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再臨論



今と未来に生存する全てのキリスト者へ

稲野晴也

はじめに 本作品の目的

凡例

【第1部 既に起きた再臨】

第1章 再臨に対する一般的・歴史的な見解

第2章 既に起きた再臨

第3章 再臨の起きた年

第4章 本当にすぐに起きた再臨

第5章 宣教命令が成就してから起きる再臨

第6章 実際の身体をもって再臨されたキリスト

第7章 再臨の証拠

第8章 再臨に関する御言葉を信じることができない理由

第9章 再臨は2度起こるのではないかという疑問

第10章 今まで教会に再臨を正しく理解する解釈の恵みが与えられなかった理由

第11章 再臨に関する悔い改めについて

第12章 この再臨論に対する教職者の反応と態度

【第2部 再臨と再臨の前後に起きた諸々の出来事の詳細およびその順序】

第1章 第2部の説明

第2章 再臨と再臨の前後に起きた出来事の順序

第3章 ①教会による42ヶ月の預言活動(紀元61年6月~64年12月)

第4章 ②ネロによる42ヶ月の迫害(紀元64年12月~68年6月9日)

第5章 ③再臨(紀元68年6月9日)

第6章 ④エルサレムの包囲と滅亡(紀元68年6月9日~70年9月)

第7章 これから世界はどうなるのか

第8章 聖徒の信仰生活について

第9章 重大な懸念

第10章 真理のありか

【第3部 黙示録註解】

第1章 黙示録を理解する必要性

第2章 黙示録の筆記年代

第3章 事前に知っておくべきこと

第4章  ①1章:プロローグ

第5章  ②2~3章:7つの教会に対するキリストの称賛と勧告と約束

第6章  ③4章:天における場景

第7章  ④5章:7つの封印を解くことになったキリスト

第8章  ⑤6章:キリストによる6つの封印の解除

第9章  ⑥7章:間奏―神の配慮と耐え忍んだ者に与えられる天での恵み

第10章 ⑦8章1節:キリストによる7つ目の封印の解除

第11章 ⑧8章2節~9章21節:6つのラッパによる預言

第12章 ⑨10章1節~11章13節:挿入―ネロによる大患難の前に起きる出来事から再臨の日に起こる携挙の出来事までについての預言

第13章 ⑩11章14節~19節:残された7つ目のラッパによる預言

第14章 ⑪12章:ネロによる大患難からサタンがローマ軍を招集する出来事までについての預言

第15章 ⑫13章:ネロと偽預言者についての預言

第16章 ⑬14章1~5節:天国の情景

第17章 ⑭14章6~13節:裁きの日に向けた色々な預言

第18章 ⑮14章14~20節:2度の携挙

第19章 ⑯15~16章:7つの鉢による裁き

第20章 ⑰17章:開示されるイスラエルとローマ皇帝ネロの秘儀

第21章 ⑱18章:ユダヤの裁きについて言われた霊的な預言

第22章 ⑲19章1~10節:ユダヤが陥落してから起きた天での出来事

第23章 ⑳19章11~21節:再臨および再臨の際に起きた2つの裁き

第24章 2120章1~6節:復活と携挙と裁きと荒野の期間

第25章 2220章7~10節:解放されたサタンとローマ軍による都の包囲/サタンとローマ軍に対する裁き

第26章 2320章11~15節:第二の復活、第二の携挙、空中の大審判について

第27章 2421章1節~22章5節:天国について

第28章 2522章6~21節:エピローグ

第29章 ヨハネが黙示録を書いた理由

第30章 黙示録の註解における真実―濃密な文章は正しい見解の証拠

補章 マサダの要塞および第2次ユダヤ戦争における記述について

【第4部 部分註解】

第1章 十全な再臨理解のために必要な聖句の部分註解

第2章 第4部の記述について

第3章   1:創世記

第4章   2:出エジプト記

第5章   3:レビ記

第6章   4:民数記

第7章   5:申命記

第8章   6:ヨシュア記

第9章   7:士師記

第10章  8:ルツ記

第11章  9:Ⅰサムエル記

第12章 10:Ⅱサムエル記

第13章 11:Ⅰ列王記

第14章 12:Ⅱ列王記

第15章 13:Ⅰ歴代誌

第16章 14:Ⅱ歴代誌

第17章 15:エズラ記

第18章 16:ネヘミヤ記

第19章 17:エステル記

第20章 18:ヨブ記

第21章 19:詩篇

第22章 20:箴言

第23章 21:伝道者の書

第24章 22:雅歌

第25章 23:イザヤ書

第26章 24:エレミヤ書

第27章 25:哀歌

第28章 26:エゼキエル書

第29章 27:ダニエル書

第30章 28:ホセア書

第31章 29:ヨエル書

第32章 30:アモス書

第33章 31:オバデヤ書

第34章 32:ヨナ書

第35章 33:ミカ書

第36章 34:ナホム書

第37章 35:ハバクク書

第38章 36:ゼパニヤ書

第39章 37:ハガイ書

第40章 38:ゼカリヤ書

第41章 39:マラキ書

第42章 40:マタイの福音書

第43章 41:マルコの福音書

第44章 42:ルカの福音書

第45章 43:ヨハネの福音書

第46章 44:使徒の働き

第47章 45:ローマ人への手紙

第48章 46:コリント人への手紙Ⅰ

第49章 47:コリント人への手紙Ⅱ

第50章 48:ガラテヤ人への手紙

第51章 49:エペソ人への手紙

第52章 50:ピリピ人への手紙

第53章 51:コロサイ人への手紙

第54章 52:テサロニケ人への手紙Ⅰ

第55章 53:テサロニケ人への手紙Ⅱ

第56章 54:テモテへの手紙Ⅰ

第57章 55:テモテへの手紙Ⅱ

第58章 56:テトスへの手紙

第59章 57:ピレモンへの手紙

第60章 58:ヘブル人への手紙

第61章 59:ヤコブの手紙

第62章 60:ペテロの手紙Ⅰ

第63章 61:ペテロの手紙Ⅱ

第64章 62:ヨハネの手紙Ⅰ

第65章 63:ヨハネの手紙Ⅱ

第66章 64:ヨハネの手紙Ⅲ

第67章 65:ユダの手紙

第68章 第4部の最後に

第69章 聖書に書かれているユダヤ戦争について

【後記】

【資料】

【リンク】

【付録】

【作品情報】

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じめに 本作品の目的

 この作品は、聖書が教えている再臨の真理を聖書に基づいて明らかにすることを目的としている。この作品に、それ以外の目的はない。それゆえ、この作品の記述は、ことごとく読者に再臨を正しく理解していただくという一点にこそ向けられている。よって、この作品には再臨以外にも、再臨と関わりを持つ出来事であれば、その出来事が書き記されている。それは読者が再臨と関わりを持つ出来事をも詳しく知ることにより、より豊かに再臨のことを理解できるようになるためである。再臨と関わる出来事をも再臨と併せて知ることで、より再臨の詳細を把握できるようになるというのは言うまでもないことであろう。

 この作品の構成について書きたい。まず第1部であるが、ここでは聖書から既に再臨は起きているということに関する真実性を論証することが目的とされている。ここは再臨が既に起きたという真実性を証明する箇所だから、まだ再臨や再臨の前後に起こる出来事の内容およびその順序については詳しく論じられない。第2部は、再臨は既に起きたということを聖書によって理解した読者が、再臨や再臨の前後に起こる出来事の詳細およびその順序を把握することを目的とする。それは、ますます読者が再臨のことを理解できるようになるためである。第3部は、黙示録の註解を通して再臨を更に豊かに理解できるようになることを目的とした内容である。これは非常に豊かな内容であり、徹底的な記述となっている。第4部以降は、それが書かれるの書かれないかということさえ、2020年2月22日(土)である今現在は何も確定的なことを語らないでおきたい。とうのも、今はまだそのことについて語るべき段階にはないからである。ソロモンも言うように、『何事にも定まった時期』(伝道者の書3章1節)がある。人は、知恵と思慮とを持つべきである。これから確定的なことを語るべき時期が訪れたならば、その時にはこの箇所で、そのことについて語られることになるであろう。以上、ここまで第3部までの構成について不足なく簡潔に語られたことにしたい。

 最後に、この作品の中で書かれていることの重大性について書いておきたい。この作品で書かれていることを読んだ方は、初めは、まだその重大性がどれほどのものか、よく悟れないのではないかと思う。「ふーん、そうなのか。」としか思えない方も多いはずである。誰でも最初は、事の重大性があまりにも大きすぎるので、逆にほとんど重大性を感じ取れないのである。それは、ちょうど、目の前から1mぐらいの場所に月が急に出現したのだが、月が近付き過ぎているために、何が起きているのか分からずきょとんとしてしまうようなものである。しかし、時間が経つにつれ、徐々にその重大性が分かるようになっていく。そうしてある一線を越えると、この事柄がどれほど重大であるのかということを真に悟れるようになる。その時、その人は、この問題をどうあっても無視できない状態に至ることになる。ちょうど、離婚した親の子どもが新しく親となった人物のことを大いに気にするように、養子として入ってきた血の繋がりのない家族を既にいた子どもたちが注意するように、この事柄に心を傾けるであろう。例えはあまり良くないが、この新しい親また養子とは、すなわち、この作品の中で説明される再臨の真理のことである。しかし、読者は事の重大性を感じ取っても驚き慌てたりせず、どうか常に冷静さを保ってほしい。そうするのが英知ある姿勢だからである。箴言17:27には『心の冷静な人は英知のある者』と記されている。また、よく考えつつ読み進めて行くことをお勧めしたい。私がこの作品で取り扱っていることは、非常に重大なことであり、よく考えねばならないことだからである。また、途中で速断したりせずに、最後までしっかりと読むことも重要である。最後まで読んでこそ、最善の判断を得られるからである。多くの知識を得なければ、それだけ判断を誤る確率が高まるのは言うまでもない。何よりも大切なのは、神の言葉にこそ根差し、真理を求めて真摯に祈り願うことである。そうすれば、聖書が教える再臨の真理を十全に把握できるようにもなるであろう。神の言葉に立たず、真理のために祈りもしないのであれば、真理を把握できなかったとしても自然なことである。真理とは神の言葉なくして悟れず、また神は真摯に祈る者の願いを聞き入れて下さるからである。未だに分からない真理のために祈るということについては、アウグスティヌスも次のように言っている。「あなたがたの精神を集中させても未だ到達できない事柄については、それが何であれ、あなたがたの間に平安と慈愛を守り続けながら、主によって理解させていただけるよう祈りなさい。そして、あなたがたが未だ理解できていない事柄については、主ご自身が導いてくださるまで、あなたがたが到達しえた所を歩んでゆきなさい。」(『アウグスティヌス著作集10 ペラギウス派駁論集(2)』恩恵と自由意志 第1章 1 p16:教文館)真理の味は誠に心地良い。確かに真理を得てそれを保持し続けたために、何らかの苦しみを受けるということはあるかもしれない。しかし、それではあっても、真理の味そのものは、あまりにも喜ばしい。願わくは、多くの読者が、この素晴らしき真理の美酒に酔いしれんことを。アーメン。

2019年6月14日(金)
稲野晴也

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◎この作品で筆者が想定している対象は、今の時代に生きる全ての聖徒たちと、未来に生きる全ての聖徒たちである。私は日本人であるが、現代に生きる日本人だけを対象としていたのでは、通俗性も力も失われてしまいかねない。商売の世界を見れば分かるように、強大な通俗性と力を持っているのは、2019年の今で言えばアップルやマイクロソフトやアマゾンやネスレやジョンソン・アンド・ジョンソンなど、どこも自国だけではなく全世界を相手に商売をしている多国籍企業である。私がしているのは商売ではないが、しかし現代の日本人だけを対象としたのであれば、その対象の規模に相応しく、やはり、それだけのものしか出来上がらないであろう。また筆者である私は、この作品を、キリスト教界とその未来のため、すなわち教会の歴史のために書いている。よって、想定する対象は、必然的に今と未来に生きる全ての聖徒たちにならざるを得ない。

この作品の中には、色々な書物からの引用や言及がされているが、信仰があまり強くないと感じる人は、たとえその書物が気になったとしても、無闇に読まないほうがいいであろう。それは、その人の信仰がおかしくなってしまわないためである。例えば、本作品ではイルミナティでありユダヤ教徒の手駒であった哲学者ニーチェの『反キリスト』という作品が言及されているが、これは信仰に自信のある強い霊を持った人でなければ読まないほうがよい。タイトルからして既にサタン的な内容であることが分かると思うが、どういうことが書いてあるか気になるからといって、霊的に未熟な人がこれを読めば、霊がおかしくなったり、動揺してしまったり、躓いたりしてしまいかねない(※)。特に、この作品は、信者になったばかりの人は絶対に読んではいけない。また、本作品では外典や偽典もよく引用されているが、これも強い霊を持っておらず聖書の知識が十分にない人は、あまり読まないほうがいいかもしれない。そのような人が外典や偽典を読めば、正典に関わる様々な知識が頭に入ってくることにより、動揺したり正しい判断が取れなくなって悩んだり、また正典を純粋に直視できなくなってしまう、ということが起こりかねない。霊的に熟練していない人は、正典を読んでいるだけで十分であり、そうするのが無難である。筆者である私は、教えと神学の賜物が恵みにより与えられているがゆえに、信仰を乱しかねなかったりサタン性の強い書物を読んでも、平気であり害を受けずに済んでいるということを言っておきたい。しかし、クリスチャンの中にはそのような人ばかりではないのである。変な書物を読んだために、信仰がおかしくなってしまう人も多い。いずれにせよ、何といっても我々は聖書にこそ心を傾けねばならないということを、私はルターと共に言っておこう。何故なら、この聖書にこそ神の真理が書かれているからである。だから、カルヴァンも言うように「わたしたちは常に主の口に聞かなければならない」(『新約聖書註解Ⅴ 使徒行伝 上』10:15 p312:新教出版社)のである。もちろん他の書物を読むことも有益ではあるが、他の書物ばかり読んでいたのでは、どうにもならない。聖書の真理を正しく理解しようとして聖書以外の書物を読み漁るのだが、そのために聖書をあまり読まなくなってしまったというのでは、本末転倒もいいところである。

(※)
例えば、著者自身でさえ生前の刊行を避けたこの邪悪な作品には、以下のようなふざけたことが書かれている。この弱犬の遠吠えを反駁するのは私にとっては容易いことであるが、読者の中でその内容を見たくないと思われる人は、以下の引用文を読まずに避けるがよい(※引用文は読みたくない人のために赤色にしておいた)。
「弱者と出来損ないは亡びるべし。―これはわれわれの人間愛の第一命題。彼らの滅亡に手を貸すことは、さらにわれわれの義務である。およそ悪徳よりも有害なものは何か?―すべての出来損ない的人間と弱者に対する同情的行為―キリスト教……」(『偶像の黄昏/アンチクリスト』アンチクリスト 二 p162:白水社)
「「我まことに汝らに告げん、此に立つものの中に、神の国の、権威をもて来るを見るまでは、死ざる者あり。」(マルコ9/1)―うまく嘘をつきましたね、獅子<シェイクスピア『夏の夜の夢』第5第1場の句「うまく吠えましたね、獅子」をもじる。獅子はマルコの象徴。>」(同 四五 p227:白水社)
「「汝らは神の殿にして、神の御霊なんじらの中に在すことを、知らざる乎。もし人、神の殿を毀たば、神かれを毀たん。そは、神の殿は聖きものなればなり。この殿は即ち汝らなり。」(パウロ、コリント前書3:16)―こういったたぐいは、いくら軽蔑しても軽蔑しすぎることはない。……」(同 四五 p228:白水社)
「―以上において私は結論に達したので、私の判決を下すことにしよう。私はキリスト教に有罪の判決を下す。私はキリスト教会に対して、かつて告訴人なるものが口にした限りの告訴のうちで、最も恐ろしい告訴を行おうとする者である。キリスト教教会とは、私には考えられるいっさいの腐敗のうち最たるものに思われる。キリスト教教会は、最後の、およそ可能な限りの腐敗への意志を持っていた。キリスト教教会は、いかなるものをも己れの堕落と無関係に済ませることはなかった。それはあらゆる価値を無価値とし、あらゆる真理を嘘と化し、あらゆる誠実を魂の卑劣と変えて来た。」(同 六二 p267:白水社)
「キリスト教に反発する律法
救済の日に、第一年の最初の日に(―偽りの時の計算法に依れば1888年9月30日に)公布される。
悪徳に対し決戦を挑む。悪徳とはキリスト教のことなり。
第一命題―あらゆる種類の反自然は悪徳なり。最も悪徳を具えし種類の人間は僧侶なり。僧侶は反自然を教えるがゆえなり。僧侶には反抗する謂われはなく、刑務所あるのみなり。
第二命題―いかなる礼拝に参列するも、公の道義に対する暗殺行為なり。カトリック教徒に対するよりも、プロテスタント教徒に対して、いっそう酷薄苛烈に当るべし。信仰堅固なるプロテスタント教徒に対してよりも自由寛大(リベラール)なるプロテスタントに対して、いっそう酷薄苛烈に当るべし。(※引用者註:彼がキリスト教の中で最もリベラルを敵視しているのは、ユダヤ教徒の手駒らしいと言えよう。何故ならリベラルの徒は、ユダヤ教徒の聖典である旧約聖書を単なる歴史的な文書としか見做さず、その神聖性を認めていないからである。)キリスト教徒たることにおける犯罪性は、世人が学問に近づくその度合いに応じ、ますます増大せん。故に、犯罪者中の犯罪者は哲学者なり。
第三命題―キリスト教が怪蛇バジリスクのの卵を孵化せし呪ふべき地は、完膚なきまでに破壊さるべし。其処は極悪非道の場所として、後世のあらゆる人々の恐怖となるべし。その地にて毒蛇の飼育に当るべし。
第四命題―純潔童貞への説教は、反自然への公然たる扇動なり。性生活のいかなる侮蔑も、また「不潔」といふ概念による性生活のいかなる不潔化も生の聖なる精神に反抗する本来の罪なり。(※引用者註:このようにニーチェが言ったのはニーチェ自身が性的に異常だったからという可能性がある。それは彼のゲイ的な顔を見ても分かるし―ゲイであったフレディ・マーキュリーとそっくりである―、彼がSMプレイを嗜んでいたという情報もある。つまり彼自身がしている異常な性的行為また性的嗜好に叱責が与えられることを嫌悪したのではないかということが、この文章の背景として考えられるのである。)
第五命題―僧侶と食卓を共にする者は、追放の憂き目に会はん。これにより、実直誠実なる社会から村八分にされることも起こらん。僧侶はわれらがチャンダーラなり。―僧侶の法律的保護を停止し、僧侶の糧道を断ち、僧侶を何方なりと荒野へ追い払ふべし。
第六命題―謂わゆる「聖なる」歴史は、それにふさわしき名称をもって、呪われし歴史として、呼ばれるべし。「神」「救世主」「救ひ主」「聖者」なる語は、罵讒謗の言葉に、犯罪者用の記章マークに、利用さるべし。
第七命題―残余の事はそこから必ずや生ぜん。」(同 四五 p269~270:白水社)

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◎この作品で展開されている解釈は、それが正しい解釈であるにもかかわらず、地動説が長い間隠され続けてきたのと同じように、今まで教会に対して長い間隠され続けてきた解釈であるから、多くの箇所において読者はなかなか理解できないかもしれない。しかし、理解できない箇所があっても慌てたり、早計に判断したりしてはならず、冷静になり、知恵と理解の霊が与えられるよう神に祈り求めるべきである。もし知識も理解も足りていないのに速断するのであれば、いとも簡単に誤謬へと陥ることになるであろう。途中で分からない箇所があれば、その時は分からないままで我慢し、そこにいつまでも留まらずに次の箇所へと読み進めていくという選択をすることも重要である。何故なら、そのようにして次に次にと読み進めていけば、後の箇所で得た理解や知識が手がかりとなり、今までは分からなかった箇所が紐解けるようにもなるからである。カルヴァンが『キリスト教綱要』の中で「書物の内容が理解できない人があっても、気落ちしてはならない。その人は、一つの文章が前にあった文章に一層良き解明を与えることを期待して、先へと読み進むべきである。」(『キリスト教綱要 改訳版 第1篇・第2篇』本書の梗概 p13:新教出版社)と勧めたのは、本作品でも同じことが言える。また読者が本作品を読むにあたり絶対に心がけておかねばならないことは、聖書にこそ固着せねばならず、人間理性や常識や歴史的な通念といったものに縛られてはいけないということである。

◎聖書の真理を正しく悟るためには、何よりも信仰が必要であるということを、ここで言っておかねばならない。重要なのは、神の御言葉を、子どものように素直で純粋な信仰を持って信じるということである。それは何故か。それは、そのようにしないと、真理を知解することができないからである。聖徒の中には、この再臨の真理に関して、まず知解してから信じようとする人が、あまりにも多くいる。このような人たちは、知解するまでは、決して信じようとはしない。つまり、「分かったら信じるよ。」という精神がそこにはある。まず第一に知解、その次に第二段階として信仰。このような精神を多くの聖徒が持っている。しかし、このような精神を持っていると、いつまでも真理を知解することはできない。実際、このような精神を持っている人は、ずっと知解することを求めているのだが、信仰を持とうとしないため、いつまで経っても知解できず、延々と理解の暗闇に留まり続けている。アウグスティヌスは、イザヤ7:9における70人訳聖書の翻訳に基づいて、たびたび「知れるようになるために信ぜよ。」と教えたものである。アンセルムスも「知解せんがために我信ず。」と言った。彼らがこのように言ったのは正しい。この2人が言っているように、もし本当に真理を知解したければ、まず第一に信じることが必要である。事柄は超越的な内容を持っているのだから、まずそれを信じなければ、決して正しい知解に至ることはない。超越的な事柄は、人間理性の機能だけでは把握できない性質を持っているから、まず信仰によってそれを捉えない限り、絶対に知解することができない。すなわち、信仰により、初めてその事柄を把捉できるようになる。まず第一に知解を求める人たちは、信仰を抜きにした人間理性の力だけで超越的な事柄を掴もうとしていることになるが、そのような方法で知解を求めても理解の光は決して与えられないであろう。私は読者に言っておこう。御言葉が確実な意味を持つことを言っていたのであれば、それを今の段階では理解できなくても、まずその言われている通りのことを信ぜよ。そうすれば、今はまだ意味が分からなかったとしても、その信仰に対する報いとして正しい知解が与えられるようになる。つまり、『義人は信仰によって生きる。』(ローマ1章17節)という言葉は、聖書解釈においても同じことが言えるのである。信仰の人でありたいと思う人は、受胎告知を受けた際に理解できなかったものの問答無用で言われたことを信じたあのマリヤのようにならなければいけない。そうすれば、キリストを生むことで御使いの言葉が実現されたことを知ったマリヤのように、後ほど正しい理解が与えられることになるであろう。

◎この作品は、2020年5月20日現在、Operaのブラウザーで表示の確認をしている。多くの場合特に問題はないと思うが、これ以外の動作環境でこの作品を見た場合、表示がしっかりされない、また非常に見にくいなどといった不具合が生じることもあるかもしれない。以前はMicrosoft Edgeとインターネット・エクスプローラーで表示の確認をしていたが、何も問題はなかった。

◎この作品に書かれている内容は、悪意に基づいていたり犯罪などのためにというのでなければ、事前の連絡なしに、ご自由に引用していただいて構わない。しかし、この作品は多くの改訂が行なわれる作品である。だから、たとい引用したとしても、引用してから後ほど、その引用した内容が本作品の中から削り取られてしまっているという場合もあるかもしれない。私は真理のために今持っている自説を、それが間違いであると気付けば、すぐにも捨てるつもりでいるから、そのようになる可能性がないわけではない。引用される方は、あらかじめ、この点について留意してほしいと思う。

◎この作品が載せられているページへのリンクは、事前の連絡なしに、自由にしていただいて構わない。このページのURLは以下の通りである。
http://sbkcc.net/sairin.html

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第1部 既に起きた再臨

1章 再臨に対する一般的・歴史的な見解

 ロテスタント、カトリック、東方正教会を問わず、キリスト教が西暦21世紀の現在に至るまで抱いてきた再臨に対する見解は、次の通りである。「これから我々の住む世界にキリストが雲に乗って再臨される。」このような見解を教会が今まで抱いてきたのは、聖書の中に、このような見解を抱かせる聖句が無数に満ちているからに他ならない。例えば、パウロはピリピ4:20の箇所で、こう書いている。『けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。』このパウロは、コリント人に対しても、こう書いている。『その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。』(Ⅰコリント1章7節)また、全世界にある多くの教会が聖書的な信条として採用・承認する「使徒信条」の中でも、こう書かれている。「主は…天に昇り、全能の父なる神の右に坐したえり、かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。」(※①)また、エイレナイオス、ユスティノス、テルトゥリアヌス、アレクサンドリアのクレメンス、ローマのヒッポリュトス、オリゲネス、バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリウス、ニュッサのグレゴリウス、アタナシオス、キプリアヌス、ポワティエのヒラリウス、アンブロシウス、アウグスティヌス、ヒエロニムス、アレクサンドリアのキュリロス、クレルヴォ―のベルナルドゥス、エックハルト(※②)、ペトルス・ロンバルドゥス、トマス・アクィナス、ルター、メランヒトン、カルヴァン、ブリンガー、ジョン・ノックス、ギイ・ド・ブレイ、ジェームズ・アッシャー、ジョン・ウェスレー、ジョナサン・エドワーズ、スポルジョン、アブラハム・カイパー、J・G・メイチェン、コーネリウス・ヴァン・ティル、バルト(※③)をはじめとした高名な教師たちも、例外なく再臨がこれから起きるのだと信じてきた(※④)。「修道生活の父」と呼ばれるアントニオスも、古代教会最大のラテン詩人であるプルデンティウスも同様であった。著名な天文学者であるルター派のケプラーやイエズス会の創設者イグナチウス・デ・ロヨヤや自然魔術師として有名なデッラ・ポルタや奇人エリファス・レヴィや数学者のパスカルや日本の著名なキリスト者である内村鑑三も同様である。更に言えば、忌まわしい邪悪な異端の徒でさえ、正統派信仰の聖徒たちと全く同様に、再臨はこれから起こる出来事であると信じていた(※⑤)。ビザンティン思想の著述家たちも、例外なく皆そうである。パット・ロバートソンやハル・リンゼイをはじめとした米国の著名なテレビ伝道師たちも、例外ではない。要するに、現在に至るまで、右も左も上も下もキリスト教は「キリストの再臨はいまだに起きていない。」と理解してきた。もし、この一般的・歴史的な理解を持たない教会や聖徒がいたとすれば、そのような教会や聖徒は「異端」とみなされるか、そうでなければ「異常」と思われることであろう。再臨に関し、健全な理解を持っているとみなされることは、まずない(※⑥)。また、このような再臨に対する理解を教会が抱いていることは、教会に属さない未信者でさえも知っていることである。

(※①)
無学な聖徒たちのために、他の有名な信条においても再臨がまだ起きていないとされていることを、参考情報として以下に記したい。
■ニカイア信条:「また主は…天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来り給うのである。」
■アタナシオス信条(39―40):「(主は)天に昇り、全能の御父の右に坐し給う。そこより、生きている者と死んでいる者とを審くために来り給うのである。」
■ウェストミンスター信仰告白(第8章/仲保者なるキリストについて:4):「第三日に、彼は、受難のままの身体をもって死からよみがえり、そのままの身体をもって天に昇り、かしこに在って彼の父の右に座し、執成をなし、世の終わりに、人と天使とを審くために再び来りたもう。」
■ベルギー信条(第37条/最後の審判、身体の復活、および永生について):「われらの主イエス・キリストは大いなる栄光と尊厳をもって天に昇り給いしごとく、肉体をもって目に見えて天から来り(使徒行伝1:11)、…」
■聖公会大綱<39か条>(第4条/キリストの蘇えりについて):「キリストは死から蘇えり、肉と骨及び完全な人生に属するすべてのものを持つ身体を再び取って天に昇られた。そして、終わりの日にすべての人々を審くため、再び来られるまで、かの所に座していられるのである。」
■アウクスブルク信仰告白(第17条/審判のためにキリストが再び来り給うことについて):「また、われらの諸教会は、かく教える。終末の日に、われらの主イエス・キリストは、審判するために現われ、…」
引用元―「新教セミナーブック4/信条集 前後篇(新教出版社)」
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(※②)
ここでエックハルトの名前が出ているからといって、筆者である私が彼の神秘主義に共鳴しているなどとは思わないでいただきたいと思う。私は、どれだけ多くの高名な教師たちが、再臨がまだ起きていないと信じてきたかを示そうとして、このようにエックハルトの名前を書いただけに過ぎないのである。
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(※③)
ここでバルトの名前が出ているからといって、筆者である私がバルト主義者だとは思わないでいただきたいと思う。私は、どれだけ多くの高名な教師たちが、再臨がまだ起きていないと信じてきたかを示そうとして、このようにバルトの名前を書いただけに過ぎないのである。
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(※④)
<Ⅰ>
アウグスティヌスは次のように書いている。「主は聖霊と処女マリヤとから生れ、十字架につけられ、葬られ、復活し、天に昇られた。これらはすでに起こったことである。終りの世に死者の復活があった後、生ける者と死せる者とを裁くために再臨される。これはなお将来のこととして預言されるのである。」(『アウグスティヌス著作集17 創世記注解(2)』未完の創世記逐語注解/第1章4節 p160:教文館)ルターは、まだ教皇制の中にいた時の自分を思い出して、こう言っている。「キリストが、生きている者と死んだ者、義しい者と神なき者を裁くために、来るであろうことは、よく知っていた。」(『ルター著作集 第二集7 ヨハネ福音書第3章・第4章説教』第49説教 第3章(35以下)p355:LITHON)この再臨理解は、ルターが一生涯持ち続けたものであった。バルトも次のように言うことで、まだキリストの再臨が起きていないと信じていたことを我々に知らせている。「このように私たちは、われらの主イエス・キリストの御名において、感謝し祈ります。そのお方によって、あなたは、私たちがこの地上に立ち、天が開かれるのを見、やがてそのお方が、すべてを新たにするために、偉大なる栄光の中に来たりたもうのを、喜び待つようにして下さいました。アーメン。」(『カール・バルト説教選集12 1959―1968』あなたを憐れまれる主 1959年12月27日、バーゼル刑務所にて p35:日本基督教団出版局)「主よ、私共の愛する神よ。あなたは私共に、待ちまた急ぐように命ぜられます。世界の中で、また私共人間の中で、またあなたの教会の中で、また私共の心の中で、また私共の生活の中でも、あなたが完全に現われ、あなたの救いが示される、あの大いなる日に目を注ぎつつ、待ちまた急ぐように命ぜられます。」(同 二重の待降節の使信 1962年12月23日、バーゼル刑務所にて p117)アタナシオスも、読者に対して次のように書いている。「また、この方の第二の、栄光に包まれた、真に神的なわれわれの許への顕現をもあなたは学ばれよう。その時、もはや卑しい<姿>でではなく、本来の崇高さの内に来られる。その時、もはや苦しみを受けられるためではなく、ご自分の十字架の実り―私の言わんとするのは復活と不滅のことである―をすべてのものに賦与されるために来られるのである。」(『中世原典思想集成2 盛期ギリシア教父』言の受肉 56(3) p136:平凡社)バシレイオスも「かの恐ろしく突然私たちを見舞う主の日のことを目の前に置こうとしないのか。」(『中世原典思想集成2 盛期ギリシア教父』修道士大規定 序文 p183:平凡社)と言っているから、主の日という再臨の起こる日がまだ訪れていないと考えていたことが分かる。ナジアンゾスのグレゴリウスも、やはり再臨がこれから起こるに違いないと信じていた。彼はキリストについて「生者と死者を裁くために、…再びやって来られるのである。」(『中世原典思想集成2 盛期ギリシア教父』神学講話 第3講話 20 p358:平凡社)と言っている。ユスティノスも、再臨はこれから起こるのだと信じていた。彼はこう言っている。「キリストへの信仰によって敬虔で義なる者となったわれわれは、彼の再臨を心待ちにしている」(『中世原典思想集成1 初期ギリシア教父』ユダヤ人トリュフォンとの対話 52(4) p59:平凡社)「またキリストはわれわれのために人となり、苦難と侮辱に耐え、再び栄光のうちに来臨するはずなのです。」(『キリスト教教父著作集1 ユスティノス』『第一弁明』50:1 p65:教文館)オリゲネスも、キリストが「卑しい到来の後の栄光に包まれた第二の到来をわれわれに示すとき、…」(『中世原典思想集成1 初期ギリシア教父』出エジプト記講話 第6講話(1) p567:平凡社)と言っているから、まだ「第二の到来」すなわち再臨は起きていないと信じていたことが分かる。ローマのヒッポリュトスも、「(キリストは)父の右の座に着き、生ける者と死せる者とを裁くために来るのである。」(『中世原典思想集成1 初期ギリシア教父』ノエトス駁論 18(9) p493:平凡社)と言っており、再臨をこれから起こる出来事として信じていた。キプリアヌスも自分たちが「主の到来が速やかに実現するように待ち望んでいる」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』主の祈りについて 第13章 p156:平凡社)と他の教師たちと同じことを言っている。彼はまた兄弟たちが「キリストの再臨を祈り願う」(同 第35章 p175)べきだとも言っている。ノラのパウリヌスも次のように言っている。「われわれはさらに、天から戻るキリストに望みを寄せるようにと、命じられています。まるでこのキリストが父の許に赴くのを、われわれがこの目で見たかのように。」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』歌謡31 第3部 399―400 p864:平凡社)カルヴァンも他の教師たちと同様に、再臨を願望し大いに期待していた。彼は次のように言っている。「それ故、我々は精神を一層健全にして、肉の盲目的かつ愚鈍な欲望に対抗し、主の来臨を、単に願望するのみでなく呻きと嘆息をもって全ての内で最も祝福されたこととして期待するのをためらってはならない。我々をこの禍いと悲惨の底なしの深淵から救い出して、彼の命と栄光の祝福された嗣業に入れたもう贖い主が来られるからである。」(『キリスト教綱要 改訳版 第3篇』第3篇 第9章 第5節 p203:新教出版社)「したがって、我々は「この世で慎ましく、公正に、敬虔に生きて、幸いなる望みを望み、大いなる神にして我が救い主なるイエス・キリストの栄光の来臨を待ち望む」状態にある(テトス2:12―13)。」(同 第25章 第1節 p504)アレクサンドリアのキュリロスも、やはり同様であった。彼は、キリストが「聖書に記されているように、義をもって全地を裁くために、定められた時に、御父の栄光のうちに、ひとりの子、主として来られるでしょう。」(『中世思想原典集成3 後期ギリシア教父・ビザンティン思想』書簡集 第17書簡 p114:平凡社)と言っている。ヴァン・ティルも、次の言葉が示すように、まだ再臨が起きていないと考えていた。「しかし、時が経ち、神が原理と原理とが対立することを許されるこの世界の終わりに向かうにつれて、外形的には正しいと見えていた者が次第に正しくない者であることが明らかとなる。そのとき、自分を神の律法の上に高める「不法の人」「不義の人」が現れ、正しくない者たちが不法の人を礼拝し、正しい者たちにその礼拝を強制するであろう。しかし、そのときにはまた、正しいお方として屠られたがゆえに第七の封印を開くに値するお方が、義のための勝利を達成するために、正しくない者また正しくない者たちを、律法も秩序もないがゆえに底なしである穴に投げ込み、神の律法に従う人々を、律法と秩序があるがゆえに、安息の領域に受け入れるために、出現なさるであろう。」(『ヴァン・ティルの十戒』第十戒 p204:いのちのことば社)ビザンティン思想の著述家であるダマスコのヨアンネスも、キリストは「また再び来られることになるであろう」(『中世思想原典集成3 後期ギリシア教父・ビザンティン思想』知識の泉 第3部 第2章 p602:平凡社)と言っている。堕落していた暗黒期におけるキリスト教の教師も、再臨がまだ起きていないと考えている点では、その他の時代に生きた教師たちと何も変わらなかったのである。

<Ⅱ>
私がこのように引用文を多く書き記すのは、読者に知識と情報をもたらすというだけでなく、私が公平に論じているということを示すためでもある。キケロとJ・S・ミルは、反駁したい場合、相手の生の声また実際の文章を知るべきだと言った。キケロについて言えば、彼は法廷弁論を依頼された際、相手側の情報をまず徹底的に調べて熟知するまでは、実際の弁論に臨もうとはしなかった。これは正にその通りであって、反駁したい見解を実際に体感するからこそ、公平な論述が可能となるのである。つまり、私は自分が反駁する見解を、よく知り、観察し、考慮しているということである。この2人の知者も言っていることだが、世の中には自分が反駁したい者が発している生の見解を故意に無視する者が多いのである。例えば、マルクスを反駁しているのに「資本論」と「共産党宣言」は全く読んだことがない、という人がそうである(こういう人はかなり多いと思われる)。要するに、この2人はマルクスの場合で言えば、もしマルクスを反駁したいのならばまずは「資本論」「共産党宣言」を読めと言ったわけである。そうしてこそ真に公平な論述となるからである。単に風評や一般的な見識だけに基づいて論じ、実地に当たらないというのではお話にならないのだ。私は相手側からのジャブを受けた上でカウンターを放ちたい。
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(※⑤)
例えばアリウスがそうである。彼は大帝コンスタンティヌスに対する手紙の中で、次のように書いている。「私どもは信じます。…天に昇られ、生ける者と死せる者とを裁くために再び来られる方を。」(『中世原典思想集成2 盛期ギリシア教父』コンスタンティヌス帝への手紙 2 p36:平凡社)ペラギウスも、デメトリアスという若い処女が霊肉ともに聖いままで「主の来臨を待ち望む」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』デメトリアスへの手紙 第10章 p945:平凡社)べきだと勧めている。このように、悪臭を放つ腐った異端者どもも、その多くが、再臨についての考えは正統派の教師たちと何も変わらないのである。
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(※⑥)
パウル・ティリッヒのように再臨をはじめとした終末の事柄を「神話」として片づける者も存在するが、このような者は一般的にはほとんど見られない。
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 このような誰でも知っている当たり前のことが、今、どうして書かれたのか。読者の方は、「このようなことは言うまでもないことだ。」と思われたかもしれない。今、このようなことが書かれたのは、本作品が、この当たり前の見解を聖書から根本的に考察するものだからである。筆者である私は、これから「再臨」という名の霊的素材を、「聖書」という料理道具を使って、神に祈りつつ、読者の前で調理する。それゆえ、私は、今、これから調理される素材をあらかじめ読者の前に眺めさせようとして提示したわけである。つまり、この最初の章で書かれたことは「前置き」であると思ってもらえればそれでよい。

 さて、それでは前置きが終わったので、これから「再臨」という教会にとってあまりにも重要な事象を、徹底的に聖書から考察していくことにしたい。全能の神が、本作品を通して、我々に霊的な恵みを豊かに注いで下さるように。アーメン。『どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。』(コロサイ1章9節)

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2章 既に起きた再臨

 章で述べられたように、今に至るまでキリスト教では再臨がいまだに起きていないと理解されてきたが、確かなところ、聖書は既に再臨が起きたのだと我々に教えている。こう言われると多くの聖徒たちが驚き、疑いの念を抱くであろうが、私が今述べたこのことが、本当なのかどうか聖書から見てみよう。ここでは4つの聖句を読者に提示することにしたい。まず我々の主は、今から2千年前に、ご自身の前に立っていた紀元1世紀のユダヤ人に対して次のように言われた。『まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。』(マタイ16章28節)まず我々がこの主の言葉に異を唱えるようなことは、絶対にあってはならない。というのもカルヴァンも言うように、「わたしたちは、かれがたったひと言でも言ったことはすべて、少しも疑うことなく胸に抱きしめなければならない」(『新約聖書註解Ⅳ ヨハネ福音書 下』14:11 p469:新教出版社)からである。もし主の言葉を疑うような人であれば、この作品を読むべきではない。この作品は主の言葉を己の規範とする者に対して書かれているのだから。さて、この聖句の中で、主は紛れもなく明白に、当時のユダヤ人が生存している間に再臨があると言っておられる。この聖句は、そのように解釈する以外にはなく、何とかして他の解釈を試みようと思っても合理的な解釈をすることができない(※①)。私と論じ合ったバプテスト派の牧師も、これは紀元1世紀のユダヤ人のみを対象としている聖句であると、しぶしぶながら認めざるを得なかった。主がこのように言われたのは、紀元30年頃であると思われる。その時、主の目の前に立っていたある者が仮に10歳だとしよう。その者が120歳まで生きる可能性は、普通に考えれば、ほとんどないと考えられる。とすると、主の御言葉によれば、その当時10歳であった者が120歳になるまでには確実に再臨があることになる。そうであれば、主の再臨は、主がこのように言われてからもっとも長く見積もっても110年の間に起こることになる。このように聖書から考えると、再臨は既に起きていたことが分かるであろう。また主は、当時生きていた大祭司カヤパおよびカヤパと共にいた律法学者また長老たちに対して、このように言われた。『なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗ってくるのを、あなたがたは見ることになります。』(マタイ26章64節)ここでも主は紀元1世紀の人たちが生存している間に再臨があると断言しておられる。もし主の言われた通りにならなかったのであれば、カヤパや他の指導者たちは、主を大いに愚弄しペテン師扱いしていたに違いない。ところでエリサベツは聖霊に満たされてこう言っている。『主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。』(ルカ1章45節)信仰深く敬虔な人は、いつの時代であれ、主の語られたことが実現すると確信するものである。当時の信仰深い人も、主の語られたことが必ず実現すると信じたはずである。すなわち、主の言われた通りに再臨が当時の人たちの存命中に起きると信じきったはずである。イザヤ書46:10で神は『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言われた。主はご自身の語られたことを必ず行なわれる方であるから、主が当時の時代に再臨という「はかりごと」を成就され、その再臨という「望む事」を成し遂げられたのは確実である。そうであれば、やはり再臨は既に起きたということになる。アウグスティヌスも、「神の約束は決して欺くことはありません。」(『アウグスティヌス著作集26 パウロの手紙・ヨハネの手紙説教』説教157 第1章1 p156:教文館)と言っている。神がなされた再臨の約束も、その他の約束と同様に欺くことがないから、やはり、その約束の通り、紀元1世紀当時の人たちが生きている間に再臨が起きたと我々は考えなければいけない。また、御霊はヨハネを通して黙示録1:7で、このように言われた。『見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。』ここで言われている『彼を突き刺した者たち』とは、言うまでもなく、ゴルゴダの丘でキリストに槍を突き刺した兵士のことである(※②)。この兵士が生きていたのは紀元1世紀である。御霊はこの兵士たちがキリストの再臨を見ると言われたのだから、誰でも少し考えれば分かるように、再臨は既にあったことになる。もし御霊の言われたことを否定したくないのであれば、このことを信じなければいけない。またパウロは再臨に関して次のように紀元1世紀のテサロニケ人へ書き送っている。『私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが…』(Ⅰテサロニケ4章15節)パウロは、紀元1世紀の聖徒たちが再臨のある時まで生きていると、ここで述べている。これは、主が当時の人たちの存命中に再臨が起こると述べられたのと同じである。この箇所におけるパウロの言葉については、カルヴァンも「彼は最後の日まで生きるであろうひとびとのなかに、自分自身をおいている。」(『新約聖書註解ⅩⅠ ピリピ・コロサイ・テサロニケ書』Ⅰテサロニケ4:15 p216:新教出版社)と言っている。つまり、カルヴァンさえも、パウロは自分の存命中に最後の日、すなわち再臨の起こる日が到来すると言っていたと考えていたことになる。これは当然である。何故なら、この箇所はそのようにしか理解できないからである。繰り返すが、確かにパウロは自分とその仲間たちが生きている間に再臨が起こると言ったのである。そうであれば、再臨が既に起きたという説は、キリストの御言葉だけからではなく、パウロの語ったことからも支持されることになる。どうであろうか。私は、今、4つの聖句に基づいて再臨のことを詳しく考察した。読者がどのように思われたのか私は知らないが、確かに聖書は再臨が既に起きたと教えているのである。

(※①)
<Ⅰ>
アウグスティヌスは、説教の中で、この聖句はすぐ後に続く17章1~8節目までのことを言ったものだという解釈をしているが、これは誠に特異な解釈であって、検討する価値さえない間違った解釈である。今の時代にこのような解釈をとる教師や一般信徒は、恐らく一人もいないのではないかと思われる。彼はマタイ17:1~8の説教における冒頭部分で、こう言っている。「愛する兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは、主が山上で示された光景に深く目を注ぎ、それをとりあげ、論じなければなりません。主ご自身がそれについてこう言われております。「よくよくあなたがたに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる」(16・28)と。ただいま朗読されましたこの箇所―つまり「このように言われたとき、すなわち、6日の後、イエスは、ペトロと、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」という箇所はこのところ<16・28>から始まっているのであります。<ですから>「人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる」と言われている「死なない者」とはまさにこの3人のことなのであります。ここにあるのは小さな問題ではありません。なぜなら、この山はその国の全体とは理解されにくいからです。天国を持っている方にとって山とは何でしょうか。…」(『アウグスティヌス著作集21 共観福音書説教(1)』説教78 1節 p344:教文館)東方教父のグレゴリオス・パラマス(1196頃―1359)もアウグスティヌスと同様、このマタイ16:28の聖句は数日以内に起こる出来事が記されているという頓珍漢な理解をしていた。私はこのような解釈が持てることに驚きを隠せない。この博士はこう言っている。「ではまず始めに、少しのあいだ今日読まれる福音書の言葉に耳を傾け、その神秘を解明し、真理を明らかにしよう。「6日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟だけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝いた」。まず福音書の語っていることをよく注意してみなければならない。キリストの弟子や福音書記者マタイが、どの日から数えて主の変容の日が6日目だとしているのであろうか。いつから。それは主が弟子たちに次のように言って数えている日の後である。すなわち、「人の子は父の栄光に輝いて来る」、またそれに付け加えて、「ここにいっしょにいる人々のなかには、人の子がその王国と共に来るのを見るまではけっして死なない者がいる」。つまり彼の変容の光を父の栄光とその王国と呼んでいるわけである。…」(『中世思想原典集成3 後期ギリシア教父・ビザンティン思想』講話集 講和第34 p879~880:平凡社)

<Ⅱ>
確かに、上で示されたアウグスティヌスとパラマスの見解は、取り扱うまでもない無価値な見解である。彼らの見解は「こじつけ」であって、それゆえ「異常」であると言ってよい。いったい誰が彼らのような見解を持つのであろうか。実際、このマタイ16:28の聖句を、彼らのように解する人は、今となってはいない。しかしながら、私はここで、彼らの見解を文章により退け、打ち砕いておくことにしたい。というのも、この作品は、再臨を徹底的に考究することが最大の目的の一つとされているからだ。また読者の中には、この問題を取り扱わなければ不満に思う人がいるかもしれない。「どうしてこの問題については詳しく取り扱わないのか」と。そういう人のためにも、この取るに足りない見解を取り扱っておくのが良いと考えた。さて、それでは、この2人の誤った見解について具体的に見ていきたい。既に述べたように、彼らが、キリストがマタイ16:28で言われたのは6日後の出来事についてであると考えたのは完全な誤りであった。彼らが、キリストの言われたのはその時にキリストを見ていた人についてである、と考えていた点は間違いではなかった。何故なら、キリストは目の前にいた人たちに限って、すなわち『ここに立っている人々』(16:28)に限って、このことを言われたからである。しかし、その出来事が6日後の出来事であると考えたのは異常なことであった。何故そう言えるのか。この2人の見解は具体的にどういうわけなので、誤りだと言えるのか。その理由は4つある。まず、6日後の出来事では、16:27で言われているようにキリストが『御使いたちとともに』来てはいない。山上の変貌において書かれている17:1~8の箇所で、御使いがキリストと共に来たとは、どこにも言われていない。共に来たと言えるのは、エリヤとモーセだけである(17:3)。キリストが言われたのは、御自身が御使いと共に来る、ということであった。6日後の出来事では御使いが共に来てはいなかったのだから、キリストが言われたのは6日後の出来事ではなかったことになる。また、6日後の出来事では、裁きがなされていない。キリストは御自身が来られる際には、人々に『報いをします。』(16:27)と言われた。しかし、山上の出来事において、裁きらしい出来事はまったく見られない。そこにおいて『報い』が行われていない以上、キリストが言われたのは6日後の出来事では無かったことになる。また、6日後の出来事では、キリストの国が『力をもって』(マルコ9:1)到来したとは見做しがたい。聖書が教えるように、キリストが御国と共に再臨される際には『雷と地震と大きな音…、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎』(イザヤ29章6節)という力ある現象が伴うはずである。しかし、6日後の出来事では、そのように大いなる力は感じられない。この山上の変貌がイザヤ29:6で言われているような『力をもって』実現されたと見做せない以上、キリストが言われたのは6日後の出来事では無かったことになる。また、キリストの言われたのが6日後の出来事についてだったとすれば、キリストの言葉に違和感が生じてしまう。たった6日後に起こるにもかかわらず、「その出来事が起こるまではここに死なない者がいるであろう。」などとは通常の場合、言われない。何故なら、自然な感覚からすれば、目の前にいる人が6日後にも生き残っているだろうということは、当たり前のように前提できるからである。戦争や自然災害や伝染病が起きていれば話は別だが、この時は、そのようなことが起きている状況では無かった。それゆえ、キリストが言われたのは6日後の出来事では無かったことになる。もし6日後の出来事について言われていたとすれば、キリストはわざわざ「ここにいる者たちの中に死なない者がいる。」などと言われなかったはずだ。なお、アウグスティヌスも、この山上の変貌においては御国が感じられにくい、と隠すこともなく告白している。彼がこの出来事のうちに御国を感じられなかったのは当然である。キリストが言われたた御国の到来とは、山上の変貌のことではないのだから。以上の4点から、アウグスティヌスとパラマスの見解は完全に非とされ、断罪されるべきである。この2人がマタイ16:28の前後における箇所を考慮したのは、すなわち文脈を検討したのは、それ自体として非難されるべきではない。何故なら、前後の話を考慮するのは、聖書解釈にとって非常に重要だからである。しかし、彼らは前後の箇所に心を完全に奪われたので、このマタイ16:28と再臨との関連性を見落としてしまった。つまり、彼らは文脈に意識を100%奪われたので、再臨との関わりにおいて解釈するという意識を持つことが出来なかった。確かなところ、このマタイ16:28の箇所における内容は、17:1~8の内容とは繋がっていない。16:28の内容が繋がっているのは、17:1~8の内容ではなく、むしろ「再臨」である。確かに、キリストがこの箇所で言われたのは、再臨の出来事についてであった。何故なら、それが17:1~8のことを言ったのではないとすれば、必然的にそれは再臨のことを言ったとせざるを得ないからである。実際、マタイ16:28で言われているのが再臨についてであるというのは、少し考えれば分かることである。これが再臨の出来事だとすれば、先に見た4つの問題も起こらない。すなわち、1つ目について言えば、再臨の際には御使いがキリストと共に来る。2つ目について言えば、再臨の際には裁きが実際に下される。3つ目について言えば、再臨は物凄い力を伴って実現される。4つ目について言えば、もしこれが再臨について言われた言葉だとすれば、キリストの言葉には何の違和感もなくなる。それというのも、再臨が起こる際には、キリストの目の前に立っていた人々の中で、既に死んでしまっている人も多くいたはずだからである。そのようなことだったと受け取れば、キリストがここで「再臨の時までここにいる者たちの中には生き残っている者がいるであろう。」と言われたのを聞いても、何も違和感が起こらない。それだから、読者は、この2人の見解になびかないようにしてもらいたい。マタイ16:28で言われたのは、再臨の出来事以外ではないからである。
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(※②)
それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。』(ヨハネ19章32~34節)※ここで言われている「わき腹を槍で突き刺した兵士」とは、ニコデモ福音書(ピラト行伝)12:1によればユダヤ人の兵士だったようである(※A)。その兵士の名は「ロンギノス」という名であったという(ニコデモ福音書16:7)。つまりローマ兵ではない。しかしこの文書は外典であって信仰の基準ではないから、あくまでも参考情報としてのみ捉えていただきたいと思う。
(※A)
「ユダヤ人達は、イエスの屍をヨセフが願い受けたと聞いて、ヨセフを探した。また、イエスが不倫の関係の生れではないと主張した12人と、ニコデモと、ピラトの前に出て来てイエスの良い業を明らかにした他の大勢の者を探した。しかし他の者は皆かくれてしまい、ニコデモだけがユダヤ人の前に現れた。ニコデモはユダヤ人の役人だったからである。ニコデモは彼らに言う、「どうしてあなた方はこの会堂に集って来たのですか。」ユダヤ人達は言う、「お前はどうしてこの会堂にはいって来たのか。お前はあの男の証人で、来世ではあの男と運命を共にするはずではなかったのか。」ニコデモは言う、「まことに、まことに。」ヨセフもまた(かくれていたところから)出て来て彼らに言った、「イエスの屍を乞い受けたからといって、どうしてあなた方が私のことを怒る必要があるのですか。私はあの方を清潔な亜麻布にぬくるんで、私の新しい墓に埋葬してさしあげたのですよ。岩穴の入口には石をころがしてふたをしてあります。あなた方はあの義人に対して正しからぬことをなさった。十字架につけたことを後悔なさらなかったばかりか、槍で突きさすようなことまでなさった。」…」(『聖書外典偽典6 新約外典Ⅰ』ニコデモ福音書(ピラト行伝)第章12節1節 p192~193:教文館)
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 今引用された聖句を考えるならば、西暦21世紀の時代になっても再臨が起きていないとすることは、絶対にできない。それは聖句を直視しないことであり、神の言われたことを否定することである。私ははっきりと言おう。今に至るまで、教会は、再臨という事象に関して、キリストと使徒たちとを「出鱈目を言う者」に仕立てあげてきた。「いや、そのようなことはない。」と多くの聖徒は言われるかもしれないが、再臨がまだ起きていないと理解するのは、暗にそのように仕立てあげているのも同然なのである。つまり、意識していなかったとしても、事実上そうしてしまっているということである。2千年経過してもまだ起きないような遥か未来の事象を、キリストと使徒たちが自分と同時代に生きている人たちがさも見るかのように断言したと考えるのは、彼らを「出鱈目を言う者」に仕立て上げることでなくて何であろうか。

 確かなところ、今に至るまで2千年間も教会が誤ってきたのは、再臨に関する御言葉を、あたかも自分たちを直接的な対象としているかのように捉えてきたということである。例えば、ヤコブは、キリストの再臨について、その手紙の中で次のように述べている。『あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。』(5章8節)今まで教会は、ここでヤコブが述べている『あなたがた』という対象を、ヤコブよりも後の時代の人間である自分たちであると当然のように思って何も疑わなかった。だから、あらゆる時代の教会が、キリストの再臨はもう間もなく起こると考え、信じ、語ってきた。確かに、再臨についての御言葉が、あらゆる時代の教会に対して共通的なものとして言われたとすれば、今までの教会がキリストの再臨はもう間もなく起こると考え、信じ、語ってきたのは正しいことであった。何故なら、再臨の御言葉があらゆる時代の教会に言われているというのは、すなわち神が、あらゆる時代の聖徒たちに再臨が間もなく起こると期待するように望んでおられることを意味しているからである。そうだった場合、私もこのような作品を作ることをせず、他の聖徒たちと同じように、再臨がすぐに起こると大きな声で叫んでいたはずである。しかし、大変嘆かわしいことに、今まで教会は、再臨についての御言葉には時期がしっかりと規定されているということを、完全に―そう完全に―見落としてきた。すなわち、今まで教会は、聖書がキリストの栄光の再臨はキリストの目の前に立っていた人たちが生きている間に起こり(マタイ16:28)、パウロと共にいたテサロニケ教会の聖徒たちが生き残っている間に起こり(Ⅰテサロニケ4:15)、神殿崩壊をそのクライマックスとするユダヤ戦争<66-70>の時期に起こる(マタイ24章)と教えていることに、まったく気付いてこなかった。実に、本当に文字通りに誰一人として、この重要な点に心が向かなかったのである。それは、アウグスティヌスやルターのような高名で有能な教師たちといえども例外ではない。それは、ちょうど天動説の誤りに、並はずれた知性を持つ学者たちがコペルニクスの登場まで数千年の間、気付けなかったのと同じことである。どうして今まで神に用いられた教師たちが、このような重要な点に気付けなかったのかということは、後ほど語られることになる(第1部:第10章)。聖書には、時期性を問わない、あらゆる時代に適用また実戦されるべき普遍的な命令や教えが多く存在しているのは確かである。例えば、『盗んではならない。』という戒めは、時期性を問わない普遍的な命令であって、それはあらゆる時代の聖徒たちが行なうべき戒めである。これは、明らかに普遍的な内容を持っているから、時期性を限定して理解することは許されない。すなわち、「この戒めはモーセと共にいたイスラエル人たちに与えられたものだから、それ以降の時代に生きる聖徒たちは行なう必要のないものだ。」などと言うことは絶対に許されない。これは神学の学びをある程度している者であれば、誰でも分かることである。もしこのように言う者がいたとすれば、その者は絶対に悔い改める必要がある。再臨について語られている御言葉の場合、それとはまったく逆である。再臨についての御言葉の場合、時期性が明らかに規定されているから、その時期性を取り除いて普遍的な内容を持っていると理解することはできない。すなわち、「再臨はあらゆる時代の聖徒たちがすぐにも起こるべき出来事として捉えねばならないのだ。」などと考えたり言ったりすることはできない。何故なら、キリストもパウロも、明らかに自分と一緒にいた人たちが存命中に再臨が起こると言って、再臨という出来事にそれが起こる時期を設けたからである。だから、再臨についての御言葉から時期性を除く者たちは(今まで全ての聖徒たちがそのようにしてきた)、時期性をよく考慮しなかったことについて悔い改める必要がある。今まで優秀な教師たちが、再臨について語られている御言葉に見られる時期性を注意してこなかったのは本当に驚きである。このことを聞かされたならば、アウグスティヌスであれその他の教師であれ、大いに気付かされて深く考究していたはずである。実際、私からこのことを聞かされた教師たちは、誰もが例外なく初耳であって、驚いたりキョトンとしたりし、そうしてから考えたり納得したり反論したりするなど多くの反応を見せる。今までの時代にこのことに気付く教師たちがいたとすれば、とっくの昔に、私が今述べているようなことを述べる教師が現われていたことであろう。しかし、新約聖書が書かれてから2千年経つまでは、私のようなことを述べる者は誰も現われなかった。読者は、私が今述べたこのこと、すなわち再臨についての御言葉には実現される時期が大まかにではあるが規定されているということについて、時間をかけてじっくりと考察していただきたい。多くの者を教える立場にある教師たちには、このことを特に要請したい。

 かし、聖句が再臨は既に起きたということを明瞭に示してはいても、それを信じることができずに「確かに再臨が当時において起きると言われているが、再臨は<遅延>しているのだ。だから再臨はいまだに起きてはいないと信じるべきである。」などと言う人もいるであろう。実際、世の中にはこのように言う人が少なからず存在する。彼らが何と言おうとも、このようなつけ足しを聖句に対してすることはできない。神は、そのようなつけ足しを嫌われるお方であると聖書は教えている。申命記12:32で神は御言葉に『つけ加えてはならない。』と言われた。御霊は、黙示録について、こう言われた。『もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。』(黙示録22章18節)自分の心が聖句で言われている事柄を信じられないからといって、聖句を受容可能なものとするために曲げることは、神の御前において合法ではない。そのような傲慢で自己中心的な態度は、神に喜ばれる態度ではない。神は『わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。』(イザヤ66章2節)と言われたのである。確かにグレゴリウスも言うように、「神は決して自らの熟慮したことを変えない」。キリストの再臨が、当時の時代の聖徒が生きている間に起こると定められたのは、明らかに神の熟慮、しかも完全極まりない熟慮に基づいている。それゆえ、そのような熟慮に基づいた神の再臨に関する決定が「遅延」するなどというのは間違っても考えられないことである。神の言葉を好き勝手に捻じ曲げるのは止めていただきたい。しかしながら、このように言われても、まだ抗弁する姿勢を崩さない人が、世の中には多くいるのではないかと思う。そのような人は、Ⅱペテロ3:7~9を提示して「やはり今の世は終わりの日に起こる再臨の時までずっと保持されているのだ。」などと言う(※)。しかし、この箇所を挙げて反論しても無駄である。というのは、どれだけ主がその忍耐深さにより、再臨の日を選ばれた者のために遅らせたとしても、再臨の日が紀元1世紀に生きている人たちが死ぬ前までに訪れるということは、先に挙げたキリストの聖句から明らかだからである。もし紀元1世紀の人たちが存命中に再臨が起きなかったとすれば、主の言われたことを偽りだったとせねばならなくなる。神は、ご自身の御言葉を偽りにしてまでも再臨の日を数千年も遅延させられるような方ではない。もし、そのようなことがあれば、御言葉の絶対性が揺らぎ、御言葉を聖徒たちの究極的な規範とすることができなくなってしまうであろう。私がこのように言っても、まだ御言葉を素直に信じられない人がいるのではないかと思われる。そのような人は、旧約聖書のある箇所を挙げて、次のように反論するかもしれない。「確かに神はご自身の言われたことを基本的には曲げられないが、ヒゼキヤ王の例を見れば分かるように、例外的に御言葉をそのまま行なわれないこともあるのではないか。ヒゼキヤ王に告げられた預言が取り消されてそのまま実現されることがなかったように、再臨に関する預言も、その言葉通りに実現されることはなかったということではないのか。」確かに、神は死にかけていたヒゼキヤ王に『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』(イザヤ38章1節)と預言されたのにもかかわらず、この王の涙に動かされて預言を取り消し、そればかりでなくヒゼキヤの寿命を15年も増し加えられた。これは私たちが既に知っている通りのことである。しかし、この例外的なケースを、再臨の預言に当てはめることはできない。何故なら、神がヒゼキヤになされた死の預言とは、そもそも最初からヒゼキヤの寿命を延ばすという目的をもってなされたものだからである。神は、この預言を聞いたヒゼキヤが大声で泣くことを予知しておられ、その号泣のゆえに寿命を増し加えるという計画を行なわれるためにこそ、あえてこのような預言をされた。これはカルヴァンの「キリスト教綱要」で十全に解説されていることだから、私がこれ以上の説明をする必要はあるまい。キリストの再臨を告げた新約聖書の預言は、当然ながらヒゼキヤになされた預言と同じような性質を持ったものではない。後者のほうは最初から無効にされる意図をもってなされ、前者のほうは必ず実現される意図をもってなされた。それゆえ、ヒゼキヤの例を提示して、再臨の遅延を論証することはできない。もし再臨が今に至るまで遅延し続けているというのであれば、再臨に関する無数の聖句につけ足しをせねばならなくなり、聖書全体、特に新約聖書を歪めねばならなくなってしまう。そればかりでなく、神により聖なることを語った聖書記者たちを「偽証者」とせねばならなくなってしまう。果たして、神は、ご自身の御言葉をそのまま素直に受け入れようとしない者を喜ばれるであろうか。

(※)
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
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 臨が既に起きたというこのことを、私は、ジョナサン・エドワーズについて語ることによっても論証することにしたい。とはいっても、その論証は直接的な論証ではなく、あくまでも間接的な、すなわち遠回し的な論証である。つまり、実際にエドワーズが再臨は既に起きたと考えていたり、述べたりしたということではない。しかし、エドワーズについて私がここで語るならば、その語ることにより、間接的に再臨が既に起きたということが論証される結果となる。そのような間接的な論証ではあるが、私は、そのような間接的な論証によっても、読者が再臨について正しい理解を持てるようにしたい。何となれば、この作品は、再臨という事象を徹底的に考究し論述することを最大の目的の一つとしているのだから。まずジョナサン・エドワーズという人間であるが、彼は超一級の神学者であって、その学識と影響力は大変大きなものがあり、非常に恵まれた人であった。彼の有名な説教「神の怒れる御手の中にある羊」は、アメリカの公立学校の教科書にも採用されている。また彼はプリンストン大学の学長でもあった。正統的な信仰を持つプロテスタントの教師であれば、エドワーズを神学的な権威として認めない人は、恐らくほとんどいないはずである。エドワーズはあのスポルジョンも高く評価していた神学者であった。さて、この権威あるエドワーズがマタイ24章の箇所を、紀元66~70年におけるユダヤ戦争を預言した箇所だと理解していたということは、この再臨論にとって、また我々の再臨に対する理解にとって非常に大きな意味を持つ。エドワーズがマタイ24章の箇所をユダヤ戦争について言われた箇所だと理解していたということは、つまり彼が、マタイ24章は既に成就していることが書かれた箇所だと認識していたことを意味する(※)。何故なら、マタイ24章がユダヤ戦争のことを言ったものだとすれば、その箇所は既に実現していることになるからである。誰がこのことを疑うであろうか。ユダヤ戦争は既に過ぎ去った昔の出来事なのだ。エドワーズの『原罪論』第1部の第2章の箇所を見ると、彼が、マタイ24章およびマタイ24章との並行箇所であるルカ21章は、今から2千年前に起きたユダヤ戦争のことを言っていると理解していたことがよく分かる。後の箇所でも説明されるが、このユダヤ戦争の際には、エルサレムが徹底的に破壊されることになった。彼はこの「エルサレムの最後の破壊の出来事」について、こう述べている。「それは、ソドムやネブカドネザルの時代のエルサレムの破壊よりも、はるかに悲惨であり、より大きな神の怒りを証言する出来事であった。それはこの世の始まりから当時に至る歴史のなかで都市や人々に対して起こった最も悲惨な出来事であった。「マタイによる福音書」24章21節、「ルカによる福音書」21章22―23節に記されている通りである。…新約聖書では、キリストが弟子たちの保護のためになしたまう特別な配慮について記されている。すなわち、キリストは彼らにエルサレムの破壊が近づいたことを知らせる徴候を示し、都市の内部にいる者たちを山に逃れさせた。そして歴史が告げるように、その指示に従ったキリスト教徒たちは、ペラと呼ばれた山岳地に逃れて惨禍を免れたのであった。…」(『ジョナサン・エドワーズ選集3 原罪論』第1部 第2章 p145:新教出版社)この文章を見れば分かるように、明らかにエドワーズは、マタイ24章(およびルカ21章)がユダヤ戦争について記された箇所であったと理解していた。「キリストは彼らに…都市の内部にいる者たちを山に逃れさせた。」と書いてあるのは、マタイ24:16の『そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。』という御言葉と、ルカ21:21の『そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。』という御言葉のことを指している。もしマタイ24章がユダヤ戦争の時期のことを言ったものだと理解していなかったとすれば、エドワーズが、このような文章を書くことはなかったはずである。エドワーズが、マタイ24章をこのように理解していたのは、正しかった。何故なら、この箇所は確かにネロにより引き起こされウェスパシアヌスがティトゥスに遂行させたユダヤ戦争のことを述べている箇所だからである。今の時代の教師たちも、このマタイ24章がユダヤ戦争のことを言った箇所だと説明されると、それまではまだマタイ24章が実現していない箇所であると信じていたとしても、納得して「確かにそうだ。これはユダヤ戦争のことを書いたものだ。」などと言う。というのも、普通に考えれば、これはユダヤ戦争以外のことではないと分かるからである。さて、エドワーズがマタイ24章とはすなわちユダヤ戦争のことを述べた箇所だと理解していたということは、一体どういうことであろうか。彼のこの理解は、どういった意味を持っているのであろうか。それは、つまり、エドワーズが事実上、キリストの再臨はユダヤ戦争の時期に起きたと主張しているのも同然だということである。ここで驚きの念を抱かれる読者が多くいるかもしれないが、慌てないで、冷静に読み進めていただきたい。読者、ことに教職者である読者が反発するだろうことは、私には既に分かっている。しかし、冷静にならねば、本来であれば理解できることも理解できなくなってしまう。心における激しい情動が、理性の正しい働きを妨げてしまうからである。さて、どうしてエドワーズが事実上、マタイ24章に記されているユダヤ戦争の時期に再臨が起きたと主張していることになるかと言えば、それはマタイ24章の箇所で、キリストの再臨のことが述べられているからである。もしマタイ24章がユダヤ戦争のことを述べた箇所であり、その戦争が既に実現していると理解するのであれば、普通に考えて、その箇所に書かれている再臨もユダヤ戦争と共に実現したと考えなければいけない。マタイ24章に書かれているユダヤ戦争に関する史実的な記述だけが既に実現したと理解し、他方ではそこに書かれている再臨のことはまだ実現していないと理解するのは、明らかに普通ではない。それは論理的ではない。理性が正常に働いている人であれば、誰もこのことは疑わないはずである。もしマタイ24章の内容のうち、ユダヤ戦争について言われている部分は既に実現したが、再臨について言われている部分はまだ実現していないと理解する人がいたら、その人は愚か者とか精神障害者だと見做されても文句は言えない。言うまでもなく、マタイ24章が既に起きたユダヤ戦争のことを言っている箇所だと理解するのであれば、そこで語られている再臨のことも既に起きたと理解しなければいけない。もちろん、エドワーズは、意識的には再臨が既に起きたとは理解していなかった。それは彼の書いたものを読めば誰でも分かることである。彼は、他の無数の教師たちと同じように、まだキリストの再臨が起きていないと理解し、そのように語っている。しかしながら、マタイ24章が既に起きたユダヤ戦争のことを言った箇所だと考えるのであれば、それは再臨もユダヤ戦争の時期に起きたと考えていることを意味しているのである。この卓越した神学者であるエドワーズは、この問題について、大いに悩んだに違いない。「マタイ24章が既に起きたユダヤ戦争について言っているということは理解できるのだが、その箇所でキリストの再臨について書かれていることが何故なのか分からない、一体どうしてここで再臨が起こると書かれているのだろうか。ここでは再臨についてどのようなことが言われているのか。公同の信条も述べているように、まだ再臨は起きていないはずである。私はこの箇所をどのように解釈すべきなのか…。」このような神学的な思い煩いが、彼の心に多かれ少なかれ生じたであろうことは、決して疑えない。ロックに匹敵するほどの深遠性と思考力とを持ったこの神学者が、この問題に気付いていなかったということは、まったく考えられない話である。しかし、エドワーズの霊と精神に、再臨の真理が会得させられることは遂になかった。彼の時代には、まだ再臨の真理が、隠されていたからである。だから、エドワーズは思慮深い学者に相応しく、この件については何も語ることをしていない。すなわち、よく理解できていないのであえて堂々と語るという無謀を冒すことをせず、「判断停止」の選択をしたわけである。もし仮に筆者である私がエドワーズにこのことを教え説くことができていたとすれば、彼は最初のうちは驚いたり、怪しいと思ったり、反発したりするであろうが、徐々に納得していき、最終的には再臨が既に起きたと認めるに至っていたことであろう。というのも、マタイ24章の箇所がユダヤ戦争のことを述べた箇所だと理解するのであれば、その箇所に書かれている再臨もユダヤ戦争の時に起きたと理解しなければいけないということが、彼にはよく分かっただろうからである。エドワーズは御霊の人であり、洞察力と思考力に富んでいたから、確かにそのようになったに違いないと私は思う。もっとも、彼の生きた時代には、まだ私のような者は一人も世に起こされていなかったのであるが。というわけで、エドワーズは潜在的には、この『再臨論』に書かれている内容に同意する神学者である。実際には同意していないかもしれないが、「事実上」同意している。何故なら、マタイ24章がユダヤ戦争のことを述べているなどと言うのは、暗に「再臨はユダヤ戦争の時期に起きたのだ。」と言っていることになるからである。エドワーズ以外の教師また一般信徒においても、もしマタイ24章がユダヤ戦争のことを述べた箇所だと信じているのであれば、その人は潜在的な私の味方また賛同者である。その人も、暗に、また遠回し的に「再臨はユダヤ戦争の時期に起きた。」と言っているからである。読者は、このエドワーズを通しての間接的な論証からも、再臨が既に起きたということを理解すべきである。まだマタイ24章がユダヤ戦争のことを述べたと理解していない者は、まずそのことを理解するにようにせよ。そのことを理解したならば、そこに書かれている再臨の事象も、ユダヤ戦争と共に既に実現したのだと知れ。また、もし再臨が起きていないと考えるのであれば、再臨について語られているマタイ24章の箇所も、まだ起きていないと考えなければいけないが、そのように考えるとマタイ24章で記されているユダヤ戦争もまだ起きていないと考えなければいけなくなることに気付け。論理的に考えれば、マタイ24章の記述に関して、我々は次のうちの、どちらか一つしか選べない。すなわち、1.ユダヤ戦争は既に起きたから再臨も既に起きたと理解すること、2.ユダヤ戦争はまだ起きていないから再臨も既に起きていないと理解すること、の2つである。正しいのは言うまでもなく1のほうである。ユダヤ戦争と再臨というこの2つの出来事はマタイ24章の箇所で一緒に纏められて語られているのだから、ユダヤ戦争のほうは既に起きたが再臨はまだ起きていない、または再臨のほうは既に起きたがユダヤ戦争はまだ起きていない、などと考えることは絶対にできないのである。

(※)
私と対論したある牧師も、マタイ24章がユダヤ戦争のことを預言している箇所だと認めた。認めざるを得なかったのである。この箇所は、どう考えても明らかにユダヤ戦争の時期に起こる悲惨な出来事を預言した箇所だからである。オリゲネスも、マタイ24章がユダヤ戦争のことを預言した箇所だと理解していた。というのも、彼はマタイ24章の並行箇所であるルカ21章に書かれている文章が、エルサレム包囲について言われたことだと述べているからである。ルカ21章が既に起きたことを認めるのであれば、それと同じ内容が記されているマタイ24章も既に起きたと認めていることになるのは、誰でも分かることである。そのことについて彼はこう言っている。「ケルソスのユダヤ人は、イエスが自分に起こったすべてを予知していたことを信じないので、次のことも考慮してもらいたい。すなわちエルサレムがまだ存続しており、全ユダヤの崇拝がこの地で行なわれていたときに、ローマによってこの地に引き起こされた出来事をイエスがどのように予告したのか。というのも、確かにイエス自身に従った人々や聴衆が福音の教えを文書化せずに伝えたとか、イエスに関する文字で書かれた覚え書きを抜きにして、弟子たちのことを後代に残したとは言われていないからである。それらにおいては確かに、「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たなら、そのときその滅亡が近いことを知りなさい」(ルカ21・20)と記されている。そのときエルサレムを包囲し、封鎖し、封じ込める軍隊はなかった。すなわちそれが始まったのはネロがまだ統治していたときで、それはウェスパシアヌス帝の治世まで続いていた。そのむすこのティトゥスは、ヨセフスが記述しているように、キリストといわれるイエスの兄弟、義人ヤコブのゆえにイスラエルを滅ぼしたのだ。だが真相は、神のキリストなるイエスのゆえであったのだ。」(『キリスト教教父著作集8 オリゲネス3 ケルソス駁論Ⅰ』第2巻 13 p104:教文館)コーネリウス・ヴァン・ティルも、マタイ24章の出来事が紀元1世紀に実現すると理解していたように見える。何故なら、彼の書いた次の文章は、明らかにマタイ24章で言われている「荒らす者」からの逃避がすぐに実現すると理解していなければ書けないはずだからである。「週の終わりの日から初めの日への移行は、徐々になされた。イエスは明らかに、御自分に従う者たちが当分の間はユダヤ人の安息日を守ることを望んでおられた。「逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい」(マタイ24・20)。」(『ヴァン・ティルの「十戒」』第4戒 安息日 Eキリスト教の主の日 p118:いのちのことば社)
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 いてパウル・ティリッヒについても語ることにより、既に再臨が起きたということを論証したい。とはいっても、エドワーズの場合と同じで、これもまた間接的な論証となる。私が間接的であると言うのは、ティリッヒの言説から遠回し的に再臨が既に起きたという聖書の真理を論証することができるものの、当のティリッヒ自身は既に再臨が起きたと信じていないということである。しかし、たとえそのような論証ではあっても、私が述べた説をいくらかでも補強することにはなるから、私はここでその論証を臆せずにすることにしたい。そうすれば、ますます再臨の真理が豊かに論じられ、読者もそれだけ再臨の真理を理解しやすくなるのである。特に、ティリッヒを敬愛する先生方にとっては、ここで語られる論証は、強い説得力となるのではないかと思う(※)。なお、このティリッヒもエドワーズと同様に、著名であり影響力の強い学者である。さて、この著名な学者のことであるが、彼は、キリストの再臨が、初臨が起きてからあまり年月の経たない間に起こる出来事であると理解していた。つまり、ティリッヒは、使徒たちが再臨は「すぐに」起こると語ったことについて、それが文字通りの「すぐ」であると捉えていた。彼の「プロテスタンティズムにとってのカトリック教会の永続的意義」という論文の中では、次のように書かれている。「キリスト教の最初期以来、カトリシズムは漸次、使徒時代の非常な緊張感、すなわち、われわれはキリストの第一の来臨と第二の来臨のあいだの短いがしかし重要な時期を生きているのだという感情を排除してきた。」(『ティリッヒ著作集 第5巻 プロテスタント時代の終焉』p165~166:白水社)下線部に注目すべきである。この文章を見れば分かるが、ティリッヒは明らかに、使徒たちは再臨(第二の来臨)が初臨(第一の来臨)から長くない間に起こるのだと考えていたという理解を持っていた。というのは、この文章の中では、再臨と初臨の間の時間が「短い」と言われているからである。すなわち、彼は、他の多くの学者たちとは違って、再臨が初臨から数百年後、数千年後に起こる出来事であるとは考えていなかった。そうでなければ、再臨と初臨の間の時間を「短い」などと言うことはなかったはずである。彼が、このように再臨を捉えていたのは正しかった。というのは、聖書を時代背景やその語られた状況を考慮しつつ読むのであれば、初臨の次に起こるキリストの現われとしての再臨は、本当に文字通りに「すぐに」起こるとしか理解できないからである。確かにティリッヒの文章の中で言われているように、「初臨と再臨の間の時期は短い」。我々が日常生活において「すぐに」とか「短い間に」などと言う場合、それは文字通りのことを言っているのであって、そのように言うことで数百年後、数千年後を言い表わすことはほとんどない。通常の場合、「すぐに」とか「短い間に」という言葉は、数日か数カ月か2~3年ぐらいであり、長かったとしても30年ぐらいを意味するだけである。使徒たちが再臨について「すぐに起こる」などと教えたのも、それと同じであった。このようにティリッヒは、再臨が初臨に続いてすぐに起こると理解していたのではあるが、そのように聖書が教えているということ自体は信じていても、実際に使徒の時代に再臨が起きたということについては信じていなかった。彼には、再臨の真理を信じる恵みが注がれていなかったのである。彼は、再臨が初臨のすぐ後で起こると聖書には書かれているものの、実際に当時において再臨が本当に起きたとは信じれなかった。このように、この学者は、再臨がすぐに起こると聖書の中では語られているのにもかかわらず、それが既に起こったことだとは信じれなかったので、驚くべきことに、再臨を含めた終末の事柄が「神話」であると理解してしまった。だから、彼は自分が理解できず信じることのできなかった再臨と再臨にかかわる終末の事柄を純粋に解明することを拒み、それがキリスト教神学における重要な課題ではないと判断するに至った。このように彼が判断したのは彼に対して再臨の真理が隠されていたためであるから仕方がないといえば仕方がなかったかもしれないが、あまりにも愚かであり、批判されるべきことである。分からないから、また信じられないからといって、再臨にかかわる終末の事柄を神話化していいはずがどうしてあろうか。神が、聖書の中に神話を書かれるはずが、どうしてあろうか。確かなところ、この再臨の事柄こそが、現代のキリスト教神学における最も考究され解明されるべき事柄なのである。この盲目的な学者は、次のように言うことで、自分に再臨を理解する恵みが与えられていないことを自ら公にしている。「…ユダヤ的・原始キリスト教的な終末神話を弁護したり解明したりすることは、プロテスタント神学の課題ではない。むしろ次のように問うことがその課題である。すべての歴史的行為に内在している究極的な意味とは何であるのか。われわれはいかに時間を、そのなかに侵入してきた永遠の光のなかで解釈するのか。「時の終わり」を時間の一要素として、正しく、前方に向かっている、意味にあふれた、救済史的な時間の要素として見ることが大事である。」(同 プロテスタント的形成 p86)ここで読者は2つのことを知るべきである。すなわち、まず第一にティリッヒは再臨が初臨に続いてすぐに起こると考えていたということ、第二にそのように考えるのは聖書を正しく捉えることであるということ、この2つである。上に述べたようにティリッヒは再臨が使徒たちの時代に起きたと信じられなかったが、だからといって自分の考えを変えて、他の学者たちと同じように再臨は遥か後の時代に起こるべき出来事として記されたのだという見解を持つには至らなかった。何故なら、聖書は明らかに、再臨が使徒たちの時代に起こるものとして記しているからである。この理解を固持した点では、彼は正しかったと言える。多くの人の場合、聖書では再臨が使徒たちの時代に起こるものとして記されていると理解しても、実際に使徒たちの時代に再臨が起きたとは思えないので、考えを切り替えて、再臨はずっと後に起こるものとして記されたという既存の見解を持つに至る。ティリッヒよ、自分が終末の事柄を正しく理解できないからといって、それを神話として処理してしまうあなたは一体何様なのか。あなたは神の啓示を素直に信じることをせず、自分の理性を自分の判断基準とした。あなたは神を神とせず、自分を神としたのだ。だから、あなたには裁きとして惑わしの霊が送られ、その霊の惑わしにより、聖書の啓示を神話として考えるという罰が下されたのである。読者の方は、このティリッヒのようにならないように、よく注意してほしい。御言葉を素直に信じなければ、この学者のように裁きを受け、聖なる啓示を神話にまで引きずりおろすという致命的な愚を犯すことになりかねない。

(※)
私の場合、ティリッヒにはバルトや近代における他の学者と同様に、あまり首肯的な評価を持っていないが。
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  ころでアウグスティヌスは、再臨について触れられているヨハネの福音書21章の箇所で、どれだけ狼狽したことか。彼は、他の全ての教師たちと同じように再臨が未だに起きていないと考えており、まさか再臨が聖書に書いてある通りに本当に『すぐに』(黙示録22章20節)起こるなどとは想定することさえできなかったので(このように聖書に書いてある通りのことを信じないのは不信仰また不敬虔である)、福音書の中でキリストが「もしヨハネの生きている間に再臨が起きたとしたら」と言っておられるのを読んで、ひどく動揺してしまった。キリストは福音書の中で、ペテロがヨハネについて『主よ。この人はどうですか。』(21章21節)と言ったのに対して、次のように答えられた。『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。』(21章22節)アウグスティヌスは再臨が既に起きているなどとは夢にも思っていなかったので、このキリストの御言葉が、まったく意味不明に思えてしまった。この狼狽ぶりを確認したい人は、彼の『ヨハネ福音書講解説教』における21章の部分を見るといい。結局、彼はどうしてキリストがヨハネの生きている間に再臨が起こるかのように言われたのか―実際にはヨハネの時代に再臨が起こったのであるが―、理解できないままに終わった。これは、彼にとっては当然であったと言えるかもしれない。何故なら、まだ再臨の真理が隠されていた時代にあっては、神の摂理により、聖徒たちは再臨が既に起きたという考えを心の中に抱くことさえ禁じられていたからである。だから、アウグスティヌスは既に再臨が起きたということを想定することさえ出来なかった(※)。多くの教師たちは、自分にはまだ分からない事柄があれば、それを何も語らないでおくという選択をするのが常である。再臨に関する事柄においても、それは例外ではない。例えば、カルヴァンは黙示録がよく理解できなかったので、誰でも分かるような簡単なことを除けば、この文書に書いてあることに深く言及することはしなかったし、彼が新約聖書の中で註解書を書かなかったのはこの文書とヨハネの手紙ⅡとⅢだけであった。彼が黙示録の註解を書かなかった理由は不明とされているが、私から見れば、黙示録が分からなかったからであるのは間違いない。彼が黙示録の聖句を引用している文章を見ると、彼は黙示録について無知で盲目だったことが分かる。彼も他の無数の神学者たちと同様、その引用している黙示録の聖句が、誰でも容易に理解できるような簡単な聖句に留まっているのだ。私はそのような引用の背景に、いつも黙示録に対する無知の匂いを嗅ぎ取っている。ジョナサン・エドワーズも、マタイ24章が紀元1世紀のユダヤ戦争について預言した箇所であることを知っていたが、その中でどうして再臨のことが預言されているのかまったく理解できなかったので、あえてその謎―私のような者たちにとっては謎ではないが―に触れることはしなかった。しかし、この教父はといえば、分からないことがあればしっかりと分からないと告白し、分からないながらも様々な考察をしていることを多くの人に対して開陳し、分かるようになるために聴衆や読者に議論して答えを出してくれるようにと要請さえするほどであった。こういう教師は非常に珍しい。アウグスティヌスがこういう教師だったからこそ、我々は、彼がヨハネの福音書21書の箇所で狼狽していたことをその残された作品によって知ることが出来ているのである。だから、本当はもっと多くの人たちが、このヨハネの福音書21章の箇所で狼狽しているはずである。ただ、その人たちは、自分が狼狽していることをアウグスティヌスのように表に出さなかっただけに過ぎない。世の中には、恥ずかしかったり、引け目を感じたり、自分の権威が損なわれることを厭うなどといった理由により、分からない事柄については完全な沈黙を保つ人が多い。それゆえ、これを読んでいる読者の中にも、周りの人に言いはしないものの、どうしてこの21章の箇所でキリストがこのように言われたのか分からずに悩んだことのある教師や一般信徒が、多くいるはずである。だが、既に再臨が起きたと信じるのであれば、この箇所には何の違和感もなくなる。何故なら、キリストがこのようにヨハネが生きている間に再臨が起きることもあり得るという含みを持たせたことを言われたのは、本当に使徒の時代に再臨が起きることになっていたからである。この言葉を聞いた弟子たちは、キリストが言われたことに対して、何の違和感も持たなかったはずである。というのも、キリストはあらかじめ、ご自身の目の前に立っている人たちが生きている間に再臨が起こると言っておられたからである(マタイ16:28)。キリストがそのように言われたのだから、使徒の時代に再臨が起きるという考えが当時の弟子たちの間にあったのは疑えない。そのことを知っており、また信じている私のような者たちも、このキリストの言葉を読んでアウグスティヌスのように狼狽することはない。そもそも、今まで全ての教師たちがそう考えてきたように、再臨がキリストの時代から数百年、数千年経過しても起きていないというのであれば、キリストはペテロに対してこのようには言われなかったはずである。非常に長い時間が経過しても起きないような遥か未来の出来事を、あたかも自分の目の前にいる人間―ヨハネ―が生きている間に起こるかのように語るということほど、愚かなことが他にあるであろうか。読者は、ここまで説明されたように、再臨は既に起きたと信じるべきである。そうすれば、たった今見たこの福音書の箇所を読んでも、違和感を心に抱くことはなくなるであろう。

