に骨折らされたほどでした。このエルサレムを攻め取ろうとしていたダビデですが、ダビデはエブス人の挑発により、『足なえとめしい』が気に入らなくなっていました。ですから、エルサレム占領に向かう家来たちが足なえとめしいを断ち滅ぼすよう命じます。ダビデはエブスにいる彼らを『水汲みの地下道を抜けて』滅ぼせと命じました。これは地下道を抜ければエルサレムの内部に入り込めたからなのでしょう。ダビデは恐らく部下たちにエルサレムに踏み込むため調査をさせていたのかもしれません。こうしてエブスにいる『ダビデが憎む足なえとめしい』は断ち滅ぼされました。8節目で書かれている通り、それからイスラエルでは『めしいや足なえは宮にはいってはならない。』という定めが作られました。ダビデがこの定めを作ったかどうか私たちには分かりません。ダビデが定めたのでなければ、他の誰が定めたのかも分かりません。また、いつこれが定められたのかも分かりません。ただこの時の出来事に基づいてこれが定められたのは間違いありません。このようにしてダビデはシオンの要害を攻め取り、そこに『城壁を建て』、そこで住むこととなります。ダビデは全イスラエルの支配者ですから、このように防御が堅固な場所を住まいとするのは相応しいことでした。ここを『ダビデの町』と名付けたのはダビデ自身であったことが分かります(9節)。ちょうど、ドナルド・トランプが自身の超巨大ビルを「トランプ・タワー」と命名したのと同じです。

 9節目で書かれている『ミロ』とは何のことでしょうか。この箇所およびこの箇所における前後を見ても、これが何なのか理解できません。Ⅰ列王記9:15、24の箇所を見ると、ソロモンがこのミロを建てたと書かれています。しかし、Ⅰ列王記の箇所を見ても、ミロが何なのかはっきりしません。「ミロのヴィーナス」は古代の有名な像ですが、ダビデおよびソロモンは何か偶像もしくは偶像に関連した建造物でも造ったのでしょうか。ソロモンはともかく、ダビデが偶像の制作に関わったというのは考えられません。しかも、「ミロのヴィーナス」の<ミロ>とは、ヴィーナス像の発見地であるミロス島を示しているに過ぎませんから、エルサレムのミロとは何も関係ありません。Ⅱ歴代誌32:5の箇所を見ると、ミロとは『ダビデの町』であることが分かります。つまり、ミロとはエルサレムにあった区域また場所の名前だったと考えればよいでしょう。

【5:10】
『ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。』
 ダビデはこれまで偉大さを増し加えられて来ましたが、『ますます大いなる者と』されていました。これはサウルが低まり、ますます没落したのと対極的です。ダビデがこうなったのは、『万軍の神、主が彼とともにおられた』からです。神が共におられるならば、このダビデのように偉大さを増し加えられることにもなります。これは他の人物からも言えます。アブラハムやモーセやヨシュアにも神が共におられたので、ダビデのように偉大とされました。ダビデが自分自身で『大いなる者』となったのではありません。神がダビデに偉大さを与えられたのです。人は神から御恵みを与えられなければ誰も大いなる者となることがありません。『人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。』とバプテスマのヨハネがヨハネ福音書3章で言った通りです。サウルの場合、神が共におられず、神の御恵みもありませんでした。ですからサウルは破滅に向かって没落するばかりでした。

【5:11】
『ツロの王ヒラムは、ダビデのもとに使者を送り、杉材、大工、石工を送った。彼らはダビデのために王宮を建てた。』
 ダビデはエルサレムに住んでから、自分の住まいとなる王宮を建てようとします。ダビデがエルサレムに住んでから、まず行なったのは王宮の建設でした。王宮がなければ、生活や王務や戦いがそれだけ行ないにくくなるからです。すると、『ツロの王ヒラム』が『杉材、大工、石工』を王宮建設のため送り、ダビデに協力しようとします。この時のダビデはまだ自分の資材や人材だけで立派な王宮を建設することが出来なかったのでしょうか。これについてはよく分かりません。またヒラムが送った資材と人材だけで王宮建設のためには十分だったか、ダビデも多かれ少なかれ自分から資材と人材を出したのかも分かりません。ただヒラムが好意と友情をもってダビデに協力しただろうことは間違いありません。『ツロ』とはイスラエルの最北部に位置しており、そこからエルサレムまでは200kmほど南に離れています。ですから、ヒラムは資材と人材をかなり遠くの地から送ったことが分かります。神がヒラムの心に協力する思いを与えられました。また神はダビデがエルサレムで王宮を持つことを御心としておられました。ですから、神はヒラムを動かしてダビデに協力するよう働きかけて下さったのです。もし王宮建設が御心でなければ、ヒラムはダビデに協力しようとしなかったでしょう。ダビデに敵対していた可能性もあります。ここでヒラムは『杉材』と『石工』を送ったと書かれていますから、ダビデの王宮は少なくとも杉と石から建設されていたことが分かります。ヒラムが具体的にどれだけ資材と人材を送ったのかは分かりません。なお、Ⅰ歴代誌14:1の箇所でもここと同じことが書き記されています。