(※)
これはカルヴァンも同様である。彼の著書を読むと、再臨が既に起きたなどとは塵ほども思っていなかったことが分かる。恐らく頭の中に、そのような考えが一瞬だけでもよぎったことさえなかったことであろう。実際、彼の書いたヨハネ福音書の註解における21:22~23の箇所では、再臨について全く触れられてはいない。カルヴァンは自分には理解できない事柄は、分からないことでも堂々と告白するアウグスティヌスと違って完全に沈黙する人だったから、この箇所で何が言われているのか全く悟れていなかったことが分かる。というのも、もし少しでも悟れていれば、彼が多くの箇所でそうしているのと同様に、大胆に力強く語っていたことであろうから。だから、彼はこの箇所の註解では、自分の理解できる再臨以外の事柄を長々と語って、その場をやり過ごそうとしている。そのため、私は彼のこの箇所における註解を読んで「どうして再臨のことには何も触れようとしないのか?」と大いに思ったものである。だから、多くの教職者と同様に、彼も私の言っていることを聞いたら「きょとん」として思考が止まったことであろう。
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 それではどうなのか。全ての教会と全ての聖徒たちは、私がここまで述べたように、既に再臨が起きたと信じなければならないというのであろうか。その通りである。とはいっても、そのように信ぜよと命じるのは私ではない。命じるのは私ではなく「神とその御言葉」である。何故なら、御言葉は既に再臨が起きたと明瞭に教えているのであって、神は全ての教会と全ての聖徒たちに御言葉を信じるように命じておられるからである。

 このように聖書は再臨がもう実現されたと教えているのだから、「使徒信条」の再臨に関する部分は、我々においては誤りであるとせねばならない。この信条の制作年代がいつだったかということは別問題として、この信条における再臨の部分は、まだ再臨が起きていない時までは、誤りではなかった。しかし、再臨が起きてから後は、既に再臨が起きたのだから、この信条の述べる再臨の部分を我々に直接かかわりのあるものとすることはできなくなった。既に再臨が起きたのに、「かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。」と唱えるのは、理に適ったことではない。もちろん、この信条の再臨以外の部分は、我々においても正しいことを述べているとせねばならない。それらの部分は、まったく聖書的な内容だからである。なお、他の諸信条においても、再臨がまだ起きていないと述べている部分については間違っているとせねばならないが、これは言うまでもないことであろう。

 たった今、使徒信条について小さからぬ内容のことを述べたが、ここで使徒信条を部分的にではあったとしても否定しているのを読んだ読者の中で、「怪しい」などと感じる人は多いだろうと私は思う。何せ使徒信条と言えば、聖書に次ぐ権威を持った文書として教会の中で1500年以上も尊重されてきた文書である。そのような文書であれば、たとえその文書の中に誤りがあると理知的に説明されたとしても、多くの人たちが訝ったとしてもそれほど不思議ではないと言えるかもしれない。人間とは歴史や伝統に縛られやすい生き物だからである。しかし、読者は2つの点をよく弁えるべきである。まず一つ目は、私は使徒信条における再臨の箇所だけが間違っていると言っているということである。つまり、先にも述べたが私は再臨の箇所を除けば、使徒信条の内容にまったく同意している。しかも、本書を読めば分かるが、私には使徒信条の再臨の部分が誤っていると言えるだけの十分な理由を持っている。要するに、私は何の根拠もなしに信条の再臨の部分が誤っていると言っているわけではないのだ。二つ目は、使徒信条は聖書ではないということである。使徒信条はほとんど聖書同然の取り扱いを受けているが、これはあくまでも人間が作った文書に他ならない。人間が作った文書だからこそ、特にバプテスト派などがそうだが、あまりこの信条に心を傾けない教派また教会もあるわけである。これは、特に「信条ではなく聖書だ」と言う傾向を持つ教派また教会に多い。人間は神ではなく、誤りから完全に免れている人間などこの地上においては存在していない。だから、使徒信条の中で、再臨の部分だけが誤っていたとしても、それほど驚くには値しない。つまり、こういうことだ。神は御自身の御言葉だけが神聖視されるようにと、つまり使徒信条があたかも聖書でもあるかのように見做されないようにと、使徒信条の中に一つだけ誤謬が書かれることを望まれ実際にそのように取り計られたのである。もし使徒信条の中に一つも誤りが無かったとすれば、それは誤りが無いという点では聖書と一緒になってしまう。しかし、神は人間の作った文書が、聖書と肩を並べることをお望みではない。そうしたら、聖書からそれだけ輝きが失われてしまうからである。唯一無二であるからこそ、そこに大きな輝きが伴うのである。それだから、我々は使徒信条に誤謬が一つだけ含まれることが神の御心であったということを知るべきである。以上このように私は理知的に説明をしたのだから、使徒信条に誤りが含まれていると言われたからといって読者は問答無用で拒絶することをせず、シッカリと聖書に基づいて使徒信条の当該部分を吟味してほしいものである。私は御言葉に基づいて説明をしているのだ。そのような説明を果たして無視していいものであろうか。

 さて、ここまで書かれた文章を読んで、「もし再臨が既に起きたというのであれば再臨の証拠は存在するのか?もしあるとすればどのような証拠が?」などと思われる人が多くいるに違いないが、これについては第7章になるまで待ってほしい。今はまだこのことを論じないが、やがて7章になれば詳細に考察されるであろう。読者は、少なくとも今の段階では、この証拠の問題のことで心が落ち着かなくなったとしても、御言葉を疑うことはすべきではない。すなわち、証拠の問題は取りあえず隅に置いておき、御言葉が既に再臨は実現済みだと教えているということ自体は確かなこととすべきである。また後の箇所で述べることになるが、証拠も何も御言葉が既に再臨が起きたと我々に教えているのだから、御言葉に立つべき我々がどうして御言葉で言われていることを否定してよいであろうか。まだ証拠に関する説明を十全に聞いていないにもかかわらず、今の時点で速断してしまい、不十分な見解のまま再臨の真理を否定してしまうのは実に危険である。思慮ある者は、まずは私が後ほど説明する再臨の証拠についての論述をしっかりと読みたまえ。まだ説明を聞いていないのに、「再臨が既に起きたなどとは信じがたいことだ!」などと最終的な判断を下すのは無思慮も甚だしい。アウグスティヌスも言うように「これはとても深淵な問題であるがゆえに、決して結論を急いではならない。」(『アウグスティヌス著作集30 ペラギウス派駁論集(4)』ユリアヌス駁論 第6巻 第15章 45節 p397:教文館)のであって、ソロモンも言うように『急ぎ足の者はつまずく。』(箴言19章2節)のである。というわけで、再臨の証拠が気になる方は、そのことについて論じられる箇所が来るまで今しばらく待っていてほしい。

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3章 再臨の起きた年

 これまで見てきたように、再臨が既に起きたというのは聖書から明らかであるが、それでは再臨が起きたのは一体いつであろうか。すなわち、再臨の起きた正確な年代はいつであろうか。この重要極まりない疑問を聖書から解決することにしたい。

 説明に入る前に、まず読者の懸念を解決しておきたいと思う。多くの読者は、キリストが再臨の日は誰も知らないのだと言われた聖句を提示して、再臨の日を特定することなどできるのか?という疑問を持つことであろう。何か心配に思う人もいるはずである。確かにキリストは次のように再臨の日について言われた。『ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。』(マタイ24章36節)確かに、再臨が起きるまでは、父なる神以外には誰も再臨の日がいつなのか知ることはまったくできなかった。それは人としてのキリストでさえ例外ではなかった。しかし、これは再臨が起きるまでの期間についてのみ、そう言えることである。我々が聖句から見たように、間違いなく既に再臨は起きている。であれば、その再臨が起きた日を特定することは、神の恵みがあれば不可能ではないであろう。もし既に再臨があったのであれば、聖書的な考察により、神の恵みによって、その日を特定することが可能であると私は考える。多くの人たちが信じているように、いまだに再臨が起きていないというのであれば、再臨の日を特定することは誰にもできないと私も認める。しかし今や既に再臨は起きたのであるから、我々はその日がいつだったのか霊的に考究するべきではないか。もしその日が特定できたのであれば、それは我々にとって大きな喜びとなるに違いない。再臨の起きた時期を特定すると聞いて何か心配に思う人は、既に再臨は起きたのだという第2章で述べられたことを、もう一度よく心に留めていただきたい。

  々が再臨の起きた年を知るために注目せねばならない箇所の一つは、マタイ24章である。この箇所を考究すれば、完全とまではいえないものの、再臨の起きた年をある程度まで正確に知ることができる。まず第一に、今も多くの教会が注目しているこの箇所は、これから起こることが預言されている箇所ではない、ということを我々は知らねばならない。今もこの箇所は未来のことを言っている箇所だと思われているが、確かなところ、ここで言われているのは紀元66~70年に起きた第一次ユダヤ戦争とその戦争が始まるいくらか前に起きる出来事のことである。ここでキリストが言われたことを見ればすぐに、それは分かる。例えば主は『『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば』(マタイ24章15節)と言われたすぐ後で、次のように言われた。『そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。』(マタイ24章16~20節)主は、当時ユダヤにいたユダヤ人に苦難が襲い掛かるというので、その苦難から免れるために山へ逃げなさいと言われたのである。また、兵士らがユダヤの地を攻めるからこそ、家の中に入ったり、服を取りに戻ってはいけない、と言われたのである。何故なら、そんなことをしている余裕は、ローマ軍がユダヤを包囲した時にはまったくないからである。お分かりであろうか。主は、ユダヤ戦争における苦難について、ここで預言されたのであって、今の時代に生きる我々に対して、このように警告しておられるのではない。今の教会は、この箇所をまったく誤解しており、そのため自分たちに当然の報いを招いているが、ここではそのことには触れないでおきたい。この有名な戦争がどれだけ悲惨であったか知りたい者は、ヨセフスの「ユダヤ戦記」を読むべきである。この書を読めば、主が預言された苦難が一体どのようなものであったか、よく分かるであろう。この時には、多くのユダヤ人が殺され、キリスト者は迫害され、食糧不足のために母が幼子を煮て食べたり動物の糞や木の皮をさえも食べるほどであり、気の狂った者が現われ、最後には世界で最も有名な建築物であったエルサレム神殿が完全に滅ぼしつくされた。主が、この戦争における苦難を予告し警戒させるために、このような預言をされたと考えれば、この24章の箇所は我々にとって理解できない箇所ではなくなる。しかし、この箇所が2千年経過しても実現していない苦難を預言したものだとすれば―今の教会のほぼ全てはそのように理解している―、この箇所は我々にとって意味の分からない箇所となる。その場合、主は、2千年経っても起きない出来事について警戒するように、当時の人たちに色々と言われたことになるからである。「君たちの時代には決して起きない出来事ではあるが、しかし数千年以上経過してから起こる出来事であるから、そのことを思って、よく心構えをしたまえ。」などと言う人がいれば、一体誰がそのように言う人を信用するであろうか。ところが、今の教会は、事実上、主がこのように言ったことにしてしまっているのである。更に、マタイ24章がユダヤ戦争のことを預言しているという見解は、マタイ24:34の箇所からも論証できる。ここで主はこう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。』この箇所にある「時代」という言葉の原語は「γενεα」(※ゲネア)であり(※①)、これは「世代」という意味である。KJVでは「ジェネレーション」と訳されている(※②)。「世代」とは、どのような辞書を見ても、いかなる世の学者の説明を聞いても、例外なく「およそ30~40年」すなわち「生まれた子が大人になって子を産み始めるようになるぐらいの期間」という意味であるとされている。古代ギリシャの歴史家であるあのポリュビオス(前200-前118)も、そのように理解していた(『歴史』)。いつの時代であれ、これが数百年とか数千年といった長い期間であるとされることは、まずない。アウグスティヌスも、このゲネアという言葉について次のように言っている。「「代」をギリシア人はゲネアと言っている。これは一番短く考えると15年で終わるとされ、それは人が子孫を残すことのできる歳である。」(『アウグスティヌス著作集20/Ⅰ 詩篇註解(5)』詩篇104篇 p199:教文館)また、この言葉は新約聖書の中で15回使用されているが、どこの箇所でも「今のその時代」という意味合いで使用されている(マタイ12:39、45、16:4、17:17、24:34、マルコ8:12、38、9:19、13:30、ルカ9:41、11:29、30、21:32、使徒行伝13:36、ヘブル3:10※③)。これらの箇所を見ても分かるが、この「ゲネア」という言葉が、2千年以上も経過した時代を意味しているというのは絶対に有り得ない。これは、あくまでも「当時代」という意味である。だから、マタイ24:34の箇所では、1世代という意味で『時代』(ゲネア)と言われているとすべきである。1世代とは確かに『この時代』でなくて何であろうか。ということはつまり、こういうことになる。キリストがマタイ24章で預言された年は、恐らく紀元33年頃であろう。そうすると、ここで預言されている苦難は、「γενεα」後、つまりおよそ「30~40年」後に実現するということになる。ユダヤ戦争の時期は、紀元66~70年である。紀元33年に「30~40年」を加えると紀元63~73年となる。どうであろうか。このように考えると、本当に主が預言されたことが、主の言われたように、一世代(γενεα)経過する間に起きたことが分かるであろう。それゆえ、マタイ24章がユダヤ戦争についての預言でないと信じている者、またルターのようにこのマタイ24章が「最近の…時代」(『ルター著作集 第一集 4』修道誓願について 誓願は保たれるべきかどうかではなく、… p271:聖文舎)のことを預言した箇所であるなどと考えている者は、正しい考えに切り替えるのが望ましい。このような理解を前提としてこの24章の箇所を読むと、キリストの再臨の時期が、かなり具体的に分かるようになる。聖句から見ていこう。まず、主はエルサレム神殿を指し示した弟子たち(24:1)に対して、24:2の箇所でこう答えられた。『このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。』これは、すなわち、紀元70年に神殿が跡形もなくなることである。主がこのように答えられた後に、その答えを聞いていた弟子たちは、、主に次のような質問をした(24:3)。『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。』この質問からは、神殿崩壊の時期にこそ『あなたの来られる時』つまりキリストの再臨が実現するという理解を弟子が持っていたことが分かる。何故なら、この質問の中では、明らかに『そのようなこと』(※神殿崩壊)と『あなたの来られる時』(※再臨)という2つの事象の結びつきが認められるからである。つまり、この弟子は神殿が崩壊する時期にこそ再臨が起こるという理解を持っていたからこそ、このような質問をしたということである。このような弟子の再臨に対する理解を、主はまったく諌められなかったし、問題にもされなかった。それどころか、弟子のこの理解に沿う形で、4節目から『人に惑わされないように気をつけなさい。…』と返答をしておられる。もし弟子の再臨理解が間違っていたとすれば、主は弟子の質問に返答される前に、まずその理解を正しておられたに違いない。主は、弟子たちの理解に誤りがあった場合、その誤りを率直に正しておられたということを、私たちは既に福音書から知っている。要するに、キリスト御自身も、弟子と同じように、神殿崩壊の時期に再臨もまた起きると考えていたということになる。それでは、神殿の完全な滅亡をそのクライマックスとするユダヤ戦争が起きた時期はいつか。それは先にも書いたように紀元66~70年である。繰り返すが、弟子はこの時期にこそ『あなたの来られる時』(24章3節)が訪れると考えており、またそのように述べた。よって、キリストの再臨された年は、間違いなく紀元66~70年の間だったことになる。確かに主も、これから一世代の間に起きることを預言したマタイ24章の中で、ご自身が再臨されることを明瞭に述べているから(24:30)、この期間に再臨が起きたことは確かであるとせねばならない。しかしながら、今論じられた箇所であるマタイ24章だけしか考察しないと、再臨が紀元66~70年の間の「いつ」に起きたのかということまでは分からない。この箇所およびこの箇所と並行する箇所(ルカ21章、マルコ13章)から、再臨の起きた年をピンポイントで特定するのは非常に難しい。

(※①)
ビザンチン型写本による原文は以下の通り。
αμήν λέγω υμίν (οτι)※ ου μη παρελκή η γενεά αυτή ιώβ αν πάντα ταύτα γένηται
※()内の文はアレクサンドリア型にだけある言葉
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(※②)
Verily I say unto you, This generation shall not pass, till all these things be fulfilled.
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(※③)
しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。』(マタイ12章39節)

そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を7つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。』(マタイ12章45節)

悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。』(マタイ16章4節)

イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今のだ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。…』(マタイ17章17節)

まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。』(マタイ24章34節)

イエスは、心の中で深く嘆息して、こう言われた。「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。まことに、あなたがたに告げます。今の時代には、しるしは絶対に与えられません。」』(マルコ8章12節)

このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。』(マルコ8章38節)

イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰なだ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。…』(マルコ9章19節)

まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。』(マルコ13章30節)

イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今のだ。いつまであなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。…』(ルカ9章41節)

さて、群衆の数がふえて来ると、イエスは話し始められた。「この時代は悪い時代です。しるしを求めているが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。』(ルカ11章29節)

というのは、ヨナがニネベの人々のために、しるしとなったように、人の子がこの時代のために、しるしとなるからです。』(ルカ11章30節)

まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。』(ルカ21章32節)

ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。』(使徒行伝13章36節)

だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。』(ヘブル3章10節)
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 れでは、もっと正しく再臨の起きた年を特定することは可能なのであろうか。それは可能である。そのためには、我々は、Ⅱテサロニケ書の2章に出てくるあの『不法の人、すなわち滅びの子』(2章3節)に注目する必要がある。何故かといえば、この邪悪な人物は、パウロによれば主の再臨により殺されることになっているからである。パウロは、この不法の人が再臨によって死ぬだろうと述べているが、それは次のように書いてある通りである。『その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。』(Ⅱテサロニケ2章8節)(※①)確かにパウロが言うように不法の人は再臨により死ぬのであるから、再臨の時期をより正しく知りたいのであれば、この不法の人が誰なのかということを考えればよいことになる。すなわち、この不法の人が誰であるかを知り、その人物が死んだ年を知れるのであれば、その死んだ年から再臨の起きた年をかなり詳しく知ることができる。では一体この『不法の人』とは誰か。答えから先に言えば、この人物はかの有名な「ネロ」である。まずはこの『不法の人』が「ネロ」であるということから論証していきたい。論証抜きに断定するのは、このような作品や私のような教師にとっては、相応しくない態度だからである。まず我々が知っておくべきなのは、Ⅱテサロニケ書にでてくる『不法の人』とは、すなわち黙示録13章にでてくる「海から上ってきた一匹の獣」であるということである。一体どうしてこう言えるかといえば、それは、この2人(実際は同一人物であるが)に関して言われている記述の内容が、実によく似ているからである。まず第一に、Ⅱテサロニケ書のほうで、この邪悪な人物は非常に傲慢であり、神に敵対的な態度を取る者であると説明されている。すなわち次のように書いてある。『彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。』(Ⅱテサロニケ2章4節)このような性質があるということが、黙示録13章の獣に対しても言われている。この獣に関する黙示録の記述はこうである。『この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ…た。そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。』(黙示録13章5~6節)どちらの聖句でも、神に反抗的な高ぶった人物だと言われているのが分かる。次は第二の説明であるが、それは『不法の人』と「獣」が、どちらもサタンの働きかけを受けているということである。パウロは『不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、…』(Ⅱテサロニケ2章9節)と言っている。同様に黙示録13章の「獣」も、竜すなわちサタン(※②)の働きかけがあったと言われている。黙示録のほうでは次のように書いてある。『竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。…そこで、全地は驚いて、その獣に従い、そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また、彼らは獣をも拝んで、…』(黙示録13章3~4節)つまり、『不法の人』も「獣」も、どちらのほうもサタンの働きかけがなければ現われなかったということである。第三の説明、それは、どちらの人物も、キリストの再臨によって殺されると言われていることである。『不法の人』のほうについてはⅡテサロニケ2:8の箇所から既に確認した通りである。同じように、黙示録の「獣」も、再臨のキリストによって滅ぼされると言われている(※③)。次は第四の説明である。我々は、『不法の人』と「獣」が同一の人物であることを知れるために、『不法の人』がキリストの言われた『荒らす憎むべき者』(マタイ24章15節)でもあると知らなければいけない。この2つの存在は同一の人間である。というのは、どちらも、聖なる場所を愚かにも占拠すると言われているからである。すなわち、『不法の人』については『神の宮の中に座を設け』(Ⅱテサロニケ2章3節)と言われており、『荒らす憎むべき者』についても同じように『(荒らす憎むべき者が)聖なる所に立つのを見たならば』(マタイ24章15節)と言われている。これは、どちらも同じことを言ったものだと考えられる。よって、これでまず『不法の人』(Ⅱテサロニケ2章)=『荒らす憎むべき者』(マタイ24章)だということが分かったのではないかと思う。もしかしたらこの理解を疑う人がいるかもしれないから、念のためルターもⅡテサロニケ2章とマタイ24章で言われている邪悪な者は同一の人物だったと理解していたということを、補足として書いておきたい(『ルター著作集 第一集8』キリストの聖餐について p330:聖文舎)。このルターの理解は正しい理解であった。さて、キリストはマタイ24章においてダニエル書で預言されていた者のことを述べたのだが、この者には、ダニエル書によれば現われてから1290日の期間が用意されているという。ダニエル書にはこう書いてある。『常供のささげ物が除かれ、荒らす忌むべき者が据えられる時から1290日がある。』(ダニエル12章11節)「1290日」とは、すなわち約42ヶ月間である。この42ヶ月間が、黙示録13章の「獣」にも用意されていると、ヨハネは述べている(※黙示録13:5)。ヨハネがダニエル書の『荒らす憎むべき者』を黙示録13章の「獣」として書いたのは疑い得ない。だからこそ、どちらのほうでも同じ期間(1290日=42ヶ月)が書かれているのである。つまり、キリストとダニエルの述べた『荒らす憎むべき者』とは、黙示録13章の「獣」と同一の人物なのである。つい先ほど、『不法の人』とは「獣」であると説明された。要するに、聖書が教えているのは、『不法の人』=『』=『荒らす憎むべき者』だということである。さて、今までに述べた4つの説明から、Ⅱテサロニケの『不法の人』が、黙示録13章の「獣」であることがお分かりいただけたのではないかと思う。どちらからも傲慢な印象が感じられるのは、同一人物のことを言っているからに他ならない。次に我々は、この邪悪な者が本当にネロなのかどうか、ということを考察せねばならない。これは、さほど難しい問題ではない。何故なら、黙示録13:18の箇所を読み解くならば、この邪悪な者がネロだということが、すぐにも分かるからである。この箇所でヨハネは獣についてこう述べている。『ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は666である。』ヨハネはここで、獣には「666」の数字があると書いているが、正にネロこそがそれなのである。一体どういうことであろうか。まずネロ・カエサルというギリシャ語「Νερων Καισαρ」を、ヘブル語に置き換える。そうしてから次に、―ヘブル語のアルファベットにはそれぞれ数字が割り当てられているのだが―(※④)、このヘブル語に置き換えられたネロの名におけるアルファベットを、一つ一つその割り当てられた数字に変換する。その変換された数字は50、200、6、50、100、60、200であるが、これらの数字を合計するとヨハネの述べた「666」となる(※⑤)。ヨハネが、『思慮ある者』に獣の数字を数えよと命じたのは、もっともなことであったと言える。これは確かに『ここに知恵がある。』と言うべきことであって、思慮がない者には絶対に分からないだろうからである。しかし、思慮があれば、このようにネロの名を数えて「666」を把握できるのである。これで、黙示録13章の「獣」がネロだと分かったのではないかと思う。であれば、Ⅱテサロニケ2章にでてくる『不法の人』(=黙示録13章の獣)もこのネロだったということになる。この『不法の人』と「獣」また『荒らす憎むべき者』がネロだったというのは、このような詳しい考察を抜きに考えても、「なるほど」と思える解釈ではないかと私には感じられる。何せこの皇帝の暴虐と凶暴性は、2千年経った今ですら、語られたり注目されたりするほどのものだったのであるから。話を元に戻したい。私はこの箇所の冒頭の部分で、『不法の人』が死ぬ時期を知れば、再臨の時期をかなり正確に特定できると述べた。何故なら、繰り返しになるが、この者は再臨によってこそ殺されるとパウロが述べているからである。今この者が「ネロ」だと我々は知ったが、ネロが死んだのは紀元68年6月9日であった。スエトニウスはこう記している。「ネロは32歳の年(※68年)に、かつてオクタウィアを殺害したその日(※6月9日)に亡くなった。」(『ローマ皇帝伝(下)』第6巻 ネロ p197:岩波文庫)つまり、パウロによる聖句に基づいて考えれば、この日にネロは再臨のキリストにより殺されたことになる。よって、紀元68年6月9日になるまでには、キリストが再臨されていたというのは間違いない。すなわち、この日になった時には、再臨が確実に起きていた。パウロは『不法の人』であるネロが再臨の輝きにより殺され滅ぼされると述べたのだから(Ⅱテサロニケ2:8)、ネロの死んだこの日以降になっても再臨が起きていないというのは、絶対に考えられないことである。(※⑥)

(※①)
パウロは、この御言葉を明らかにイザヤ11:4の『くちびるの息で悪者を殺す。』という預言に基づいて述べている。
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(※②)
次の聖句を見れば分かるように、黙示録において「竜」とはサタンを意味している。『こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。』(黙示録12章9節)
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(※③)
また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。すると、獣は捕えられた。…そして、…硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。』(黙示録19章19~20節)
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(※④)
א‎ 1
ב‎ 2
ג‎ 3
ד‎ 4
ה‎ 5
ו‎ 6
ז‎ 7
ח‎ 8
ט‎ 9
י‎ 10
כ‎ 20
ל‎ 30
מ‎ 40
נ‎ 50
ס‎ 60
ע‎ 70
פ‎ 80
צ‎ 90
ק‎ 100
ר‎ 200
ש‎ 300
ת‎ 400
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(※⑤)

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(※⑥)
この註の箇所で、『不法の人』また「獣」また『荒らす憎むべき者』は、ネロ以外には考えられないということを書いておきたい。というのは、もしかしたら該当するのはネロ以外の人物ではないのか、と疑問に感じる方が必ずいるだろうからである。さて、まずネロ以外の候補として挙げられる者の筆頭はティトゥスであろう。彼は紀元70年にエルサレム神殿の至聖所の中に入ってローマの旗を打ち立てたのであるから、『神の宮の中に座を設け』(Ⅱテサロニケ2章3節)ると言われている不法の人であると思われる方も多いかもしれない。実際、私も以前はティトゥスこそが不法の人であると考えていた。しかし、彼は再臨が起きると言われた時期であるユダヤ戦争の時期には死んでいないし(彼が死んだのは81年である)、その名の中にも666は隠されていないと思われる。上で述べられたように、不法の人はユダヤ戦争の時期に再臨により殺されるのであって、またその名には666の数字が隠されているのだから、不法の人がティトゥスではないことは明らかである。同様の理由から、ネロにユダヤ鎮圧を命じられたウェスパシアヌスも不法の人ではありえない。また、この2人はエルサレムとその神殿を本心では破壊したいとは思っておらず―それはあまりにも素晴らしかったからである―、むしろ何度も何度もそれを救おうとしたのであって、仕方なく都と神殿の破壊を命じたに過ぎないということも考慮されるべきである。つまり、この2人は本質的に『荒らす憎むべき者』ではあり得ない。ティトゥスについて言えば、彼は次の言葉が示すように神殿を残したく願っていた。「たとえユダヤ人たちが聖所に登って戦いを仕かけてきても、予はこの男たちの代わりに生命なき物件に復讐するつもりはないし、どんなことがあってもこれほどの造営物を焼き払うつもりもない。それはローマ人の損害にもなる。聖所が残れば、帝国の飾りとなるからだ」(『ユダヤ戦記3』ⅤⅠ iv3:241 p060:ちくま学芸文庫)。それではドミティアヌスはどうか。彼は傲慢不遜にも「主にして神」(dominus et deus)と自称して(スエトニウス「ローマ皇帝伝」第8巻:13)、キリスト教徒を迫害したのだから、『自分こそ神であると宣言します。』(Ⅱテサロニケ2章3節)と言われている当の人物ではないかと思う人もいるであろう。しかし、彼もティトゥスと同様の理由から不法の人ではないとせねばならない。ガルバ、オト、ウッティリウスという3人の皇帝も違うと思われる。何故なら、このような「小物」に過ぎない皇帝のことをパウロやヨハネが述べたとは考えにくいからである。また不法の人には42ヶ月間活動する権威が与えられるが(※黙示録13:5)、この3人の在位期間はそれぞれ1年にも満たないから(ガルバ=7ヶ月6日、オト=5ヶ月1日、ウッティリウス=7ヶ月1日)、彼らは完全に候補から除外されるべきである。「臆病者で、自信のない人であった」(スエトニウス『ローマ皇帝伝(下)』第5巻 クラウディウス p120:岩波文庫)弱々しいクラウディウス帝は、問題外である。カリグラ(在位37―41)は、非常に凶悪であるという点で「不法の人」のイメージに合致しているが、時期的に早すぎるために除外されねばならない。カリグラの前の皇帝であるティベリウス(在位14―37)も同様である。また今まで教会がそう考えてきたように、不法の人がパウロの時代から数百年後また数千年後の時代に出てくる人物であると考えることもできない。宗教改革の時代には、ルターなどにより教皇こそ該当する人物だと思われていた。確かにルターは「聖パウロが、教皇を罪の人間、またはほろびの子(第二テサロニケ2・3)と名づけ、さらに、キリストが憎むべき者(マタイ24・15)、あらゆる罪とほろびの頭と名づけるのに、…」(『ルター著作集 第一集 4』大勅書に対するルターの弁明と根拠 第36 p126:聖文舎)と言っており、正に教皇こそパウロの語った邪悪な人物だと考えていた。昨今においてはヒトラーやEUの指導者がそうだと言われたこともある。このような推測はどれも問題外である。紀元1世紀に生きていたパウロは、Ⅱテサロニケ2章の箇所で『いま引きとめている者』(6節)が不法の人を『引きとめている』(7節)と述べているから、明らかに不法の人とはパウロと同時代の人物である。この引きとめている者とは当時の皇帝であったクラウディウス帝のことであって、彼が皇帝としてのネロの現れを引きとめているのであるが、もし不法の人が遥か未来の人物だとすれば、訳が分からなくなる。例えば世界政府の首長が「不法の人」だったとしよう。そうだとすると、その人物が、パウロの時代から、『いま引きとめている者』によって引きとめられていたというのであろうか。もしそうだとすると、その人物は今現在約2000歳だということになるが、こんなおかしなことを誰が真面目に考えるであろうか。またヒトラーが不法の人だったとして、ヒトラーがパウロの時代からある人物によって引きとめられていたというのであろうか。これも、あまりにも馬鹿らしい話である。パウロが当時の人間を念頭に置いているのは火を見るよりも明らかである。よって、「不法の人」が、パウロの時代に生きていた人たちが確認不可能な人物ではなかったことは明らかである。学識あるB・B・ウォーフィールドも、この邪悪な人物はパウロと同時代の人だったと述べている。このように考えると、やはり該当するのは「ネロ」以外には考えられないということが理解できるのではないかと思う。ちなみにオリゲネスは、『出エジプト記講話』(第6講話/1)で、この不法の人が「悪魔」だと言っているが、これはお話しにならない。誰がこのようなふざけた理解を受け入れられるであろうか。パウロはⅡテサロニケ2章の箇所で、明らかに不法の人がその名の通り「人」であって、しかもそれは『サタンの働きによ(り)』(9節)到来すると言っているのだから、どうしてこの存在が悪魔そのものであると言うのか私には理解できない。なお、知識と思考力があるうえ非常に鋭い人であれば、この『荒らす憎むべき者』とはあのシモンとヨアンネスのことではないかと疑問を持つかもしれない。というのも、この愚かな2人の不法者は神殿を荒らしに荒らし回ったからである。私はここでこの2人が『荒らす憎むべき者』ではないと言っておくが、これについては第4部の中で再び考察されることになるから、その時が来るまで待っていただきたい。ひとまず、ここでは『荒らす憎むべき者』がこの2人ではないとだけ知っていればそれで十分である。
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 て、ここで、たった今考察した「不法の人」と「反キリスト」における関係性をいくらか取り扱っておくことは、無益ではなかろう。やや横道に逸れる感はあるものの、しかし「不法の人」と関わりがあることであるから、聖徒たちの聖書に対する見識が更によくなるために、今ここでそのことを取り扱うことにしたい。流れを重視されたい方は、この挿入的な節を飛ばして読んでも何も問題はない。さて、今に至るまで教会は、この不法の人がすなわち「反キリスト」であると、ずっと語ってきた。今までどれだけ多くの教師たちが、語ってきたことであろうか。「不法の人こそ反キリストなのである」と。例えばスルピキウス・セウェルスは、不法の人が出てくるⅡテサロニケ2章の箇所を頭に置きつつ、反キリストの到来について次のように述べた。「多くの兄弟たちによれば、この頃東方でも、自分がヨハネであると自惚れる者が現れたと言われる。こうした偽りの預言者たちの出現を考えると、われわれは反キリストが今にも到来しようとしていると考えざるをえない。反キリストはすでにこれらの哀れな者たちに不法の秘密を働いているのである。」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』聖マルティヌス伝 第24章(3) p916:平凡社)ここでは明らかに「不法の人」=「反キリスト」という構図が彼の脳内にあるのが分かる。ウェストミンスター信仰告白25:6の箇所でも、やはりローマ教皇こそが「反キリスト」である「不法の人」だと書かれている(※①)。そこでは反キリストである教皇こそ「キリストと神に召されたすべてのものとにそむき」と書いてあり、これは間違いなく不法の人について言われているⅡテサロニケ2:4に基づいた文章だから(※②)、やはりこの有名な信仰告白でも「不法の人」=「反キリスト」という構図が見られることが分かる。カルヴァンも例外ではなく、Ⅱテサロニケ2章の箇所を念頭に置いて「ついに反キリストを御口の息によって討ち滅ぼし」(『キリスト教綱要 改訳版 第3篇』第3篇 第20章 第42節 p409:新教出版社)と言っている。彼の頭の中には、明らかに「反キリスト=不法の人」という認識があった。ルターも同様に教皇こそⅡテサロニケ2章で書かれている「不法の人」であって、また「反キリスト」(『後期スコラ神学批判文書集』『第1章 ラトムスの序文に対する回答』 p113 知泉学術叢書6)であると考えていた。神学書を読み慣れた人であれば、他の多くの教師たちも、不法の人こそ反キリストであると述べていることを知っているであろう。この不法の人がネロであるということは、既に説明されているから、ここで再び説明することはしない。問題なのは、今まで多くの教師たちが、この不法の人こそが正に反キリストであると語ってきたことである。それらの教師たちの頭には、「不法の人」=「反キリスト」という固定観念が、強力に根づいてしまっている。それは、あたかも反キリストであるのは不法の人だけだと言わんばかりである。要するに、今まで教師たちは、反キリストであるのはⅡテサロニケ2章に出てくる不法の人「一人」だけであると聞く者たちが感じてしまうかのように語ってきた。オリゲネスも「ケルソス駁論」の2巻50節目の箇所で、「ダニエル書からも反キリストに関する預言を引用することができる」(『キリスト教教父著作集8 オリゲネス3 ケルソス駁論Ⅰ』p137:教文館)と反キリストがあたかも特定の個人に過ぎない存在だと誤認させるような言い方をしている。しかし、確かなところ、この「反キリスト」という言葉は特定の一者を指すために存在している言葉ではない。それは、不特定多数の存在を指す普遍的な言葉である。例えば、この言葉は「インド人」とか「金持ち」などといった多くの人を纏めて指すために存在している言葉と同じである。それなのに、今まで教会は、この言葉が特定の邪悪な個人だけを指すためだけに存在しているかのような言葉として使ってきた。上で引用した文章の中で、セウェルスが「われわれは反キリストが今にも到来しようとしていると考えざるをえない。」と言っていた通りである。グレゴリウスも、「私は確信をもって言うが、普遍的祭司と自称し、あるいはそう呼ばれることを願う者は誰であれ、己れを他の人の上に立てる思い上がりの故に、その高ぶりによって反キリストの先駆となる」(皇帝マウリキウス宛 「書簡」第7巻 第30)と言っているが、これは明らかに邪悪な特定の個人だけを頭に思い浮かばせるかのような言い方である。聖書はこの「反キリスト」という言葉について、どのように言っているのか。ヨハネは、この言葉について次のように言っている。『小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。』(Ⅰヨハネ2章18節)『偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。』(同2章22節)『なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。』(Ⅱヨハネ7節)これらの聖句では難しいことは何も言われていない。つまり、反キリストとは、単に神の第二位格であられる御子が受肉して人となられたということを否定して退ける者たちのことだと、ヨハネは言っている。だから、もし子なる神が人として世に来られたことを否認しているのであれば、あの人も、この人も、どの人も例外なく歴とした反キリストなのである。具体的な例を見よう。ヒュームは無神論者であり、当然ながらキリストを否認していたから、彼は反キリストであった。イルミナティであったニーチェは、自分を手駒として使っていたユダヤ教徒たちの聖典である旧約聖書は首肯していたものの(『ツァラストゥスラかく語りき』を読めば一目瞭然である)、新約聖書は否定しており、当然ながらキリストを信じていなかった。だから彼も反キリストであった。実際、彼は『反キリスト』という生前には出版を避けたほどに有害な本を書いた。セックス・ピストルズのジョニー・ロットンは「アナーキー・イン・ザ・UK」という曲で、「アイ アム ア アンチキリスト」と軽快に歌っている。私は彼がキリスト教徒であるかどうか知らない。だが、このように歌うぐらいなのだから、恐らく彼も反キリストだったのであろう。エクストリームメタルの始祖的存在であるヴェノムというバンドは、「アンチキリスト」という名前の曲の中で「アンチキリスト」と大声で歌っている(※収録されているアルバムは「メタルブラック」)。このバンドのヴォーカリストであるクロノスは「単なるジョークだよ」と言っているが、このバンドの曲やイメージから察するに、彼はアンチキリストに違いないと思われる。キリスト教徒の多いイギリスにおいて、サタンの子供が「ジョークだよ」と言って聖なる者たちからの非難をかわそうとするのは当然である。もしアンチキリストでなければ、どうしてサタン的な曲を作ったり、邪悪なイメージを出すことに耐えられるのであろうか。もしヴェノムのメンバーがキリスト教徒であるとすれば、非常に驚きである。野良仕事をしている無名の農夫も、キリストを否んでいれば立派な反キリストである。このように大きい者から小さい者まで、世界は反キリストで満ちているのである。ヨハネも紀元1世紀の時点で既に『多くの反キリストが現われています。』と証言している。だから今まで教会が、「反キリスト」という言葉が不法の人だけを指す言葉であるかのように語ってきたのは、とんでもない誤りであった。確かに、Ⅱテサロニケ2章に出てくる不法の人も「反キリスト」であることには間違いない。しかし、この不法の人も、数多く存在している反キリストの一人に過ぎなかった。よって、今まで教会は誤解を抱かせるような使い方でこの「反キリスト」という言葉を使ってきたことになる。もし不法の人が反キリストであると言いたいのであれば、教師たちは次のような思慮深い言い方をすべきであった。「不法の人は間違いなく反キリストである。しかし、反キリストは他にも多く存在しているのであって、不法の人一者だけだというのではない。彼は反キリストの一人に過ぎないのだ。何故なら、反キリストとは、ヨハネも言っているように、キリストを告白せずに否認するあらゆる人間を指す言葉なのだから。」そもそも、不特定多数の存在を指す反キリストという言葉を不法の人という特定の個人に深く結び付けようとすること自体が、どうかしている。反キリストという言葉の意味を厳密に認識しないからこそ、このような誤りが犯された。古代にいた教師の誰かが、他の教師に先駆けてまずこの反キリストという言葉を不法の人に強力に結び付けて、「不法の人こそ反キリストだ。これからその反キリストが現われるのだ。今はまだ現われていないがその現われの時は迫っている。」などと誤解を招くような言い方をしたのであろう。そうして後、その言い方が他の多くの教師たちにも使われるようになり今日に至っている。もし今まで教師たちがこの反キリストという言葉を厳密に認識していたとすれば、私のように反キリストと不法の人を特定的に結びつけるようなことはしなかったはずである。実際、私は不法の人だけが反キリストであるかのように思えてしまうような言い方をしたことは今までに一度もないし、これからもそのような誤解を招く言い方はしないはずである。今や、誰も反キリストという言葉の釈義をしっかりとすることさえしていない。誰も彼も、ただ盲目的に「不法の人こそ反キリストなのだ。」などと思っているだけである。もししっかりと釈義をしていたら、今までおかしな言い方がされていたことにすぐにも気付いたはずである。このことを考えると、人間の持つ帯同性、慣れ、風習、慣用、常識といったものは実に恐ろしいと言わねばならない。多くの人が間違った行為をしていたとしても、それが間違いであることに誰も気付かなくなってしまうのである。超然とした見方をする者が鋭い指摘をして人々に気付かせない限り、そのようなおかしい状況が改善されることはない。それゆえ聖徒たちは、もう反キリストが不法の人だけを指しているかのように感じられる言い方をすべきではない。私は、聖徒たちに対して、不法の人がネロであるという理解を持つと共に、反キリストという言葉の意味を聖書からしっかりと認識するように要請したい。私が「不法の人」と「反キリスト」という言葉の関係性について語りたかったことは以上である。というわけで、一時的に話がやや横道に逸れてしまったから、再び話の内容を本線へと戻すことにしたい。

(※①)
「イエス・キリストの外に教会の首はなく、ローマの教皇もいかなる意味においても、その首ではあり得ず、彼こそキリストと神に召されたすべてのものとにそむき、教会において己れを高うする非キリストであり、不法の人、滅亡の子である。」(『新教セミナーブック4 信条集 後篇』p205:新教出版社)
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(※②)
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。
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 既になされた説明から、紀元68年6月9日というネロの死んだ日には、確実に再臨が起きていたことが確定したが、ここで問題が生じる。その問題とは、こういうものである。すなわち、キリストが再臨されたのは紀元68年6月9日なのであろうか、それともこの日よりもっと前の日に再臨があり、この日はただ空中におられる既に再臨されたキリストによってネロが殺された日に過ぎないものなのか、という問題である。この日に再臨があったということであれば、何も説明する必要はない。しかし、この日よりも前にキリストが再臨されていたというのは、いくらか説明が必要であろう。これは、つまり、ネロの命日以前にキリストが再臨しており、ネロの命日になるまでずっと空中に留まっていたということである。この場合、キリストは6月9日よりも前からずっと空中におられたが、ネロの命日が訪れた時にネロを死なせられた、ということになる。この問題を解決するためには、黙示録の19:11~20:6の箇所を見ればよい。この箇所は、19:11~21までがキリストの再臨とネロの滅亡を、20:1~6までがキリスト者における第一の復活を、書き記している。この箇所の内容における順序を示せば、①再臨、②ネロの滅亡、③第一の復活、ということになる。パウロによる御言葉によれば、再臨(①)から第一の復活(③)までの期間は一日以内、つまり同日中に起きたことが分かる。パウロの言った言葉を見てみよう。まず彼はある箇所でこう言っている。『主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。』(Ⅰテサロニケ4章16~17節)ここでパウロは、『神のラッパの響きのうちに』キリストが再臨されると、『キリストにある死者が、まず初めによみがえり』と述べている。つまり、黙示録19:11~21に書いてある再臨が起こると、それから後に黙示録20:1~6に書いてある「第一の復活」が起こるということである。パウロは別の箇所で、ラッパと共に起こる再臨(つまり①)と復活の出来事(つまり③)とは、ほぼ同時に起こると書いている。それはⅠコリント15:51~52の箇所である。パウロはここで当時の聖徒たちに次のように述べている。『聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。』確かにパウロは、ここで再臨のラッパが鳴ると『たちまち、一瞬のうちに』復活が起きると断言している。つい先ほど、まず再臨が起き(①)、次にネロが殺され(②)、そうしてから復活が起きる(③)ということを示した。そしてたった今、再臨が起きたら(①)即座に第一の復活が起きる(③)ということを、パウロの聖句から確認した。この2つの出来事(①と③)がほとんど同時に起きるのであれば、普通に考えれば誰でも分かるように、この2つの出来事にはさまれた出来事であるネロの死も(つまり②)、この2つの出来事とほとんど同時に起きるということになる。我々が黙示録19:11~20:6の箇所を実際に起きる順序通りに書かれたものだと理解するのであれば、私が今述べたように考えねばならない。①と③がほぼ同時に起きたのに、その中間に位置する②も同時に起きていないと考えることはできない。つまり、再臨もネロの死も第一の復活も、同日中に起きることが分かる。それゆえ、ネロの死んだその日に再臨があったことになるのだから、再臨の起きた日は紀元68年6月9日だったことになる。この日よりも前の日にキリストが再臨して空中にずっと留まっていたという考えは、以上の説明から斥けられねばならない。

 さて、ある千年王国論者たちは、再臨の起きた年が「紀元70年」だと主張しているが、今までの説明から分かるように、この主張はかなり良い線にまでは行っているもののいくらか正確さに欠けていると言わねばならない。我々は、再臨の起きた年を、これまで述べられたように「紀元68年」だとせねばならない。彼らは、再臨の正確な時期を厳密に考察するという恵みを神から受けていないと思われる。もし恵みを受けていれば、神から与えられたその恵みにより、緻密な考察をするよう導かれていたことであろう。私の場合、神の恵みにより、「再臨の起きた日をどうか教えてください。この日なのでしょうか。どうか正しく知ることができますように。」と祈った。そうしたら、私の思考がこの事柄のために動かされ、今述べたように再臨の起きた年と日とを知るに至らされたのである。神は、聖書のことを知りたい悟りたいという私の真摯な願いを、大きな恵みにより叶えてくださった。この神に私は感謝を捧げる。読者の中で、本当に再臨の起きた年を知りたいと思う者、またそのことを信じ受け入れたいと願う者は、私のように具体的に、しかも心から祈るべきであろう。そうすれば恵みの主が豊かに私たちに働きかけてくださるであろう。

 かし、ネロが再臨のキリストにより死に至らされたといっても、一体どのようにして殺されたのであろうか。確かにパウロはネロが再臨のキリストにより殺されると断言しているが、書き残された記録を見ると、ネロは剣で自殺することにより死んでいる。すなわち、元老院から「国家の敵」と呼ばれて逃げている際に、持っていた剣で自殺を試みたが死にきれなかったので、解放奴隷に剣で止めを刺すようにさせた。このような歴史の記録を見ると、はたして本当にネロが再臨のキリストにより滅ぼされたのかどうか、疑問に思われる方もいるに違いないと私は思う。しかし、ネロが再臨されたキリストにより死に至らされたということは疑えない。実に、ネロのこの死に方こそが、再臨のキリストによる殺し方だったのである。一体どういうことなのか説明したい。聖書の多くの箇所で言われているように、キリストは御言葉という剣(※①)を使われる方であり(※②)、この御言葉を振り回すことで戦ったり悪しき人間を死に至らせたりする方である(※③)。紀元68年6月9日に実際に再臨されたキリストは、この日に、逃げ回っていたネロに対してご自身の口から出ている御言葉の剣を強烈に突き刺された。その御言葉の剣とは次のようなものである。『人の血を流す者は、人によって、血を流される。』(創世記9章6節)『かりそめにも人を打ち殺す者は、必ず殺される。』(レビ記24章17節)『剣を取る者はみな剣で滅びます。』(マタイ26章52節)『剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。』(黙示録13章10節)この日に今挙げた御言葉をキリストがネロに真っ直ぐ突き刺したのである。つまり、このような御言葉がネロに裁きとして適用された。私は読者の方が霊の人であることを望んでいるが、御言葉を突き刺すとは、霊的に考えれば、すなわち御言葉が裁きとして適用されるということに他ならない。このために、今までに多くの人を剣で殺してきたネロは、裁きとして、御言葉で言われているように自分も剣で死ぬことになったわけである。確かに『人の血を流す者は、人によって、血を流される。』と書いてあるように、多くの人の血を流したネロは解放奴隷により血を流された。確かに『かりそめにも人を打ち殺す者は、必ず殺される。』と書いてあるように、かりそめにも人を殺したネロは裁きとして死に至らされた。確かに『剣を取る者はみな剣で滅びます。』と書いてあるように、剣を取って人殺しをしたネロは自分と解放奴隷の持つ剣で滅ぼされた。確かに『剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。』と書いてあるように、剣で何度も人を殺したネロは自分も剣で殺されることになった(※④)。それゆえ、このように考えるならば、本当にキリストは再臨された際に御言葉の剣によりネロを滅ぼされたことが分かる。もう一度言うが、御言葉の剣を刺して殺すということは、つまり御言葉を裁きとして適用させて死なせるということである。ネロは、そのようにしてキリストに殺された。まさか、実際にキリストが「御言葉」という文字の書いてある剣を口にくわえており、その口にくわえた剣を誰かに突き刺して殺される、というように想像する人はいないであろう。このように考えるのは、実に滑稽であり、肉的な理解をすることであり、キリストを愚弄することである。我々は聖書を霊的に解釈すべきであるから、自分が霊の人だと思う方は、私が今述べたような考え方をしなければいけない。私の推測では、恐らくローマ大火の罪をキリスト者になすりつけた際に、ネロは捕えられたキリスト者から、上に挙げた御言葉のどれかを明瞭に聞かされたのではないかと思う。「ネロよ。あなたは今まで多くの人を剣で殺したが、あなたもいずれきっとそのようにされるであろう。『人の血を流す者は、人によって、血を流される。』と神が言っておられる。」などと。これは十分に考えられる話である。そして、このようなことを聞かされたネロの脳裏に、御言葉が忘れ難いほど強く刻まれた。そうして後、ネロが死ぬ直前に脳内にこの御言葉が鳴り響き、それからネロが剣で死ぬことになった。その御言葉が鳴り響いたのは、再臨されたキリストが御言葉の剣をネロに対して振り回したからであった。とはいっても、実際にネロの脳にこの御言葉が鳴り響いていたのかどうかは分からない。これはあくまでも推測である。しかし、ネロの脳で御言葉が鳴り響いたとしてもそうではなかったとしても、再臨のキリストが御言葉の剣で突き刺す、つまり御言葉を裁きとして適用(執行と言ってもよいであろう)させることにより、ネロを滅ぼされたのは間違いない。このようにしてネロは再臨されたキリストの御言葉により殺されたのである。これは、ダニエル書に記されているネロ(※ダニエル書においては『荒らす忌むべき者』)の死に関する記述とも何ら矛盾していない(※⑤)

(※①)
パウロが書いているように、聖書において御言葉とは霊的な剣である。『また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。』(エペソ6章17節)
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(※②)
ヨハネはキリストの口から御言葉という剣が出ていると書いている。『それらの燭台の真中には、…人の子のような方が見えた。…また、…口からは鋭い両刃の剣が出ており、…』(黙示録1章13、16節)また黙示録の中では、キリストが『鋭い、両刃の剣を持つ方』(2章12節)とも言われている。
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(※③)
黙示録2:16におけるキリストの御言葉。『だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの剣をもって彼らと戦おう。』黙示録19:15。『この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。』黙示録19:21。『残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。』イザヤ66:16。『実に、主は…その剣ですべての肉なる者をさばく。主に刺し殺される者は多い。
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(※④)
この黙示録の御言葉は、恐らくネロの死に方を預言したものではないかと思われる。というのは、ネロについての説明が一通りされた最後の部分で、このように書かれているからである。実際、これはネロのことだと理解することが十分に可能であるし、ネロは本当にこの御言葉の通りになったのである。
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(※⑤)
このダニエル書によると、ネロには『さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。』(ダニエル7章26節)が、確かにネロにはキリストが裁きを行なわれ、その皇帝としての主権はガルバへと移され、ネロはその時に永遠に地から消え果て、滅ぼされることになったのである。またネロは『人手によらずに、彼は砕かれる。』(ダニエル8章25節)が、確かにネロは解放奴隷という他者の力を借りて死にはしたものの、その死は自殺の域を越え出るものではないから、人手によらずに砕かれたといえよう。またネロについては、『ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。』(ダニエル11章45節)とも書かれている。確かにネロが死ぬ時、彼を助ける者はまったくいなかった。このように見ると、再臨により自殺という裁きを受けたネロの死に様は、ダニエル書のネロに関する記述とよく調和することが分かるであろう。
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 こまで再臨の起きた正確な年を聖書から導き出し論証したが、再臨が紀元68年6月9日、すなわち紀元1世紀に起きたということは、偽典によっても証明できる。確かなところ、本来であれば、再臨という神聖な教義を正典ではなく偽典によって証明するというのは明らかに違法である。何故なら、教会で教えられる事柄は、正典によってこそ証明されるべきものだからである。もし正典に加えて偽典を信仰の拠り所とする教会があったとすれば、それは真の教会とは言い難い。真の教会であれば、ルターのように「聖書のみ」という姿勢を持っているからである。私も、当然ながら偽典を信仰の規範とするつもりは毛頭ない。そういうことは正しくない姿勢である。しかし、私が今しようとしているのは、既に正典から証明された事柄を、それが既に証明済みであるという確固な前提に基づいて、今度は偽典によって論じるということである。つまり、既に正典から証明済みである事柄を、偽典によって言わば追認するということである。こうするのであれば、偽典からも論じたとしても問題はないはずである。何故なら、私は偽典を規範としているのでもないし、まず第一に偽典から証明しようとしているのでもないからである。繰り返し言うが、私はそのようなことをするつもりはまったくない。私が今しようとしているのは、聖書から論じられた証明済みであることを、同じことを述べている偽典によって補強し、更に論証の力を増し加えようとしているに過ぎない。さて、再臨が紀元1世紀に起きたと示唆している偽典は、2つある。それは「アダムとエバの生涯」と「エチオピア語エノク書」である。一つずつ見ていくことにしたい。まずは「アダムとエバの生涯」という偽典である。この作品の中で、アダムは病気で死にかかっている。そして、その時、天使ミカエルが現われて、エデンにある命の木からアダムのために油を取りに行こうとしていたセツに対してこう言っている。「わたしはそなたに言う。5500年が満たされた終わりの日々でなければ、どんなことをしてもその(樹)から受け取ることはできないのである。その時になれば、きわめて愛すべき神の子キリストが、アダムの身体を復活させ、また彼とともに死者たちの身体を復活させるために、地上にやって来るであろう。」(『聖書外典偽典 別巻 補遺Ⅰ』アダムとエバの生涯42 p228 教文館)世界創世の年についての見解は人によってもかなり違うが(※①)、前5500年だとすることもできる。実際、世界創世の年をヨセフスは前5555年、ヘイルスは前5402年だったとしている。仮に世界が造られた年を前5500年だとすれば、再臨が起こるのは、この偽典によれば、世界が造られた年から5500年後の紀元1世紀だということになる。これは、聖書の教えと合致している。であれば、聖書の教えている再臨の起きた年は、この偽典によっても証明されることになる。次は「エチオピア語エノク書」である。この偽典は、ユダの引用したエノクの預言(ユダ14)が収められている文書である。この文書には、大洪水の時に罪を犯した悪しき御使いたちが審判の日まで暗やみの牢獄に繋がれる期間が、「70世代」だと言われている(※②)。1世代とは約30年であるから、70世代とは約2100年である。ノアの大洪水が起きたのは、いつか。それは、人や算出方法によってもいくらかの違いはあるが、だいたい前2100年頃である。終わりの審判が行なわれる日とは、キリストの再臨が起こる日に他ならない。つまり、この文書は、大洪水が起きてから2100年後に終わりの審判を伴う再臨が起こると言っている。その時、大洪水の元凶となったあの御使いたちが、裁かれることになった。これも「アダムとエバの生涯」と同じで聖書が教えている再臨の起きた年と異なることを言っているのではない。よって、聖書が教えている再臨の起きた年は、このエノク書からも論証できることになる。このエノク書からはあのユダさえも正典に引用しているほどなのだから、たとえ偽典であるとは言っても、その論証力はかなりのものではないかと私は思う。このように、この2つの偽典も、聖書が教えている通りのこと、すなわち再臨は紀元1世紀に起こるのだということを言っている。確かに、これは言うまでもないことだが、偽典自体として考えれば、そこには何の証明力も存在していない。それは正典ではなく信仰の規範たり得ないからである。しかし、正典の確かな教えを事後的に追認するという形であれば、偽典もそれなりの証明力を持つことになる。それは、聖書の教えていることをアウグスティヌスやその他の教父たち、また初代教会の長老たちの言った言葉によって事後的に追認するのと同じである。そのようなことであれば、今までに多くの人たちがしてきた。誤解を避けるために再び言うが、私は、聖書を隅に追いやり、まず偽典を基準として再臨の事柄について証明するということであれば、絶対にしていなかった。私は今、聖書で証明済みのことを更に証明するために、偽典を持ち出したに過ぎない。というわけで、再臨が紀元1世紀に起きたという聖書の教えは、このように正典に加えて偽典からも証明できるものなのだということを、読者の方は知っておいていただきたい。

(※①)
今までに持たれてきた見解を知りたい人は、この作品の【資料】を参照されたい。
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(※②)
この文書では、神がミカエルに対し、シェミハザをはじめとした堕落した天使たち―彼らは人間の女たちと交わり堕落の原因となった巨人たちを産んだとされている:創世記6章1~4節―が暗やみの獄に繋がれている期間が70世代だということを言っている。次のように書かれている通りである。「神はミカエルに言われた。「シェミハザとその同輩で女たちとぐるになり、ありとあらゆるけがらわしいことをして自堕落な生活をした者たちにふれよ。彼らの子孫が斬りむすんで果て、愛児の滅亡を見たら、彼らを70世代、彼らの審判と終末の日、永遠の審判が終了するまで、大地の丘の下につないでおけ。その日彼らは拷問の火の下をくぐらされ、永久に獄舎に閉じこめられるであろう。…」(『聖書外典偽典4 旧約偽典Ⅱ』エチオピア語エノク書 第10章11~13節 p180:教文館)
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 さて、以上の論述から、やはり再臨は初代教会の聖徒たちが生きている間に起こると確言したパウロの御言葉は、真実であったことがよく分かる。その御言葉とはⅠテサロニケ4:15のことである。この箇所は本作品のキーとなる、あまりにも重要な箇所だから、ぜひ聖徒たちは本作品を読むにあたり、この箇所を記憶しておいてもらいたいものである。パウロがⅠテサロニケ4:15の箇所で、自分たちが『生き残っている』間に、『主が再び来られる』と確言したことを、再び考察してみるとどうであろうか。パウロがこの第一の手紙を書いたのは、クラウディウス帝(41年1月24日―54年10月13日)の治世下においてであった。この手紙を受けた当時におけるテサロニケ教会にいるある聖徒の年齢が、40歳だったとしよう。上で見たように再臨が起きたのは紀元68年6月9日であった。そうるすと、パウロから手紙が送られた当時において40歳だった聖徒は、再臨が起きる時には、だいたい55~70歳の間だったことになる。55~70歳ぐらいであれば、平均寿命が短かった紀元1世紀であったとしても、十分に再臨が起こるまで生き延びることが可能である。手紙が送られた時に40歳だった人でさえ再臨の時まで生きていることが出来るのだから、40歳以下の人であれば、尚更のこと再臨の時まで生きていることが出来たはずである。例えば手紙が送られた時に20歳だった人であれば、まず間違いなく再臨の起きる紀元68年まで生きていたであろう。このように、再臨の起きた時が紀元68年6月9日だと分かると、本当にパウロの御言葉は真実なことを言っていたのであったということも同時に分かるようになる。聖徒たちは、私が述べたようにパウロの御言葉を解釈すべきである。何故なら、これこそが正しい解釈だからである。今の聖徒たちは、再臨はパウロの仲間たちが『生き残っている』間に起きたとは考えておらず、2000年経過しても未だに起きていないなどと平気で言っている。私は忠告するが、これでは永遠にパウロの御言葉を正しく理解できない。何故なら、パウロの時代に再臨が起きたと信じてこそ、この御言葉を正しく捉えることが可能になるからだ。今の聖徒たちは、パウロの言っている通りに御言葉を理解していないので、その当然の罰として、パウロが言っていることを正しく捉えることが出来ていないでいるが、それは自業自得であるから仕方がないと言えば仕方がないかもしれない。今の聖徒たちは、私が色々と再臨のことについて言っても耳を傾けようとはしないのだから。ちなみに、パウロが言った『主が再び来られる時まで生き残っている私たちが』という言葉は、パウロ自身には実現されなかった。すなわち、パウロは再臨が起こるまで『生き残っている』ことが出来なかった。何故なら、パウロはどうやらネロの大迫害(64~68)の際に殉教したようだからである。しかし、そうだったとしても何も問題はない。何故なら、パウロが「我々は主の再臨の時まで生きているであろう、テサロニケ人たちよ。」と言ったのは、あくまでも全体的なことであって、パウロ自身について特定的に言われたことではないからである。もしこれがパウロ自身について言われたことだとすれば大いに問題だったが、これはテサロニケ教会の聖徒たち全体について言われたことだから、パウロ自身は自分の言ったことから除外されてしまったとしても別に支障はなかった。

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4章 本当にすぐに起きた再臨

 臨が68年に起きたのだから、一体どうして聖書記者たちが速やかに再臨が起きると繰り返し述べたのか、もう読者にはお分かりであろう。すなわち、当時の聖徒たちにとって本当にすぐに再臨が起こるからこそ、速やかにキリストが来られると何度も言われたのである。ここでは、その例を3つ挙げたいと思う。一つ目。パウロはピリピ人たちに対して次のように言った。『あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。』(ピリピ4章5節)これは、主の再臨が近いのだから、キリスト者の寛容さを示すことで多くの人が救いに引き寄せられるようにと、また再臨の際には平安をもってキリストの御前に立てるような精神を持っているべきだということであろう。パウロがこの手紙を書いた時期を、厳密な検証などせず、伝承で言われている通りに61~62年だったとしよう。そうすると、6~7年後に再臨があったことになるから、本当に主の再臨が近かったということが分かる。(※私はここでパウロの言っていることが、詩篇145:18、119:151、34:18などの箇所で言われているように神の親近性についてだと捉える解釈があるのを知っているが、ここではそうではなく再臨の切迫性についてだと捉えていることに留意してほしい。これを神の親近性についてだと捉える人が教会の中には多いが、これをたとえ再臨の切迫性についてだと捉えても意味上の問題は何も生じない。)二つ目。ヤコブ書には次のように書かれている。『あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。』(5章8節)この巻を記したヤコブがどのヤコブかという検証はここでは隅に置いておき、これが仮に50年代に書かれたとする。そうすると、紀元68年にキリストが来られたのだから、20年以内に再臨があったことになり、本当に当時の聖徒たちにとって再臨が近かったことが分かる。三つ目。黙示録の中でキリストご自身が次のように、『アジヤにある7つの教会』(1章4節)にいる聖徒たちに言っておられる。『見よ。わたしはすぐに来る。』(22章7節)ヨハネが黙示録を書いたのは、カリグラ帝(37―41)の時であったから(※①)、再臨が起きるのはヨハネが黙示録を書いてから約30年後である。これも先の2つの例と同様で、本当にキリストはすぐに来られたということが分かるであろう。もし再臨が近くなかったのであれば、再臨が近いなどとは言われていなかったに違いない。しかし、ここで6~7年は問題ないとしても、20年や30年という期間は果たして「すぐに」と言えるのかという疑問を持つ方がおられるであろう。人によっても感覚が違うから、もしかしたら6~7年でも「すぐに」と言われることに疑問を抱く人も、もしかしたらいるかもしれない。私の見解としては、キリストの再臨までの期間が30年であれば「すぐに」と言われたとしても、まったく許容範囲内であると思われる。それが大きな出来事であればあるほど、日常では長いと思われる年数でも、短いとされる傾向がある。例えば、新しい服を買う場合、40年後まで待たなければいけないと言われたら、誰でも長いと感じるであろう。何故なら、服を買うという行為は、それほど大きな出来事ではないからである。しかし、これから世界が40年後にビッグクランチに転じると聞かされたら、どうであろうか。40年もしたら宇宙が収縮に転じ、全ての天体が宇宙の中心に向かって集められることになるのだから、誰でも「そんなに早く起こるのか」と思うはずである。これはビッグクランチという事象があまりにも大きな出来事だからである。我々が今考究している再臨はといえば、こんなにも偉大で注目すべき大きな出来事は他にないとさえ言えるほどの出来事である。この再臨の時には聖書が述べるように世界が改まるのだから(※②)、これはビッグクランチと同じぐらいか、もしくはそれ以上に重大な出来事であると言えよう。であれば、そのような重要極まりない出来事が30年後に起こるのだから、それは「すぐに」と言うべき期間である。30年では長過ぎると思われる方は、恐らく再臨という出来事の偉大性がよく分かっていないのではないか。つまり、再臨という出来事が服を買うぐらいの小さな出来事であると認識しているからこそ、30年という期間が長過ぎると思うのであろう。これが100年後とか1000年後とかであれば話はまだ分かるが、30年ぐらいであれば「すぐに」と言われるべき期間だとすべきである。何よりも、神の御霊が当時において再臨が起きるまでは近いのだ、と言っておられることを我々は忘れてはいけない。もしキリストの再臨が近いと言われているにもかかわらず「近くない」または「長過ぎる」と言うのであれば、その人は御霊に言い逆らうことになってしまう。

(※①)
このことについては後の箇所(第3部2章)で語られる。
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(※②)
既に我々が知っているように再臨の時にはキリストが栄光の座に着かれるが、その時こそ正に世が改まる時であるとキリストは述べておられる。それは、『世が改まって人の子が栄光の座に着く時、…』(マタイ19章28節)と書いてある通りである。次の御言葉からも、キリストが天から再臨される時こそ正に世界更新の時であるということが分かる。『このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。』(使徒行伝3章21節)この万物の改まりについて今は述べることをしないが、もし主の御心であれば、後ほど語られることになるであろう。
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 このようにキリストの再臨は本当にすぐに起きたわけだが、今に至るまでキリスト教では、再臨がすぐには起きていないと思うどころか、いまだに起きていないとすら信じられ続けてきた。これは誠に嘆かわしいことであったと言わねばならない。何故なら、教会は今まで聖書記者たちをおかしなことを言う者に仕立てあげてきたからである。もし再臨がいまだに起きていないとすれば、聖書記者たちは2千年経過しても起こらない再臨について「それはすぐにも起こることなのだ。」と述べたことになる。2千年経過しても起こらない出来事について「すぐに」とか「近い」などと語るのは、少し変わった人以外にはいないと思われる。再臨について誤解しているキリスト者であっても、もし自分の周りに、数千年経過しても起きないことを「すぐに起こる」などと述べている人がいたら、異常な人物だと認識するはずである。実にこのような認識を、今に至るまで教会は聖書記者たちに持って来たのである。いや、そういうことはない、と多くの人が言うかもしれない。確かにそういうことをしている意識はまったくないかもしれないが、無意識的に、また事実上、ほとんど全ての兄弟はそのようにしてしまっているのである。もし長い期間が経過しても起きないことをすぐに起きると言う人を異常だと思うのであれば、どうして聖書記者たちのことは異常と思わないのか。もし前者のほうが異常だとすれば、後者のほうも異常だということにならないであろうか。また、もし聖書記者たちが異常であると思わないのであれば、長い期間が経過しても起きないことをすぐに起きると言う人をも異常であると思うべきではない。前者が異常でないのであれば、後者も異常ではないからである。もし再臨が当時においてすぐに起きたと信じないというのであれば、その人は、前者と後者のどちらをも異常とするか、または異常ではないとするか、一貫性を持たせるべきであろう。どちらか一方だけを正しい、または異常であるとするのは、論理的な一貫性に欠けており、理に適っていない。いずれにせよ、今述べられたことからも分かるように、現今の教会が持つ再臨に対する理解は、まったく未熟な状態にある。聖書が再臨は近いと教えており、実際に再臨が本当にすぐにも起きたのに、それを信じておらず、それどころか聖書記者たちを異常なことを言う者に事実上仕立てあげ、しかもそのように仕立てあげていることに気付いてさえいない。ぜひ、聖書記者たちを「とんでもないことを言った者」に仕立て上げるのは、もう止めていただきたいものである。

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5章 宣教命令が成就してから起きる再臨

 タイ24章の箇所で、キリストは、世界中に福音の宣教がなされない限りは再臨が起こることはないと示しておられる。その箇所とは、マタイ24:14であり、そこにはこう書かれてある。『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』ここで言われている『終わりの日』とは、他の箇所では『かの日』(Ⅱテモテ4章8節)とか『主の日』(Ⅱテサロニケ2章3節)とか『報復の日』(ルカ21章22節)とか『その日』(Ⅰコリント3章13節)などと書かれており(※①)、つまり再臨が起きるある特定の1日のことを指している(※②)。だから、この日を『再臨の日』と言ったとしても誤りではない。要するに、上に挙げたマタイ24:14の箇所で、キリストは宣教命令(※③)が成就してから再臨が起こるのだと言っておられる。つまり、こういうことになる。もし宣教命令が成就したのであれば必ず再臨が起こり、もし再臨が起きたのであれば、その時には宣教命令は既に成就されている。宣教が世界中になされたのに再臨が起きないことは絶対にないし、再臨が起きたにもかかわらず、まだ宣教が世界中になされていないということも絶対にない。キリストの御言葉によれば、この「再臨」と「宣教命令の成就」という2つの事象はセットであり、切り離して考えることができないものなのである。

(※①)
旧約聖書の中でも『終わりの日』(イザヤ2章2節)、『万軍のヤハウェの日』(イザヤ2章12節)、『仇に復讐する復讐の日』(エレミヤ46章10節)、『わたしが事を行なう日』(マラキ4章3節)、『ヤハウェの大いなる恐ろしい日』(マラキ4章5節)などと書かれている。
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(※②)
これは「1日」すなわち24時間をその長さとする時間の区切りとしか理解できないと私はここで言っておきたい。何故なら、この日について言及されている箇所は、どれも1日の間に起こることしか書かれていないからである。単数形で言われていることからも、これは言える。これがもし2日以上であれば「日々」などと複数形で言われていただろうし、もっと長い期間であれば「月々」とか「年」などと言われていたに違いない。具体的には、これは第3章で説明した起源68年6月9日のことである。
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(※③)
全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』(マルコ16章15節)
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。』(マタイ28章19節)
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 はどうなのか。私は再臨が紀元1世紀に既に起きたと説明したが、それはつまり、既に宣教命令も成就したということを意味するのか。すなわち、当時において既に世界中に宣教がなされたとでもいうのか。これは正にその通りである。当時において既に宣教命令は完全に成就していた。「そんなことが本当にあったのだろうか…。」と思われる方もいるだろうが、これは私の自分勝手な理解ではなく、聖書がそのように教えているのである。例えば、パウロはコロサイ人にこう書いている。『この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあながたがに届いたのです。』(コロサイ1章6節)世界中で福音が実を結び広がり続けていたのだから、当時において既に福音が世界中に宣べ伝えられていたことになる。パウロはローマ人にも次のように述べた。『まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。』(ローマ1章8節)ローマ人の信仰とは、言うまでもなく福音に対する信仰のことである。よってローマ人の信仰を福音と切り離して考えることはまったくできない。そのような信仰が当時において既に『全世界に言い伝えられている』とパウロは明言しているのだから、パウロの時代に宣教命令が成就していたと考えても間違ってはいないであろう。マルコの箇所は更に明瞭である。そこでは、主が弟子たちに『すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』(16章15節)と命じられた後、この命令を受けた弟子たちが次のようにしたと書かれている。『そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。(別の追加分)さて、女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間の人々にさっそく知らせた。その後、イエスご自身、彼らによって、きよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで送り届けられた。』(マルコ16章20節および別の追加分)ここでは疑いもないほど明瞭に、キリストが弟子たちを通して福音を『東の果てから、西の果てまで』すなわち全世界に満ち広げられたと言われている。使徒行伝のある箇所からも、既に宣教命令は成就しているということを証明できる。そこでは昇天される前のキリストが使徒たちに次のように言っておられる。『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』(1章8節)ここで『わたしの証人となります。』とあるのは、つまりイエスがキリストであることを証明する福音の伝え人となるという意味である。主は、そのような者として使徒たちが『地の果てにまで』遣わされるであろうと、ここで言っておられる。実際、使徒の一人であるパウロは『それは私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。』(Ⅱテモテ4章17節)と書いているが、これはつまりキリストの御言葉が本当に使徒たちにおいて実現されていたことを意味している。であれば、確かに使徒たちの生きている時代に、もう全世界に福音は宣べ伝えられていたことになる。これで、読者はもうお分かりであろう。つまり、紀元68年6月9日までに宣教命令が成就されたからこそ、キリストが言われたように終わりの日が訪れ、再臨が起こったのである。もしこの日までに宣教命令が成就していなかったとすれば、終わりの日も再臨も起きてはいなかったであろう。私たちの理性がどう思おうとも、聖書の御言葉に基づいて考えれば、確かにそういうことになる。であれば確かに当時そういうことになったのである。というのも神の言葉には何の偽りもないからである。『あなたのみことばは真理です。』(ヨハネ17章17節)また『みことばのすべてはまことです。』(詩篇119篇160節)という聖句を聖徒の中で誰が疑うのであろうか。「信仰のみ」「聖書のみ」という原則に固執したルターも、私の述べたことをもし聞けたのであれば、それに同意したであろう。何故なら、私は今、まったく徹底的に聖書の御言葉に基づいた信仰的な説明をしたからである。ちなみに、既に世界中に福音が宣べ伝えられていたという点について、昔の多くの教師たちは正しく信じることができていた。アウグスティヌスをはじめ著名な教師の多くが、使徒たちにより既に福音が世界中に広まっていたと著書の中で書いている。彼らがこのように語ったのは当然であった。というのも御言葉がそう言っているからである。もっとも、彼らは再臨が既に起こったというほうの点については、正しい見解を持つことができていなかったのであるが(※)

(※)
これは例えばルターがその一人である。彼はこう書いている。「ペトロが、ペンテコステの日、初めての説教をエルサレムで行ったとき、人々は聖霊を受けた後、喜んでみことばを受け入れ、「およそ三千人が洗礼を受けた」と、ルカは使徒言行録第二章で言っている。その後、エルサレムでは使徒の説教により、それよりはるかに多くの人々が回心し、その信仰は、エルサレム市外にも、国内では言うまでもなく、ローマ帝国の他の地方、ペルシアやその他の地域にも、世界中あちらこちらに広められ、また、使徒やその弟子たちの説教によりこちらまで伝えられた。」(『ルター著作集 第二集6 ヨハネ福音書第1章・第2章説教』第五説教 第1章(10―12)p128:LITHON)アウグスティヌスも「使徒たちはキリストの復活を諸々の国民に告げ知らせました。」(『アウグスティヌス著作集21 共観福音書説教(1)』説教51 3 p16:教文館)とか「(既に)福音が地の果てにいたるまで広められている」(『アウグスティヌス著作集29 ペラギウス派駁論集(3)』ペラギウス派の2書簡駁論 第3巻 第4章 第9節 p384:教文館)などと言っている。彼も聖書が述べている通りに、既に福音が使徒により世界中に告げ知らされていたという正しい理解を持っていたのである。エウセビオスも、既に福音は世界中に、しかも短期間の間に宣教されたと信じていた。彼はこう言っている。「それゆえ福音は、異邦人への証しのために短期間に全世界に宣べ伝えられ、ギリシア人も非ギリシア人もイエスについての書を祖国の文字、祖国の言語に翻訳したのである。」(『中世原典思想集成1 初期ギリシア教父』福音の論証 第3巻 第7章(15) p759:平凡社)彼は他の箇所でも、キリストの弟子たちが「かくも短い時間に全地を巡り行き、あらゆる場所を世の救い主に関する尊い教えで満たした」(同 第3巻 第1章(4) p705:平凡社)と言っている。オリゲネスも同様に、既に福音は世界中に宣教されていたと考えていた。彼はこう言っている。「また、イエスによって語られたことに即してイエス・キリストの福音が、「天が下に存在する<すべての被造物>に」(コロ1・23)、「ギリシア人にも非ギリシア人にも、知者にも無知な者にも」(ロマ1・14)既に宣べ伝えられていることを考慮するならば、驚嘆せずにおられるだろうか。というのも、力をもって語られた御言葉はすべての人類を打ち負かしたので、イエスの教えを受け取ることを免れている人類を見ることはできないからである。」(『キリスト教教父著作集8 オリゲネス3 ケルソス駁論Ⅰ』第2巻 13 p103:教文館)カルヴァンも、使徒により福音が全世界に宣教されたと考えていた。彼は使徒の職務を論じる箇所で次のように言っている。「使徒の機能は、「行って全ての被造物に福音を宣べ伝えよ」との命令によって明らかである(マルコ16・15)。彼らには一定の境域が定められず、全世界をキリストへの服従に帰せしめるように指定されたので、彼らは至る所で福音を広め、御国を建てることができた。そこでパウロは自分が使徒であることを証明しようとした時、自分はどこか一つの町をキリストのために得たと言わず、遠くまた広く福音を宣伝したことを強調し、他の人の据えた基礎の上には手を加えず、主の名が聞かれなかった所に教会を植え付けたと言う(ローマ15:19、20)。したがって、世界を神に対する背反から真の服従へと立ち返らせた使徒は、派遣されて福音の説教によって至る所に神の支配を打ち建てたのであり、もしそう言いたければ、全地に教会の基礎を据えた教会の最初の建築師のようなものである。」(『キリスト教綱要 改訳版 第4篇』第4篇 第3章 第4節 p58:新教出版社)また彼はコロサイ1:5の註解でも、既に福音が「この世のすべての国に広が」(『新約聖書註解ⅩⅠ ピリピ・コロサイ・テサロニケ書』p96:新教出版社)っていると言っている。コロサイ1:23の註解でも同様のことが言われている。既に福音が全世界に宣教されたと考える点で、昔の優秀な教師たちは何と一致していることか。
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 上のような聖書からの説明を聞いても、紀元1世紀の時に福音が世界中に宣べ伝えられていたということを理解できず、信じることもできない者がいるはずである。このような者は聞く耳を持っておらず、聖書が明白に紀元1世紀に福音が全世界に伝えられていたと述べているにもかかわらず、「でも福音はまだ全ての場所に伝えられていませんよね?」などと平気で口にする。このような者は、神が言われたことよりも、自分の思いのほうを優先させている。彼にとって御言葉は権威でも何でもなく、自分の思いこそが最高の権威である。だからこそ御言葉ではなく自分の思いのほうにこそ立脚するわけである。このような者は教会から出て行けばよい。何故なら、教会とは御言葉を最高の権威とする者たちの集まりだからである。もし教会に居続けたいのであれば、悔い改めて神の言葉に立脚せねばならない。我々神の民である者たちは、御言葉で言われているように、既に福音は使徒の時代に全世界に言い広められていたと信じなければいけない。そうしないのは、自分が聖書を信じない者であり、不敬虔な者であり、理性をこそ神とする者だということを暗に周りの者に告白しているのも等しい。しかし、御言葉を理解しがたいと感じる不信仰な方が御言葉を受け入れられるようになる可能性を高めるのために、いくらかの説明を試みることにしたい。もし御言葉で言われていることが理解しがたいと感じられたならば、その人は現代の世界を定規として古代の世界を考察するということをせず、今の世界に関する意識を捨て、ただ古代の世界だけを直視してみるといい。というのは、その人は古代を現代というフィルターを通じて見ている可能性が高いからである。つまり、古代が現代と同じような状態だと知らず知らずのうちに認識しているからこそ、聖書で言われている古代のことがよく理解できない。使徒たちの生きていた古代がどういった時代だったかといえば、まだ世界人口が3億人ぐらいしかなかった(※①)。また当時の人たちは、ニーチェにより「神は死んだ」などとされた無神論的な現代とは違い、非常に有神論的であった。更に当時の使徒たちやその他の弟子たちには奇跡や不思議な業を行なう力が与えられており(※②)、死者を生き返らせたり、瞬間移動をした者さえいた(※③)。このような古代の状態を知るならば、今とはかなり違う時代だったということが分かるのではないかと思う。さて、古代はまだ3億人しか人間がいなかったのであるから、宣教命令が出された紀元33年頃から再臨の起こる68年までの35年間があれば、世界中の全ての人たちに伝道をするのは十分に可能だったであろう。使徒のトマスなどはインドにまで宣教に行ったと伝えられているし(※④)、12使徒以外にも福音を伝える者は多くいたのである。しかも当時の弟子たちは、今とは違って非常に純粋で熱烈な信仰を持っていた。これが現代のように70億人の人口であったのであれば話は別だっただろうが、たったの3億人ぐらいであれば、35年以内で宣教命令が成就されたとしても何も不思議なことではない。また当時の人たちは有神論的な人ばかりであって、今とは違って無神論者はほとんどいなかったのだから、伝道がしやすく、多くの人たちが信じやすく、その信仰が連鎖的に伝播しやすい状況であったと推測できる。古代は、あまり信仰的な傾向がない現代とは、かなり違う宗教性が多くの民族のうちにあったのである。また当時の弟子たちが素晴らしい奇跡により福音の御言葉を確証できたという点も考慮せねばならない。そのようにして弟子たちが奇跡という徴と共に伝道をしたのであれば、話題になり、多くの人がキリストを信じ、すぐにも福音が普及するといった効果が生じたであろうことは想像に難くない。今の時代の人でも、もし目の前で復活の奇跡が行なわれるのを見せられたならば、実に多くの人が信仰に入るであろう。つまり我々は、当時の福音宣教において、『主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた』(マルコ16章20節)ということをよく弁えるべきである。当時は、御言葉に奇跡という徴が伴うことの珍な現代とは、状況がかなり違っていたのである。更にピリポの例が示すように使徒たちは瞬間移動もできたのだから、移動の難しさも、それほど問題にはならなかっただろうと思われる。もし神が働かれたならば、使徒はヨーロッパからアメリカ大陸にさえも移動することができたのである。このような奇跡や超自然的な現象が当時にはあったのだから、福音が世界中で実を結び広がり続けているというパウロの言葉は、正に真実であったと我々は信じなければならない。このように、奇跡などがほとんど見られなくなった現代とは、かなり異なった状態が古代にはあったのである。どうであろうか。このように古代を現代の状況に当てはめて考えるということをせず、徹底的に古代という時代の状況を直視して考察するのであれば、御言葉で言われていることが理解しがたいと感じた人も、少しは御言葉が真実なことを言っているということが分からないであろうか。このような説明を聞いて「確かに再臨の起こる条件である宣教命令の成就は既に使徒の時代において実現していたのだ。」と分かるようになれば、それでよい。しかし、今書かれたことを読んでも、まだ「既に世界中に宣教がなされたなどとは信じがたい話だ。」などと思うのであれば、もはや手のうちようがない。その人は、御霊を受けておらず、真の信仰を持っておらず、そのために聖書の明瞭な証言を受け入れられないのだと考えられる。そのような者については、放っておく以外にはない。キリストも御言葉が分からないパリサイ人たちについて『彼らのことは放っておきなさい。』(マタイ15章14節)と言われたのである。

(※①)
様々な研究者による紀元1年の世界人口における推測値は以下の通りである。
3億(Haub, Carl, 2007, "2007 World Population Data Sheet)
3億(国連経済社会局(United Nations Department of Economic and Social Affairs)―2006)
2億3082万(Angus Maddison, 2003, "World Economy: Historical Statistics", Vol. 2, OECD, Paris)
2億5500万(Jean-Noel Biraben, 1980, "An Essay Concerning Mankind's Evolution", Population, Selected Papers, Vol. 4, pp. 1~13.―1980)
1億7000万(Colin McEvedy and Richard Jones, 1978, "Atlas of World Population History," Facts on File, New York)
2億(Ralph Thomlinson, 1975, "Demographic Problems: Controversy over population control," 2nd Ed., Dickenson Publishing Company, Ecino, CA)
2億7000万~3億3000万(John D. Durand, 1974, "Historical Estimates of World Population: An Evaluation," University of Pennsylvania, Population Center, Analytical and Technical Reports, Number 10.)
■引用元:ウィキペディア「世界人口」―世界人口推定・予測値(https://ja.wikipedia.org/wiki/世界人口#世界人口推定・予測値
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(※②)
キリストの言われた通り、当時の弟子たちには素晴らしいことをする力が与えられていた。『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの何よって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』(マルコ16章17~18節)とマルコが記している通りである。確かにルカが記しているように、パウロは病人を癒すという奇跡をキリストの恵みにより行なっていたのである。使徒行伝28:8~9。『たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。
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(※③)
これは使徒ピリポのことである。ルカは、ピリポが宦官にバプテスマを授けた後で御霊により連れ去られたので見えなくなった、と書いている。使徒行伝8:39~40。『そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。水から上がってきたとき、主の霊がピリポを連れ去れたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。それからピリポはアゾトに現われ、…
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(※④)
これは外典の「トマス行伝」による。この外典では、トマスがキリストに売られてインドに行かされたと書かれている。もっとも、私はこの外典の内容を、実話だと見ていない。何故なら、この外典ではトマスの言っていることが聖書的ではないからである。もしこれが本物のトマスであればパウロのように配偶者とは離別すべきではないと言ったであろうが(Ⅰコリント7章)、ここでのトマスは信者になった者を配偶者から引き離している。これは恐らく2~3世紀頃の禁欲的なキリスト者が創作したものだと思われる。もちろん、この外典を考慮しなくても、トマスがインドやインド以東の地域に行った可能性は十分にあるが。
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 さて、それでは再臨が既に起きて宣教命令も成就しているのであれば、もはや教会は宣教をする必要がないのであろうか。そのようなことは絶対にない。何故なら、福音を世界中の人に宣べ伝えて弟子が増えるようにするというのは、地上に生きる聖徒たちに対する神の永遠の御心だからである。このようなことは少し考えればすぐにも分かることではないかと私には思われる。今の時代にも、永遠の昔から救われるようにと定められている人が、世界のどこかに必ず存在している。そのような人たちがキリストの救いを受けるようになるためにも伝道がなされなければならない、というのは火を見るよりも明らかであろう。これを読んでいる聖徒たちも筆者である私も、そのようにして伝道がなされたからこそ、キリストの救いを受けるように導かれたはずである。我々は、もし全く伝道が行なわれなかったとすれば、恐らく救われていなかったかもしれない。このことから考えても分かると思うが、もし全く伝道がなされるべきでないとすれば、誰も救われることができなくなってしまう。聖霊を受けた者であれば、こんなことにはとてもではないが我慢できないはずである。それは、聖霊を受けた者であれば、必ず、大いに伝道がなされて弟子が増えるようになるのを願うだろうからである。もし再臨が既に起きて宣教命令も成就しているからというので、宣教がなされるべきでないとすれば、信徒が減り、教会が衰退し、キリスト教が滅亡することになる。このようなことは明らかに神の喜ばれることではない。それゆえ、再臨が起きたがゆえに宣教はもはやする必要がなくなったなどと考えるのは、愚の骨頂であると言わねばならない。

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6章 実際の身体をもって再臨されたキリスト

 から2千年前にキリストが再臨された際、その再臨の様子は一体どのようなものだったのであろうか。その様子は、何か幻想的なものではなく、単なる概念上のものでもなく、実際的なものであった。すなわち、物理的な肉体をもって復活されたキリストが(※①)、その物理的な肉体を有したまま天からおいでになられた。つまり、もし再臨されて空中におられるキリストの御身体に触れることができたとすれば、我々が誰かの身体に触った際に物理的な感触を感じるように、物理的な感触を感じることができた。これは疑えないことである。というのは、使徒行伝を見ると、そのように考える以外にはないからである。ルカは聖書のこの巻でこう書いている。『こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上がって行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」』(1章9~11節)キリストはこの時、物理的な肉体を持ちながら天に上げられた。それゆえ、御使いの言葉から分かるように、再臨される時も物理的な肉体を持ちながら天から降りて来られたことになる。紀元68年6月9日に生きていたキリストの弟子たちは、この光景を、自分の目でまざまざと見たであろう(※マタイ16:28)。大祭司カヤパ、律法学者、長老たちも、キリストの再臨を目撃したはずである(※マタイ26:64)。キリストを槍で刺した兵士も、同じように再臨を見ただろうことは疑えない(※黙示録1:7)。他にも多くの人たちが、この日に、キリストの再臨を見たはずである。何故なら、御言葉にそう書いてあるからであり、御言葉を素直に信じるならば(※②)、そのようになったと理解せねばならないからである。しかし、世の中には、再臨が紀元1世紀に起こったことは信じても、その再臨が実際的なものだっとは考えない人たちがいる。彼らは、この紀元1世紀に起きた再臨が霊的なものだったとか法的なものだったなどと主張し、ルカにより書かれた御言葉をねじ曲げている。正常な精神を持っている人であれば誰でも分かるように、ルカは明らかに再臨の様子が実際的なものだったと書いているのであって、それが霊的だとか法的だとか言ったわけではない。このように御言葉を曲げるならば、御言葉をそのまま信じている聖徒たちから、不審がられても文句は言えない。このルカによる聖句を、そのまま文字通りに捉えないというのは、明らかに普通ではない。よって、この時に起きた再臨が実際的なものではなかったという考えは、御言葉のゆえに斥けられねばならない。自分が御言葉で言われていることを素直に信じれないからといって、受け入れられるようにと御言葉の内容を改変させるというのは、神の御前における霊的な犯罪行為である。

(※①)
キリストの復活された身体が霊とか幽霊とか概念的なものではなかったことは、ルカ24:36~43を見るだけでも十分に分かる。これは既に我々にとっては明らかなことであり、本作品で論じられるべき内容でもないから、ここでこの問題について取り扱うことはしない。
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(※②)
キリストは、『子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。』(ルカ18章17節)と言われた。子どものように受け入れる、というのは神の国以外のことについて述べられた種々の御言葉についても同様である。すなわち、あらゆる御言葉に対して、我々には素直にそれを信じる態度が求められているのである。
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 再臨の様子に関してもっと詳しく知りたいと思われる方がいるかもしれない。しかし、この場所では、とりあえず上に書かれたことを知るだけで十分であるとしてほしい。というのは、再臨の様子における詳細については、後ほど語られることになるからである。少しもやもやとする読者もおられるかもしれないが、そのような読者は、今しばらく待っていただきたい。ソロモンも述べるように、何事にも時というものが存在するのである。

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7章 再臨の証拠

 書の御言葉を考えるならば確かに再臨は紀元1世紀に起きたと信じなければいけないが、再臨が既にあったというのであれば、その証拠は果たしてあるのであろうか。あのような注目すべき大きな出来事であったのだから何か少しぐらいは証拠があるに違いない、と思われる方も多いはずである。これは避けて通れない重要な問題であるから、この章で今このことを語ることにしたい。まず結論から先に言えば、キリストの再臨に関する史実的また科学的な証拠を提示することはできない。例えば、タキトゥスであれ大プリニウスであれ紀元68年に生きていた著述家たちの書いたものから、再臨の証拠を示すことはできない。何故なら、再臨が起きたことについて書き記された書物や文書は、まったく存在しないからである。キリストがピラトにより磔刑に処せられたということであれば、例えばタキトゥス(55年頃~120年頃)の「年代記」に書いてあるから、その箇所を提示できる(※①)。キリストが実在しておられたということであれば、紀元1世紀の著述家であるスエトニウスが「ユダヤ人は、クレストゥスの煽動により、年がら年中、騒動を起こしていたので、ローマから追放される。」(『ローマ皇帝伝(下)』第5巻 クラウディウス p110:岩波文庫)と書いている。ユスティノスも紀元2世紀におけるローマの元老院に宛てた文書の中でこう言っている。「イエス・キリストはここで生れました。この事実は、ユダヤにおけるあなたがたの初代総督、クレニオの時代に行われた人口調査の登記簿からもお知りになることができます。」(『キリスト教教父著作集1 ユスティノス』『第一弁明』34:2 p50:教文館)「また彼を十字架につけた人々は、十字架につけたのち彼の「着物のくじ引にし」、自分たちの間で分けたのです。以上のことが事実起ったことは、ポンテオ・ピラトの時代に作られた公務記録からお知りになることができます。」(同 35:8~9 p51)「次に、私共のキリストがあらゆる病をいやし、死人を立たせるであろうとの予言について、語られている言葉をお聞きください。このように述べております。「彼の来臨の時、足の不自由な者が、しかのように飛び走り、もつれた舌はほどけるであろう。見えぬ目は開き、らい病人はきよまり、死人はよみがえって歩くであろう。」彼が事実これを行ったことは、ポンテオ・ピラトの時代の公務記録から確かめていただくことができます。」(同 48:1~3 p64)モーセの実在性と古代性についてであれば、オリゲネスがこう言っている。「モーセは、何人かのギリシアの著述家によって、ポロネウスの子イナコスの時代に生きていたことが、語られている。また彼の古代性は、エジプト人や、フェニキア史の編纂者たちによっても同意されている。」(『キリスト教教父著作集9 オリゲネス4 ケルソス駁論Ⅱ』ケルソス駁論 第4巻 11 p87:教文館)…が、再臨の場合、残念ながらそのようなものはない。これは一体どういうことかといえば、神が再臨を記録させることを許されなかったということである。ゼノンやエピクロスの書いた大量の著書が世に一冊たりとも残されることを神が望まれなかったように、再臨が起きたことについて何かが書かれることも、神は望まれなかった。しかし、今まで見てきたことから分かると思うが、御言葉は疑いもないほど明白に当時再臨が起きたことを我々に教示している。つまり、我々は史実的また科学的な証拠抜きに、すなわちただ御言葉の内容だけを直視することにより、再臨が既に起きたということを信じる信仰を求められている。神は、この再臨については、ただ御言葉のみにより信じるようにと願っておられるのではないかと私は考えている。多くの人たちは、御言葉が既に再臨が起きたと教えていることは認めても、証拠の不在によって大いにつまづいてしまう。私と論争した牧師も、再臨が紀元1世紀に起きたと認めたが―認めざるを得なかったのである―、証拠がないからというので不信仰の闇に陥ってしまった。確かに「証拠」がない、というのは多くの聖徒にとっては無視できない大きな障害となることであろう。しかし考えてほしい。証拠がないからといって、御言葉で言われていることを否定してもよいものであろうか。証拠抜きに、つまり私たちがしっかりと理性により捉えられる実際的・物理的な物や状況や情報抜きに、神の言われたある事柄を真なるものとして受け入れるというのが「信仰」なのではないのか。ヘブル書では次のように言われている。『信仰は…目に見えないものを確信させるものです。』(11章1節)もし目の前に何かがあって、その存在を信じるというのであれば、そのような心の働きを「信仰」と呼ぶことはできない。それは目の前にあるのだから信じるも何もないからである。目に見えないもの、確認できないもの、信じるかしないもの、こういったものを真なるものとして認めるのが「信仰」である。再臨はこのような種類に属するものであり、御言葉しか証拠として提示できないのだから、我々は御言葉のゆえ、たとえこの世的な証拠がなかったとしても再臨のことを信じるべきなのである。もし御言葉以外に証拠がなければ信じないというのであれば、あなたはどうして天国や永遠の生命や天使といったものを信じているのか。天使の場合は恵まれた人であれば、その存在を実際に見ることができたり感じたりできるから、自分だけの証拠を持っている人もいるかもしれないが、天国や永遠の生命について何かの証拠を持っている人は一人もいないはずである。多くの聖徒たちは、このような目に見えないものを、何も証拠がないにもかかわらず、ただ御言葉がそう言っているからというだけの理由で心の底から信じているであろう。もし誰かから「天国や永遠の生命がある証拠を提示してほしい。」と言われても、御言葉以外の証拠は提示できないはずである。確かに、このようなものは御言葉だけが証拠であって、史実的また科学的な証拠は存在していない。あなたは、御言葉以外に証拠がないからというので、天国や永遠の生命といったものの存在を疑うことはしないはずである。何故なら、確かにこの世的な証拠はないが、神が御言葉の中でこのようなものがあると明瞭に言っておられるからである。そうであれば、どうして再臨の場合は、証拠がないと信じないのであろうか。もし天国などのことを証拠抜きに御言葉だけで信じるべきだとすれば、再臨もそのようにすべきではないのか。もちろん、そうであろう。確かに御言葉は既に再臨が起きたと教えているのだから、たとえ証拠がなかったとしても、我々は既に再臨が起きたということを信じるべきである。証拠がないので再臨を信じない人は、証拠がないので天国の存在を信じない人と同じである。何よりも我々が知るべきなのは、御言葉こそが我々にとってもっとも強力な証拠だということである。確かなところ、この御言葉こそ至高の、究極の、完全な、絶対である証拠である。何故なら、御言葉とは全ての上におられる超越神の言われた言葉だからである。神の言われたものに優るものが他に何かあろうか。要するに、この御言葉に優る権威などは、この世に存在していない。御言葉こそが、万物における最高の権威である。キリストはこの御言葉によって世界を保っておられ(※②)、この御言葉には『この世の神』(Ⅱコリント4:4)であるサタンさえも打ち勝つことができない。そのように力強く大いなるものである御言葉という証拠が「既に再臨は紀元1世紀に起きている」と我々に教えているのである。であれば、我々は、そのように信じるべきであろう。この世的な証拠がないために御言葉を拒絶する者は、もっとも高い権威を持つ神の言葉を愚弄し、それを偽りであるとさえしている。もし我々が御言葉の権威を疑ったり否定したりする不信の徒でないのであれば、たとえ歴史的な証拠がなかったとしても、御言葉という証拠のみにより私が上で述べた再臨のことを信じなければならない。カルヴァンも、アモス1:13~15の箇所で預言されているアモン国に降り注がれる災いを証明することのできる「歴史は存在しませんが、この預言が実現したことを疑ってはなりません。」(『アモス書講義』第1章 p42:新教出版社)と言っているではないか。カルヴァンは、アモンの災いを証明できる歴史が書き残されていないからと言って、アモス書の預言を疑うべきだったろうか。とんでもないことである。敬虔な者にとっては聖書が述べていれば、ただそれだけでOKなのである。これを書いている私は御言葉に書かれていることを素直にそのまま信じ、あなたはそのようにせず不信仰な思いを心に抱いている。どちらの態度が神の御心にかなったものであるか、よく考えてほしいと思う。ベルナルドゥスも「信仰は理性・知覚・経験を超越する」と言って、信仰によってこそ物事を捉えるようにと言っている。彼の言葉はこうである。「信仰は、感覚が知らず、経験が見いださないことを、確実に捉える。「わたしに触れてはならない」(ヨハエ20・17)と主は言われる。つまり、こうした誤りがちな感覚から自分を解き放しなさい、言葉に寄りかかりなさい、信仰に親しみなさい。信仰は欺瞞を知らない。信仰は目に見えないものを把握し、感覚知覚の欠乏を感じない。つまり信仰は人間的な理性の領域、自然の必要、経験の限界を乗り越えていく。目には不可能なことの何かをあなたは目に尋ねるのか。また、手の力を超えたことを手に説明するように試みるのか。目や手が知らせることができるものは僅かである。確かに信仰は、わたしの偉大さを低めることなく、わたしについてあなたに知らせるであろう。信仰が説得するであろうことを、もっと確信を懐いてそれをもつように、もっと安全にそれを追求するように、学びなさい。「わたしに触れてはならない。わたしは御父のもとに未だ昇っていないから」(ヨハ20・17)。」(『キリスト教神秘主義著作集2 ベルナール』雅歌の説教28 9 p180:教文館)御言葉という明白な証拠があるにも関わらず、歴史的な証拠を求める人は、キリストの復活体に触れなければ、すなわち物的な証拠を感覚により会得しなければ、信じようとはしなかったあの女のようである。

(※①)
「それは、日頃から忌わしい行為で世人から恨み憎まれ、「クリストゥス信奉者」と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなる者は、ティベリウスの治世下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。その当座は、この有害きわまりない迷信も、一時鎮まっていたのだが、最近になってふたたび、この禍悪の発生地ユダヤにおいてのみならず、世界中からおぞましい破廉恥なものがことごとく流れ込んでもてはやされるこの都においてすら、猖獗をきわめていたのである。」(『年代記(下)』第15巻 44 p269:岩波文庫33―408―3)
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(※②)
御子は…その力あるみことばによって万物を保っておられます。』(ヘブル1章3節)
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 以上のように説明されても、いまいち納得できない方がおられるかもしれない。それは、御言葉のゆえに再臨に関する証拠がなくても問題にするなと言われただけであって、どうして証拠がないかという具体的な理由は何も語られていないからである。確かに再臨の証拠がないのはその通りであるが、やはり証拠がない理由も考察されるべきであろう。そのようにしないのは学術的また神学的であるとは言えない。それは、例えばヘラクレイトスの著書が残されていないと言うだけで、どうして彼の著書が残されていないのか考察しないようなものである。一般の人であれば彼の著書が残っていない理由などはどうでもいいかもしれないが、学者や専門家や教養人であれば、やはりその理由をいくらかでも詳しく知りたいはずである。我々はそのような人たちのように再臨のことを知りたく願っているのだから―敬虔な読者であればみなそうであろう―、再臨のことが更に詳しく語られるべきであろう。そうすれば、たとえ再臨の証拠がなかったとしても、わだかまりが残らず全てがスッキリする、ということにもなるであろう。さて、再臨の証拠を何も提示できないのには多くの理由がある。その理由とは一体どのようなものなのか。一つ一つ考察していきたい。まず我々は第一に、紀元68年に起きた再臨の際、永遠の救いに定められていた聖徒たちが、天へと引き上げられたことについてよく考えねばならない。再臨の時、当時生きていた聖徒たちは、地上から再臨されたキリストのおられる空中へと携挙された。それはパウロが『次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。』(Ⅰテサロニケ4章17節)と書いている通りである。ここではまだ詳しく説明しないが、この空中に携挙された聖徒たちが、それからのちキリストと共に天に引き上げられたのは間違いないことである。というのもパウロが『私たちの国籍は天にあります。』(ピリピ3章20節)と書いているからである。聖徒たちの国籍が天にあるというのであれば、どうしてそこに帰って行かないことがあるであろうか。携挙された聖徒たちが空中に留まっていたままで、『天の故郷』(ヘブル11章16節)に帰らなかったというのはまったく考えられない。もしそのようにして天へと当時の聖徒が行ったのであれば、天に行ったのであるから、この地上で再臨のことを言い広めたり書き残すことは絶対にできない。天に存在するにもかかわらず、地上でそのようなことをするというのは、普通に考えればあり得ないし、聖書からもそのような考えは導き出せない。それゆえ、紀元68年までに生きていた聖徒たちによる再臨の伝承や記録が何も残されていないのは当然である。これで当時の聖徒たちがどうして再臨について何も証拠となる情報を残していないのか、分かっていただけたであろう。つまり、そもそも彼らは再臨が起きた時にはもう地上に存在していなかったのである。次に考えるべきは、携挙されはしたものの天の御国に引き上げられることがなく、永遠の火に投じられた偽信者のことである。この者たちは携挙されて空中に行った際、そこにいたキリストから、このように言われてしまった。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。』(マタイ25章41節)ここで言われている『永遠の火』については今はまだ説明しないが、このように言われた彼らがキリストの御言葉の通りに火に投げ込まれたのは確かである。天国に引き上げられた聖徒たちの場合と同じで、この滅びの子らも火の中に投げ込まれたのだから、自分の見た再臨を誰かに言い広めたり書き残すことはできない。火に投げ入れられたのに、そのようにできたというのは、少し理解し難いことだと私には思われる。であれば、当時生きていた偽信者たちが、実際に再臨を見たにもかかわらず、再臨に関する証拠を何も世に残していなかったとしても不思議なことではない。あの3人のように火に投げ入れられても生きていられたというのであれば話は別だったかもしれないが(ダニエル書3章)、神に遺棄されるべく生まれた滅びの子らに、そのような超自然的現象が起きたとはまったく考えられない。よって、我々はキリストの恐るべき宣告を受けたあの山羊どもによる再臨の証拠が残されていなかったとしても、驚いたり疑問に感じたりすべきではない。第三に考察すべきは、再臨の際に携挙されないで地へと残されたままだった不信者また異教徒たちのことである。キリストの御言葉によれば、再臨が起きた時に携挙されなかった者がいたというのは疑えない。それは次のように主が言われたからである。『そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。』(マタイ24章40~41節)ここで問題となるのは、この地上に残された者たちが再臨の証拠を何か残していないのか、ということである。この不幸な者たちが、空中に再臨されたキリストをその目で見たことは間違いない。キリストは再臨の時の様子について次のように言われた。『そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。』(マタイ24章30節)ヨハネもこう書いている。『見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。』(黙示録1章7節)確かに、今引用した聖句から、地に残された滅びの子らもキリストの再臨を見たということが分かる。その者たちは、再臨されたキリストを見て悲しみ、嘆いたのである。では一体どうなのか。この再臨を見た滅びの子らは、再臨を実際にその目で見たのだから、その大いなる光景を誰かに言ったり記録として残したりすることが可能だったはずである。もし彼らがそういうことをしたのであれば、その証言や記述を、再臨の証拠として提示することが私にはできたであろう。しかし、そのようなものは一切残されていない。つまり、彼らは再臨を見たにもかかわらず、それを何らかの形で世に残さなかった。まったくそうしなかったのである。読者は、私が今このように書いたのを読んで、「ほら、やっぱり再臨なんて当時には起こらなかったのだよ。もし本当に起きていたら、それを見た不信者たちが何か書き残していただろうから。」などと早計にも思ってはならない。彼らが再臨を見たのに何も述べていないのには、しっかりとした理由がある。どういうことかと言えば、彼らは救われるために真理を受け入れなかったので、神の裁きにより惑わされたということである。パウロはある箇所で、再臨により滅ぼされるネロが現われた時には、救いを拒絶した携挙されない人々が偽りを信じるようになると述べている。その箇所とはⅡテサロニケ2:9~12であり、そこにはこう書いてある。『不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たち対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。』パウロの言うように携挙されなかった者が惑わされて偽りを信じるように裁かれたというのであれば、たとえ最初は再臨を見て悲しんだり嘆いたりしたとしても、後になってから再臨の出来事を否定したり夢また幻だと思ったとしても何もおかしなことはない。彼らは惑わされ偽りを信じるようにされたのだから、このようになったというのは十分に予測可能である。当時は迷信深い人たちが多かったから―あのキケロでさえ鳥占いをしている―、惑わしの力を受けたことにより、再臨を何か一種の超常現象として捉え―あのタキトゥスでさえ様々な超常現象について書き記している―、あまり重要ではないこととして忘れてしまった、という可能性がある。実際には、少しぐらいは仲間の間で話し合われたのかもしれないが、記録として書き残すほどのものとしては意識されなかったという考えをすることもできる。そうであれば、裁かれた彼らにより再臨の証拠が残されていなかったとしても、それほど驚くべきことではないといえよう。地に残された者らによる再臨の証拠がないと言って反論する人たちには、私は今書かれたように答える。このように反論する者たちも、惑わす力が不信者たちに送られたということを考慮すれば、それを不信者による証拠がない理由の一つとして考えることができるのではないかと思う。さて、ここまで書かれたことには納得できても、「しかし、それでは再臨の時に起こる天変地異は一体どうなのか?」と問う人がいるであろう。つまり、人の声や文章による証拠は残っていなくても、再臨の時には前代未聞の天変地異が起こるのだから、その天変地異が再臨の証拠となるはずだが、紀元1世紀の歴史を見てもそのような天変地異が起きてはいないではないか、という問いである。確かにキリストが再臨の際に凄まじい天変地異が起こると言われたのは間違いない。キリストはマタイ24:29の箇所でこう言われた。『だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。』ペテロも、再臨の日に起こる天変地異について、こう書いている。『その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。』(Ⅱペテロ3章10節)これらの天変地異に関する預言は明らかにイザヤ34:4と対応しており、そのイザヤ書のほうではこう言われている。『天の万象は朽ち果て、天は巻き物のように巻かれる。その万象は、枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から葉が枯れ落ちるように。』読者がまず考慮すべきなのは、キリストの預言された天変地異は、間違いなく紀元1世紀に起きたということである。私は先に第3章でマタイ24章で書かれている出来事はその世代(γενεα)のうちに起こると説明したが、そのマタイ24章の中で天変地異が起こると言われているからである。そうであれば、同じことが言われているⅡペテロ3章とイザヤ34章の預言も、既に紀元1世紀において成就していることになる。確かに聖書から考えればそういうことになる。しかし、読者の方は、紀元1世紀にそのような天変地異が起きたとは到底思えないかもしれない。確かに歴史を見ても、このようなことが文字通りには起きていないのを私も認める。だが、このような読者は、預言で語られている天変地異がどういったものなのか、よく悟れていない。一体どういうことか。それはつまり、これらの預言で語られているのは、確かに紀元1世紀に起きたことではあるが、全世界的なものではなく、ユダヤ戦争と神殿崩壊の際に起きる凄まじい出来事を象徴的に表現したものだということである。この時期にキリストの再臨が起きて世界全体も改められるのだからこそ、それを全世界的な規模であると思ってしまう人もいるほどの表現をもって語られているのである。アインシュタインなどは、このような聖書の表現を「誇張だ」などと言って批判する。だが、我々聖徒である者たちは、神がその偉大性や凄まじさを教えようとしてこのような象徴表現をされたのだと捉えるべきである。聖書には誇張表現があると非難する不信者たちも、自分の愛する者にはとてつもない誇張表現を使って愛を伝えようとするのだから(ラブレターが良い例である)、実際のところ、聖書の象徴表現を批判できないと私は思う。このように預言された天変地異とは、ユダヤ滅亡の際に起こる凄まじい悲惨な出来事を象徴的に言い表わしたものだから、紀元1世紀を見てもそのような天変地異が伴う再臨が起きたとは信じられないなどと反論することはできない。私がこのように言ってもまだ考えを変えないようであれば、つまり天変地異の記述が象徴表現であるということを信じられないようであれば、その人に私は聞きたい。すなわち、ペテロが成就したと述べているヨエル書における預言は果たして象徴表現が使われたものではなかったのか、と。確かにペテロはペンテコステの際、ヨエル書の預言が成就したのだと明白に述べている。彼はその時こう言った。『これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。…主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。』』(使徒行伝2章16、17、20節)ペテロがこう述べた時に、実際に太陽が暗くなったり月が血の色に変わったりしなかったのは確かである。というのも、これは象徴表現であって、つまりこのペンテコステの出来事は太陽が輝きを失い、月も血に染まってしまうぐらいの驚くべき出来事なのだ、と言おうとしたものだからである。確かに、実際このペンテコステの出来事を見たユダヤ人たちは『驚きあきれてしまった』(使徒行伝2章6節)のである。それは、あたかも太陽が闇となり月が血に変わる際に持つ驚きのような驚きであった。今私が論述の対象としている「考えを変えない人」も、もちろんこのヨエル書の預言が象徴であると認めるであろう。カルヴァンもこのヨエル書の預言は「隠喩的表現」であって、実際的な現象を述べたものではないと言っているが、彼がそのように説明したのは正しかった(『新約聖書註解Ⅴ 使徒行伝 上』2:19及び20 p61:新教出版社)。しかし、もしマタイ24章の天変地異が象徴表現でなかったと言うのであれば、どうしてヨエル書のほうは象徴表現が使われていると認めるのであろうか。明らかに、どちらも似たようなことを言っているではないか。もしヨエル書で象徴表現が使われているとすれば、同様にマタイ24章などの預言のほうも象徴表現だと捉えるべきではないであろうか。つまり、天が焼けて無くなるとか地の業が燃やされるなどと言われているのは、エルサレムの炎上や再臨がどれほど凄まじいものであるのかということを意味しており、またそれはその際に起こる世界の更新を示すものとしての意味も含まれているのである。このようにマタイ24章の天変地異には象徴表現が使われているのだが、そのように考えるならば、この天変地異の記述を盾に取って反論することもできなくなると私は言いたい。ちなみに、この天変地異は今述べたようにユダヤ戦争の時期に起きたのだから、それを再臨の証拠とすることができるかもしれない。これは誰かの証言や書き残された記録のように認識しやすい証拠というわけではないし、中にはこれが証拠だなどとは思えない人も多くいるだろうが、証拠と言えるようなものといえばこれぐらいなものである。キリストは当時のユダヤ人にやがて再臨が起きる際には大異変が起こると述べられた、それがユダヤ戦争の時に実現された、それゆえそれこそが正に再臨の間接的な証拠なのである。―要するにこういうことである。ここまで再臨の証拠がない理由を具体的に考察してきたが、ここまで読んでもまだ再臨が紀元68年に起きたと信じられない人は、神の御言葉に言い逆らうことになるというのをよく覚えておいていただきたい。確かに、既に第2章で説明されたように、キリストや使徒たちは、当時の人たちが生き残っている間に再臨が起こると明白に述べた。証拠の不在のゆえにそのことを信じないのは、神に向かって「あなたの言われたことは違っていた。」と文句を言うのも等しい。このように言うのは実に不遜である。私が今再臨の証拠がない理由を詳しく説明したのだから、自分が聖徒であると思う人は、証拠の不在を理由として既に再臨が起きたことを否定すべきではない。我々が重視すべきなのはこの世的な証拠ではなく、御言葉に対する信仰である。『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。』(ヘブル11章6節)と聖書では言われているではないか。

 かしながら、この証拠の不在について、もう少し別の論証をしてみたい。地上における不信者たちがキリストの再臨をその目で見たにもかかわらず、その光景を何も記録として書き残さなかったというのは、聖書のある箇所からも言えることである。その箇所とは、イザヤ29:1~8である。まず、この箇所がどのようなことを述べているのか見ていく。まず、このイザヤ29章は、紀元66~70年に起きたユダヤ戦争を預言した箇所である。何故なら、この箇所では、聖都エルサレムを敵である多くの兵士たちが包囲すると書かれているからである。すなわち、ここでは神がエルサレムに対してこのように言っておられる。『わたしは、あなたの回りに陣を敷き、あなたを前哨部隊で囲み、あなたに対して塁を築く。』(3節)また、この章では敵たちがエルサレムを『攻めて、これを取り囲み、これをしいたげる』(7節)とも言われている。確かに、ユダヤ戦争において、エルサレムは無数のローマ軍に包囲され、多大なる攻撃を受けた。ここで『アリエル』(1節)と言われているのは、『ダビデが陣を敷いた都』(同)であって、すなわちエルサレムのことである。戦いのイメージを強くするために、ここではエルサレムが、ダビデにより戦陣が敷かれた都として語られているのである。確かにエルサレムの崩壊に至るユダヤ戦争とは戦いそのものであるから、単にエルサレムと言わず、『アリエル』と言い表わしたのは実に適切であった。次に、このイザヤ29章は、再臨について預言した箇所でもある。何故なら、この章の中では、次のように書かれているからである。『万軍の主は、雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎をもって、あなたを訪れる。』(6節)『あなたを訪れる。』と書いてあるから、これは明らかに再臨についての預言である。すなわち、これは主が受肉された際にこの世に来られた初臨の時のことを預言したものではない。このような激しい力動的な表現がなされるのは、間違いなく再臨について預言されているからに他ならない。つまり、このイザヤ29章では紀元66~70年におけるユダヤ戦争の時期に再臨が起こると言われていることになるが、それはマタイ24章の内容と完全に一致している。先にも見たように、マタイ24章もユダヤ戦争を預言した箇所であって、そこでは再臨のことが預言されていた。しかし、このイザヤ29章は、紀元前585年にネブカデレザルがエルサレムを包囲した時のことを預言した箇所ではないか、と思われる方がいるかもしれない。確かに紀元前6世紀にも、ネブカデレザルの軍隊によりエルサレムが包囲されたのは歴史の事実である。だが、確かなところ、ここで預言されているのは、紀元前6世紀のほうの包囲ではなく、紀元1世紀のほうの包囲である。というのも、この箇所における6節目では、キリストの再臨のことが預言されているからである。前6世紀の包囲の際には包囲は起きたが、再臨は起きなかった。一方、紀元1世紀の包囲の際には包囲と共に再臨も起きた。だから、このイザヤ29章で預言されているのは、ネブカデレザルの包囲のことではなく、ティトゥス率いるローマ軍の包囲のことであると考えねばならない。まさか、紀元前6世紀の時に、キリストが『雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎をもって』再臨されたなどと考える人はいないであろう。そのように考える人がいたとすれば、気がおかしくなっていると思われたとしても文句は言えない。紀元前6世紀にキリストの再臨が起きるとは一体どういうことであろうか……。これで、このイザヤ29章が、ユダヤ戦争とその時期に起こる再臨について預言した箇所だということが確定した。さて、このイザヤの箇所では、エルサレムを包囲している際に再臨されたキリストとその軍勢を見た敵であるローマ兵たちにとって、その光景は『夢のよう』また『夜の幻のよう』であったと言われている。ここでは、エルサレムを包囲しているローマ兵たちの見た再臨と無数の聖なる者たちが彼らにとって幻影のように思われたということについて、次のように言われている。『アリエルに戦いをいどむすべての民の群れ、これを攻めて、これを取り囲み、これをしいたげる者たちはみな、夢のようになり、夜の幻のようになる。飢えた者が、夢の中で食べ、目がさめると、その腹はからであるように、渇いている者が、夢の中で飲み、目がさめると、なんとも疲れて、のどが干からびているように、シオンの山に戦いをいどむすべての民の群れも、そのようになる。』(7~8節)この部分(7~8節)は、再臨が起こると言われた部分(6節)のすぐ次の部分だから、再臨されたキリストにローマ軍が対峙しているということになる。聞いたであろうか。不信者たちにとって、その見た再臨の光景は、あたかも夢を見ているかのようであったと、ここでは言われている。つまり、彼らにとって再臨と空中にいた聖なる者たちの光景は、現実だとは思えなかったということである。これは私が自分勝手にこう述べているのではなく、聖書の記述に基づいて、このように述べているということを忘れてはならない。読者の方は、ここでよく考えていただきたい。再臨を見た不信者たちが、再臨の光景を幻影であると認識したというのは、一体どういうことであろうか。このことから分かるのは、こういうことである。すなわち、不信者たちにとって再臨と空中にいた聖なる者たちは幻影であるように思われたので、あまり重要であるとは思えず、脳における短期記憶の領域にそのイメージが格納され(※)、取るに足りないものとして記録されることがなかった、ということである。通常の場合、夢や幻を見て、それを記録として書き残そうとする人は、あまりいない。いちいち自分の見た夢や日中に頭に生じた幻をしっかりとメモする人は、変わった人だと思われても不思議ではないし、実際にそのような人はこの世にほとんど見られない。私の場合、そのようなことをする人を今まで一度も聞いたことがない。だから、不信者たちが幻影であると感じられた再臨の光景を記録として書き残さなかったとしても、何も驚くには当たらない。仮にエルサレムを包囲していた兵士たちが記録として再臨のことを書き残していたとしても、それは取るに足りないものとして後世にまで伝えられることなく散逸してしまっていたことであろう。事実、そのような記録は何も知られていない。数千冊にも及ぶ書物を読み漁ったギボンの『ローマ帝国衰亡史』でも、そのような記録にはまったく触れられていない。一体誰が無名のローマ兵が書いたものを、後世にまで残そうとするであろうか。また彼らが自分たちの見た再臨の光景を仲間内で話し合ったり、将軍であるティトゥスに報告したということがあったかもしれないが、しかしそれは幻影だと思えるものだったのだから、やはり後世にまで言い伝えられることがなかった。夢のように思えることを、一体誰が重要な事柄として後世にまで言い伝えられるようにするであろうか。そういうことだから、不信者たちが再臨を見たにもかかわらず、それを記録として残さなかったというのは、今書かれたように聖書からも論証できるのである。多くの聖徒たちは、私がたった今書いたことを読むまでは、次のように言っていたことであろう。「紀元1世紀の不信者たちが再臨を見たというのであれば、自分たちの見た再臨の光景を文章として書き残さなかったのはあり得ないことだ。あんなにも力動的な現象である再臨を見ておきながら、それを記録しないとはまったく考えられない。」このように言うのは、理性の感覚に基づいている。それは聖書に基づいた感覚ではなく、人間一般の感覚による。しかし、イザヤ書29章に基づいて考えると、こう言わねばならないことになる。「紀元1世紀の不信者たちは再臨を見たにもかかわらず、それを記録として書き残すことはしなかった。何故なら、彼らにとって再臨はあたかも夢や幻を見ているかのようだったからだ。いちいち夢や幻を記録として残すような人は、この世に珍しいのである。」聖徒たちのほとんど全ては、再臨について考究する際、このイザヤ29章の内容をまったく考慮していないはずである。だから、再臨を見た不信者が再臨のことを記録しなかったと聞かされても納得できない。しかし、このイザヤ29章の内容を考慮して再臨のことを考えると、どうであろうか。このイザヤの箇所では、再臨が不信者たちにとっては幻影だと感じられると言われている。であれば、むしろ再臨を記録として書き残していたほうがおかしいということに、ならないであろうか。もちろん、そうなるであろう。詰まる所、聖書から言えば、不信者たちが自分の目で見た再臨の光景を記録していなかったとしても、何もおかしいことはないのである。

(※)
長期記憶とは違って、短期記憶はすぐにも忘れ去られてしまう。不信者たちが再臨を幻影だと思ったのであれば、その再臨のイメージが短期記憶に納められたのは間違いない。この領域には、例えば朝食がそうだが、あまり重要だとは感じられないことが納められるからである。
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8章 再臨に関する御言葉を信じることができない理由

 これまでに書かれたことを読んでも、聖句で言われている再臨のことを信じれない人が、多くいるのではないかと思われる。そのような人たちが信じれない理由は、大きく分けて3つあると私は考える。以下にその3つの理由を記す。

 まず一つ目は、その人が御霊を受けていないという理由である。御言葉という御霊に属することは、パウロも言うように、御霊によって弁えるべきものである。パウロはⅠコリント2:14でこう書いている。『生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。』もし御霊を受けていたとすれば、御霊の恵み深い働きかけにより、御言葉で言われている再臨のことが悟れるはずである。それは御霊を受けている人が、キリストの贖罪に関する御言葉を悟れるのと同じことである。しかし、御霊を受けていない生まれながらの人間は、御言葉で言われていることを受け入れず、愚かに思い、決して悟ることがない。その人には御霊による働きかけがまったく与えられないからである。犬が人間の言葉を、発達した言語を持たない未開人が文明人の言語を、知的障害者が正常な人間の喋ることを理解できないように、御霊を受けていない人も神の言葉を理解することができない。これは原理的なものであって、努力や時間の経過などによりどうにかなるというものではない。すなわち、原理的な意味において、御霊を受けていない者が、御言葉を悟ることは何であれ不可能なのである。それゆえ、再臨について述べられている聖句を信じられなかったり悟れなかったりする聖徒は、実のところ御霊を受けていなかったという可能性がある。

 つ目だが、それは「肉の思い」が聖書に対する真っ直ぐな信仰を妨げる、という理由である。肉の思いが多ければ多いほど、またその思いの度合いが強力であれば強力であるほど、当然ながら信仰が邪魔される傾向も高まってしまう。今取り扱われている再臨の場合、自分の立場や評価に関する肉の思いにより聖句を純粋に信じられない、というケースが多いはずである。それは例えば次のような思いである。「確かに再臨は既に起きたと聖書は教えているが、しかし、そのように信じたとすれば私の状態は一体どうなるのか?周りの兄弟から非難されたり問題になるのは目に見えている。そうなれば今いる教派や教会には、とてもではないがいられなくなる。そのようなことになるのであれば、仕方がないが、今のままの聖書理解でいるとしよう。」読者の方は分かったであろう。肉を殺すことができなかったからこそ、このように神の言葉に対する信仰が妨害されてしまったのである。このような人は御霊を受けてはいても、その御霊により再臨を正しく信じるという恵みのほうは受けていない。このような人は、肉によって再臨に関する真理を正しく信じようとしなかったのであるから、それから後、再臨に関する偽りの教義を信じるように惑わされるという罰を受け(※)、また真理を信じなかったのだから当然ながら天国で受ける栄光の輝きが減らされることであろう。

(※)
次のパウロによる御言葉が示す通り、何であれ真理である神の言葉を受け入れない者は、裁きとして偽りを信じるように惑わされることになる。『それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。』(Ⅱテサロニケ2章11~12節)カルヴァンも言うように「神の言葉ほど尊いものはないので、それをあなどることを神が罰せずに置かれることはあり得ない」(『新約聖書註解Ⅴ 使徒行伝 上』3:23 p113:新教出版社)のであり、また「み言葉が軽蔑されることほど、神が怒られることはない」(『新約聖書註解Ⅰ 共観福音書 上』マタイ10:14 p347:新教出版社)。神の言葉を受け入れないとは、それを愚弄し軽んじることでなくて何であろうか。それは、神の言葉が真理でないと暗に告白しているのも同然なのだから。そのような者が裁きを受けるのは当然である。カルヴァンの次の言葉は心に留めておくに値する。「私たちが神の言葉から遠ざかれば、間違いなく、多くの偽りに身を任せることになってしまいます。そして、必ず道を踏み外すことになるのです。このことは覚えておきましょう。」(『アモス書講義』第2章 p52:新教出版社)
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 三つ目は、御霊を受けているし、肉的な思いに信仰を妨げられるような人物でもないが、単に聖句で言われていることをよく理解できていなかったり、生来的に理解力が乏しいという理由が考えられる。聖句で言われていることをそもそもよく頭で理解していないのであれば、私が述べた再臨のことを信じれなかったとしても不思議ではない。自分がよく分かっていない事柄を、どうして意識的に信じられるであろうか。何だかよく分かっていないことを信じるのは、信仰とは言い難い。事柄を理性的に認識した上で信じるというのが「信仰」である。であるから、これは、そもそも信仰以前の問題だと言うべきことかもしれない。このような人は、事柄の理解に問題があるだけだから、十分な理解を持ったならば、上で述べられたことを信じられるであろう。

 このように、もし御霊を受けているのであれば、神の恵みにより、再臨に対する聖書的な信仰を持つことができる。その人は再臨を正しく信じることが許された人である。しかし、御霊を受けていないか、肉の思いが妨げとなるか、理解が足りない、という問題があると再臨のことを正しく信じることはできない。その人は、たとえ御霊を受けてはいたとしても、再臨については正しく信じることが許されていない。だからこそ真の聖徒であるにもかかわらず、聖書における再臨の部分だけは正しく信じることができない。もし再臨を正しく信じられる人がいたら、その信仰は神から与えられた恵みによるものだから、何か自分を優れているかのように思って高ぶるべきではない。その人は、『高ぶらないで、かえって恐れなさい。』(ローマ11章20節)という神の言葉を心に留めるべきである。たとい多くの人が再臨を誤解しているからといって高ぶるのであれば、あのネブカデネザル王のように罰を受けたとしても文句は言えない(ダニエル書4章)。今は再臨を正しく信じている我々とて、神の恵みがなければ、他の人たちと同じように再臨を正しく信じることなどできなかったのである。

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9章 再臨は2度起こるのではないかという疑問

 句がまざまざと再臨は既に起きたと教えていることを、御霊を受けた敬虔な聖徒であれば、認めざるを得なくさせられるであろう。それゆえ、そのような聖徒は、何か特別な理由でもない限り、聖句で言われている通りに、既に再臨は紀元1世紀に起きたという考えを持つに至る。実際、決して多い数ではないにしても、そのような考えに切り替えた聖徒たちを、私は今まで見てきた。しかし、ここで少なからぬ聖徒が混乱に陥り、再臨は2度起きるという奇妙な発明をしてしまう。再臨が既に起きたと知ると、どうしても人の心は、もう一度再臨が起きるという考えに導かれるようである。私と論争をした牧師も、再臨は2度起こるのではないかと言っていた。だが、再臨が2度起きるという理解は、まったく誤りであると言わねばならない。何故かといえば、聖書で言われていることからは、再臨が一度限り起こるとしか読めないからである。実際、私の述べたことを聞いて再臨が既に起きたと信じた人も、もし再臨が既に起きたと信じなかったとすれば―つまり以前のままの信仰であったとすれば―、まさか再臨が2度あるなどとは塵ほども考えなかったはずである。そのような考えは、思いつくことさえできなかったであろう。それは、聖書が再臨を一回限りのものとして書いているからに他ならない。再臨が既に起きたという新しく正しい理解に切り替えたからこそ、自分の持っていた過去の信仰とのつじつまを合わせるために、もう1度再臨が起きるに違いないなどと不思議な発想をするに至ってしまった。その人は、もし私が今ここで述べていることを全く知らなかったとすれば、たとえ再臨が2度あるなどという考えを聞かされたとしても、それを微笑しつつ無視していただろうと思われる。昔の教師たちも、それがアウグスティヌスであれテルトゥリアヌスであれクレメンスであれベルナルドゥスであれルターであれカルヴァンであれホィットフィールドであれ、誰一人として再臨が2度あるなどとは塵ほども考えていなかった。彼らにとって、そのようなことは思いつきもしなかったことである。ある教師の見解について言えば(この教師は既に再臨が起きたと信じている)、再臨が2度起きるという新奇な理解を、律法により論証している。この教師は、律法では清めが2回必要だと書いてあるからというので再臨も2回起こるなどと、何の躊躇もなく言い立てている。確かに律法では汚れを清めるためには2回の清めがなければいけないと書かれているが(※①)、だからといって再臨も2回起こるということにはならない。もしこの律法を根拠として再臨が2回起きると述べるのであれば、どうして他の事柄については2回でなくなてもよいとされているのか。例えば、どうして罪を犯した場合に悔い改めるのが1回でよいのか。確かに罪を犯した場合、悔い改めは1回だけでよく、その1回の悔い改めをすれば既にキリストにおいて罪は赦されている。罪の赦しを得るために悔い改めが2度必要だなどと述べるまともな教師は誰もいない。律法のゆえに再臨が2度起こるとせねばならないのであれば、我々における悔い改めと犯した罪の赦しも2度されなければいけない、ということにならないであろうか。もしこの律法のゆえに再臨の起きる回数を2倍にすることが可能であれば、原理的また論理的に言って、清めや更新や回復に関わる事象および行ないを何でもかんでも2倍にすることが可能となる。この教師は、律法における「清め」に関する記述のゆえに、再臨という「世界の改まり」に関する事象も2度なければいけないと述べているからである。このような見解は、単に自分独自の説を論証しようとして律法を勝手に利用しているに過ぎないものだから、受け入れるべきものではない。珍奇な私的解釈を聖なる律法によって支持させようとするとは、実に恐ろしいことである。これは自分勝手な非聖書的教義を周りの人に押し付けようとする者が行なう常套手段である。はっきりと言いたい。もし本当に2回再臨があるのだとすれば、神はそのことを聖書の中で、しっかりと書いておられたはずである。例えば、「贖い」はある意味において2回あるから、神はそのことを明瞭に聖書の中で書き記しておられる。すなわち、この地上で起こる贖いが書かれている箇所があれば(例えばエペソ1:7、コロサイ1:14)、今の身体が新しい御霊の身体に切り替えられるという未来に起こる贖いが書かれている箇所もあるが(ルカ21:28)、これは初心の聖徒でなければ、すぐにも見分けがつくものである。再臨に関する聖句の場合、このような区別はまったくなく、またそのように区別することもできず、ただ1回限りのものとしか解釈することができない(※②)。それは今まで2千年間の聖徒たちが、再臨を1回限りのものとしてのみ信じていたことからも分かる。つまり、誰一人として聖書から再臨が2度あるなどとは解せなかったのである。これは一体どういうことなのか。つまり、本当に再臨は1回しか起きないということである。だからこそ、再臨が2回もあるなどとはとてもではないが解釈できないような聖句以外には見つからないのである(※③)。さて、再臨が既に起きたと認めた聖徒が2回目の再臨を発明してしまうのは、つまる所、「肉」が最大の原因であると私は見ている。もし再臨が既に起きたとすれば、既に再臨が終わったのだから、論理的に考えて当然ながら再臨はもう起きないと考えざるを得ない。しかし、そんな考えを持っていることを他の聖徒たちに知られたら、どうなるのか。まず間違いなく驚かれて「異常」だと思われるだろうし、中には「異端」だと言いだす教師もいるはずである。そのような考えは今までに誰も持ってこなかったし、あの「使徒信条」の内容をも否定せねばならないことになるからである。再臨が既に起きたと知った聖徒たちは、そのような未来における危険を、意識的にであれ無意識的にであれ頭の中で感じる。聖徒たちにある肉は、そのような見解を持つことにより異端的な存在だとみなされることを大いに恐れる。すなわち、「再臨がもう起きないなどと言ったら批判の的になるのは目に見えている。使徒信条も唱えられなくなるから異端視されてしまう。一体どうすればよいのか。困ったことになったぞ。」という感情が、その聖徒の中に生じる。そのような状態になるのは大変苦しく悲惨なことである。人間の自然の情として、そのような状態になるのは出来れば避けたいことである。だからこそ、肉の働きがそのような状態に自分を至らせることを避けようとして、問題をなくすために、2度目の再臨などという考えを発明してしまうのである。そのようにして2度目の再臨があるなどと考え公言していれば、他の教会と同じようにこれから再臨が起こるという考えを持っていることになるのだから、それほど批判の対象になることもなくなり、その人は多かれ少なかれ安全な状態を享受できるようになる。もうお分かりであろう。要するに、2度目の再臨について主張する者たちは、「肉による弱さ」のために今までに誰も考えなかったような考えを発明してしまったのである。我々は、彼らのような見解を持つことをせず、再臨は一度限りの事象であったと信じるべきである。聖書が再臨について2度起こると示唆していたり明瞭に述べていれば話は別だっただろうが、そのようなことはないのである。

(※①)
どのような死体にでも触れる者は、七日間、汚れる。その者は3日目と7日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない。3日目と7日目に罪の身をきよめないなら、きよくなることはできない。』(民数記19章11~12節)
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(※②)
前述の教師は、一時期、マタイ25:14~30と25:31~46の箇所を、1回目の再臨と2回目の再臨に区別するという無謀を行なっていたことがあった。すなわちタラントが出てくるほうが紀元1世紀の再臨であり、羊と山羊が出てくるほうがまだ起きていない再臨という区別である。はっきり言えば、この区別は、完全に恣意的なものであって、聖書的な区別だとは間違っても言えない。再臨に関する諸々の聖句を見れば分かるように、第1回目の再臨の時に―とはいっても再臨は1回しかないのであるが―、キリストがその栄光の座に着かれることになる。これは全てのキリスト者が認めることである。第1回目の再臨が起きた時に、キリストが栄光の座に着かれないなどということが、どうしてあるであろうか。そのような再臨の仕方は、聖書が教えている再臨の仕方とは違っている。キリスト者ならば誰でも分かるように、「再臨」と「栄光の座への着座」という2つの出来事はセットであって、切り離して考えることはできない。であれば、この教師がかつて2回目だと思い違いをしていたマタイ25:31~46の再臨は、実は第1回目の再臨だったことになる―とはいっても再臨は1回しかないのであるが―。というのも、この箇所では『人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。』(25章31節)と書いてあるからである。キリストが再臨される時には必ず栄光の座への着座があるのだから、キリストが栄光の座に着くと教えられている25:31~46の箇所が1回目の再臨を書いたものであるということは疑えない。もっとも、この教師は、後になってから25:31~46の箇所も紀元1世紀の再臨(つまり第1回目)のことではないのかという考えを持つに至ったようではある。今はどのような考えを持っているか私は知らないが、どうもこの教師は、自分の願望に聖句を合わせようとする傾向があると言わねばならない。
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(※③)
しかしながら<到来>であれば、2度起こると聖書は述べている。すなわち、それは受肉の時における「初臨」と、死者の復活が起こる時における「再臨」という2度の<到来>のことである。オリゲネスも、異端者のケルソスを反駁している書物の中で、次のように正しく説明している通りである。「ケルソスと彼のユダヤ人、そしてイエスを信じるに至っていないすべての人々は、預言がキリストの到来は2度あると語っているのを見逃しているが、最初のそれは、より人間の苦難に関わり、より謙遜なもので、キリストが人間たちと共にいることにより、神の道をたどることを教え、この世の人々の誰にも将来の審判について知らなかったという弁明の機会を残さないためである。もうひとつのそれは、栄光に満ち、唯一の神的な到来であって、人間の苦難がその神性には混合されていない。」(『キリスト教教父著作集8 オリゲネス3 ケルソス駁論Ⅰ』第1巻 56 p65:教文館)
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 それでは、我々はもうキリストの再臨を待ち望むべきではないのであろうか。これは、その通りである。我々は、紀元1世紀の聖徒がそう言ったように『主イエスよ。来てください。』(黙示録22章20節)などと言うべきではない。紀元68年に再臨が起きるまでは、このようには言うのは正しいことだったし、それどころか、このように言わねばならないと命じられてさえいた。確かに黙示録の中では、神が『これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。』(22章17節)と命じておられる。何故なら、当時はまだ再臨が起きていなかったのだから、再臨がすぐに起こるようにと待ち望むべきだったからである。しかし今やキリストは再臨されたのであるから、我々がこのように言って再臨を待望するのは間違っている。既にキリストが来られたのに、またもう再臨は起きないのに、再臨を待ち望むというのは一体どういうことであろうか。そのようにするのは明らかに普通ではない。我々が再臨を誤解して『来てください。』などとどれだけ叫んでも、キリストが再臨されることはない。それは意味のないことを口にして時間と精神を無駄遣いすることに他ならないのである。

 さて、もし再臨が起きて世界が改まったのであれば、これからこの世界はどうなっていくのであろうか、また我々はどのようにしていけばよいのであろうか。これは大変重要な事柄ではあるが、今はまだ語ることをしないでおきたい。読者の方は、もうしばらく待っていただきたい。というのも、この第一部は、再臨が既に起きたということに関する真実性を聖書から論証することを目的とした場所であって、「これからは一体どうなるのか」という未来に関する事柄を説明する場所ではないからである。そのような事柄は第二部において書かれるであろう。ここでは、とりあえず「既に再臨は起こった」という見解が証明されるだけで満足してほしい。何にでも時と秩序というものがある。ジャン・カルヴァンも「キリスト教綱要」では、まず神のことを、次にキリストのことを、そうしてから聖霊なる神のことを、というふうに事柄を順序立てて個別的に論じたものである。アウグスティヌスも「あらゆる場合にあらゆることを語るべきではない」(『アウグスティヌス著作集9 ペラギウス派駁論集(1)』自然と恩恵 第53章 62 p212:教文館)と正しいことを言っている。何も私は十分に説明できないから語るのを避けているということをしているわけではないのだから、読者はもう少しの間我慢してほしい。

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10章 今まで教会に再臨を正しく理解する解釈の恵みが与えられなかった理由

 上で説明された見解は真に聖書的な解釈に基づくものだと私は信じているが、この見解が神の御心にかなった見解だとすると、教会は今まで2千年もの間、再臨の領域において誤謬の闇の中に放置されてきたことになる。すなわち、あらゆる聖徒たちは誠に長い期間、再臨を正しく理解する解釈の恵みを神から受けていなかったことになる。これは大変驚くべきことであり、多くの兄弟の心を動揺させることではないかと私には感じられる。何故なら、今まで聖徒たちが悲惨な誤謬に陥っているにもかかわらず、神がそれをそのままにしておかれたからである。これが一体どういうことなのかといえば、つまりまだ単に「時」ではなかったということである。ソロモンは何であれこの世界には時期というものがあると教えているが、それは次のように書いてある通りである。『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。』(伝道者の書3章1節)再臨を聖徒たちが正しく信じる「時」は今に至るまで、まだ訪れていなかった。しかし最近になって、その時が遂に訪れた。だからこそ、このようにして再臨の正しい解釈が神の恵みにより明らかにされることになった。―簡単に言えば、こういうことなのであろう。このことは、他のことでも同様である。例えば、20世紀になるまでは人類に自分たちの住む地球がどのような姿をしているのか、まだ神は明らかにしておられなかった。しかし20世紀になって時が来たので、神の恵みにより、我々は青くて美しい地球の姿を明瞭に見ることができるようになった。つまり、それまで約6000年の間に生きていた全ての人間は、地球の姿を目で見るという恵みをまだ神から受けることができないでいたのである。これは地球の姿以外にも、遺伝子や銀河や原子といった存在でも、まったく同じことがいえる。再臨の正しい理解が今まで隠されてきたことに動揺する兄弟は、他にもそのような例が多くあるということを知って、不安や混乱や疑念を抑えるべきである。神は、このようなやり方により、真理や本当の姿といったものを人間に明かされる方である。神は、ご自身の時に、ご自身の御心にかなったことをされるのである。一体誰が神に向かって「あなたはどうして今まで再臨を聖徒たちが正しく信じられないように誤謬の闇に放置してきてこられたのですか。」などと言えるであろうか。

 かし、このように思われる方も、もしかしたらいるかもしれない。「神が御民を本当に愛しておられるのだとすれば、再臨を正しく信じられないままの状態に留まらせておかれたというのは実におかしな話ではないか。もし神が我々に恵み深い方であれば、2千年もの間、再臨を誤解したままでいるようにはされなかったはずだ。そんなにも長い期間、誤謬を放置させておくとは、憐れみの神には相応しくないと言わねばならない。」このように言う気持ちは分からないでもないが、ではどうして聖徒たちは16世紀もの間、正典を正しく認識することが許されなかったのであろうか。正典とは神が聖徒たちに与えられた誠に重要で大切なものであって、この正典抜きには我々の信仰もまったくありえなかった。そのような重大極まりないものを、神は1500年もの間、教会で緻密に確定させることをさせないでこられた。カルヴァンも言うように「古代教父の間では正典に関する見解が殆ど確立していない」(『キリスト教綱要 改訳版 第4篇』第4篇 第9章 第14節 p192:新教出版社)状態が見られた。この古代教父の時代から約1000年経った16世紀の人であるルターでさえ、正典は全部で66巻だという認識を持てておらず、「シラの書」や「知恵の書」さえも正典に含まれていると考えていた(※①)。カトリックお気に入りのトマス・アクィナスも、神秘主義者のエックハルトも、この2つの巻を正典として認識していた。またあのジャン・カルヴァンでさえ、「ヨハネの手紙Ⅱ・Ⅲ」をある時までは、それが本当に正典に含められるべきものかどうか疑問に感じていた(最終的には正典であると認めるに至ったが)。既にキリスト教の歴史が1500年も経過しているのに、このような巨人たちでさえ、正典が66巻であると認識できていなかったのである。このように神は1500年もの間、聖徒たちが正典の数をしっかりと確定できないのを放置しておられたことになるが、このことについても我々は問題にすべきであろうか。つまり、「神が本当に御民を愛しておられるのだとすれば、正典を1500年も正しく確定できなかったことを放置しておかれるはずがどうしてあるだろうか。そのようにする神は恵み深くも憐れみ深くもない神だと言わねばならない。」などと悪く言うべきであろうか。当然ながら、こんなふざけたことを言う者は批判されても文句はいえないし、このように言うのは神に対する不敬である。また、このような文句を言ってもよいとすれば、他にも神が地球の姿や遺伝子や銀河といった存在を人類に長い間隠してこられたことを悪く言わねばならないことになる。「数千年もこのようなものを隠し続けてこられた神は愛のない酷いお方である。」などと。しかし、そのように文句を言う人がいたら、やはり批判されたとしても文句は言えないし、またそのように文句を言うのは間違っている。16世紀におけるカトリックも、ルターをはじめとした宗教改革者たちが出て来た際に、その信仰義認の教理をいぶかしげに思い、「もし信仰義認が真理であれば神はどうして長い間、教会にそれを隠し続けてこられたのか。なぜ、神はそんなに長い時代にわたって教会をさ迷わせ続けられたのか。」などと批判をしたものであった。しかし、このような批判は誤っており、誤っているがゆえに宗教改革者たちに打撃を与える批判とはならなかったのを我々は知っている。だから、我々に2千年間も再臨の正しい解釈が隠されてきたからといって、神に文句を言い立てるのは敬虔な態度に基づくものではないと言わねばならない(※②)。我々人間の親も、子どもに何かを与える際には、それを与える時期を選ぶ。車は非常に良いものであるが、それが良いものだからといって7歳の子に与える親はいない。その際、子どもが車を与えてくれないことに文句を言ったら、親である我々はどう思うであろうか。当然ながら、「まだ駄目なのだ。」というような思いを抱くであろう。神に対して再臨についての文句を言う人は、車を与えてくれないからというので親に文句を言う子どもとよく似ている。人間の親が子に何かを与える裁量権を持っているように、神も人間に何かを与える裁量権を持っておられる。子どもは「7歳の子に車を与えるのはまだよくない。」という親の心を尊重すべきである。神という我々の親にも「この理解を聖徒また人類に与えるのはまだよくない。」という御心があるのは誰にでも分かるはずである。人間の子が親の心を尊重すべきであれば、聖徒も自分たちの父である神の御心を尊重すべきである。たとえ神が再臨の正しい理解を2千年間も隠してこられたからといって(※③)、聖徒たちに対して恵み深くないということにはならない。神は、聖徒たちにキリストを与え、そのキリストのうちに保ち、日々多くの恵みを与えて下さっておられるではないか。それなのに再臨を隠してこられたという一つの点だけで、神を恵み深くない方だと認識してしまうのは、いかがなものかと私には思われる。

(※①)
特に、この「シラの書」は、聖徒たちが1000年以上もの間、正典であることを全く疑わなかった厄介な文書である。今から500年前になるまで、教会はこの文書に心を大いに奪われてきたといってよい。今では考えられないことだが、これまでこの外典から、それがあたかも神の言葉であるかのように多くの説教がなされてきた。アウグスティヌスにおいては、あまりにも酷かった。語るのも辛いほどであるが、彼が晩年になって聖徒向けの聖句集を編んだ時、もっとも引用されたのはこの「シラの書」からであった!アウグスティヌスほどに恵みを受けていた者が、聖句集の中に、実際は聖句ではないガラクタをもっとも多く組み入れたというのは、聞くことすら耐え難い悲劇である。しかし驚くなかれ、神がアウグスティヌスにこのような醜態を演じることを許されたのである。また現在では正典から外されてしまったが、かつてはソロモンの筆によると見做されてきた「知恵の書」について、アウグスティヌスはこのように言っている。「…知恵の書は、かくも多年にわたってキリスト教会において朗読されるに値していたものであって、不当な取り扱いを受けるべきではない。なぜなら、知恵の書は、人間の功績を主張して誤りに陥り、そのため最も明瞭な神の恩恵に対抗するようになる人たちに講義しているからである。」(『アウグスティヌス著作集10 ペラギウス派駁論集(2)』聖徒の予定 第14章 29 p220:教文館)「…この知恵書そのものを、すべての釈義家よりも優先させるようにしなければならない。なぜなら、使徒たちの時代にもっとも近い卓越した釈義家たちといえども、自分自身よりもこの書を優先させており、この書を証人として立てる場合には、ほかならない神的証言に諮っていると信じていたからである。」(同 28 p219)「…事情がこのようであるから、『知恵の書』から引用された聖句は拒絶されてはならなかったのである。この書物はキリストの教会において教会の講壇からかくも古から長年月にわたって朗読するに値したものであり、すべてのキリスト教徒によって、つまり司教から下ってもっとも低い平信徒、悔罪者、洗礼志願者にいたるまで、神的権威に対する尊崇の念をもって傾聴するに値したものである。」(同 27 p217)今では考えられないことだが、アウグスティヌスはこの『知恵の書』を正典と見做しており、そこに書かれている言葉を「聖句」だと何の疑いもなく言っている。この思い違いはルターの時代まで続き、カルヴァンの時代になってやっとこの書の正典性が疑われるようになった。これは何を意味するのか。それは、つまり約1500年もの間、神がその愛する全ての聖徒たちに思い違いをさせるのを許可されたということである。
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(※②)
このように真理が隠され誤謬の泥沼に沈んだたままの状態が許されたのは、あの「免償」の教理でも同様のことが言える。カルヴァンは、この免償の教理が長い間罰せられずに放置されたままでいたことについて、次のように言っている。「確かに、免償がかくも長い時代にわたって無傷で存続し、こんなに久しい間罰せられないままに無節度かつ狂暴な恣意を押し通して来たのは、人々がいかに深く誤謬の闇に沈んでいたかの証拠である。」(『キリスト教綱要 改訳版 第3篇』第3篇 第5章 第1節 p153:新教出版社)
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(※③)
このように神が隠されてきた聖書の教理や理解や箇所は、再臨についての他にも存在している。例えば、ローマ1:3~4の正しい理解がそうであった。ルターによれば、ルターの時代まで1500年の間、この聖句の正しい理解は聖徒たちに隠されたままであった。ルターさえも、このローマ書の箇所を、恐る恐る解き明かしている。彼はこの箇所について、こう書いている。「この箇所は、私の知るかぎり、だれからも真に、また、正しく解き明かされたことがない。初代教会の解釈者たちを不適切さが、最近の解釈者たちを霊の欠如が妨げてきた。」(『ルター著作集 第二集 第8巻(ローマ書講義・上)』スコリエ 第1章3~4 166 p225 聖文舎)
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 れでは一体どうして神は、今まで2千年も明らかにされてこなかったことを、これを書いている私を通して明らかにしようとしておられるのであろうか。どうしてビリー・グラハムやマーティン・ロイドジョンズをはじめとした有名な牧師やバルトのような偉大と見なされている神学者ではなく、名もよく知られていない私により、このような正しい解釈が書き記されることになったのか。その理由は、はっきり言って私にも分からない。確かに私は自分に正しい聖書解釈が与えられていると自分では感じている。実際、私と話し合った人は、私の言ったことに答えられずに沈黙してしまうし、私の言うことを聖書的な見解として認めさえする。だが「一体なぜ私が?」という思いが前からあったのである。一つ言えるのは、私が無名であり、取るに足りない存在だからであろう(※①)。神はそのような存在にこそ真理を与えられる。それは聖書を見ても分かることである。使徒のほとんどは無名で取るに足りない漁師や取税人だったし、あのパウロも元はといえば教会を迫害するどうしようもない獣のごとき存在であった。ルターも同様であって、彼は注目されることもないただの一修道士に過ぎなかったが、キリスト教のために大いに用いられることになった。すなわち神は教皇や皇帝のようなビッグネームではなく、ルターという小さな存在をこそ教会のために選ばれたのである。神が、どうでもいいような存在を使われるということについては、他にも多くの例があるのを我々は知っている。だから、私がこの作品で本当に再臨の正しい解釈を述べているのであれば、それは神がこの世的には偉大ではない私を、その再臨の正しい解釈が伝えられるようになるために用いられたということになるのであろう。いずれにせよ、読者の方は、このような考察に値すると思われる見解を聞いて、人ではなくその書かれた内容にこそ注目してほしいと私は願うものである。神が私を通して再臨の正しい解釈を明らかにしておられるのであれば、私という人につまづいたがゆえにその書かれた内容を取り損なってしまうというのでは、大変悲惨である。しかし、内容のほうにこそ注目すれば、私という者がいかなる存在であれ、神の明かされた真理を取り損なうこともなくなる。それは、その人が内容を直視しているために、私という存在により内容が妨げられないからである。教皇と教皇主義者たちは、ルターの「人」につまづいたからこそ聖書の正しい解釈を取り損ねてしまった、ということを我々は忘れるべきではない。高慢な彼らは、真理を語るルターのことを「こんな修道士に過ぎない小物が口を大きく開いて生意気なことを言っているぞ。」などと思ったものである。神が私により再臨のことを聖徒たちに伝えようとしておられるのだとすれば、私をルターのように軽く取り扱うのは、あまりにも不幸なことである。

(※①)
ここで、筆者である私が知恵深いからこそ、このように分かることができているのだ、などと思う人があってはならない。私にはそれほど自覚がないのだが、確かに、今まで多くの人が私のことを賢いと評してきたのは事実である。しかし、だからといって、聖書の真理を正しく理解することができないのは明白である。もし頭が良いからというので真理を悟れるというのであれば、どうしてセネカは、ヒュームは、アダム・スミスは、ヴォルテールは、J・S・ミルは、アインシュタインは、聖書を悟れなかったのであろうか。彼らのうちで聖書の真理を悟れた者は一人もいない。もし知恵深いからといって真理を悟れるのであれば、最高の知者と言うべきこのような者たちが、聖書を悟れないのは説明がつかない。確かなところ、真理を理解できるのは、神が恵みを与えられるからに他ならない。知恵があろうがなかろうが、真理を理解できる人は理解でき、理解できない人は理解できない。つまり、神が理解させようと欲された者は理解できるが、そうでない者は誤謬の闇に留めさせられる。そこにおいて、人間の知力は一切考量されていない。神により恵みが与えられるか与えられないか。事はただこれだけである。我々は『人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。』(ヨハネ3章27節)という聖書の言葉を、よく考えるべきである。聖書の真理に対する正しい理解は、人間の知性にではなく、神の恵みにだけ帰されねばならない。
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11章 再臨に関する悔い改めについて

 これまでに書かれた説明を読んで、再臨の正しい解釈を知ることができた者は、自分の今までの解釈を捨て、神の御前で悔い改めるべきであろう。再臨を待望する信仰が強力であればあったほど、その人は大いに悔い改めなければいけない。その人は間違った見解を強力に信じていたのだから、悔い改めも、当然ながらそれに応じたものでなければいけない。また、再臨の誤った考えを多くの人に伝えたり教えたりしていればいるほど、大いに悔い改めなければいけない。これは牧師や神学者や教師や伝道師などが、特にそうである。このような者は、周りにいる多くの人を誤謬の穴に引きずり込んだわけだから、悔い改めもそれに応じたものであるべきである。それは世の中において、その犯した罪の度合いが大きければ大きいほど、また多くの罪を犯せば犯すほど、悔い改めも大いになされねばいけないのと同じである。ただ教えを聞いているだけの聖徒であれば、教えている者に求められているほどの深い悔い改めは求められていないと私は思う。何故なら、その人は多くの人に聖書を誤って伝えたわけではないし、こういうと問題があるが言わば被害者的な面もあるからである。しかし、だからといって教えられるだけの者も、教職者ほどの深さは求められていなかったとしても、真剣な悔い改めが求められていることは言うまでもない。その人も、聖書を誤って信じていたことについては教職者と変わらないからである。つまり、教職者は責任が重いのであるから、それだけ悔悛の念も深くなければいけないということである。もし、あなたが悔い改めるならば、神はキリストにあってその誤りを赦して下さる。何故なら、神は憐れみ深く、『御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめ』(Ⅰヨハネ1章7節)るからである。本当に誤謬を奉じていたことを悔い改めたのに、神が赦して下さらないというのは、あり得ないことである。そうであれば、神は『咎とそむきと罪を赦す者』(出エジプト34章7節)ではないことになってしまう。それでは、もし悔い改めなかったら、どうなるというのか。再臨の正しい解釈を聞いても悔い改めないのは、実に危険である。その人は、報いとして真理から遠ざけられ、誤謬の闇に歩むことになる。真理と誤謬という2つの道は、前方に分かれている右と左という2つの道と似ている。もし人が右に進むならば左の道に進むことはできず、左の道に進むならば右の道に進むことはできない。それと同じように、もし誰かが真理の道に進むならば誤謬のほうに進むことはできず、誤謬の道に進むならば真理のほうに進むことはできない。我々は、どちらか一つしか選ぶことができない。すなわち、真理のコースに進んで真理の道を歩み続けるか、誤謬のコースに進んで誤謬の道を歩み続けるか、どちらかしか選べない。悔い改めるならば真理の道に進めるが、悔い改めなければ誤謬の道を突き進むことになり、神学の領域において呪われる。ますます誤謬の深みに入り込みたくなければ、その人は、悔い改めて真理を自分のものとしなければいけない。私がこのように書いても、自分の奉じる説が正しいと思うので悔い改める必要などないと感じる人もいるかもしれない。そのような人は、第8章でも説明されたように、御霊を受けていないか、肉の思いがあるか、私の述べたことをよく理解できていない。このような人は、恐らく神の恵みにより悔い改めるようにと定められていない。それゆえ、そのような人は悔い改めて正しい解釈を奉じることもなく、延々と誤謬の中に留まり続けることになる。

 再臨に関して悔い改めた聖徒は、再臨の正しい解釈を、周りの人に伝え知らせるべきなのであろうか。もし、そのようにできるならば、そうするのが望ましいと私は思う。自分では伝える力がないというのであれば、この作品を見てもらえるようにするというだけでも、よいであろう。アロンのようなよく話す仲間がいるのであれば、その人に語ってもらってもよいであろう(出エジプト4:14~16)。もっとも、一番望ましいのは神から与えられた自分の力で伝えることではあるが。確かに神は、多くの人たちが聖書の真理を知るようになるのを望んでおられる。だからこそ、キリストは『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』(マルコ16章15節)と言われたのだし、パウロも『みことばを宣べ伝えなさい。』(Ⅱテモテ3章2節)とテモテに命じたのである。そうであれば、神が多くの聖徒たちに再臨を正しく理解するようにと願っておられるのは、間違いないことである。何故なら、再臨の事柄も聖書の真理のうちの一つとして含まれているからである。今となっては再臨の真理が既に明らかにされているのだから、それを神が聖徒たちに知ってほしくないと思っておられることがどうしてあるであろうか。真理が明かされたということは、すなわち、その真理が多くの聖徒たちに知らされるべきだということであろう。何にせよ、まず我々がすべきなのは、ここで説明されたことをよく把握し、悔い改め、自分の信仰的な立場を変えることである。そうしてから初めて再臨のことを周囲の人に知らせることができるようになる。理解が足らず、悔い改めてもおらず、立場も変えていないというのに、どうして他者を説得させることができようか。自分の状態が何も変わっていなければ、他の人の状態を変えることもできないであろう。また、周りの人に知らせる際には、祈り、思慮を持つということを忘れるべきではない。というのは、祈らなければ神が働きかけて下さらず、思慮がなければ愚かな言行をしてしまいかねないからである。古代イスラエル人は、神に祈って指示をあおがなかったので、異邦人を自分たちの集団に受け入れるという害をこうむることになった(ヨシュア記9章)。ソロモンは『愚か者は思慮がないために死ぬ。』(箴言10章21節)と書いている。聖徒であれば誰でも、神の働きかけと共に何かをしたいと思うだろうし、思慮がないために死んだりするなどといったことはできれば避けたいと感じるであろう。であれば、再臨の正しい解釈を伝える際には、絶対に祈り、必ず思慮を持つべきだということになる。これは今の教会にとってはあまりにも刺激的なことだから、祈らなかったりやり方を間違えると、大変なことになりかねないのである。しかし、祈り、そのうえ思慮をもつのであれば、たとえ大きな論争に発展した場合でも最善の結果を享受することができるであろう。

 しかし、そうはいっても、やはり、ここで書かれた再臨の見解を伝えたことにより生じると想定される論争や軋轢や諸々の問題が心の煩いとなり、誰かにこのことを伝えるのを躊躇してしまうという聖徒も実際多くいるのではないかと思われる。実際、私もこの見解を伝えたら、無視できない問題となり、大きな論争へと発展してしまった。ある牧師は、この見解を奉じたために所属していた教派から追い出されることになった。この見解を伝えても、今まで通りの状態でいることができないのは、既に伝える前から十分に予測可能である。こんなにも我々の心が捉われてしまう霊的な見解は、非常に珍しいからである。もしこのことを伝えた場合に何かの問題が起きたとしても、それは仕方がないことだと受け止めるべきであろう。真理を伝えると何かの問題が生じたり、大変な状態に陥ってしまうというのは、昔から世の常であったのを我々は知っている。あのエリヤは神の預言を告げたために、どれだけ大変な目にあったことか。キリストも真理を大胆に語られたので、凄まじい迫害を受け、最後には十字架へと渡されてしまった。三位一体の教義に大きく貢献したアタナシオスは、逃亡を続ける生活を送っていた。ルターは福音のゆえにカトリックから憎まれ、殺されても何も不思議ではない状況のうちに歩んだ。カルヴァンも宗教改革の最中にあって、ほら穴の中で集会と聖餐式を行なっていた。このように真理を伝えると大変なことになるのが自然の成り行きであるが、これは私が説明した再臨の見解についても同様のことがいえる。だが、だからといって真理を伝えるのを差し止めるべきであるということにはならない。我々は、キリストの言われた次の御言葉に耳を傾けるべきである。『義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。』(マタイ5章10~12節)我々の理性は「正しいことのために悪い状態になるのは不幸である。」と思う。これに対しキリストは「いや、そうではない。正しいことのために悪い状態になるのは幸いなことである。」と言われる。このようにキリストが言われたことを心に留めれば、多かれ少なかれ再臨の真理を伝えることに抵抗感がなくなるのではないかと私は思う。そのようにして真理を伝えれば、たとえこの世においてはより不幸になったとしても、いずれ行き着く天で受ける幸いの度合いはそのぶん増し加えられるのだから。どうか、再臨の真理を悟った聖徒たちの多くが、その真理を周りの者に伝えることができるよう神が働きかけて下さいますように。アーメン。

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12章 この再臨論に対する教職者の反応と態度

 この章では、この再臨論を聞いた教職たちが、それに対してどのような反応や態度をとったのか書き記したい。どうしてかといえば、まず読者の情報が増えるようになるためである。私が本作品で取り扱っている問題は、実に重要であり、注目に値するものであるから、そのことに関する情報が増えるのは望ましいことではないかと私には思える。そして情報が増えることで、読者が、この問題に正しく対応できるようになるためでもある。もし情報が増えるのであれば、無知による偏見もなくなり、自分が理解してさえいない問題をさも知っているかのように堂々と批判するという愚を犯すこともなくなるであろう。もし情報が少なければ、それだけ事柄を把握できず、思慮もなく愚かな批判をしてしまう可能性が高まる。これは批判だけでなく質問や評価などをする場合も同様である。色々な情報があるからこそ、批判や質問や評価を正しく行なえるようにもなるということは言うまでもない。よって、本質的なことであるとは言えないが、私がここでこのような情報を読者に伝えるのは少なくとも無駄にはならないはずである。

 まず第一に書くのは、私と激しい論争を行なったMT牧師である。この牧師は、再臨が既に起きたという見解を知った際に「私は今まで30年の間何をしてきたというのか。」と口からこぼした。彼がこのように言ったのは、恐らく再臨の正しい見解を真に悟ったからだと思われる。つまり、その見解を受け入れてしまえば今まで信じてきた見解をまったく捨てねばならず、自分が過去に言ってきたことも全て否定しなければならず、これまでにしてきたことが何もかも無駄だったように感じられたがゆえに、こうこぼしたのであろう。実際にはどう思ったか分からないが、いずれにせよ、この見解が正しいと感じたことだけは間違いない。そうでなければ一体どうしてこんなことを言ったのであろうか。確かにこの牧師は、私の説明を聞いて、再臨が既に起こったと聖書が教えていることを認めた。というのもマタイ16:28で言われている『ここに立っている人々』という言葉を、この牧師は紀元1世紀の人間であったと認めざるを得なかったからである。キリストはそれらの人々が生きている間に再臨が起こると言われたのだから、当然ながら『ここに立っている人々』がすなわち当時の人間であったとすれば、彼らが生きている紀元1世紀に再臨が起きたことになる。だからこそ彼は再臨が既に起きたことを認めたのである。もちろん彼がこのように考えたのは正解であった。しかしながら、彼は再臨が紀元1世紀に起きたことは認めたものの、もう再臨が起こらないという教会の常識に反したことは言えなかったために、教会の常識に合わせようとして2度目の再臨を開発してしまった。確かにこの牧師は「これから2度目の再臨もあるのだ。」と述べた。第9章でも説明されたが、彼は、常識の力や周りの人からの評価に関する懸念に屈服させられてしまったのである。真理を直視しようとせず、この世の威力に屈したがゆえにまともではない見解を発明してしまうのは、人間が弱いからである。その後、彼は証拠の不在につまづいたために、一度は既に再臨が起きたことを認めたにもかかわらず、自分が長い間信じ続けてきた見解に戻ってしまった。これは私がまだ証拠の不在について彼に詳しく説明できるほどに理解が進んでいなかったからであるが、彼がこの証拠の問題により、御言葉で言われていることを拒絶してしまったのは確かである。そうしてから、この牧師は自分の以前の見解を強烈に主張するだけになってしまった。聖句の内容を慎重に考察したり一つ一つの言葉にこだわることもせず、ただ聖句で「キリストの再臨が近い」と言われているからというので、「キリストの再臨が近い」と言うだけになった。聖句でこう言われているのは、パウロの時代に生きていた聖徒たちがすぐにも再臨を見ることになるからであったのだが…。つまり、彼は私のした説明をまったく考慮せず、その説明を脳内から切り捨ててしまい、ただ自分の見解に無我夢中でしがみつくだけになったのである。これは彼が真理を受け入れなかったために下された神学的な罰である。パウロが述べたように、真理を拒絶したからこそ偽りを信じるようになってしまったわけである。彼は真理の道を選ばずに偽りの道を選んだのだから、その偽りの道に突き進み、もう2度と真理の道に入ることはできないであろう。聖書を直視し真理を我が物としたく願う者は、この牧師から教訓を得なければいけない。我々は、この牧師のように証拠がないからといって御言葉を素直に信じないということがあってはならない。アウグスティヌスも言ったように「知るためにまず信ぜよ」。そうすれば、信じた後に、様々なことが知れるようにもなろう。この牧師も、天国という場所を真に知るために、天国へと人を導くイエス・キリストをまず信じたはずである。まずキリストを信じたからこそ、やがて天国を本当の意味で知れるようにもなる。まず天国に行って自分の目で確かめることにより証拠を得なければキリストを信じないという人は、決して天国には入れない。まず信仰があり、次に知識がやってくる。ここで説明されている再臨の見解も同様である。再臨の真実を詳しく知りたいならば、まず既に再臨が起きたことを信じなければならない。「証拠がないから信じない」と抵抗する人は、「天国を自分の目で確かめない限りキリストの救いを信じない」と抵抗する人と、本質的には何も変わらない。先に知識という果実を求めてどうするのか。その果実は、信仰という種を蒔かなければ得られないのである。

 このような牧師もいる。それは私の説明を最終的には受け入れた牧師である。この牧師は、私が初めて説明した時には、まったく無反応であった。手応えのようなものがなく、私は空を打っているかのようであった。この牧師が言うには、私の説明を聞いても「何を言っているかよく分からなかった。」ということである。これは無理もなかったといえるかもしれない。何故なら、このような再臨に関する見解は、今まで一度たりとも聞いたことがなかったのだから。恐らく、他の多くの牧師も、私の説明を聞いた際、この牧師と同じような反応を示すのではないかと思われる。この見解は、驚きを通り越して思考が停止してしまうぐらいに今のキリスト教界では聞きなれない見解なのである。しかしながら、私がもう駄目かと諦めかけていた時期に、この牧師は自分の見解を変えた。すなわち、自分の今までの見解を捨て、再臨が既に起きたということを聖書により信じた。神がこの牧師に働きかけて下さったのである。そうでなければ誰がこのような見解を受け入れられるであろうか。聖書の真理は、たとえクリスチャンであっても、それを悟れるように定められていなければ、与えられないものである。それはバプテスマのヨハネが『人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。』(ヨハネ3章27節)と言っている通りである。このことには多くの例がある。あのキプリアヌスは洗礼の1回性を信じることができなかったし(彼は再洗礼主義者であった)、ジョナサン・エドワーズも律法の第三効用を受け入れていなかった(彼は無律法主義者であった)。実に、このような高名な教師たちでさえ、神の恵みがなければ聖書の真理を受け入れられないのである。私が述べているこの再臨論もまったく同様のことが言える。この牧師は新しい見解に切り替えた時、「目からウロコが落ちるようだった。」とか「暗闇のベールが取り去られた。」などと言っていた。これは正にその通りだったであろう。再臨を正しく理解できたので、聖書、特に新約聖書の多くの部分が何を言っているのか分かるようになったからである。例を少し挙げよう。この牧師は、かつては再臨がこれから起こると信じていたので、一体どうして使徒たちが2千年経過しても起きないような出来事を当時の人たちに速やかに起こるかのように述べていたのか疑問に感じていた。しかし、それではあっても、他の多くの牧師たちと同じように、再臨がこれから起こると信じ、語ることを止めはしなかった。何故なら、これは教会の常識的な見解であって、その見解が正しいものであると教会および神学校で教えられたからである。だが、私の説明を聞いて再臨が既に起きたと理解した途端に、どうして使徒たちが再臨がすぐにも起こると述べたのか容易に理解できるようになった。もちろん、そのように述べられたのは本当にすぐに再臨が起きるからであった。それゆえ、この牧師は「なるほど、そういうことだったのか。」と思って解釈の眠りから目覚めることが出来たのである。これ以降、この牧師は以前の解釈には二度と後戻りすることがなくなった。この牧師は、今でもこの解釈を正しいものとして奉じ続けている。いや、神の恵みが、そのようにさせて下さっておられると言ったほうが正しいかもしれない。よって今後も、この牧師は、前の見解に再び戻るようなことは決してないであろう。この牧師は、真理の道を選んだのだから、その道に突き進むしかないのであって、誤謬の道のほうには移ろうとも移れないのである。

 とよく食事をしたある幼馴染みの伝道師は、私の説明に真っ向から向き合わなかった。私が何かを述べると、その述べられたことに、しっかりと答えてくれなかった。いや、正確には答えられなかったというべきであるが、私は真正面から答えが返ってこないので、もやもやとしたものである。彼は、私と堂々と向き合うことはせず、ただ自分の見解を主張するのみであった。「僕はこのように信じています。」と。彼は自分の見解を私に知らせるために、ジョージ・ラッドの『神の国の福音』から数十枚印刷して私にその紙を渡してきたこともあった。このぐらいの著者であれば、実際に話し合えた場合、私は何度でもその口を封じることができるのだが。このような伝道師は、私の説明に対抗できないものの、しかし私の見解を受け入れたくもなく、ずっと今の信仰に留まっていたいと思う人に多い。だからこそ、私の土俵に上がってこようとしないのである。もし私の土俵に上がれば、論戦に負けてしまうのが目に見えているからである。それゆえ、このような教職者は、自分の見解を一方的に主張することで、私に一応返答したつもりになっており、またそうすることで自分の信仰が揺るがないようにする。しかも、この伝道師は、私がカルヴァンやルターなどの教師らをよく引き合いに出しているのを聞いて、彼らを「ちょっと批判的すぎる」などと言った。今のなよなよしたキリスト教界に頭の先までつかっているこの伝道師にとって、ルターをはじめとした神の選びの器たちは愛がなく、野蛮な戦士とでも感じられたのであろう。彼はルターが「私が辛辣で復讐心が強いと、私を非難する。」(『ルター著作集 第一集 3』ローマの教皇制について p176:聖文舎)と言ったところの真理なき教皇主義者と同類の徒なのであろうか。私は彼らの攻撃的な面を批判するこの伝道師に驚いてしまった。というのも、カルヴァンであれルターであれ、あそこまで激しくなったのは真理への愛ゆえだったからである。この伝道師は、このように批判することで、自分が真理よりも優しさや寛容性といったものを第一にする人物であることを暗に告白している。そういった精神を持っていなければ、つまり聖書の真理を何よりも第一とする精神を持っているというのでなければ、ルターやカルヴァンの攻撃的な面を問題にすることなどできなかったであろう。彼にとっては愛や親和が何よりも大事であって(もちろんこのようなものが大事であることは間違いないが)、真理は二の次なのである。ルターやカルヴァンを批判する彼は、自分の愛する主も、邪悪なパリサイ人どもをこれ以上ないほど辛辣に批判されたことを忘れているか、そうでなけれ意識的に考えないようにしている。我々の主ほど忌まわしい者どもを辛辣に批判された方が他にいるであろうか。いないであろう(※)。また彼はスポルジョンを他の多くの教師たちと同じように高く見ており、そのスポルジョンの本を私にプレゼントしてくれたこともある。この伝道師は、このスポルジョンが強烈極まりない批判家であり、牧師・一般信徒を問わずクリスチャンである者をさえも厳しく批判し、「牧師殺し」とまで呼ばれた事実を知らなかったのであろうか。彼は知識量においては地方教会の伝道師としてはまあ合格ラインに達していたから、まさか知らなかったということはないと思われる。恐らく意識的に考えないようにしていたか、すっかり忘れていたのかもしれない。もしこの伝道師がカルヴァンやルターの攻撃性を批判したのであれば、今述べた主やスポルジョンをも批判しなければいけないのは確かである。何故なら、主はカルヴァンとルターよりも辛辣な批判を行なわれた方であり、スポルジョンはこの2人の宗教改革者と同等程度の批判家だったからである。彼はスポルジョンのほうは批判できたかもしれないが、主を批判することは間違ってもできなかったであろう。一体誰が「主はあまりにも批判的であった。」などと言えるであろうか。であれば主よりも批判性の少なかったカルヴァンとルターとスポルジョンをも批判すべきではなかったはずである。このようにこの伝道師は真理よりも安住や平和といったものを愛する人物であり、また私の説明をよく把握しているにもかかわらず真正面から対応しようとしなかったが、真の伝道師や牧師でありたいと願う者は、このようであってはならない。彼は、私の述べたことにしっかりと対面すべきであったし、もし批判できず沈黙させられてしまうようであれば、私の述べたことにへりくだって聞き従うべきであった。キケロやJ・S・ミルといった超一級の著述家であれば、このような「逃げ」の姿勢は取らなかったであろう。こう述べている私の基本姿勢も、相手の述べたことに一つ一つ対応し、認めざるを得ないことは認めて受け入れるというものである。預言者や使徒たちのように真理を愛する聖徒たちは、今のように交わりをこそ重視するなよなよしたキリスト教界の傾向を超越し、またこの伝道師を自分の教訓とし、真理を徹底的に愛し恋い慕うべきである。真理を愛する聖徒は「アーメン」と言うべきである。

(※)
この聖なる救い主が述べたパリサイ人に対する言葉はこうである。『忌まわしいものだ。目の見えぬ手引きども。』(マタイ23章16節)『愚かで、目の見えぬ人たち。』(同17節)『忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。』(同23節)『あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。』(同25節)『あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。』(同27~28節)『おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。』(同33節)
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 ある伝道師は、恐らく私の説明したことをよく理解できていなかったと思う。だから、この伝道師はこの問題について多くを語らなかった。私は今でも彼が、私の述べたこといついてどの程度の理解を持っていたのか分からないでいる。もし彼がこの問題をよく理解していたのに何も言わなかったとすれば、真理のために戦うことを恐れ、交わりのために真理を隅に押しやっていたことになる。すなわち、交わりをこそ全てに勝る至上のものとしていたことになる。実際はどうだったか判定できないのだが、もし彼がよく理解できていなかっただけならば情状酌量の余地があると私としては思う。理解力があまりなく、よく理解できなかったのであれば、たとえこの問題にタッチしない傾向があったとしても、大いに責められるべきだとは言えないであろう。カルヴァンもよく分からなかった黙示録の注解書をあえて書こうとはしなかったし、それ以外にも理解が足りないことについては多くを語らなかった。しかし、事柄をよく理解していたにもかかわらず真理よりも交わりのほうを優先させていたのだとすれば、これは大いに批判されるべきである。もし交わりよりも真理を優先させるべきだとすれば、預言者は何も預言できなかっただろうし、キリストも真理を大胆にお語りにならなかっただろうし、ルターも有名になっていなかったであろう。真理のほうが交わりよりも上に置かれるべきだということは、敬虔な人であれば誰も疑わないはずである。交わりを否定するのではないが、真理よりも交わりを上にするのは、明らかに間違っていると言わねばならない。実際はどうか分からないが、もし彼が本当にそのようにしていたのだとすれば、実に問題である。ルターはこう言った。「真理なき愛は消えうせよ」と。プルデンティウスもこう言った。「真理への愛よりも崇高なものはありません」(『聖アンブロシウスの賛歌』プルデンティウス「ペリステファノン・リベル」 p190:サンパウロ)と。真理を愛する者は、この2人の言葉をよく弁えるべきであろう。伝道者が真理を蔑ろにして交わりこそを重視すべきだとすれば、テレビに出てくる芸人のほうがよい伝道者になれるであろう。実際、面白い芸人たちは大衆の心を掴み、人とのコミュニケーション能力も優れたものを持っているのだから。