【5:12】
『ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされたのを知った。』
 神はダビデの王権を堅くされ、その王国を盛んにされました。つまり、ダビデの王権とその王国は名実ともに揺るがなくされていました。それは誰から見ても明らかだったと思われます。ダビデもそのことをはっきり『知った』のでした。神がこうされたのは『ご自分の民イスラエルのため』でした。神はダビデを通じて全イスラエルがよく管理されるよう望まれたからです。それというのも、ダビデであれば神に従ってイスラエルを正しく統導するだろうからです。

【5:13~16】
『ダビデはヘブロンから来て後、エルサレムで、さらにそばめたちと妻たちをめとった。ダビデにはさらに、息子、娘たちが生まれた。エルサレムで彼に生まれた子の名は次のとおり。シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン、イブハル、エリシュア、ネフェグ、ヤフィア、エリシャマ、エルヤダ、エリファレテであった。』
 ダビデはヘブロンからエルサレムへ北上して住みましたが、この2つの場所は30kmほど離れています。ダビデはエルサレムに住んでから『さらにそばめたちと妻たちをめとった』のですが、これは律法に適っていませんでした。神は律法でこう命じておられるからです。『多くの妻を娶ってはならない。』ですから、ダビデはそれまでの妻だけで満足しているべきでした。この通り、ダビデは理性がしばしば神法より優越してしまう信仰者でした。このため、聖書はダビデのことを『神の人』と呼んでいないのです。モーセやサムエルの場合、常に神の法をそれ以上ない最上の指針として歩んでいました。ですから、聖書は彼らを『神の人』と呼んでいます。ダビデのような一夫多妻は良くないことです。現代世界ではほとんどこのような律法違反が見られませんから、かなり良いと言えます。これからの時代でも一夫多妻が許容されたりしては決してなりません。

 先の箇所では、ヘブロンでダビデに生まれた子どもたちが書かれていました(Ⅱサムエル3:2~5)。この箇所ではエルサレムでダビデに生まれた子が書かれています。先の箇所では6人の子が、この箇所では11人の子が、書かれています。合計すると17人。しかし、書かれている子どもの数に何か意味があるというわけではありません。14節目では『ソロモン』の名が書かれています。この重要人物の生まれについては、また後ほど聖書で書かれることとなります。また先の箇所でもそうでしたが、この箇所でも生まれた子どもとして名が挙げられているのは男子だけです。ですから、女子も含めればエルサレムでダビデに生まれた子どもは11人以上だったことが分かります。

【5:17~18】
『ペリシテ人は、ダビデが油をそそがれてイスラエルの王となったことを聞いた。そこでペリシテ人はみな、ダビデをねらって上って来た。ダビデはそれと聞き、要害に下って行った。ペリシテ人は来て、レファイムの谷間に展開した。』
 ダビデが全イスラエルの王に就いた出来事は、非常に大きなことでしたから、当然ながらペリシテ人にも知られないままではいませんでした。ペリシテ人は、イスラエルの王が変わったからというので、イスラエルに敵対することを止めたわけではありません。何故なら、ペリシテ人はイスラエルの王が誰であれ、とにかくイスラエルという民族そのものが憎かったからです。ですから、ペリシテ人は新たな王となったダビデを滅ぼすべく、戦うため『ダビデをねらって上って来』ました。ペリシテ人は『レファイムの谷間』に戦陣を敷きます。ダビデは安全のためひとまず『要害に下』りました。