 き記すに値するのは、現段階では、このぐらいである。他にも私の話を聞いた教職者や一般信徒は多くいるが、取り立てて紹介するほどの反応を示したとは言い難い(※)。これからも書き記すに相応しい教職者が現われたならば、この章に加筆することで、読者に紹介したいと思っている。それは、些末であるといえばそうかもしれないが、この再臨論に関する読者の情報量が増し加えられるためである。これは本質的な情報とは言えないが、しかしまったく無駄な情報だというのでもないのである。これを書いている私自身も、ここに書かれたような不信仰な者とならないように注意せねばならない。『私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないため』(Ⅰコリント9章27節)である。

(※)
牧師たちについて言えば、その多くは私が何かを言っても、ほとんど無反応である。実際、私がこの見解を伝えると、はっきりとした反応が返ってくることは珍しい。未信者に福音を宣べ伝えると、じっとしたまま眉一つ動かさないという無反応の態度を示す場合が多い。牧師であれば、これはよく経験しているはずである。私がこの見解を伝えても無反応であるのは、これと全く同じである。だから私がこの見解を伝えていると、私のうちにはあたかも未信者に福音を宣べ伝えているかのような錯覚が生じてしまう。しかし、どうしてこのような反応となってしまうのか。それは、人間という被造物が、まったく新しいことに触れるとフリーズするように設計されているからである。これは誰でも経験したことがあるはずである。つまり、私の述べた見解が新しく感じられ、それに対してどのように対応したらよいか分からないので、大きな反応を示すことが出来ないのである。時間の経過と共に徐々にこの見解を掴めるようになっていくが、かなり掴めるようになっても、この見解を受け容れようとする牧師は非常に少ない。何故か。「今までに誰もそのようなことは言っていなかったから。」である。なんということか!!真理の判定基準が、歴史における人々の同意にかかっているとでもいうのか!!それはとんでもないことである!思い返してもみてほしい。「誰も今までにそんなことを言う者はいなかったぞ。」などと思われたり言われたりしたがゆえに、キリストもルターもコペルニクスも拒絶されたではないか。確かなところ、今までに誰にも語られなかったとしても(これはこの再臨論がそうである)、今までに語られはしたが否定され続けてきたとしても(これは近代になるまでの原子論がそうである)、今までにも今も公然と受け入れられているとしても(これは三位一体論がそうである)、真理が真理であることには変わらない。真理は人々の同意を超越しているということを、私は聖徒たちによく覚えてほしいと思う。真理が人々の同意にかかっているとすれば、人々の同意こそが真理だということになり、真理は人間理性に服する隷属者に引き下げられてしまうのである。カルヴァンも言うように、「その賢さがただの虚栄以外の何物でもない人間の判断に、神の真理を委ねることほど馬鹿げたことは全くない」(『新約聖書註解Ⅰ 共観福音書 上』ルカ7:29 p379:新教出版社)。敬虔なユスティノスもこう言っている。「真理の基準に照らして敬虔な者、また愛知者であるなら、昔の人々の意見がもし間違っている時は、これに従うことを拒否し、ただ真実だけを重んじ愛すべきことをロゴスは命じております。」(『キリスト教教父著作集1 ユスティノス』『第一弁明』2:1 p17:教文館)それゆえ牧師たちは、周りの人々が持つ判断や今までの歴史がどうであれ、もしこの見解が真理であると悟れたならば、それを受け入れるのが望ましいということは確かである。真理が根本的に人間の同意や歴史の常識にかかっていると考える道理の分からない人であれば話は別であるが…。少し厳しいことを言うようであるが、今の時代の牧師たちは、もし真理よりも人間のほうを優先させるというのであれば、あの悪霊(ダイモーン)に憑かれた青少年好きのソクラテス以下と呼ばれてしまってもよいのであろうか。この思索力だけは達者な哲学者は、偶像崇拝をしている異教徒なのに「しかしたしかに、真理よりも人間の方が尊重さるべきではないのだ。」(※プラトン『国家』X595c 山本光雄訳)などと心に留めるべきことを言ったのである。
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第1部 既に起きた再臨 [了]

第2部 再臨と再臨の前後に起きた諸々の出来事の詳細およびその順序

1章 第2部の説明

 第1部では、聖書は既に再臨が起きたと我々に教えているということが、聖書に基づいて信仰的に論証された。霊の人であれば、第1部で説明されたことを悟り、認め、受け入れることができたであろう。その人は霊的な人であって、徹底的に聖書から思考できる恵みを受けているからである。しかし、私の説明がよく分からなかった人は、何かがおかしいと思っていただきたい。すなわち、私の説明に問題があるというのではなく、その人の霊や信仰の状態に何らかの問題がある。だからこそ、私の霊的な論証を素直に受け入れられなかったり、よく理解できなかったのである。私はとにかく聖書に基づいて説明をしたのだから、もし徹底的に聖書から考えるのであれば、確かに既に再臨が起きたと考えざるを得ないのである。

 私はまだ再臨と再臨の前後に起きる出来事の詳細とその起こる順序については、詳しいことを語っていない。というのは、第1部では、ただ再臨が既に起きたという見解の真実性を論証することだけを目的としていたからである。そこでは、この作品の構成から言えば、まだ再臨と再臨の前後に起きる出来事を詳しく説明するべきではなかった。しかし今や、そのことを語るべき時が到来した。このことは読者がより豊かに再臨を理解できるようになるためにも、入念に説明されねばならない。読者がこの第2部で書かれる説明をよく理解するのであれば、読者の持つ再臨理解における輪郭がますます明瞭になるであろう。今はまだ多くの読者が「もやもや」とした輪郭のハッキリしない再臨理解しか持てていないと思うが、その「もやもや」が取り除かれることになるわけである。

 それでは私は神が書ける恵みを与えて下さる限りにおいて、いったい再臨とその前後に起きる出来事とはどのようなものであったのかということを、今からこの第2部で書いていくことにしたい。願わくば、神が我々に理解できるよう霊的な知恵と理解力とを豊かに与えて下さいますように。アーメン。

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2章 再臨と再臨の前後に起きた出来事の順序

 既に目次の場所で一通り書いたのではあるが、まずは再び再臨と再臨の前後に起きた出来事の順序を大まかに示すことにしたい。それは、これから書かれるべき事柄をあらかじめ眺めることで、読者が内容をより把握しやすくなるためである。事前に語られるべき事柄を俯瞰できたほうが、言うまでもなく、よりよく理解するためには良い。この第2部で、これから書かれることになる内容の順序は以下の通りである。この第2部は、この順序に従って一つ一つ説明されることになる。

①教会による42ヶ月の預言活動(紀元61年6月~64年12月)
②ネロによる42ヶ月の迫害(紀元64年12月~68年6月9日)
③再臨(紀元68年6月9日)
④エルサレムの包囲と滅亡(紀元68年6月9日~70年9月)

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3章 ①教会による42ヶ月の預言活動(紀元61年6月~64年12月)

 まず最初に書かれるのは、教会が42ヶ月の間行なった預言活動のことである。これは紀元61年6月~64年12月の間のことである。どうして、この出来事から書くかといえば、そのようにするのが自然であり相応しいからである。この出来事よりも前の出来事は、取り立てて書き記すに値するものとは私には思えない。いや、カリグラがエルサレム神殿の中にゼウス像を安置しようとした事件をはじめ、それ自体としては書き記すに相応しいものが多くあるにはある。しかし、そのような出来事であっても、再臨を中心的な題目とする本作品においては書くに適したものとは言えない。つまり、本作品は再臨と再臨の前後に起きた出来事にスポットライトを当てるものだから、そのような内容に相応しい出来事しか書き記さないということである。よって、この60年代前半に行なわれた預言活動よりも前に起きた出来事は、全て省略しても差し支えないものである。私はそのような出来事をも書くことで、この作品を冗長なものにしたくはない。

 て、60年代の前半に42ヶ月教会が預言活動をするというのは、黙示録11:3に書いてあることである。そこではこう言われている。『それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て1260日の間預言する。』1260日とは、第1部でも書いたように『42ヶ月』である。この2人の証人について、続く11:4の箇所ではこう説明されている。『彼らは全地の主の御前にある2本のオリーブの木、また二つの燭台である。』まず、2つの燭台とは何か。キリストは黙示録1:20で『七つの燭台は七つの教会である。』と言われた。それゆえ『二つの燭台』とは、つまり「2つの教会」のことである。次に、2本のオリーブの木とは何か。これは間違いなくゼカリヤ書に基づく記述であり、そのゼカリヤ書によれば『全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者』(4章14節)である。この2つの存在が何を指すのかは、様々なことが考えられる。私は以前、この2人の証人における諸々の見解に関して次のように書いた。<まず異邦人の教会とユダヤ人の教会という2つの教会を示すことで、教会全体を指していると考えることが可能である。もしくはエルサレム教会とローマ教会という2つの有名な教会を指していると考えることもできる。あるいはある2つの教会にいる代表的な預言者を指すと考えることもできるであろう。パウロとペテロを指していると考えることもできなくはない。これ以外に興味深いものとしては「ニコデモ福音書」の記述がある。その記述に基づいて考えると、この2人の証人とはエリヤとエノクだということになる。少し長いが、その記述を引用することにしよう。「さて主は父祖アダムを手でつかんで天国におもむかれ、大天使ミカエルに手わたし給うた。他のすべての義人達をもわたし給うた。彼らが天国の門をはいると、そこで、2人の高齢の人に出会った。聖なる父祖達はこの2人に言った、「死ぬことがなく、従ってハデスにくだったこともなく、肉体も精神もそのままにこの天国に住んでおいでになるあなた方はどなたですか。」そのうちの一人が答えて言った、「私は神様のお気に入りのエノクです。神様が私をここに移して下さったのです。またこちらはテシベ人のエリヤさんで、私達二人は世の終りまで生きることになっているのです。世の終りになると反キリストが起こるのですが、その時に私達は神様によってつかわされ、反キリストによって殺されます。けれども三日後には復活して、雲にのって主にお会いするために連れられてくることになっています。」」(『聖書外典偽典6 新約外典Ⅰ』ニコデモ福音書(ピラト行伝)第章25節(第9章)1節 p217:教文館)今引用した外典の記述は、明らかに黙示録11章の箇所と対応している。2人の証人がエリヤとエノクだというのは、何だかもっともらしく感じられる理解である。というのも、この2人の有名な人物は黙示録11:3~12に出てくる2人の証人と、どこか似通っているように思えるからである。エリファス・レヴィも、この2人の証人はエリヤとエノクであるなどと外典に基づいて言っている(『高等魔術の教理と祭儀 教理篇』神殿の支柱 p70:人文書院)。このエリヤとエノクは、どちらも神により生きたままで天に上げられた(※①)。黙示録11:12でも、2人の証人が『雲に乗って天に上った』と書かれている。またエリヤとエノクは、どちらも紛れもない預言者であった。黙示録11章に出てくる証人も預言をしている。つまり、預言者であるという点でエリヤとエノクは、この黙示録の証人と同じである。またエリヤは、火を天から降らせることにより、敵であった多くの者たちに打ち勝った(Ⅰ列王記18章)。黙示録11:5でも、証人が火により敵を滅ぼし尽くすということが書かれている。火により敵対者を死に至らしめるという点で、どちらも一緒である。また黙示録11:6では『この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており』と書いてあるが、エノクは別として、これは正にエリヤそのものである。我々が既に知っているように、エリヤは雨が降らないようにと天を祈りにより閉じたのである。また黙示録11:6では、証人に凄まじい業を行なう力が与えられていることが分かるが、エリヤも数々の奇跡を行なったということを我々は知っている。驚くべき業を行なえるという点で、黙示録の証人もエリヤも同じである。エノクが奇跡を行なったことについては聖書に何も書かれていないが、彼は神に喜ばれる人だったのだから、エリヤのように奇跡を行なっていたとしても何もおかしなことではない。また、エリヤとエノクが生きたまま天に上げられたのは、我々が今見ているこの42ヶ月間の時のために生命を言わば留保させられたのだと考えることも出来なくはない。つまり、エリヤとエノクが自分たちの時代においては死を味わわなかったのは、やがてこの42ヶ月の活動のために遣わされるためであり、その活動を終えた後にこそ死を味わうようにと死を後回しにさせられたのではないか、という見解である。すなわち、これはエリヤとエノクの死が遥か未来に「ずらされた」ということである。神の名は『不思議』(士師記13章18節)だから、このように不思議に思えるようなことを神が為されたとしても、何もおかしいことではない。確かに、この2人の証人をエリヤとエノクだと考えると、この箇所がよく理解できそうではある。しかし、だからといって本当にそうだと言えるのであろうか。多くの類似性が見られるからといって、必ずしも同一人物だということにはならない。何故なら、ただ単に似ているだけで実際は違うという可能性もあるからである。私としては、この証人がエリヤとエノクだという見解には、非常に心が強く惹かれることを告白する。何よりも問題なのは、この「ニコデモ福音書」が正典ではないということである。もしこの文書が正典であれば、この2人の証人がエリヤとエノクだということは100%確定する。しかし、これは外典に過ぎず、あくまでも参考情報としての意味しか持たないのであるから、この外典に基づいて証人をエリヤとエノクだと断定することは難しい。私としては「可能性としては十分にあり得る」としか言えないと思う。一つ言えるのは、この証人がエリヤとエノクだとする見解は、何も聖書の内容に違反しないということである。そればかりでなく、そのような見解は、この黙示録11章の記述とよく合致するとさえ言える。それは「なるほど」と感じられるような見解なのである。もし、この2つの存在が本当にエリヤとエノクであったとすれば、神が我々に悟りと確信とを与えて下さらんことを。事のついでに書いておくが、この2人の証人が、バプテスマのヨハネや義人ノアだったのではないかと考える人もいるかもしれないが、エリヤとエノクであれば話はまだ分かるものの、ヨハネとノアは私としては考えられないと思う。というのも、聖書には彼らが2人の証人だと匂わせる箇所はないし、またこの2人の証人がヨハネとノアだったとはどうしても思えないからである。もしヨハネとノアだと考えるのであれば、エリヤとエノクの2人のほうが、可能性としては遥かに高い。これはヨハネとノア以外の人であっても、―例えばアダムやヨブやイザヤなど―、同じことが言える。いずれにせよ、これがある2つの教会か2人の預言者たち、そうでなければ教会および聖徒たち全体のことを指しているのは確かである。この存在を、ひとまず「教会勢力」と呼んでおくことにしても特に問題はないであろう。意味はやや曖昧であるが、何か間違ったことを言っているというのでもないからである。>……私は以前、まだ黙示録の理解が進んでいなかったため、このように書いたのであったが、黙示録の註解を神の恵みにより書き終えた今では、この2人の証人が聖徒たち全体を意味しているという解に至っている。これは、エリヤとエノクなどではない。何故なら、外典の中で言われているのは単なる空想に過ぎない作り話だから。今になって思えば、この外典の著者は、明らかにエリヤが再来すると教えている旧約の預言を正しく理解していないために誤りを書くというミスを犯した。つまり、この著者は、エリヤが再び遣わされるというマラキ書の預言(4:5)を、バプテスマのヨハネについて言われたことだと理解していなかった。だからこそ、エリヤの到来についての預言を黙示録に書かれている2人の証人に結び付けてしまったのである。少し考えれば分かるが、再来したエリヤがバプテスマのヨハネであれば、そのエリヤは黙示録に書かれている2人の証人(のうちの一人)では有りえない。それだから、この2人の証人を外典などという神の言葉でない矮小な制作物によって検討していたのは、私の大きなミスであった。私は何をしていたのかよく分からない。パウロのように、『私には、自分のしていることがわかりません。』(ローマ7章15節)と言いたいところである。またこれは、パウロとペテロでもない。何故なら、黙示録11:7~8の箇所によれば、この2人の証人はエルサレムで死ぬことになるからである。多くの人により伝えられた話によれば、パウロとペテロが死んだ場所はエルサレムではなくローマである(※②)。もしこの2人の証人がローマで死んだパウロとペテロだったとすれば、黙示録では2人の証人がエルサレムで死ぬことになるなどとは書かれていなかったであろう。またこれは、その他の有力な2人の個人的な聖徒でもない。ある特定の有名な2つの教会でもない。この2人の証人についての詳細は、第3部の黙示録註解における当該箇所の中で論じられているから、今すぐに見るにせよ後ほど見るにせよ、そちらのほうで確認していただきたい。なお、この2人の証人はすなわち聖徒の全体を意味しているから、私が以前述べたように、これを「教会勢力」と呼んだとしても何も問題にはならない。さて、この教会勢力が、黙示録に書いてあるように42ヵ月の間許された預言する活動を、紀元61年6月~64年12月に行なった。これは本当の意味での預言だったと考えられる。すなわち、これからすぐにも訪れることになるネロの大迫害およびあの悲惨なユダヤ戦争のことを、多くの人たちに向かって預言したのだと考えられる。つまり、ここで言われている『預言』とは文字通りに捉えるべきものだと私は考える。もうあと3年と半年もすれば邪悪なネロが聖徒たちを迫害するようになるのだから、そのことをあらかじめ知らせるために、神が彼らに預言させたのだとしても何もおかしくはない。『神は愛』(Ⅰヨハネ4章8、16節)であられるから、聖徒たちが突然の苦難に慌てないようにと、事前に預言を通して心の準備をさせて下さったと考えるのは荒唐無稽とは言えないであろう。彼らが預言をしている期間、彼らは凄まじい力を持っていた。黙示録11:5では次のように書いてある。『彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。』ここに書いてある『』とは、御言葉による裁きのことであろう。この42ヶ月の間に教会に害を加えようとする者たちは、聖徒たちの口から出る御言葉の火によって裁かれ、殺されてしまった。これは、ちょうどエリシャを侮辱した42人の子どもたちが、エリシャの口から出た呪いの言葉により殺されてしまったのと同じである(※③)。また、彼らの凄まじい力については、他にもこのように書かれている。『この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。』(黙示録11章6節)彼らは、祈りにより天を閉じたり開いたりしたエリヤのように(※④)、祈ることで天候に働きかけることができた。また『水を血に変え』ることもできたが、これは聖徒たちの血を流した者に対する報いのことであろう。聖徒の血を流した者は、神からの報いとして、自分自身の血で自分を酔わせることになる。つまり、自分が血を流したように自分も血を流されてしまう。そのことが「水が血に変わる」と表現されている。これは黙示録15:4~6を見ると、よく理解できる(※⑤)。要するに、これは血の復讐のことである。この表現は黙示録ではよく使われる表現だから、心に留めておくのが望ましい。『あらゆる災害をもって地を打つ』と書いてあるのは、そのまま受け取るべきであろう。当時のような世の終わりの時期にあっては、神が聖徒たちを通して多くの災害を地に送られたとしても、何も不思議なことはない。今の時代とは違い、当時はまだ恐るべき奇跡や不思議な業などといった多くの超自然的現象が聖徒により起こされていたということも考慮すべきである。もしこれが物理的な現象を述べたものでないのだとすれば、御言葉による人々への霊的な攻撃を、物理的な表現に変換して語ったものであろう。このような凄まじい力が与えられていた2人の証人に、当時の人たちは苦しめられた。『このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめた』(黙示録11章10節)と書いてある通りである。また人々はこの聖徒たちに打ち勝つことができなかった。もし聖徒たちに無謀にも対抗しようとすれば、『火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす』(黙示録11章5節)からである。教会が42ヶ月もの間、このような力ある状態と活動に与かることができたのは、神がそのようになることを許可され恵みを注がれたからである。そうでなければ、どうしてこのような状態と活動に与かることができようか。

(※①)
エリヤの昇天についての記述は次の通り。『こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。』(Ⅱ列王記2章11節)エノクの昇天についてはこう書かれている。『エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。』(創世記5章24節)『信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。』(ヘブル11章5節)
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(※②)
<1>
古代教会最大のラテン詩人であるプルデンティウスは、パウロとペテロの死について次のように言っている。
「(6-10:ペテロはネロ帝治下に、バチカン丘上のネロ帝円形競技場で逆十字架刑にされ、パウロはオスティア街道沿いのアクアェ・サルヴィアェ(トレ・フォンタネ)で斬首されたと伝えられている)
最初にペトロがネロ皇帝の宣告で
高い木に吊り下げられるよう命じられました
しかしペトロは高くそびえる木の上での処刑で
偉大な師の栄光を得ようとすることを恐れて
頭を下にし、足を上にして
こうして頭のてっぺんが一番下の方を見るように要求しました
それゆえペトロの手は下の方で縛られ、足は頂上へ向けて縛られ
彼の一層気高い精神が、より卑しい姿勢になりました
ペトロは天が低いところから、より一層早く到達されるのがならわしであるのを知っていて
彼の魂を任せるために、頭を下げました
移り行く年月の円周軌道が完全に円を走行して
のぼる太陽が再び同じ日に回帰したとき
ネロ皇帝は異教者たちの教師が打ち首にされるよう命令して
燃える激しい怒りをパウロの首に吐き出しました
パウロ自身がこの世を去る時が近づいていることを、前もってこう言っています。
『わたしはキリストのところへ行かなければなりません。世を去る時が近づきました』
パウロは直ちに逮捕され、処刑が宣告され、剣で首を切られました
予定通りの日時でした
テベレ河は2人の遺骨を分かち
神聖に清められた墓地の間を流れながらその両岸は聖別されています」
(『聖アンブロシウスの賛歌』プルデンティウス「ペリステファノン・リベル」 12 使徒ペトロとパウロの受難 p245~246:サンパウロ)

<2>
ペテロの死についてカルヴァンはこう言っている。
「ペテロがローマで死んだことについては著作家たちが一致しているので、私はその点では反対しない」(『キリスト教綱要 改訳版 第4篇』第4篇 第6章 第15節 p121:新教出版社)
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(※③)
エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって、「上って来い、はげ頭。上って来い。はげ頭。」と言ったので、彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、42人の子どもをかき裂いた。』(Ⅱ列王記2章23~24節)
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(※④)
ヤコブはエリヤについて次のように書いている。『エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。』(ヤコブ5章17~18節)
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(※⑤)
第三の御使いが鉢を川と水の源にぶちまけた。すると、それらは血になった。また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」
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 42ヶ月の期間が紀元61年6月~64年12月であるというのは、一体どういった考えから導き出されたのか、と問う人がいるであろう。これは説明されねばならないことである。もし何の根拠も論理もなく、このような期間を考え出したのだとすれば、私は愚かであって大いに批判されるべきだからである。42ヶ月がこの期間であるのは、ネロの死が68年6月だったからである。ネロが聖徒たちを蹂躙する権威を持てるのは42ヶ月間である。黙示録13:5で『この獣は、…42ヶ月間活動する権威を与えられた。』と書いてあるのは、すなわちネロが聖徒たちを屈服させる期間についてのことである。この権威がネロの死により取り上げられたと考えるのは何もおかしいことではない。死んだのであれば当然ながら権威も失われるからである。とすれば、このように考えると、ネロの聖徒たちに対する許された活動期間は、64年12月~68年6月だったということになる。すなわち64年12月に活動の権威が与えられ、42ヶ月経過した68年6月の死によりその権威が取り上げられた。黙示録11:7によれば、42ヶ月間預言することが許された二人の預言者は、ネロに活動の権威が与えられた時に殺される。すなわちネロが64年12月に聖徒たちを蹂躙し始めた時に殺戮されてしまう。このことについてヨハネはこう書いている。『そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。』(黙示録11章7節)ここで『彼ら』とあるのは二人の預言者であり、『底知れぬ所から上って来る獣』とはネロを指している。『あかしを終えると』とは42ヶ月間預言する期間が全うされたことであり、『底知れぬ所から上って来る』とはネロが聖徒たちに対する弾圧を開始したことである。そうであれば、ネロが出てきて聖徒たちを殺し始める紀元64年12月に至るまで、聖徒たちは42ヶ月間預言の活動をしていたことになる。何故なら、聖徒たちが42ヶ月間の活動を完全に終えた後で、42ヶ月間活動する権威を受けたネロがその権威により聖徒たちを大いに殺すからである。それゆえ、聖徒たちが預言の活動をしていた時期はネロの迫害が始まる42ヶ月前までの期間、すなわち紀元61年6月~64年12月だったことになる。このようにネロの死んだ年月から逆算して考察すると、聖徒たちの預言していた期間が分かるのである。

 この『42ヶ月』という期間を、我々は象徴として理解すべきではない。これは象徴ではなく実際の年月を述べた期間である。というのは、この期間を文字通りに捉えると、聖書をすんなりと理解できるし、歴史の事実にもよく合致するからである。しかし、これを象徴として捉えると、聖書の内容がよく分からなくなるだけでなく、歴史の事実にもそぐわなくなる。これから本作品を読み進めていけば、確かにこの期間は実際の期間を示すということが、よく分かるようになるであろう。もしヨハネが象徴として書いていた場合、ヨハネはもっと象徴的な数字を用いていたはずである。例えば黙示録20:4に書いてある『千年』などというように。後ほど詳しく説明されるであろうが、こちらの方は、この『42ヶ月』とは違って完全に象徴的な期間なのである。

  れでは一体どうして『42ヶ月』なのであろうか。神は、どうして教会の預言活動を『42ヶ月』として永遠の昔に定められたのであろうか。また、この期間には何かの隠された意味があるのであろうか。分析をすることは可能なのか。まず一つ確実に言えるのは、神がこの期間であるのを欲されたということである。これは間違いないことである。神は欲するままに期間を定められ、定められたままにその期間を実現させられる。では『42ヶ月』という数字を我々は分析できるのであろうか。少し考えてみよう。まず、この数字は「6×7」または「7×6」と解せるのであろうか。私としては、そのように解すべきではないと思う。確かに不完全数である6が完全数である7回繰り返されることで、真に不完全である、すなわち「まったく少ない」と読むこともできなくはない。また完全数である7が不完全数である6回繰り返されることで、「足りない」と読むことも可能といえば可能ではある。しかし、これはいまいち納得し難い解釈だと言わねばならないであろう。「もやもや」とした感があるのは否めないのである。では「21×2」なのであろうか。この解釈も斥けられるべきであろう。何故なら意味が分からないからである。「14×3」はどうであろうか。これこそ正しい『42ヶ月』の分析である。というのも、マタイの福音書では、アブラハムからダビデまでが14代、ダビデからバビロン移住までが14代、バビロン移住からキリストまでが14代だと言われているからである(※)。アブラハムからキリストまでが「42」(代)であるというのは、すなわち「十分な期間また量」であることを示す。何故ならアブラハムからキリストまでの42代に及ぶ期間は、不足の感じられない期間だったからである。42というこの数字は、このアブラハムからキリストまでの不足なき期間を象徴する数字であるから、「これだけあれば十分」と言い表わすための数字なのである。一体誰が、アブラハムからキリストまでの42代に及ぶ期間を十分なだけの期間だと感じないであろうか。この期間は約1700年だったのである。もっとも、だからといって42で示されている期間や量が、単なる象徴だけに留まらないということは確かである。つまり、それは実際の期間や量であると共に象徴としての意味も持つものなのである。確かに、今我々が考察している教会の預言期間が『42ヶ月』だったのも、ネロによる聖徒の迫害期間が『42ヶ月』(13章5節)だったのも、また異邦人がエルサレムを踏みにじる期間が『42ヶ月』(黙示録11章2節)だったのも、十分だと感じられるほどの期間であった。エリヤが『雨が降らないように祈ると、3年6ヶ月の間(※42ヶ月)、地に雨が降りませんでした』(ヤコブ5章17節)のも、「もう十分だろう」と感じられる期間であった。エリシャの呪いにより『42人の子ども』(Ⅱ列王記2章24節)が裂かれたのも人数としては不足を感じさせるものではなかった。このように聖書には、明らかに42という数字が多く書かれているのが分かるが、それはどれもあの聖なる系譜の42代を間接的に示すものなのである。それゆえ、この数字を「全うされた期間や量」と理解しても間違ってはいない。何故ならアブラハムからキリストまでの42代は全うされた期間だったからである。また、この『42ヶ月』という期間が実に使いやすいから多用されているという理解を持ったとしても問題ないであろう。この期間は、他の箇所では『1260日』(黙示録11章3節)、『ひと時とふた時と半時』(ダニエル12章7節)すなわち「3年6ヶ月」などと言い換えられている。このように言い換えられた数字や期間を見れば分かるが、それらはどれもかなり整った印象があり、秘儀を表わしたり、知恵を隠すためには実に適している。神は、ダニエル書や黙示録において、読み解ける者だけが読み解けるようにと、多くの「謎」を秘めることを望まれた。実際この2つの文書には無数の「秘密」が満ちており、知恵と思慮を受けた者でなければ読み解けないようになっている。だからこそ、神は他にも特徴的な言い換えが可能であり、しかもそのどれもが整った印象を与えることになる『42ヶ月』という期間を設定されたのだと考えられる。この期間であれば、秘儀を示すには実に相応しいと言えるのである。もしこれが「37」とか「43」とかだったら、どうであろうか。特徴的な言い換えもできず、整った印象も与えず、秘儀を示すには全然相応しくないのは明らかである。要するに、全能なる神の知恵は秘儀と恵みを受けた者たちのために、この『42』という数字を永遠の昔から設定され、世界の歴史の中に組み込まれたということである。だからこそ、アブラハムからキリストまでの期間が「42代」であり、ネロの活動期間が「42ヶ月」であり、エリシャを通して罰を受けた子どもの数も「42人」だったのである。このような使い勝手のよい数字を歴史において用いるために選定するというのは、確かに神の知恵に相応しいと感じられないであろうか。私はこの数字について考察したのであるが、私が今述べたこの2つ以外の解釈は恐らくできないと思われる。この「42」という数字は、これからも本作品の中で多く出てくるから、「1260日」また「ひと時とふた時と半時」また「3年6ヶ月」という別の言い方と共に、忘れないでいてもらいたいと思う。もし忘れてしまったら、思い返すために再びこの箇所を読むべきである。

(※)
それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で14代、ダビデからバビロン移住までが14代、バビロン移住からキリストまでが14代になる。』(マタイ1章17節)
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 教会が42ヶ月もの間、その預言活動により多くの人々を苦しめたので、それから後、教会も報いとして42ヶ月の間苦しめられることになった。すなわち、42ヶ月の間聖徒に対して活動する権威を与えられたネロにより、教会は苦しめられることになった。聖書は神が誰かの行ないにそのまま報いられる方だと教えている。例えばオバデヤ書15では『あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。』と書かれている。詩篇18:25~26でもこう言われている。『あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。』手足の親指を切り取られたアドニ・ベゼクも、このように言った。『私の食卓の下で、手足の親指を切り取られた70人の王たちが、パンくずを集めていたものだ。神は私がしたとおりのことを、私に報いられた。』(士師記1章7節)報いの神は、教会が42ヶ月の間人々を苦しめたので、その苦しめたのと同じ期間、教会も苦しめられることを許されたのである。正に教会は自分たちがした通りのことを自分たちにもされたことになる。ここに神による報いの原理を私たちは見ることができよう。もっとも、教会が自分たちが苦しめたのと同じだけの期間の苦しみを受けたのは、当然ながら刑罰としての報いではない。教会は神の御心にかなったことをしたのだから、どうして罰の意味を持つ報いを受けることがあろうか。神は善に対して罰を与えられる方ではない。教会が報いとして受けたのは、刑罰としての報いではなく、ただ言行をそのまま返されるという意味しか持たない賞罰的に言えば無色透明の報いであった。

 この42ヶ月間の預言活動を記した当時の文書は何か残されているのか、と問う人がいるかもしれない。そのようなものが残っていれば実に良いと思うのではあるが、残念ながら私は、そのようなものを知らない。しかし、このことに関する証拠としての文書が残されていないからといって、我々は驚いたり怪しんだりすべきではない。それは第1部で再臨の証拠について説明されたのと同じことである。再臨のこの世的な証拠が不在であるのと同様に、この42ヶ月の預言活動の証拠も、御言葉という証拠を除けば存在していない。当時この預言活動を見ていた聖徒たちは、もう間もなくネロの迫害を受け、それから3年半後に携挙されるのだから、何も証拠としての文書を書かなかったとしてもそれほど変だとは思われない。そのような危険な時期に、どうして悠長に書き物をしている余裕があるであろうか。偽者の聖徒たちも、この42ヶ月の活動が起きてから数年以内に携挙されはするものの、火に投じられてしまうのだから、何も書き残していなかったとしても不思議ではない。この活動を見ていた世の人々も、神が許さなかったので、この活動について何かを書き残すことがなかった。それは、キリストが多くの奇跡を行なわれたことがユダヤ以外の地域にも当然知られていたはずなのに、その奇跡について当時生きていた世の人々が何一つ言及していないのと同じことである。神は、キリストの奇跡と同様に、聖徒たちが御言葉のみによりこの預言活動のことを信じるように願っておられるのだと思われる。だからこそ、この活動について何もこの世的な証拠が残されなかったのである。確かに御言葉は、この預言活動のことを書き記しているのだから、御言葉を信仰の基準とするクリスチャンである者は、たとい何らかの文書が残されていなかったとしても、この預言活動が42ヶ月の間起きたということを信じるべきである。

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4章 ②ネロによる42ヶ月の迫害(紀元64年12月~68年6月9日)

 ロの治世である紀元64年7月19日に、ローマの大火が起きた。この大火災は大規模なものであり、ローマ市の70%が焼失したほどであった。当時のローマ市は木造の建築物が多く、しかも非常に密集した構成になっていたので、火災が容易に広がり、ここまでの火災となったのである。それまでも、ローマ市には火災が起きることが少なくなかったが、この時に起きた大火災は今までにないほどに大きいものであった。そのような驚くべき大火災であるから、この事件は、今に至るまでも語り継がれ続けているし、これからも語られることであろう。今の時代に起きた出来事で例えるとすれば、2001年9月11日に起きたニューヨークの同時多発テロであろうか。その被害の大きさという点で、後世にまで延々と伝えられるという点で、非常に驚くべき事件であるという点で、どちらもよく似ている。当時のローマ人は、この大火災はネロが放火したから起きたのではないかと思った。ネロの邪悪性は誰もが知るところであったから、ネロが犯人に違いないと多くの人が感じたのである。「ネロはあの大火災を前に、琴を弾きながらトロイア陥落の詩を吟じていた。」などという噂も広がった(※)。ネロがこの大火災の犯人だったかどうかということについては、後ほど考察することになる。この有名な歴史的事件は、世の終わりに関して預言された黙示録やマタイ24章などの箇所を理解するための重要なキーとなるものだから、聖書を正しく解釈したいと願う読者はよく心に留めていただきたい。この出来事を考慮しないと、それだけ聖書の預言が理解しにくくなってしまう。

(※)
ネロは音楽をはじめとした芸術の愛好家であった。自分の演奏を披露する「ネロ祭」というコンサートも開催している。
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 衆がネロこそローマ大火の犯人だと疑い続けたので、この邪悪な暴君は、自分に咎が帰せられないようにと、大火災の罪をキリスト教徒になすりつけた。もちろん、当時のキリスト教徒が大火災の犯人でなかったのは言うまでもない。確かに当時キリスト教徒たちは偏見と無知のため何の根拠もなく民衆から憎悪されていたが、神に従う彼らが、このような大事件を起こすことなど到底あり得なかった。これが狂信的なイスラム教徒や邪悪な宗教の信者や暴動ばかり起こしていたユダヤ人(※)であれば話は別だったろうが、そうではなかったのである。小プリニウスも述べているように、当時のキリスト教徒は、穏やかで平和的な人たちであった。この罪のなすりつけから、ネロの聖徒に対する42ヶ月間の蹂躙が開始された。この期間について黙示録では、こう書かれている。『この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、42ヶ月間活動する権威を与えられた。そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、…』(13章5~7節)この箇所で特に注目すべきは『聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され』という部分であろう。これはネロがキリスト教徒らを捕らえて屈服させることを言ったものである。このネロによる蹂躙の期間である42ヶ月とは、紀元64年12月~68年6月9日である。この大迫害の時、キリスト教徒はネロによる罪のなすりつけのために、各地から捕えられてしまった。ネロとその暴虐について説明されている黙示録の箇所で『とりこになるべき者は、とりこにされて行く。』(13章10節)と書いてある通りである。すなわち、世の初めからネロに捕えられるようにと定めを受けていた聖徒は、皆その定めの通りに捕えられてしまった。そして、この捕えられた聖徒たちは、犯してもいない罪のために大量に処刑されることになった。この時にどれだけの聖徒が処刑されたのかは分からない。タキトゥスもスエトニウスも具体的な数字を何も記していない。無数の歴史書を読み漁ったギボンの本にも、処刑された人数は書かれていない。しかし、聖書の記述や大火災の規模を考えると、かなりの人数のキリスト教徒が処刑されたと推測される。もし小規模なものだったとすれば、ここまで有名な出来事として記憶されることにはならなかったと思われる。これこそが、今に至るまで語り継がれるあの有名な大迫害なのである。このような忌むべき迫害を行なったネロは、皇帝としては初めてキリスト教徒を迫害した皇帝であった。

(※)
ニコデモ福音書にはこう書かれている。「ピラトは怒ってユダヤ人に言う、「お前達ユダヤ人はいつも暴動を好み、お前達に良いことをしてくれる人達に逆らってばかりいる。」…」(『聖書外典偽典6 新約外典Ⅰ』ニコデモ福音書(ピラト行伝)第章9節2節 p189:教文館)あの第一次ユダヤ戦争も、ユダヤ人の暴動を鎮圧するためにこそ行なわれたのである。
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 マタイ24章におけるキリストの預言が、この大迫害において成就された。それは次のような預言である。『そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまづき、互いに裏切り、憎み合います。』(9~10節)同じことが預言されているマタイ10:18~22の箇所も、この時に成就した。そこにはこう書いてある。『また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。』これらの預言は、聖徒がネロの命令によって捕えられ、ある者たちは信仰の証をし、ある者たちは自己保身のために聖徒である家族を見放し、そのようにして大量の処刑が行なわれることを告げたものである。そうであれば、既に第1部で説明されたように、やはりマタイ24章はその世代(ゲネアー)の間に実現した箇所だということが分かる。キリストが紀元30年頃にマタイ24章でネロの暴虐を預言されてから、約1世代後(30~40年)の64年に預言されていたことが実現した。このように考えると、マタイ24章が既に成就された箇所だと理解することしかできなくなる。実際、その理解は間違っていない。読者の方は、今ここで、マタイ24章の一部の箇所は確かにネロの暴虐において成就したのだということを心に留めてほしい。もし、未だにマタイ24章が実現されていないことを預言した箇所だと考えているのであれば、その考えを捨てるべきである。

 ネロがその権威により42ヶ月の間聖徒たちを苦しめたので、世の人びとは大いに喜びを感じた。何故なら、それまで42ヶ月の間、聖徒たちが世の人びとに霊的な苦痛を与えたからである。このことについて黙示録11:10ではこう書かれている。『また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。』肉的には苦しめられたキリスト教徒たちを可哀そうに感じた人が少なからずいたが、それは肉的にはということであって、霊的には非常な喜びを感じていたということは疑えない。何故なら、世の人びととは霊的に言えばサタンの子らであって、神の子らである者たちをその主であるキリストと共に憎んでいるからである。霊的に憎んでいるのならば、その憎んでいる対象の苦難を喜ばないということはないはずである。キリスト者のことをよく考えていただきたい。キリスト者とは、滅びの子らにとっては『死から出て死に至らせるかおり』(Ⅱコリント2章16節)である。またキリスト者とは、最強の剣である鋭い御言葉を、勢いよく降りまわす霊的な戦士である。更にキリスト者とは、使徒たちが手紙の中でそうしているのと同じように、世を容赦なく糾弾する「口による裁き人」である。キリスト者がこのような存在であれば、キリスト者がネロに苦しめられたことを霊的な意味にいおて喜ばない死人たちがどこにいるであろうか。確かに御言葉は世の人びとが喜んだと教えているのだから、御言葉を規範とする我々は、実際に当時そのようになったと信じなければいけない。もっとも、神の御前においては、彼らの聖徒に対する微笑みは単にその邪悪さと不敬虔さとを如実に示すものでしかないのではあるが。

 この42ヶ月の苦難において聖徒たちは大いに試された。黙示録ではネロの迫害が行なわれることについて、『ここに聖徒の忍耐と信仰がある。』(13章10節)と書かれている。これは当時の聖徒にとって言わば最後の試練であった。その時、聖徒たちの忍耐と信仰が、目に見える形で如実に現れ出ることとなった。ネロに屈せず忍耐して信仰を守り続けた聖徒たちは、永遠の救いを失なうことがなかった。その人には真の忍耐と真の信仰とが与えられていたからである。しかし、ネロの前に引き出された際に忍耐できず、信仰に留まれなかった者らは、自分がそれまでは持っていたと感じていた永遠の救いを失ってしまった。彼らには忍耐と信仰とが与えられていなかったのである。だからこそネロに屈服させられてしまったのである。そもそも彼らには初めから永遠の救いなど与えられてはいなかった。もしそれが与えられていたとすれば、忍耐と信仰も与えられていたはずなのである。このようにこの42ヶ月の苦難の際に、教会に属していた者たちは、「命を捨てて天国を取る者」と「信仰を捨てて命を取る者」の2種類により分けられた。前者は信仰のゆえに天国の恵みを受けることになり、後者は不信仰のゆえに永遠の裁きを受けることになってしまったのである。

 後にネロの教会迫害の規模について言及しておきたい。世の中には、ネロの迫害が、実際にはそれほど大規模なものではなかったと考える者が、いくらか存在する。しかし、聖書を読むならば、ネロの迫害はかなりの規模のものだったと考えざるを得ない。だからこそ、黙示録やマタイ24章の中では、非常に悲惨だと感じられるような迫害に関する記述がされているのである。もしこれが小規模な取るに足りないものであれば、あのような語り方はされなかっただろうし、ここまで豊かに語られはしなかったはずである。考えてもみてほしい。先に書かれたように、ローマの大火災は市街地の70%を焼失させるほどの凄まじい事件だったのである。それは今に至るまで語り継がれることになるほどの大きな事件であった。そうであれば、この大火災の罪が聖徒になすり付けられた際に行なわれた迫害の度合いも、やはり大きいものだったと考えるべきであろう。ネロの迫害の度合いは、この大火災の度合いに応じたものであったと考えるのが自然である。こんなにも大きい事件を契機として聖徒たちが犯人として扱われたのだから、ネロも堂々と暴虐を行なえるのであって、それにもかかわらず小規模な迫害しか行なわれなかったというのは考えにくい。ネロの邪悪性を考慮すれば、尚更のこと、このように言える。暴君の代名詞であるあのネロが、このような機会を捉えて、小さな苦しみしか与えなかったということが一体どうしてあるであろうか。もちろん、学問的な意味においては、この迫害が非常に大きな規模だったことを願う気持ちが私にはある(※①)。他の聖徒もそうであろう。だから、どうしてもネロの迫害が大規模だったに違いないという結論に思考が向いてしまう傾向があるのは間違いない。また、聖書において、神が事柄の素晴らしさや凄まじさなどを悟らせるために、非常な強調表現を多くの箇所でしておられることも確かである(※②)。しかし、このような点を考慮しても、やはり聖書から考えれば、また大火災の事件における凄まじさを考えれば、ネロの迫害は大規模なものだったと考えざるを得ない。もし本当に小規模だったというのであれば、私を承服させるために、学術的な論拠を示していただきたい。可能であれば当時生きていた人の書いた文書または公的な記録を提示してもらえるとありがたい。それが反論不可能なほどに真実性の強いものであれば、私は聖書の記述に逆らうことにならない範囲において、自分の理解を多かれ少なかれ修正することにしたい。

(※①)
注意していただきたいが、これはあくまでも「学問的な意味」においてのことである。実際には、このようなことは起きてほしくなかったと私が思っていることは、言うまでもない。一体どこの聖徒が、自分の仲間である聖徒たちの悲惨を願うであろうか。
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(※②)
このことの良い例は次の聖句である。『イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。』(ヨハネ21章25節)※これは主の行なわれた素晴らしく注目すべき行為が、どれだけ量的に多かったか、またそれがどれだけ書き記すに値するものだったか、ということを悟らせようとして言われたものである。
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5章 ③再臨(紀元68年6月9日)

 ネロの最後の数カ月間は誠に悲惨であった。紀元68年に入ると、元老院により「国家の敵」と宣言され、事実上帝位を奪われた状態となった。それ以降、もはや、かつてのように好きなことが出来なくなったのは言うまでもない。ネロは元老院に敵視されたので、殺されないようにと逃げ回らざるを得なくさせられた。更に、自分の最も忠実な臣下であるティゲリヌスからも裏切られてしまった。そのように逃亡を続ける惨めな日々を送ったネロだが、遂に最期の時が訪れることになった。ネロがある家に隠れていたところ、元老院から送られてきた騎馬兵の足音がネロの耳に入ってきたのである。これは絶体絶命と言うべき状況であった。もう駄目だと諦めたネロは、既に第1章でも書いたことだが、自殺を試みたのだが死にきれなかったので解放奴隷に剣を使わせることで絶命した。これがあの有名な暴君の末路であった。享年30歳であった。このようにして死んだネロは、神の定められた通りに「自分のおるべき場所」へと下って行ったのである。

 ネロの自殺による死は、自殺による死であると同時に再臨によりもたらされた死でもあった。すなわち、再臨されたキリストが裁きを下されたのでネロは自殺により死ぬことになった。これは紀元68年6月9日のことである。このことについては既に第1部で説明済みだから、もうこれ以上説明する必要はないであろう。忘れてしまったり理解がまだ足りていない方は、第1部の該当箇所を再び読み返していただきたい。

 このネロは、再臨による自殺の死という刑罰を受けた後、この世とは別の空間または次元にある永遠の火に投げ込まれることになった。彼は、そこで火により昼も夜も焼かれることになり、2000年経過した今でも火で苦しめられており、これからも永遠に火で苦しめられる。それは黙示録19:20の箇所で、ネロが『硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。』と書かれている通りである。先に述べた「自分のおるべき場所」とは、この火の池のことである。ダニエル書7:11でも、『その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれる』と預言されていたが、これはネロが再臨により殺されて火の池に投じられることを言ったものに他ならない。この黙示録19:20とダニエル書7:11は、明らかに似ており、同一のことを言っているのは間違いない。それゆえヨハネは、このダニエル書の記述に基づいてネロの悲惨な末路を預言したのだと我々は考えるべきであろう。この火の池については、また後ほど詳しく説明されることになる。話の流れとしては、今ここで書かないほうが相応しいからである。今は、この火の池が「永遠の刑罰を受ける場所」とか単に「地獄」とだけ理解していれば、それで充分である。

 て、再臨が起きる直前の時期には、多くの驚くべき出来事があった。その時には、『にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せ』(マタイ24章24節)た。すなわち、サタンに動かされた滅びの使いどもが、選ばれた聖徒を信仰から何とか離そうとして、大いに惑わしを行なった。真の聖徒は、この惑わしに惑わされてはならなかった。何故なら、キリストが『人に惑わされないように気をつけなさい。』(マタイ24章4節)と事前に命じておられたからである。また『エルサレムが軍隊に囲まれ』(ルカ21章20節)た。ネロの命令によりユダヤ鎮圧の使命を受けたウェスパシアヌスが(ウェスパシアヌス派遣が決まったのは紀元66年の冬である)、その子ティトゥスを遣わし―ウェスパシアヌス自身はアレクサンドリアの問題を処理する仕事があったのでティトゥスに代行させた―(「ユダヤ戦記」第4巻/xi4:657 文庫)、エルサレム市が無数のローマ軍に包囲されることになったのである。これは誰も疑うことのできない歴史の事実である。この時の状況についてタキトゥスは次のように書いている。「ティトゥスはユダエアで、第5、第10、第15の3箇軍団、いずれもウェスパシアヌスの古い兵士を受け継いだ。これにシュリアから第12軍団と、アレクサンドリアから連れて来た第22と第3軍団を加えた。さらに手許には、同盟部族の援軍歩兵20箇大隊と騎兵8箇中隊。同時にアグリッパ王とソハエムス王とアンティオコス王の援軍。近隣同士間によくある憎悪から、ユダエアに敵意を燃やしていたアラビア人の部隊、そして誰もまだ獲得していない元首の好意を手に入れたいと希望し、首都やイタリアから馳せつけた人も大勢いた。ティトゥスは、これらの軍勢を率いて整然と行軍し、敵地に入った。予めすべての状況を偵察し、臨戦態勢を整え、ヒエロソリュマ(※引用者註―エルサレム)から遠くない地点に陣営を築く。」(『同時代史』第5巻 1:1 p267~268:筑摩書房)このような包囲を見て、当時の聖徒は再臨が近いと真に悟ったことであろう。ところで、タキトゥスはこの時に「包囲されたユダエア人は、老幼男女合せて60万人いたと言われる。」(『同時代史』第5巻 13 p276:筑摩書房)と書いている。これはユダヤの国全体にいた人の数ではなく、首都エルサレム市の中にいた人の数だけであることに注意すべきである。また『不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくな』(マタイ24章12節)った。当時のユダヤには異邦人が多くおり、尊敬されていた指導者のパリサイ人も堕落しており、御心に適わないことがいっぱい行なわれていた。そこには愛をその本質とする神の律法が、真の意味において実践されていなかった。だからこそ多くの人たちから愛が失われてしまったのである。律法とは愛の戒めであるから(※)、不法の満ちている所には、当然ながら愛も無くなってしまう。また『荒らす憎むべき者』(マタイ24章15節)であるネロが、ダニエル書で預言されていた通りに現われた。この暴君は聖徒にとって、とんでもない存在であった。また『戦争のことや、戦争のうわさ』(マタイ24章6節)が耳に入ってきた。これは具体的には第一次ユダヤ戦争のことである。当時のユダヤはローマのくび木を打ち破ろうとして、どうしようもない犬のように飼い主と言うべきローマに牙を剥いていたのだから、いずれユダヤとローマとの間に戦争が起きるだろうという噂が広がったとしても何もおかしなことはなかった。実際、その噂は紀元66~70年に現実のものとなったのである。このように再臨の前には普通ではないことが多く起きたのだが、それは、あたかも間もなく死に至る病気に侵された人体のようであった。癌や糖尿病の人は、死の直前になると、身体に多くの異変が起こり、そうしてから死に至ってしまう。ユダヤという人体も、もう間もなく死んで滅ぼされる末期の状態であったから、末期の状態にある病人のように、多くの異変が起きたのである。その後、確かにユダヤは紀元70年9月に完全に滅ぼされることになってしまった。つまり人体で言えばユダヤは、この時に死んだことになる。今まで教会は、このような異変が未だに起きていない、つまりこれから起きると信じてきたが、既に説明されたことから分かるように、それらの異変は既に起きたことである。再臨が既に起きたと正しく理解すれば、その再臨の前に起きる多くの異常な出来事も、既に起きたことが分かるのである。このような異変がまだ未実現だと信じている人は、勘違いをしているので、即刻自分の考えを改めねばならない。

(※)
律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。』(ガラテヤ5章14節)
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。』(ローマ13章9~10節)
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 の再臨の様子は次のようなものであった。まずキリストは『天の雲に乗って』(マタイ24章30節)来られた。雲とは、聖書では権威を象徴する。主がこの雲に乗って来られたのは、主が天地万物における至高の権威者だからでなくて何であろうか。確かに主は、『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』(マタイ28章18節)と宣言されたのである。そのような権威ある方が、権威を象徴する雲に乗って来られるのは実に相応しいことである。古代キリスト教最大のラテン詩人であるプルデンティウス(384-405以後)は、その詩の中でキリストが「赤い火のような天の雲に乗って来る」(『聖アンブロシウスの賛歌』プルデンティウス「ペリステファノン・リベル」 p106:サンパウロ)と言っているが、これは出鱈目である。聖書には、キリストが「赤い火のような」雲に乗って来るとは書かれていない。キリストの再臨の際の光景において赤いことが確実に分かるのは「雲」ではなく「火」である。またキリストは『ご自身天から下って来られ』(Ⅰテサロニケ4章16節)た。すなわち、キリストは自らの意思により再臨された。それは御父の命令によるものではあったが、御父と御子とは『一つ』(ヨハネ10章30節)であるから、再臨は御父の命令であると共に御子の意志でもあった。キリストは何かに強いられて嫌々ながら天から下って来られたというのではないのだ。またキリストは『号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに』(Ⅰテサロニケ4章16節)再臨された。これは象徴としての音ではなく、実際の音のことを言ったものである。この時どれだけ大きな音が鳴ったのか正確には分からない。私としては、考えられないほど非常に巨大な音が鳴り響いたと推測する。まさか、ほとんど誰も聞き取れないような小さな音だったということはないであろう。そのようなみすぼらしい音は、キリストの再臨という偉大な事象には相応しくないからである。またキリストの再臨は、稲妻でもあるかのようであった。キリストは、『人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来る』(マタイ24章27節)と言っておられる。これは、つまり再臨は稲妻でもあるかのように突如として閃光と共に起こるということである。すなわち、再臨は津波のように徐々に迫って来る現象ではなかった。またキリストは『炎の中に』(Ⅱテサロニケ1章7節)天から下って来られた。これも音と同じで、象徴として言われているのではなく、実際の炎のことを言ったものであろう。火とは神の存在を示すものであるから(※①)、そのようなものを伴って神である方が再臨されるのは、実に相応しいことである。なお、この時、キリストがご自身の近くにある火から火傷や苦痛などといった害を受けなかったことは言うまでもない。この火は、再臨を演出するための忠実な使いであるから、キリストには害を与えないのである。またキリストは天から下って来られた際に、空中すなわち今で言えば飛行機が飛んでいる場所に留まられた。何故ならパウロは自分たちが携挙される時には、『雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。』(Ⅰテサロニケ4章17節)と述べているからである。聖徒が空中におられるキリストの所に引き上げられるとパウロは書いているのだから、このことを疑う聖徒がいるのであろうか。誰もいないであろう。言うまでもないことだが、キリストが地上まで降りて来られたなどと考える人があってはならない。それは聖書に反した夢想である。またキリストは『力ある御使いたちを従えて』(Ⅱテサロニケ1章7節)再臨された。黙示録5:11によれば、御使いたちの数は『万の幾万倍、千の幾千倍』である。万の幾万倍とは「少なくとも1億以上」であり、千の幾千倍とは「少なくとも100万以上」である。これは、つまり「とにかく多い」ということである。マタイ25:31によれば、キリストは『すべての御使いたちを伴って来る』。聞いたであろうか、キリストは『すべての御使いたち』と言っておられる。すなわち、再臨の際には、天で留守番をしている御使いは一人すらもいなかった。だから、再臨の際には、考えられないぐらいに多くの御使いがキリストと共にやって来たということが分かる。それは目がくらんでしまうぐらいに多い数だったことであろう。またキリストは、無数の聖徒と共に再臨された。エノクの預言はこうであった。『見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。』(ユダ14節)ここで言われている『千万』とは、実際の数ではなく、「非常に多い」ということを象徴的に言い表わしたものであろう。ユダが引用したこのエノクの預言の本文では「1万人」と書かれているが(※②)、1万であれ『千万』であれ、数の多さを示す象徴数であることには変わらない。パウロも数は明記していないが、キリストは聖徒たちを伴って再臨されると述べている。Ⅰテサロニケ4:14。『それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。』主は、御使いだけではなく、聖徒たちをも再臨の際には伴われるのである。どうであろうか。このように再臨の様子を聖句に基づいて眺めてみると、実に壮大で驚くべきものだったということが分かるのではないだろうか。私としては、こんなにも凄まじい光景は他にないと感じられる。再臨を描いた映画であれば話は別だが、いかなる映画であれ、これほどまでのシーンを作り出すことは恐らくできないと思われる。このような雄大で感動的な光景は、キリストの再臨という偉大な出来事には、実に相応しいと言えよう。

(※①)
私たちの神は焼き尽くす火です。』(ヘブル12章29節)
きょう、知りなさい。あなたの神、主ご自身が、焼き尽くす火として、あなたの前に進まれ、主が彼らを根絶やしにされる。』(申命記9章3節)
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(※②)
「見よ、彼は1万人の聖者をひきつれて来られた。それは彼らに審きを行なうためである。彼は不敬虔な者たちを滅ぼし、すべて肉なる者、すなわち罪人たちと不敬虔な者たちが彼に対して働いたいっさいの不義を告発されるであろう。」(『聖書外典偽典4 旧約偽典Ⅱ』エチオピア語エノク書 第1章9節 p172:教文館)
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 上で再臨の際には無数の聖徒がキリストと共にやって来るとエノクが預言しているのを確認したが、この聖徒は一体どのような存在なのであろうか。天にいなければキリストの再臨と共にやって来ることができないのは明らかだが、それでは、彼らはどのようにして天に上げられたのであろうか。まずこの聖徒たちは、キリストを「影」を通して信じていた旧約時代のユダヤ人のことである。すなわち、キリストが公生涯を開始される前までに、「ナザレのイエス」という存在としてはキリストを認識していなかった全ての選ばれていたユダヤ人である。これは例えばアブラハムやモーセやヨシュアやダビデやエレミヤが、そうである。旧約時代にキリストを「影」の形で信じていた選ばれたユダヤ人は、死んだ後、その魂がハデスの中へと入れられた。それはヤコブが自分の子らに、『あなたがたは、このしらが頭の私を、悲しみながらよみに下らせることになるのだ。』(創世記42章38節)また『私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい。』(同37章35節)と言っていることから分かる。ダビデも死んでしまった子のことについて、『私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。』(Ⅱサムエル12章23節)と言っている。ここでダビデが言っている『あの子のところ』とはハデスである。これはヤコブもダビデも、自分の魂が死んでからハデスに入れられると信じていたことを示している。実際、旧約時代の聖徒の魂はハデスへと移されることになっていた。まだこの頃は、聖徒の魂が天に引き上げられる段階は訪れていなかったのである。とはいっても、聖徒の魂はハデスに置かれたからといって、火による苦しみを受けるわけではない。悪者の魂はハデスの火で焼かれるが、聖徒の場合はそうではない。キリストの話(ルカ16:19~31)によると、ハデスには2つのスペースがあるのが分かる。すなわち、アブラハムやラザロなど聖徒たちの魂が移される「良いスペース」と、あの金持ちと同じ滅びの子らの魂が移される「苦しみのスペース」である。この2つのスペースは完全に区切られており、一方のスペースからもう一方のスペースへと移ることはできない。良いスペースにいたアブラハムは、悪いスペースで苦しんでいたあの金持ちにこう言っている。『そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』(ルカ16章26節)それゆえ、聖徒の魂がハデスに置かれたからといって、悪者の魂と同じように苦しめられていたと考えるのは誤りである。確かにラザロはハデスに入れられはしたが、しかし、そこにある「良いスペース」で『慰められ』(ルカ16章25節)ていたのである。しかし、キリストが死なれてからハデスに下られた際、キリストはハデスの力に打ち勝たれてハデスから抜け出られたのだから、この時にハデスにいた旧約時代のユダヤ人もハデスから解放されることになった。要するにキリストがハデスを屈服させることで、そこに閉じ込められていた聖徒たちを出られるようにして下さったということである。それ以降、今まではハデスにいた聖徒たちの魂は、もはやハデスに縛られることがなくなった。このハデスからの解放については、このように預言されていた。『まことに、あなたは、私のたましいを、よみに捨ておかず、…』(詩篇16篇10節)『しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。』(同49篇15節)『あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです。』(同86篇13節)キリストはご自身の力と勝利によりハデスから解放されたこの魂たちを、上げられる時に天へと引き連れて行かれた。それは、『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ』(エペソ4章8節)とキリストの昇天について書かれている通りである。ここで言われている『捕虜』とは、ハデスの捕虜にされている聖徒でなくて何であろうか。そのようにして天へ上げられた聖徒の魂は、再臨の日が訪れるまで、その魂のままに留め置かれた。すなわち紀元68年6月9日までは、御霊の身体が与えられることもなく、ただ魂だけの状態であった。再臨の日が遂に訪れると、この魂だけの状態だった天にいる聖徒は御霊の身体を受けて復活し、その復活した状態でキリストと共に天からやって来ることになった。注意しなければならないのは、この再臨の日よりも前に、天にいる聖徒が御霊の身体を受けて復活することはなかったということである。そのように考えるのは誤っている。何故なら、御霊の身体による復活が始めて起きるのは、キリストの再臨されるその日だからである。キリストはヨハネ6章で、終わりの日すなわち再臨の起こる日に聖徒が復活させられると何回も言われたのだから、その日よりも前に復活が起きたというのは考えられないことである。そして、その日になると、聖徒たちは物理的にしっかりと復活した状態で、キリストと共に空中へと降りて来る。つまり、魂だけの状態で空中にひとまず下りて来て、空中に来てから物理的に復活するのではない。聖徒が空中に来る時には、既に御霊の身体が与えられた状態となっている。何故なら、エノクもパウロも、再臨の際にはキリストが聖徒を引き連れて来られると言っているからである。そうであれば、必ず、地上にいる人たちが天からやって来る聖徒を物理的に認識できなければいけないはずである。もし聖徒が魂だけの状態でキリストに連れて来られるとすれば、どうして、その魂だけでしかない聖徒を物理的に認識できるであろうか。それはできないことである。よって、我々は天にいる聖徒が天であらかじめ復活してからキリストと共に空中に降りて来たか、そうでなければ天から出たその瞬間に復活した、と考えなければならない。降りて来るその時にも、まだ魂だけの状態だったというのは考えられない話である。当然ながら、この天から降りて来た聖徒の中に、キリストを「実体」として、つまり「ナザレ育ちのイエス」という存在として信じていた聖徒―例えばペテロやパウロやバルナバ―は一人も含まれていなかった。何故なら、もう少ししたら説明されるように、彼らは地上において復活に与かり、それから再臨されたキリストのおられる空中へと引き上げられるからである。

 の無数の聖徒を伴う再臨を見た多くの人たちは、大いに嘆くことになった。『地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。』(黙示録1章7節)『すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る』(マタイ24章30節)と預言された通りである。再臨されたキリストは『天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で』(使徒行伝1章11節)来られたのだから、尚更のこと、人々の嘆きは大きかったはずである。つまり、本当に肉体を持ってキリストが来られたのだから、それが幽霊や幻だった場合に比べて、遥かに大きな情動が心に生じたはずである。もし再臨が幽霊や幻の形で起きたとすれば、嘆きの度合いが弱かったか、そうでなければ全く嘆かれなかったということも考えられる。そこには生々しさがないからである。確かに当時生きていた人たちは再臨を見て嘆いたのであるが、それがどれほど大きな嘆きだったかということは想像に難くない。何故なら、再臨されたキリストを見たことにより、ユダヤ人とキリスト教徒が妄想を抱いていたのではないということが分かっただろうからである。「彼らが言っていたことは本当だったとは…」と。もっとも、この嘆いた人たちは、再臨の光景を見て嘆いたからといって、キリストに対する信仰を持ったわけではないことは言うまでもない。それは、様々な事象と証言を通してキリストが聖なる使者だったことを認めざるを得なくさせられたものの、実際にはキリストを信じて悔い改めることがなかったパリサイ人や長老たちと同じである(※)

(※)
参考情報として挙げておくが、当時のユダヤ人たちは、カリヌスとレウキウスによる証言を聞いてキリストにおける神の働きを認めたものの、信仰を持って悔い改めることは出来なかったようである。外典の「ニコデモ福音書」の中では、このことについて次のように書かれている。「以上読み終ると、みながこれを聞いてひれふし、いたく泣き、おのれの胸をひどく打ち叩き、叫んでそれぞれ言った、「我らにわざわいあれ。どうしてこういうことがみじめなわれらに起こってしまったのか。」ピラトが逃げ、アンナとカヤパが逃げ、祭司レビ人達が逃げ、さらにユダヤ国民が、泣きながら「みじめな我らにわざわいあれ。我らは聖なる血を大地に流してしまった」と言いつつ、逃げた。かくして三日三晩、パンも水も全然とらず、また誰一人とて会堂にもどってくる者はいなかった。しかしまた三日目に会議が召集され、今後はレウキウスの文が読みあげられた。けれどもそれはカリヌスの書いたものが含んでいることと一字一句同じで、一語も多くも少なくもなかった。そこで会議は混乱に陥り、四十日四十夜喪に服し、神から滅亡と罰とを与えられるのではないかと恐れた。けれども、かの憐みに富み給う至高者は、ただちに彼らを滅ぼすことはなされず、悔い改める機会を大幅に与えられた。けれども彼らは主に対して悔い改めることのできる者ではなかった。…」(『聖書外典偽典6 新約外典Ⅰ』ニコデモ福音書(ピラト行伝)第章27節(第11章) p228:教文館)
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 無数の聖徒を伴うこの再臨が起こると、裁きの座が備えられ、その座に多くの者が着いた。黙示録20:4にはこう書かれている。『また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。』ここで言われている座に着いた『彼ら』とは誰であろうか。直前の箇所である20:1~3に出てくる『御使い』(20章1節)であろうか。そうではない。聖書は御使いが裁きの座に着くとは教えていないし、『彼ら』と複数形で書かれているのに対し、『御使い』は単数形だからである。ここで言われている『彼ら』とは、少し前の箇所である19:19の『馬に乗った方とその軍勢』、すなわちキリストとキリストに付き添う聖徒たちのことである。この人々は、先に説明されたように、非常に多くの人数であり、単数形ではなく複数形で表現されるに相応しい人たちである。それゆえ、この人々こそ『多くの座』に『すわった』『彼ら』だということになる。これから説明されるが、確かに聖書は聖徒たちこそ裁きの座に着く者たちであると教えている。さて、それではこの聖なる人々は座に着いて一体何を裁くというのであろうか。彼らが裁く対象は、全部で3つある。一つ目は、キリストを否んだユダヤ人である。キリストは弟子たちに対して次のように言われた。『まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも12の座に着いて、イスラエルの12の部族をさばくのです。』(マタイ19章28節)イスラエルの12部族は、今までに多くの血を流した上に、遂に来られた預言されていたメシアをさえも否んで殺したので、報いとして裁かれねばならなかった。このようなイスラエルが裁かれないことは、あり得ないことであった。二つ目は、世界すなわち諸国の民である。パウロは、コリント人たちにこう言った。『あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、…』(Ⅰコリント6章2節)当時の世界にいた人々は、キリストの福音が大いに宣べ伝えられたにもかかわらず、それを受け入れなかったので、裁かれねばならなかった。御子を否んでおきながら、裁かれないままでいることがどうしてあろうか。この2つの裁きはカルヴァンも「関連させるべきこと」(『新約聖書註解Ⅷ コリント前書』6:2 p134 新教出版社)、すなわち同時的に起こるべきことであると言っているが、それは正しい見方であった。三つ目は、サタンである。パウロは『私たちは御使いたちをもさばくべき者だ、ということを知らないのですか。』(Ⅰコリント6章3節)とコリント人に言っている。サタンは、それまで数千年間も悪事を行ない続けてきたので、キリストと聖徒による裁きを受けねばならなかった。人類は、このサタンの惑わしにより堕落に至らしめられたのである。それでは一体どうして、聖徒たちは被造物に過ぎない身分であるにもかかわらず、キリストと同じように裁きの座に着いて、キリストと同じように裁きを執行するのであろうか。それは、キリストが聖徒たちを愛しているからであって、ご自身に与えられた状態と権威とを聖徒たちにも与えて下さるからである。キリストは聖徒のために命をさえ犠牲にされた恵み深いお方だから、ご自身の受ける状態と権威を聖徒にも与からせて下さるのである。それゆえ、キリストは聖徒たちにこう言っている。『勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父に御座に着いたのと同じである。』(黙示録3章21節)『勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。』(黙示録2章26~27節)実際の裁きがどのようなものであったかということについての詳細は、後ほどまだ語られることになる。何故なら、順序的にそうするのが相応しいからである。ひとまず、ここでは再臨の際に裁きの座が備えられて、その上に聖なる人々が座り、彼らに裁きを行なう権威が与えられた、ということだけを述べるに留めたい。

  に再臨の際に天上において、または天から降りて来る時に御霊の身体を受けて復活した聖徒のことが説明されたが、再臨の際には、地上において復活に与かる聖徒もいる。彼らは上のほうの場所で復活することがなく、復活した状態で再臨のキリストに引き連れられるということもない。これは、キリストを「ナザレのイエス」として、つまり影ではなく実体として信じていた全ての聖徒のことである。正確に言えば、キリストが公生涯を開始された紀元30年頃から紀元68年6月9日までの間に、キリストを信じた全ての人である。この時に起こる復活こそ、正にあの「第一の復活」である。黙示録20:4~5ではこう書かれている。『また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。』この復活は、地上において生き返る聖徒の復活だけでなく、上のほうの場所で生き返ってキリストと共に降りて来る聖徒の復活のことも含まれている。簡単に言えば、この第一の復活とは、ある人の魂に御霊の身体が与えられることである。地上でこの復活に与かる聖徒と、上のほうの場所でこの復活に与かる聖徒は、どちらのほうが時間的に早く復活に与かったのであろうか。地上の聖徒のほうが先であろうか、それとも天上の聖徒のほうが先であろうか。私としては、両方とも同時期であったと理解する。というのは、パウロがこう言っているからである。『私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。』(Ⅰテサロニケ4章15節)これは、パウロと共に生きていた聖徒の復活が、再臨の際に連れて来られる聖徒の復活に先んじることはないと述べたものであろう。そうであれば、逆に、天上にいる聖徒の復活が、地上にいる聖徒の復活より先んじるということもないと考えられる。そうすると、両方の復活は同時期であったということになる。さて、地上において第一の復活に与かる聖徒は2種類に分けられる。それは、当時既に死んでいた聖徒と、まだ生きていた聖徒の2種類である。まずは死んでいた聖徒のほうから説明する。紀元68年6月9日までに死んだ聖徒の魂は、旧約時代の聖徒のようにハデスに入れられることもなければ、天に引き上げられるというのでもない。その魂は、地上に残され、そのままに留め置かれた。しかし、再臨の日が訪れると、この墓の中にいた聖徒たちは命の息を受けて第一の復活に与かり、墓の中から出てくることになった。その墓から復活した聖徒の数がどれほどであったのかは分からない。かなり少なかったということはないと思われる。当時は多くのキリスト者が殉教したのだから、当然ながら墓から出てきた聖徒の数も多かったと考えるべきであろう。次は生きていた聖徒の復活である。紀元68年6月9日に生きていた聖徒は、その持っていた身体がそのまま新しい御霊の身体に切り替えられるという形で、第一の復活に与かった。その切り替えは一瞬の間に行なわれた。パウロはこのことについて、コリント人にこう言っている。『聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。』(Ⅰコリント15章51~52節)確かにパウロが言うように、『血肉のからだは神の国を相続できません。』(Ⅰコリント15章50節)キリストもこう言っておられる。『人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』(ヨハネ3章3節)もうお分かりであろう。当時の聖徒が持っていた血肉の身体では天の御国に入ることができなかったので、御霊の身体を受けて物質的に新しく生まれなければいけなかったのである。この時にキリストが再臨されたのは、聖徒たちを天の御国に引き入れるためであったということは言うまでもない。地上において生きたまま第一の復活に与かったこの聖徒の数も、墓から出てきた聖徒の数と同じように、かなり多かったと思われる。このように地上における第一の復活には2種類あるが、これこそ、キリストが終わりの日に聖徒を蘇えらせると言っておられたことに他ならない。既に述べたように、終わりの日とは、すなわち再臨の起こる日のことであって、既に過ぎ去っている(※①)。キリストが言われた御言葉はこうであった。『わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。』(ヨハネ6章39~40節)『わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。』(同44節)『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。』(同54節)これらのキリストの御言葉は、再臨の起きた紀元68年6月9日に成就された。まだこの御言葉が一度も成就していないと考えるのは誤っている。最後に、私に反抗したある兄弟のことを書きたい。ある兄弟は、私が既に復活が起きたと信じていることを知り、このように吠えかかってきた。それは、すなわち、こういうことであった。「あなたは「復活はすでに起こったと言って、ある人たちの信仰をくつがえしている」のではありませんか。あなたこそ、パウロの言っていたこの人なのではありませんか。」この兄弟が引用した聖句は言うまでもなくⅡテモテ2:18のものである。この不信仰な兄弟は、聖書が教える復活のことをよく弁えていない。彼は不信仰のゆえに私を愚かにも非難している。Ⅰテサロニケ4:15~17を見れば分かるように、パウロは当時の聖徒たちが『生き残っている』(4:15、17)間に、『主が再び来られ』(4:15)、『それからキリストにある死者が、まず初めによみがえ』(4:16)る、と言っているではないか。『生き残っている』とは、どういう意味か。言うまでもなく、「生存中に」また「死ぬことになるまでに」という意味である。つまり、パウロは明らかに紀元1世紀の聖徒が生きている間に、死ぬことになる前に、死者の復活があると言っていることになる。彼の使ったⅡテモテ2:18の聖句は、まだ復活が起きていなかった当時には正にその通りであったが、既に復活は起きたのだから、今の時代においてこの聖句を使って私を非難することはできない。さあ、不信仰な者よ、パウロを通して語られた神の言葉を否定できるならばしてみよ。パウロが当時の人たちが生きている間に復活があると明らかに述べたことに、もしできるというのならば、言い逆らってみよ。できるのか。もしできるというのならば、この兄弟は御霊の言われたことに抗弁することになる。この兄弟が、このように愚かにも私を非難したことは完全に間違っていた。実際、私がこの非難に対して聖書から答えると、この兄弟は答えられず、それ以降何も言わなくなってきた。私が答えたその文章はこうであった。私の書いた文章をそのまま転載しよう。「私が「復活は既に起こった」ということを信じていることを批判し問題にされるのでしょうか。パウロは、再臨が起きた際にまず「復活」が起こり、そうしてから当時生きていた紀元1世紀の聖徒たちが携挙されると書いたのではありませんか。パウロはこう言っています。「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」(Ⅰテサロニケ4:15~17)この御言葉の中で、明らかにパウロは当時の聖徒たちが「生き残っている」時に、再臨および復活があると述べています。また私たちが既に成就したと信じている旧約聖書の預言の中でも、死者の復活のことが言われています(ダニエル12:2)。もし旧約聖書の預言が全て成就したのであれば、ダニエル書12:2に書いてある復活も既に成就していることにならないでしょうか。」私の述べた聖書的な答えに抗弁すれば、神が言われたことに抗弁することになるのだから、この兄弟が何も答えられなくなってしまったのは自然なことであった。キリスト者であると思われている人の中で一体誰が「パウロの言っていたことは間違っていた。すなわち、パウロと共にいた聖徒たちが生き残っている間に死者の復活が起こることはなかった。」などと言えるであろうか…。私はパウロの語った御言葉をそのまま素直に信じているが、この兄弟はそうせず、そればかりか御言葉を素直に信じている私を批判しさえする。どちらの態度のほうが神に喜ばれるのか考えてほしいものである。クリスチャンとは、御言葉をそのまま素直に信じるべき人たちのことである。この兄弟は、パウロの語ったことをよく理解できていなかったと認め、神の御前に悔い改めなければいけない。そうして、「当時の人たちが『生き残っている』時に復活が起きた。」ということを、パウロの御言葉に基づいて信じなければいけない。他の人たちも、この兄弟のように復活のことに関して不信仰にならないように、よくよく気をつけていただきたい。

(※①)
次の引用文が示すように、アウグスティヌスは復活の起こるこの終わりの日がまだ到来していないと考えていたが、それは彼の無知に基づく誤謬であった。「最後には、ある人たちはこの死を突然の変化によって味わうことなく、復活する人たちと共に空中でキリストと会うために雲のなかに拉し去られ、こうして主と共にいつまでも生きるであろうということが、終わりの日に授けられるであろう(Ⅰテサ4・16参照)。」(『アウグスティヌス著作集29 ペラギウス派駁論集(3)』罪の報いと赦し、および幼児洗礼 第2巻 第31章 第50節 p146:教文館)
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 この第一の復活に与かった地上の聖徒は、裁きを行なう王として、先に述べられた裁きの座に着いた空中のキリストおよび聖徒と共に、聖なる裁きを執行した。この裁きこそ、『キリストとともに、千年の間王となった。』(黙示録20章4節)という御言葉の意味である。これは、つまり第一の復活に与かった聖徒が、裁きを行なう王になったことを預言したものである。黙示録では『千年』と言われているが、これは象徴表現であって、実際には非常に短い時間を指している。多くの者らは、この千年という期間が未だに訪れていないか、または今がその期間であると考えている。もし、そうだとすると、今の時代はまだ黙示録20:1~6の箇所まで至っていないか、または今が20:1~6の時代だということになる。実際、今のほとんど全ての教会は、このどちらかの見解を持っている。どちらの見解であっても、まだ黙示録には起きていない箇所があると信じていることには変わらない。すなわち、まだ20:1~6の箇所まで至っていないと考える者は少なくとも20:1以降の箇所はまだ起きていないと信じており、今が20:1~6の箇所だと考えている者は20:7以降の箇所がまだ起きていないと信じている。しかし、御霊はヨハネを通して、黙示録で示されたことについてこう言われた。『御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとされたのである。』(黙示録22章6節)この聖句で言われているように、黙示録に示されている全てのことは『すぐに起こるべき事』である。多くの者らが考えているように、もし黙示録にまだ実現していない箇所があるとすれば、御霊の言われたことと明らかに矛盾してしまう。黙示録には『すぐに起こるべき事』が示されていると言われた御霊が偽りを言われることはあり得ないから、黙示録は20:1~6の箇所も、それ以前の箇所も、20:7以降の箇所も、すぐに起きたことになる。それらの箇所が当時においてすぐに起きたというのであれば、そこに書かれている『千年』という期間も短かったと、つまりそれは象徴表現であったと考えねばいけないことになる。では、千年という表現で言い表わされている裁きの期間は具体的にはどれぐらいの期間なのであろうか。それは「1日以内」である。何故なら、再臨の起こる日とは『書かれているすべてのことが成就する報復の日』(ルカ21章22節)だからである。この日に旧約聖書に書かれている全ての預言が成就した。つまり、エゼキエル書38章でゴグがイスラエルを攻めると言われている預言も、当然ながら、この日に成就した。このエゼキエル書38章の内容と、黙示録20:7~10の内容が、非常に似ていることを疑う人は誰もいないはずである。どちらのほうにも『ゴグ』『マゴグ』「火が降って来る」「多くの集団が集められる」「イスラエルが攻められることになる」などといった同じことが多く書かれている。もしこの2つの箇所を非常に似ていると思わない人がいれば、その人は気の狂った馬鹿者か精神障害者であると思われる。つまり、ヨハネはエゼキエル書38章のことを黙示録20:7~10で預言したのである。それで、エゼキエル書38章が再臨の日に成就したとすれば、同じことを書いている黙示録20:7~10の箇所も再臨の日に成就したことになる。もし黙示録20:7~10の箇所が再臨の日に成就したのであれば、その前の箇所である20:4~6に書かれている『千年』という期間も再臨の日における24時間以内のことであったと考えなければいけない。何故なら、千年の終わりになるとサタンが多くの軍勢を動員させてエゼキエル書38章と対応した箇所である黙示録20:7~10の出来事を実現させるからである。千年の期間は再臨の日に起きた第一の復活の時から始まり、エゼキエル書38章(=黙示録20:7~10)の出来事が実現するための条件である千年の終わりの到来も再臨の日に起こる。そうして千年の終わりが到来すると、すぐにもサタンがエゼキエル書38章(=黙示録20:7~10)を実現させるために軍勢を動員させるのだから、その動員の出来事によりエゼキエル書38章(=黙示録20:7~10)が成就することになり、千年の期間も終わりを告げる。それゆえ、『千年』という期間は非常に短い期間、しかも1日以内の期間であると考えなければいけないことになる。御言葉に基づいて考えるならば、このように理解する以外にはない。理性により考える者たちは、まだ千年が終わっていないか、まだ訪れていないと信じているが、そのように理解すると御言葉に言い逆らうことになる。すなわち、黙示録に示されていることは『すぐに起こるべき事』であると言われた御言葉に抗弁しなければいけないことになる。御言葉は理性により弁えるべきものでなく、御霊により弁えるべきものである。御霊により御言葉を弁えられない者は、御霊を実は受けていない可能性がある。だからこそ御霊ではなく理性により御言葉を弁えようとするのである。御霊を受けていないのに、どうして御霊によって御言葉を弁えられるというのか。御霊を受けていない者は、神の民ではないから、キリストの教会から退場すればよかろう。そこは御霊を持たない生まれながらの人間が籍を置くべき組織ではないのだから。御霊により御霊に属する御言葉を弁えたいと願う者は、次のパウロの聖句を心に留めるべきである。『生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。』(Ⅰコリント2章14節)さて、それではヨハネは一体どうして、短い期間を『千年』などと記したのであろうか。黙示録は、無数の謎と秘儀が隠されている書物だから、たとえ1日を『千年』と言い換えたとしても何も不思議なことはない。しかし、その言い換えた理由はどのようなものだったのか。その一つとして考えられるのは、再臨と復活の起きた日が、千年と言い換えられるに相応しい1日だったということである。1日を千年と言い換えることや、千年を1日と言い換えることは、確かなところ、聖書的なことである。何故ならペテロがこう言っているからである。『すなわち、主の御前では、1日は千年のようであり、千年は1日のようです。』(Ⅱペテロ3章8節)神にとっては、1日は千年のように感じられるものでもあり、千年は1日のように早く過ぎ去るものであるかのようである。それでは、この再臨と復活の起きた紀元68年6月9日とは、どのような1日であったのか。それは、あまりにも驚くべきことが何回も起こる、前代未聞の大いなる日、聖なる日、特別な日、2度と訪れない日である。そのような2度と訪れることのない素晴らしい1日における偉大性や特殊性を悟らせるためには、千年と表現するのが相応しい。そうするのは優れた英知によるものである。本当は1日であるのに千年などと言われたら、誰でもその日が何か特別な日であると感じるはずである。しかし1日を「1日」とだけしか表現しないのであれば、それほど特別な感じは受けないし、偉大な1日を表現する言葉としては何か物足りない感じもしてしまう。このために、ヨハネが1日を「千年」と表現したというのが、この言い換えの理由として考えられる理由の一つである。簡単に言えば、ヨハネは「1日」という期間に表現における当然なすべき聖なる誇張を仕掛けたということである。または「この1日は千年にも感じられるほどに長い1日なのだ。」ということを言い表わそうとしたとも考えられる。誰でも、驚くべきことが色々と起きる日は体感的に長く感じるものであるが、再臨と復活の起きたこの1日ほど長く感じられるような日が他にあるであろうか。ないであろう。もう一つの理由として考えられるのは、この裁きの時間における完全性また絶対性を示そうとして『千年』と言い換えられたというものである。つまり、その完全性と絶対性を教えようとして、「10×10×10」=『1000年』と表現したということである。聖書において10は完全数であるから、それが三つ掛け合わされた1000という数字は、完全の極みということであり、究極的な絶対性がそこに存在しているということを意味する。聖徒たちの王としての裁きには、言うまでもなく完全性と絶対性とが、そこにはある。そうでなければ、どうして聖徒たちが世を裁くことになるという御言葉が実現されようか。完全で絶対でなければ全き裁きもできないであろう。聖徒たちの裁きが完全的なもの、絶対的なものであったとすれば、そのような裁きの期間を『千年』と表現するのは実に相応しいことである。このように「1000」を10の三乗と考えるのは、カルヴァンの見解でもあった。もちろん、だからといって、この見解が真に正しいと言うことになるのではないが。カルヴァンも誤謬を持った一人の人間に過ぎないのである。しかしプロテスタントの権威であるカルヴァンもそう考えていたということは、この見解をもっともらしく思わせてくれる要素の一つであるということは確かである。このように『千年』と言い換えられた理由は2つ考えられるのだが、どちらが正しいかということは、今の私にはまだ確かなことはいえない。どちらか一方が正しいかもしれないし、両方とも正しいのかもしれない。ただ一つ確実に言えるのは、この『千年』という言葉が1000年か、またはそれ以上の長い期間を指しているのではないということである。そのように考えるのは誤謬であり、御霊の御言葉に言い逆らうことになる。この期間については、今の時点では、以上のことを語るだけにしたい。また後ほど、再び、この期間について詳しく論じることになるであろう。さて、地上で第一の復活に与かった聖徒たちと空中の座に着いているキリストおよび無数の聖徒たちは、この再臨の日に、大いなる裁きを行なった。その裁きが行なわれる時とは、『千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され』(黙示録20章7節)た時である。すなわち、サタンが多くの軍勢を召集して『聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ』(黙示録20章9節)時に、裁きが執行される。何故なら、そうなってから色々な裁きが下されているのが確認できるからである(黙示録20:7~10)。この裁きが行なわれる時間は、非常に短い。それは、後ほど説明される「最後の審判」における審判の時間が、非常に短いのと同じである。これは数日、数週間、数年、数千年と時間がかかるようなものではない。また、この裁きが行なわれている最中は、まだ千年の期間が終わることがない。つまり、千年の期間の間に、裁きが行なわれるということである。何故なら、復活した聖徒たちが王として裁きを行なう期間が「千年」なのだからである。先に3種類の対象が裁かれると書かれたが、それを一つ一つ見ていくことにしよう。まず初めに見ていくのは「全世界」つまり諸国の民である。これは、つまりローマの軍隊のことである。すなわち、ローマの軍隊により全世界また諸国の民が表示される。これはローマの軍隊がエルサレム包囲のために召集されることについて、こう書かれていることからも分かる。『しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。』(黙示録20章7~8節)これはエルサレム包囲について書かれている箇所だから、召集された『地の四方にある諸国の民』とはローマの軍隊以外のことではない。当時はローマと言うことで慣用的に全世界を表わしたのだから、ローマの軍隊により全世界の民が表示されているとしても何も不思議なことはない。つまり、この諸国の民を表示させる存在であるローマ軍に裁きが下されることで、全世界に裁きが下されることになったのである。神は、非常に多くの存在や場所における諸々の悪に対する裁きを、ある一つの存在や場所に裁きを下されることで全うさせようとされるお方である。それは、それまでに多くの場所で流された無数の義人の血に対する報いが、紀元1世紀におけるイスラエルという一つの存在および場所に纏めて下されることで全うされたことからも分かる。つまり、神は今までに積み重ねられた悪に対する裁きを留保しており、ある時点になると、ある一つの存在や場所に纏めて下されることでその溜め込まれた裁きを解放されるということである。キリストは確かに次のようにパリサイ人に対して言われたのである。『だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。』(マタイ23章34~36節)よって、全世界を表示させるローマ軍に裁きが下されることにより、それまでに福音を信じなかった全ての国民に対する裁きが代わりに下されたことになるのである。このような裁きが聖徒たちにより下されたので、このローマ軍は全世界に対する裁きを受ける者として、エルサレムの炎上の中に巻き込まれることになった。『すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。』(黙示録20章9節)と書いてある通りである。当時、ローマ軍のいたエルサレムが火の海に包まれたのは、歴史の事実である。Ⅰコリント6:2の『あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。』という聖句は、このようにして成就した。確かにパウロが言ったように、この聖句を読んだであろう当時のコリント人たちは、紀元68年6月9日に復活して世界を裁くようになったのである。次は「サタン」に対する裁きである。このサタンも再臨の日に復活した王である聖徒たちから裁きを下され、その後、永遠の火に投げ込まれることになった。『そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。』(黙示録20章9節)と書いてある通りである。これは、つまり簡単に言えば別世界または別の次元にある地獄のことであるが、このことについては後ほどまた詳しく説明されることになる。この黙示録20:9の出来事については、その箇所に来るまで、早まった判断をしないで待っていてほしい。その箇所に来たら、このことについて詳しい説明がされることであろう。この地獄には、少し前の時間に、既にネロが投げ込まれていた。これによりⅠコリント6:3の『私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。』というパウロのコリント人に対する聖句は成就された。ここで言われている『御使い』とは、言うまでもなく「罪を犯した悪しき御使い」すなわちルシファーのことでなくて何であろうか。ミカエルやガブリエルなどといった罪を犯していない聖なる御使いが裁かれるということが、どうしてあるであろうか。そのようなことは決してない。それゆえ、この御使いという言葉を我々は正しく理解しなければいけない。この御使いを「聖なる御使い」であると考えるのは誤りである。このように考えると、確かにパウロの語ったように、本当に当時のコリント人が御使いを裁くことになったということが分かるであろう。パウロは、この時のことをコリント人に言っていたのである。最後は「ユダヤ人」の裁きである。先にマタイ23:34~36の箇所で確認した通り、当時のユダヤ人は、それまでに流された義人の血に対する溜め込まれた裁きを纏めて喰らう役割―何という悲惨な役割であることか!―を担っていた。その纏めて放出される裁きを、ユダヤ人はこの時に受けることになったのである。その裁きのため、ユダヤ戦争において最高で110万人とも推定されるユダヤ人が殺され、エルサレムが紀元70年に完全に跡形も無くなることになり、このユダヤ人たちで生き残った者らは全世界に散らされて放浪することになった。そうしてこのユダヤ人たちは、今に至るまで放浪の民として、世界中に散らされたままである。あのエルサレムにあった神殿の場所も禍々しい岩のドームに占領されてしまっており、まるでユダヤを侮辱しているかのように陣取っている。彼らは今に至るまで実に多くの迫害を受けて苦しめられてきた。彼らにはもはや、レビ族もユダ族もイッサカル族もゼブルン族もナフタリ族もベニヤミン族もヨセフ族もルベン族もシメオン族もダン族もガド族もアシェル族も、何の区別もない。更には、アブラハムの血を持たない非純正のユダヤ人まで多く混入されることにさえなった。このようになったのは紀元68年6月9日に彼らが裁きを受けたからに他ならない。ああ、彼らが裁きを受けていることを否定する者がどこにいるであろうか。彼らが裁きにより呪いを受けているのは明らかである。実に、裁きを受けたというのでなければ、このような悲惨な境遇は考えられないのである。このユダヤ人に対する裁きは、先に述べられた全世界とサタンに対する裁きとは異なり、非常に分かりやすいものではないかと思う。目に見える非常に明瞭な形で、彼らに悲惨が降りかかっているのが分かるからである。この時の裁きにより、キリストの言われた『わたしに従ってきたあなたがたも12の座に着いて、イスラエルの12の部族をさばくのです。』(マタイ19章28節)という預言が成就されることになった。確かにキリストの目の前でこの預言を聞いていた弟子たちは、紀元68年6月9日に復活して、キリストの言われた通りに大いなる裁きをイスラエル人たちに下したのである。このように、紀元68年6月9日において、3つの対象に対するキリストと聖徒たちの裁きが執行された。それは『千年の間』として表現された非常に短いが偉大な時間の間に行なわれたことであった。この裁きの完了と共に、『千年』と言い換えられた報復としての短い時間は終わることになった。

 の裁きの時間である『千年』が終わると、その時、「第二の復活」が起こる。一体どうして、千年が終わると2回目の復活が起こるのであろうか。それは、『そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。』(黙示録20章5節)と書いてあるからである。これはつまり、千年が終われば第二の復活が起きるということを意味する。この「第二の復活」という言葉が、聖書には書かれていないからといって、我々はこの復活がないなどと考えるべきではない。『第一の復活』があるのであれば、当然ながら「第二の復活」もあるはずだからである。たとえ文字的には書いてないからといって、それが存在しないことにはならない。それは、「時間が造られた」と文字としては聖書に書かれていないからといって、神が時間を造られなかったことにはならないのと同じである。それでは、この第二の復活を受けるのは、どのような種類の者であろうか。それは「悪者」つまり滅びの子らである。ヨハネが書いたように、『第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者』(黙示録20章6節)であった。この1回目の復活では、救いに選ばれていた正しい者たちが復活したからである。そうであれば、2回目の復活のほうは、正しい者でない者たち、すなわち悪者たちの復活だということになる。要するに、第二の復活とは、あまり喜ばしくない復活のことである。これは第一の復活が、非常に喜ばしい復活であったのと対照的である。しかし、悪者が復活するといっても、一体どのような悪者が復活するのであろうか。具体的には、その悪者とはどのような人たちを指しているのであろうか。それは、復活した後でキリストのおられる空中に携挙されることになる悪者である。キリストは、再臨の日には、携挙される者と携挙されない者がいると言われた。すなわち、それは次のような御言葉である。『そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。』(マタイ24章40~41節)復活する悪者とは、このうちの『取られ』るほうの者であり、『残されます』ほうの者は復活しない。というのは、復活する悪者たちは、第二の復活により復活してから御座の前における空中の裁きを受けることになっていたからである。確かにキリストは、復活のことについて、このように言っておられた。『墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。…悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。』(ヨハネ5章28~29節)ここで言われている『さばき』とは空中における裁きのことであろう。この空中の裁きを受けることになる者は、それが空中で執行されるがゆえに、当然ながら携挙されることになる者たちであるのは言うまでもない。携挙されない者たちは、そもそも空中にさえ上げられないのだから、どうして空中の裁きを受けられるであろうか。その者たちは地に『残され』るのである。確かに悪者どもは復活したら空中の裁きを受けることになるのだから、第二の復活を受ける悪者とは、すなわち空中へと携挙されることになる悪者だけである。それでは、そのような悪者とは一体どういう者たちなのであろうか。もう少し詳しく説明してほしいと感じる方が多くいるのではないかと思う。その悪者とは『山羊』と呼ばれる悪者である。空中の裁きが描かれているマタイ25:31~46の箇所を見ると、審判者なるキリストの御前に『』と『山羊』が立たされているのが分かる。この後者の『山羊』こそが復活して携挙されることになる悪者である。この山羊なる悪者は、「ナザレのイエス」という紀元1世紀にこの地上におられた聖なる存在をよく知っており、そのためにキリストに対して『主よ。』(マタイ25:44)と口にする。つまり、この悪者とはキリストのおられた紀元1世紀に生きていた者のことである。また、この悪者は『御国』すなわち地上の教会に属していた者でもある。何故なら、マタイ13:41~42を見ても分かるように、空中の裁きのために携挙されて裁かれることになる悪者とは、地上の御国の中にいる者だからである。このマタイの箇所ではこう言われている。『人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。』ここで言われているように、裁きのために空中へと御使いにより携挙される『つまずきを与える者や不法を行なう者』などといった悪者たちは、『御国』すなわち地上の教会の中から取り集められる。そうしてから、後ほど詳しく説明されることになるが、この悪者たちは裁きを受けて『火の燃える炉に投げ込』まれることになる。つまり、地上の教会に属していなかった悪者たちは、確かに悪者ではあるのだが、この第二の復活により復活することはなかった。要するに、第二の復活を受けるのは、使徒の時代に教会に籍を置いていた全ての再生していなかったキリスト教徒である。これは、簡単に言ってしまえば「毒麦」のことである。この毒麦たちが、当時生きていた者も、既に死んでいた者も、第二の復活を受けてよみがえることになったのである。この教会に蒔かれていた本当は神の民ではない毒麦どもは、火の池に投げ込まれて永遠に苦しめられるために、第二の復活により新しい「滅びの身体」を受けることになった。これは、永遠に焼かれ続けることができる刑罰のために用意された身体である。紀元68年6月9日の時点で生きていた毒麦どもには、生きたままの状態で即座に、この身体への切り替えが起こった。それは、たちまち、一瞬のうちに起こったことであった。一方、既に死んで墓の中にいた毒麦どもは、墓の中でこの新しい身体を受けて復活し、そうしてから墓より出てくることになった。この墓の中にいた毒麦どもの復活も、一瞬の間になされたことである。この第二の復活による新しい身体の授与は、第一の復活による新しい身体の授与と、現象的には同じことである。どちらも即座に身体の切り替えが行なわれた。違うのは、第二の復活のほうが時期的には少し遅いということと、その与えられる身体の性質がまったく異なっているということである。黙示録20:13で『海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。』と書かれているのは、この第二の復活のことである。『海はその中にいる死者を出し』とは、海として象徴される生存中の非再生者すなわち霊的な死者が、第二の復活により新しい身体の切り替えに与かるということである。『死もハデスも、その中にいる死者を出した。』とは、死んでハデスの中に放り込まれた死亡中の非再生者すなわち霊的な死者が、第二の復活により新しい身体を受けて墓から出てくるということである。ここで言われている『死者』とは、すなわちキリストが生存中の者に対して『死人』と言われた意味における死んだ者のことである(※①)。つまり、この『死者』とは霊的な死者のことであって、肉体の死者のことを言っているのではない。肉体の死は、『』および『』また『ハデス』という部分で区別されている。こちらのほうこそ肉体の生死を分けている指標であり、こちらのほうは霊的な死を言ったものではない。つまり『』が肉体的に生存中であるという指標であり、『』また『ハデス』が肉体的な死亡者であるという指標になっている。この箇所については、後ほどまた説明されることになるであろう。今はこれだけ説明されれば事柄の理解のためには十分である。さて、この箇所の最後で言っておかねばならないことがある。それは実に多くの人たちが、復活の際には「あらゆる悪者」が復活することになると考えているということについてである。今に至るまでほとんど全ての聖徒たちは再臨や復活のことなどについて聖書を詳しく研究することをせず、最後の審判を受けるべく「全ての悪者」が例外なく復活するのだと考えてきた。すなわち、教会では今まで最後の審判を受けるべく復活することになるのは「狼」、つまり地上の教会には属していない不信者や異教徒たちも含まれると盲目的に考えられてきた(※②)。ところでこの「狼」とは、カルヴァンも言うように「神のあわれみの聖霊によって全く再生されない者」また「福音の敵である者たち」(『新約聖書註解Ⅰ 共観福音書 上』マタイ10:16 p349:新教出版社)を指す。しかし、この「狼」である不信者や異教徒さえもが、紀元68年に起きた最後の審判を受けるために復活すると考えるのは誤っている。それが誤りであるということは、しっかりと聖書から証明できる。まず「狼」でさえも復活して携挙されてから空中の裁きを受けるというのであれば、空中の裁きを描いているマタイ25:31~46の箇所で、『羊と山羊』すなわちクリスチャンと偽クリスチャンしか出てこないのはどういうわけか。興味深いことに、この箇所では羊と山羊だけしか登場しておらず、教会と関わりを持たない不信者なる狼は描かれていない。もし全ての種類の人が空中で最後の審判を受けるというのならば、当然ながら「狼」も空中に引き上げられることになるだろうから、このマタイの箇所では「狼」も登場していたはずである。しかし、この箇所によれば最後の審判を受けるのは「羊と山羊のみ」である。つまり、最後の審判が行なわれる空中に狼が引き出されることはないのである。また、もし狼も空中で審判を受けるとしたら、彼らは自分の前におられるキリストに向かって『主よ。』(マタイ25章44節)などと言うのであろうか。そのようなことはない。狼はキリストを主と認めず、むしろ「有害な唾棄すべきクリストゥス信者どもの頭よ。」(※③)とか「キリスト野郎」(※④)などと言うであろう。当然ながら『主よ。』と言うのは羊と山羊だけである。よって、キリストを否む狼たちは最後の審判を受けなかったことが分かる。更に言えば、審判を受けるのは『御国から取り集め』(マタイ13章41節)られた者だけであるから、そもそも御国と関わりを持たない狼たちが、どうして携挙されて最後の審判を受けることがあろうか。まさか狼も御国に属する者たちだなどと言う人はいないであろう。極めつけの証拠は、キリストが携挙の際には『残され』(マタイ24:40、41)る者がいると言っておられることである。もし狼を含めたあらゆる者が携挙されて最後の審判を受けるというのであれば、どうして地上に残される者がいるのであろうか。そのようなことが起これば、地上には誰も残されなくなる。しかしキリストは地上に残されて空中の審判を受けない者がいると言われたのだから、狼も含めた全ての者が最後の審判を受けると考えるのは誤りであることが分かる。すなわち、先にも述べたように携挙されるのは羊と山羊だけであって、狼たちは地上に残されるのだから御前における空中の審判を受けることはないのである。最後の審判の際には『すべての国々の民が、その御前に集められます。』(マタイ25章32節)と書いてあるのを盾に取っても無駄である。ここで言われている『すべての国々の民』とは、あくまでも携挙されることになる者たちのことだからである。すなわち、ここで言われているのは「携挙されることになる者たちにおけるすべての国々の民」ということである。もしこれが文字通り全ての国民だと解するべきだとすれば、ペテロが成就したと言ったヨエル書に書かれている『わたしの霊をすべての人に注ぐ。』(使徒行伝2章17節)という預言も、そのように考えるべきなのであろうか。すなわち、本当に文字通り『すべての人』に神の霊が注がれたのであろうか。そのようなことはなかった。ここで『すべての人』と言われているのは、言うまでもなく異教徒は含まれていない。このヨエル書の箇所を、文字通りに捉えるべきではないのと同様に、マタイ25:32も文字通りに捉えるべきではない。マタイ25:32の後では『すべての国々の民』が、すなわち『羊と山羊』だと言われているのだから、これはクリスチャンと偽クリスチャンのことだけについて言われたものである。もし、この『すべての国々の民』という言葉を文字通りに捉えると、既に説明されたことからも分かるように、他の箇所と調和できなくなってしまう。アウグスティヌスもエレミヤ31:34に書かれている「すべて、わたしを知るであろうから」という御言葉の「すべて」という部分が、すなわち全人類ではなく「イスラエルの家とユダの家を指す。」(『アウグスティヌス著作集9 ペラギウス派駁論集(1)』霊と文字 第24章 40 p70:教文館)と言っており、カルヴァンもヨハネ12:32で書かれている「わたしは、地上からあげられる時、すべてのひとたちを…」という御言葉について「すべてと言っているが、それは当然、神の羊の群れに属する神の子供たちに結びつけて考えなければならない。」(『新約聖書註解Ⅳ ヨハネ福音書 下』12:32 p421:新教出版社)と言っており、また同じヨハネ6:45で書かれている「かれらはすべて神から教えられるだろう、と」という御言葉について「このすべてという語は、教会の正当な子供たちであるえらばれたひとたちにだけ、限定されなければならない。」(『新約聖書註解Ⅲ ヨハネ福音書 上』6:45 p215:新教出版社)と言っているが、このエレミヤ書の箇所やヨハネ福音書の2つの箇所や今取り扱っているマタイ25:32の箇所や先のヨエル書の箇所のように、聖書において「すべて」と言われながら実際にはかなり限定された範囲内の存在を対象としている箇所は多い(※⑤)。聖書をよく研究している人であれば、このことに既に気付いておられるはずである。よって、このマタイ25:32による反論も私の説明を揺るがすものとはならない。このように「最後の審判の際には全ての者たちが空中にいるキリストの御前に立たされるであろう。」という教会が今まで信じてきた一般的な見解は、聖書研究をしていないために陥ってしまった謬見であって、それが謬見であることを今まで教会はいくらかでも察することさえしなかったのである。このように考えると、聖書の教えに沿わなくなってしまうのは、今なされた説明から分かったはずである。確かに今まで教会は、「審判を受けるのはどのような種類の者か?」「地上に残される者たちは空中に上げられないから最後の審判を受けることもないのではないか?」「キリストを憎んでいる者も審判の際には『主よ。』などと言うのだろうか?」といったことを何も考察してこなかった。それは第1章でも言われたように、まだ再臨と再臨に関わる事柄が明らかにされる時期が到来していなかったからである。しかし、今ここで説明されたことを読んだ読者は、復活と携挙と審判のことがよく分かったはずである。それゆえ、「最後の審判の際には全ての者が復活させられるのだ。」という考察の欠如した一般的な見解はもう捨てられるべきである。『主よ。』と言わず御国にも属していない狼なる不信者たちは、空中の審判のために携挙されるべく第二の復活を受けることがないのである。

(※①)
まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。』(ヨハネ5章25節)
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(※②)
例えば今に至るまで多くの教会が採用してきたアタナシウス信条では、キリストの再臨の際に「すべての人間は、その身体をもって蘇えり。」(41節目)と書いてある。つまり、狼を含めたあらゆる人間が復活して、携挙され、空中に立たされ、キリストの御前で裁かれる、というのである。これは再臨や再臨に関する出来事について、まったく聖書研究をしていないことが分かる記述である。私からすれば、これは誠に幼稚な理解であり、表面的であり、何の考察もされておらず、実に盲目的であると感じられる。もちろん、私とて、もし神の御恵みが注がれなかったならば、このような未熟な理解のままに留まっていたのではあるが…。
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(※③)
これはスエトニウスが言いそうである。というのも彼はキリスト者について、「前代未聞の有害な迷信に囚われた人種であるクリストゥス信奉者」(『ローマ皇帝伝(下)』第6巻 ネロ p150:岩波文庫)などと侮蔑的な言い方をしているからである。キリスト者に対してこう言うのであれば、尚のこと、キリスト者の主であるキリストには侮蔑的な言い方をするはずである。
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(※④)
本当にこう言ったのかどうか定かではないが、長官アグリッパは「ペテロ行伝」33章の中でこのように口にしている。参照:『聖書外典偽典7 新約外典Ⅱ』ペテロ行伝 第33章 p79 教文館
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(※⑤)
このアウグスティヌスは、この範囲の限定性のことについて、こうも述べている。「たとえば、「あなたがたはあらゆる野菜の十分の一を納めている」(ルカ11・42)とパリサイ人に言われていますが、そこでは彼らの持っているすべてだけであると解釈しなければなりません。実際、彼らは全地上のあらゆる野菜の十分の一を納めはしなかったのです。「わたしもまた、すべてのことについて、すべての人を喜ばせているように」(Ⅰコリ10・33)と言われているのは、この表現法に倣っているのです。これを述べた人は、彼を迫害するあれほど多くの人々に、実際喜ばれていたでしょうか。しかるに彼は、キリストの教会が結集するあらゆる種類の人間―すでにそのうちにいる者も、これから教会に導き入れられることになっていた者も―に喜ばれていたのでした。」(『アウグスティヌス著作集10 ペラギウス派駁論集(2)』譴責と恩寵 第14章 44 p155~156:教文館)
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 解が更に深まるために、もう少し携挙される対象者についての論証をしたい。確かに、今の時代に至るまで、携挙の際には、あらゆる人間が上に引き上げられる対象であると考えられてきた。そう、文字通り「あらゆる人間」である。それは、携挙について今までに語られてきた教師たちの文章を見れば、一目瞭然である。今まで教師たちは、何の例外も設けずに「あらゆる人間」が上に引き上げられると語ってきた。しかし、上で説明されたように、実際には携挙の際にあらゆる人間が引き上げられるのではない。このことを、今度は、実際の歴史から論証することとしたい。その論証の際に、検証する対象は3者、すなわち「異邦人」(=狼)と「ユダヤ人」(=狼)と「キリスト者」(=羊および山羊)である。まずは「異邦人」から検証するが、携挙の際に上に引き上げられると多くの聖徒たちから思われてきたこの存在は、実際の歴史においては携挙されることがなかった。何故なら、携挙の起きた紀元68年を過ぎても、多くの異邦人たちが以前と変わらず人生を送ったからである。例えば「博物誌」で知られる大プリニウスの生きた年は、23~79年であった。また今でもよく語られる歴史家のタキトゥスが生きた年は、55年頃~115年頃であった。もし多くの者が考えているように、携挙の時に異邦人も上に引き上げられるとすれば、この2人の異邦人は、携挙の起きた紀元68年にこの地上から去っていたはずである。というのも、もし彼らが携挙された場合、キリストを信じていなかったがゆえに、間違いなく左のほうにより分けられ(マタイ25:41~45)、地獄に移されていただろうからである。彼らが携挙されていた場合、『わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。』(マタイ25章41節)とキリストから言われなかったはずがどうしてあろうか。しかし、彼らは紀元68年を過ぎても、相も変わらず前から続いていた人生を地上において送った。今までの携挙に関する考察不足の見解に基づいて考えると、この大プリニウスとタキトウスは携挙の起きた紀元68年にその地上における人生を終わらせていたはずである。しかし、そのようなことはなかった。これは、つまり、狼である異邦人は携挙される対象ではないということを意味している。やはり、先に説明されたように、携挙の日には地上に『残される』(マタイ24章40~41節)者がおり、空中の審判に羊でも山羊でもない異邦人という狼たちは集められないのである(マタイ25:31~46)。この大プリニウスとタキトゥスは、携挙の対象に異邦人が含まれていないということを証明してくれる人間である。次は「ユダヤ人」である。このユダヤ人たちも再臨の日には携挙されると多くの者が考えているが、実際には、彼らが携挙されることはなかった。何故なら、ユダヤ戦争(66~70)において死ななかったユダヤ人であるヨセフスが、携挙の起きた紀元68年を過ぎても、ずっと生き続けたからである。このユダヤ人のヨセフスが生きた年は、37年頃~100年頃であった。もしユダヤ人も携挙されるのであれば、携挙の年である紀元68年になった時、ヨセフスは空中に引き上げられていただろうから、その年に自分の地上での人生を終わらせていたはずである。しかし、ヨセフスは携挙の年を過ぎても生き続けたのだから、ユダヤ人は携挙の対象として含まれていなかったということになる。ここで彼の『ユダヤ古代誌』に書かれている有名な「キリスト証言」のことを思い浮かべる読者がいると思うが(※①)、これは明らかに後世の挿入だから、我々が今取り扱っていることにおいては何も問題にならない。もしこの「キリスト証言」が本当にヨセフスが書いた文章だとすれば、彼がキリスト者だったという可能性が生じ、もしキリスト者であったならば、このヨセフスはキリスト者であるがゆえに紀元68年の時点でこの地上から去っていなければならなかった。しかし、ヨセフスは紀元68年を過ぎても生き続けていたのだから、この有名な文章が別の者による文章であるということは確かであって、それゆえ彼がキリスト者でなかったということも確かである。もしこれがヨセフスの手による文章だったとすれば、キリスト者であるヨセフスがキリスト者であるにもかかわらず再臨の日に携挙されなかったという致命的な問題が生じることになり、私の述べる携挙の見解が偽りであるか、聖書の教えが偽りであるかということになっていたであろう。もちろん、私の述べる見解も聖書の教えも真理であって、偽りであるのは挿入された箇所のほうであるのは言うまでもない。もっとも、キリスト者であったユダヤ人であれば、話は別である。ユダヤ人でもキリスト者であれば、その者は携挙の対象に含まれていたから、紀元68年に上に引き上げられたはずである。というのも、携挙されるのは、福音書も教えるように御国という海の中で泳いでいる良い魚と悪い魚だからである(マタイ13:41~42、47~50)。つまり、携挙の対象となるのは、簡単に言えば「キリスト者」と呼ばれ教会に通っている全ての者であった。最後は「キリスト者」であるが、彼らが紀元68年に実際に携挙されたのは、もう読者には明らかであろう。誰であれ、キリスト者と呼ばれる者は、紀元68年にこの地上での人生を終わらせた。彼らは携挙されてから、天国に移されるにせよ地獄に移されるにせよ、もはや再びこの地上に戻りはしなかったからである。しかし読者の中には、「紀元68年を過ぎてもこの地上に生き続けたキリスト者の存在はどうなるのか?」と実に鋭い質問を心の中に持たれる方がいるかもしれない。私が言っているのは、ローマのクレメンス(30~101)をはじめとした、紀元68年でその地上での生涯を終わらせていない聖徒たちのことである。このような聖徒たちが、紀元68年を過ぎても生き続けたというのは、誰も疑うべきでないし、私もあえてそれを否定することはしない。この鋭い質問を解決するのは、簡単なことである。つまり、彼らは携挙の年を過ぎてから信仰を持ってキリスト者になったのである。彼らは、携挙の起きた紀元68年の時には、そもそもキリスト者ではなく不信者だった。だから、彼らは、聖徒でありながら紀元68年を過ぎても地上から取り去られていなかったのである。先にも言ったように不信者たちは、紀元68年の時に携挙されることがない。もしローマのクレメンスであれその他の聖徒であれ、紀元68年までにキリスト者となっていたとすれば、紀元68年に携挙されていただろうから、その年に地上からいなくなっていたであろう。学識と意欲のある読者は、紀元68年を過ぎても生き残っていた古代の聖徒たちの生涯を、よく調べていただきたい。そうすれば、その聖徒たちが携挙の起きた紀元68年以降にキリスト者になったのであって、それ以前は不信者だったことが分かるはずである。もし紀元68年の時点でキリスト者でありながら携挙されなかった聖徒がいたとすれば、この『再臨論』における見解は根底から覆されることになり、私もこの説を捨てるか理解を大幅に変更せねばならなくなるであろうが、そのようなことは絶対にないであろう。このように実際の歴史からの検証を受けても、この携挙の見解が堂々と耐えられることが、読者にはお分かりいただけたのではないかと思う。これは、この携挙の見解が、聖書に基づいた真理の見解だからに他ならない。真理だからこそ、実際の歴史の検証に打ち負けたりしないのである。もしそうでなければ、実際の歴史の検証に耐えられず、看過できない矛盾を引き起こし、大きな問題となっていたはずである。真理でなければ、どうして実際の歴史との関係において矛盾が生じないままで済むであろうか。事実、進化論は真理でないからこそ、実際の歴史と多くの点で矛盾を引き起こしているのである。そういうことだから、携挙があらゆる種類の人たちを対象としているという見解は誤謬に他ならない。この携挙に関する誤謬は、聖書研究の不足、検証の不足、思索の不足がその原因である。もし聖書をよく研究し、検証に臆病にならず、思索を熱心にしていたとすれば、このような誤謬に陥らなくて済んでいたはずである。このことから、誤謬の原因である努力不足が、どれだけ悲惨であるかということが分かるのではないかと思う。神の恵みにより努力をしようとしないからこそ(努力できるのは神の恵みに他ならない)、その怠惰に対する罰として誤謬の闇に落とされてしまう。もし神からの恵みを受けて色々と考究していれば、神の恵みにより色々と分かるので、神の恵みのゆえに誤謬から遠ざかれるようになるのである。今までの教会は、この携挙や再臨をはじめとした古い世の終末のことについて努力不足であったと言わざるを得ない。それは、私が今神の恵みにより書き記しているこのような作品が、最近になるまで世にまったく出てこなかったことからも分かる。

(※①)
「さてその頃、イエスという賢人―実に、彼を人と呼ぶことが許されるならば―が現れた。彼は不思議な業の数々を行う者であり、真理を尊ぶ人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と少なからざるギリシア人とを帰依させた。彼こそはキリストだったのである。ピラトは、彼がわれわれの指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下したが、彼を最初に愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。すると、彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。すでに神の預言者たちは、このことや、さらに彼に関するその他多数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それが実現したのである。なお、キリスト者と呼ばれる族は、その後現在に至るまで連綿として残っている。」(ヨセフス『ユダヤ古代誌』18.3.3)
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 さて、この紀元68年の時に第一の復活に与かった聖徒は、地上から、キリストのおられる空中まで携挙された。その携挙は目にも止まらぬ速さで行なわれた。『たちまち…雲の中に一挙に引き上げられ』(Ⅰテサロニケ4章17節)とパウロが書いている通りである。恐らく、携挙された聖徒は気付いたら既に空中に上げられていたと推測される。聖徒を空中まで携挙させたのは、キリストが遣わされた御使いたちであった。それは、マタイ24:31にこう書かれている通りである。『人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。』つまり、聖徒たちは、何か見えない力や上昇する空気などによって空中へと引き上げられたのではなかった。御霊が、聖徒たちを空中に移して下さったというのでもなかった。そうではなく、この仕事を任されていた御使いたちが、その手で一人一人の聖徒を上のほうまで運んだのである。ここでは『御使いたち』と言われていることに注意すべきである。すなわち、キリストから遣わされた御使いは一人ではなく何人もいたということを見落とすべきではない。そうして空中に上げられた聖徒たちは、既に空中に再臨されていたキリストと会った。これが感動的な対面であったのは間違いない。新約聖書に書かれている多くの聖句は、この時のことを言ったものである。例えばⅡテサロニケ2:1。『さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。』またⅠテサロニケ2:19。『私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。』Ⅰヨハネ2:28もそうである。『そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。』これらはどれも、携挙された聖徒が空中で主の御前に立つ時のことである。また、この携挙の時にマタイ24:40~41の御言葉が実現した。この箇所でキリストはこう言っておられる。『そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。』つまり、再臨の起きた紀元68年6月9日には、携挙されるべき者が急に消え去り、携挙されるべきでない者は地上にそのまま残された。この日、地上に残された不幸な者たちは、ある人たちが突然目の前からいなくなったのを見たのである。その時の驚きがどれほどのものであったかということは、想像に難くない。

 キリストは再臨が起こる時について『その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。』(マタイ24章36節)と言われたが、これは正にその通りであった。一体当時の誰が紀元68年6月9日に再臨が起こるなどと考えたであろうか。誰も考えなかったであろう。確かに先に書かれたように、再臨の前兆となる出来事は、あらかじめ預言により知らされていた。その一つとしては、『にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せ』(マタイ24章24節)る、というのがそうであった。『エルサレムが軍隊に囲まれる』(ルカ21章20節)というのもそうである。この包囲の出来事は非常に明瞭な前兆であった。『『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つ』(マタイ24章15節)というのもそうであって、これはネロの迫害のことだから、誰でも明白に認識できる前兆であった。しかし、前兆はかなり知ることができたものの、再臨の起こる正確な日時は誰一人として分からなかった。というのも『人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来る』(マタイ24章27節)からである。稲妻の発生を誰も予知できないように、再臨の発生も誰も予知できなかった。ところでカエサルは、いつ暗殺されてもおかしくない状態にあったが、自分がいつ死ぬことになるかは全く知らなかった。彼は、気付いた時にはブルータスをはじめとした多くの暗殺者たちから刺されている自分の姿を見た。彼はこうなることをある程度予想していたから冷静さを保ちはしたが、まさかその日(紀元前44年3月15日)に殺されるとは予測できなかったであろう。キリストの再臨される日が隠されていたのは、ちょうどこのカエサルの暗殺のようなものであったと言える。だから、再臨の起こる日は確かに当時の人たちにとっては『いつ起こるかをだれも告げることはできない』(伝道者の書8章7節)類のものであった。神は、人の意表を突くような日を、再臨の起こる日として定められたのである。

 臨の起きた場所は、地理的に言ってどこだったのであろうか。再臨の起きた場所は、エルサレムの上空だったと考えるべきである。何故こう言えるかといえば、主は大祭司や律法学者や長老たちが再臨を見ると言われたからである(マタイ26:64)。これらの者たちがエルサレム市にいたということは疑えない。もしエルサレムから遠く離れた場所の上空で再臨が起きたとすれば、このエルサレムにいた指導者たちが再臨を目撃することは、恐らくできなかったのではないか。しかしエルサレムにいたとすれば、確実に、キリストの再臨を見ることができる。エルサレムの上空にキリストが降りて来られたならば、この指導者たちだけでなく、他にも再臨を見ると言われていた弟子たち(マタイ16:28)やあのロンギノスという兵士も(黙示録1:7)再臨を見ることができる。再臨が起きた時にはまだ多くの弟子がエルサレムにいただろうし、ロンギノスも兵士なのだから―といってももう老兵士になっていただろうが―エルサレムというユダヤの中でもっとも重要な街にいたと考えても何もおかしくはない。よって我々は、エルサレムこそ再臨が起きた直下の場所であったと考えるべきである。このエルサレムとは非常に重要な意味を持つ街なのだから、その上空にキリストが来られたと考えるのは、荒唐無稽な理解とは言えないはずである。もし「主が再臨される場所はどこがもっとも相応しいか?」と問われるならば、その答えは間違いなく「それはエルサレムである。」というものになるであろう。読者もこの答えにはうなずくはずである。であれば、やはり再臨が起きた直下の場所はエルサレムだったと考えるべきだということになる。それでは、聖書の御言葉は、どこの場所にキリストが再臨されたと教えているのであろうか。やはり、この件についても聖書が何と言っているのか、ということを我々は見なければいけない。何故なら、この聖書こそが、我々の知識と判断における基準だからである。敬虔な読者の方であれば、聖書の御言葉から論じられなければ、満足することができないはずである。これまで論じられたのは、聖書の御言葉から直接的に論じるというよりは、言わば間接的な推論に過ぎないものであった。私は聖書の御言葉から、この件についての答えを提示しよう。聖書は、再臨の起きた場所がエルサレムであると教えている。つまり、聖書は、私が先に述べた推論と同じことを述べている。旧約聖書の多くの箇所では、キリストの再臨される場所が「シオン」であると言われている。その御言葉は次の通りである。『しかし、シオンには贖い主として来る。』(イザヤ59章20節)『彼らは、主がシオンに帰られるのを、まのあたりに見るからだ。』(イザヤ52章8節)シオンとはエルサレムの南東にある丘であって、すなわちエルサレムを指す。またキリストが再臨される場所は「オリーブ山」であるとも聖書は教えている。その御言葉は次の通りである。『その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。』(ゼカリヤ14章4節)オリーブ山とはエルサレム神殿のすぐ近くに位置する場所であって、すなわちエルサレムである。主が再臨される場所は空中であるから、その下にある場所はシオンの山であるとも言えるしオリーブ山であるとも言える。何故なら、空中の広い場所に降りて来られるために、どちらを直下の場所としても問題ないからである。例えば、キリストがもし日本の皇居と東京駅の中間の場所を直下として持つ上空に再臨されたとすれば、「皇居の上に再臨された。」と言うことができるし、「東京駅の上に再臨された。」と言うこともできる。ゼカリヤの預言においては、再臨が起こる際、主の足がオリーブ山にある地表に触れるかのように書かれているが、これは実際に足が地表に触れるというのではなく、ただ主の足の下にその地表が置かれるという意味に解するべきである。このように聖書は、主の再臨される直下の場所が、エルサレムであると教えていることが分かっていただけたのではないかと思う。それゆえ、我々は、主の再臨される場所が、エルサレム以外の場所であると考えるべきではない。聖書では、主がエルサレムの上空に再臨されるからこそ、シオンの山やオリーブ山に主が再臨されると言われているのである。もしエルサレム以外の場所に主が再臨されるとすれば、聖書は、その場所にこそ主が再び来られると書いていたはずである。例えば、その場所を仮にローマだとすれば、聖書は「主はローマの地に来られる。」などと書いていたはずである。以上、理性による推論からも、聖書の御言葉からも、主の再臨される場所はエルサレムの上空に他ならないということが論じられた。それでは再臨の規模は、どの程度のものだったのであろうか。まずキリストが天から再臨されたということについて言えば、それは局所的な規模であったと言わねばならない。何故なら、主は『天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で』(使徒行伝1章11節)再臨されたからである。キリストが天に上って行かれたのは当然ながら局所的なものであったから、御使いの言葉に基づいて考えると、昇天と同様に再臨も局所的なものであったことになる。再臨が全世界的な規模であったと言うのであれば、遠くの地域に住んでいた人は、一体どうなるのか。エルサレムのある地球の部分の裏側に住んでいる人は、どのようにして再臨を見たのか。当時は、今のようにビデオカメラで全世界に中継するなどということはできなかった。地球では、ある場所で起きていることを、その反対側の場所にいる人が見ることはできないというのは誰でも知っていることである。アメリカにいる人は、アメリカの反対側の地域であるインド辺りの上空で起きていることを見れないし、イギリスにいる人も、イギリスの反対側の地域であるアンティポディーズ諸島の上空で起きていることを見れない。再臨されたキリストの「視像」が、地球全土の空中部分に幻のように投影されたというのも考えにくい。このように地理的な要素を考慮するならば、やはりキリストが降りて来られたという点においては、局所的であったとせねばならない。当時は地球の全土が平面であったと言うのであれば話は別であるが。しかし、再臨に伴って起こる復活と携挙について言えば、それは全世界的な規模であったと言わねばならない。第1部でも説明されたように、当時既にキリストの福音は世界中で実を結んで広がっていた。つまり、当時の時点で、既に世界中にキリストを信じる信仰者たちがいた。その人たちが生きているのであれ既に死んだのであれ、再臨の時には復活に与かり、その後に携挙されるというのは確かである。当時、中国にいた聖徒も、日本にいた聖徒も、アメリカ大陸にいた聖徒も、例外ではない。であれば、キリストの再臨の際に起こる復活と携挙も、全世界的な規模だったということになる。この復活と携挙は全世界にいる聖徒たちを対象としたものだからである。当時において世界中で福音が実を結んでいたというパウロの御言葉を信じる兄弟は、もし本当に御言葉を信じているというのであれば、このように考えなければいけない。キリストが天から降りて来られたということを全世界的な規模であると理解したり、また復活と携挙が局所的な規模であると理解するのは、以上の説明から非とされねばならない。だが、このように質問する人もいることであろう。すなわち、キリストの再臨の際には『あらゆる種族』(マタイ24章30節)が、『人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る』(同)のではないのか、と。つまり、これは地球の全ての場所にいる民族がキリストの再臨を見ることになると考えるべきではないかという質問である。このように考える場合、再臨を全世界的な規模のものとして捉えねばならなくなる。確かに『あらゆる種族』と書いてあるのは間違いない。しかし、これは当時の時代における慣用を考慮せねばならない。例えば、紀元1世紀のヨーロッパ世界において「全世界」という言葉は、慣用的にはヨーロッパ世界だけのことであり、中国や日本までは含まれていなかった。その証拠となるのはルカ2:1である。そこには『そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。』と記されている。確かにアウグストゥスは「全世界」の住民登録をしたのだが、これがローマの支配が及ぶ地域だけを指しており、ヨーロッパとは完全に断絶したアジアの国々を含めていないのは、それほど学のない者でも分かるはずである。「全世界」と書いてあるからというので、アウグストゥスが中国や日本の住民登録もしたと考えるのは、完全な間違いなのである(※)。当時のヨーロッパ人において「世界」とは、つまりヨーロッパだけだと認識されており、ヨーロッパ以外の地域は存在しないも同然の異世界だと思われていたのだから、ルカは当時の常識的な言い方に沿って『全世界』と述べたに過ぎないのである。だから、再臨を『あらゆる種族』が見て悲しむと言われているのも、当時の人たちが「世界」と認識していたヨーロッパ地域における『あらゆる種族』として理解すべきだと私は考える。そのように考えると、キリストの再臨は地理的に考えて少なくとも当時の「全世界」であったヨーロッパ地域に住んでいた全ての民族には視認されたであろうから、確かに当時の言い方からすれば『あらゆる種族』に見られたことになる。もし私がこのように説明しても、これが文字通り世界中全ての民族を指していると言い張るのであれば、ネロについて書かれている聖句も、そのように考えるのであろうか。その聖句とはこうである。『彼はまた…あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。』(黙示録13章7節)ここではネロがあらゆる部族や国民などを支配する権威を持つと言われているが、果たして、ネロは文字通り全ての部族や国民を支配できたのであろうか。例えば、天皇が支配していた日本もネロは支配できたのであろうか。ネロによるローマの支配が、日本にまでも及んだというのは歴史の事実にまったく反している。この黙示録で言われている『あらゆる部族、民族、国語、国民』とは、先に述べたのと同じで、当時の人たちにとっての「全世界」すなわちヨーロッパ社会における範囲内のことに他ならない。もし私の説明に納得できないのであれば、当時のローマにおける支配の範囲が、文字通り全ての国々に及んでいたことを証明してほしい。そんなことは誰にもできないことである。であれば、この黙示録の文章は、当時の慣用表現を弁えて理解せねばならないことになる。それならば、同じようにマタイ24章の『あらゆる種族』という言葉も、慣用を考慮すべきことになるであろう。そのように時代的な慣用表現を考慮するとなれば、やはり私が言ったように、これは当時における「全世界」の範囲内のことを言ったものだと理解すべきことになる。よって、キリストが再臨により降りて来たということを局所的な規模だったと考えても何も問題にはならないことが分かる。たとい再臨が局所的な規模だったとしても、慣用的に理解すれば『あらゆる種族』がキリストの再臨を見たことになるのである。昔から教会は、聖書の時代における慣用表現をよく考慮せず、その書かれていることを自分の生きている時代の慣用(!)を通して解釈する傾向を持ってきたが、これがあまりよくない傾向であることは火を見るよりも明らかである。もしそういうことが許されるのであれば、我々はアウグストゥスが文字通り地球全土の国々の住民登録をしたと理解せねばならなくなる。「アウグストゥスが全世界の住民登録をしたと書いてあるから当時の日本にもローマから役人がやって来たのだ。」などと言って。こんなふざけた理解をしていいはずがどうしてあるであろうか。要するに、聖書は今の我々にとっては「古典」なのだから、古代の時代性を考慮しつつ読み解いていかねばならないのである。

(※)
例えば中国がローマから支配の間接的な作用さえ受けていなかったのは、前2000年頃~後8年までの歴史を取り扱った「史記」や、前2000年頃~紀元960年までの歴史を取り扱った「18史略」を見れば明らかに分かる。そこにはローマの「ロ」の字さえ出てこない。すなわち、中国とヨーロッパは完全に断絶しており、接触さえほとんどしないような間柄であった。そうであれば、これこそ中国まではアウグストゥスの支配が行き届いていなかったことの証明になる。もしローマの支配が中国にまでも及んでいたとすれば、これらの歴史書に、そのことを匂わせる文章がいくらかでも記されていたであろう。また、中国がローマの支配を受けていなかったのであれば、当然ながら、中国より東に位置する日本もローマの支配を受けてはいなかったはずである。
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 て、千年の期間が終わってから空中に携挙された聖徒と毒麦たちは、キリストの御前に立たされ、聖なる審判を受けることになった。これこそ、あの「最後の審判」である。この出来事については、マタイ25:31~46に詳しく書かれている。審判が行われる際には、キリストが羊である聖徒と山羊である毒麦たちを、まずご自身の両側に区別して置かれた。『彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。』(マタイ25章32~33節)と書かれている通りである。一体どうして右と左に彼らは分けられたのであろうか。それは宣言のためである。すなわち、キリストは羊たちには良い宣言を、山羊たちには恐るべき宣言をされるために、彼らを別々の位置に置かれたのである。もし彼らがごちゃ混ぜの位置にいたとすれば、どうして両者に対して正しく宣言できるであろうか。我々も、日常生活において、何かを行ないやすくしようとして別々の場所に区別するということが往々にある。褒めるべき人を前に連れて来させ、そうでない人は席に座らせたままにしておく教師のように。これは単に便宜的な意味しか持たないものであるから、これ以上深く考える必要は感じられない。2種類の者がこのように両側に分けられると、まず初めに右にいる聖徒たちへ宣言がなされる。この聖徒に対して、キリストは次のようなことを言われた。『『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』』(マタイ25章34~40節)羊である聖徒たちは、このような宣言を受けた後、『永遠のいのちにはいる』(25章46節)ことになり、御国を継ぐこととなった。これは、彼らが御国を継いで永遠に生きるようにと、神により世の初めから選ばれていたからである。次に、キリストは左に置かれた山羊である毒麦たちに対して、このような恐るべき宣言をなされる。『『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』』(マタイ25章41~45節)山羊である彼らは、このように言われた後、火の池に投げ込まれ、永遠の刑罰を受けることになった。彼らは永遠の裁きを受けるようにと定められていたので、このような宣言を受けることになったのである。ちなみに、キリストがこのような宣言をされてから、山羊たちを火の池に投げ込んだのは御使いたちであった。それはマタイ13:49の箇所で、『御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。』と書いてある通りである。つまり、山羊たちは重力のような力で火の池に落とされたとか、神の目に見えない不思議な力によって火の池に移動されたのではない。そうではなく御使いたちが、この呪われた者たちを自分たちの手により、『毒麦が集められて火で焼かれるように』(マタイ13章40節)火の中に投げ込んだのである。これは、携挙が御使いたちに任されていたのと同じことである。この空中の審判が起きたのは、携挙が起きたその直後、すなわち紀元68年6月9日である。どうしてこう言えるのであろうか。まず、第一の復活について記されている黙示録20:4~6の箇所が、再臨の日に起きたということは、もうここまで読まれた読者にとっては明白であろう。そして、この20:4~6の後に書かれている21章の箇所も、再臨の日に起きたということは明らかである。というのも、再臨の起こる日は、先にも書かれたように『書かれているすべてのことが成就する報復の日』(ルカ21章22節)だからである。キリストの言われたように再臨の日とは、旧約聖書のあらゆる預言が全て成就される日であるから、当然ながらイザヤ65:17の新天新地の創造に関する預言も、この日に成就されたことになる。その預言とはこうである。『見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。』キリストの御言葉を信じる神の子らは、この新天新地の創造について言われたイザヤ書65:17の預言も、再臨の日であり『報復の日』である紀元68年6月9日に成就したと信じなければいけない(※①)。理解の鈍い人のためにもう一度言うが、キリストはルカ21:22の箇所で、この日こそ、旧約聖書の全ての預言が成就する日であると言われたのである。とすれば、新天新地のことが書かれている黙示録21章以降の箇所も、再臨の日に成就したことになる。何故なら、イザヤ65:17の箇所と黙示録21章以降の箇所は、どちらも同じ新天新地の創造について述べられているからである。この2つの箇所が同じことを言っていることを疑う人が果たしているであろうか。文章的に多くの似たことが言われているのである。先に見た黙示録20:4~6の箇所は再臨の日に成就したが、今説明されたように黙示録21章以降の箇所も再臨の日に成就したのだから、その真中に挟まれている箇所である20:11~15の箇所も再臨の日に成就したことは確かである。20:4~6と黙示録21章は再臨の日に成就したが、その真中に挟まれている20:11~15の箇所は再臨の日には成就していなかった、ということが一体どうしてあるであろうか。20章~21章の箇所が、その起きた順序通りに書かれているというのであれば、確かにこのように考えねばならないことになる。そして、この真中の箇所である20:11~15とは、少し見れば分かるように明らかにマタイ25:31~46に書かれている最後の審判のことである。どちらも滅びの子らが裁かれて『』(マタイ25章41節、黙示録20章15節)に投げ込まれることについて書かれているから、この2つの箇所は間違いなく同一の出来事を描いた箇所である。であれば、論理的に考えて、この空中の審判は再臨のあった日に起きたことになるのである。携挙があれば、その直後には審判が起きると聖書は教えているのだから、携挙が起きたその日に審判も起きたと考えるべきである。携挙が起きたにもかかわらず、空中で審判が行われないままに留まるということは考えられない。パウロも、当時の聖徒たちが『キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる』(Ⅱコリント5章10節)と言ったのだから、やはり当時の聖徒が携挙された直後に裁きが行われたと考えるのが自然である。また、このように理解すると、黙示録20:11~15に書いてある最後の審判が紀元68年6月9日に起きたことになり、黙示録には『すぐに起こるべき事』(黙示録22章6節)が示されていると言われた御霊にも言い逆らわずに済む。この20:11~15の審判が紀元68年に起きたのであれば、どうであろうか?―本当に御霊が言われたように黙示録には『すぐに起こるべき事』が書かれていることになるではないか。それゆえ、この審判は既に紀元68年に実現したと考えるのが正しく、黙示録の内容にも沿っているということが分かるのではないかと思う。今まで教会は、例外なく、この最後の審判が未だに起きていないと当然のように考えてきた(※②)。しかし、私に言わせてもらえば、今まで教会は、再臨に伴う審判の出来事をよく弁えていなかった。再臨がまだ起きていないと信じていたので、再臨の直後に起きる審判もまだ起きていないと信じていたのである。今まで何と多くの聖徒たちが、審判の書かれた箇所を目では読みながら心と霊において正しく悟れていなかったことか。今まで教会は、この再臨に伴う審判のことに関し、盲目であったと言わねばならない。私の場合、神の恵みのゆえに、今説明したように、この審判が既に実現したということを神の御言葉に基づいて信じている。それゆえ、この事柄で論争することがこれからあったとしても、私が動じることはないであろう。たとい、まだ生きていた時のアウグスティヌスやベルナルドゥスやルターやカルヴァンやベザやその他の高名な神学者が、私と論争するために現われたとしても恐れはしない。私と論争すれば、私の降りまわす御言葉の剣により、彼らの口が何度も封じられることになるだろうから。ステパノと同じように、神が塵に過ぎない私に知恵と御霊により語らせて下さる恵みを注がれるので、私に対抗することなどできないのである(※③)

(※①)
ルターは、まだ再臨が起きていないと誤って信じていたので、当然ながら新天新地もまだ造られていないと考えていた。確かなところ、再臨が既に起きたということは聖書の言葉から明らかなのだから、その再臨の際に新天新地も造られたことになる。彼は説教の中で次のように言っている。「そして、天と地は火で変えられるときが、すなわち、新しい天が造られるときが、本当に来るであろう。」(『ルター著作集 第二集7 ヨハネ福音書第3章・第4章説教』第49説教 第3章(35以下)p356:LITHON)
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(※②)
使徒信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、アタナシウス信条をはじめ諸々の信条を見れば、このことは明らかである。教父のヒッポリュトスも、ノンクリスチャンに対して「もしその真理を知るならば、君たちは来るべき火による審判での滅びを免れるであろう。」(『キリスト教教父著作集19 ヒッポリュトス』『全異端反駁』第10巻 p424 教文館)と述べることで、まだ最後の審判は起きていないという信仰を持っていたことを示している。ボナヴェントゥーラも、これから最後の審判が起きるということについて、次のように述べている。「更に我々は信仰によって、世界が最後の審判によって終末を迎えることを信じる。」(『魂の神への道程』第1章12節 p17:創文社)ジョナサン・エドワーズも、次の文章が示すように、まだ最後の審判は起きていないと信じていた。「世界全体が善と悪に分かれており、審判の日に人類の誰もが義人として認められるか、悪人として告発されるか、どちらかであること、神の国の子として栄光にはいるか、邪悪な王国の子として火に投げ込まれるかどちらかであること。これについては、聖書に十分な証拠があるので、キリスト教徒であると自認する人は、誰もそれを否定しないと思う。」(『ジョナサン・エドワーズ選集3 原罪論』第1部 第1章 第7節 p80~81:新教出版社)「「マタイによる福音書」25章に描かれる審判の日には、そうなる。要求されていたことを行なわなかった罪によって、邪悪な者は有罪とされ、呪われ、消えることのない火に投げ込まれる。」(同 第5節 p60)カルヴァンも「この件について…十分な証拠は最後の審判で明らかになるであろう。」(『キリスト教綱要 改訳版 第1篇・第2篇』第2篇 第15章 5 p545:新教出版社)と書いていることから、まだ最後の審判は実現していないと考えていたことが分かる。というのも、もし最後の審判が既に実現したと考えていれば、このような文章は決して書けないからである。テルトゥリアヌスは、魂に対して「あなたは…最後の裁きの日を待ち望む」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』魂の証言について 第4章(1) p87:平凡社)と書いている。彼も、他の教師と同様に、最後の審判がまだ起きていないと考えていた。ヴァン・ティルも「審判の日の後までは来ないであろう。」(『ヴァン・ティルの十戒』第四戒 p118:いのちのことば社)と審判の日を未来の出来事として語っているから、まだ最後の審判が起きていないと考えていたことが分かる。
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(※③)
ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。』(使徒行伝6章9~10節)
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 麦たちは、このように空中の審判において、キリストから恐るべき宣言を受けたのだが、それではこの者たちは、それからどのようになったのであろうか。『永遠の火にはいれ。』(マタイ25章41節)と書かれているから、毒麦が永遠の火に投げ込まれたのは間違いないが、それが一体どのようなことであるのか詳しく説明されねばならないと私は思う。というのも、これは語らずに放置しておくべきことではないからである。これが知るべき誠に重要なことであるのは言うまでもない。まず最初に言っておくべきなのは、毒麦たちは、この世界ではない別の空間にある刑罰専用の場所へと移されたということである。つまり、この『永遠の火』が燃えている場所とは、この宇宙空間のどこかに存在しているというのではない。たとえ光速を遥かに越える速度を出せる宇宙船が開発されたとしても、この宇宙にその場所を見いだすことはできないであろう。この場所は、人間が死なない限りは行けないようになっているのである。また、これは単なる概念的なことを言っただけのものでもなく、象徴として何かが言われたのでもない。本当にある場所、素粒子の集合体としての物質的領域、実際的な空間を指して『永遠の火』また『火の池』(黙示録20章15節)などと言われているのである。我々は、この『火の池』という別の空間にある実際的な場所を、「ハデス」と理解してはならない。そのように理解するのは誤っている。『火の池』と「ハデス」とは別々の場所であって、一緒にしてはならず、しっかりと区分して考えなければならない。確かに、この「ハデス」とは死と共に『火の池』に投げ込まれて滅ぼされてしまったものだから、どうしてこの2つの場所を区別しなくていいはずがあるであろうか。もし一緒のものであったとすれば、どうしてハデスが『火の池』に滅ぼされてしまうのであろうか。これを誰も上手に説明できないのは言うまでもないことである。このことについては、黙示録20:14で次のように書かれている通りである。『それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。』さて、それではハデスと火の池とは、どのような違いを持っているのであろうか。この2つが一緒の内容を持っていないということは、恐らく誰にでも何となく分かるのではないかと思う。まずハデスであるが、これは死んだ者の魂のみが、火で焼き尽くされる空間のことである。この空間においては、魂だけが火で焼かれるのであって、そこに肉体を持ったままで苦しめられる者は存在しない。しかし、もう一方の火の池のほうは、魂と身体とが一体になった状態で火による苦しみが与えられる。こちらのほうにいる者たちは、皆、例外なく魂だけでなく肉体をも持っている。毒麦たちが第二の復活によって刑罰のための身体を新しく魂に結びつけられたのは、実に、この火の池において魂だけでなく身体をも焼かれることになるためであった。もしキリストが『永遠の火にはいれ。』とは言われず、「ハデスの火にはいれ。」と言われていたとすれば、毒麦に第二の復活による新しい身体が与えられることはなかったであろう。何故なら、もしハデスで苦しむだけならば、魂だけが存在していればよいのであって、新しい身体が与えられる必要などないからである。しかし、毒麦は火の池に投げ込まれることになっていたのだから、第二の復活により新しい身体を受けることになったのである。『それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。』(黙示録20章14節)という御言葉は、空中の審判により毒麦たちが火の池に投げ込まれることが起こった日に、成就された。この御言葉は、すなわち、この日において「死とハデス」が「第二の死と火の池」に置き換えられたことを我々に教える御言葉である。それは一体どういうことなのであろうか。それは、つまりこういうことである。この日になるまでは、「死」とは魂が肉体から分離されてハデスへと投げ込まれることを意味していた。また「ハデス」とは死により肉体から分離された魂が火で苦しめられることになる場所であった。しかし、この日になると、この「死」と「ハデス」はその役割を終えることになった。この日以降は、「第二の死」と「火の池」が、この「死」と「ハデス」にとって代わることになった。「第二の死」とは何か。これは、ある人が死んだらかつての死のように魂が身体から分離されることもなく、身体を持ったそのままの状態で刑罰の場所である「火の池」に移されることである。ある人が死んだその瞬間に、その人の身体が新しい滅びの身体に瞬時に切り替わるのと同時に別の空間へと移されることになる。これはそれまでの死の形とはまったく違っている。それまでは死んだら魂だけが身体を置き去りにして別の空間へと移されることになっていた。つまり、これは今までにはなかった新種の「死」である。それゆえ、このような新しい死の形が「第二の死」と呼ばれているのである。この日以降、人類が「第一の死」を味わうことはなくなった。すなわち、全ての人が「第二の死」という死を味わわねばならなくなった。この死による身体の瞬間的な切り替えと同時に移されることになる空間が『火の池』である。そこは「ハデス」のように魂だけが存在する空間ではない。このような死と刑罰の場所における置き換えのことを、ヨハネは「死とハデスは火の池に投げ込まれて滅ぼされるであろう。」と表現したのである。確かに置き換えられてもはや存在しなくなるということは、つまり滅ぼされると見なしても間違ってはいないから、ヨハネがこのように表現したのは誠にもっともなことであった。ネロが『火の池に、生きたままで投げ込まれた。』(黙示録19章20節)と書いてあるのも、ネロが今説明された新しい形の死により死んだからに他ならない。ネロの身体は死と共に瞬時に新しい身体へと切り替わり、その切り替えと同時にネロは火の池に移されたのだから、『生きたままで』火の池に投げ込まれたと書かれているのである。火の池に移される際、ネロの身体が物理的に存在し続けているという点において、そこには一瞬の断絶も中断もなかった。それゆえ、それは『生きたままで』と表現されるのに相応しい現象であった。このような場所である『火の池』に、毒麦どもは審判を受けてから投げ込まれることになったのである。毒麦どもが投げ込まれた時には、既にこの火の池にネロが入っていた。ネロは毒麦どもが第二の復活により復活する前に、既に火の池に投げ込まれていたのである。それは黙示録19:20を見れば分かる通りである。毒麦が火の池に投げ込まれることになる黙示録20:11~15の箇所は、ネロが火の池に投げ込まれているこの19:20の箇所よりも、いくらか後に起こる箇所である。つまり、ネロは火の池に投げ込まれた最初の人間であった。また、毒麦が火の池に投げ込まれた時には、サタンも既にそこに投げ込まれていた。それは、サタンが火の池に投げ込まれている箇所が黙示録20:10であることから分かる。この箇所は、ネロが火の池に投げ込まれている箇所よりも後であり、毒麦が火の池に投げ込まれている箇所よりも前である。つまり、サタンはネロよりは遅かったが毒麦よりは早かった。黙示録を見ると、このように、まず第一にネロが、第二にサタンが、第三に毒麦が、火の池に投げ込まれたということが分かる。しかし、この三つの存在が火に投げ込まれたのは、どれも同日中、すなわち紀元68年6月9日のことであった。確かにこの三つの存在が火に投げ込まれたことについて時間的な差はあったが、その差は大したものではなかった。さて、ここで一つの非常に重大な疑問が生じることになるのに気付かれる人もいるであろう。その疑問とは、つまり「サタンが既に火の池に投げ込まれたというのであれば、一体どうしてサタンは今の世界にも働いているのか?もしサタンが火の池に投げ込まれたのであれば、サタンはもう世界に働きかけられなくなっていたはずではないのか?」という疑問である。私は以前、この問題について次のように書いた。少し長いが、私の前の見解を読者に知ってもらうため、削除せずそのまま残すことにしたい。<この重大な疑問は次の答えにより解決できる。それは、すなわち「サタンは霊的な存在であったのだが新しく魂と身体とを与えられた状態で物質的な意味において火の池に投げ込まれた。」という答えである。つまり、サタンは刑罰のために魂と身体とを新しく受けて物質的な状態としては火の池に投げ込まれることになったのだが、霊においてはいまだに世界に働きかけることが許されている、ということである。先に述べたように『火の池』とは身体と魂とが共に苦しむ物質的な場所であるから、霊的な存在であるサタンが火の池に投げ込まれたというのであれば、魂と身体がサタンにも与えられたということになろう。このように考えるならば、サタンが霊においては今も世界で活動を続けていることの理由が、よく分かるようになる。彼は霊においては今も世界に働いているのだが、身体と魂を持った物質的な状態としては火の池で苦しめられているので、物質的な状態としては何も出来ず火の池でもがき続けるのみである。これは、神である御子が受肉されて人となられことを考えれば更によく分かる。御子は確かに肉を取られて人となられた。この御子は人としては物質的な意味において特定のある場所に存在しているのみであった。一体どこの誰が人としてのキリストがエルサレムにもローマにもインドにもおられたなどと言うであろうか。魂と肉体を持った人としてのキリストは、エルサレムであればエルサレム、ローマであればローマ、インドであればインド、というようにある特定の場所に存在しているだけである。しかし、神としてのキリストは世界のどこにでも普遍的に存在しておられた。『天にも地にも、わたしは満ちているではないか。』(エレミヤ23章24節)と主ご自身が言っておられる通りである。人としてのキリストがある特定の場所だけにしか位置していないからといって、神としてのキリストが霊的な意味において全世界におられるということを疑う人はいないであろう。人としてのキリストが肉的にある特定の場所に制限されていたとしても、キリストというお方は、霊的な存在として世界のどこにでも存在しておられる。サタンが魂と肉体を受けて物質的な意味において火の池に投げ込まれたのも、これと同じことであって、たとえサタンが火の池に物質的な存在としては位置しているからといって、霊的な存在としては世界全体にいないということにはならない。キリストが肉的にはある位置に制約されつつも霊的には全世界におられるのと同様に、サタンも肉的には火の池という場所に制約されつつも霊の存在として全世界にいることができている。つまり、我々はサタンがキリストのように受肉した―サタンの場合は受肉させられたと言うべきである―のだと考えればよい。サタンは火の池に投げ込まれて物質的に苦しむためにこそ受肉させられたのである。それは、キリストが人類の贖いを実現させるためにこそ受肉されたのと同じである。それゆえ、もし「サタンは火の池に投げ込まれたのだからもう世界全体に働きかけることはできないはずだ。」と言うのであれば、その人はキリストにもこう言わなければならないことになる。「御子なるキリストは人としてユダヤの地に来られたのだから世界全体に遍在しておられることはあり得ない。」と。キリストについて、こんなことを言う兄弟は恐らくいないであろう。無知な兄弟でなければ、しっかりとキリストの肉における限定性と、霊における神としての普遍性を区別して考えられるはずである。であれば、サタンの場合でも、そのようなことは言うべきではないことになる。サタンが火の池に投げ込まれたのなら今の世界でまだ働いているのはどういうわけか、と問う人は、サタンがキリストのように受肉した上で火の池に投げ込まれたということをまったく考えていない。しかし、サタンが受肉した上で火の池に投げ込まれて物質的な意味においてはそこにおり、霊においては全世界に遍在していると考えるのであれば(※①)、問題はすべて解決されることになる。我々は、このようにサタンが霊的な存在であるということと、サタンは受肉した上で火の池に投げ込まれたという2つのことをよく考えなければいけない。この2つのことが考慮されていないと、この問題を解決することはできないからである。今取り扱ったこのサタンと火の池に関する問題は、私の見るところ、聖書において最も解決するのが難しい問題の一つである。恐らく、これ以上に解決の難しい問題は他にはないのではないかと思われる。私のこの解決方法が正しいとすれば、―私はこの解決方法が正しいと思っているが―、それは神の恵みによるものである。ある者らは、この最大級に難しい問題につまづいてしまい、御霊の言われたことに言い逆らってしまった。その者らは、御霊が黙示録に示されていることは『すぐに起こるべき事』(黙示録22章6節)であると明白に言われたにもかかわらず、この問題を解決できなかったので、何と御霊の言われたことを否定してしまった!!!すなわち、彼らはサタンが火に投げ込まれたのに今も活動している理由が分からなかったので、黙示録20:10で言われているサタンが火に投げ込まれるという出来事がいまだに起きていないと主張するに至った。「自分の理性によっては理解できないからまだ起きていないことにしてしまおう。」というわけである。御霊は、この黙示録20:10の箇所も含めて黙示録に示されていることは『すぐに起こるべき事』だと言われたのである。よって、この者らはサタンが2000年経過した今でもまだ火に投げ込まれていないと主張することにより、「御霊が言われたことは本当ではないのだ。黙示録にはすぐに起こらない事も示されているのだ。御霊は出鱈目なことを言われた。」と暗に述べていることになる。自分の理性では理解できないからといって、神の言われたことを否定し、自分の都合に合わせて聖書を読み込むとは何という態度であることか!アウグスティヌスも言うように聖書は「人間的なすべての思考よりも優先されるべき」(『アウグスティヌス著作集29 ペラギウス派駁論集(3)』罪の報いと赦し、および幼児洗礼 第1巻 第23章 第33節 p47:教文館)である。重要であるから繰り返すが、確かに御霊はサタンが火の池に投げ込まれるという出来事が書かれた20:10の箇所も含めて、黙示録には『すぐに起こるべき事』が示されていると言われたのである。であれば確かにサタンは黙示録が書かれてからすぐにも『火と硫黄との池に投げ込まれた』(黙示録20章10節)ことになる。つまり既にサタンは火に投じられたのである。しかし、今の世界でも相変わらずサタンは活動を続けている。ここにおいて多くの者に致命的な難問が襲い掛かることになる。多くの者はこの難問を解決することができない。しかし、私の説明したように考えれば、この頭を悩ませる問題を解決することができる。この説明は合理的であって荒唐無稽なものではない。それゆえ、読者は私が今説明したようにして、この問題を解決すべきである。サタンは受肉体として火に投げ込まれて物質的な位格においてそこで苦しんでいるに過ぎないのである。彼は霊的な位格においては全世界に働くことが今でも許されているのである。私は、このような説明をもって、この難しい問題が解決されたことにしたい。ネロや毒麦が火に投げ込まれたことについては、このサタンの問題とは違い、我々の頭を悩まさせるようなものではない。>これが以前の私の見解であった。しかし今の私は、この見解が誤っていたことに気付いている。確かなことを言うが、サタンが受肉したという私の以前持っていた見解は、単なる「こじつけ」に他ならない。このような見解は、愚かであり、虚しく、価値がなく、聖書的だとは言えない。私は真心から黙示録の正しい解釈を得たいと思っているから、このように以前の自分の見解が間違っていたことを素直に認め、それを公然と晒し、貶すことさえも厭わない。私にとって間違った解釈とは捨てるべきゴミなのだから。サタンが火の池に投げ込まれたというのは、つまり単なる表現に過ぎず、これはユダヤに対するサタンの働きの停止を意味しているのである。これは聖書から証明できるのであって、聖書においてサタンが滅びた、殺された、追い出された、燃やされた、無くなってしまった、と言われているのは、どれもサタンが支配権を失ったり、ある分野や対象における働きの力が消失させられた、ということを教えているのだ。聖書に深く精通している人であれば、これは明らかである。この件については、第3部の黙示録註解における20章の註解箇所で詳しい説明がされているから、そちらのほうを見ていただきたい。これがどういうことなのか、すぐにも知りたいと思う方は、先駆けて第3部における当該の部分を見るとよい。さて、それではこの火の池とは具体的にはどのような場所なのであろうか。まず火の池とは、滅びの子らが投げ込まれる場所である。そこには永遠の刑罰に定められた者しかおらず、聖なる者はただの一人もいない。何故なら、この場所は悪者たちに備えられた刑罰専用の場所だからである。一体どうして選ばれた聖徒が刑罰の場所に投げ込まれるであろうか。またこの火の池にいる者たちは、永遠に至るまでも苦しめられる。『彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。』と黙示録20:10に書いてある通りである。1000年経っても、1000億年経っても、彼らの苦しみは続く。その苦しみが終わることはない。外典である「パウロの黙示録」には、この火で苦しむ者たちに少しだけ安息の時が与えられると書いてあるが、そのような考えは聖書に書かれていないから拒絶せねばならない(※②)。タルムードの中では、この火の池すなわち「ゲヒンノム」における「悪人の裁きは12か月間である。」(『タルムード モエードの巻』シャバット 第2章 33b ミシュナ6/ゲマラ p110:三貴)と書かれているが、これは検討にも値しない謬見である。また彼らは苦しみながら『泣いて歯ぎしりする』(マタイ13章50節)。永遠の悲しみが、尽きぬ苦しみと共に与えられるのである。火の池には、大きな絶叫や哀れな泣き声が四六時中鳴り響いているに違いない。これは、想像するだけでも辛くなるような恐るべき光景である。また火の池とは、火と蛆とが存在する場所である。『そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。』(マルコ9章48節)と主は言っておられる。火で焼かれつつ蛆に食われ続けるという光景は、正に永遠の刑罰が注がれる場所に相応しいと言えよう。先に挙げた「パウロの黙示録」では、この場所には雪のある冷たい場所も存在していると書かれているが(※③)、そのようなことは聖書の正典の中では言われていない。雪のある場所が火の池に存在していることは恐らくないと思われる。あったとしても、そのことは聖書に何も書かれていない。我々は、安全な理解に留まり続けるために、火の池には「火」と「蛆」が存在していると理解するだけで十分である。やがて我々が天に引き上げられたならば、火の池に雪が存在しているのかどうか知れるようになるであろう。また火の池に投げ込まれた者たちは、そこから出ることはできない。つまり、未来永劫そこに留まり続けることになる。最近では「セカンドチャンス論」を唱える者らが増えて来たが、私としては、この考えには否定的である。何故なら、火の池に投げ込まれた者たちは、永遠の昔から滅びるようにと定められていたからこそ、そこに投げ込まれることになったからである。つまり、その者が火の池にいることこそが、その者が永遠の滅びに定められていた証拠であるというわけである。もし永遠の救いに選ばれていたというのであれば、そのような者は、そもそも一度たりとも恐るべき火の池に投げ込まれるということさえないと思われる。キリストにあって愛された神の子どもである者が、火と蛆に少しでも苦しめられることがあるというのは非常に考えにくいと言わざるを得ない。『永遠に昼も夜も苦しみを受ける。』と書いてあるから、やはりそこに入った者には再び救いのチャンスが与えられることもなく永遠にそこに居続けることになると理解するのが、もっとも正しいと私は思う。またこの火の池に入った者たちは、とこしえまでも忌み嫌われることになる。イザヤ66:24にはこう書かれている。『彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それは全ての人に、忌みきらわれる。』つまり、この地上から出て行って故郷である天国に凱旋した聖徒たちは、火の池で火と蛆に苦しめられている生きた死人たちを嫌な思いで見ることになる。呪われた者らは、天国にいる聖徒たちから忌み嫌われて恥辱を受けるという苦しみをも受けることになるのである。この『忌みきらわれる』という不名誉による苦痛も、神から彼らに与えられる刑罰の一つである。また、この火の池という場所は、先にも述べられたように、実際的な場所である。そこは幻想の世界でも、概念的な世界でも、霊だけの世界でもなく、今我々が住んでいる世界のような原子の集合体としての世界である。時間や感触や距離感といったものも当然ながら、そこにはある。もし我々が住んでいる世界のようでなかったとすれば、そこはハデスということになるが、このハデスは既に廃止されているのだから、この火の池とはハデスのような場所ではない。そこは真に実在的な物質空間なのである。この火の池がハデスのようではない実際的な場所であるということについて、これ以上の説明をする必要はないであろう。これは誰でも分かるような簡単なことなのだから。また世の中にはサタンがこの『火の池』の主人であるなどと言ったり、サタンが火の池で悪者たちを苦しめているなどと考えている人が多くいたし、今でも多くいるが、そのように考えるのは完全な誤りである。何故なら、黙示録20:10を見れば分かるように、サタンは火の池において苦しむ側であって、苦しめる側の存在ではないからである。私はどうして、このような謬見が世に満ちているのか不思議に思う。もしサタンが火の池で刑罰執行人として振る舞っているのであれば、サタンは火の池で苦しむ存在ではないことになる。しかし、黙示録はそのようには教えていない。つまり、サタンはただこの火の池で罰を受ける以外には何もできないのである。それゆえ、我々は世の人々の空想に惑わされてしまわないよう注意しなければいけない。世の人々は聖書から知識を得ていないからこそ、このような聖書に書かれていないことを平気で空想してしまうのである。とはいっても、サタンが火の池で苦しむというのは、先に述べたように単なる表現であって、実際のことを言っているのではないのだが。またこの火の池で燃えている火と硫黄の温度や形状や色といったものは、我々に何も知らされていない。もしかしたら1000度ぐらいの温度であり、黄金色の火であり、果てしなく上方にまで燃え上がっているのかもしれないが、定かなことは何も言えない。何故なら、その火の様子について、聖書は具体的なことを何も教えていないからである。これは火だけでなくうじも同様である。前述の「パウロの黙示録」では、うじの長さが1キュビトあると書いてあるが、本当にそうなのかどうかは分からない。正典の中にそのように書いてあれば確かにその通りであろうが、これはただの外典に過ぎないものである。外典を正典のように規範とするのは避けねばならない(※④)。我々は愚かな空想家になって神でもあるかのように何かを勝手に定めたりしないようにしよう。また愚かなイグナチウス・デ・ロヨラは地獄についての黙想を命じた第5霊操の中で「鼻で、地獄の噴煙と硫黄の悪臭と、ごみ溜めや腐敗物の悪臭をかぐ。」(『霊操』第1週 p114:岩波文庫33-820-1)と書いているが、地獄における匂いについては聖書で全く触れられていないので、この匂いについて何か確定的に言うことはできない。ロヨラは地獄の匂いを想像の中で勝手に嗅いでいるが、もしかしたら地獄には何の匂いもない可能性だってあるのである。またこの場所は『まっ暗なやみ』(ユダ13)に満ちた場所である。そこには僅かな光さえもない。神は、滅びの子らから光の恵みを完全に取り上げられる。この地獄における闇については、また再び第4部において語られることになる。というわけで、第二の復活により復活してから携挙され、空中の審判により恐るべき宣言を受けた毒麦どもは、このような場所である『火の池』に投げ込まれることになったのである。『火の燃える炉に投げ込みます。』(マタイ13章42、50節)とか『わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。』(マタイ25章41節)とか『いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。』(黙示録20章15節)などといった毒麦どもに関する恐るべきことが言われた御言葉は、このようにして紀元68年6月9日に成就することになったのである。なお、この永遠の苦しみが与えられる場所を「地獄」と一般的な呼び方で呼ぶのは何も問題ない。しかし先にも述べたように「ハデス」と呼ぶのは間違っている。「地獄」でも別に構わないのだが、より正確に言うのであれば聖書の記述通りに『火の池』と言わなければならないことになる。

(※①)
サタンが霊において全世界に遍在しているというのは、サタンがまったく同一の時間に、世界の様々な場所にいる人間に同時に働きかけることを考えればよく分かる。例えば、昼の12時45分36秒という時間において、サタンはイギリスで畑仕事をしているジョンに誘惑をしかけると同時に、中国で車を運転中のリーにも精神的な攻撃を仕掛ける。この同じ時間に、サタンは日本の小林にも、アメリカのピーターにも、イスラエルにいるイサクにも、宇宙空間にいるジェイコブにも、霊的な働きかけをしている。これはサタンが霊において全世界に遍在していると考えなければ理解できないことである。もしサタンがある一定の場所にしか霊において存在していないというのであれば、ある一定の時間において、あるどこかの場所にいる一人かまたはそれほど多くない人数に対してしか働きかけることができなかったはずである。つまり、サタンは神ではないが、しかし神が全世界に遍在しておられるように、全世界に遍在することを許されているということである。サタンは霊の存在であるから、彼を霊において理解するのであれば、彼が何か物質的な存在でもあるかのようにどこか一つの場所に縛られているといった考え方をしてはいけないのである。
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(※②)
この外典では、地獄で苦しんでいる者たちに対して、『罰を司る意地の悪い天使たち』―これはよく分からない存在である―が「お前たちはしかし、お前たちのところに下って来た、神にこよなく愛されているパウロに免じて、日曜日には日夜、安息という大きな恵みを与えられた」(『聖書外典偽典6 新約外典Ⅰ』パウロの黙示録 第44節 p310:教文館)と言っている箇所がある。このような安息が与えられたことに対して、この者たちはキリストに「神の子よ。あなたをほめたたえます。あなたが一日一夜の安息をお与えくださったことを。わたしたちにとっては、この1日の安息は、地上で送ったわたしたちの生涯のすべての時にまさってよいものです。」などと言っている。このようなものは単なる空想の産物に他ならない。たとえパウロが大声で泣き叫びながら神に懇願したとしても、地獄にいる者たちには、たとえ僅かでも安息が与えられることはないであろう。
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(※③)
「次いでわたしは北のほうから西のほうを眺めたが、そこには休みを知らぬうじ虫が見えた。そしてその場所には歯ぎしりがあった。うじ虫は長さが1キュビトあり、それには二つの頭があった。そこにはまた男たち女たちが、寒いところで歯ぎしりているのが見えた。わたしはたずねて、「主よ、この場所にいるこの人たちはだれですか」と言った。すると彼は、「この人たちはキリストは死人の中から復活しなかった、また、この肉が復活することはないと主張する人々だ」と言った。わたしはたずねて、「主よ、この場所には火や温かいものはないのですか」と言った。すると彼はわたしに、「この場所には霜と雪以外は何一つ存しないと言い、また、「この場所の霜と雪とがあまりに多いので、彼らの上にたとい太陽が上っても彼らは温かくはならない」と言った。」(『聖書外典偽典6 新約外典Ⅰ』パウロの黙示録 第42節 p307:教文館)
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(※④)
このような霊感されていない文書は、別に容赦なく疑ったり、その真偽性を問題にしても構わないものである。ルターも、スタンプレンシスが外典を引用しつつ論証したことを、容赦なく否定している。ローマ書15章のグロッセにおける欄外註の40。「使徒はイスパニアに行ったのかどうかが問題となる。スタプレンシスは、行ったと答えて、外典を引用している。しかし、私は行かなかったと信じている。」(『ルター著作集 第二集 第8巻(ローマ書講義・上)』グロッセ 第15章(37―40) p203 聖文舎)ちなみに、この『パウロの黙示録』なる文書は、アウグスティヌスにより否定的に見做されている。我々も彼の見解通りに、この文書を懐疑的に見做すべきであろう。この文書に対するアウグスティヌスの記述はこうである。「霊の人たちの間でも、たしかに他の者たちよりも能力がありすぐれている者がいて、彼らの中のある者は、人間には語ることの許されないことに到達するほどである。それを口実にして、うぬぼれの強い者たちが、健全な教会が受け入れてはいない何か作り話に満ちたパウロの黙示録なるものを、きわめて愚かしい僭越さによって捏造し、これこそがパウロが第三の天に連れ去られて(Ⅱコリ12・2)、そこで人間には語ることの許されないことばを聞いた(同12・4)、と言っているものだと主張している。」(『アウグスティヌス著作集25 ヨハネによる福音書講解説教(3)』第98説教(16章12―13節、続き)8 p260:教文館)
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 さて、それでは第二の復活によりハデスから出されず、墓からも上がらず、携挙もされず、それゆえに空中の審判を受けなかった死亡者たちは一体どうなったのであろうか。つまり、使徒の時代にいた毒麦ではない全てのハデスにいた悪者どものことである。まず、この者らが、ハデスで苦しんでいたのは確かである。この者らは、ハデスからある者たちが空中の審判を受けるために引き出されて行ったのを見た後、そのままハデスに居続けたのであろうか。そのようなことはない。何故なら、ハデスはそこにいた毒麦たちがハデスから引き出されて空中に上げられたその日に、火の池に投げ込まれて滅ぼされたからである。ハデスはこの日に完全に廃止されている。ハデスから引き出されずそこに残されたこの悪者どもは、再臨の日に、ハデスと共に火の池に投げ込まれたと考えるべきである。この悪者たちはハデスごと火の池に投げ込まれるその時に、第二の復活を受けた。つまり、ハデスから火の池に移行させられるその瞬間に新しい身体を付与された。先に第二の復活により復活したのは使徒の時代にいた毒麦だけだと私は言ったが、それは、あくまでも空中の審判に引き出されるために墓から出て来ることになった者たちのことに限られる。確かに、墓から出て来ることになるハデスにいた死亡者という観点から言えば、第二の復活を受けるのは使徒の時代にいた毒麦だけであったと言っても間違いではない。しかし、この第二の復活は、全体として言えば、つまり限定なしに言えば、ハデスから出されずそこに残された者たちも受けたのだと私はここで言っておきたい。この者たちにおける第二の復活は、空中の審判を経ないでそのまま火の池に直行させられたという点で、先に述べた毒麦どもにおける第二の復活と異なっている。どちらも第二の復活を受けてから火の池に投げ込まれるという点では何も変わらない。こちらのほうの悪者たちが火の池に投げ込まれた時も、ハデスから出された毒麦たちが空中から火の池に投げ込まれた時と同じである。というのは、毒麦たちが恐るべき宣言を受けて空中から火の池に投げ込まれる時こそ、『ハデス…は、火の池に投げ込まれた。』(黙示録20章14節)という預言が成就した時だからである。毒麦とハデスが火の池に投げ込まれた時間において何も変わらないのであれば、そのハデスの中にいた悪者たちも毒麦と同じ時間に火の池に投げ込まれたのだということは、思推の出来る者であれば誰でも分かることである。

  こで『火の池』のことを述べたついでに、この場所が一体どのようにして造られたのか、またそれはいつ造られたのか、ということをいくらか考察してみたい。何故なら、これはあまり重要な問題とは言えないものの、気になる方もいるかもしれないからである。そのような方のために、私はここで短く筆を取ることにする。まず、この『火の池』とは、死とハデスが滅びることになる再臨の日に創造されたのであろうか。つまり、再臨の日よりも前には創造されておらず、それゆえ存在していなかったのであろうか。これは可能性としてはあり得る、としか言いようがない。もしかしたら火の池が創造されたのは、この日なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。では、この場所は、再臨の日よりも前に既に創造されていたのであろうか。つまり、再臨の日よりも前に創造されて存在していたが、まだハデスが機能していたために、この火の池は存在していても機能する必要がなく、そのためそこは無人状態のままに保たれ続けていたのであろうか。これも先に述べたのと同じで、可能性としてはあり得るとしか言えない。というのも、火の池がいつ造られたのかということを聖書は何も教えていないからである。それでは、もしかして火の池とは元はハデスであって、ヨハネはハデスの性質が再臨の日以降変えられたことを言おうとして『ハデス…は、火の池に投げ込まれた。』(黙示録20章14節)と書いたのであろうか。これはいくらか興味深い見解ではあるが、しかし何とも言えないと私には思える。このように考えることもできなくはないが、あまりしっくりせず、「そうなのだ。」と確信を持つこともできない。私は、どちらかと言えば、この見解には否定的である。というわけで、このように私は聖書がこのことについて何も語っていないがゆえに、確定的に論じることができない。聖書が何も教えていないのに、どうして「こうだ。」と言えようか。私はハデスと火の池とを造った神ではないのである。ただ一つ言えるのは、この火の池も被造物であって、再臨の日まで使われていたハデスにとって代わった場所であるということである。ハデスは再臨の日まで使われていたが、その日以降は火の池に刑罰の役割を譲ることになった。他方、火の池は再臨の日までは機能していなかったか、または存在すらしていなかったが、その日以降ハデスの代わりに刑罰の職務を遂行することになった。これは間違いないことである。しかし、火の池の創造についてのことはよく分からない。このような聖書に書かれていないことを断定的に論じるのは、キリストの教師としては正しくない態度である。それゆえ私が何もしっかりと答えていないからといって、私は責められるべきではないし、むしろ正しいことをしているとさえ見なされるべきである。私のような者たちは、天使の位階を好き勝手に空想して紙の無駄使いをしたあの傲慢な古代の暇人(※)のようになるべきではない。明らかにされたことは我々のものであるが、隠されていることは神のものであって、我々にはどうすることもできない。それは、『隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、…』(申命記29章29節)と書いてある通りである。それゆえ、神のものが我々に与えられておらず、我々がその事柄を知ることを許されていない時は、「分からない。」と言うのが正しいのである。今取り扱われたこのことが気になる人もいるかもしれないが、このような次第であるから、事を了承していただきたいと思う。冷たいことを言うようだが、別にこのような些細な事柄を知らなくても、信仰に影響は出ないだろうし、救いが失われることもないし、何か致命的な問題が生じるわけでもないのである。