【5:19】
『そこで、ダビデは主に伺って言った。「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」すると主はダビデに仰せられた。「上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」』
 ダビデは何事であっても御心の通りに歩もうと心がけていましたから、この時も、ペリシテ人と戦うべきか神に伺いました。彼がこうしたのは正しいことでした。すると、戦うのは御心であることが分かりました。神はダビデの手にペリシテ人を必ず渡すと約束されました。こうしてイスラエルの勝利が戦う前から既に決定しました。神が言われたことは絶対にそうなるからです。神はダビデに『上れ』と命じられます。ダビデは、王から命じられて出陣する将軍のごとくペリシテ人との戦いに出陣せねばなりませんでした。

【5:20】
『それで、ダビデはバアル・ペラツィムに行き、そこで彼らを打った。そして言った。「主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた。」それゆえ彼は、その場所の名をバアル・ペラツィムと呼んだ。』
 ダビデが戦いに行くと、神がペリシテ人をダビデに渡して下さったので、圧倒的な勝利を得ることが出来ました。ペリシテ人は、あたかも水が水袋に幾つも開いた穴から突如として放出されるごとくとなりました。つまり、ダビデの前から一目散に四方へと逃げ去りました。これは律法でこう書かれていることです。『主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。』(申命記28:7)

 ダビデは、神により敵が破られたこの場所を『バアル・ペラツィム』と命名しました。『バアル』とはペリシテ人の偶像バアルでしょう。『ペラツィム』とは「破れる」という意味です。つまり、これは「バアルが破られた」というほどの意味になります。ダビデは神が勝利させて下さったので、記念のためこの場所にこのような名前を付けました。それは敬虔で正しいことでした。

【5:21】
『彼らが自分たちの偶像を置き去りにして行ったので、ダビデとその部下はそれらを運んで捨てた。』
 既に見た通り、ペリシテ人たちは全滅させられず、その多くが逃げ去りました。戦争で逃げる際には死に物狂いとなるものです。このため、ペリシテ人たちは『自分たちの偶像を置き去りにして行った』のでした。逃げることで精一杯でしたから、他に何も考えられなかったのです。このことから、ペリシテ人たちは戦場に偶像を持ち運んでいたことが分かります。偶像が自分たちに勝利を与えてくれると期待してのことです。ダビデとその部下は、戦場に残されていたその偶像を『運んで捨て』ました。それは律法に違反した霊的な汚らわしいゴミクズだからです。ダビデはそれを拝まないだけでなく捨てて消し去りました。これはそこに偶像が残っていることで誰かが偶像崇拝を行なうとよくないからです。人の心は堕落しており容易く偶像崇拝へと陥ってしまいます。ですから、使徒が『偶像を警戒しなさい。』(Ⅰヨハネ5章)と言った通り、偶像は注意して警戒されるべきなのです。ところで、これが現代であれば、偶像を捨てないで残し保存していたかもしれません。「これは歴史的な価値ある史料だ。」などと言う人もいるかもしれません。今の時代であれば残す人がいたとしても不思議ではありません。しかし、歴史的な記録より偶像を滅ぼすほうが遥かに重要です。残すべきは偶像を滅ぼしたという目に見えない信仰の記録なのです。ですから、ダビデのように偶像は滅ぼすのが望ましいのです。

【5:22】
『ところがペリシテ人は、なおもまた上って来て、レファイムの谷間に展開した。』
 ペリシテ人が敗走させられたからといって、イスラエルに対する敵意と憎悪を失ったわけではありません。また敗走させられてもペリシテ人が臆病になったわけではありません。ですから、ペリシテ人はまたもやイスラエルと戦うべく『レファイムの谷間に展開し』ました。

【5:23~25】
『そこで、ダビデが主に伺ったところ、主は仰せられた。「上って行くな。彼らのうしろに回って行き、バルサム樹の林の前から彼らに向かえ。バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのとき、主はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。」ダビデは、主が彼に命じたとおりにし、ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を打った。』
 ダビデはまたペリシテ人に対してどうすればいいか伺いを立てました。何事であれ神に対してこのように伺いを立てるのは正しいことです。すると、今度は『上って行くな。』という指示がありました。これはもう全く戦うなという意味でなく、上って行くという戦い方をするなという意味でした。何故なら、今度はペリシテ人の『うしろに回って行き』、そうしてから攻め上るという戦いをすべきだったからです。そうすれば主がダビデたちに先んじて敵を搔き乱して下さるからです。恐らく、ペリシテ人は前回と同じ戦い方をすることでダビデたちにも前回と同じ行動をさせ、集めておいた伏兵などによりダビデたちを急襲しようとしていたのかもしれません。神はそのことを知っておられたので、今度は同じ戦い方をするなと指示されたのかもしれません。ダビデが神の指示通りにしたところ、今度もペリシテ人に対して勝利を得ました。この時のダビデたちは『ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を打った』のですが、『ゲバ』とはエルサレムから20kmほど北に離れた場所であり、『ゲゼル』とはゲバから30~40kmほど西に離れた場所です。つまり、かなり広範囲にいたペリシテ人をダビデたちは打ったことが分かります。