(※)
もちろん私が言っているのは、『天上位階論』という偽書の著者であるディオニシウス・アレオパギテースのことである。この書物とその著者については、カルヴァンも『キリスト教綱要』第1篇・第14章・第4節の箇所で言及している。このディオニシウスの文書群は「聖書に次ぐ権威を持つ」とすら言われたほどに有名となったものであり、ダンテさえも影響を受けたものだが、その内容は新プラトン主義的であり、正統的で健全な信仰を持った聖徒にとってはあまり益にはならないように思われる。日本人でこの文書を確認したい方がいれば、平凡社から出ている『中世思想原典集成3 後期ギリシア教父・ビザンティン思想』という本で読むことが出来る。
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 れでは、この空中においてキリストから喜ばしい宣言を受けた聖徒たちは、それから後、どのようになったのであろうか。これは放置しておいてはならない問題である。放置しておけば、再臨についての理解が、それだけ乏しいままに保たれてしまうからである。一つ一つ考察していきたい。まず空中にいるこの聖徒たちは、空中の場所から、地上へと降りて来たのであろうか。これは考えられないことである。何故なら、聖書には、そのようなことが何も教えられていないからである。もしキリストと無数の聖徒が地上に降りて来たとすれば、大きな騒ぎとなり、再臨に関するこの世的な証拠がいくらかでも残されることになっていたであろう。それでは、どこにも移動せず、そのまま実体的に空中に留まっていたのであろうか。これも考えられない話である。聖書は、そのように語ってはいないからである。もしこのようであったとすれば、聖書はそのことを、しっかりと記していたであろう。では、実体としてではなく「幻影体」として空中に留まっていたということは考えられないであろうか。実体であろうが幻影体としてであろうが、そもそも彼らが空中に留まっているという理解そのものが聖書の教えではないのだから、幻影体として空中に留まっていたと考えることも当然ながらできない。異端の人であれば、この空中における出来事が、そもそも単なる概念的なことを述べたものに過ぎないと考えるかもしれない。このような腐った妄想も、これまでに述べたことと同様、退けられねばならない。この空中における出来事は、実際の出来事を述べたものであって、概念的なものなどではない。それは、キリストの復活が真に実際的なものであり、単なる概念的なものではなかったのと同様である。悪魔の妄想は速やかに消え去れ。また、この空中における出来事が、そもそも未だに起きていないと考えることもできない。何故なら、パウロは自分たちが『生き残っている』(Ⅰテサロニケ4章17節)時に携挙が起こると言ったからである。携挙があれば、その後で起こるのは空中の審判である。紀元1世紀に生きていた聖徒が携挙されて空中に上げられたのだから、その時に空中の審判も起きたと考えるべきである。ここまで読んでも、また空中における出来事が既に起きたと信じれない聖徒は、不信仰であるか、そうでなければ理解が足りていない。不信仰のほうはどうしようもないが、ただ理解不足なだけであれば、やがて分かるようになる可能性があるから、今までに書かれた説明を理解できるようによく読み返してほしい。それでは空中にいる聖徒は一体どうなったというのであろうか。結論を述べる。彼らは上のほうにある天に引き上げられたのである。何故かと言えば、天こそ聖徒たちのおるべき場所だからである。パウロは『私たちの国籍は天にあります。』(ピリピ3章20節)と言った。天にこそ聖徒の国籍があるのであれば、どうして聖徒がそこに行かないわけがあろうか。まさか、神が聖徒たちにいじわるをして、聖徒を国籍のある天へと行かせないようにしておられるというのでもあるまい。我々は『神は愛』(Ⅰヨハネ4章8、16節)であることを知っている。ヘブル書の著者も、信仰の人々として死んだ者たちのことについて、こう述べている。『これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことで、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。』(ヘブル11章13~16節)ここで言われているように、信仰の人々はこの地上においては『旅人であり寄留者』であって、『自分の故郷』すなわち『天の故郷』を持っている。聖徒の故郷が天だというのであれば、聖徒がその故郷へと連れて行かれないはずがどうしてあるであろうか。神は、聖徒をその故郷へと行かせて下さらない「いじわるなお方」ではない。更に我々は、キリストが天に上げられたのは、天に聖徒の住まいを用意するためであったということも考えるべきであろう。キリストはヨハネ14:2~3の箇所で次のように言われた。『わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。』ここで言われているように、キリストは、聖徒の場所を備えるために御父のおられる天へと行かれた。そうして場所が用意できたので、―『また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。』―、聖徒たちを迎えるために天から再臨された。すなわち、紀元68年6月9日に用意が整ったので、もはや天で待機される必要がなくなり、再臨されたのである。であれば、空中に上げられた聖徒たちが、どうして天の場所に連れて行かれないはずがあろうか。キリストは聖徒を天に備えられた住まいへ住ませるために、天から聖徒を迎えるべく降りて来て下さったのである!もし聖徒が空中から天に連れて行かれなかったとすれば、いったいキリストは何のために天に聖徒の住まいを備えに行かれたのか、ということになるのである。更にルターの文章も引用しよう。彼は説教の中でこう言っている。「われわれの住まいは…天にある。」「そこ天では、市民権を得て、われわれの名は、天使の都市台帳の中に書き留められているのである。」(『ルター著作集 第二集6 ヨハネ福音書第1章・第2章説教』第16説教 第1章(51)p307、310 LITHON)ルターよ。あなたの言ったことは誠に正しい。確かにルターも言ったように、我々の住まいは天にあり、我々は既に天の市民権を持っている存在である。そうであれば、どうして聖徒たちがそのような天へと引き連れて行かれないのであろうか。言うまでもなく、天の市民権を持っている聖徒たちは、その住まいのある天へと引き連れて行かれたと考えるのが自然な理解である。このように言ったルターも、ここで今されている私の説明を聞いたならば頷いて同意したことであろう。それゆえ、以上の説明から、聖徒たちは幸いな宣言を受けた後、天へと引き上げられたということが分かる(※)。つまり、『正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。』(マタイ25章46節)と言われたのは、このように言われた後、聖徒たちが空中から天に引き上げられてそこで永遠に生き続けることになるという意味に他ならない。実際、聖徒たちはこのように言われた後、空中から天に引き上げられてそこで永遠に生き続けることになった。この天のことを詳しく説明しているのが、黙示録21章以降の箇所である。この天のことについては、これから詳しく論じられることになるであろう。

(※)
聖徒が天に上げられたのも、やはり携挙および毒麦が火の池に投げ込まれたのと同様に、御使いに任されていた仕事だったのであろうか。これについては何とも言えない。というのも、聖書にはこのことについての明白な記述がないからである。携挙と火の池への投下は明白な記述があるから、こちらのほうは確定的なことが言える。天に上げられることのほうは、もしかしたら天使が連れて行ったのかもしれないし、そうではないかもしれない。つまりキリストが昇天された時のように、不思議な力により聖徒たちが天へと連れ去れたのかもしれない。いずれにせよ、私はこのことについて確定的なことを言わないでおきたい。
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 徒たちがキリストと共に引き上げられた天とは、次のような場所であった。全部で8つの項目に分けて説明したい。一、天とは、父なる神とキリストと御霊と贖われた聖徒と御使いとヨハネが黙示録で描いている天上の生き物だけが住まう場所である。そこにはサタンや悪霊どもや悪者たちはまったく存在していない。これは火の池に、裁かれるお方を別としては(※)、邪悪な存在しかいないのとは正反対である。この場所は聖なる場所であって、聖なる存在しか存在しない、いや、してはならない場所なのである。『しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。子羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。』(黙示録21章27節)と書かれている通りである。二、天は永遠に続く場所である。神はイザヤ66:22で『わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように。』と言われた。この預言は先に説明されたように既に成就しているのだが、ここで言われているように、天は神の御前に未来永劫存続し続ける場所である。御子を信じて救われた聖徒たちも、当然ながら、この天で永遠に存続し続ける。何故なら、キリストは『信じる者は永遠のいのちを持ちます。』(ヨハネ6章47節)と言われたからである。この天とそこにいる者たちが、消えていなくなったり、一時的に存在を中断させられるということはあり得ない。天という神の聖なる空間から、愛された聖徒が失われるということがどうしてあり得ようか。三、天には良いものや良いことしかなく、そこには悪かったり不快感をもたらすようなものはまったくない。それは黙示録21:4で『もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。』と天について書かれている通りである。祝福、幸せ、喜び、楽しみ、讃美、光栄、栄光、名誉、元気、健康、笑顔、円満、力能、順調、希望、愛徳、柔和、善意、親和、従順、尊敬、平和、平安、―このような幸いだと感じられるものが天には満ちている。そこには、贖われた聖徒たちが共に住まう幸いもある。これは大変素晴らしい幸いである。ダビデはこう書いている。『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。』(詩篇133篇1節)ここで言われている『兄弟』とは聖徒のことでなくて何であろうか。アダムやエノクやノアやアブラハムやモーセやダビデやエリヤやマリヤやペテロやパウロといった我々のよく知る聖徒たちがそこにはおり、皆がキリストと共に生き続けるのである。これは少し想像しただけでも素晴らしいと感じられる場景である。このような天における幸いは、火の池に不幸なことしか存在していないのとは真逆である。そこは幸いだけが満ちた至福の空間なのである。タルムードの中では、「来たるべき世における満ち足りた思いの1時間は、この世における全生涯よりもすばらしい。」(『タルムード ネズィキーンの巻』アヴォード 第4章 11b ミシュナ17 p29:三貴)と言われているが、これは間違っていない。四、天とは実際的な物理空間である。すなわち、手で何かを触り、ある物体との間に距離感を感じ、音の粒子が飛んでくれば音を認識できる、そういった物質的な空間である。何故なら、この天には肉体的に復活されたキリストが昇天されたのであって、そこから使徒行伝1:11で言われているようにキリストが肉体的に降りて来られ、そうしてからこの天に肉体を持ったキリストと共に聖徒たちが引き上げられたのだからである。キリストであれ聖徒たちであれ、天に引き上げられたら肉体が失われてしまうなどということがどうしてあるであろうか。そのようなことは考えられない。この天が実際的な物理空間ではなく、幻想的であるとか、霊的な場所に過ぎないとか、単なる概念として言われたなどと考えるのは誤りである。もしここが実際的な物理空間ではないとしたら、聖徒たちが『キリストの復活とも同じようになる』(ローマ6章5節)と教えたパウロの聖句は偽りだったということになる。キリストが実際的に復活されたように聖徒も実際的に復活するというのであれば、その聖徒が引き上げられた天の世界も実際的であるというのは確かである。聖徒であるにもかかわらず、天が実際的な場所でないと信じるのであれば、そのような聖徒は天に至った際に自分だけ幽霊のようにされたとしても文句は言えまい。五、天が実際的な場所であるとはいっても、我々は、そこが具体的にどのような性質を持った場所であるのか知りえない。天の都には『これを照らす太陽も月もいらない。』(黙示録21章23節)とヨハネは書いている。つまり、天国とは我々が今存在している宇宙空間のようではない。太陽も月もないのであれば、そこには恒星も惑星も銀河も天の川も公転も自転も引力作用もないことになる。また、そこには『もはや海もない。』(黙示録21章1節)これは、天国が地しかない場所であるということを教えた聖句であると思われる。つまり、地形的に言えば月や火星のように、どこを見渡しても一面地続きの場所であるということなのかもしれない。しかし、天における「地」が一体どのような性質のものなのか、我々にはまだ何も知らされていない。一つ確実に言えるのは、天国にはタイタニック号がその上を進んだあの巨大な液体物質は見られないということである。また天には『もはや夜がない。』(黙示録22章5節)天に太陽や惑星や自転がないというのであれば、当然ながら夜もないことになる。夜というのは惑星が自転することにより太陽に照らされなくなる暗黒領域のことを意味しているからである。つまり、天では明るい昼のような状態がずっと続くということである。我々はこのような驚くべき現象をまだ一度も体験したことがない。このように天とは我々の感覚では捉えきれない場所であって、その詳細を具体的に伝えることは地上に住まう人間にはできないことである。一つ確実に言えるのは、天がこの今の世界とは違って驚くべき性質を持った場所であるということである。そこは我々が想像さえできないような場所であるのは間違いない。六、天というパラダイスは最初のパラダイスのように汚され腐敗させられることがない。最初のパラダイスはアダムの犯した罪により堕落の巻き添えを受け、呪われてしまった。これは、『被造物が虚無に服した』(ローマ8章20節)とパウロが言っている通りである。しかし天では『もはや、のろわれるものは何もない。』(黙示録22章3節)と神は教えておられる。つまり、そこは常に完全に聖なる空間なのであって、塵ほども罪や汚れや腐敗といった忌まわしいものは入り込む余地がないということである。もしそのようなことがあれば、天は一瞬のうちに汚れの巻き添えを受けることになり、もはや聖なる空間ではなくなってしまうであろう。しかし、神はそのようなことが起きるのを決してお許しにはならない。そこは未来永劫完全に聖であることが定められた空間だからである。七、天に上げられた聖徒たちは、栄光に満ちて輝かしい光を放っている。キリストは、天に上げられた聖徒について次のように言われた。『そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。』(マタイ13章43節)聖徒が太陽のように輝くというのは素晴らしいことである。しかし、どうして聖徒たちは輝くのであろうか。まず考えられるのは、神がその光をもって聖徒を照らされるので、聖徒たちが神から受けた光を反射することにより輝くということである。このことについては黙示録でこう書かれている。『神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。』(22章5節)この聖句から分かるように、聖徒たちが神の光を反射させるというのは間違いないことである。しかし、それでは聖徒たち自身としては光を放たないのであろうか。つまり月のように外部(太陽)から届いた光を反射させて輝くだけであり、自分自身としては何も光を放たない闇の存在に留まるのであろうか。私としては、聖徒たちも自ら太陽のように光を放出するのではないかと推測する。というのは、まだ新しい身体を受けていなかった死すべきあのモーセでさえ、神と話したことにより自ら光を輝き放ったからである。出エジプト記にはこう書かれている。『彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。…イスラエル人はモーセの顔を見た。まことに、モーセの顔のはだは光を放った。』(34章29~30、35節)罪の残滓をまだ持つあのモーセでさえ、自分自身から光を放ったというのであれば、常に神と共にいる栄光体の聖徒たちは尚更のこと自ら光を放つのではないか。原理的また論理的に言えば確かにそういうことになる。何故なら、まだ地上にいたモーセよりも天上に引き上げられた聖徒のほうが、遥かに輝きを放出すべき聖なる存在だからである。誰がこのことを疑うであろうか。であれば、天の聖徒も自ら光を放つという可能性はかなり高いと見てよいであろう。八、この天における聖徒の持つ輝きの度合いは一様ではない。すなわち、人によりそれぞれ輝きの差がある。ある聖徒は考えられないぐらいに大きな光を放ち、ある聖徒は天上においては平均的な光度の光を放つ。これはヘブル11:35に『さらにすぐれたよみがえりを得るために』と書いてあることから分かる。確かにヘブル書で言われているように、ある者らはより素晴らしい復活を受けるためにあえて苦しみを甘受したのであるが、これは復活体における輝きの度合いを増し加えることについて言ったものである。そうでなかったとすれば、それらの聖徒たちは一体何のためにあえて苦しみを甘受したのか、ということになる。神が報いに差をつけられるというのは、この地上のことを考えても分かる。この地上では非常に多くの幸いを受ける聖徒がいれば、普通程度の幸いしか受けない聖徒もいる。パウロは霊的に凄まじい恵みを受けたが、行為義認の教えに惑わされていたガラテヤ教会の聖徒や腐敗に満ちていたコリント教会の聖徒は、間違いなくパウロほどには霊的な恵みを受けてはいなかった。誰がこのことを疑うであろうか。天においてもそれは同様であって、大いに輝く聖徒がいれば、普通程度にしか輝かない聖徒もいるのである。トマス・アクィナスのようなスコラ的詮索をすることになるが、それでは一体、天でもっとも輝くことになる聖徒は誰であろうか。これは推測の域を出ないが、私としてはバプテスマのヨハネがそうではないかと思う。何故なら、キリストは彼について『女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。』(マタイ11章11節)と言われたからである。つまり、このヨハネはアベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、ギデオン、サムソン、サムエル、ダビデ、エリヤ、エレミヤなどといった父祖たちよりも偉大な人間であった。ヨハネはキリストの先駆者であり、驚くべきことに神であるお方にバプテスマを授けることさえした。しかも、生涯に渡って敬虔な態度を貫き通した。このような人物が、地上だけでなく天上においてももっとも偉大な人間であったとしても何も驚くべきことではない。しかし、先にも言ったようにこれは確定的にそうだと言えることではなく、あくまでも推測に過ぎない。ただ可能性として十分にあり得るということは、読者の方にも認めていただけるのではないかと思う。もちろん、もしかしたらパウロのほうが彼より輝いているという可能性も十分に考えられるのではあるが。というわけで、天国とはざっと見るならばこのような場所であるが、我々人間にとって、この場所は実に計り知りがたい。そこは、今の我々の理性からすれば、把握したくてもできないような事柄に満ちている。それは、あたかも街にいる浮浪者が、黄金の宮殿に住んでいる金持ちの生活を知りえないようなものである。確かに天国について聖書はいくらかのことを啓示しているが、それはあくまでも限られた範囲内のことであって、その啓示と啓示に基づいて得られる知識はそれほど多くない。神は、天国に関する一部のことだけしか今の我々に知識としては与えておられないのである。我々がパウロのように『第三の天にまで引き上げられ』(Ⅱコリント12章2節)たというのであれば話は別だっただろうが、我々の中で、そのような恵みを受けた者は一人もいない。それゆえ、我々はまだ天のパラダイスに至っていないがゆえ、この天のことについて経験に基づいて何かを述べることもできない。いい加減な馬鹿げた考えを言うことならば誰にでも好きなだけできるが、もし神の民であるという自覚を持っているならば、そのようなことをすることは絶対にできない。それは神の喜ばれない愚行に他ならないからである。このように、我々が天について知れること、語れることは、今の人生においては非常に限られており、もやもやとした感があるのは否めない。これは神が天のことをそこまで多くは啓示しておられないのだから仕方がないと諦めねばならない面もある。しかし、我々もやがて天に引き上げられたならば、その時には、天国について分からなかった全てのことが明白に分かるようになるであろう。それはパウロがこう言っている通りである。『今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。』(Ⅰコリント13章12節)パウロも言うように、今の我々はぼんやりとしか天国のことを認知できていないが、やがて完全に知れるようになるということに希望と喜びを覚え、今の時点では聖書で啓示されている範囲内に基づいた知識を持つことだけで満足すべきである。それは、我々が愚かで傲慢な夢想家になって神の御心を損ねないためである。今まで実に多くの夢想家たちが腐った夢想を撒き散らして、無知で弱い人々を大いに誤謬へと導いてきたことを、我々は既に知っているのである。

(※)
神が御使いたちに火とうじによる苦痛の投与を委ねておられるというのであったとすれば、当然ながら御使いも含まれる。
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 今のキリスト教界にとって重要な話に移りたい。それは、神の御国が、この再臨の日に力をもって到来したということである。つまり、この再臨の日に、天上におけるキリストの御国が正式にスタートすることになった。この日になるまでは、まだ天の御国は到来しておらず、また開始されていなかった。このようなことが言われたのを聞いて、読者は驚くべきではない。何故なら、これは私の個人的な見解ではなく、聖書がそのように教えていることだからである。確かに、キリストは再臨と共に御国が到来すると明白に言われた。それはマタイ18:26の御言葉のことである。そこにはこう書いてある。『まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。』既に論じられたように、再臨はネロの命日である紀元68年6月9日に起きたのだから、キリストがマタイ18:26で言っておられるように、この日に天の御国も到来したことになるのである。この見解に反対すると、聖書の御言葉に反対することになるから読者の方はよく注意されたい。つまり、多くの兄弟が考えているように、天の御国はいまだに到来していないなどと考えるのは誤りである。多くの教派と教会は、御国の到来に関して自分たちの考えを改めねばならない。ベザの場合、御国が到来したのはキリストの復活された時だと考えていた。つまり紀元33年頃だということである。御国の到来を紀元1世紀だとする点では、つまり御国が既に到来済みだと考える点では、ベザに誤りはなかった。しかし、キリストが言われたように御国は再臨と共に来るのであって、この再臨はネロの命日に起こった。それゆえ、ベザの見解には日付の正確性という点で問題があったことになる。またベザの考えに従うと、パウロがキリストの復活よりも後の時期に『私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。』(使徒行伝14章22節)と弟子たちに言ったことを上手に理解できなくなってしまう。もし主の復活の際に御国が到来したのであれば、どうしてパウロはここで、まだ御国が到来していないかのように言ったのであろうか。パウロがこう言ったのは、もちろん、まだ御国がその時には到来していなかったからに他ならない。つまり、パウロはここで「これから到来することになる御国に入れるよう君たちは多くの苦しみに耐えなければいけないのだ。」と言いたかったのである。もし復活の時に御国が来たのであれば、パウロはこのようには言っていなかったであろう。それゆえ、ベザの見解は時期的にいくらか早すぎたと言わねばならない。ここまで読み進められた読者には、もうお分かりだと思うが、この御国の到来を紀元68年6月9日に設定しない全ての見解は偽りの見解である。しかし、「地上の御国」であれば再臨の日以前にも既にこの世に存在していたと言える。何故なら、地上の御国とはすなわち地球上に存在しているキリストの教会のことだからである。マタイ13:41に書いてある『御国』とは、このような意味としての御国である。しかし、「天上の御国」の場合は、再臨の日以前にも既に存在していたと言うことはできない。そのように考えると、諸々の聖句が上手に理解できなくなるからである。それは先に述べたパウロの聖句(使徒行伝14:22)がそうだし、キリストがユダヤ戦争の時期に起こる色々な凶兆を見たら『神の国は近いと知りなさい。』(ルカ21章31節)と言われた聖句もそうである。このような聖句は、天上の御国が再臨の日になるまでは、まだ到来していなかったことを教える聖句である。要するに、地上の御国は天上の御国を指し示す存在ではあるが、再臨の日になるまではその天上の御国がまだ正式に開始されていなかったということである。

  れでは、我々は「主の祈り」の中にある『御国が来ますように。』(マタイ6章9節)という条項を、もはや祈らなくてもよくなったのであろうか。これは、その通りであると私は言いたい。聖書ではなく教会の常識的な見解に盲目的に従ったり、権威を鵜呑みにする人たちが、こう言われたのを聞いて反発することは既に分かりきっている。彼らは聖書を直視するというよりは、むしろ人の目や常識のほうを上に置く人たちだから、この聖書的な主張には大いに敵対するであろう。しかし、私は今、確かに聖書からこのように言ったのである。何故なら、聖書は既に御国がキリストの再臨と共に到来したと教えているからである。もし御国が既に到来したというのであれば、どうしてその既に到来した御国が到来するようにと祈らなければいけないのであろうか。既に来たものを「来ますように。」と祈り願うのは、普通に考えて理に適っていない。それは、ある人が既に皇帝になったのに、その人が皇帝になれますようにと願うようなものである。我々は、この条項を「地上の御国が拡大しますように。」と言い換えて祈るべきだと私は思う(※①)。『御国が来ますように。』と祈っても、その祈りは無効的である。何故なら、神はもう遥か昔にそのような祈りを実現させて下さったからである。キリストの時代にいた聖徒たちが『御国が来ますように。』と祈ったことを我々はよく考えるべきである。驚くなかれ、その祈りは紀元68年6月9日に叶えられた(※②)。この祈りは、一度叶えられたならば、もうそれ以上祈り求める必要のないものである。しかし、「地上の御国が拡大しますように。」という祈りであれば、それは有効的な祈りである。何故なら、これは地上にある教会が強くなったり数的に増加したりするのを願う祈りであって、そのように祈るのは理に適っているからである。御国が来るようにと祈っても再び御国が開始されるわけではないが、このように祈るのであれば、実際に教会に良い変化が訪れることになるであろう。しかし、私がこのように説明したとしても、まだ多くの人が私の説明を聞き入れず、悟らず、自分の態度を変えようとしないであろう。私も、このような不敬虔な態度を多くの人が取るのは自然であることを認めるのに吝かではない。何せ、このように祈るのはキリスト教会の常識であって、今まで2千年もの間、あらゆる聖徒たちが『御国が来ますように。』と祈るのを義務としてきたからである。これは、「キリスト教とは何か?」と尋ねられたら、「『御国が来ますように。』と願う宗教である。」と答えてもいいぐらいのことである。つまり、それほどまでにこの祈りとキリスト教における常識的な見解は強く結びついている。それゆえ、たとえこのように聖書から説明されたとしても、一日一夜で多くの聖徒たちが自分の考えを変えられるとは思われない。アウグスティヌスやルターでさえ、私の言ったことを受け入れるまでには多くの時間を要するであろう。もちろん、神が働きかけて下さるのであれば、一瞬の間に、実に多くの人たちが自分の考えを変えることになるのは間違いないことではあるが。確かに多くの人は、私に対して「何を言われるのですか。主が祈れと言われたのだからこのように祈らなければいけないのです。」と言うであろう。もちろん、主が『御国が来ますように。』と祈るよう当時の聖徒たちに命じられたのは私も知っている。しかし、主が当時の聖徒たちに祈れと命じられたからというので我々も祈らねばならないとすれば、『ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。』(マタイ24章20節)という命令も、我々は行なうべきであろうか。もし主が当時の聖徒に命じられたことは何であれ我々もしなければいけないとすれば、当然ながら、この命令も我々は行なわなければいけないことになる。マタイ24章がまだ実現していないと勘違いをしている聖徒であれば、尚のこと、そのようにしなければならない。すなわち、我々、ことにマタイ24章がこれから起こると勘違いをしている聖徒たちは、本当に心から日々「私たちの逃げるのが冬や安息日にならないようにして下さい。」とキリストが命じられたように祈らなければいけないことになる。しかし、こんなことを祈っている聖徒を、私は今まで一人も見たことがない。多くの教会は、こんな祈りを唱えることさえしないであろう。もし唱えるとすれば、私はもう既に、そのような教会や聖徒のことを知っていたはずである。このように聖徒が祈らないのは、無意識的にこのように祈るべきではないことを感じているからに他ならない。実際、このマタイ24章の箇所は既に説明されたように紀元1世紀当時のことを言った箇所だから、当時の人には当てはまっても、今の時代に生きる我々には当てはまらないことが多かれ少なかれある。主がこのように祈れと言われたのはユダヤ戦争の恐るべき時期を念頭に置かれてのことだったから、その戦争が終わってからは、もはや冬や安息日に逃げることにならないようにと祈る必要はなくなったのである。誰がこのことを疑うであろうか。これは当時のユダヤ人と聖徒たちだけが祈るべきだったものである。このマタイ24章の命令を当時の時代背景を弁えつつ考慮するならば、もう我々がこの主の命令を行なわなくてもよいということは確かである。つまり、この祈りは主が『祈りなさい。』と言われたにもかかわらず、我々はその命令に従って祈らなくてもよい。たとえ祈らなかったとしても罪にはならない。むしろ、そのように祈るのは知識と理解の欠けを露呈することであり、神に対して荒唐無稽な祈りを捧げることである。であれば、時代背景を弁えつつ聖句を考慮すべき我々にとって、『御国が来ますように。』という祈りの条項もマタイ24:20の箇所と同様に既に祈らなくてよくなったということになる。何故なら、―重要だから繰り返すが―御国は既に紀元1世紀に来たからである。しかしながら、その他の主の祈りの条項は、たとえ時代背景を考慮したとしても、まだ我々にとって祈るべき義務となるものである。何故なら、それらの条項は今の時代にも問題なく当てはまる普遍的な内容だからである。確かに、今の時代でも主の祈りそのものを祈るべきであるということは、紀元1世紀の時代と何も変わらない。というのも、この祈りは「型」というべき祈りの模範であって、主がそのように祈るべきだと我々に教えて下さっておられるからである。だが、そのうち2番目の項目だけは既に完全に成就したのだから、そのことを弁えて、我々はこの2番目の項目を言い換える必要がある、というのが私の言いたいことである。私は何も主の祈りそのものを否定しているわけではない。ただ2番目の項目を聖書的に考察した上で今の我々には言い換えが必要となっている、と主張しているだけである。そのように言い換えれば、何も問題はなくなるし、聖書の教えともよく調和することになる。読者の方は、私が愚かにも何か勝手な変更を理性の思いに基づいて提案しているのではないということを、よく理解してほしい。

(※①)
例えばルターが次のように祈ったのと同じようにして祈るのがよいと思われる。「み国が来たり、広がりますように。悪魔によって盲目となり、悪魔の国にとらえられているすべての罪人が、み子イエス・キリストに対する正しい信仰の知識をとらえ、キリスト者の数が大いに増加しますように。」(『ルター著作集 第1集6』ドイツミサと礼拝の順序 p438:聖文舎)
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(※②)
アウグスティヌスは、この祈りの項目について、こう言っている。「「御国を来らせ給え」。わたしたちは誰に言っているのでしょうか。もしわたしたちが願い求めなければ神の国は来ないのでしょうか。なぜなら、世の終りの後で到来するであろう神の国について言われているからであります。」(『アウグスティヌス著作集21 共観福音書説教(1)』説教56 6 p108:教文館)アウグスティヌスであれ他の教師であれ、再臨の日に世が終焉を迎え、その時に御国が到来するという理解では、誰もが一致している。何故なら、主がマタイ16:28の箇所で、再臨と共に御国が到来すると言っておられるからである。既に説明されたように再臨は紀元68年に起きた。その時に古い世が終わり改まった。だから、その年に御国が到来したことになる。このように、再臨が既に起きたと考えると、御国も既に到来したと考えざるを得ないが、そのように考えるのは聖書の言葉に基づいた論理的な結果であるから、何も間違ってはいない。
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 再臨の起きたこの日には、世の改まりが起こった。それは、キリストが栄光の座に着かれる再臨の日について『世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、…』(マタイ19章28節)と言われていることから分かる。再臨が起こると世が改まり、世が改まるというのはその日に再臨が起きたことを意味する。確かに紀元68年6月9日には、再臨が起こり、復活と空中の審判も起こり、天上の御国がスタートし、死と地獄の形態も大いに変わることになった。またこの日には『見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。』(イザヤ65章17節)という預言も成就された。このようなことが起きた大いなる特別な日に、世界が改まったことを認めない人があるであろうか。この日こそ、正に世が改まったと言うに相応しい日である。もしそう言うべきでないとすれば、一体いかなる日が世の改まりと呼ぶに相応しい日なのであろうか。まさか、この日以上に凄まじい出来事が多く起こる日があるなどとは誰も言うまい。確かに惨めな人間の矮小な理性によっては、この日に世が改まったことは認め難いかもしれない。しかし、聖書はキリストの再臨の日に世が改まると明白に教えている。その再臨は紀元68年6月9日に起きた。それゆえ聖書を己の規範とする神の聖徒たちは、再臨の起きたその日こそ世が改まった日であると信じなければいけない。

 が改まったこの再臨の日こそ、世界が終わった日である。一体どうして、こう言えるのか。これは今のキリスト教界にとっては非常に重要なことであるから、先入観や偏見を捨てて、聖書に立ちつつじっくりと考察してもらいたいと思う。神の言葉を直視しない者は、再臨に関する真理を悟ることが出来ないであろう。まず世が既に紀元1世紀に終わったということは、マタイ24:1~3の箇所から証明できる。第1部で見たように、ここでは主が神殿崩壊について言われたことに対し、弟子がその時に起こる前兆を主に尋ねている。この弟子はこの神殿崩壊が起こる時期こそが、『』(マタイ24章3節)が起こる時であると理解していた。だからこそ、神殿崩壊が起こる時期に訪れる世の終わりの前には一体どういったことがあるのか、とこの弟子はキリストに尋ねたのである。キリストはこの弟子の理解を問題視しておられないから(このことは既に第1部で見た通りである)、確かに神殿崩壊が起きた紀元1世紀に世が終わりを告げたことになる。また、キリストは福音が全世界に宣べ伝えられると、世の終わる日が訪れると言われた。すなわち、キリストはマタイ24:14でこう言われた。『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』既に第1部で見たように福音は紀元1世紀において世界中に伝えられていたのだから、この紀元1世紀の時に終わりの日が訪れたことが分かる。何故なら、福音が全世界に伝えられると、世の終わりが来ることになっていたからである。また上で説明されたように再臨の日には世が改まったが、世が改まるということは、すなわち世が終わったということを意味する。というのは、世が終わるからこそ世が改められることになるからである。世が刷新されたら古い世が終わって切り捨てられるということを疑う人がいるであろうか。いないであろう。このように世が再臨の日に終わったのであれば、どうして使徒たちが、すぐにも世が終わるかのように手紙で書き送ったのかよく理解できるようになる。彼らが速やかに世の終わりが到来すると言ったのは、本当に速やかに世が終わることになっていたからに他ならない。ペテロは言った。『万物の終わりが近づきました。』(Ⅰペテロ4章7節)これは『万物』つまり世界の終焉が起こる紀元68年が間近に迫っていたからである。パウロもこう言った。『この私たちに世の終わりが来ています。』(Ⅰコリント10章11節)これもペテロの聖句と同様に、パウロの生きていたその当時において、世の終わりが近付いていたために言われたことである。ところで既に使徒の時代において、終わりの時代が訪れていたことは、聖書の御言葉から誰でも理解することができる。ヨハネは次のように述べることで、当時既に世の終わりの時期が来ていたことを我々に教えている。『小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。』(Ⅰヨハネ2章18節)ここで言われている『』が西暦21世紀における「今」でないことは言うまでもない。これは明らかにヨハネが生きていた紀元1世紀の当時における『』のことである。今の教会には、ヨハネの言ったこの『』を自分たちの時代における「今」だと信じている人が多いから、そのような誤った理解に惑わされないように、またそのような誤った理解を持っている人はすぐに考えを改めるようにしていただきたい。この終わりの時期が、その期間を全うして終わりに至ったのは、言うまでもなく再臨の起こった紀元68年6月9日である。何故なら、この日こそが「世の終わる日」だからである。それではこの時期の始まりはいつであろうか。キリストが世に現われたその時には、既に時代が終わりの時期に突入していたことは、聖書の御言葉から間違いないと言える。何故なら、ペテロがこう言っているからである。『キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。』(Ⅰペテロ1章20節)ヘブル書でも、神が「ナザレのイエス」という救い主により救いの啓示を与えられた時は、終わりの時期に突入していたと教えている。すなわち、この書にはこのように書いてある。『神は、むかし先祖たちに、…いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。』(ヘブル1章1~2節)このように聖句からはキリストが現われた時には間違いなく世の終わりの時期に入っていたことが分かるのだが、しかし、その正確な時期について確定的なことは何も言えない。キリストがお生まれになった紀元前4年頃が終わりの時期のスタート時なのかもしれないし、公生涯を始められた紀元30年頃がそうなのかもしれない。もしかしたら紀元前4年頃より前に終わりの時期が始まっていたという場合も可能性としてはあり得る。今現在の私としては、「キリストの生誕~紀元68年6月9日」までが終わりの時期であったと理解している。このうち終わりの日のほうには間違いがないが、始まりの時のほうについては、今後私の考えが変わる可能性もないわけではないと思う。いずれにせよ、紀元1世紀の時には「終わりの時期」が訪れていたのだから、既に紀元1世紀の時に終わりの時期が過ぎ去ったのだということは間違いない。今まで実に多くの教師たちや信条が自分たちの時代こそ「終わりの時期」だと述べたり、これから世の終わりが訪れるなどと考えてきたが(※)、そのように考えは聖書研究の不足に基づく謬見である。彼らは再臨に関する事柄については浅い理解しか持てていない。終わりの時期が当時既に訪れており、使徒も述べたように世の終わりが当時において近付いていたのだから、どうして百年後、千年後、二千年後にまで終わりの時期が終わらずに続いているということがあるであろうか。もし当時既に訪れていた終わりの時期がすぐに終わらなかったとすれば、終わりはすぐに来るであろうと言った使徒は偽りを言ったことになってしまう。しかし使徒が偽りを言うことはあり得ないことである。彼らは神の霊により語ったからである。それゆえ、使徒が言ったように、我々は当時の人たちが生きていた時代において本当にすぐに世の終わりが訪れたと信じなければいけない。それではどうなのか。我々は、もはや今の時代こそが「終わりの時代」だと考えたり、またはこれから世の終わりが到来するなどと言ったりしてはならないのであろうか。これは、その通りである。我々は、もはやそのようなことを考えたり、言ったりしてはいけない。何故なら、今まで説明されたように、既に世の終わりは紀元1世紀において過ぎ去ったからである。既に終わりの時期が2千年前に終わったというのに、どうして今こそが終わりの時期であると考えたり、これから世の終わりが訪れるなどと言ったりするのか。そのように考えたり言ったりするのは、あたかも義務教育を全て修了させて政府の職員になった人が、今こそ義務教育の最終学年であると考えたり、これから義務教育の最終学年を迎えることになるなどと言ったりするようなものである。これがどれだけ荒唐無稽であるかということは、いちいち説明するまでもないであろう。しかし、このように説明されても、凄まじい常識の力を超越することができず、世が紀元68年に終わったという見解に対して違和感を持つ人が多くいるかもしれない。そのような人は聖書の言い方や思想にもっと慣れるべきである。我々が今取り扱っていることは、常に霊的な思考をしていた紀元1世紀のユダヤ人が神により書き記したものだということを、我々はよく弁えねばならない。聖書は、世界の霊的な刷新のことを「世の終わり」と言っている。つまり、この「世の終わり」とは古い世が過ぎ去るバージョンの変化のことを言っているのであって、いわゆる核戦争的な意味における世界の終焉のことを言っているのではない。肉的に理解すると核戦争的な終末を想像してしまうが、それは正しいとはいえない。我々はこの言葉を霊的に捉えなければいけない。すなわち、これは霊的な意味において古い世が完全に新しい世界へと塗り替えられてしまうということを言ったものだと理解しなければいけない。世が新しいバージョンへと改新されるのであれば、今までのバージョンの世は消えてなくなってしまうのだから、それを「世の終わり」と言い表わすのは言い過ぎであろうか。もちろん言い過ぎではない。神が言い過ぎて過ちを犯されるということがどうしてあろうか。我々の身近なことで例えるとすれば、これは成人式や通過儀礼のようなものだと考えればよい。このような儀式においては、外面的にはほとんど変化が見られないにもかかわらず、根本的に何もかもが変わったと見なされる。成人式であれば、その儀式を境として、外面は何も変わっていないのに子どもから大人となる。未開人の通過儀礼では、歯がほんの少し折られただけなのに、一人前の男として社会に受け入れられるようになるという大きな変化を生じさせる。紀元68年に起きた世の終わりもこのようなものであって、多くの肉的な人はこの時に世が終わったことを理解できないかもしれないが、しかし神の御前においては確かに世が終わって古いものから新しいものとされたのである。それゆえ、紀元68年に世が終わったことを認めない者らは、成人式に出席した人のことをまだ子どもであると見なしたり、通過儀礼を経た男に対してまだ社会に受け入れられるべき男ではないと主張する人に似ている。我々キリスト者の間でも、救われてクリスチャンになった人は何もかもが新しくなったと言うものである。外面的また社会的な意味では何も変わっていないにもかかわらず、こう言うのである。パウロもそのように言っている。Ⅱコリント5:17。『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』キリスト者になった人は、かつての古い人生を完全に終えた。その人は、周りの人から何と言われようが、パウロも言うように人生をまるごと新しく変えたのである。キリスト者の中で誰がこのことを疑うであろうか。世界が紀元68年に終わったというのも、これと同じことである。新しい人であるクリスチャンが古い人であるノンクリスチャンを終えたように、世界も紀元68年に新しい世界となり古い世界を終えたのである。これこそが「世界が終わる」ということの意味である。というわけで以上をもって、再臨の日である紀元68年6月9日に世が終わったということを、十分なだけ語り終えたことにしたい。またこの箇所で何か付け加えるべきことが出てくれば、その時には付け加えられるべき文章が付け加えられることになるであろう。

(※)
例えばルターは、度々これから終わりが来るとか、今が世の終わりだとか平気で言っていた。再臨のことを何も理解できていなかったからである。次の文章はそのうちの一つである。「われわれは、終わりの日にわれわれがなりたいと望んでいるような完全な聖人に、まだなっていない。そして、神は、死によって、われわれを聖めることを始められ、われわれは炭とちりになるが、終わりの日の火が来て、すべてを聖めるのをわれわれは待たなければならない。それだから、墓の中の腐敗によっては、われわれは、傷も染みもないほどに聖くならない。その終わりの日が来ると、われわれは明るい太陽のように、まさに天使のようになるのである。しかし、そのようなことはまだ起こっていない。それが起こるまで、われわれは今それを信じて待ち、それを望みつつ死ぬのである。そして、われわれは、この地上で、そのことを知って、信じて生きており、古いアダムが完全に聖められるのを待ち望んでいる。」(『ルター著作集 第二集6 ヨハネ福音書第1章・第2章説教』第21説教 第2章(24―25)p397 LITHON)世界信条の一つであるカルケドン信条では、「この終わりの時代には、主は我らのためにまた我らの救いのために、神の母である処女マリヤより生まれ給うた。」と言われている。この信条を作成した者たちも、この信条が作成された紀元451年10月が正に終わりの時代であると理解していた。アウグスティヌスもカルケドン信条と同様の理解であった。彼もキリストの時代から再臨が起こるまでの期間が「終わりの時代」であると考えていた。しかも彼はこのように考えて少したりともおかしいとは思わなかった。再臨は主の御言葉の通りに当時の弟子たちが生きている時に起こったのであるが…。更に酷いことにアウグスティヌスは、この終わりの時代を終わらせる「最後の日」が「ずっと先」(『アウグスティヌス著作集24 ヨハネによる福音書講解説教(2)』第52説教 7 413年 p386:教文館)に「来るはず」(同)だと考えていた。このように終わりの日がずっと後に来ると考えるのは、聖書の否定である。何故なら、ペテロが『万物の終わりが近づきました』(Ⅰペテロ4章7節)と言っていることからも分かるように、聖書は明らかに終わりの日が「間近に」「すぐに」起こると教えているからである。つまりこの教父は聖書が言っているのと真逆のことを言っているのだ!このことからも、アウグスティヌスが終わりの時代や終わりの日について、何も正しい理解を持てていなかったことが分かる。ちなみに、このことについてはカルヴァンも「キリスト示現までの長い時日」(『新約聖書註解ⅩⅠ ピリピ・コロサイ・テサロニケ書』Ⅰテサロニケ1:3 p176:新教出版社)とか、「この日が遠い」(同 5:4 p220)などと言って致命的な誤りを犯している。彼も「再臨が起こる終わりの日までの期間は短い」と言われた聖書にまったく反したことを言っていたのだ。彼は、どうやらキリストが『わたしは、すぐに来る。』(黙示録3章11節)と言っておられたのを知らなかったようである。もしカルヴァンの言ったことが正しいとすれば、キリストは「わたしが来るのは遥か未来のことであって「すぐ」ではない。」と言っておられたであろう!蛇足になるが、ルターは終わりの日が「遠い」とは言わない点では(彼は度々「近い、近い」と言っている)、カルヴァンよりはましであった。ちなみに、ベルナルドゥスも主の日が来るまでの時間が「それは長く、余りにも長すぎる時間である。」(『キリスト教神秘主義著作集2 ベルナール』雅歌の説教74 4 p298:教文館)などと御言葉で言われているのと異なることを言っている。トマス・アクィナスも「だが、「世の成就」は、『マタイ福音書』第13章にいうごとく、世界の終りにおいて齎らされるであろう。」(『神学大全Ⅴ』Qu.73,art.1 p119 創文社)という彼の文章から分かるように、まだ世の終わりが訪れていないと信じていた。エイレナイオスも、まだこの世の終わりが来ていないと信じていた。彼は次のように言っている。「この世の終わりの時には、火によってなされる裁きが、信じなかった人々にとっての滅びとなるであろう。」(『中世原典思想集成1 初期ギリシア教父』使徒たちの使信の説明 69 p250:平凡社)カルヴァンも天使の階級と人数について論じている箇所で、その天使の階級と人数における「完全な啓示は終わりの日まで延ばされていると信じよう。」(『キリスト教綱要 改訳版 第1篇・第2篇』第1篇 第14章 8 p185:新教出版社)と書いているから、他の者たちと同様に未だに終わりの日は訪れていないと考えていたことが分かる。彼は他の箇所でも、「我々の待ち望む終わりの日」(『キリスト教綱要 改訳版 第3篇』第3篇 第25章 第7節 p518:新教出版社)などと言っている。このカルヴァンは、終わりの日の時間的な範囲について次のような理解を持っていた。「そういうわけで、キリストがご自身の福音を我々に宣べ伝えるために現われたもうて以来、裁きの日までが、終わりの時刻、終わりの時、終りの日として規定されるようになった」(『キリスト教綱要 改訳版 第4篇』第4篇 第8章 第7節 p165:新教出版社)。テルトゥリアヌスも、教会が「この世の終わりに…平安を再び取り戻されるのである。」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』洗礼について 第12章(7) p57:平凡社)と言っており、まだこの世の終わりが到来していないと信じていた。ポワティエのヒラリウスも「この贈り物は、世の終わりまでわれれとともにあり、…」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』三位一体論 第2巻 35 p500:平凡社)と言っているから、まだ世の終わりが来ていないと考えていた。キリストが既に再臨されたのだから、既に古い世も終わって改まったことになるのであるが…。アンブロシウスも「来たるべきこの世の終わりについては、…」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』エクサメロン 第1巻 第3章 10 p557:平凡社)と言っている。ヒエロニムスもダマススに対して「あなたはというと、世の終わりには、あなた自身のために、反キリストとしての子山羊を犠牲にしようとすることでしょう。」(『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』書簡21(35) p666:平凡社)と書き送っている。このように、多くの教師たちや信条の制作者たちは、終わりの日が既に過ぎ去ったと言わないことにより、自分たちが再臨に関する領域においては盲人であったことをみずから示しているのである。
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 ここで、『世の終わり』という言葉の意味について、更に詳しく論じておきたい。この言葉は、非常に重要であり、聖書では頻繁に見られる言葉である。それゆえ、この言葉は、是非とも正しく理解しておかねばならない。そうしなければ、聖書全体の理解に大きな悪影響が生じることにもなりかねない。今まで教会は、この『世の終わり』という言葉を、文字通りに捉えてきた。すなわち、この地球全土が文字通りの意味で破滅すると今まで考えられ、また主張されてきた。これは今までに書かれた神学書を読めば、分かることである。例外と呼ぶべき人はいなかったと言ってよい。アウグスティヌスもルターもカルヴァンも、そうである。この文章を読んでいる読者も、そうであるに違いない。だから、今まで教会は『世の終わり』がこれから来て、全世界が大変なことになるということについて何の疑いも持たなかった。それは、聖書の多くの箇所で『世の終わり』が訪れると書かれているからである。しかし、世が終わる、世が終わる、などと力強く言いはするものの、黙示録については何も理解できていなかった。カルヴァンも、黙示録の註解書を書くことが出来なかった。この黙示録とは、少し読めば誰でも分かるように、世の終わりについて預言された文書である。世の終わりについて熱心に語りながら、世の終わりについて預言している黙示録を理解できていないとは、どういうことであるか。それは世の終わりについて、よく理解できていないということである。何故なら、もし世の終わりがよく理解できていたとすれば、世の終わりについて預言されている黙示録を豊かに理解することができていただろうから。私は言うが、今まで教会は、この『世の終わり』の理解を誤っていた。これはハッキリと断言できる。どうして断言できるのか。それは私が聖書を研究し、再臨に関わることを深く思索しているからである。研究と思索のゆえに、私はこのように言うことができる。しかし、今まで教会は、この言葉について研究と思索が足りていなかったと私には思われる。だからこそ、これまで『世の終わり』について教会は誤り続けてきたのだ。さて、『世の終わり』とは、文字通りに全世界が終わるというのではない。これは「ユダヤ世界における世が終わる」ということである。マタイ24:1~3の箇所を見ると、エルサレム神殿の崩壊する時期に『世の終わり』(マタイ24章3節)が訪れると言われていることが分かる。このマタイ24章が、ユダヤ戦争についての預言を書き記した箇所だということについては既に語られている。これはエドワーズも、そう考えていたことである。エルサレム神殿の崩壊した時にユダヤが破滅したというのは、歴史の事実であって、愚か者でもない限り疑う人は誰もいない。つまり、マタイ24章を読むと、ユダヤの破滅が『世の終わり』と言われていることが理解できる。要するに、世が終わるとはユダヤのことなのだ。このユダヤの破滅は、スエトニウスが「ローマ皇帝伝」の中で書いているように、紀元70年9月2日であった。それは使徒時代の聖徒たちにとって間近に迫っていた。もう数十年もすれば、ユダヤ世界が滅ぼされて、神から完全に見放されてしまう。だからこそ、使徒たちは「世の終わりが近い」と言ったわけである。ペテロはその手紙の4章7節でこう言っている。『万物の終わりが近づきました。』このようにペテロが言ったのは、もう少しでユダヤが終わりを迎えるからである。つまり、これは「ユダヤにおける万物の終わりが近づいた。」という意味である。それでは、ペテロが次のように言ったのは、どういう意味か。『キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。』(Ⅰペテロ1章20節)これは、ユダヤが終わりを迎える時期にキリストが、この世に来て下さった、という意味である。確かにキリストはユダヤの世界が破滅する70年ぐらい前に降誕されたのだから、「終わりの時に現われて下さった。」とペテロが言ったのは間違っていない。ではパウロがコリント人にこう言ったのは、どういう意味か。『この私たちに世の終わりが来ています。』(Ⅰコリント10章11節)これは、もう間もなくキリストの再臨に伴うユダヤの破滅が訪れる、という意味である。パウロがこう書いてからユダヤは数十年後に終わったのだから、これは何もおかしいことではない。これ以外に『世の終わり』について書かれている箇所でも、私が今言ったのと同様のことが言える。もし今まで教会がそう考えてきたように、この『世の終わり』という言葉が文字通りに捉えるべき言葉であり、西暦2020年になった今でもまだ世が終わっていないと理解せねばならないとすれば、大きな問題が生じる。何故なら、聖書では世の終わりがすぐに来ると教えられているのに、2000年経過してもまだ世が終わっていないことになるからである。これは明らかにおかしいと言わねばならない。聖徒たちも、世の終わりが近いと聖書で教えられながら2千年も実現していないことについて、いくらかでも違和感を持っているはずだ。「確かに違和感がある。」などと口に出しては言わないだろうが、実はちょっと微妙に感じているはずだと私は思う。つまり、多くの聖徒たちは無理をして、世の終わりがすぐにも来ると信じている。私が「世の終わりはすぐに来た」と言うと、それを受け入れられない聖徒たちは「いやいや、神にとっては千年も1日のごとし、だ。神にとっては数千年の期間も<すぐ>なのだよ。」などと言うのを常にする。しかし、この反論は根拠に乏しい。まず千年も神にとっては1日のごとしと言われたⅡペテロの箇所から終末を神の感覚により捉えるべきだとは言えないし、聖書の多くの箇所から世の終わりは紀元1世紀に実現したと証明できるからである。確かにキリストもパウロも、当時の聖徒たちが生きている間に再臨が起こると断言したのだ。そうであれば、世の終わりも紀元1世紀に起きたことになろう。というのも、再臨と世の終わりとはセットだからである。一方、私が今述べたように『世の終わり』という言葉が「ユダヤ世界の終わり」を意味していると理解すれば、何も問題は起こらない。確かにマタイ24章の中では神殿の崩壊する時が世の終わる時であると言われているし(これは決して疑えない)、使徒が言った通り、本当にユダヤの世はすぐにも終わりを迎えたからである。このように世の終わりがユダヤのことだと考えると、全てがスッキリと理解できるようになることに気付かないであろうか。私の『世の終わり』に対する見解のほうが、今までの教会の見解よりも聖書的であり正しいのは、火を見るよりも明らかである。

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6章 ④エルサレムの包囲と滅亡(紀元68年6月9日~70年9月)

 前章で見たように、旧約聖書に書かれている全ての預言は、再臨の日に成就された。またこの日に、ユダヤに対する恐るべき裁きが下され、ユダヤが破滅に至ることになった。それは我々が歴史の中で見る通りである。その破滅のクライマックスは紀元70年9月に起きた神殿崩壊の出来事である。裁きが再臨されたキリストと聖徒たちにより下されたので、このようなことになってしまったのである。本章では、再臨の後で起きたこの悲惨な出来事を取り扱う。それは、読者の再臨についての理解が更に深まるようになるためである。

 ず、この時期に悲惨がユダヤにもたらされた歴史的な背景を、いくらか見ていきたい。一体どのようにして、ユダヤは危難に陥ったのであろうか。当時のユダヤ人は、宗主国であるローマの支配に屈しており、そのため不満を抱いていた。彼らはローマにとっては非常に反逆的だと思われる言わば不良的な存在であった。ユダヤ人たちは、いつもローマに従順な姿勢を見せることがなかったのである。そのようなユダヤ人はローマのくび木を取り除けようと前から暴動や問題ばかりを起こしていたのだが、60年代に入ると、彼らの反逆的な態度が一定の線を越えてしまった。シリア州のローマ総督であったフロールスとケスティウスをユダヤ人が打ち負かしたのである(ユダヤ戦記2巻)。この知らせを聞いたネロは「密かなる驚愕と恐怖に襲われた」(『ユダヤ戦記2』Ⅲ i1:1 p013:ちくま学芸文庫)とヨセフスは言っている。しかしネロは動じつつも獣のように発奮した傲慢なユダヤ人を鎮圧すべく、ユダヤの地域に軍隊を遣わすことを決定した。この時に任務を任されたのが、後の皇帝ウェスパシアヌスである。彼は「若いときから軍功とともに齢を重ねてきた」(『ユダヤ戦記』第3巻/i2:4)のでユダヤ制圧の任務を帯びるに相応しいと見做された(※①)。このウェスパシアヌスは自分の子であるティトゥス(彼も後に皇帝となる)にローマ軍を率いらせ、ユダヤ鎮圧のために彼を属州ユダヤへと送り込んだ。そうしてこのティトゥス率いるローマ軍が、ユダヤを取り囲み、あの有名なユダヤ戦争が勃発することとなった―それはネロの治世の第12年目であった(※②)。これは今に至るまで語り継がれることになる注目すべき戦争であった。このようにネロを原因として、ユダヤ戦争が始まったかのように感じられるが、ネロがユダヤ鎮圧を命じたということは、元はといえばサタンがネロに働きかけたからに他ならない。確かにネロがサタンの働きかけにより邪悪な存在として登場したというのは、既に第1部で我々が見た通りである。つまり、ユダヤの滅亡はネロというよりは、サタンを第一の元凶として発出したものだということである。要するにサタンがユダヤの滅亡を望んだがゆえに、自分の強い支配の中にいるネロを通して、その望みを実現させようとしたということである。これはサタンがユダを通してキリストを敵に渡されるようにしたのと同じである。またサタンがこのような望みをネロを通して実現させたということは、神がその望みの実現を許可されたということを意味する。何故なら、サタンが何を望もうが、神の許可なしには何も起こらないからである。それは、ヨブ記において、サタンが神の許可によりヨブを打つことができたのを見ても分かる。キリストも『雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。』(マタイ10章29節)と言っておられる。それでは神がサタンの望みを許可されたのは一体どうしてなのか。それは、神の御心が実現するためであった。神がユダヤの滅びを望まれたからこそ、サタンのユダヤを滅ぼすという望みが、許可されたのである。またネロとその周りの者たちの心にユダヤを滅ぼすという望みが生じたのも、神が働きかけられたからであった。それはネロと周囲の者たちがユダヤを滅亡させる望みを持ったのは、神が『神のみこころを行なう思いを彼らの心に起こさせ』(黙示録17章17節)られたからであると言われている通りである。つまり、神がユダヤの荒廃を欲し、そのためにサタンとネロたちがユダヤの荒廃を欲するようになり、そのようにしてユダヤに悲惨がもたらされることになったということである。さて、このユダヤとローマの注目すべき戦争は、最初から勝敗が決まっていたような戦争であった。ローマ軍と言えば世界最強の軍隊として有名であった。ローマ兵らは、休みらしい休みも取らず、激しい訓練で流した汗を川で一生懸命泳ぐことにより洗い流していたほどであった。当時のローマ軍は「実戦であるかのように訓練し、訓練するかのように実戦した」。モンテスキューは、彼の時代の兵士に見られたなよなよしさと古代ローマ兵の屈強さにおける違いの理由を、この休息に見出している。つまり、休むことさえ必要としないほどに当時のローマ兵は力に満ちていたというわけである。モンテスキューの時代の兵士は、しっかりと休みを取ったので、それが屈強さの欠如を招いたとモンテスキューは述べている。ヨセフスの場合、ローマ兵の屈強さは「とくに命令への服従と武器使用の訓練の賜物である」(『ユダヤ戦記Ⅰ』Ⅱ xx7:577 p395:ちくま学芸文庫)と言っている。このヨセフスはローマ軍について次のようにも書いている。「なぜなら、ローマ人たちは戦争になってはじめて武器を手にするのではないからである。彼らは平時に漫然と生活し危急のときにはじめて手を動かすというのではなく、あたかも武器を手にして成長してきたかのように、訓練の手を休めることは決してなく、とって実戦さながらの激しいものである。兵士一人ひとりが日々、戦場におけるかのごとくに、全勢力を傾注して訓練に励んでいる。そのため彼らはどんな戦闘にもやすやすと耐えることができる。彼らは訓練時の隊形を崩して逃げ出すことはなく、恐怖におののいて大混乱に陥ることもなく、またどんな労苦にも疲れ果てることはない。その結果、しっかりとした訓練を受けていない者たちを相手にすれば、勝利がつねにローマ兵たちに舞い込む。実際、彼らの軍事訓練を流血抜きの戦闘、戦闘を流血の軍事訓練と呼んだとしても、それはあながち間違いではないであろう。」(『ユダヤ戦記2』Ⅲ v1:72~75 p028:ちくま学芸文庫)ヨセフスがこのようなローマ兵たちは「全世界とでもいうべき世界を支配している」(『ユダヤ戦記』2巻/xx7:580)と評したのは決して言い過ぎではなかった(※③)。一方、このように屈強なローマ兵と戦うユダヤ人はといえば、戦いだというのに愚かにも仲間割れをしており、戦争をするに相応しい状態にすらなかった。一致を保っていない上に、最強のローマ軍が相手であるのだから、負け以外にはあり得ない状況がそこにはあった。しかし実際には驚くべきことに、ユダヤ人たちはいくらかローマ兵に善戦することができた。技術力や統率力やチームワークではローマ軍にまったく及ばなかったが、しかしユダヤ人たちの持つ猛獣のような勢いが、ローマ軍とまともな戦いをさせることになった。ローマ兵たちはこのユダヤ人の無謀とも言うべき恐れ知らずの勢いに、かなり手こずらされ、いくらか怯みもした。これは激しい勢いのネコが大型の獅子に飛び掛って大慌てさせるようなものであったと言ってよい。ヨセフスはこの時の戦いについて次のように書いている。「ユダヤ人たちはしばしば城門から打って出て白兵戦を挑んだ。彼らはローマ軍の戦術に不慣れなため、接近戦では城壁に押し戻され敗北を喫したが、城壁の上からの戦闘では優勢だった。兵力に裏付けられた経験がローマ兵たちを勇気づけ、恐怖に育まれた大胆さと、災禍に直面したときに発揮される生来の不暁不屈の精神がユダヤ人たちを支えた。ユダヤ人たちは救いの望みをまだもちつづけ、逆にローマ兵たちは速やかな制圧を望んでいた。そのため、双方は倦むことなく戦い、終日、城壁での戦い、隊伍を組んでの出撃などが繰り返された。あらゆる種類の交戦方法が用いられた。戦闘は夜明けとともにはじまったが、夜になってひと息つくということはほとんどなかった。双方とも不眠不休で、昼間より苛酷だった。一方は城壁が攻め落とされるのではないかと四六時中恐れ、他方はユダヤ人たちが陣営に侵入してくるのではないかと恐れた。そのため双方とも、武装したままで夜を明かし、最初の曙光のもとで戦闘準備を整えた。」(『ユダヤ戦記2』Ⅴ vii3:305~308 p332~333:ちくま学芸文庫)しかし、最終的には洗練された戦争の技能がモノを言った。やはりと言うべきであろうか、ローマ軍はユダヤ人たちを完全に屈服させるに至ったのである。これはあたかも子どもが大人に立ち向かうようなものだから、当然のことであった。神が働いて下さったのであれば、『たぶん、主がわれわれに味方してくださるであろう。』(Ⅰサムエル14章6節)と言ったヨナタンと道具持ちのように少人数であってもユダヤに勝利がもたらされたであろうが、神はこの時ユダヤに味方しては下さらなかった。神はユダヤ人と共におられず、むしろユダヤ人が敗北させられるのをお望みになったのである。神はローマに勝利を、ユダヤに敗北を与えられた。

(※①)
ヨセフスはこう書いている。「ネロンはこれらの軍功を幸先のよいしるしと見なし、経験と年齢からくる安定さを買い、その子息たちはウェスパシアヌスの忠誠心を保証する大きな人質となり、その働き盛りは父親の思い通りの手足となることを見て取ると―神は、多分、このときすでに帝国の未来を先取りして経営されておられた―、この危難にさいして必要なその気にさせる賛辞を浴びせてご機嫌を取った後、ウェスパシアヌスをシリアに駐留する軍団の指揮権を取らせるために遣わした。」(『ユダヤ戦記2』Ⅲ i3:6~7 p014:ちくま学芸文庫)
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(※②)
「戦争が勃発したのは、ネロン帝統治の第12年、アグリッパス王の第17年のアルテミシオスの月(66年5月ころ)だった。」(ヨセフス『ユダヤ戦記Ⅰ』Ⅱ xiv4:284 p320:ちくま学芸文庫)
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(※③)
とはいっても実際にはローマ帝国の境界は「東はエウフラテス、西は大西洋、南はもっとも肥沃なリビア、そして北はイストロスやレノス川」(『ユダヤ戦記2』Ⅲ v7:107 p036:ちくま学芸文庫)であった。つまりローマが世界を支配していたと言えるのは、あくまでも慣用的な意味においてだけである。もちろん、当時の世界観は非常に狭かったので、その慣用表現がすなわち実際的な意味であると無意識的に見なされていたのではあるが。
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 のユダヤに対する悲惨は、神の裁きであった。我々は、これを単なる戦争による悲劇に過ぎないものだと捉えるべきではない。何故なら、聖書が、このような悲惨が起きたのは神の裁きのゆえであったと教えているからである。聖書の子である者は、聖書の教えるように、これが神による災難であったと考えなければいけない。考えていただきたい。当時のイスラエルはどのような状態であったか。それは、神の前に堕落した状態、忌まわしい状態、投げ捨てられるべき状態であった。紀元1世紀のユダヤでは、あの神の神殿の中で、本来であれば為されるべきでなかった商売が堂々と行なわれていた。そこには何と『牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわって』(ヨハネ2章14節)いた。キリストが言われたように、彼らは神の家を『商売の家』(同16節)としていたのである。また当時のユダヤ人を指導していた指導者たちは、神の戒めではなく人間の戒めにこだわってそれを行ない、霊的にまともだとは言えなかった。そのため彼らは、『こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。』(マタイ15章6節)と主から言われてしまったのである。しかも、彼らは偽善に満ちており、ただ外面的に民衆からよく思われたらそれでよしとするような精神を持っていた。つまり、心の敬虔に関心を持たず、神のことなどどうでもよくなっていた。イザヤを通して語られた『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』(マタイ15章8~9節)という預言は、正に彼らのことを言ったものであった。主がマタイ23章の箇所で、あれほどまでにこの指導者たちを厳しく非難されたのは、理由のないことではなかったのである。また当時のユダヤ人は、ローマの支配を覆そうと願うばかりに、血気盛んな傾向があった。彼らにはローマの支配から抜け出したいという願いが強くあったので、あの使徒たちでさえ、メシアとはローマから社会的な意味において解放して下さるキュロス的な存在なのだと思っていたほどである。それは主が昇天する前の時に、使徒たちが主に対して『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。』(使徒行伝1章6節)と言ったことから分かる。このようなユダヤ人独特の自立精神のゆえに―ヨセフスはこれを「孤立主義」と呼んだ―、彼らは宗主国ローマから異端的かつ反逆的な民族だと思われていた。異邦人であったピラトもユダヤ人に対して「お前達ユダヤ人はいつも暴動を好み、お前達に良いことをしてくれる人達に逆らってばかりいる。」(ニコデモ福音書9:2)と言っている。ニコラオスという人も、「この国民は御しがたく、王たちにたいして反抗的だった」(ヨセフス『ユダヤ戦記Ⅰ』Ⅱ vi2:92 p268:ちくま学芸文庫)と言ってユダヤ人たちをカエサルに告発している。しかし、主が言われたように、彼らは暴動を起こしたりするなどして反逆的になるべきではなかった。ユダヤ人らは謙遜になり、『自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。』(哀歌3章20節)という神の言葉を守るべきであった。また、彼らは自分たちが前から待望していたメシアが遂に現われたというのに、その方を木にかけて殺してしまった。ユダヤ人はメシアの到来をどれだけ待ち望んだことであろうか。確かに彼らはメシアの到来を死ぬほどに待望していた。それなのにメシアがメシアだと分からず、そのメシアを死に追いやってしまったというのは、彼らが霊的に堕落していたことを示すものとして見ていいであろう。もし当時のユダヤに多くの「霊の人」がいたとすれば、メシアを殺すということは恐らくしなかったと思われる。『そして、彼らはみな神によって教えられる。』(ヨハネ6章45節)と預言者は言ったが、もし神に教えられた霊の人ばかりがいたとすれば、どうしてメシアを否んで殺すということがあるであろうか。イスラエルがこのような堕落した状態だったので、主はこの時代を『悪い、姦淫の時代』(マタイ12章39節、16章4節)と呼ばれた。実際、当時のイスラエルは自分の夫である神を捨て、蛇のほうを恋い慕っていたのだから、姦淫していたなどと言われても文句を言えなかった。黙示録においては『大バビロン』『大淫婦』『すべての淫婦と地の憎むべきものとの母』(17章)などと呼ばれてしまうほどに堕落していた。これは驚くべきことである。神に愛された民、選ばれた人々、聖書の筆記人とされた存在であるあのイスラエルが、このような忌まわしい名前で呼ばれてしまったからである。世の人々は、このように黙示録で呼ばれている「都」とはローマであると理解する人が少なくない。クリスチャンの中でも、ユダヤがこのように言われることを理解できない人が少なからずいるかもしれない。しかし、これがイスラエルを指した呼び名だということは、聖句のゆえに疑うことができない。というのは、黙示録でこのように呼ばれている「都」とは、ローマという肉的な理解による都ではなく、エルサレムという霊的な理解による都のことだからである。黙示録11:8では、この都とは、すなわちキリストが十字架につけられた場所であると言われている。すなわち、このように書いてある。『彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。』主が十字架にかかられたのは言うまでもなくエルサレムというユダヤにおける都である。ヨハネはその都こそ、ソドムやエジプトと化した邪悪なイスラエルだと言っているのである。もしこの都がローマだとすれば、キリストはローマで磔刑にされたことになるが、実際はそうではなかったので、黙示録で悪く言われている都とはユダヤの都だということになるのである。このように悪い名で呼ばれてしまっていることからも、当時のユダヤがどれだけ腐敗していたかが分かるであろう。また、当時のイスラエルは、今まで流した義人たちの血を神の前に積み重ねている状態にあった。すなわち多くの義人たちの血が、自分たちを殺したユダヤ人に対し、神からの復讐はまだなのかと叫んでいたのである。血が復讐を求めて叫ぶというのは、カインに流されたアベルの血について、神が『聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。』(創世記4章10節)とカインに対して言われたことから分かる。エルサレムでは多くの正しい者の血が流されたが、その血がエルサレムに対する報復を願って叫んでいた。ユダヤがこのように異常な状態になっていたので、神の裁きが遂に、この時に至って発動されることになった。これほどまでに多くの裁かれるべき要素が、神の御前に置かれていたのである。だから神の裁きが、この時にユダヤへと注がれたのは自然なことであったと言える。確かにキリストが言われたように、今までに流された血の報復は、この時に至って纏めて当時のイスラエルの上に注がれることになった。それはマタイ23:34~36で主がこう言われた通りである。『だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。』しかし、どうして紀元1世紀になるまで、神はユダヤに対する裁きを留保しておられたのであろうか。何故、この時に至ってダムを一気に放出させるかのごとくに裁きのダムを放出させたのであろうか。それは、神が忍耐強く、ご自身の怒りをこの時代に至るまで抑えておられたからである。聖書は神が『怒るのに遅く』(詩篇145篇8節、出エジプト34章6節)あられる方だと教えている。それゆえ、この時になるまでは、まだ罪に対する裁きを下さずに待っておられた。何を待っていたのであろうか。それは彼らが悔い改めて神に立ち帰るようになることをである。しかし、今までに遣わされたご自身の僕たちに酷い仕打ちをされたのには我慢された神であったが、御子が殺されたことには神は我慢されなかった。せっかくご自身の御子が遣わされたにもかかわらず、その御子でさえ酷い目に合わされたのであるから、ここにおいて神の忍耐は限界に達した。神のいとし子を殺されたとあっては、それまでは忍耐強くあられた神も、もはや忍耐を続けることは欲されなかったのである。それゆえ、この御子の殺害により、イスラエルには神の裁きが下されることが確定してしまったのである。この裁きが御子の磔刑からおよそ1世代後に実現されたのが、我々が今見ているユダヤの悲惨のことである。だが、神に愛されたユダヤがこのように厳しい裁きを受けたことを疑問に感じる方も、もしかしたらいるかもしれない。「神はどうしてご自身の選ばれたユダヤを滅ぼしてしまわれたのか?」と。まず神がご自身の民でさえ、もし邪悪に染まっていたならば容赦なく捨てられたり、敵に渡されたり、滅ぼされたりされるお方だというのは、ユダ王国とイスラエル王国の例を考えれば誰でも分かることである。この2つの王国は偶像崇拝を行なって神に反逆し続けていたので、南王国ユダは前585年にバビロンへと捕囚され、北王国イスラエルは前720年にアッシリアへと捕囚されてしまった。これは間違いなく裁きにより引き起こされた悲劇であった。神が、その怒りにより、この2つの王国を敵の手に渡されたのである。このような前例がしっかりあるのだから、我々は紀元1世紀の堕落していたユダヤに大いなる裁きが下されたことを何か不思議に思うべきではない。神は、悪に満ちていたとすれば、ご自身の愛された民に対してでさえ容赦はされない。いや、ご自身が愛された民であるからこそ、かえって他の民よりも大きな裁きをさえお与えになる。というのもユダヤは神に選ばれた民だったのだから、本来的に神に従って生きる義務を負っていたからである。そのような義務があるからこそ、邪悪になった場合、かえって裁きは他の民族に対するものよりも大きくなってしまう。神に対して責任が大きいぶん、神から注がれる裁きの度合いも大きくなるというのは理に適ったことである。それは、普通の人が万引きをしたらそこまで社会的な不名誉を受けずに済むのに対し、大統領や大臣といった地位の高い人の場合は取り返しがつかないほどの不名誉が生じてしまうのと同じことである。義務の度合いと罰の度合いは正比例するのが世の常である。だから、他の民族であればそれほど裁きが下されないことであっても、ユダヤの場合は恐るべき裁きを受けることにもなる。当時のユダヤは考えられないぐらいに堕落していたのだから、これでもかといわんばかりの裁きがユダヤに下されたのは、何もおかしなことではなかった(※①)。彼らは神に選ばれた聖く生きるべき義務を負った民だったのだから、その凄まじい堕落に対して致命的な裁きが下されないのは、あり得ないことだったのである。それゆえ、我々は、ユダヤに対するこの神の裁きは下されて当然のことであったと理解するべきである。

(※①)
ジョナサン・エドワーズも、このように堕落していたユダヤ人たちには、神の恐るべき怒りの裁きが下されて当然だったと考えていた。彼はこの裁きについてこう言っている。「彼らは栄光の主を悪意と残忍な心で十字架にかけ、主に従う者たちを迫害した。彼らは神に喜ばれず、人々に敵対し、悪を重ねて罪を最大まで犯したので、恐ろしい罰がくだり、滅ぼされて、神の眼前から消え去った。神がこれほど嫌悪と怒りを顕わにされたことはなく、その怒りはネブカドネザルの時代と比べてもはるかに大きかった。ユダヤ人の多くが殺され、残った者は地上の最も裏寂れた場所に離散した。彼らは、今日もなお、キリストと福音に対して同じ不信と悪意の精神を持ち、惨めな離散状態に留まっている。」(『ジョナサン・エドワーズ選集3 原罪論』第1部 第1章 p106:新教出版社)
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 の裁きの時に、ユダヤのエルサレムにもたらされた悲惨は誠に凄まじかった。まず、ユダヤ人たちは外部から食糧を補給していなかったので、大量の餓死者が出た。人々は、まともな食糧がないので、木の皮、草、靴、更には自分の幼子でさえも口にしなければいけなかった(幼子を食べた事件については「ユダヤ戦記」第6巻/iii3:208~213に書かれている)。街に空腹でお腹の膨らんだ人が多く見られた。この時には「下水溝をあさり、古くなった牛の糞を探し、それに交じっている籾殻を口にする者さえいた」のであって、「かつては見るも汚らわしかったものが、そのときは食べ物になった」(『ユダヤ戦記2』Ⅴ xiii7:571 p390:ちくま学芸文庫)のである。1メトロンの穀物が1タラントで売られることにもなったが、これは非常に大まかに言えば手で掴めるぐらいの量の小麦が6000日分の給料によって買われるということである(1タラント=6000デナリ=6000日分の給料)。空腹で気のおかしくなった一部の狂暴な男たちが、食糧を探して家々に入り込み、食糧を隠しているかどうか尋ねたが、あれば取り上げ、嘘をついていると見做した時はその家の者の尻の穴に「ひよこ豆」を流し込んで告白するまで大いに苦しめた。これは誠に苛酷な拷問であり、大きな叫び声が響き渡ったという(※①)。母親が自分の煮た幼子を皆と一緒に食べようとして笑顔で勧めたが、流石にこれは他の人たちに遠慮されたようである。この時の悲惨についてヨセフスはこう書いている。「他の場合ならば敬意を払われて当然のものが、このような状況では軽視された。妻は夫から、子供は父から食べ物を奪い取った。もっとも悲惨だったのは、母親が自分の幼子の口から食べ物を奪い取る光景だった。彼女たちは最愛の子が自分の腕の中で息を引き取ろうとしているときでも、その生命に必要な最後の一片の食べ物を奪うことをためらわなかった。人びとはこうして糧を漁ったが、監視の目を逃れることだけは難しかった。叛徒たちが至る所にこれらの者たちの略奪物をもって姿を見せたからである。閉め切った人家があれば、それは叛徒たちにとって中の者が食べ物にありついている証拠だった。そこで彼らは即刻戸口を打ち破って押し入り、家人の喉を絞めんばかりにして、わずかばかりの食べ物を吐き出させた。老人たちは殴打されても食べ物を手放さず、女たちは髪の毛をつかまれて引きずり回されても、掌中に隠し持ったものを手放さなかった。白髪の者にも幼子にも憐憫の情はまったくかけられなかった。実際、叛徒たちは一片の食べ物を握りしめている幼子を抱き上げると、地面にたたきつけたりもした。叛徒たちの闖入を予期して略奪されそうな食べ物を呑み込んだ者たちもいたが、彼らはそういう者たちにたいして不正を働かれたと考えて一層残酷になった。」(『ユダヤ戦記2』Ⅴ x3:429~434 p361:ちくま学芸文庫)「飢えはますます深刻となり、市民たちを家ごとに、あるいは一族ごとに呑み込んでいった。屋上という屋上は赤子を抱えるぐったりとした女たちで溢れ、路地という路地は年老いた者たちの屍で埋まり、栄養失調で腹の膨れ上がった子供や若者たちが市場の中を幽霊のように徘徊した。力尽きてそこに倒れる者もいた。」(同 xii3:512~513 p377~378)「都の中では飢えのために無数の者が次つぎと倒れていったが、その災禍は言葉では言い尽くせぬものだった。どこかに食べ物のある気配でもすれば、どこの家でも戦争があった。もっとも親しい者たち同士がほんのわずかの命の糧をめぐって奪い合いをした。瀕死の者でさえ食べ物を隠し持っているのではないかと疑われた。そのため、野盗たちは最期の息をしている者たちをさえ調べ上げた。衣服の下の胸の辺りに食べ物を隠して死んだふりをしているのではないかと疑ったからである。彼らは、飢えのために、狂った犬のように口を開け、家の戸口を泥酔漢のように激しく叩き、どうしていいか分からず、そのため同じ家に1時間たらずのうちに2度も3度も入り込んでくる始末だった。あまりの空腹に耐えかねて、人びとは手に入る者は何でも口に入れ、理性のない生き物のうちでもっとも汚らわしい獣でさえ口にしない物を拾い集めては食べたりした。そして最後には、皮の帯や下履きを口にするようになり、長楯の革ひもを引きちぎっては噛み砕いて食べた。一部の者たちには一握りの古くなった干し草が食べ物だった。実際、干し草を拾い集めては、一束4アッティカ・ドラクメーで売る者もいた。」(『ユダヤ戦記3』ⅤⅠ i3:193~198 p048~049:ちくま学芸文庫)また、その時にはローマ軍に勝つために、女性さえも自ら武器を取って戦うほどであった。また、ローマの強力な破城錘がエルサレムの城壁を打ち破ろうとして何度も城壁にぶつかったので―この城壁は堅固だったのでウェスパシアヌスも悩まされた―、全エルサレムを心身ともに震撼させた。城壁を破壊されたら最後、ローマ兵がエルサレムに流れ込んで来るからであった。タキトゥスはこの城壁について言う。「神殿は要塞の如く固有の塁壁を持ち、塁壁は費やした労力と工夫を凝らした技において他に類を見なかった。神殿を囲む柱廊ですら、実に見事な防御施設であった。」(『同時代史』第5巻 12 p275:筑摩書房)この堅固極まりない城壁を壊そうとした破城錘は「雄羊」と呼ばれるが、これについてヨセフスはこう書いている。「この装置は船の帆柱に似た途轍もなく大きな桁で、先端が雄羊の頭の形をした―そこから「雄羊」と呼ばれている―鉄のかたまりで補強されていた。その槌は、天秤の竿のように、もう1本の横桁の中央部分で網で吊るされ、その横桁の両端は(土中に)打ち込まれた縦木で支えられている。「雄羊」は大ぜいの男たちによって後方に牽引され、次に男たちがまたひとつとなって前方に押し出すと、先端に突出している鉄のかたまりが壁に一撃を加えるのである。そのためどんな堅固な塔やどんなに厚い壁も、最初の一撃に耐えられても、続けざまに打たれればそれに耐えることはできない。ローマ軍の指揮官がこの手段に訴えたのは、ユダヤ人たちがおとなしくしていないことと相俟って包囲が思うようにいかなかったからであり、また何としてでも町を陥落させたかったからである。」(『ユダヤ戦記2』Ⅲ v19:214~218 p057~058:ちくま学芸文庫)そうしてこの「雄羊」が「間断なく城壁を打ち」(「ユダヤ戦記」第5巻/vii2:298 文庫)続けた末、遂にその城壁が破壊されてしまい、ユダヤ人たちが慌てて逃げ惑う中で(「ユダヤ戦記」第5巻/vii2:301)、都に乗り込んだローマ兵により大量のユダヤ人が殺されることになった。この時こそエルサレムが攻略された時であった。この時の悲惨についてヨセフスはこう書いている。「ローマ兵たちは剣を手に狭い路地に雪崩れ込むと、出会った者たちを容赦なく殺し、人家へ逃げ込んだ者たちをひとり残らず家もろとも焼き払った。略奪のために人家に押し入ると、全家族がすでに死体となり、屋内には飢えの犠牲者がごろごろしていた。そのような光景に接すると彼らは、何も手にせずに、身震いしながら外に飛び出してくるのだった。ローマ兵たちはこのような仕方で滅んだ者たちに憐れみを覚えたが、生き残った者たちにそのような感情を示すことはなかった。ローマ兵たちは出会った者を剣で突き刺しながら進んだ。そのため路地という路地には死体の山が築かれ、都中が血で氾濫し、火炎の多くがその血で消えるほどだった。」(『ユダヤ戦記3』ⅤⅠ viii5:404~406 p094~095:ちくま学芸文庫)またタルムードでは、ローマ軍の城壁破壊によりユダヤが攻略されたことについて、こう言われている。「彼らは一基の怒砲をエルサレムの周壁に沿って引き揚げ、彼のもとに運んで来た。彼らは杉板を彼のもとに運んで来たので、彼はそれらを怒砲に取り付けた。彼はこれらを用いて周壁を打ったので、やがてそれ(周壁)に亀裂が生じた。彼らは豚の頭を運んで来てそれを怒砲に取り付けた、彼はそれを祭壇の上の(供犠用の動物の)肢体に向けて発射した。その時、エルサレムが攻略された。」(『タルムード ネズィキーンの巻』アヴォード・デ・ラビ・ナタン 第4章 5 20a p30:三貴)ローマ兵が雪崩れ込んだ都の中には、大量の死者が山のように積み上げられ、神殿の中まで「屍でいっぱい」(「ユダヤ戦記」第6巻/ii1:110)になったので、あまりの腐臭に気がおかしくなるほどであった。多くの血もそこら中に撒き散らされた。阿鼻叫喚がそこには満ちていた。シリア全土において「埋葬されていない死体いっぱいの町々を、幼子の死体の傍らに投げ捨てられた年老いた者たちの死体を、恥部を隠す一片の覆いすら剥ぎ取られた女たちを、名状しがたい災禍でいっぱいの地方一帯を」(『ユダヤ戦記Ⅰ』Ⅱ xviii2:465 p368:ちくま学芸文庫)目にすることが出来た。この時に見られた次のような状態は、正に神から下された呪いにより生じた光景である。「都の中の至る所に積み上げられた死体の山は身の毛のよだつ光景を呈し、疫病のときのような異臭を放っていたが、加えてそれは戦闘要員たちにとって出撃の邪魔になるほどのものだった。彼らは、戦場で無数の屍に無感覚になった者たちのように、屍を踏んで行かねばならなかった。屍を踏み越えて行く者たちは、身震いもせず、憐れみも覚えず、逝ってしまった者たちへ加えた自分たちの侮辱に何のためらいも感じなかった。」(『ユダヤ戦記3』ⅤⅠ i1:2~3 p011:ちくま学芸文庫)ユダヤ軍の将軍でありまた「祭司であり、祭司一族の者だった」(『ユダヤ戦記2』Ⅲ viii3:352 p084:ちくま学芸文庫)ヨセフスは投降したために助かることになったが、こういう者はほとんどいなかった。ユダヤ人の持つ異邦人嫌いの気質を考えれば分かるが、あのローマ人に対して膝をかがめることなど、ユダヤ人のプライドが許さなかったのである(※②)。ヨセフスと一緒に穴の中に隠れていた部下たちもローマに投降するぐらいならば火で焼死しようと言ったのだが、ヨセフスはユダヤ人としては珍しいと言うべきだろうか(※③)、「自殺するのは神の御心にかなわないことだ。」と言って部下たちを説き伏せようとしたのである(「ユダヤ戦記」3巻/viii5)。―余談であるが、キリスト教が自殺を悪と見做すことになったのは、このヨセフスの説教に基づいて教父が自殺を悪としたことに端を発する。―この説得にそこにいた「人びとは絶望感から聞く耳を持たなかった」(『ユダヤ戦記2』Ⅲ viii6:384 p090:ちくま学芸文庫)のではあったが、神の摂理により、ヨセフスは例外的にもう一人の男と共に自殺せずに済んだ。このユダヤ人としては珍しく投降したヨセフスがウェスパシアヌスが皇帝になると預言し(「ユダヤ戦記」3巻/viii9:400~402)、後のウェスパシアヌス帝からの寵愛を受け、あの有名な「ユダヤ戦記」を記すに至ったのは既に我々の知っているところである。このような諸々の悲惨は、正に「神の裁き」と呼ぶに相応しいものである。この時に死んだユダヤ人の数は、最高で推定110万人とされる。当時の世界人口がまだ2~3億人であったことを考えると、これは実に大きな数だと言える。仮に当時の世界人口を2億人だとすると、ユダヤ人が110万人死んだというのは、21世紀の今で言えば3500万人が死んだのと比率的には同じである。これがどれだけ大きな数であるかということは誰にでも分かるのではないかと思う。しかも、これは2度の世界大戦のように各地における死者の総計ではなく、まったく局所的な一つの地域における死者の総計である。恐らく、ある一つの地域だけにこれほどまでの壊滅と悲惨が起こったのは―これは「全滅」と言っても言い過ぎではない(※④)―、歴史においてほとんど類例がないと思われる。唯一あるとすればソドムとゴモラの滅亡ぐらいであろうか、否、ソドムとゴモラの滅亡さえもユダヤの滅亡と比べたら小さなものであったと言わねばならない(※⑤)。これは正に悲惨の極みであったと言えよう。遂に、この時、神の裁きがユダヤに下されてしまったのである。ユダヤ人は今でもこの大いなる民族的な悲惨を、嘆くべき事象として強く心に留め続けている。

(※①)
ヨセフスはこの拷問について書いている。「叛徒たちは食べ物を探し出すために恐ろしい拷問の方法を考え出し、恐怖におののく犠牲者たちの肛門にひよこ豆を詰め込み、先の尖った棒をそこに押し込むのだった。人びとは犠牲者の苦しみの声を聞いて震え上がり、ひと切れのパンを持っていればそれを告白し、わずかな量の大麦を隠し持っていれば、その隠し場所を漏らすのだった。」(『ユダヤ戦記2』Ⅴ x3:435 p362:ちくま学芸文庫)
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(※②)
このユダヤ人の異邦人嫌いについては、タルムードを見れば、よく分かる。特に偶像崇拝についての口伝律法を纏めた「アヴォダー・ザラー篇」を読むと、どれだけユダヤ人が異邦人を嫌悪しているかが分かる。そこでは、例えばユダヤ人は異邦人に自分の髪を刈らせてはならないとか、異邦人は男女ともに獣姦をする恐れがあるので獣を異邦人と一緒にしてはならないとか、階段を異邦人と歩く時にはユダヤ人が下になってはならないとか、異邦人が手をつけた酒は全て捨てなければならないとか、とにかく異邦人を汚らわしい存在として見做している記述が多く見られる。それは、ちょうど健康な人が新型コロナウィルスに感染した人を危険な存在として取り扱うようなものである。確かなところ、彼らにとって異邦人は正にウィルスのように見做されているのだ。これは、もちろん全世界の支配者であったローマ人たちも例外ではなかった。タキトゥスの場合、ユダヤ人が「彼ら以外のすべての人間には敵意と憎悪を抱く。」(『同時代史』第5巻 5 p270:筑摩書房)と書いている。これは、我々プロテスタントのキリスト者で言えば、エホバの証人どもを酷く嫌悪し近くにいることさえ避けようとするのと似ている。
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(※③)
多くの事例から分かるように、ユダヤ人はこういう時には、死んだほうが1000倍良いと考えるものである。敬神や信仰が問われる際、例えば律法遵守が問われている時であれば、ユダヤ人たちは往々にして「わたしたちの父祖たちの神の誡めを踏みはずすよりも、むしろ死のう。」(『聖書外典偽典 別巻 補遺Ⅰ』『モーセの遺訓』9:6 p176 教文館)とか「たとえ危険を伴っても、父祖の律法のために死ぬことは高貴な行為だ。」(『ユダヤ戦記Ⅰ』Ⅰ xxiii2:650 p235:ちくま学芸文庫)などと言うものである。ピラトがエルサレムにカエサルの軍旗を持ち込もうとした時にも、ユダヤ人たちは積極的に死のうとした。ヨセフスはこの件について次のように書いている。「ユダヤ人たちは三重の隊列に取り囲まれ、予想もしなかった光景に呆然となったが、ピラトスは、もしカイサルの像を受け入れなければ斬り殺すぞと脅し、兵士たちに剣を抜くよう合図を送った。他方、ユダヤ人たちは、あたかも示し合わせたかのように一体となって地に伏し、自らの首を差し出し、律法を侵すよりは死を選ぶ覚悟があると叫んだ。彼らの不屈の敬神の念に驚いたピラトスは、即刻、軍旗をエルサレムから撤去するよう命じた。」(『ユダヤ戦記Ⅰ』Ⅱ ix3:173~174 p289~290:ちくま学芸文庫)このような徹底的な敬虔さは異邦人にはまったく理解できないものであった。ヨセフスはこのようなユダヤ人の振る舞いを「他に例を見ぬ献身と死に立ち向かう不屈の勇気」(『ユダヤ戦記Ⅰ』Ⅱ x4:168 p296:ちくま学芸文庫)などと言っている。
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(※④)
これはヨセフスの「ユダヤ戦記」を読めば分かる通りである。
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(※⑤)
<Ⅰ>
ジョナサン・エドワーズの場合、このユダヤの大破滅は、それまでに起きた出来事の中でもっとも悲惨であったと考えていた。確かに、この壊滅は、そのように言われるに相応しいほどに惨たらしいものであった。エドワーズはこう言っている。「それはソドムやネブカドネザルの時代のエルサレムの破壊よりも、はるかに悲惨であり、より大きな神の怒りを証言する出来事であった。それはこの世の始まりから当時に至る歴史のなかで都市や人々に対して起こった最も悲惨な出来事であった。」(『ジョナサン・エドワーズ選集3 原罪論』第1部 第2章 p145:新教出版社)

<Ⅱ>
読者の中には、ノアの大洪水はどうなのか、と疑問を持つ人がいるかもしれない。つまり、ノアの大洪水のほうがユダヤの破滅よりも悲惨の度合いが大きかったのではないか、あれは世界的な破滅であって生き残ったのはたったの8人だけしかいなかったのだから、と。確かに、一見するとあの大洪水のほうがユダヤの破滅よりも悲惨であったように感じられる。何故なら、感覚的に言えば、何となくそのように思えるからである。だが、我々の感覚がどのように思おうと、ノアの大洪水よりもユダヤの破滅のほうが酷い出来事だったと理解せねばならない。何故なら、キリストがこのユダヤの破滅について、こう言われたからである。『そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。』(マタイ24章21節)このキリストの言葉は決定的である。ここでキリストは、ローマ軍によるユダヤの苦難が、ノアの大洪水よりも大きな苦難であると断言しておられるからである。だから、ノアの大洪水のほうが悲惨だったのではないか、という疑問は即座に解決されたことになる。御言葉に反する感覚的な理解は聖徒たちの中から消え去れ。我々は次のように考えたらよい。すなわち、ノアの大洪水が起きた紀元前2300年頃の時代は、まだ世界の総人口が少なかったと。つまり、ユダヤ戦争で殺された110万人のユダヤ人のほうが、ノアの時代の世界人口よりも多かったと考えるのである。このように考えれば、何も問題はなくなる。何故なら、こう考えれば、キリストの御言葉には何の偽りもないことになるからである。それでは、ユダヤ陥落が起こるよりも前に、ノアの大洪水以外の出来事で、ユダヤ陥落よりも酷い出来事が何か他にあったのであろうか。これも無かったとすべきである。というのも、もし何かそのような出来事があったとすれば、キリストが偽りを言われたことになってしまうからである。しかし、キリストは真実なことを言われたのだから、ノアの大洪水以外でも、ユダヤ陥落を越える悲劇は無かったと考えるべきである。実際、歴史を振り返ってみても、そのような悲劇は一つも見られないのである。ヨセフスが、この悲劇を生じさせた戦争について「わたしたちの時代においてばかりか、わたしたちが耳にしたかぎり、都市が都市にたいして、あるいは民族が民族にたいして戦った戦争の中でも最大規模のものであったローマ人にたいするユダヤ人の戦争」と言ったのは間違いではなかった(『ユダヤ戦記Ⅰ』はじめに p019:ちくま学芸文庫)。
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 エルサレム神殿の徹底的な破滅は、ユダヤに対する悲惨の数々の中で、特に注目に値する。心の割礼を受けていない呪われた彼らにとって、何がこの戦争の中でもっとも悲惨だったかといえば、やはりこの神殿崩壊ではなかろうか。このエルサレム神殿は、当時の世界で一番有名な建築物であった。その美しさは実に素晴らしいものであった。バビロニア・タルムードの中では、この破壊された神殿について「ユダヤの神殿を見たことのない者は美しいものを見たことがない人だ。」と言われているが(※①)、これは言い過ぎではなかった。多くの王や指導者たちが、この神殿を見て感心したものである(※②)。ネロからユダヤ鎮圧を任されていたウェスパシアヌスも、この神殿を打ち壊すべきかどうかということで非常に悩まされた。というのは、もしこれほどまでに有名で美しい建築物を破壊したら、世界中の人々から極悪非道の理性なき獣と見做されて非難の対象となるのではないかと感じたからである。人の美を愛好する性質は今も昔も変わらない。あのヒトラーでさえ、パリには多くの美があるからというので、そこを避けて爆撃するようにと命じたほどである。マンハッタン計画においても、日本に原爆投下する際には、歴史的な建造物が多くあるからというので京都には投下しないようにと考えた計画の参与者が多くいた。プリニウスが言っているように「デメトリオス王が、1枚の絵の焼失を避けるため、その絵が保存されている側からのみ攻略できたロドスに火をかけることを控え、そしてその1枚の絵の安全を考慮することによって勝利の機を逸した」(『プリニウスの博物誌Ⅲ』第35巻36<104> p1429:雄山閣)のも、「イアリュソス」という素晴らしい絵画のためであった。このような例が示す通り、あまりにも美しいものは、何かを守る防壁としての役割を果たす。要するに、この神殿は破壊されることが躊躇されるほどの美しさを持ったもの、つまり「美の極み」と言うべき建築物だったのである。読者は私が偽りを述べていると思うべきではない。福音書の中でも、弟子が神殿の素晴らしさに感嘆しつつキリストに対して、『先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。』(マルコ13章1節)と言っているではないか。この弟子の言葉は誇張でも偽りでもなかった。ヨセフスもこの神殿の外観的な驚異性について次のように書いている。「聖所の外側の正面部分は、見る者の心や目をただただ圧倒するものであった。すべての側面が厚い金の板金で覆われていたため、太陽が昇ると、燃え盛る炎のような輝きを反射させた。そのためそれを無理矢理見ようとする者たちも、直射日光のように、その反射光を直視することはできなかった。聖所に近づいてくる外国の者たちには、それは遠方からは雪をかぶった山のように見えた。というのも、金の板金で覆われていない部分が純白だったからである。」(『ユダヤ戦記2』Ⅴ v6:222~224 p311~312:ちくま学芸文庫)この記述からも、神殿がどれだけ美麗であったかよく分かるのではないかと思う。ヨセフスはこの神殿について「わたしたちがかつてこの目で見、この耳で聞いたもっとも驚嘆すべき造営物」(「ユダヤ戦記」第6巻/i8:267)とも言っている。また、この神殿は『建てるのに46年』(ヨハネ2章20節)も要した。このような長い年数がかかったのは敵の妨害があったからであるが、しかし妨害がなかったとしても10年ぐらいはかかったことであろう(※③)。ソロモンの場合は、『20年』(Ⅱ歴代誌8章1節)を要した。そのような長い年月が建築に必要だったのだから、やはり、この神殿はそれだけの外観を持つ建築物だったのである。この神殿は21世紀の今で言えば、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ヴェルサイユ宮殿、中国の万里の長城などよりも、遥かに価値と意義のあるものであった。これらのものを合わせても、この神殿には到底及ばないであろう。というのも、これは世界一有名な唯一無二の建築物であり、万物の創造者である神の家だったからである。しかし、そのような素晴らしく貴重な神殿が、この時に跡形もなくなってしまった。これがどれだけ衝撃的な事件だったかということは、それほど深く考えずとも分かるのではないかと思う。主も、ルカ20:41~44の箇所で、このことについて泣きながら嘆いておられる。また当然ながら、この神殿の崩壊に至る全過程も神からの裁きのうちの一つであるのだが、この裁きがまた霊的に無割礼であるユダヤ人にとっては実に痛々しいものであった。まず神殿が破壊される前に、ティトゥスとその部下の幾人かが、神殿のうち最も神聖な場所であった至聖所の中に入り込んでしまった。昔の人もそうだったように、ティトゥスとその部下たちは、せっかく至聖所に入ったのに、そこに契約の箱しか置かれていなかったので驚嘆してしまった。つまり、ユダヤ人が目に見えない神を拝んでいるということに驚いたわけである。確かに、金や銀や石などの物体を神として拝む異邦人からすれば、ユダヤ人の神とは得体が知れなかったし、またそのような神を彼らが拝んでいることは理解し難いことであった。しかも彼らは至聖所に入っただけでなく、そこの床にローマの旗を力強く打ち付けた。つまり、神殿は我々ローマが占領したのだという宣言を行なった。これはユダヤ人にとっては耐え難いことであった。というのも、この至聖所とは、大祭司でさえ年に一度しか入ることが許されていない神聖極まりない場所だったからである(※④)。ユダヤ教の最高指導者でさえ年に1度以上は入れないというのに、真の神を知らない異邦人が堂々とこの場所に入って旗を打ち付けたというのは、ユダヤ人に対する侮辱以外でなくて何であろうか。しかも彼らは、至聖所に入るために必要だった生贄の血も携えていなかった―彼らは血の代わりに武器を携えていた。そして、それから後、ある無名の兵士が何気なく火を街の中に放り投げると、その火がエルサレム神殿を焼き尽くすことになった。ヨセフスはこの衝撃的な出来事についてこう書いている。「そのとき、ひとりの兵士が、命令を待たずに、またその結果がどんなに恐ろしいものであるかも顧慮せずに、ダイモニオンか何かに憑かれたかのように、燃え盛る松明を手にした。そして仲間の兵士によって持ち上げられると、黄金の入り口から―そこを通れば北側から、聖所の周囲に建てられた建物に入ることができた―それを投げ込んだ。火の手が上がると、その悲劇的最後にふさわしいユダヤ人たちの叫び声が上がった。彼らは身の危険や労を惜しまず、死に物狂いになって火を消そうとした。それまで寝ずの番で警戒をしてきた造営物がまさに焼け落ちようとしたからである。」(『ユダヤ戦記3』ⅤⅠ i5:252~253 p062:ちくま学芸文庫)この燃え盛る火の勢いたるや凄まじく、エルサレム中を火の海と化させるほどであった。このようにしてあの美しい神殿は火で滅ぼされることになったのである。サタンに動かされたローマ人が『彼女を火で焼き尽くすようになります。』(黙示録17章16節)と言われていたのは、こういうことだったのである。この時、天では大きな声が『ハレルヤ。彼女の煙は永遠に立ち上る。』と言ったと黙示録19:3には書かれている。ヨセフスによれば、神殿はあまりにも激しく火で焼かれたので、そこには草1本さえも残っておらず「広場」となり(「ユダヤ戦記」第6巻/v4:311)、そこにかつて神殿があったことを誰も認められないほどであったという。これは確かに、キリストが神殿について『ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。』(マタイ24章2節)と預言された通りであった。文字通りに真っ平らとなってしまったわけである。ユダヤ人たちは自分たちの愛していた素晴らしい神殿を、このようにして滅ぼされてしまった。もうそこには何も残っておらず、もはやユダヤ人は神殿の記憶を呼び起こして悲しい思い出にふけることしかできなくなってしまった。このような裁きの仕打ちは、彼らの精神にとって実に強烈な打撃をもたらすものであった。その証拠として、先にも述べたように、今でもユダヤ人はこの時の出来事を記憶に留め続けている。もし神殿が残されるのであれば、彼らは1000回でも死ぬほうを選んだことであろう。このような痛々しい裁きが下されたのも、彼らが堕落した状態から神に立ち返ろうとしなかったからである。このような痛々しい悲劇は、この事件一つだけでも簡単に詩集が10冊は出来てしまうほどの悲惨さを持った出来事であった。神殿が崩壊するとは、それほどまでに衝撃的で注目に値する出来事なのである。ヨセフスが、この時に起きた騒擾を「最大規模のものだった」と言っているのは正しい(『ユダヤ戦記Ⅰ』はじめに p020:ちくま学芸文庫)。ある人も言っているように「彼らにとってこの戦争の結末ほど悲劇的なものはなかった」のである。さて、このように神殿が消滅してしまったのは、つまり神がもう石造りの神殿を必要とされなくなったことを意味している。もう不要になったからこそ神は神殿を滅ぼし尽くされたのである。もし不要なために滅ぼされたのでなければ、今頃とっくの昔に、神殿は再建されていたことであろう。もしくは、そもそも滅ぼされることさえなかったかもしれない。それでは一体どうして神は神殿をもう必要とされなくなったのであろうか。それはキリストの復活以降、神が石造りの神殿のうちに歩むことをお止めになられたからである-それまで神は神殿の至聖所を御自身の住まいとしておられた。それは、少し例えがよくないが、大きくなった子どもがもう乗らなくなった三輪車を廃棄処分してしまうようなものである。今や神の神殿とは、石造りの建築物ではなく、キリストを信じるクリスチャンのことである。パウロはこう言っている。『あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。』(Ⅰコリント3章16節)『私たちは生ける神の宮なのです。』(Ⅱコリント6章16節)ニーチェは、このパウロの言葉を「反キリスト」という邪悪な作品の中で、あざ笑っている。これは肉に属するサタンの子らが、神殿のことを霊的に理解できないというよい証拠である。我々は死人であるニーチェのような肉的感覚を持ってはならない。パウロがキリスト者こそ神殿であると御霊により述べたのである。であれば確かにその通りなのである(※⑤)。神の御霊がどうして偽りを言われるであろうか。事は霊的に理解されるべきである。つまり、神は新しい神殿であるキリスト者の中を、紀元1世紀以降においては歩まれるようになったということである。このような新しい神殿が登場するようになったがゆえに、不要となった古い石造りの神殿は燃やされて完全に消し去られることになったわけである。確かに、神が聖徒の中をこそご自身の神殿とされるというのは、旧約聖書で預言されていたことである。それはエゼキエル37:26~28にこう書かれている通りである。『わたしは…わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、…』この預言に書いてある通り、今や神の聖所があるのは聖徒の身体である。石造りの神殿はもはや聖所となるべきものではなくなった。西暦21世紀の今でも、ユダヤ人たちは、かつて神殿があったあの場所に再び神殿を建てたいと望んでいる。今までに何度かあの場所に神殿を再建させる計画が実行されたことがあったが、どれも完全な失敗に終わってしまった。神が起こされたとしか思えない天変地異が起きて建設が邪魔されたこともあったとギボンは述べている。私は言うが、できるはずがないのである。神殿を再建することは、昔も今も未来も、決してできない。何故なら、神がそれをお許しにならないからである。今は神殿のあった場所にイスラム教の「岩のドーム」が陣取っているが、このままである可能性が高いと私は思う。たとえあのドームが無くなったとしても、そこには何も建てられないままの状態が続くか、ユダヤの神殿ではない他の建築物が再び占領することであろう。永遠にあの場所には、また他の場所であっても、ユダヤの神殿が再び建設されることはない。何故なら、神はキリスト者をご自身の神殿とされたからである。もし石造りの神殿が再建されたならば、そのような神殿紛いの建築物―それは神の神殿とは言えない―が存在することにより、キリスト者という神の真の神殿におけるその唯一性・特殊性・神聖性・契約性が侵害されてしまう。それは、イギリスに偽女王が、アメリカに偽大統領が、日本に偽天皇が出現するようなものである。そのような偽物の存在が許されたら、女王や大統領や天皇の存在が侵害されるのは確かである。偽神殿が建てられるのもこれと同じことである。神がそのようなことを許されるはずがない。実際、今に至るまでそのようなことは一度も起こっていない。「今や神は聖徒の身体をこそ神殿とされた。」というのが世界の真理である。それゆえ、ユダヤ人らが愚かにも神殿を再建させたいと願っているのは、神と真理と真の神殿である聖徒たちに対する忌まわしい冒涜であると言わねばならない。もし彼らが神殿を欲するというのであれば、我々と同じように神の聖なる民となるがよい。そうすれば彼らも自分たちの欲している神殿を自分たちの身体において見出すことであろう。キリストに帰依して神の国民になることこそ、ユダヤ人にとっての神殿なのである。

(※①)
これは自由な引用であるが、文意は何も変わっていない。実際の文章とその前後にある文章は、次の通りである。「華麗であったエルサレムを見たことのない者は、決して好ましい町を見たことがなかった。建立された聖所を見たことのない者は、決して麗しい建物を見たことはない。どの聖所のことなのか。アバイェ、あるいはラヴ・ヒスダが言った、「これはヘロデの神殿のことである」と。どのような材料で建築されたのか。ラヴァは、「黄色い石と白の大理石で」と言った。ある人は、「黄色い石と黒い大理石と白い大理石であろう」とも言う。彼は縁ごとに出っ張らせたり引っ込めたりして、漆喰の抑えとした。ヘロデは金で建物を覆いたかったのであるが、ラビたちは彼に「そのままであったほうがよい。そのままのほうがずっと麗しい。それはまるで海から湧き上がる波のようである」と言った。」(『タルムード モエードの巻』スッカー/第5章 ミシュナ4―ゲマラ p207~208:三貴)タルムードでは他の箇所でも「エルサレムの美のような美はない。」(『タルムード ネズィキーンの巻』アヴォード・デ・ラビ・ナタン 第28章 1 28a p101:三貴)とか「美の10カブがこの世に降った。9カブをエルサレムが取り、そして1つを全世界が取った。」(『タルムード ナシームの巻』キドゥシーン 第2章 49b ミシュナ2/ゲマラ p179:三貴)など言われているが、エルサレムとその神殿は切っても切り離せない関係を持っているから、これも神殿の美しさについての言及と見てよいであろう。
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(※②)
例えば異邦人であったプトレマイオス王が神殿の巣晴らしさに驚嘆したということについて、『Ⅲマカベア書』では次のように書かれている。「彼はエルサレムにはいり、大いなる神に犠牲獣を献げ、感謝の献げ物を献げ、その場所にふさわしい行為をなしたが、さらにその場所の中にはいると、そのすばらしい美しさに驚嘆し、また聖所の秩序整然たるさまにも驚いて、神殿の中にはいりたいものだと思いめぐらした。」(『聖書外典偽典 別巻 補遺Ⅰ』Ⅲマカベア書1:9~10 p34 教文館)
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(※③)
ルターの場合、妨害抜きであれば6~7年もあればよかったと述べている。「…神殿建築の始めから終わりまで46年かかったのである。なぜなら、ユダヤの民は戦争によって、また、周囲の諸民族によってしばしば妨害され、異邦人たちは彼らに一時の安らぎも平和も許さなかったからである。そうでなかったら、彼らはそのような神殿をおそらく6、7年で建てたことであろう。…建設自体は、妨害ほど困難ではなかったからである。」(『ルター著作集 第二集6 ヨハネ福音書第1章・第2章説教』第19説教 第2章(18―22)p369 LITHON)
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(※④)
第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけはいります。そのとき、血を携えずにはいるようなことはありません。』(ヘブル9章7節)
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(※⑤)
アウグスティヌスも「われわれがそれによって神の神殿へと変化せしめられるところの聖化は、再び生まれる者たちにのみ属するのである」(Epistola CLXXXⅦ ad Dardanum,10,PL 33,844.)と述べたことから分かるように、聖徒たちの身体こそが今や神の神殿だという正しい聖書的な理解を持っていた。彼は「個々人もまさに神の宮であり、…」とも述べている(『アウグスティヌス著作集21 共観福音書説教(1)』説教63 1節 p206:教文館)。アレクサンドリアのクレメンスも、聖徒たちは神を宿す神殿であると理解していたが、これは正しい理解であった。彼はパウロの聖句を引用しつつ、こう書いている。「使徒は次のように言う。「あなたがたは知らないのか。あなたがたが神の殿堂であるということを」。実に、覚知者は神的でありすでに聖なる者であって、神を宿し神の息吹を受けた人物である。」(『キリスト教教父著作集―4/Ⅱ―アレクサンドリアのクレメンス2 ストロマテイス(綴織)Ⅱ』第7巻 82:2 p366 教文館)
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 さて、この裁きを受けてから、西暦21世紀の今に至るまで、ユダヤ人はどのような歩みをしたのであろうか。この2千年の間、神はもうかつてのようにユダヤの民と共に歩まれなかった。彼らは、もう『主がわれわれと共におられる。』(マタイ1章23節)とは言えなくなった。というのも、彼らはもはや真のイスラエルではないからである。霊的に理解すれば、今や真のイスラエルはキリストの聖徒たちである。パウロは、聖徒こそが『神のイスラエル』(ガラテヤ6章16節)であると述べた。2千年前から、キリストにある者こそが、神の民であるイスラエルになったのである。それゆえ、もはや肉のユダヤ人たちは、キリストを信じるユダヤ人は別であるが、神のイスラエルではない。彼らは神から捨てられて聖なる牧場から離れたのだから、サタンの家畜となった。今や彼らの主はサタンである。だからこそ、サタンと同じように、彼らは御子と聖徒たちに敵対するのである。であるから、神が彼らと共におられなかったとしても不思議なことはない。このような彼らが歩んだ2千年の歴史は、霊的にも肉的にも悲惨であったと言える。すなわち、霊的には神がもはや共におられないという意味において、肉的には多くの迫害を受けて苦しめられたという意味において、彼らは悲惨であった。まずユダヤ人たちは、紀元68年に裁きを受けて後、ドミティアヌス帝による迫害を受けた。このローマ皇帝は、「主にして神」などと自称し、傲慢な態度をもってユダヤ人を苦しめた。その後、第2次ユダヤ戦争が起きたが、ユダヤ人はこの戦争において敗北を喫した。神が彼らと共におられなかったので、負ける以外の運命にはなかったのである。それから、ユダヤ人たちは金貸しや銀行家など、人々から嫌われる職業に従事することになった。当時は今のように利息をつけてお金を貸すことが合法的だとは思われていなかったので、キリストを殺害した民族という負の認識との相乗効果により、ますます忌み嫌われることになった。今でもロックフェラーをはじめユダヤ人と銀行業との関わりは非常に深い傾向があるが、それは、昔から金を貸す職業に従事してきたという歴史が一つの要因である。このユダヤ人たちはエルサレム神殿を再建しようと試みたこともあったが、不思議な力が働いて阻止されてしまった。モーゼス・マイモニデスという学識ある聡明な者が現われた。彼は今でも言及されることの多い人物だが、やはり死人らしく、旧約聖書を正しく読めていなかった。また、アブラハムの血を持たない偽者のユダヤ人が大量に現われることになった。彼らはキリストの時代には異邦人だったのに、今や正式なユダヤ人として世に認められることにさえなっている。宗教改革の頃になると、コロンブスがアメリカ大陸を始めて発見したということにされた(実際はコロンブスより数百年前に既にアメリカ大陸を発見した人が存在していた)。このコロンブスの航海には、ユダヤ人が大いに関与していたという話があるが、これはなかなか興味深く感じられる話である。この時代にはルターがユダヤ人たちを回心させるべく福音を彼らに宣べ伝えたのだが、ユダヤ人たちが反発したので、ルターはユダヤ人を激しく非難するようになった。ルターの説教をると、彼はこれでもかといわんばかりにユダヤ人を攻撃している。このルターの反ユダヤ主義を、後のヒトラーのユダヤ迫害におけるファクターとして捉えることも可能であると私には思える。ヒトラーの場合がどうであれ、少なくともルターの反ユダヤ主義が、世界の反ユダヤ主義に多かれ少なかれ影響を及ぼしたことは疑えない。それはルターほど強い影響力を世界に与え続けている人物は、非常に珍しいからである。あのマルクスという巨人さえもルターの本を読み漁っていたことを考えれば、このことはよく分かるであろう。また17世紀になるとスピノザが現われた。18世紀の革命が起こるまでに、ここまで学術界において有名なユダヤ人が登場したのは、かなり珍しいことである。彼はキリストの復活をさえ信じたが、その信仰は異端のそれであり、正しい神理解を持っていたとも言えなかった。更にこの時期には、サバタイ・ツィヴィという名の異常なユダヤ教徒も出現した。彼の出現は、明らかにサタンの働きかけによるものであった。この狂った病的な者は、自分こそ預言されていたメシアだと自称し、ユダヤ教サバタイ派の創始者となった。この一派は、今のユダヤ教において少なからぬ影響力を持っており、考究に値する存在である。18世紀になると、ユダヤ人を解放させるためのフランス革命が起こされた。この革命により、かつては奴隷のように社会のもたらす鎖で縛られていたユダヤ人たちが、自由に、そして活発に活動できるようになった。そのため、彼らはこの革命を境として大いに台頭することになった。これは、この革命の前後に現われたユダヤの著名人の数を考えれば一目瞭然である。それまでは、紀元1世紀以降のユダヤ人でよく知られていたのはマイモニデスとかスピノザぐらいしかいないようなものであった。しかし、この革命以降は、マルクスやアインシュタインやリカードやミーゼスやロックフェラーをはじめ、著名なユダヤ人が実に数多く出現した。これはこの革命がユダヤ人の解放を主眼としていたものだったからでなくて何であろうか。解放されたからこそ、ここまで活発に活動できるようになったのである。また20世紀になると、我々がよく知っているように、ヒトラーがユダヤ人を大々的に迫害した。ヒトラーは、ユダヤ人の世界支配の計画を危惧したために、このような迫害を行なった。確かにタルムードがユダヤ人による世界支配を書き記しているのは事実である。この世界支配のことについては、ここで詳しく取り扱うことをしない。中にはこのヒトラーがユダヤ人であって陰謀に荷担していたと主張する人もいるが、これは誤りであろう。何故なら、当時において、まだユダヤの陰謀家たちは自分たちの計画を大胆に暴露するようなことはしなかったからである。今では自分たちの側から工作員を使って陰謀を暴露するようにもなったが、それはつい最近、正確に言えば20世紀の後半になってからのことである。ヒトラーの時代では、まだ陰謀を自ら大胆に開示して人々が誤認するように働きかけるということはされていなかったので、そのようなことをしたら、高い確率で容赦なく抹殺されていたことであろう。しかしヒトラーは「我が闘争」という本の中で、これでもかといわんばかりにユダヤの陰謀を暴露している。もしヒトラーがユダヤの工作員であったとすれば、その時代にあって、このようなことをするのはまったく考えられない。しかし彼が工作員ではなく、ユダヤの陰謀を本当に危険視していたというのであれば、このような暴露をしたことは容易に納得できる。それゆえヒトラーは陰謀を企むユダヤ人の一味ではないということになる。ここ100年の間には、シオニズム運動が推し進められている。この運動により、正式な国家と認められないこともあるが、イスラエルが建てられた。これは金融資産家でありユダヤ教徒であるロスチャイルドの願望がバルフォアを通して実現されたものであるが、このユダヤ教徒は紛れもない陰謀家であるから、このシオニズムを首肯することはすべきではない。何故なら、タルムードの記述を実現させるためにこそ、このシオニズムは企まれたのだからである。純粋なユダヤ人はこの運動には否定的であって、そのことを裏づける証拠であるが、この運動により生じたイスラエルに住んでいるユダヤ人の大半は偽のユダヤ人たちである。つまりアブラハムの肉の子らは、その多くが、別にあの地域に造られた国家に戻りたいなどとは思っていないのである。このような偽のユダヤ人たちが、あたかも本物のユダヤ人であるかのように色々と世を騒がせているのも、純粋なユダヤ人に対する裁きの一つとして見てよいであろう。18世紀のユダヤ人解放のための革命以降に活躍しているユダヤ人は、そのほとんどが生来的にはユダヤ人でない者たちであると思われる。著名なユダヤ人の顔を見ると、マルクスであれミーゼスであれリカードであれアシモフであれクリントンであれマーク・ザッカーバーグであれ、そのほとんどはヤペテ系の顔だちである。純粋なユダヤ人はセム系の顔だちであって、例えば今のイランやサウジアラビアなどにいる中東系の人たちのようである。そのようなユダヤ人は、私の今の知識に基づいて言えば、恐らくあまり活躍できていないのではなかろうか。非常にしんみりしている、というのが私の個人的な所感である。アブラハムの子孫たちのことを言えば、彼らのこの2千年間の歴史は、放浪と悲惨と孤独という言葉に尽きる。この2千年の間、彼らに恵みが注がれているようには感じられない。むしろ、呪いを受けていると思われることが多い。読者の方も、彼らの受けた迫害や苦難のことを考えれば、恐らくそのように思われるのではないか。これは当然といえば当然である。何故なら、キリストが再臨された紀元68年の時に裁きを受けたために、彼らはこのような苦しみを受けることになったのだからである。

 のついでに、これからアブラハムの肉の子孫であるユダヤ人がどうなるのかということについて、いくらか考察してみたい。今後、彼らがどうなっていくかということは、なかなか興味深いことだと思われる。まず、アブラハムの遺伝子を持った純正のユダヤ人たちが、かつてのように一つ所に所在を定めるということはこれから起こらない。先に書かれたように、彼らの大部分はシオニズムには否定的である。それゆえ、かつてのように純粋なイスラエル国家がこれから登場することもないであろう。アブラハムの肉の子らによる国家的な共同体は、紀元70年9月の時をもって最後であり、今も存在せず、今後も生まれない。それでは彼らは、ずっと今のままの状態でいるのであろうか。その通りである。彼らは今まで2千年の間そうだったように、これからも流浪の民であり続ける。永遠にそうである。というのも、紀元68年6月9日にこの大いなるゴモラが受けた刑罰とは、この地上において永遠に続けられるものだからである。この裁きの時、その汚れと堕落と反逆に対して罰が注がれた大淫婦バビロンについて、天ではこういう声が鳴り響いたのである。『ハレルヤ。彼女の煙は永遠に立ち上る。』(黙示録19章3節)神の民は、この声に対して「アーメン。」と言わなければならない。この声が言ったように娼婦イスラエルの煙は『永遠に』消えないのだから、それは彼らに対する刑罰が永遠に続くということを意味しているのである。それはソドムとゴモラに対して、永遠の刑罰が注がれたのと同様である(※①)。また彼らが待ち望んでいるメシアがこれから到来し、そのメシアがユダヤ人たちの状態を大幅に変えるということも起こらない。何故なら、そのメシアとはイエス・キリストであって、その方は既に来られたからである。既に来られた方を、まだ来ていないと考えるのは間違っている。彼らは旧約聖書をよく理解できていないのである。メシアが2回も受肉されるということが、どうしてあるであろうか。同様に、彼らがいずれ成就されるだろうと信じているエゼキエル書の第三神殿に関する預言も成就しない。何故なら、あの預言は紀元68年に成就しているからである。あれは天の都に存在する神と子羊という神殿のことでなくて何であろうか(※②)。しかし、このように言われるのを聞くと、神が永遠にユダヤ人を裁かれるというのは少し酷いのではないか、と思われる方もいるかもしれない。このように思われる方は、ユダヤ人が何をしたかをよく考えてみるとよい。彼らは神を裏切り、サタンのほうに走り、バアルやアシュタロテなどといった異教の神々を拝み、律法を蔑ろにし、不信仰になり、神を怒らせ、異邦人と混合し、主の鞭を厭い、神の使いたちを何人も殺し、遂に来られたメシアをさえ十字架につけた。このようなことを見ても分かるが、酷いことをしたのは、元はといえばユダヤ人のほうである。神はユダヤ人をせっかくご自身の『宝の民』(申命記7章6節)としてお選びになったのである。そして、彼らにご自身の聖なる戒めを与えて、彼らがそれに従って聖く歩むようにさせて下さった。また多くの神聖な啓示をも彼らに与えられた―このような素晴らしい恵みを受けた民が他にどこにいるであろうか。つまり、神はこの民にとんでもなく良くして下さったのである。それにもかかわらず、この反逆者たちは、自分たちに良くしてくれた神に逆らってばかりいた。これでは、この地上において永遠に裁かれることになっても文句は言えないであろう。彼らがこのような酷い状態にあったので、それに応じて神も彼らを永遠に捨てられたというのは、行き過ぎであろうか。もちろん、そのようなことはない。ユダヤ人が神に酷いことばかりをしていたので、神も永遠に裁かれるという仕返しを彼らにお与えになったのである。人の親でさえ、愚かな子供を家から追い出して、もはや子供とは認めないのである。我々は、酷いのは永遠の刑罰を与えられた神ではなく、ユダヤ人のほうであったと理解すべきである。神はただ正しく報いておられるだけに過ぎない。また、ユダヤ人に永遠の報いを与えられた神が酷いと感じるのであれば、火の池で滅びの子らに永遠の刑罰が与えられるということは、どうなのか。もしユダヤに永遠の刑罰が与えられたからというので神を酷い方だと非難するのであれば、神が無数の人間たちを火で永遠に裁かれるということも、当然ながら非難せねばならないことになる。何故なら、どちらも人間に永遠の刑罰が与えられているという点では変わらないからである。しかし、聖書に立つ聖徒の中で、いったい誰が滅びの子たちに対する永遠の裁きを通して神を非難するであろうか。例えば、イスカリオテのユダが永遠に火で焼かれるからというので、神を残虐な悪魔でもあるかのように非難する聖徒がどこかにいるであろうか。まともな信仰を持っていれば、そのような聖徒はいないはずである。むしろ、多くの聖徒が、ユダに対する永遠の刑罰の妥当性を認めるであろう。というのは、ユダは非常に悪いことをしたので、永遠の刑罰に値すると誰でも思うだろうからである。であれば、同じ永遠の刑罰を受けたユダヤにおいても、我々は神を非難すべきではないことになる。ユダの刑罰に文句を言わないのであれば、ユダヤに対する刑罰にも文句を言うべきではない。すなわち、ユダの刑罰における妥当性を認めるのであれば、ユダヤの刑罰における妥当性をも認めるべきである。どちらも、永遠に断罪されるに相応しいことをして、神を怒らせたのであるから。このように純正のユダヤ人たちは、これからも永遠に呪いの民として各地を放浪し続ける運命を持っている。非純正のユダヤ人たちの未来については、私はさほど興味を持っていない。何故なら彼らは本来はユダヤ人ではなく、肉と血においてアブラハムを父祖として持たず、それゆえに神に選ばれた者たちとは言えないからである。紀元68年の裁きを受けなかった偽者のユダヤ人たちを本作品で取り扱うのは、あまり必要性を感じないし、意義のあることだとも思われない。それゆえ、彼らについては、少なくとも今の時点ではここに書くことをしないでおきたい。

(※①)
ソドムとゴモラなどの堕落した町々は、アブラハムの時代から永遠に刑罰を受けることになった。それゆえ、今もあの地域は荒廃しており、栄えや潤いとは無縁である。イスラエルもこのような永遠に及ぶ刑罰を受けることになったのである。ソドムとゴモラなどの町々に対する永遠の刑罰については、ユダが次のように書いている通りである。『また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。』(ユダ7節)
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(※②)
私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、子羊とが都の神殿だからである。』(黙示録21章22節)
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 要な問題に移りたい。それは、ユダヤ人の回復については一体どうなるのであろうか、という問題である。今まで、多くの教会が、やがてユダヤ人は民族全体としてキリストに立ち帰るようになると信じ、望んできた。ジョナサン・エドワーズやサミュエル・ラザフォードもその一人である。西暦21世紀の今でも、多くの教会がこのように信じ、望んでいる。この文章を書いている私も、かつてはその一人であった。このユダヤ人の大々的な回心についての一般的な見解は、次のようなものである。すなわち、キリストが再臨された時か、再臨される直前の時期になると、今はキリストを否んでいるユダヤ人が(※①)民族全体としてキリストに帰依することになるという見解である。つまり、福音のゆえに捨てられて不従順になっている彼らも、時が来れば、その福音に戻ってきて不信仰な状態から従順にさせられるということである(※②)。このような見解は、次に挙げる聖句に基づいている。『もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受けられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。』(ローマ11章15節)『ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。』(同30~31節)多くの聖徒は、この見解を聞いて「アーメン。」と言うであろう。確かに、まだ再臨が起きておらず、これから再臨が起こるというのであれば、この見解は誠に正しいと言わねばならない。何故なら、確かに再臨の時期には、ユダヤの回復が起こると聖書は教えているからである。このように聖書が教えていることを疑うことはできない。しかし、既に説明されたように、キリストはキリストを目の前で見ていた人たちが死を見る前に再臨された。よって、ユダヤ人は、キリストが再臨された紀元68年6月9日にもう回復させられたことになる。再臨がこの日に起きたのであれば、確かにそのようになったことは絶対に疑えない。何故なら、ペテロは当時のユダヤ人に対して次のように言ったからである。『そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。』(使徒行伝3章19~21節)ここでペテロはユダヤ人の回復が来ると、ユダヤ人のためにメシヤと定められたキリストが天から再臨されると言っている。つまり、キリストは既に再臨されたので、既にユダヤの回復も起こったことになる。それゆえ、多くの聖徒たちが願っているユダヤの回復に関する問題は、もう遥か昔に解決されているということになる。しかし、ここで、このように言って反論される方もいるはずである。すなわち、今の世界を見てもユダヤ人が回復されたようには感じられないから、まだ再臨は起きていないのだ、という反論である。しかし我々人間の理性が何を思おうとも、聖書は再臨が既に起きたと我々に対して教えている。このことについては、既に充分論じたので、繰り返して説明しなくてもよいであろう。聖書が教えているように再臨が既に起きたのであれば、ユダヤも既に回復したことになるから、このような反論は聖書によって打ち負かされてしまう。ではユダヤの回復とは一体どのような意味なのであろうか。キリストが再臨されたことで、ユダヤはどのような回復を神から受けたのであろうか。これは絶対に説明する必要がある。それは、ユダヤの中にいた選ばれた者たちが再臨の日に贖いを受けることにより、天国における神の御前でユダヤが回復されるに至る、という意味の回復である。旧約聖書を見ると分かるが、ユダヤ人の回復とは、すなわち選ばれたユダヤ人たちが再臨の日になると神の元に集められるということである。例えば旧約聖書では再臨の日に起こるイスラエル人の携挙について、こう預言されている。『その日、主はユーフラテス川からエジプト川までの穀物の穂を打ち落とされる。イスラエルの子らよ。あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリヤの地に失われていた者や、エジプトの地に散らされていた者たちが来て、エルサレムの聖なる山で、主を礼拝する。』(イザヤ27章12~13節)次の預言も、同じ携挙のことが言われている。『わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。わたしは、北に向かって『引き渡せ。』と言い、南に向かって『引き止めるな。』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。』(イザヤ43章5~6節)ユダヤ人の中にいた選ばれし子らが神の元に東西南北から携挙されて集められ、そのようにして神の御前においてユダヤ人の回復が実現する。この回復の時にこそ、ユダヤに憐みと赦しが与えられ、彼らの犯した罪の問題が全て解決されることになった。それはパウロがこう書いている通りである。『…こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」』(ローマ11章26~27節)この聖句から、キリストがシオンの山から再臨された時こそが、ヤコブらの悪が除かれる時であるということは疑えない。裁かれるべきユダヤ人については、この回復の恵みにあずかれない。このユダヤ人のほうは回復とは何の関係もない。彼らに関係があるのは回復のほうではなく、遺棄されるという裁きのほうである。我々はユダヤには回復が与えられると同時に、遺棄の呪いも与えられるということを理解すべきである。私が今ここで取り扱っているのは、このうち回復のほうである。遺棄のほうについては既に多くのことが語られた。要するに、ユダヤの回復とは、あらゆるユダヤ人が神に立ち帰るという意味の回復ではない。今述べたように回復にあずかれるのは選ばれたユダヤ人のみである。そのユダヤ人が回復されたのであれば、神の御前においてユダヤ全体が回復されたことにもなるのである。それは、先に語られた呪われしユダヤ人たちが裁かれることにより、ユダヤ全体が捨てられてしまったのと同じである。我々は、神がある一つの対象に対して、複数の働きかけをなさる方だということをよく知るべきである。その最もよい例は、キリストの贖いである。キリストが十字架につけられるように神がされたのは、神の人類に対する愛のためであり、聖なる計画を遂行するためであり、サタンとイスラエルと使徒ユダが悪を行なうことで裁きが彼らに与えられるためであった。このユダヤの場合は、紀元68年の時に、回復が与えられるのと同時に呪いが与えられるという働きかけがなされた。この2つの働きかけは妨げ合うことがなかった。何故なら、回復されたほうの人は天に挙げられ、呪われたほうの人とその子孫は地において苦難を受けたからである。だからこそ、聖書は再臨の日には、ユダヤが赦されるとも処罰されるとも書かれているのである。我々はこの2面性をよく弁えねばならない。すなわち、回復のほうだけを見て「回復するのだから裁かれることはない。」などと言ったり、処罰のほうだけを見て「処罰されるのだから回復されることがどうしてあろうか。」などと言うべきではない(※③)。では、これからユダヤの回復は起こらないのであろうか。それは起こらない。すなわち、多くのキリスト者が考えているような奇跡的な民族的大回復は起きないであろう。何故なら、今地上に生きているユダヤ人とは、ことごとく呪われて捨てられたユダヤ人たちの子孫であるから。そのような者たちが民族全体として回復するというのは非常に考えにくい。事実今に至るまで、彼らはほとんど救われていない。それどころか、彼らは救いから大いに離れたままの状態を今でも続けており、キリストに近付く気配さえ見せていない。オリゲネスがユダヤ人について次のように言っていることは正しい。「わたしたちは敢えて、彼らはもはや回復されることはないと言おう。というのも彼らはすべてのうちで最も畏れを知らない罪、すなわち人類の救い主に対して、しかも大いなる神秘の象徴である習慣的祭儀を、神のために行うまさにその都で、陰謀を企てるという罪を犯したからである。それゆえに、イエスがそのような苦難を被ったこの都は、ことごとく滅亡した。さらにユダヤの国民は破滅し、神による至福への招きは他の人々、つまりキリスト教徒に移行した…」(『キリスト教教父著作集9 オリゲネス4 ケルソス駁論Ⅱ』ケルソス駁論 第4巻 22 p98:教文館)。しかしながら、それなりに多くのユダヤ人が纏まって救われるということであれば、時には起こることもあるかもしれない。例えば100人、1000人ぐらいのユダヤ人がある地域でクリスチャンになった、ということであれば、可能性としては起こりえると思われる。しかし、彼らは呪われた子孫なのだから民族的な大回復と呼べるほどの救いは与えられないはずである。それは呪われしユダまたエサウが、心から悔い改めて神に立ち帰るようなものである。それでは教会は、もはやユダヤ人の回復を求めるべきではないのであろうか。我々は、ユダヤ人の救いそのものは願い求めるべきであるが、それは他の異邦人と同じように願い求められるべきである。ユダヤ人だからといって何か特別扱いをするべきではない。何故なら、彼らは神の御前において今や異邦人と同等の者たちであり、彼らの回復に関する問題は既に解決されているからである。よって我々は、宗教的な意味において預言が成就することを求めて、彼らが救われるようにとは願い求めるべきではない。もう既にユダヤが回復されたというのに、どうしていまだに回復されていないかのように、彼らの回復を願い求めなければいけないのであろうか。彼らは既に宗教的な意味において回復したのだから、宗教的な意味において彼らが回復されるのを願うことはすべきではない。それは我々が安息日を宗教的な意味において守るべきではないのと同じことである。カルヴァンも「キリスト教綱要」の中述べたように、安息日は既にキリストにより成就されたのだから、安息日を宗教的に守るのはキリストという安息日の実体を蔑ろにすることである。それゆえ、今や安息日は「主の日」として、身体の休息のため、また霊的な修養や生活に心を向けるために守るのが望ましい日とされている。それと同じように、我々はユダヤ人が宗教的な意味において大々的に回心するのを求めるべきではなく、―もし彼らの大々的な回心を求めるというのであれば―、他の異邦人が大々的に回心するのを求めるのと同じような態度と精神で彼らの大々的な回心を求めるべきなのである。というわけで神学者諸君、牧師諸君、また一般信徒である兄弟たちに私は言いたい。あなたがたはユダヤの回復について考えを改めるべきである。再臨が既に起きたということが聖書から本作品の中で明らかにされたのだから、その再臨の時期に起きるユダヤ人の回復についても、我々は考えを正しいものへと変えなければいけないのである。

(※①)
昔から今に至るまで、往々にしてユダヤ人はキリスト嫌いである。マルクス(本名はモーゼス・モルデカイ・レヴィ)をはじめとしたキリスト教徒であるユダヤ人は別であるが、彼らがキリストについて口にすることと言えば、悪いこと、不信仰なこと、冒涜的なことばかりである。例えばキリストのことを「あいつは裏切り者だ。」などと罵ったりする。いまだにキリストを不貞の子と見做す者も存在する。中にはキリストとキリスト教を忌み嫌うあまり、数字の「4」を十字が含まれないように書く者さえいる。つまり「U」の右下に「I」をくっつけるような形で「4」を書く。何故なら、4を普通に書くと十字架がそこに含まれるかのような形状になるからである。タルムードでもキリスト教が「異端」(ミーン/複数形:ミーニーム)として取り扱われている(バビロニア・タルムード/ソーター篇 9章 ミシュナ15 49b)。
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(※②)
ルターもこう考えていた。彼はこう言っている。「こうしてすべてのイスラエル、すなわち、救われるべき、イスラエルのすべての者が救われるであろう。こう書かれているとおりである。イザヤ書59章、初穂の残りにおいてなさったように、救うかたがシオンから来て、すなわち、キリストが肉において来て、ヤコブから不信心を、すなわち、ユダヤ人の不信仰を取り去る。彼は世の終わりにこれをする。」(『ルター著作集 第二集 第8巻(ローマ書講義・上)』グロッセ 第11章 113~114 p158 聖文舎)
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(※③)
ルターも、再臨の起こる終わりの日は、2つの対極すること、すなわち良いことと悪いことが同時に起こる日であると言っている。彼が持っていたこの理解は聖書的で正しいものであった。ただ、この日がまだ起きていないと考えている点では非聖書的で誤っていたと言わねばならないが…。彼は、そのことについて次のように言っている。「終わりの日は怒りとあわれみの日、苦難と平和の日、破壊と栄光の日と呼ばれる。その日不信仰者は罰せられ、混乱させられるが、信仰者は報酬を受け、誉れを受ける。同じように、信仰の光におって信仰者の心のなかにある霊的な日もまた、怒りと恵みの日、救いと滅びの日と呼ばれる。詩篇第109篇に「主はあなたの右にあって、その怒りの日に王たちを粉砕する」、すなわち、今がそうである、恵みの日と時に、とあるとおりである。また、ゼパニヤ書第1章には「主の日の声は苦い。強い者(すなわち、力ある、ごう慢な者)もそこで苦しむ。その日は怒りの日、苦しみと悩みの日、災いと不幸の日、暗黒と闇の日、雲と旋風の日、ラッパとその響きの日である」などとある。」(『ルター著作集 第二集 第8巻(ローマ書講義・上)』スコリエ 第2章(5) p265 聖文舎)カルヴァンも、このことについて次のように述べている。「さて、最後の審判の日は、「怒りの日」と呼ばれる。不信仰なものについて言われるときには、そうである。しかし、信仰者にとっては、この日は「贖いの日」である。やはり同じように、主の他のすべての訪れもみな、悪しきものに対しては、つねに、恐るべく、また威嚇に満ちたものとして記されている。しかし、その反対に、信仰者に対しては、これは、慈しみと恵みとにみちたものと書かれているのである。」(『新約聖書註解Ⅶ ローマ書』2:5 p57 新教出版社)
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7章 これから世界はどうなるのか

 キリストは既に再臨された。世の終わりも紀元1世紀に到来した。死人の復活と携挙も使徒の時代に起きた。最後の審判も実施された。新しい時代が訪れた。マタイ24章や黙示録をはじめ新約聖書に書かれている預言も既に成就した。旧約聖書に書かれている預言も、ことごとく成就している。さて、それでは一体、この世界はこれからどのようになるのであろうか。これは多くの聖徒が是非とも知りたいと願うことではないかと思う。再臨に関する事柄を取り扱う本作品において、このことを書かずに済ますことはできない。まず結論から言えば、この世界は、これからも我々の知っている今のような状態が永遠にわたって続くことになる。というのは、今の世界は、既にもう新しい世界となっているからである。預言書では、その新しい世界が永遠に続くと言われている。すなわちイザヤ66:22で、神は次のように言っておられる。『わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、―主の御告げ。―あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。』もし新しい世界に終わりや中断があれば、そのことを神は啓示されたであろうが、そうではなく神は新しい世界が『いつまでも続く』と言われた。創世記9:22には、『地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことがない。』と書かれている。この聖句で言われていることが、これからこの世界にずっと実現し続けるのである。その永遠に継続されるこの世界において、神は本質的には何も変わらない種々の事象を、永遠にいつまでも繰り返して起こされる。本質的な意味において、何か異なったことや前にはあり得なかったことが、神により起こされるということはない。それはソロモンが次のように言った通りである。『私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。』(伝道者の書3章14~15節)ここで言われているのが「本質的な意味において」であるということを理解しないと、何が言われているのか分からなくなるから注意しなければいけない。確かに外面的また感じられ方においては新しく思えることも多くあるであろうが、本質的な意味においては、この世界で起こる事象は、全てが例外なく過去の繰り返しである。伝道者の書1:9~10に次のように書かれているのも、そのような意味においてである。『昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる、日の下には新しいものは一つもない。「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。』ところで聖書には、『主であるわたしは変わることがない。』(マラキ3章6節)また『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』(ヘブル13章8節)また『父には移り変わりや、移り行く影はありません。』(ヤコブ1章17節)と書かれている。神は完全な存在であられるから、我々のように更に良くなろうとして変化される必要性がまったくない。つまり、もう既に完全であるから、ずっとそのままの状態で変わらずにいても何も問題ないわけである。そのように完全であるからこそ、神がお求めになることも、未来永劫変わることがない。そのような完全な方である神が求められることは、ご自身の存在と同じように完全で変わる必要性がないから、神はいつでも同じことを永遠に至るまでも追い求め続けられるのである。もし存在の変化があれば、その存在の変化に応じて求めることも変化するであろうが―これは我々人間にはよくあることである―、神にはそのような変化はまったくないのである。確かに世の中を見ても、既に完全に達している存在は、本質的な意味においてはずっと同じものを求めたり同じことを行なったりするものである。例えば今の我々の時代には、AC/DCという世界中に多くのファンを持つロックバンドが存在している。このバンドの音楽性は既に完全であり変える必要が少しもないから、数十年の間、まったく同じに感じられる作品しか作っていない。これを「マンネリ」などと言って批判する人もいるが、存在的に完全な域に達しているのであれば、その完全な域に自分たちを保たせている限りは、ずっと同じものしか出さなかったとしてもそれは自然なことである。何故なら、それがベストだからである。神を世俗のロックバンドに例えるのはいかがなものかと感じるのではあるが、理解のためには、このようなロックバンドの例をもって説明したとしても許してもらえるであろう。それでは、神が永遠に同じ事象を繰り返して起こされる理由は一体なんなのであろうか。神は何のために、永遠に至るまでもこの世界で同じことを繰り返して行なわれるのか。それはご自身の素晴らしい栄光を、その繰り返しの事象を通して、いついつまでも現わされるために他ならない。神は、例えば救いに選ばれた者たちを滅びからキリストにより救ったり、多くの人々に種々様々な恵みを与えられる、ということを永遠に繰り返されることで、ご自信の恵みの栄光をこの地上において、とこしえまでも現わされる。それは、そのような恵みが現わされることで、いつの時代にも神に感謝が捧げられたり、神が崇められるようになるためである。そうすれば、それが、いつの時代においても神の栄光となるのである。また神は、滅びに定められた者たちを永遠の滅びや偽りの闇に追いやったり、罪を犯した者たちに罰を下されたりする、ということを永遠に繰り返されることで、審判者としての義の栄光を、この地上において未来永劫までも現わされる。それは、いつの時代でも神が正しく真実な方であり、悪には義の裁きをもって報いられるということが知られるようになるためである。そのようになれば、いつの時代であっても、人間が神の正しさ、聖性、その恐ろしさと威厳とを知ることになり、それが神の栄光となるのである。実に、神はこのようにご自身の栄光を永遠に地上の事象を通して現わすためにこそ、この地上で未来永劫同じことを行なわれ続けるのである。神は永遠のお方であられるから、その栄光も時間の中において永遠に現わされなければならない。それゆえ、その栄光が時間的な意味において永遠に現わされるために、この地上が永遠に続き、そこで起こることも永遠に繰り返され続けることになるわけである。その繰り返しについての具体的な例をいくらか見てみたい。まず、神はかつてソドムを永遠に滅ぼされ、それから約1700年後に再びソドム同然のユダヤを永遠に滅ぼされたが、これからも神はこのような滅びをどこかの場所や民族に与えられるであろう。またその際には、滅びを下される中にあって、ロトや少数の選ばれたユダヤ人のように救いが与えられる者が現われることであろう。ある存在を徹底的に容赦なく滅ぼすのと同時に、その滅ぼされる存在の中から一部の者たちを滅びから免れさせる。これこそ神がこの地上において永遠に繰り返して起こされる事象の一つである。このようにするのが、神がご自身の栄光を現わすために取られる手段なのである。また後にも再び書かれることになるが、ある個人を通して、神が多くの者たちに霊的・知的・物質的な恵みを授与されるということも、神が永遠に繰り返される事象の一つである。この事象は今までに無数の事例が存在している。例えば、神はノア一人を通して、当時生きていた多くの人々にご自身の真理を告げ知らされた。またヨセフ一人を通して、非常に多くの人々を飢饉の悲惨から物質的に救助された。モーセ一人を通して、数多くのユダヤ人がエジプトから脱出させられた。キリストお一人を通して、無数の人間が救いに導かれるようになった。大帝コンスタンティヌス一人を通して、ローマがキリスト教を受容するに至らされ、多くのキリスト教徒たちが迫害と苦難から解放されることになった。コペルニクス一人を通して、人類が天動説の闇から抜け出せるようになった。ルター一人を通して、キリスト教界が改新されることになった。アインシュタイン一人を通して、物理学全体が変わることになった。フォード一人を通して、自動車の大量生産が実現するようになり、そのため多くの人が車に乗れるようになった。リークワンユー一人を通して、シンガポールが世界に名立たる繁栄した都市に変えられることになった。もしこれらの人が現われなかったならば、ある場所や特定の領域は、まったく何も変わらずに昔の状態のままでいたことであろう。このような例からも分かるように、神は往々にしてある一人の人間に莫大な恵みを与え、その者を通して世とそこに住む人々に働きかけられる。要するに、世界を良くするためには、恵みの泉となる言わばシンボル的またアイコン的な存在を登場させられるというのが、神の好まれるやり方なのである。これは、昔も今も変わっていない。これからも、神はそのようなことを繰り返して、人類に恵みを与え続けられることであろう。今挙げた例はこの2つだけだが、神はその他のことも、同じようにこの地上で繰り返し繰り返し行なわれ続ける。1000年経過しても、1000億年経過しても、その繰り返しの事象が起こされることは変わることがない。神の栄光が時間の中において永遠に現わされるために、永遠に至るまでも、それは継続させられるのである。もう一度言うが、これは「永遠」である。我々はこのことに驚いたりすべきではない。何故なら、このことは我々人間の精神には非常に受け容れ易いものだからである。クリスチャン、ノンクリスチャン問わず、進化論を奉じている人々を見るとよい。彼らは進化論が教える宇宙の存在年数を、何の疑いもなくそのまま受け入れている。その年数とは128億年である。これは誠に長い年数であるが、だからといってその気の遠くなるような年数に異を唱えている人などまったく見られないのである。それどころか、どの人も本当に宇宙は128億年も存在し続けてきたと信じ続けている。これは人間の精神が、宇宙の存在における継続年数がいかに長かったとしても受容できるように創造されていることを示すものである。だからこそ、誰も128億年という長い年数を不思議に思ったり拒絶したりしないわけである。たとえこれが128億年ではなく例えば7800億年だったとしても、事は同じであったであろう。そのように人間の精神が造られているとすれば、それはこの世界が永遠に続くからであるというのが理由でなくて何であろうか。つまり、この世界が永遠に続くからこそ、神は人間の精神がそのような長い継続年数を容易に受容できるようにされたということである。もしそうでなかったとすれば、今頃多くの人たちが、進化論の教える長大な時間スケールを拒絶していたに違いない。このように、不信仰な世の人々でさえ、偽りの理論が教える宇宙の長い継続年数を何の疑いもなく受け入れている。であれば、我々は尚更のこと、そのような長い継続年数を拒絶したりすべきではないことになる。何故なら、我々に対して世界が永遠に続くと教えているのは偽りの理論ではなく、神の聖書だからである。世の人々が偽りの理論から教えられて長い継続年数を受けて入れているのだから、聖書から教えられるべき我々が、どうしてそのような長い継続年数のことに対して反発していいはずがあろうか。偽りの理論による教えでさえ何の疑問もなく信じられているのであれば、尚のこと、我々が神聖な書物の教えに基づいてそのような長い継続年数を受容しなければいけないのは明白である。

 のように世界がこれから永遠に続くと言われたのを聞いて、それはゾロアスター教の善悪二元論だなどと批判する人たちがいる。この人たちは我々のことを、これから永遠に神とサタンという2つの相反する究極的な原理が互いに対立し合うという理解を持っているなどと言って、批判するのである。確かに、我々が善なる神と悪なるサタンとの永遠の対立を主張しているのであれば、このような批判はもっともであった。というのも、それは異教であるゾロアスター的な思想に他ならないからである。しかし、批判者たちは自分の批判する対象を失って残念かもしれないが、我々はそもそもそのような善悪二元論を信じているわけではない。つまり、我々は、ゾロアスター教やその他の異教のように、善なる存在と悪なる存在が永遠に至るまでも対立し争い合うなどといった考えは持っていない。我々の考え―というよりは聖書の考えと言ったほうが正しいが―では、サタンは神のために用いられている言わば「道具」に過ぎない。我々は、サタンが単なる神の役者または不幸な仕え人であると理解する。それは詳しく言えば一体どういうことであろうか。それは、つまりこういうことである。「神は永遠に至るまでもご自身の栄光を最大限に現わされるためにこそ、あえてサタンの存在と彼の行なう悪を永遠に至るまでも許容し続けられる。」この理解においては、サタンが神に対立する言わば永遠のライバルとして理解されているのではないことに注意されたい。サタンやサタンの悪、またサタンに動かされた人間たちの罪深い行ないがこの地上に存在するからこそ、神の栄光がもっとも豊かに現わされるようになるという理解は、既にライプニッツが「弁神論」の中で(※①)、またジョナサン・エドワーズが「自由意志論」第4部/第9章の箇所で実に正しく論じている通りである。アウグスティヌスも「神は悪者どもの悪しきわざを善用したもう。」(『アウグスティヌス著作集24 ヨハネによる福音書講解説教(2)』第27説教 10 413年 p66:教文館)と言っている。このような考えは、正に聖書が教えている考えである。分かりやすい例をいくつか挙げよう。まず第一は、あのヨセフの例である。ヨセフは彼を妬んだ兄弟たちから売られてしまうという悪を受けたが(創世記37章)、しかし、そのような悪をヨセフが受けたからこそ、後になって大飢饉が起こった際、神によりヨセフを通して多くの人たちが助けられることになった。つまり、ヨセフが悪を受けたからこそ、神の大きな恵みがヨセフを通して人々に与えられることになったのである。それゆえ、ヨセフは創世記50:20の箇所で、このように兄弟たちに言っている。『あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。』この素晴らしい神の取り計らいから、悪が存在するからこそ、神の恵みが大いに現われることになるのが分かるであろう。もしヨセフの兄弟たちが人身売買をするという悪を行なわなければ、ヨセフはエジプトの支配者になっていなかっただろうから、このようにして多くの人々がヨセフを通して大きな恵みを神から受けるということもなかったはずである。第二の例は、我々の主なるお方の例である。主は、サタンとユダの悪により、敵どもの手に渡されて十字架につけられることになった。これは実に忌まわしい悪であったが、サタンとユダがこのような悪を行なったからこそ、キリストが人類の贖いとなられるというこれ以上考えられないほどの善が実現することになった。これは神が悪を用いて、素晴らしい善を生じさせるということの、もっとも良い例だと言ってもいいかもしれない。もしサタンとユダがこのような悪を行なわないか、またはそもそもサタンとユダが存在していなかったとすれば、キリストが我々のために十字架上で救いとなられるという究極の善も実現されなかったかもしれない(※②)。悪が存在するからこそ、神が実現させて下さる善の度合いもそれだけ巨大なものとなるのだ。第三の例は、「Ⅳマカベア書」で描かれている7人の少年たちである。この敬虔な少年たちは、邪悪なエピファネスの悪により亡き者とされたが、しかし、このような悪が行なわれたからこそ、御民イスラエルだけでなく異邦人たちでさえ、大きな恵みを受けることになった。この少年たちが死んだからこそ、ユダヤ人たちの持つ敬神の念が更に研ぎ澄まされ、異邦人たちもユダヤ人の信仰深さに感嘆させられたのである。更にはエピファネスの軍隊ですら、この少年たちから精神的に良い影響を受けることになった。そればかりでなく、この出来事はヒエロニムスやナジアンゾスのグレゴリオス、クリュソストモス、アンブロシウスといった後の時代の信仰者たちにも、良い作用を与えることになった。アンブロシウスは「小さな義務について」という作品でこの出来事を語り、クリュソストモスは、この少年たちを殉教者の模範として称えている。これは、非常に広範囲に及ぶ恵みであった。悪が存在するからこそ、恵みもそれだけ広範囲に行き渡るようになるのである。もしエピファネスがこのような悪を行なわなかったなら、またはエピファネスという邪悪な君主が存在していなかったなら、このような種々の恵みが、イスラエル人と異邦人、更には後世の人間にさえ及ぼされることはなかったであろう。このことは聖書以外にも、多くの事例がある。その一つは、日本に落とされた原爆である。原爆を人の住む地域に落とすというのは、それ自体として考えれば誠に由々しき悪行であるが、しかしそのような悪が1945年に行なわれたからこそ、それ以降今に至るまで核兵器が人の住む地で使われるという悲惨が起こらずに住んでいる。それは、広島と長崎に行なわれた悪の記憶が、誰かの持つ核兵器を使いたいという欲望を抑制させているからである。つまり神は、あの原爆投下という悪を用いて、長い間核兵器が使われないようにさせるという平和の恵みを我々人類に与えて下さったわけである。もちろん、だからといって私が原爆投下を首肯しているというのではないが、しかしこのような悪が行なわれなければ、一体この世界はどうなっていたことであろうか。もし原爆があの時に落とされなかったとしたら、もっと破壊力のある核兵器が最初から使われていたかもしれないし、いきなり核戦争が起こって地球の大部分が破滅していたかもしれない。実際はどうなっていたか分からないのではあるが、しかしこのようになっていた可能性は十分にある。いずれにせよ、あの2つの原爆投下が、非常に長い間抑止力を生じさせるために用いられていることは確かである。このような例から分かるように、神の恵みが最大限に現わされるためには、悪い者の存在や悪が行なわれることが必要となる。もし悪がなかったとすれば、ヨセフの善行も、キリストの贖いも、戦後における核の不使用も、起こらなかったかもしれないのである(※③)。このようなことのために、神は永遠に至るまでもサタンが存在することと、彼が悪を行なうことを許されるのである。それは、神の栄光がこの地上において、もっとも豊かに現わされるようになるためである。つまり、サタンは神の計画のために動かされている奴隷のような存在に過ぎない。我々をゾロアスター教だなどと言って批判する者たちは、このようなことを何も理解していない。我々は、サタンが単なる神の栄光の仕え人だと考えているだけであって、サタンが神と永遠に対立し続ける究極のライバル的な存在だなどとは塵ほども考えてはいない。このような批判者たちは、カルヴァン主義をその予定説のゆえに「ストア派の運命論」だと言って揶揄したアルミニウス主義者たちと非常によく似ている。アルミニウス主義者たちは、次のように言ってカルヴァン主義者たちを批判したものである。すなわち、カルヴァン主義によれば救いも永遠の滅びも既に永遠の昔から確定しているのだから、我々人間がどれだけ善を行なおうが怠惰になろうが最終的な運命は絶対に不変であり、そのため人間を不敬虔や怠惰の悪徳に陥らせてしまう、と。しかし、アルミニウス主義者は荒唐無稽なことを言っていた。彼らは聖書もカルヴァン主義のこともよく理解できていなかった。確かにカルヴァン主義は人間の最終的な運命が不変であると考えるが―何故ならそれは人が生まれたその瞬間から既に決まっているのだから―、だからといって、人を不敬虔や怠惰の悪徳に陥らせてしまうということにはならない。このアルミニウス主義者たちと同じように、我々をゾロアスター教の善悪二元論だなどと言って批判する者たちも、荒唐無稽なことを言っている。彼らは、我々がどのようなことを考えているのか、よく理解していない。今言われたことからも分かるように、もししっかりと理解していたとすれば、このような批判をすることはできなかったであろう。彼らは、サタンの存在と悪い行ないを神がこの地上において永遠に許容され続けることについて、何か誤解をしている。先にも述べたように、神の栄光が最大限に顕現されるためには、そのような悪い存在がどうしてもなくてはならないのである。もし神がご自身の栄光のために悪を許容させられることが気に入らないのであれば、今までに実現された、神の悪を用いた素晴らしい御業をも全て否定しなければいけなくなる。ヨセフの例も、キリストの例も、否定しなければいけなくなる。一体どこの誰が、このような神により起こされた出来事を批判できるであろうか。聖徒であれば絶対にできないはずである。もし批判できないというのであれば、神がご自身の栄光のために悪を許容されるお方であるということを、事実上認めていることになる。であれば、神が永遠にそのようにして悪を許容され続けると主張する我々をも、批判できないことになる。「蜂の寓話」で有名なマンデヴィルもこのように社会のためには悪が必要だなどと言って大いに批判されたものだが、マンデヴィルは批判されても、神がそのようにされることは批判すべきではない。神が、ご自身の栄光や善のためにあえて悪をお許しになられるのだ。誰がそのことを批判してよいであろうか。もし批判する人がいたら、その人は、自分がそのように神の行ないを批判するという悪をも神が許容しておられることに気付いていないのである。

(※①)
この本はキリスト教の知識を増加させるためには、いくらか役立つであろう。この本では、ディドロも死にたくなったほどの学識を持つライプニッツのキリスト教に関する知識が、これでもかといわんばかりに並べ立てられている。ライプニッツはルター派であった。
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(※②)
神が、サタンに動かされたユダの極悪を善に変えて用いられたというこのことについては、アウグスティヌスもこう言っている。「…神が善であればあるほど、ますますわたしたちのなした悪事を善用したもう。ユダよりも悪いものは何であろうか。先生に帰依していたすべての人のなかで、また12弟子の中で、金袋が彼に委ねられ、貧しい人たちへの扶助が割当てられていた。このように大きな寵愛とこのように大きな名誉に感謝しないで、金を彼は受け取り、正義を失った。彼は死んでいたので命を裏切った。彼は弟子として従ったかたを敵とみなして迫害した。これがユダのなした悪事の全体であったが、主は彼の悪事を善用したもうた。主はわたしたちを贖うために、自分が裏切られるのに耐えられた。見よ、ユダの悪事は善に変えられた。」このように言った後、アウグスティヌスはユダからサタンの悪に視点を移して、同じ事柄についての話を続ける。「サタンがどれほど多くの殉教者たちを迫害したか。もしサタンが迫害するのをやめていたら、わたしたちは今日聖ラウレンティウスのかくも栄誉ある王冠を祝うことができないであろう。したがって、もし神が悪魔そのものの悪しきわざを善用しないとしたら、悪人が悪用してなすものは自分自身を害しても、神の善性を反駁することにはならない。神は制作者として悪魔をも用いたもう。また神は偉大な制作者として悪魔を用いることを知らなかったとしたら、悪魔の存在を許したまわなかったであろう。」(『アウグスティヌス著作集24 ヨハネによる福音書講解説教(2)』第27説教 10 413年 p67~68:教文館)
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(※③)
神は、このような意味においては、つまり善の最大化のために悪が必要となるという英知の観点からは、悪を欲される。もちろん、神が悪を、それ自体として欲しておられるのではないことは言うまでもない。このことについては、ルターもこう言っている。「神が悪または罪を欲しておられるということは真である。…神はほかの仕方で悪を欲する。すなわち、悪は神のそとにあり、人にせよ悪魔にせよ、ほかのものが悪を行なうのである。…このように神はなにかほかのあることのために罪をお望みになる。すなわち、ご自身の栄光のため、選ばれた者のためである。以下で、神がパロを立てて、頑なにしたのは、彼においてご自身の力を示すためであったと、パウロが言うとき、このことは明白になるであろう。また同じく、「私は、私が欲する者をあわれむ」ともある。このように、ユダヤ人の咎によって救いが異邦人のものとなる。神はそのあわれみを異邦人により明らかに示すために、ユダヤ人をして墜落せしめたのである。神がお許しになるのであければ、どのようにして彼らは悪であり、悪を行なうことなどできようか。神は、お望みになるのでなければ、どうしてお許しになるだろうか。神は欲しないでこれをなさるのではなく、欲してこれをお許しになる。神はこれを欲して、反対の善がいよいよ輝くようになさる。…」(『ルター著作集 第二集 第8巻(ローマ書講義・上)』スコリエ 第1章(付論) p247~248 聖文舎)次の文章も、同様のことが言われている。「聖徒たちにはすべてのことがよいことへと働くのだから、いわんやましてキリストと神には悪でさえもよいことへと働くのである。事実、神が働いておられれば、悪は溢れるばかりに善に貢献する。他者の善にばかりでなく、悪に関わる人自身の善にも貢献する。」(『ルター著作集 第二集 第9巻(ローマ書講義・下)』スコリエ 第11章(11) p240 LITHON)
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 かし、これから今のような世界がずっと続くというのは異端の理解ではないのか。このように思う人に、私は問いたい。再臨の日に、旧約聖書の預言は、すべて成就されたのではないのか。確かにキリストは、『これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。』(ルカ21章22節)と言われた。ここで言われている『報復の日』がユダヤ戦争の時期に訪れたのは、この御言葉が書かれているルカ21章やその並行箇所であるマタイ24章の文脈を考えれば明らかである。主は『エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら』(ルカ21章20節)、その日が訪れると言われた。エルサレムが軍隊に囲まれるというのは、ローマ軍がエルサレムを包囲したあのユダヤ戦争の時期のことでなくて何であろうか。もし、その日に旧約聖書の預言がみな成就したのであれば、当然ながら、その日には『見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。』(イザヤ65章17節)また『わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、』(同66章22節)という預言も成就したことにならないであろうか。もちろん、聖書を信じる者であれば、そのことは認めざるを得ないはずである。もしそうでなかったとすれば、主がルカ21:22で言われたことは、偽りだったということになってしまうからである。そうであれば、聖書はこの日に新しく造られた天と地が、いつまでもずっと続くと教えていることになる。聖書からこのように合理的に説明する私が、異端などと言われるのは、いかがなものであるかと感じられる。しかし、このように正しいがその当時にあっては受け容れ難い説を唱える者は、異端視されるのが世の常である。例えばキリストがそうであった。主は、真理ではあるが衝撃的なことを多く教えられたので、それを受け入れられない当時の人たちは大いに反発したものである。中には主が悪霊に憑かれているなどと口にした者もいたほどである。パウロもユダヤ人には受け容れ難いことを教えたので、『この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています。』(使徒行伝18章13節)などと言われて訴えられたものである。ウィクリフも、ただ聖書にだけ従うべきだと正しいことを主張したが、当時のローマ・カトリックの反発を買って殺されてしまった。まともなことを言ったら、異常者扱いをされてしまったのである。16世紀頃の地動説論者たちも、気の狂った異端者だと見做された。コペルニクスは当時の人々に反発されるのを恐れて、「天球回転論」という地動説に関する歴史的な作品の出版を差し控えたものである。ケプラーも、正しいことを考えたり言ったりしたために、非常な孤独感を味わわされた。ガリレオが宗教裁判において自説を撤回させられたことは、誰でも知っているはずである。ルターとカルヴァンでさえ―宇宙の真実について神の言葉から正しいことを教えるように望まれていたこの2人の教師たちでさえ―、地動説論者たちを異常視して辛辣に批判したほどである。冷遇されてばかりいたコペルニクス自身が言っているように、当時の著作家たちは、天動説と「反対のことを思うことが考ええないこと、あるいは笑うべきこととさえ見なしているいるほど」(『コペルニクス天文学集成 完訳 天球回転論』第1巻 第5章 p30:みすず書房)であった。しかし、地動説論者であった彼らはみな悪く言われたにもかかわらず、実は真実なことを教えていたのである。このように、真実なことを主張する者が異端者であると見做されるのは、今までの歴史を考えれば何も不思議なことではない。むしろ、真理に疎い傾向を持つ人間の性質を考えれば、真実な考えが登場した際に、それを拒絶してしまうのはかえって自然なことであるとさえ言えよう。もし教会の常識的な見解に反しているというだけの理由で、私を異端視するというのであれば、その人はルターを異端視したカトリック教徒と同じことをしている。ルターは、ただ教皇の教えに服従しないからというだけの理由で、カトリックから異端者だと宣言されたのである(※)。何故なら、教皇に従わないのはカトリックにおいて破門に値する重罪だったからである。教皇に服従しないのは、カトリックの常識に反することであった。つまり、カトリックは聖書を聖書とするのではなく、教皇の教えをこそ聖書としていたと言える。それと同じように、常識に適合しないからというだけの理由で私を非難する人は、聖書ではなく常識をこそ聖書としている。その人の聖書である常識に適合しないからこそ、その常識にそぐわないことを教える私を異端視するわけである。このような人は聖書に立てていないから、聖書に立つことを求める私と議論する相手としては相応しくない。そもそも議論の前提となる土台が異なっているからである。常識を土台とする人と、聖書を土台とする人。この2者がまともな議論を行なえないことは明白である。つまり、前提がお互いに違うので、話がかみ合わない。それゆえ、このような人は聖書を考究するという点においては、「お話しにならない。」と言わねばならない。もし教会の常識的な見解に適合していないからというので私のことを異端だなどと言うのであれば、その人は何とでも叫んでおればよい。私の言ったことが間違っていなかったということは、これから歴史が証明してくれることであろう。

(※)
ルターは教皇の教えに反する説教をしたので、正しい説教をしたにもかかわらず、異端者だと認定されてしまった。次のようにルター自身が言っている通りである。「この説教が罪と死からの贖いをもたらすのに、それにもかかわらず異端者呼ばわりされて、人々がこのような助け主を今なお迫害していることを聞くのは、恐るべきことである。今やわれわれは毎日この説教を訴えているのに、ことがこんな具合に進んでいることをなお見ているのである。私が語っていることは、乳飲み子の乳しゃぶりではない。キリストご自身が語っておられることをあなたがたは聞いているのである。それなのに、異端者呼ばわりされることになる。」(『ルター著作集 第二集7 ヨハネ福音書第3章・第4章説教』第33説教 第3章(19)p170 LITHON)
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 さて、キリストや使徒が言ったように、紀元1世紀の人々が生き残っている間に主の再臨が起きたと信じるならば、そのように信じる人はある2つの未来観のうち、どちらか一方の未来観を持つことになる。その一方は誤謬であり、もう一方は真実な理解であって、どちらも真実であるとか誤謬であるということはない。その人は、もし考えを留保させるのでなければ、この2つのうち、必ず、どちらか一方の未来観を持たざるを得ない。第3の未来観は恐らく存在しないと思われる。たとい何とかして第3の見解を考え出したとしても、それは真実な理解に基づく未来観ではないはずである。その2つの未来観とはどういったものか。まず一つ目は、従来の未来観をほとんど変えないことである。このような人たちには、自分が前から持っている未来観を捨てたくないという固執の欲望と、教会の一般的な未来観に背きたくないという弱さに基づく恐れがある。そのため、彼らはこれからキリストが再臨されるという教会の常識的な未来観に反する未来観を持たないように、2度目の再臨があるなどと主張している。また彼らは2度目の再臨があると共に、2度目の終末もあると考えている。何故なら、もし再臨が2度あるのであれば、その再臨の前には悲惨な終末も訪れるだろうからである。それゆえ、彼らはこれからサタンが解放された後で2回目の再臨が起こるなどと信じ、そのように主張している。このような未来観は、今までに教会が持ってきた常識的な未来観と、ほとんど変わることがない。どちらも、これからキリストが再臨されると信じている点では何も異なっていない。それゆえ、彼らは、その偽造の罪のために、多くの教会からの反発を免れていることができている。それは彼らが常識的な未来観に抵触することを言っていないからである。昔から不敬虔に振る舞えば世俗の非難を避けられるというのが世の常であったが、彼らもそのようにしていると言えよう。2度目の再臨があるなどという自分勝手で非聖書的と言うべき見解を発明したからこそ、多くの教会からそれほど非難されずに済むわけである。しかし、このような未来観は誤謬である。次は2つ目だが、それは教会の一般的な未来観を気にしたり恐れたりしないことによる未来観である。この人たちは、自分が前から持っていた未来観に固執したり、教会の常識的な未来観から外れることを恐れたりせず、ただ聖書が何と言っているかということにこそこだわる。そのため、頑固さや弱さに基づく恐れのゆえに、2度目の再臨があるなどとは考えない。だから、この人たちは必然的に、これから世界が永遠に今のような状態のままで継続されると考え、信じ、そのように主張する。何故なら、2度目の再臨がないのであれば、そのように理解する他はないからである。この人たちの未来観は、これから今の世界がずっと続くという未来観であるから、当然ながら従来の一般的な未来観とはかなり異なっている。それゆえ、このような人たちは、多くの教会から非難を受けてしまうことになる。何故なら、今までに教会が信じてきたこととは別のことを言っているからである。しかし、こちらのほうの未来観こそ、真実な理解に基づく正しい未来観である。このように、再臨が既に紀元1世紀において起きたと理解するのであれば、これから再び再臨が起こるのかどうかという見解の違いにより、2つの未来観に分かれることになる。もし2度目の再臨が起こるという見解を取れば従来の未来観が保たれ、もし再臨は1度きりの事象であるという見解を取れば今までとは異なる未来観を奉じるに至る。この2つの未来観のうち、どちらが正しいかは火を見るよりも明らかである。すなわち、正しいのは今までとは全く異なる未来観のほうである。というのも聖書を読むならば、第1部でも既に述べられたように、再臨は1度だけしかないとしか解せないからである。一体どのようにすれば、再臨が2度起こるなどという考えを生み出せるのか。今では再臨が2度起こるなどと考えている者たちも、以前であれば、再臨が2度起こるなどとは塵ほども考えなかったはずである。そのようなことを言う者がいれば、彼らは、その人を無視したり批判したり大いに軽蔑していたりしたことであろう。というのも再臨が2度起こるなどとは、どうあっても聖書から読み込めないからである。彼らは、頑固と恐れのために、勝手に2度目の再臨を発明し、従来の未来観に留まり続けようとしている。これは安全と平安のために真理を犠牲にすることである。しかし正しく認識するのであれば、再臨は1度限りの現象であるとしか理解しないはずである。再臨が1度限りしかないとすれば、必然的に、今の世界がこれから永遠に続くと考えざるを得なくさせられる。よって、再臨が既に起きたと信じる者たちにおいては、従来の未来観を保つのは誤りであり、従来の未来観とは異なる未来観を持つのが正解だということになる。

 それでは、教会の歴史にける繁栄と衰退については、どういうことが言えるのであろうか。これから教会はその勢力と力とを増し加えていくのであろうか、それとも徐々に衰えていくのであろうか。まず、多くの教会がそうなると信じているように、これから教会が、悪魔の勢力に屈服させられて、見るも無残な状態に陥るということはない。何故かと言えば、そのようなことが預言されているマタイ24章や黙示録は、既に成就しているからである。もしこれらの文書がまだ成就していないことを預言していたとすれば、確かに、これから邪悪な存在が出てきて教会を徹底的に打ち負かすことになっていたであろう。よく言われる「反キリスト」のことである。しかし既に十分なだけ説明されたように、これらの文書に書かれている預言は既に成就したのだから、そのようなことがこれから起こるとは考えられない。よって、マタイ24章や黙示録に基づいて恐るべき未来がこれから訪れると信じている兄弟は、自分の考えを捨て去らなければいけない。まだ思想的に堅固あるいは頑固になる50代後半になっていない人であれば、自分が昔から持っている考えを捨て去るのは、それほど難しいことではないはずである。聡明なリークワンユーも、50になるまではまだ変われるチャンスがあると述べている。特に10代、20代の若い方がたは今のうちに目を覚ますべきである。さて、これから教会がどうなっていくのかと言えば、それはこのようである。すなわち、神は教会勢力を長らく悲惨で不幸な状態の中に留めさせておかれ、『時期』(伝道者の書3章1節)が来ると大きな恵みを注がれて大々的な回復が実現させられる、ということである。神は、教会の歴史に、このようにして繰り返し繰り返し永遠に至るまでも働きかけられる。このような教会における素晴らしい回復の出来事は、既にもう2回ほど起こっている。1回目は、ローマに縛られ苦しめられていたキリスト教徒たちが、コンスタンティヌス帝の登場により、一挙に幸いな状態を享受することになった出来事である。この皇帝が登場するまで、聖徒たちは約300年の間、迫害と困難に長らく苦しんできた。しかし回復の時が来たので、神がコンスタンティヌス帝を起こされ、この皇帝により聖徒たちの状態を天地が逆さになるぐらいに変わるようにして下さった。これは、長い苦しみから神により解放されることであった。当時の聖徒たちは、この良き変転をどれだけ喜んだことであろうか。2回目は、堕落していた教会が、ルターの登場により根本的に刷新されることになった出来事である。アウグスティヌスが没してからルターが出るまで教会は1000年間も堕落した状態に留まっていた。それゆえ、この期間にはクレルヴォーのベルナルドゥスぐらいしか恵まれた指導者が現われなかった。トマス・アクィナスなどの有名なスコラ学者も出るには出たが、彼らは学はあっても愚かにもアリストテレス哲学をキリスト教に混入させたのだから、彼らの存在は教会が堕落していたことを示すものとして見做されるべきであろう。今でも彼らはよく揶揄されるものである。しかし、暗黒の時代が終わる時が遂に訪れたので、神が無名の修道士に過ぎなかったルターを起こされ、教会が新しいステージに移行するようにして下さった。その移行先のステージとしての教派が、我々のプロテスタントなのである。これもコンスタンティヌス帝の場合と同じ大変転であって、霊的な腐敗からの大いなる解放であった。神がこのようにして下さらなければ、我々は今でもサタンのシナゴーグの中で種々様々な汚物にまみれていたことであろう。バルトはどうか、と言われる方がいるかもしれない。バルトの登場は、このような回復の働きに含めることができない。というのは、バルトの登場は、コンスタンティヌスやルターの場合とは、かなり内容的に異なっているからである。バルトは確かに教会に大きな影響を与えたが、教会を堕落や腐敗から引き上げたというのではなく、むしろ更に悲惨な状態にさせた人物だからである。彼の神学はつまり万人救済主義の異端なのだから、どうしてこのような者を、神の歴史的な働きに用いられた者として見做すことができようか。バルトの愛好者には残念かもしれないが、彼はコンスタンティヌスやルターのような恵みを受けて用いられた人物だとは言い難い。では、改革派で高く評価されることの多いコーネリウス・ヴァン・ティルはどうであろうか。彼のことをキリスト教で最大の神学者だと呼ぶ人もいる。しかし残念ながら彼も、そうではない。何故なら、神は教会の歴史に働きかけられる際、その勢力の全体を回復の恵みに浸らせられるからである。コンスタンティヌスとルターが正にそのようであった。しかしヴァン・ティルという神学者は、その神学は注目すべきではあるもののプロテスタント全体を刷新させたとは言い難い。事実、彼のことをあまり知らない教師も少なからずいることから分かるが、彼の影響は部分的に留まっていると言わねばならないのである。このような教会のダイナミックな回復は、まだ2回しか起こされていない。しかし、これからも神はこのようなことを教会に実現させて下さるはずである。次に来る3回目は、プロテスタントもカトリックも東方正教会も、全ての教派が全体的に大きな衝撃また影響を受けることになる回復となるであろう。その3回目の時にも、やはりコンスタンティヌスやルターのような言わばシンボルまたアイコン的な存在が目に見える形で現われるだろうから、多くのキリスト教徒がその人物に注目し、何か尋常ではないことが起きていることに気付くはずである。神は、教会の歴史に対し、このようにして永遠に至るまでも働き続けられる。それゆえ、教会にはこれからも、長らく悲惨を味わった後で急変的な回復の恵みにあずかるということが繰り返される。何故なら、これこそが神の取られるやり方だからである。長らく非常に苦しんでいる状態にある教会を、ご自身の恵みを与える仲介者となる者を通して大いに癒されたり改善させられたりする。こうすることこそ、もっとも神の栄光が現わされることに繋がるゆえに、神はこのような手法を取られるのである。神がこのようなやり方を好まれるというのは、旧約聖書の士師記を見ても分かる。この書物では、イスラエル人が長い間苦しんだ末に助けを呼び求めると神による救助者が与えられて苦しみから解放されることになった、という話が繰り返し繰り返し記されている。神がモーセというご自身の使いを通して430年の間苦しめられていたイスラエルを遂に解放させられたというのも、同様のことである。このような長い苦しみからの聖なる解放劇が、これからの教会の歴史において起こされる出来事であって、それは永遠に繰り返されるのである。神は、そのようにして教会の歴史の中で、ご自身の栄光をとこしえまでも現わされ続けるのである。また、このような手法は、教会以外の領域、すなわちこの世の領域においても神が取られる手法である。そのもっとも良い例は、コペルニクスにより全世界の宇宙観が完全に変えられたことである。コペルニクスが現われるまで、この世界は数千年もの間、天動説という誤謬から抜け出せずにいた。そもそも、それが誤謬であることすら見抜けなかった。何かがおかしいと天文学者たちは感じていたのではあるが、それでも天動説が誤謬であるという認識には至らなかった。しかし、神がコペルニクスを登場させたことにより、人類はこの誤謬から遂に解放されて、地動説という真実な理論を享受できるようになった。これは霊的であるか自然科学的であるかという点を除けば、コンスタンティヌスやルターの場合と、本質的に言って何も変わらないことであったと言える。どちらも、神の起こされた救助者により、世界が大幅に変えられることになった。それゆえ、この世の領域においても、教会の歴史と同じように、神はある一人の者を通して悲惨な状態を改善させられる恵みを与えられることを好まれるということが分かるであろう。それでは、教会は歴史において拡大していくのではないということであろうか。キリストは、御国が拡がったり大きくなったりすると言われたのではなかったか。確かに主は、マタイ13:31~33の箇所で、御国についてそのように言われた。そこには次のように書いてある。『イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、3サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」』まず言っておかねばならないのは、これは紀元1世紀の時点で既に実現しているということである。それは、この箇所の文脈を見れば明らかである。ここでは、今から2千年前に過ぎ去った世の終わりの時期のことが言われている。すなわち、再臨が起こる終わりの日までに御国はこの地上で大きく発展するであろう、ということがここでは教えられている。実際、既に我々がパウロによる聖句から見たように、使徒の時代において御国は地上で豊かに拡がり満ちていた。主は、まだ実現していなかったことではあるが、ここでパウロが言ったのと同じことを言われたのである。すなわち、主はこれから未来に実現されることをあらかじめ言われ、パウロは主の言われたことが正に実現されていることを言った。しかしながら、この主の御言葉では御国の性質、すなわち原理的なことが言われているのだから、再臨以降の時代における教会にも当てはめて考えることができる。すなわち、天の御国の福音を宣教する地上の教会は、いつの時代であれ『からし種』や『パン種』のように巨大化する性質を原理的に持っているということである。それゆえ、教会は人数的な面において増え広がる傾向を持っている。それは、この2千年間の歴史を見ても分かるであろう。人数的に言えば、教会は今に至るまで増え広がる傾向を持っている。主の御言葉から察せられるように、神は、教会が大きな木や膨張したパンのような状態にあることをお望みである。それゆえ、そのような状態になるまでは、教会がこの世界において人数的に増し加えられることが許されている。しかし、そのような巨大な状態になると、それは既に神の満足される教会の状態なのであるから、それ以降、あまり人数的には増えなくなってしまうことになる。それは、ここ数十年の間、キリスト教の信徒数が20億人程度からほとんど変化していないことからも分かる。たとい人数が減って木やパンのような状態でなくなったとしても、やがて再び元の状態に戻ることになる。何故なら、教会とはこの世界において本来的に木やパンのような状態であるべき存在だからである。もちろん、もし教会が罪や不信仰や怠惰に陥るのであれば、短い期間であれ長い期間であれ、人数的にかなり衰えてしまうことになってしまうのは言うまでもない。そのようになるのは裁きが下されるためであるから、仕方がない。しかし、この場合も、もし罪や不信仰や怠惰が教会から取り除かれるのであれば、再び元の大きな状態へ戻れるようになる。このように教会は人数的には大きな存在に保たれるまで増えることになるが、しかし、その中身すなわち内実においては常に堕落する傾向を持っている。それは教会が罪人の集まりだからである。そのような内面の堕落を改善させるためにこそ、神は教会の歴史において、その悲惨な状態を良くする救助者が起こるようにされるのである。我々は、教会の歴史における数の変化と内実の改善という2つの事象を、しっかりと弁えつつ理解しなければならない。すなわち、教会はその数においては罪が見られない限り一定の状態にまで拡充される。しかし内実のほうは必ず腐敗してしまうので、ある一定の線にまで達すると神がその状況を改善させるべく介入される。よって、教会が数的に増加しているからというので今後も数的に増加し続けるだろうとか、内面における堕落の傾向が止まらないから今後も教会は堕落し続けて滅亡に至ってしまう、などと考えることはできない。増加の現象には限度があるし、堕落の現象にも「ここまで。」という線が存在している。多くの人は、人数における拡大の現象を見ては拡大が続くと信じ、堕落の傾向を見ては堕落が止むことはない、もう教会は駄目なのだ、と思いがちである。というわけで、教会がこれから歴史においてどのようになっていくのか、という事柄については以上で必要十分なだけ語られたことにしたい。また何かこの箇所で付け加えるべき内容が出てきたら、その都度、その内容が付け加えられることになるであろう。