【6:1~2】
『ダビデは再びイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上ろうとして、自分につくすべての民とともに出かけた。』
 『神の箱』はこれまでずっとアビナダブの家に置かれ続けており(Ⅰサムエル7:1~2)、移動することがありませんでした。そこは『ユダのバアラ』であり、ユダの相続地における最北部でした。ダビデはこの箱をエルサレムに運ぶこととしました。神の箱は王が住まう都にこそ置かれているべきだからです。神はこの聖なる箱におられました。この神が王(つまりダビデ)によりイスラエル国を支配されます。ですから、神の箱はダビデ王がいるエルサレムにこそ置かれているべきなのです。ダビデが『自分につくすべての民とともに出かけた』のは、この箱がイスラエル人の全てと関わっているからです。この時にダビデは『イスラエルの精鋭三万をことごとく集め』ます。これは神の箱がエルサレムに移動するという大きな出来事ゆえです。移動の際に歩みが守られるよう精鋭を集めたというわけではないはずです。何故なら、移動の道筋にいた邪魔者となるペリシテ人はもう滅ぼされていたからです(Ⅱサムエル記5:25)。精鋭の招集は、聖なる箱の移動における儀式性ゆえでしょう。今でも例えば王の戴冠式が行われるならば、戦うのでもないのに軍隊が多く動員されるのと同様です。ダビデが3万の精鋭を集めたのは『再び』と書かれていますから、これまでにも精鋭をダビデは集めていたことが分かります。『再び』という言葉が示す前の招集は、ペリシテ人と戦った時のことなのでしょう。

【6:2】
『神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の名で呼ばれている。』
 聖なる箱には、律法で規定されている通り、2人のケルビムがその上に彫像として置かれていました(出エジプト記25:18)。ケルビムとは守護の役割を持つ実際的な御使いですが、箱の上に置かれているのは彫像としてのケルビムです。神はこのケルビムの間からイスラエル人に語っておられました。それゆえ、『神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の名で呼ばれてい』ました。

【6:3~5】
『彼らは、神の箱を、新しい車に載せて、丘の上にあるアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子、ウザとアフヨが新しい車を御していた。丘の上にあるアビナダブの家からそれを神の箱とともに運び出したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った。』
 ダビデたちは、聖なる箱を『新しい車に載せて』運ぼうとします。箱におられる神は永遠の神であられます。それゆえ、まだ使われたことのない新しい車こそが使用されるべきであって、既に使われたことのある車は相応しくありませんでした。この箱はこれから東に20kmほど離れたエルサレムへと向かいます。車を動かしていたのは『アビナダブの子、ウザとアフヨ』であり、『アフヨは箱の前を歩いてい』ました。移動の際、イスラエル人は歌と踊りにより、箱におられる神への賛美を捧げました。偉大な神のおられる箱がこれから都へと移動するのです。であれば、どうして言葉と身体をもって喜びを示さないままでいていいはずがあるでしょうか。神の民が石であるということはありません。

【6:6~8】
『こうして彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それを押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は、その不敬の罪のために、彼をその場で打たれたので、彼は神の箱のかたわらのその場で死んだ。ダビデの心は激した。ウザによる割りこみに主が怒りを発せられたからである。』
 皆が『ナコンの打ち場まで来たとき』、聖なる箱を牛がひっくり返そうとしたので、ウザは箱が落ちないよう押えます。すると、ウザの行為に神が怒られ、ウザは神罰により裁き殺されてしまいました。ウザの行ないにおける何が悪かったのでしょうか。ウザの行為に悪を見出せない人は少なくないかもしれません。これは恐らく、人々の喜びを感じた牛が、自分もその喜びに共鳴したので、陽気になって箱を意図せず落とそうとしたということなのでしょう。つまり、牛が不注意とか無意味な振る舞いから箱をひっくり返そうとしたわけではありません。牛も人々に合わせて喜んだので箱を落としそうになったとすれば、それはその場の喜びを示す一要素なのですから、望ましいことなのであり、たとえ箱が落ちそうになってもそのままにしておくべきだったのでしょう。確かに「牛さえも喜んで箱を落としそうになったほどである。」というのは喜ばしいことです。ところが、ウザはひっくり返りそうになったその箱を押えたわけですから、その行為が不敬とされ、罰として殺されてしまったわけです。このように考えればウザの不敬と神罰をよく理解することができます。

 この出来事にダビデは非常な動揺を覚えました。この神罰において神の厳しさと恐ろしさを強く実感したからです。ダビデは神の死刑を目の前でまざまざと見ました。ですから彼の心が『激した』のは無理もありませんでした。他のイスラエル人もダビデと同じく大いに動揺したと思われます。

【6:8】
『それで、その場所はペレツ・ウザと呼ばれた。今日もそうである。』
 ウザの殺された場所は『ペレツ・ウザと呼ばれ』ましたが、『ペレツ』とは「割り込む」という意味ですから、『ペレツ・ウザ』とは「ウザが割り込んだ」というほどの意味です。Ⅱサムエル記が書かれた『今日も』この場所はこの名前で呼ばれ続けていました。まさか、この時にこのような驚くべき出来事が起こるなどとは誰も予想していなかったでしょう。しかし、その出来事は起きました。こういうわけでソロモンは『何が起こるかを知っている者はいない。』と言ったわけです。

【6:9~10】
『その日ダビデは主を恐れて言った。「主の箱を、私のところにお迎えすることはできない。」ダビデは主の箱を彼のところ、ダビデの町に移したくなかったので、』
 ダビデは主がまさかここまで厳しいことをされるなどと思っていなかったはずです。しかも、このような祝いの時に神罰が目の前で下されたのですから、ダビデは衝撃を受けたはずです。これは例えるならば喜ばしい結婚式の場で悪者が公開処刑され騒然とするようなものです。このため、ダビデは聖なる箱をエルサレムに持ち運びたくなくなりました。箱そのものが嫌いになったというわけではありません。ただダビデは箱において神をかなり恐れただけです。もしウザの出来事がなければ、当然ながらダビデは箱をエルサレムに喜んで持ち運んでいたことでしょう。そのようにするためダビデは箱をバアラから持ち運ぼうとしたわけですから。

【6:10~11】
『ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。こうして、主の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。』
 ダビデは自分も箱のゆえ神罰を受けたくないと思ったので、箱をエルサレムには持ち運ばず、『ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回し』ました。彼は『ガテ人』と呼ばれていますから、ガテ出身だったのでしょう。『オベデ』とはダビデの祖父と同名ですが、古代ではどこにでも見られる一般的な名前だったのでしょう。『エドム』とはエサウの子孫である民族名であり、この人はエドムの家系に属する人だったのかもしれません。箱には祝福の神がおられますから、箱が運ばれたオベデ・エドムの家は神から祝福されるようになりました。この祝福は、霊的また精神的な祝福だけでなく、物質的な祝福でもあったはずです。オベデ・エドムの家に箱が置かれていたのは『三か月』でした。この期間には確認の意味があったと考えられます。何故なら、『三か月』とは1か月が「3」回続くことだからです。

【6:12】
『主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された、ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。』
 3か月が経過すると、オベデ・エドムの家が箱のことで祝福されたという知らせをダビデも耳にしました。何事でも隠れたままでいることは出来ないのです。そこでダビデは箱をオベデ・エドムの家からエルサレムに持ち運ぼうとします。箱による祝福がエルサレムへと齎されることを望み求めたからです。箱における恐れは、祝福を期待する思いの下に多かれ少なかれ封じられたものと思われます。ダビデは箱により齎される祝福を期待したので『喜びをもって』持ち運ぼうとしました。こうして3か月前にストップしていた移動が再会しました。何も悪いことをしていなければ箱があってもダビデたちは安全なのです。ウザのように不敬となるからこそ箱を通して神が裁かれるのです。ですから、ダビデたちがウザのようにならない限り、箱があっても問題はありませんでした。