 この新しい時代において、そこに生きる選ばれた聖徒たちは、最終的にどうなるのであろうか。キリストにつく彼らは、その地上における命の限度に達した時、天の御国へと引き上げられる。それは生きたままであり、『たちまち、一瞬のうちに』(Ⅰコリント15章52節)起こるであろう。つまり、古い身体から新しい身体に切り替わるその瞬間に、同時に天へと存在が移行させられる。この天への引き上げが、御使いたちの手によるものかどうかということについては、よく分からない。前にも書かれたが、携挙および火の池へ投下する仕事は御使いたちに委ねられているが、天へ引き上げることまでも彼らに委ねられていることは聖書から証明できない。聖書には、天への引き上げも御使いたちの仕事であるなどとは明白に書かれていないからである。しかし、この天への引き上げも御使いたちに委ねられている可能性は十分にある。いずれにせよ、我々が天に上げられた時、このことについての真実を明白に知るようになるはずである。要するに、新しい時代の聖徒は、古い時代の聖徒がそうだったように、この地上での人生を終える際に、魂と身体が分離されるという現象が起こらない。そのような現象は、あの「主の日」を境として終わったのである。今の聖徒がそのままの状態で天へ移行させられるということは、既に紀元1世紀の時代に生きていた聖徒たちが前例として存在しているから、我々はこのことを何か不思議がったりすべきではない。我々も、パウロと共に生きていた聖徒たちが生きたままで上へ引き上げられたように、やがて上へ引き上げられるようになるのである。新しい時代の聖徒は、この地上の人生を終えたその時、いつの間にか天に上げられていることに気付くことになる。そうして後、その聖徒は、天の御国でキリストと多くの聖徒たちと共に永遠に至福のうちに生きることになる。この天国については、既に第5章で多くのことが論じられた。それでは、滅びに定められた者らは、最終的にどのようになるのか。この者たちは、死んだその時、燃える火の池の中に投じられることになる。それは、生きたままの状態で起こり、瞬く間にそのようになる。つまり、死んだその瞬間に新しい滅びの身体を受け、その身体を受けると同時に火の池の中に投げ込まれてしまう。古い身体は、魂なき死体として、この地上の世界に置き去りにされることになる。これは言わば「抜け殻」のようなものである。既にその人の魂は新しい身体と共に、別の世界へと移されているのである。滅びに至る彼らにも、やはり聖徒の場合と同じように、もはや古い時代のような現象は起こらない。新しい時代の不信者たちも、死んだ際、かつてのように魂が身体から離れて完全に孤立するということはない。また魂だけがハデスに投じるということもない。もう既に、第一の死とハデスとは、第二の死と火の池に置き換えられてしまっているからである。また毒麦たちが空中から御使いたちの手により、火の池に投げ込まれたように、新しい時代に生きる不信者たちも死んだ際には御使いたちの手により火の池に投げ込まれてしまう。神の御前における腐敗物を処理するのは、御使いたちに任された仕事なのである。それは、あたかも大屋敷の主人が、ゴミ捨ての仕事を自分の使用人に行なわせるようなものである。このような破滅的終末を受けた者についても、既に明白な前例が存在している。それはネロと空中に上げられたが罰を受けることになった毒麦どもである。新しい時代の不信者たちは、このネロや毒麦たち、また今までに死んだ全ての不信者たちが苦しんでいる火の池に投げ込まれるのである。そこに生きたままの状態で投げ込まれた彼らは、そこで永遠に至るまでも苦しみと裁きとを受け続ける。この火の池についても、天国と同じように既に多くのことが語られたから、ここで再論する必要はないであろう。

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8章 聖徒の信仰生活について

 キリストの再臨により改められた新しい世界に生きる聖徒は、どのような人生を営めばよいのであろうか。再臨が既に起きたと信じる聖徒と、再臨がまだ起きていないと信じる聖徒では、その取るべき信仰生活においてどのような違いがあるのであろうか。これは、これまでに述べられたことに比べれば、それほど難しい問題ではない。何故なら、これは、今までに言われたことに基づいて考えれば自然に答えが出てくるような事柄だからである。よって、読者は、このことについて、容易に受け入れられるのではないかと思う。この第8章では、このような我々の人生に直接関わることについて論じられる。

 まず聖徒である者は、この新しい時代において、多くの聖徒がそうしているように再臨を待望するべきではない。何故なら、再臨は既に起こったからである。今まで2千年の間、ほとんど全ての聖徒が「再臨は近い。それゆえ我々は再臨を待ち望まなければならない。」などと考えたり、言ったりしてきた。しかし、そのように考えたり言ったりしたのは、―私はハッキリと言うが―、すべて意味のないことであった。何故なら、この2千年の間、アウグスティヌスであれルターであれ実に多くの聖徒が再臨を待望したが、再臨はまったく起こらなかったからである。これは当たり前である。既に再臨は起きたのだから、どれだけ再臨を待ち望んでも、再臨が起こることなどないのである。ここまで読み進められた方は、このように意味のないことを願うのが、聖書の理解不足に基づいていることをよく理解できるであろう。聖書をよく理解できていないからこそ、再臨についても、意味のないことを言ったり願ったりするわけである。だから、これから再臨が起こるなどと願っても、それは我々にとってはまったく無意味なことである。もう一度はっきりと言うが、今の聖徒たちは起こりもしないことを無意味に願い求めているのである。今の聖徒たちは、まだ再臨が起きていなかった紀元68年6月9日以前の時代に生きていた初代教会の聖徒にでもなったつもりでいるのか、と私は少し冷たいようではあるが思うのである。だが、再臨がこれから起きなかったとしても、悲しむ必要はない。何故なら、我々はこれから数年後、数十年後には、主に会うことができるからである。再臨を待ち望まないからといって、主に会うことができなくなるというわけではない。たとい再臨を待望しなくても、我々がやがて天に行って栄光のキリストを見ることができるということは、何も変わらない。再臨がなくても、やがてキリストに会えるのであるから、我々はそのことだけでもって十分に満足するべきであろう。再臨を待望しなければ何か致命的な問題が生じるというわけでもないのだから。また聖徒たちは、これから世が終わるなどとも考えるべきではない。既に世の終わりはキリストの再臨された日に訪れ、過ぎ去ったからである。既に2千年前に過ぎ去った終末を、まだ訪れていないかのように考えるのは、間違っている。我々がこれから終末が来るなどと考えても、そのような終末が来ることはない。実際、今まで2千年の間、実に多くの聖徒が終末が近いと考えたり言ったりしてきたが、そのような終末はまったく来なかったではないか。また実に多くの聖徒がこれまで「今」(※その聖徒が生きているその時代における「今」)こそ終末の時代だなどと考えたり言ったりしてきたが、世が終わることなどなかったではないか。もしこれから世の終わりが来るとか今こそ終わりの時であるなどと考えるならば、そのような人には、霊的な罰が与えられる。その罰とは、とんでもない誤解をすることで心を煩わせるという罰である。その良い例はルターである。ルターは自分の生きている16世紀こそが終末の時だと心から信じていたので、そのような誤った聖書理解に対する罰として、教皇こそが終末に現われる「反キリスト」であるなどと本当に信じてしまった。これはルターの著書を読めば誰でも分かることである。確かに彼は「反キリスト」ではあったが、しかし終末時に現われるあの666なる獣ではなかった。それは既に我々が見たように、ネロ帝のことであった。このような誤解のために、ルターの心から平安が多かれ少なかれ失われてしまったことは間違いない。ルターが終末を正しく理解し、教皇が終末時に出てくる凶悪な反キリストであるなどと誤解していなければ、どれだけ彼の心は平安を持つことができたであろうか。これはヒトラーやEUの首領などを終末時に出てくる邪悪な権力者だと信じてしまう聖徒も、同じことである。彼らは終末が既に過ぎ去ったことを知らないので、「ヒトラー(またEU大統領)こそあの預言されていた反キリストではないのか?そうだ!もう世界の終わりが近付いているのだ!これから世界は大変なことになるだろう!」などと慌てたり平安を失ったりしてしまうのである。中にはパニック状態になる聖徒もいるかもしれない。このようになるのは、世の終わりがまだ起きていないという誤った聖書理解を持っているからである。このようにして聖書の預言とは無関係の人物に動揺させられてしまうのは霊的な罰が下されることでなくて何であろうか。もし、このような誤解をして精神状態を悪くさせたくないというのであれば、その聖徒は世がこれから終わるなどという非聖書的なことを考えたり言ったりしてはならない。また聖徒たちは、無数の人間が携挙されて後に行なわれるあの大々的な審判のことも、待ち望むべきではない。これも再臨や世の終わりと同じように、紀元1世紀の時に実現している出来事だからである。もし再び再臨が起こるのであれば、この大々的な審判ももう1度起こることになるが、既に説明されたように、2度目の再臨が起こることはない。しかし、我々の個人的な復活については話が別である。我々がこれから個々的に復活するということは、再臨や世の終わりとは違って、信じるべきことであり、望むべきことである。我々も、紀元1世紀の聖徒たちが復活して天に引き上げられたように、これから復活して天に引き上げられるようになる。再臨や世の終わりがこれから起こるのを信じるのは誤りであるが、この復活のほうまでもう起こらないと考えると、大変なことになってしまう。もし我々がこれから復活しないのであれば、我々が信仰を持っている意味はなくなる。もしそうであれば、我々はこの世界でもっとも惨めな存在になることであろう。何故なら、キリストをただ信じているだけであって、その信仰は何の益も効果ももたらさないからである。それは、パウロが『もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。』(Ⅰコリント15章19節)と言っている通りである。この聖徒の復活については、既に本作品の中で十分なだけ説明がされているから、これ以上書く必要はないであろう。さて、このように再臨や世の終わりを待望したりしないのは、少し驚かれる人もいるかもしれないが、聖徒に対する恵みである。というのは、そのようなものを待望しないことで、無気力また怠惰になったり、不安になったりしなくて済むようになるからである。多くの聖徒を見れば分かるように、このようなものを待ち望むと、往々にして、どうしても精神が落ちつかなくなったり改進的な姿勢が持てなくなってしまうことに繋がる。キリストがもうすぐにも再臨されると心から信じていたら、論理的に考えて、何か素晴らしいことをしてもすぐに置き捨てなければいけなくなるということになるから、建設的な人生を送れなくなる傾向が生じてしまう。中には再臨を待望しても建設的な人生を送ろうとする人もいるが、しかし傾向としては、確かにこのように言える。明日にも再臨が起こるかもしれないなどと本当に考えている人が、どうして偉大なことを実現させるために長期的なプランを立てられようか。ウェルギリウスが「アエーネイス」に10年の歳月を費やしたように、アダム・スミスも「国富論」を10年かけて書いたように、エルサレム神殿が46年また20年かけて建設されたように、偉大な仕事は往々にして長期的な視点が必要となるものである。明日か、または数週間後か、そうでなければ数年後に再臨が起こって自分のしていた仕事が中止されてしまうと考えれば、仕事やライフワークに大きな悪影響が及ぼされるのは言うまでもないことである。それは、あたかも明日死ぬかもしれないと怯えて過ごしている人が、何も力を持って行なえないという悲惨な状態に自分を陥らせているのとよく似ている。それゆえ、この「再臨論」の中で論じられている再臨の教義を受け入れることは、我々にとって大きなメリットがあるということが分かるのではないかと思う。再臨を正しく信じるのであれば、誤解することがなくなり、未来観を正しく持てるようにもなり、建設的な人生が送れなくなるという害を受けずに済むようになる。これこそ我々が再臨を正しく信じることによって生じる大きな益の一つである。残念ながら、今までの教会は再臨を正しく信じてこなかった。それゆえ、誰一人として気付いていなかったかもしれないが、再臨を誤って理解することで、教会からはかなり力と勢いが失われていたはずである。もし教会がこの作品の中で言われているように再臨のことを理解していたとすれば、もっと教会はエネルギーに満ちていたはずである。何故なら、再臨を待望しないので、聖徒が「抑制の鎖」に縛られないで済んだからである。つまり、再臨を待望しないので、「もう再臨が近付いているから静かに生きていよう。」などと思って人生全体が押さえつけられずに済んだわけである。まだこれまでに書かれたことを受け入れていない兄弟は、ぜひ、素直になって再臨のことを正しく信じるようにすることをお勧めしたい。もし多くの聖徒が再臨を正しく信じるのであれば、教会全体に力と勢いが増し加えられることになるであろう。聖徒たちが再臨を正しく理解しているので、神が教会に対して霊的な祝福をお与えくださるからである。神は、聖書を正しく信じる者の近くにこそいて下さる。

 この新しい時代においては、預言が成就するようにと、ユダヤの民族的な大回心も求められるべきではない。キリストの再臨された日に、ユダヤの回復についての問題は、完全に解決されたからである。このことについては、もう既に十分なだけ論じられた。これ以上ここでこのことを論じるのは無意味な冗長であろう。

 福音伝道については、どうか。この福音伝道は、言うまでもなく、今の新しい世界においても為され続けなければいけない。確かに、パウロやルカが記したことからも分かるように、使徒の時代においてキリストの伝道命令は既に成就していた。これは信仰と理性を持っている聖徒であれば、誰も疑えないことである。しかし、福音が宣べ伝えられて信者が増えて行くようになるというのは、地上の聖徒に対する神の永遠の御心である。つまり、『すべての国民を弟子とせよ。』(マタイ28章18節)また『全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。』(マルコ16章15節)という主の命令は、既に成就されてはいるものの、そこには神の永遠の御心が示されているのだから、使徒の時代以降に生きる聖徒に対しても命じられていると我々は考えなければいけない。よって、我々は新しい世界が到来したからといって、福音伝道を止めたりすべきではない。今になっても、まだこの世界に神がキリスト教会を置かれ続けているというのは、誰の目にも明らかである。もしそうでなければ、この世界に教会などという存在は今頃、無かったかもしれない。またこの新しい世界においても、救いに定められてはいるが今はまだ失われたままの状態でいる人が多く存在しているということも、疑えない。そのような人が世界のどこかに存在しているからこそ、この世界では日々、多くの救われる人が起こされているのである。そうであれば、神によって存在させられている教会が、そのような選びの子どもたちを捜し求めて伝道をせずに呆けていてもよい、ということがどうしてあっていいであろうか。教会が失われている者の救いを求めて飽きることもなく伝道していかねばならないのは、言うまでもない。もし教会が伝道しなくてもいいというのであれば、教会はたちまち滅亡してしまうことになる。何故なら、伝道をしないので信者が増えず、既に教会にいる人たちは寿命や病気などにより減ってしまうだけとなるからである。そうなれば、数十年の間に教会が急激に縮小し、やがて誰も教会にはいなくなってしまうという事態に陥りかねない。このようなことがあって、どうしていいはずがあるであろうか。またもし伝道活動がされなくてもいいと言うというのであれば、それは我々自身の存在とも大いに関わるということを知らなければいけない。もし伝道活動がされなくてもいいということであったら、我々がクリスチャンになっていたかどうかは定かではない。何故なら、大昔から今に至るまで継続して伝道がなされてきたからこそ、我々にも福音が届けられることになり、その届けられた福音により我々が救われるようになったからである。であるから、クリスチャンであるにもかかわらず福音は宣教されなくてもよい、などと言うのはとんでもないことであるのが分かる。その人は、遠回しに福音宣教が行なわれたからこそ救われた自分自身の存在をも否定していることになる。もしその人の言うように福音宣教が行なわれなかったとすれば、その人は恐らくクリスチャンになっていなかっただろうからである。このように今の時代でも、昔と変わらず福音を伝えていかねばならないのだが、しかし再臨やこの世の終わりを求めて伝道するべきではない。今の時代に生きる多くの教会は、主が「福音が世界中に宣教されてから終わりの日が来る」とマタイ福音書の中で言われたからというので、早くその日を来させようとして伝道に邁進している。しかし、パウロが言っているように既に福音は世界中に宣教されている。そのようにして世界中に福音が宣教されたから終わりの日も訪れた。その終わりの日が訪れた時にはキリストの再臨も起きた。つまり聖書を正しく理解するのであれば、再臨や世の終わりなどを求めて福音伝道をするというのは、まったくの誤りであることが分かる。要するに、そのようなものを求めて伝道することができたのは紀元68年6月9日よりも前の時代に生きていた聖徒たちだけであって、それ以降の聖徒がそのような伝道の仕方をするのは、その聖徒が聖書を正しく理解していないことを意味している。我々は既に新しい世界が到来しているということを、よく理解しなければいけない。我々は、ただ人々の救いを求めて伝道していけば、それでよい。そこには再臨や世の終わりの思想が伴っている必要はない。いや、そのような思想を伴わせて伝道の活動が行なわれるべきではない。たとい再臨を早めようとして熱心に伝道したとしても、その熱心さが大いに用いられることはあっても、その人の願っている再臨が起こることはない。何故なら、再臨はもう既に起こっているからである。冷たいことを言うようではあるが、伝道の際に再臨が速やかに起こるようになるのを願い求めても、そのように願うのは意味のないことである。再臨の速やかな到来を願うことに心の力を費やすぐらいであれば、そのように願わないだけ、人々の回心を願うことに心の力を回したほうがよいであろう。

 神の戒めについては、どのように考えるべきであろうか。聖書の律法は、新しい世界においても、守られなければならない。これは言うまでもないことである。何故なら、神の命令を守るのは、地上に生きる聖徒たちに対する神の永遠の御心だからである。それは、『神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。』(伝道者の書12章13節)と書いてあることからも分かる。それでは、聖徒たちは、どのような種類の律法を守ればよいのであろうか。これについては、改革派やルター派の持つ理解と、何も変わらない。つまり、この「再臨論」の見解は、多くの教派と同じように律法の第三効用を否定することはない。要するに、十戒などの道徳的な律法は現代においても規範として遵守されなければいけない、ということである。私は、十戒に関する次のルターの言葉に、心から同意する。「こうして、われらは十戒を所有しているが、これは、われらの全生涯が神によろこばれるものとなるためには何をなすべきかという、神の教えの摘要であって、そこから善き行為と考えられるすべてのものが流れ出で、また、そこへかえっていくべき、正しき泉、また通路である。」(『信条集 前篇 新教セミナーブック4』大教理問答書 十戒の結論 p139 新教出版社)もし新しい世界に改まったからというので、聖なる戒めを守らなくてもよくなったなどと無律法主義者のようなことを言うのであれば、その者は天国において小さい者とされる。しかし、そのようなふざけたことを言わず、神の律法を守り、またそれを守るように教える者は、天国で大きな栄光と報いとを受ける。それはキリストがこう言われた通りである。『だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。』(マタイ5章19節)というわけで、今の時代でも道徳的な神の戒めを謹んで行なわなければいけないという点で、この「再臨論」の見解は、他の諸教派が持つ見解と何も変わらない。これは、既に多くの教師たちが何度も教えてきたことである。それゆえ、このことについては、ここでもうこれ以上説明する必要はないであろう。もし、このことについて詳しく学びたいという聖徒がいれば、カルヴァンの「キリスト教綱要」やルターの「大教理問答書」などを読めばよかろう。

 祈り、聖徒の交わり、讃美、十一献金、毎週礼拝に集うこと、聖書を読むこと、善の実行、こういった事柄については従来と何も変わらない。これは、いちいち書くまでもないことである。

 れでは聖餐式は、この新しい世界において、どのようにすべきであろうか。これは、少しばかりの思考を要する問題である。教会に定められている2つの聖礼典のうち、バプテスマのほうは、何も問題は生じない。というのは、新しい世界になっても、バプテスマを信者になった者に施せば、ただそれだけでよいからである。そこにおいて、神学的な障壁はまったく起こらない。しかし、聖餐式のほうは、少々厄介な神学的障壁が起きてしまう。それは一体どのようなものであろうか。それは、パウロが、聖餐式を行なうのはキリストが再臨される時までであるとコリント人に対して、述べていることである。パウロは、まだ再臨が起きていなかった紀元68年以前の時代に生きていた聖徒たちに対して、次のように書き送った。『ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。』(Ⅰコリント11章26節)確かに、ここでパウロは『主が来られるまで』すなわち再臨が起こるその時まで、主の死を告げ知らせるべく聖餐式を執行すべきなのだと言っている。既に我々が確認したように、主の再臨は既に起こった。それは、パウロが手紙を書き送ったこのコリント人たちが生きている間のことであった。つまり、彼らが生き残っている間に主が再び来られるからというので、パウロはこのように書いたのである。それではどうなのであろうか。キリストや使徒の言ったことから分かるように、再臨が既に起きたというのであれば、キリストが再臨されてから後の時代に生きる聖徒たちは、もう聖餐式を行なわなくてもよくなったのであろうか。そのように考えるのは、とんでもないことである。聖餐式は、キリストが再臨されたからといって、もう執行しなくてもよくなったというのではない。我々は、事の詳細をよく弁えなければいけない。聖徒たちが聖餐式を行なうべきであったのは、この地上に生きている間は、まだキリストが肉的には聖徒たちと共におられなかったからである。もちろん、霊においてキリストは聖徒たちと常に共にいて下さるのだが、肉においてはそうではない。聖徒が肉においてもキリストと共にいるようになるのは、言うまでもなく天の御国においてである。そのようにこの地上ではキリストがまだ肉において聖徒たちと共におられないので、この地上に生きる聖徒たちは聖餐のパンとぶどう酒という外的な徴を通して、キリストとの契約的な一体性を強め確認しなければいけない。つまり、地上の聖徒は今はまだキリストが肉においては共におられないので、パンとぶどう酒を通して、信仰によって、キリストの実際的な肉と血とにあずかるわけである。地上の聖徒たちの霊と信仰は弱い状態にあるので、このようにして物質的なものを通してキリストを受けなければいけないのである。これは、今まで多くの教師たちが十分過ぎるほど論じてきたことである。つまり、聖餐式という聖礼典は、キリストが肉的にはまだ共におられない聖徒たちのために定められている。聖徒たちが天に挙げられたのであれば、その聖徒たちは肉においてもキリストと共に過ごすことになるから、もはや聖餐式を通してキリストにあずかる必要もなくなる。今、この地上に生きる我々の状態はどうであろうか。キリストが肉的な意味において我々と共におられないのは、誰でも分かることである。そうであれば、再臨が起きて新しい世界になったとしても、聖徒たちは聖餐式を行なわなければいけないことになる。もしキリストがこの地上のどこかにおられるのであれば話は別だっただろうが、この地上に今キリストは肉的な意味において存在しておられないのである。つまり、キリストが『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。…この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。』(Ⅰコリント11章24~25節)と命じられたのは、地上の聖徒に対する神の永遠の御心だということになる。地上に生きる聖徒たちは、永遠に至るまでも、この聖餐式に関する主の御言葉を覚えて聖餐式を執行しなければいけない。この聖餐式に関するキリストの命令は、再臨以降の時代に生きる聖徒たちにも向けられているのである。再臨が既に起きたからといって、またパウロが「再臨が起きるまで我々は聖餐式を行なうのだ。」と言ったからといって、再臨以降の時代はもはや聖餐式を執行しなくてもよくなったというわけではない。我々は、このことによく注意する必要がある。もし再臨がもう起きたからというので、聖餐式を執行しなくてもよくなったなどと考えるのであれば、そのような教会はあまりにも悲惨である。その教会は、聖餐式という真の教会の印を持たないので、偽りの教会だと見做されても文句は言えない(※①)。「偽りの教会だから聖餐式を執行しないのだ。」などと批判されても、自業自得である。また、その教会にいる信徒たちは、聖餐式を行なわないのだから、霊と信仰が弱まったり堕落したりするという報いを受けてしまう。何故なら、神は聖餐式により、聖餐を受ける聖徒たちの信仰を強め、その霊の状態を健全にするという恵みを与えて下さるからである。またその教会は、聖餐式という教会の義務を蔑ろにしていることで、自分たちが霊的に堕落していることをみずから外部に対して示している。堕落しているからこそ、キリストの永遠の御心である聖餐式を行なおうとしないわけである(※②)。それは道徳的に堕落している家長である者が、自分の家族を養おうとしないのと、よく似ている。その家長は堕落しているからこそ、自分の家族を養おうとせずに放っておくのである。また、聖餐式を執行しない教会は、聖餐式を行なえというキリストの重要な命令にさえ従わないような教会なのだから、この聖餐式に関する命令以外の命令にも聞き従わないであろう。他の命令には聞き従うが、この聖餐式についての命令だけは例外的に従っていないだけ、ということは考えにくい。つまり、その教会は根本的にキリストに不忠実な精神を持っているからこそ、聖餐式に関する命令であれその他の命令であれ行なおうとしない、というわけである。というわけで、再臨が起きて新しい世界に改まったからといって聖餐式を執行しない教会は、わざわいである。そのような教会は多くの呪いを受けるであろう。いや、既に呪われているといってもいいかもしれない。つまり既に呪われているからこそ、その呪われていることの現われとして、聖餐式を執行することがないのである。

(※①)
宗教改革期に制作された有名な信条の中のいくつかでは、真の教会の印を「御言葉の宣教」および「聖礼典の執行」という2つに定めている(フランス信条、アウクスブルク信仰告白、Ⅱスイス信条)。つまり、この2つがしっかりと確認できれば、その教会は「真の教会」に他ならないということである。このような考えには私も同意する。確かに真の教会であれば、そこには、この2つのものがしっかり見られるだろうからである。中には、この2つに加えて「聖徒たちの訓導」を定める信条もある(第一スコットランド信条、ベルギー信条、Ⅰスイス信条)。
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(※②)
それでは聖餐式を行なわない日本の無教会派の者たちも堕落しているのか、と問う人がいるかもしれない。彼らが堕落しているのかどうかといえば、それには一考の余地があるが、しかし彼らは聖餐式を行なっていないのであるから、私は前々から彼らに対してあまり良い思いを抱いていない。というのも、キリストが聖餐式を執行せよと命じられたのだから、あらゆる聖徒たちは聖餐式を執行すべきだからである。それなのにキリストに従って聖餐式を執行しないとは、おかしな話ではないか。私が今何か愚かなことを言ったとは思えない。宗教改革者たちも、無教会派のことを知ったら、多かれ少なかれいぶかしげに感じていたことであろう。「キリストに従わない教会は、教会ではないからである。」とはルターの言葉である(『ルター著作集 第二集7 ヨハネ福音書第3章・第4章説教』第41説教 第3章(29)p261 LITHON)。
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 この新しい世界において、聖徒である救われた者たちは、何よりも天の御国に入れなくならないようにすることを求めなければいけない。これこそ、聖徒たちが何よりも第一に求めなければいけないことである。何故なら、キリストがこう言われたからである。『神の国…をまず第一に求めなさい。』(マタイ6章33節)『何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。』(ルカ12章31節)この至福の場所から排除されないようにすることを第一に求めるというのは、この地上に生きる聖徒に対する、神の永遠の御心である。もし我々が天の御国に引き上げられないとすれば、それは火の池に投げ落とされることを意味する。天の御国にも引き上げられず、火の池にも投げ入れられない、ということはない。天国でも火の池でもない第3の永遠の場所があるということもない。我々は、この火の池がどれだけ悲惨な場所であるかということを、既に確認した。この火の池に行くことは、考えられる限り究極の不幸である。そこで永遠に苦しむのは不幸の極致であるから、そのような場所に投げ込まれることがあってはならない。よって聖徒たちは何よりも、神の御国にやがて入れなくなるということがないようにすることを、第一に求めなければいけないことになる。キリストが再臨されて新しい世界が始まったからというので、もはや天国に入れるようにすることを求めなくてもよくなった、ということにはならない。そのように考えるのは、ふざけていると言わねばならない。このことについても、先に述べた律法と同じで、この「再臨論」の見解は、他の諸教会が持つ一般的な見解と何も変わらない。またこのことは、教会の説教でいくらでも論じられることであるし、これを読んでおられる聖徒たちも既に何度も聞いているのではないかと思う。それゆえ、このことについては、もうこれ以上の説明は必要ないであろう。

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9章 重大な懸念

 の章では、再臨を正しく理解しようとして考究する際に我々の心に生じるであろう重大な懸念を、取り扱うことにしたい。その懸念とは、次のようなものである。「確かに再臨を正しく理解することは大変重要ではあるが、しかしそのことの考究に心を費やすのであれば、そのことにかかりきりになってしまい、キリスト者にとってもっとも重要である救いのことが蔑ろにされてしまうのではないか。」まず言うまでもなく、本作品で考究されている再臨の問題は、あまりにも重要である。私の経験から明らかであるが、この問題は、神の聖徒たちの心を完全に捉えて離さなくさせる力を持っている。それは、この問題に心が捉われたために、他のことを考えられなくなってしまうほどである。実に多くの人たちが、この問題の虜になっている。心を大いに悩ませる聖徒も多いはずである。ある牧師は、この問題で悩み過ぎたため、短い間に多くの白髪が出てしまった。上手に理解したいのだが、どうしても上手に理解できないという、霊的また精神的なもどかしさ。人間の矮小な理性では測り知れない真理の高さ、深さ、その奥深さに接して、我々の心は驚いたり、動じたり、喜んだり、不安になったり、訳が分からなくなったりしてしまう。この問題に近付いておきながら、神学的な意味において、何の悩みも持たない人は一人もいないはずである。また、この問題がどこかの教派や教会に投げ込まれたら、高い確率で論争や分裂や動揺が起きてしまう。実際、これを書いている私の所属していた教派や教会がそうであった。キリストは家族の間に剣をもたらすべく来られたと言われたが(※)、これは救いに関することであった。この再臨の問題の場合、それは教派や教会に投げ込まれる剣であると言ってよい。剣が投げ込まれるので、そこには普通ではない状況が生まれるのである。それは、この問題が、我々にとって言葉では言い表わせないぐらいの重要性を持っているからである。この問題が投げ込まれたにもかかわらず、いつまで経っても今までと何も変わらない状態を保っている教派や教会があるとすれば、それは例えるならば3兆円の遺産をめぐる遺書の難しい解釈を子どもや親族たちが延々と放っておくようなものである。つまり、この問題とは、すなわち神学的な動乱をもたらす荒れ狂う剣なのである。この作品で考究されているのは、このような尋常ではない問題であるから、この問題に心を費やすことにより救いが隅に押しやられてしまうことになるのではないかと懸念する人がいたとしても不思議ではない。普通の牧師であれば、この問題を処理しきれず困り果て、「このような難しい問題に苦労しなくてもよいから、ただ主イエスの救いだけを正しく信じていれば、それでいいのではないか。そうすれば、やがて天国に入れるのだから。」と思われる方もいるであろう。一般信徒や求道者であれば、このような問題により様々な話し合いや動乱が起きているのを見て、つまずいてしまう方もいるかもしれない。そのような方の中には、キリストから離れはしないものの、何だかキリスト教や教会が嫌に思ってしまう人もいるかもしれない。

(※)
わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。』(マタイ10章34~36節)
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 この再臨の事象を正しく理解するのは、我々の救いにとって害になるのではなく、むしろ益となる。もし、かなりの程度まで理解できるというのであれば、確かにそうである。それは具体的にはどういうことであろうか。もし我々が再臨を正しく理解できるのであれば、我々は救い主が述べたことが正に真実だったということを、明白に知ることができる。「主が再臨について言われたことは正に真実であった。」などと心に思うことができる。そうすれば、我々はより救い主を信頼できるようになる。何故なら、主が確かなことを言われたということを、より豊かに知るようになるからである。ある人が正しいことを言っていると思えば思うほど、その人に対する信頼が強くなるのは言うまでもない。そのようにして我々が救い主をより信頼するようになれば、それだけ我々が持つ救い主とその救いに対する信仰は、固くされる。これは、間接的に我々の救いに対する信仰が堅固にされることである。また我々が再臨を正しく理解するのであれば、再臨について多くを語っている聖書に対する信頼も、ますます豊かなものとなる。それは先に述べたのと同じで、聖書が正しいことを語っているということを、より豊かに知れるからである。そうすれば、その聖書をお書きになられた神に対する信頼も、ますます深まる。何故なら、神が真実なことを言われたということが、我々の信仰において更に確かなものとなるからである。そのようにして神に対する信頼が深まれば、その神が御子を通して与えて下さった救いに対する信仰を、我々はますます豊かに持てるようになる。もし神に対する信頼が深まるのであれば、それと同時に、その神による救いに更に豊かに立てるようになるのは確かである。これは我々の持つ救いに対する信仰にとって、大きな益である。更に再臨を正しく理解すれば、我々に与えられた救いの知識が増し加わることにもなる。つまり、我々がこの地上での生命を終えた後にどのようになるのかということが、具体的に分かるようになる。それは、救いの知識に関する輪郭が更にクッキリすることである。そうなれば、救いに関して不明瞭な部分が、それだけ我々の信仰からは除かれることになる。そのようになれば、我々の救いに関する信仰は、更に堅固なものとなるであろう。これは我々の救いにもたらされる直接的な益である。どうであろうか。このように見ると、再臨を正しく弁えることは、我々の救いにとって大きなメリットとなることが分かるのではなかろうか。再臨を考究すると必然的に救いの領域が疎かにされるなどと感じる人は、どれだけ考究しても正しい理解に至れないからであると私は思う。そのような人は、どれだけ思考しても再臨の事象を正しく理解できないので、その結果、救いに対して何の益も得られないままの状態に留まる。これは当然である。何故なら、再臨をある程度の段階まで正しく理解して始めて、救いに直接的・間接的な益がもたらされることになるからである。そのようにして何も理解できないままでいると、せっかく多くの精神的労苦を払ったにもかかわらず何の益も生じないので、無駄骨を折らされたかのように感じてしまう。しかも、再臨のことを熱心に考究していたその時に、魂の救いについては、あまり多くのことを考えることができていなかった。それは、再臨の考究だけで、心が一杯になっていたからである。つまり、再臨のことで無駄骨を折ったのと同時に、大事な救いの領域のことも蔑ろにされたと感じる。そうすると、どれだけ労力を払っても再臨のことが分からず、また再臨の正しい理解が救いに関わるとも思えない、という状態がいつまでも続くことになる。このような状態になれば「再臨のことを考えても一体なんになるのであろうか。」などと思って、うんざりすることにもなる。このような経緯があるために、多くの人たちは「再臨の考究に心を費やすのであれば、それにかかりきりになって救いが蔑ろにされてしまう。しかも、どれだけ考えても結局は分からないままだ。このような難しいことは考えなくてもいいから、ただ救いに固く立っていればよいのだ。」などと考えたり言ったりするのではないかと、私には思われる。もちろん人によっても状況は違うだろうが、このような経緯により再臨の考究を敬遠することになった人は、必ずいるはずである。間違いなく言えるのは、このようなことを考えたり言ったりする者たちも、もしこの再臨のことを正しく理解できていたのであれば、このようなことは考えたり言ったりしていなかったということである。つまり、どれだけ考えても分からないからこそ、多くの者たちには「諦め感」が生じてしまい、このように考えたり言ったりすることになるのである。

 むしろ、再臨のことを正しく理解しないほうが、かえって我々の救いにとって害をもたらすと言える。それは一体どういうことであろうか。もし聖徒が、再臨のことを正しく弁えられないのであれば、それだけ救い主の言われた再臨に関する御言葉も分からなくなってしまう。「主は再臨が紀元1世紀の人たちの生きている間に起こると言われたが、これは一体どういうことなのだろうか。主は何を弟子に言いたかったのか。」などと思って、心の中には「?」マークが無数に生じることになる。これは、今に至るまで無数の聖徒たちに起きたことである。今まで教会は再臨を正しく理解してこなかったのだから、主の言われた再臨に関する御言葉を正しく理解することができていなかった。それゆえ、聖徒たちは再臨についての御言葉に「?」と感じる他はないのである。何か分かっているかのように再臨のことを堂々と論じていたとしても、心の中では、分からないことが多いと意識的にであれ無意識的にであれ感じていたはずである。そのようにして主の言われた御言葉がよく分からないと、それだけ救い主に対する信頼も強く持てないことに繋がる傾向が生じる。そのようにして救い主に強い信頼を持てないと、それだけ救い主の実現して下さった救いに対する信仰も堅固なものとならないことに結びついてしまう。これは救いに対する信仰に間接的な害がもたらされることである。また、これは聖書に対する信頼についても同じである。すなわち再臨のことを正しく理解していないので、聖書に対する信頼が揺らぎ、その結果、聖書の啓示している救いに対して堅固な信仰が持てなくなることになりかねない。中には、どれだけ聖書を読んでも再臨のことが分からないから、聖書を読むのが嫌になってしまったという人もいるかもしれない。また、再臨を正しく理解しないと、それだけ救いに関する輪郭が明白なものではなくなる。例えば再臨をよく理解していない人は、もう既に第一の復活が起きたことや、我々もこれから第一の復活に与かって生きたまま天に挙げられることになるということが、よく分からないままである。再臨を正しく理解していないのに、どうしてこのような救いにかかわることを、十全に把握できるであろうか。言うまでもなく、再臨を正しく理解してこそ、このようなことを始めて正しく把握できるようになるのである。そのように再臨をよく理解できておらず、またそのため救いについても不明瞭な点が残されたままでいると、やはりそれだけ救いに対する堅固な信仰を持てなくなることに繋がる傾向が生じる。救いの信仰を固く持てないのは、信仰者にとって良いことではない。よって再臨を正しく理解しないのは、我々の救いにとって直接的な害をもたらすということが分かる。どうであろうか。このように見ると、再臨のことを敬遠すればするほど、救いにとって直接的また間接的な害をもたらすということが分からないであろうか。確かに、どれだけ考究しても再臨を正しく理解できないというのであれば、再臨のことを延々と思考し続けてもあまり意味がないということは私も認める。その人が精神的な無駄骨を折ったと感じたとしても無理はない。せっかく多くの労力を払ったのに、何の収穫も無かったのだから。しかし、もし再臨を正しく理解できるというのであれば、再臨の正しい理解のために多くの労力を払うべきである。それは、再臨を正しく理解できるという益があるだけでなく、我々の救いにとっても大きな益をもたらす。今この時、読者の目の前には、再臨を正しく理解できるための文章が置かれている。それは本作品のことである。この作品を読んで考究し、よく理解すれば、読者は神の恵みによって再臨のことを正しく悟れるようになる。そのような作品がここにあるのだから、読者はこの機会を取り逃さず、聖書が再臨について何と言っているかということをよく考究していただきたい。そのようにして正しい理解を持てるようになれば、再臨のことを正しく理解していないために、救いの信仰を堅固なものにできなくなるという害からも免れるようになる。

 もし再臨の考究に時間を費やすと、それだけで心が一杯になって魂の救いが疎かにされると言うのであれば、日々忙しくしている信仰者はどうなるのであろうか。例えば、仕事で忙し過ぎて聖書すら読んでいる暇がないという聖徒は、どうなるのであろうか。彼は、仕事の多忙さにより救いのことに心を集中させる余裕がほとんどない。また世俗のことに関する何かを一生懸命研究している学者の聖徒は、どうなるのであろうか。彼も、自分の研究していることで心が一杯になるから、あくまでも傾向としてだが救いが隅に押しやられがちになる。また多くの子どもがいるために家事で働き回っている母親は、どうであろうか。彼女も、子どもや家のことで忙し過ぎるので、なかなか霊的な事柄を静かに思考する余裕がない。もし再臨の考究のために救いが蔑ろにされはしないかと言う人がいれば、このような人たちに対しても同じように言わねばならなくなる。「忙しく仕事ばかりしていると救いのことが疎かになりますよ。」などと。しかし、世の中に、このような忙しいクリスチャンはいくらでも存在している。彼らは、霊的なことを考究したくても、自分の仕事に縛られているために、なかなかそれができないでいる。しかし、この再臨のことは、たとえどれだけ考究したとしても仕事のように救いを隅に押しやるというものではなく、かえって救いに益がもたらされることになるものである。つまり、私がこの作品の中で論じているのは、仕事のようなものではないのだから、それにかかりきりになると救いが蔑ろにされてしまうなどと懸念されるべき性質を持ったものではない。これが救いに何の益ももたらさないものであれば話は別だったであろうが、これは救いに益をもたらすものなのである。それゆえ、この再臨のことについて、人はそれがあたかも救いのことを考えられなくさせる世の仕事でもあるかのように何かを言うべきではない。教会は多くの場合、仕事で忙しくしている人に対して「仕事は救いのためによくないから控え目にしたほうがよい。」などとは言わない。救いを考えさせる余裕を奪う仕事に対してでさえ、普通であれば、このようには言われないのである。であれば、尚更のこと、救いに益をもたらす結果を生じさせる再臨の考究に対しては、そのように言われるべきではない。このことについては、もうこれ以上言う必要はないであろう。聖徒たちにとって、救い以上に大事なものは他にないのだから。

 これは真実なことであるが、どれだけ多くの牧師が再臨の考究を敬遠したとしても、この再臨の真理は、絶対に求められ、神の恵みより得られるべきものである。真理を愛する人であれば、この意見に異を唱えることはしないはずである。ソロモンは箴言23:23の箇所で、『真理を買え。それを売ってはならない。』と書いている。再臨という聖書の教える聖なる事象は、言うまでもなく真理である。それゆえ、聖書に従う者たちは、真理である再臨をソロモンが言っているように買わなければいけない。つまり、我々は、再臨を正しく理解するために時間や労力という犠牲を払い、神から再臨の真理をいただくことができるようにと願い求めなければいけない。そのようにしない人は、真理を売っているのも同然である。何故なら、その人は真理を愚かにも売って遠くへ追いやったユダと同じように、真理を自分の手元に置いておこうとしないからである。真理を売る人も、真理を考究して求めない人も、真理を拒絶しているという点では何も変わらない。牧師の中で、面倒だからというので再臨を考究したくないと思う方が、誰かいるであろうか。霊的に衰えている傾向を持つ現今の教会において、このような思いを抱く牧師は、かなりいるのではないかと思う。もし、再臨の真理を考究するという手間を厭うのであれば、その牧師は、あまり神学には向いていない。もし考えるのすらまったく嫌だと言うのであれば、その牧師は、神学だけでなく教職者にも向いていない。確かに、このような難しい問題を考えるのは精神的に大変であるというのはあるかもしれない。しかし、まったく真理の考究を拒むという態度をキリストの教師である牧師が持つというのは、いただけない。それはキリストに召された教師のあるべき姿ではない。何故なら、キリストはご自身の教師たちが、多くの聖徒たちに真理を教えることを望んでおられるからである。であれば、どうして真理を考究しなくていいということがあろうか。面倒だからといって真理を考究しなければ、真理が分からないままなのだから、その結果、真理を聖徒たちに教えられなくなってしまう。それは主の御心にかなったことではない。よって、自分が召された牧師であるという自覚を持つ人は、真理の考究を厭うべきではない。言うまでもなく、真理を熱心に考究するというのが、キリストの教師に相応しい姿勢である。さて、牧師であれ一般信徒であれ、聖徒たちには再臨の真理が満ちるべきである。主も、そのことを望んでおられるのは言うまでもない。パウロも書いたように、『神は、すべての人が…真理を知るようになるのを望んでおられ』(Ⅰテモテ2章4節)る。だから、聖徒である者は、再臨の真理を得られるようにと神に求めるべきである。もし心から求めるというのであれば、神はそれを与えて下さるであろう。再臨の真理を捜すならば見つかるであろう。再臨の真理が隠されている部屋の扉を叩けば開かれるであろう。それはキリストが、次のように言われた通りである。『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。』(マタイ7章7~8節)再臨の真理を得られないのは、その人が求めず、捜さず、叩かないからである。何も得ようとしないのに、どうして受け、見つかり、開かれるであろうか。神は得ようと切に願う者にこそ、恵みにより、再臨の真理を得させて下さる。

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10章 真理のありか

 再臨を正しく悟りたいというのであれば、何よりも聖書を読まなければいけない。カルヴァンが「私は言う、御言葉にこそ赴かねばならない」(『キリスト教綱要 改訳版 第1篇・第2篇』第1篇 第6章3 p76:新教出版社)と言ったのは、再臨の真理を求める場合でも当然ながら同様のことが言える。何故なら、この聖書にこそ、再臨のことが啓示されているからである。このカルヴァンが他の箇所で言ったように「およそキリスト教に関わることの一切は聖書に記され聖書に含まれる」(『キリスト教綱要 改訳版 第4篇』第4篇 第19章 第9節 p501:新教出版社)のだ。確かな所、神は、聖書以外の書物において、再臨のことを啓示してはおられない。であるから、もし聖書に再臨の事柄を求めないというのであれば、どこに求めるというのか。聖書以外の書物に再臨の事柄を求める人は、「無」に向かって何かを求めているようなものである。カルヴァンは「キリストは聖書によって以外には、ただしく知られ得ない」、それゆえ「キリストを知りたいと思うなら、聖書のうちにその知識を求めなければならない」と言ったが(『新約聖書註解Ⅲ ヨハネ福音書 上』5:39 p181:新教出版社)、これは再臨の事柄でも同様のことが言える。つまり、我々は再臨を理解することにおいて「神の御口から出るものによってのみ養われていくこと」(カルヴァン『アモス書講義』第2章 p51:新教出版社)が求められている。そのようにして我々が聖書にこそ再臨を求めるのであれば、我々は霊的な祝福を神からいただくことができる。神が、その人を喜ばれるからである。しかも、聖書に求めれば求めるほど、祝福の度合いは増し加えられる。神が、その人を豊かに喜ばれるからである。神が聖書にこそ解を求める人に祝福を注がれるというのは、疑えない。ルターもそのようにしたからこそ、神の祝福をいただき、教皇の腐った糞便から解放されるようになった。そのようにして祝福をいただけたのであれば、我々は再臨のことをよく理解できるようになるであろう。神の祝福が、我々に再臨のことを正しく理解できるようにして下さるからである。それゆえ、再臨を誤りなく悟りたいと願う人は、聖書にこそ再臨のことを求めなければいけないということを、よく心に留めなければいけない。再臨における真理のありかは、聖書にこそあるのである。

 しかしながら、特に教職者がそうなのであるが、聖徒の中で、真理をより良く理解しようとして、聖書以外の本を読もうとする人は数多い。私はこのことについては、ルターとまったく同じ考えを持っている。すなわち、聖書こそを何よりも聖徒は読まねばならないのであるが、聖書を理解するための助けとしては聖書以外の書物を読むことも益になる、しかしながら聖書以外の書物を読み過ぎて聖書を読まないようでは本末転倒となる、という考えである。ルターも教父たちの本やキケロまたアリストテレスなどといった古代人の本をよく読んでいた。確かに、通常の場合であれば、聖書以外の書物を読むことは益になるし、否定されるべきでもない。例えばアウグスティヌスやカルヴァンの書物を読めば、聖書の理解が増進されることになる。しかしながら、この再臨のことについては、驚く方も多いかもしれないが、話がまったく違う。この再臨の場合、救済論や三位一体論などと違って、聖書以外の書物を読んでも、ほとんど意味がない。これは私の経験から言えることである。というのは、ここまで書かれた内容を読んだ方であれば分かると思うが、今まで教会と聖徒たちはこの再臨について完全に誤った理解を持っていたからである。そのような人たちが書いた書物の中には、再臨に関する誤謬が満ち満ちている。再臨についてだけ言えば、そこには誤謬しかないと言ってよい。アウグスティヌスもルターも、その他の教師たちも、そうである。彼らは徹底的に再臨の領域において誤っており、ほとんど盲人であると言ってよく、誰一人として再臨を正しく理解している人はいなかった。それゆえ、聖書以外の書物を読んで再臨を正しく理解しようとしても、正しく理解できるどころか、更に誤謬の穴に沈み込んでしまうばかりとなる。しかし、まったく読むべき書物が存在しないというわけでもない。再臨を理解するために読むべき書物も、数は少ないが、いくらか存在している。再臨を理解するために読むべき聖書以外の書物は、2つに分けられる。まず一つ目は、この作品のような、再臨を徹底的に聖書から考察した作品である。このようなものは、再臨を正しく理解するためには大きな益となる。しかし、残念なことではあるが、このような作品は今まで世の中にまったく見られなかった。二つ目は、間接的に再臨の理解に役立つ作品である。例えば、ヨセフスの『ユダヤ戦記』やタキトゥスの『同時代史』などが、そうである。このような作品は、再臨のことを直接的に取り扱っているのではないが、キリストや使徒の時代における歴史的な知識が得られるので、間接的に再臨を正しく理解できることへと結びつく。新約聖書が書かれた紀元1世紀当時の時代背景を知っていればいるほど、それだけ再臨の事柄が理解しやすくなるのは確かなことである。このような読むべき聖書以外の書物を、数はあまり多くないが、本作品の末尾に掲載しておいた。読みたい人は読むがよかろう。もし読むならば、再臨の理解のために、多かれ少なかれ益となるはずである。

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第2部 再臨と再臨の前後に起きた諸々の出来事の詳細およびその順序 [了]

第3部 黙示録註解

第1章 黙示録を理解する必要性

 再臨を十全に把握したいのであれば、黙示録を徹底的に理解する必要がある。何故なら、黙示録は、再臨と大いに関わりがある文書だからである。黙示録は、再臨に至るまでの歴史的な経緯がどのようなものであったかということを、記している。それだから、黙示録を十分に読み解けないと、再臨がどのような出来事を経て起きたかということが曖昧なままとなる。黙示録を理解していない人の再臨理解は、どうしても不十分なものとならざるを得ない。

 この第3部では、黙示録の註解が記される。それは、聖徒たちが、より豊かに再臨を理解できるようになるためである。この黙示録を読み解けるようになれば、それに伴い、再臨もより深く悟れるようになるのは確かである。私は、この黙示録註解を、別冊にしたり、または本作品とは独立した作品にすることも考えたが、この作品の中に組み入れることにした。どうしてこうしたかと言えば、それはまず利便性のためである。再臨を取り扱う本作品の中で、黙示録の註解を行なえば、それだけ読み易くなるのは間違いない。何故なら、黙示録の註解がセット品として組み込まれているからである。繋がっていれば読み易くなるのは、誰でも分かることである。またこの註解を第3部にあてれば、本作品において、再臨を多角面から見れるようになるという幸いな作用が生じる。すなわち、第1部では再臨を「真実性」という観点から眺め、第2部では「詳細および順序」という観点から眺め、そしてこの第3部では「黙示録」を通して再臨を眺められるようになる。このように3つの違った方面から再臨を見るのであれば、それだけ再臨の事柄が理解しやすくなると思われる。主イエスの生涯を記した福音書においても、そのような手法が取られている。すなわち、マタイから見たイエス像、マルコから見たイエス像、ルカから見たイエス像、ヨハネから見たイエス像、というように、全福音書では4人の視点から主イエスの事柄が認識できるようにされている。そのように多角面からキリストを見ることで、より我々はキリストのことが立体的に分かるようになるのである。本作品でも、そのように異なった視点から再臨を見ることで、より再臨を立体的に理解・把握できるようになることを求めた。つまり、そのようにして違った方面から再臨を理解しようとすれば、相乗効果があると私には思われたのである。もし黙示録の註解を第3部に組み入れないで独立した作品にすれば、それだけ読みにくくなってしまう。何故なら、その註解が本作品とはセットになっていないため、心がすんなりとそちらの註解のほうに向かうかどうかは定かでないからである。また、第3部に組み入れなければ、本作品において多角面から再臨を見るという作用も生じなくなる。そうすると、私の求める相乗効果も、やはり生じなくなるはずである。このような難しい問題においては、相乗効果や積み重ね、繰り返しといった要素が大変重要である。事柄が複雑で難しいために、そのような要素がなければ、なかなか十全に理解できないことに繋がる。それゆえ、私としては、このように黙示録註解を第3部に組み入れたのは正解であると感じている。少なくとも、これを書いている今の時点ではそうである。なお、この第3部では、既に語られたことが再び繰り返されることも多いということを、あらかじめ書いておきたい。黙示録の註解を記す際には、どうしても以前に語ったことと重複することを書かねばならないからである。もし繰り返しはよくないからといって重複を避けていたら、不完全な註解となってしまうであろう。「大事なことは何度でも」という昔の諺に免じて、読者は、この点について大目に見てほしい。この再臨の事柄が、聖徒である者にとって、非常に大事なことであるのは言うまでもない。大事だというのであれば、やはり何度でも聞くべきだということにもなる。そのようにして繰り返し学ぶからこそ、難しい部分が紐解けるようになるということにもなる。実際、私自身がそうである。聖書も、大事なことは何度も繰り返して書いている。至高の書物である聖書でさえそうなのだから、本作品に重複があったとしても、それは咎められるべきではないはずである。私は何も、わざと重複させようとしているのではなく、自然とそうならざるを得ないからこそ、そのようにするに過ぎないのである。

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第2章 黙示録の筆記年代

 気になる人も多いと思うが、黙示録が記された年代は、いつ頃なのであろうか。註解に入る前に、まずこのことを述べておかねばならない。これは、黙示録を正しく理解するためには、あまりにも重要なことである。あまりにも重要だからこそ、ここで、そのことのために章を割り当てているのである。というのも、筆記年代をどこに定めるかによって、黙示録の理解がかなり違ってきてしまうからである。黙示録は、実際の歴史やローマ皇帝のことについて多くを記している。よって、筆記年代をいつに設定するかで、我々の解釈が大きく変動させられてしまう。例えば、黙示録がウッティリウス帝の69年に書かれたとすれば、13章に出てくる獣は、2代後の皇帝である「ティトゥス」だということになる。何故なら、13章の獣とは、すなわちヨハネが黙示録を書いている当時の皇帝から数えて2代後の皇帝のことだからである。黙示録17:9~11。またウェスパシアヌス帝の69~79年に書かれたとすると、獣は「ドミティニアヌス」だということになる。トラヤヌス帝(98~117年)であれば、獣は「アントニヌス・ピウス」となる。このように、筆記年代の設定次第で、大きな解釈の違いが我々に生じる。これは無視してもよい小さな問題ではない。

 約外典の「ヨハネ伝」の中では、ヨハネがパトモス島に流されたのは、トラヤヌス帝の治世(98~117年)であったと記されている。黙示録1:9でヨハネは、『神のことばとイエスのあかしのゆえに、パトモスという島にいた。』と自分の今の状況について記している。このパトモス島にいた時に、ヨハネは幻を見せられ、その幻を書き記すようにと命じられた(黙示録1:11、19)。つまり、この外典によれば、ヨハネが黙示録を書いたのは98~117年の間だったことになる。つまり、ヨハネがキリストと共にいた紀元30年頃の年齢を仮に20歳だとすると、88~107歳の時に、ヨハネは黙示録を書いたことになる。これは、かなり高齢での筆記作業である。しかし、高齢であったということは何も問題にはならない。健康と頭脳が恵まれているのであれば、高齢になっても高度な内容の本を書くことは可能だからである。実際、今の時代でも、バートランド・ラッセルやピーター・ドラッカーといった知者たちが、80代、90代になっても、しっかりとした本を書いている。彼らは高齢になっても知性が衰えていないことを、その晩年の書物において公に示している。この場合、我々はヨハネが高齢になっても、かなり壮健であったと信じなければいけなくなる。そうでなければ、誰が、このような複雑極まる知的に高度な文書を80代にもなって書けるであろうか。エイレナイオス(130頃~200頃)も、ヨハネはトラヤヌス帝の時代まで生きていたと述べている(※) 。とすると、彼も、トラヤヌス帝の時代に黙示録が書かれたと考えていたことになる。しかし、エイレナイオスが「ヨハネ伝」を読んだから、ヨハネがトラヤヌスの時代まで生きていたと考えていたかどうかは定かではない。しかし、この外典を読んだがゆえに、そのような考えを持った可能性は十分にある。教会の中でも、今までに、ヨハネが高齢になって黙示録を書いたというこの見解を取ってきた者は少なくない。今でも、そのように考えたり言ったり書いたりする人たちが多い。今の新約聖書学では、黙示録の筆記年代は「ドミティアヌス帝の治世の終わりのこと」とするのが定説である。このドミティアヌスは紀元96年9月18日に暗殺された。しかし、我々はこの外典が、あくまでも外典に過ぎないものだということを弁えなければいけない。すなわち、この「ヨハネ伝」なる文書は、神の書かれた聖書ではない。よって、この外典が何と言おうとも、我々はそれをそのまま鵜呑みにすることはできない。それは人間の手による文書に過ぎないのであって、もしかしたら出鱈目が書かれている可能性もあるのである。古代においては、出鱈目が書かれた多くの文書があったことを我々は知るべきである。例えば「シビュラの託宣」がそうである。この文書には、いい加減なことが多く書かれている。もし「ヨハネ伝」という外典の記述を信じるべきだというのであれば、他の外典で言われていることも、信じなければいけなくなる。例えば「トマス伝」で言われているようにトマスがインドに売られたとか、「ニコデモ福音書」で言われているようにキリストがハデスの中に十字架を置いて出て行かれたとか、「パウロの黙示録」で言われているようにパウロが地獄の見学旅行をした、ということも信じなければいけなくなる。しかし、これらの出来事が本当にあったのかどうかは定かではない。もしかしたら本当にあったかもしれないし、ただの出鱈目だということも十分にあり得る。それゆえ、この「ヨハネ伝」の中で言われているようにヨハネがトラヤヌス帝の頃まで生きていたということを、我々が絶対に信じなければいけないということはない。我々は外典はあくまでも外典に過ぎないことを弁えるべきである。それは人の手によるものであって、神に霊感されていない。よって、外典をあたかも正典でもあるかのように理解と知識の基盤に据えるのは、よくないことである。我々の基盤となるべきなのは正典の66巻だけだからである。外典はあくまでも参考情報としての意味以外にはなく、懐疑的に見られるべきものであることを忘れてはいけない。

(※)
「さらには、アジア州で主の弟子のヨハネに会ったことのある長老たちも全員そろって、ヨハネは同じことを自分たちに伝えてくれたと証言している。このヨハネは皇帝トラヤヌスの時代まで、彼らと一緒に生きたからである。彼らのうちの何人かはヨハネだけではなくて、他の使徒たちにも会ったことがあって、同じことを彼らからも聞いており、事実そういう事情であったことを証言しているのである。彼ら以上に信をおくべき者が他にいるだろうか。今述べたような者たちを信じるべきか、それともプトレマイオスを信じるべきなのか。プトレマイオスは使徒たちに一度も会ったことがないばかりか、夢の中でさえ、使徒のだれかの足跡をたどったことがないのである。」(『キリスト教教父著作集 2/Ⅱ エイレナイオス2 異端反駁Ⅱ』『異端反駁』第2巻 22:5 p105 教文館)
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 て、ヨハネが高齢になってから黙示録を記したというキリスト教界の通説は、完全な誤りである。それが誤りであることは聖書から証明できる。私が今から書くその証明は、ここまで読み進められた方であれば、それほど苦もなく理解できるのではないかと思う。我々は、『不法の人』(Ⅱテサロニケ2章8節)がキリストの再臨により殺されると聖書には書かれているということを、既に第1部の箇所で確認した。この不法の人とは、パウロによれば紀元1世紀当時においてその『秘密はすでに働いて』(Ⅱテサロニケ2章7節)おり、それはすなわちネロ帝のことであった。既に我々が見たように、パウロはⅡテサロニケ2章の箇所で、今はまだクラウディウスが帝位にあるから、それゆえネロが皇帝に就くのはまだ留められていると言ったのである。このネロが殺される時に再臨が起きた。そして、その再臨の時には、聖徒たちの携挙も起きた。それはパウロがⅠテサロニケ4:15~17で、再臨が起こると携挙も起こると書いている通りである。それは紀元68年6月9日のことであった。この携挙の際、ヨハネも空中に引き上げられたのは確かである。まさか、携挙の際に他の聖徒たちは上げられているのに、ヨハネだけは地上に残されたなどと考える兄弟はいないはずである。携挙の際にヨハネだけが仲間外れにされたなどというのは考えられない。ヨハネ自身も、自分が再臨の現場に直面するであろうと手紙の中で書いている。Ⅰヨハネ2:28。『それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。』またⅠヨハネ3:2もそうである。『しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。』ヨハネがネロの命日に携挙されて地上から『取られ』(マタイ24章40、41節)たのであれば、どうしてトラヤヌス帝の時代まで地上にいたのであろうか。もちろん、ヨハネがトラヤヌス帝の時代には、この地上に存在していなかったのは言うまでもない。であれば、トラヤヌスの治世である98~117年の間に黙示録が書かれたという通説は、間違っていることになる。既に世に存在していない人物が、どうして今も存在しているかのように、何かを記すことができるのであろうか。ヨハネがトラヤヌス帝の時まで生きていたと書いている「ヨハネ伝」も、ただの創作に過ぎないものである。というのは、ここで描かれているヨハネは、黙示録で言われているようなことを何も言っていないからである。ヨハネは、これから『すぐに』(黙示録1章1節、22章6節)獣や破滅的な終末が到来するからというので、その『時が近づいている』(同1章3節)からというので、黙示録において多くの警告をしたのである。本当に大変な恐るべき事態が間近に迫っているからこそ、ヨハネはそれを聖徒たちに非常な緊迫感をもって伝えた。しかし、この外典に描かれているヨハネは、そのような事態を何も想定していないかのように感じられる。何もそこには緊迫感がなく、あたかも獣や終末のことなど頭にないかのようである。実際、そこに描かれているヨハネは、そのようなことを何も言っていない。これは黙示録で多くの警告をしたヨハネのことを考えれば、理解できないことである。「時が近い。もう破滅が間近である。君たちは悲惨が訪れるのを覚悟しなければいけない。」このように言ったヨハネが、何もそのようなことを言わないというのは、一体どういうことなのか。ヨハネは黙示録で書いたことを、高齢のために、すぐに忘却してしまったのであろうか。そういうことは恐らくなかったと思われる。何故なら、すぐにも自分の書いたことを忘却してしまうほどに頭脳が衰えていたとすれば、そもそも黙示録という難解な文書を書くことさえ出来なかっただろうからである。これは、つまり、この外典が実話を書いたものではないことを意味している。これを作った作者は、私が今言ったこのような点を、まったく考慮していなかったからこそ、このような腑抜けたヨハネを描くことになったのであろう。これが本当に実話であったとすれば、ヨハネはいくらかでも獣や終末のことを、周りの人に対して話していたはずである。また周りの人たちも、そのことをヨハネに色々と尋ねていたはずである。しかし、この外典にそのような記述はまったくない。またエイレナイオスの時代にいた長老たちが会ったヨハネも、偽者であろう。何故なら、もしこの長老たちが会ったヨハネが本物の使徒であったとすれば、いくらかでも奇跡を行なっただろうからである。例えば死人を蘇えらせたり、病人を癒したり、悪霊を追い出したりしたはずである。高齢になっていたから奇跡はもう行なえなくなっていたと考えることはできない。モーセも、80代になってから色々な奇跡を行なったからである。しかしエイレナイオスの書いている文章を見る限りでは、その長老たちはどうやら奇跡のことについては、何も言わなかったようである。もし奇跡が行なわれたのを見ていたら長老たちはそのことをエイレナイオスに話していただろうから、エイレナイオスも、長老たちから聞いたその奇跡のことにいくらかでも言及したはずである。しかしそのような言及はない。それは、その長老たちの会ったヨハネが偽者だったからに他ならない。この長老たちは、偽ヨハネにまんまと騙されてしまったのである。『にせキリスト』(マタイ24章24節)が実際に現われたことを考えれば、ヨハネに扮装する者が現われたとしても何も不思議なことはない。神であるキリストにさえ化けることが可能なのであれば、尚更のこと、人にしか過ぎないヨハネに化けることは容易にできるだろうからである。もし偽ヨハネに長老たちが会ったというのでなければ、長老たちが嘘を言っていたのであろう。パウロは再臨が起こる終わりの日が到来すると、忌まわしい者たちが多く出てくる時代がやってくるとⅡテモテ3:1~5で言った(※)。パウロが列挙している者の中には「嘘をつく者」とは書かれていないが、それはただ書いていないだけであって、「嘘をつく者」も含まれていることは言うまでもない。そのような者たちが多く出てくる時代が再臨の日と共に来たのだから、その時代にいた長老たちが嘘を言ったとしても驚くべきではない。この場合、エイレナイオスは愚かな長老たちに、まんまと騙されてしまったことになる。それでは一体どうして、今までキリスト教界は、ヨハネがトラヤヌス帝の時まで生きていたなどという謬説に惑わされてきたのであろうか。それは、神が、西暦21世紀の今に至るその時まで、聖徒たちに再臨や終末の事柄を隠されたいと欲されたからだと私は推測する。「ヨハネ伝」やエイレナイオスという巨人がヨハネは高齢まで生きていたなどと言えば、そのことを聞いた聖徒たちが「なるほど、そうだったのか。」と納得してしまうのは必然である。有名人の言った言葉がよく受け入れられるのと同じで、外典や巨人の述べたことは、人間にとっては力強いものである。そのようにして聖徒たちが外典や巨人に納得させられてしまえば、再臨や終末の事柄について、致命的な誤りに陥ることになる。すなわち、再臨や終末はまだ起きていないと誤解させられることになる。そうなれば、聖徒たちには再臨や終末の事柄が、いつまでも隠されたままとなる。神はそのような状況を欲されたからこそ、外典や巨人の言説に、教会が呑み込まれるようにされたのだと思われる。しかし今や、遂に再臨や終末のことが明らかにされる時期が到来した。もう今はそれらの事柄が隠されるべき必要はなくなった。だからこそ、このようにしてヨハネは高齢まで生きていたという通説が打破されることになった。私の今の考えでは、事情はつまりこういうことなのではないかと思う。実際はどうであったにせよ、一つ確実に言えるのは「ヨハネがトラヤヌス帝の時代まで生きていたことはあり得ない。」ということである。

(※)
終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。
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 れでは、ヨハネが黙示録を記した年代はいつなのであろうか。私は確かなことを言うが、それはカリグラの治世である37~41年の間である。何故かと言えば、既に確認したように13章で記されている666の獣が、すなわちネロだからである。このネロは、黙示録17:11によれば『8番目』の支配者である。ヨハネは17:10の箇所で、ヨハネが黙示録を書いている時点での皇帝が、ネロの2代前、すなわち「6番目」であったと言っている。この6番目の支配者は『今おり』(17章10節)、7番目の支配者が来れば『しばらくの間とどまる』(同)ことになる。そうしてから「8番目」のネロが遂に到来して滅びに至る。この6番目の皇帝が誰かと言えば、それは「カリグラ」である。だから、ヨハネはカリグラが帝位に就いていた37~41年の時に、黙示録を記したことになる。しかし、このように聞かされると、「ネロは8番目ではないしカリグラも6番目ではないではないか?」などと疑問に思う人が多くいるはずである。確かに普通に考えれば、正にその疑問の通りである。歴史を調べれば誰でも分かるように、ローマの帝政においてネロは5番目の皇帝であり、カリグラは3番目である。明らかに3つ順位が違う。しかし、確かなところ、黙示録においてネロは8番目であり、しかも最初の1番目でもある。それは、17:11でネロについて、『彼は8番目でもありますが、先の7人のうちのひとりです。』と言われている通りである。読者の頭の中には今「?」が多く生じているだろうが、ここは、まだこのことについて詳しく語るべき場所ではない。その場所が来れば、その時には、このことがどういうことなのか詳しく語られることになる。だから読者の方は、その時が来るまで、今しばらくの間待っていただきたい。今の段階では、ネロが8番目かつ1番目だということを知っていれば、それで十分である。もし、どうしても今すぐにこのことを知りたいと思われるのであれば、その人は、この註解における17章の部分を先に見ればよい。このように我々がカリグラの時代に黙示録が記されたと考えるならば、黙示録が、驚くほどすんなりと読み解けるようになる。これは正しい理解を主の恵みにより持てたがゆえである。しかし、カリグラだと考えないと、黙示録を上手に読み解けなくなってしまう。例えばドミティアヌス帝(81年―96年)の頃に書かれたと考えれば、どうして既にドミティアヌスの治世には滅ぼされていた聖都エルサレムが出てくるのか、という重大な疑問が出てきてしまう。そうすれば「既に無くなっていた都のことを記すとはどういうことなのか?」などと思い悩むことになるが、どれだけ考えてもすんなりと解が出てこないので―これは当然である―、この都は新約の教会を指しているなどという強引な解釈を取ることになる。このようにカリグラ以外の治世を想定すると、誤謬が誤謬を生みだし、まったく黙示録を読み解けなくなることに繋がる。これは筆記年代を正しく悟れなかったことに対する報いである。大変嘆かわしいことではあるが、今まで全ての教師たちが、このように誤った筆記年代を想定することにより、黙示録を隅から隅まで誤解しなければいけない羽目に陥ってきたのである。カリグラの治世に筆記年代を設定しない限り、黙示録を合理的に読み解くことは絶対にできない。読者の方は、このことを強く心に留めていただきたいと思う(※)

(※)
アレクサンドリアのクレメンスによる「主の使徒たちの教えは、パウロによる宣教に始まってネロ帝の頃に終わる。」(『キリスト教教父著作集―4/Ⅱ― アレクサンドリアのクレメンス2 ストロマテイス(綴織)Ⅱ』第7巻 第17章106:4 p388 教文館)という記述も、私の説に味方している。何故なら、クレメンスは、ここでヨハネを含めた使徒たちの教説はネロ帝の治世において完結すると言っているからである。そうであれば、どうして使徒であるヨハネが黙示録における教説を、ドミティアヌス帝やトラヤヌス帝の治世に書き記したことになるのであろうか。
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第3章 事前に知っておくべきこと

 黙示録の註解に入る前に、事前に知っておくべきことを、いくらか書いておきたい。このような難しい文書を理解するにあたっては、前提となるべき基礎的な認識や知識を、あらかじめ持っておくのが益となる。それは、あたかもタイトル戦に出場する前のボクサーが、身体を慣らすために準備運動をするようなものである。言うまでもなく、準備運動をするかしないかで、結果はかなり違ってくるものである。

 黙示録は、非常に霊的な文書である。キリストが言われたように、『神は霊』(ヨハネ4章24節)である。全聖書は、この霊なる神によって、聖なる霊感のうちに記された。それはパウロが『聖書はすべて、神の霊感によるもの』(Ⅱテモテ3章16節)と書いている通りである。その霊感された聖書の諸巻の中で、もっとも霊的であると言えるのがこの「黙示録」である。それは、黙示録を一度でも読んだことのある人であれば、誰でも分かることである。この黙示録以上に霊的な傾向の強い文書は、他にない。イザヤ書やエゼキエル書やゼカリヤ書よりも、黙示録は霊的である。このように黙示録ほど霊的な文書は他にないのだから、我々は、この文書に霊的な目をもって取り組まなければいけない。すなわち、肉の目をもって取り組むということがあってはならない。これは聖書の他の巻でも同じことが言えるが、特にこの黙示録において、そのように言える。もし黙示録を我々が肉的に解釈しようとするのであれば、必ずや、御心にかなわない理解に陥ることになる。何故なら、肉は霊に対して、常に、必ず、徹底的に反発するものだからである。肉は霊的な事柄に対して、反発する以外のことはできない。それは聖書で『肉の思いは神に対して反抗するものだからです。』(ローマ8章7節)とか、『肉の願うことは御霊に逆らい、…』(ガラテヤ5章17節)などと言われている通りである。このことについての分かりやすい例を一つ挙げよう。黙示録の中では、キリストが『7つの金の燭台』(1章12節)の真中におられたと書かれている。肉的に理解すれば、この燭台とは、どこかの店に売っているような人の手による物体だと考えてしまう。しかし、キリストによれば、この7つの燭台とは『7つの教会』(1章20節)のことである。よって霊的に理解すれば、この燭台とは何かの物体ではなくて、教会だと考えることになる。「何かの物体」と「教会」とでは、かなりの違いがある。もし肉的に理解するのであれば、その人は、いつまで経っても燭台のことを悟れないままである。「どうしてキリストの周りに燭台が置かれているのだろうか…」などと思って、永遠に悩み続けることになる。しかし、これを霊的に捉えれば、そのような問題は何もなくなる。霊の事柄を霊によって捉えているからである。黙示録には、このような霊的な表現や思想が満ちているから、我々はそれを霊的に考えなければいけないのである。

 また我々は、黙示録が神によって記された文書であるということも、よく弁えなければならない。もちろん実際に手を使って書いたのはヨハネではあるが、神がヨハネとその手を使って黙示録をお書きになられたのである。それゆえ、究極的に言えば、黙示録はヨハネの著作と言うべきではない。それは「神の著作」なのである。よって、我々は思い違いをして、この黙示録を何か他の人間的な文書でもあるかのように取り扱うべきではない。それは神の著書なのであるから、神の著書として取り扱わなければいけない。もし人間の文書と同じように取り扱うのであれば、その人は、当然受けるべき罰を受けることになる。すなわち、考古学的にしか聖書を読もうとしない自由主義神学者たちのように、まったく異常な理解を持つに至る。そうすれば、いつまで経っても黙示録を正しく理解できないままになってしまう。

 ヨハネは、黙示録の多くの部分を、旧約聖書の記述に基づいて書いている。だから、黙示録には旧約聖書を思わせる内容が非常に多くある。というよりは、神が旧約聖書の出来事に基づいてヨハネに多くの幻を示されたと考えるほうが正しい。だからこそ、ヨハネの書いている文章は、旧約聖書の文章と非常に似通っているものが多いのである。黙示録と旧約聖書を読み慣れた方であれば、これは、すぐにも気付くことである。例えば、黙示録には、海が血となり、そのために海の中にいた生物が死んでしまった、と書かれている(8章8~9節、16章3節)。これは明らかに出エジプト記7章に書いてある出来事に基づいている。そこでは、モーセが神によりナイル川を打つと、川がことごとく血に変わり、そこにいた魚が死んでしまったと書かれている。また黙示録の6章では、4つの異なった色を持つ馬が登場する。これも明らかに旧約聖書のゼカリヤ書6章に基づいている。このゼカリヤ書でも、4匹の異なった色を持つ馬が出てくる。しかも、3つの馬の色はどちらの文書でも同じであり、ただ1つの馬だけが異なった表現をされているだけである。ヨハネがゼカリヤ書の記述を念頭に置いて黙示録6章を書いたのは間違いないことである。今はこの2つの例だけを挙げたが、これはほんの少しだけであって、黙示録にはこのような旧約聖書に基づいた記述がそこら中に満ちている。それゆえ、もし黙示録を徹底的に理解したいと願うならば、旧約聖書をよく読まなければいけない。できれば旧約聖書の文章を脳に記憶させ、そらで言えることが望ましい。旧約聖書に精通していればいるほど、その人は、黙示録をより良く理解できるようになる。紀元1世紀のユダヤ人たちも日々シナゴーグにおいて聖書の言葉を頭に刻み込んでおいたからこそ、キリストが何かを言われたり行なわれたりした際に、ハッと気付いたのである。「ああ、これは聖書に書いてあることだ。間違いない。」などと。それはキリストが神殿の商人たちを追い出された際にそれを見た弟子たちが、『あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。』(ヨハネ2章17節)という詩篇の文章を思い起こしたと、福音書に書いてある通りである。黙示録を読む際、心に旧約聖書の文章がインプットされているのも、これと同じことである。インプットされていればいるほど、それだけ黙示録の内容を悟れる度合いも高まる。しかし旧約聖書を知らなければ知らないほど、黙示録を理解するのは難しくなる。ヨハネが旧約聖書に基づいて多くのことを書いているのだから、これは当然といえば当然である。その人は、あたかも地図を何も見ないで、まだ1度も言ったことのない遠くにある場所へたどり着こうとする人に似ている。その人は何とかして目的地へ行けるかもしれないが、それはかなりの時間と労力を要するのであって、場合によってはいつまで経っても目的地へ着けない可能性も十分にある。旧約聖書を知らずに黙示録を読み解こうとする人は、地図をあらかじめ確認しないで遠い地に行こうとする人のように、準備と思慮が足りないと言わねばならない。その人は「無謀者」だと言われても文句はいえない。我々が特に精通しておくべき旧約聖書の巻は、預言書と出エジプト記である。何故ならヨハネはこれらの巻に基づいて、多くの文章を記しているからである。これ以外の巻においては、創世記に書いてあるソドムとゴモラの記述などいくらかの箇所を除けば、黙示録を理解するためには、それほど熟読する必要はないと思われる。特に箴言やヨブ記やエステル記などといった巻は、たとえそれほど知らなかったとしても、致命的な問題にはならないであろう。というのも、これらのような巻は、ほとんど黙示録と関係する内容を持たないからである。また同じ理由から預言書の中でも、マラキ書やヨナ書などといった巻は、黙示録の研究のためには、あまり読まなかったとしても大きな問題は生じない。新約聖書においては、福音書に精通しておかねばならない。それは、ヨハネが福音書と対応する文章を多く記しているからである。例えば、マタイ25:31~46と黙示録20:11~15、マタイ23:34~36と黙示録16:4~7および18:24が、そうである。福音書以外では、Ⅱペテロ3章、Ⅱテサロニケ2章1~12節、Ⅰテサロニケ4章13~18節、Ⅰコリント15章20~28、50~56節を頭に叩き込んでおかなければいけない。これらの箇所は、黙示録の内容と大いに関係している箇所だからである。

 また我々は、黙示録に、無数のユダヤ的な象徴や言い方が満ちていることを心に留めなければいけない。これは黙示録を少しでも読めば誰でも分かることである。ヨハネは純粋なユダヤ人だったのであるから、これは当然と言えば当然である。それゆえ、我々が黙示録を十全に理解するためには、我々が紀元1世紀の時代に生きていたユダヤ人に知的・精神的な意味においてなりきるのが、もっとも望ましい。もし我々が当時のユダヤ人そのもののようになれば、黙示録をそれだけ理解しやすくなるのは明らかだからである。しかし、このようにするのは非常に難しい。今のユダヤ人ですら、そういうことは出来ないであろう。だから、我々は何とかして、旧約聖書におけるユダヤ的な象徴や言い方を知り、それに精通し、また慣れる必要がある。そのように出来るのであれば、それだけ我々は黙示録のことをよく弁えられるようになる。しかし、そのように出来なければ、それだけ象徴や今の時代からすれば少し変わった言い方を理解するのは困難となる。

 かなところ、黙示録は、相対性理論よりも難解であり、弁えることが困難である。アインシュタインにより主張された相対性理論は、難しいと昔から言われてきた。アインシュタインが論文を発表した頃は、相対性理論を理解できるのは世界に5人しかいないと言われた。時代が進んだ今においては、かなりの人が理解できるようになっている。しかし、黙示録を十全に理解している人は、今の世の中に一人もいない。黙示録を完全に理解できるようにと神に願い求めている私でさえ、十全に理解することができていない。色々と本を読めば分かるが、高名な神学者や牧師たちの黙示録理解は、誤解のオンパレードである。卓越した神学者であるカルヴァンも、黙示録がよく理解できないので、この文書にだけは手を出さなかった。すなわち、彼は黙示録の註解書を記すことがなかった。アウグスティヌスも、黙示録の解き明かしをしようとはしていない。エリファス・レヴィは黙示録を教会が解明しようとしないことに驚いており、この文書は「敬虔なキリスト教信徒には7つの封印で閉ざされている」(『高等魔術の教理と祭儀 教理篇』序章 p10:人文書院)などと率直に言っているが、この奇人魔術師の言っていることには一理ある。彼の言っているように、教会からは「黙示録を解明する鍵」また「ソロモンの学問を解明する鍵」が失われてしまっているのだ。これは認めなければならない。詰まるところ、今まで誰も彼も黙示録のことを、まったく悟れていなかったのである(※)。今までに黙示録を完全に理解したことがあるのは、著者であるヨハネ一人だけである。ヨハネと共にいた他の使徒たちや、ヨハネから直々に教えを受けた聖徒たちも、十全には理解できなかったはずである。何故なら、それがあまりにも高度で複雑で謎に満ちているからである。黙示録を完全に把握するよりは、相対性理論をマスターするほうが、遥かに優しい。我々は、最初から黙示録を理解することなど人間業では不可能だという前提で、黙示録の研究に臨んだほうがいいかもしれない。今までの2000年間の例を見れば分かるように、黙示録は理解できないのが当然なのである。実際、今までに黙示録を理解した者は、ヨハネという例外を除けば、誰もいなかった。このような前提で研究に臨めば、たとい理解できずに思い悩んだとしても、その前提が我々をいくらかでも慰めてくれることになる。しかし、人間の理性と力では黙示録を理解できなかったとしても、神の恵みが注がれるのであれば、我々は黙示録をその恵みにより理解できるようになる。何故なら、神の恵みが、我々に黙示録を理解できるようにと働きかけて下さるからである。神はその恵みにより、人間にとっては不可能なことを、可能として下さる。それはキリストが『人にはできないことが、神にはできるのです。』(ルカ19章27節)と言われた通りである。それゆえ、我々は、黙示録の正しい理解が徹頭徹尾神の恵みにかかっているということを知らなければいけない。神の恵みだけが、人に黙示録を理解できるようにして下さるのである。だから、もし黙示録を正しく理解できたのであれば、その人は、黙示録を理解できた恵みを神に感謝すべきである。

(※)
本屋や図書館または教会に置いてある本棚に行って、片っ端から黙示録を取り扱っている書物を見てみるがよい。私は断言するが、そのどれもが根本的な誤謬に基づいて記されている。正しい理解に基づいて記されている書物は、一つすらもない。
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 後になるが、もし黙示録を正しく理解したければ、その人は徹底的に謙遜な精神を持たなければいけない。アウグスティヌスは「キリスト教の要諦は何か?」と聞かれた際に、デモステネスの有名な返答(※①)に則して次のように答えた。「第一に謙遜、第二に謙遜、第三に謙遜」と。それと同じように、もし私に「黙示録を正しく理解するための要諦は何か?」と聞く人があれば、私はデモステネスとアウグスティヌスの答えに則してこう言うであろう。「第一に謙遜。第二に謙遜。第三に謙遜。」と。高慢な人は、自分の理解を、神の御心に適った正しい理解よりも優先させてしまう。その人が高慢であって自分の理解こそを第一とするからである。その人は自分の理解こそを神としている。だから、神がその人の心に正しい理解を生じさせても、最終的にその理解を拒絶するに至る。それは、あたかもキリストが譬えの中で、心に蒔かれた御言葉の種を悟らないと悪魔である鳥が来てその種を持っていってしまうと言われた人のようである(※②)。この譬えでは、サタンが良いものを心から取り去ってしまうのだが、黙示録の正しい理解が心に蒔かれてもそれを拒絶する人は、自分自身がサタンのようなことをしている。その人は、サタンのように良いものを心から除き去っているのである。だから、高慢な人は、いつまで経っても黙示録を悟ることができない。我々は、聖書に『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』(ヤコブ4章6節)と書いてあることに心を留めるべきである。つまり神は、高ぶる者には黙示録の正しい理解を与えられないのであって、へりくだる者にこそそれを持たせて下さるのである。黙示録を正しく理解したい兄弟は、謙遜になって神に祈るがよい。「私は天から受けるのでなければ何も悟れない鈍い者ですから、どうか恵みにより悟りを与えてください。」などと。そうすれば、『へりくだる者に恵みをお授けになる』神が、我々に正しい理解を持たせて下さることであろう。

(※①)
最高の雄弁家であるデモステネスは「雄弁の要諦は何か?」と聞かれた際に、「第一に身振り、第二に身振り、第三に身振り」と答えたといわれる。
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(※②)
種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。…御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。』(マタイ13章3~4、19節)
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第4章 ①1章:プロローグ

 章目は、言うなればプロローグである。聖書以外の本でいえば、「序文」または「前書き」が、それにあたる。言うまでもなく、ヨハネが記した原文には、第1章などという区切りは存在していない。これは後世の人間が、便宜のため、人為的に振り分けた区切りである(※①)。それは、黙示録の2章目以降においても、他の聖書の巻においても同じである。よって、我々は、この1章という区切りさえも、神の霊感により振り分けられたものだと考えるべきではない。聖書の中には、あまり適切とは言えない区切りもある(※②)。しかし、黙示録1章という区切りにおいては、非常に適切な区切りであると言える。このように区切ることで、分かりやすくなるという効果が生じている。また、それは非常に取り扱いやすい区切りでもある。この区切りは、黙示録を語りやすくさせてくれる。この第1章では、主に4つの事柄が語られている。すなわち、黙示録はキリストにより示されたものだということ、黙示録はヨハネにより記されたものだということ、またそれは当時の教会に宛てられているということ、そしてここで示されているのは当時において間近に迫っている出来事だということ、この4つである。この第1章は、それほど難しい部分ではない。12章や20章と比べれば、遥かに優しい部分である。それでは、早速、1節目から見ていくことにしたい。どうか、我々が黙示録を悟れるように、主が豊かに霊的な恵みを与えて下さるように。アーメン。コロサイ1章9節。

(※①)
「節」は、ルターの時代以降に区分されるのが一般化した。ルターの時にはまだ節での区切りがなされておらず、ルターも聖書を引用する際には章だけしか述べていない。
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(※②)
例えば、黙示録の2章と3章がそうである。この2つの章は、どちらも7つの教会に対してキリストからの言葉が伝えられるという同じ内容を持つのだから、1つの章に纏めるべきであった。「そうするとかなり長い章となってしまわないだろうか。」などと思う方もいるかもしれないが、これぐらいの長さの章であれば、聖書の他の箇所にも存在しているので、特に問題だとは思われない。例えば詩篇119篇は非常に長く176節まであるし、申命記28章も長く全部で68節もある。また読者は、私がこのように章の区切りについて文句を付けることに驚いてはいけない。いい加減な区切りであれば、それは文句を付けるべきである。カルヴァンも次に示す通り、章の区切りについて大いに文句を言っている。「…だれだか知らないが、章節の区分をした人は、ここでは無分別な分けかたをしたものである。なぜなら、…」(『新約聖書註解Ⅸ コリント後書』2:1 p39:新教出版社)「使徒の手紙を各章に区分した人は、むしろ、ここで第5章をはじめるべきであった。」(『新約聖書註解Ⅷ コリント前書』4:21 p116 新教出版社)「章の分けかたがいかにでたらめであるかは、これをみても明らかである。だいたい、この聖句は、前出の各句につらなるものであるが、それが切りはなされ、この句と何の共通点もない後続の各句に結びつけられているのである。だから、これは、前章の結論であるという仮定をとることにしたい。」(『新約聖書註解Ⅷ コリント前書』11:1 p249~250 新教出版社)「この章の区分が実にでたらめなされかたなので、わたしは、どうしてもその変更をしないわけにはいかなかった。それに、そうしないことには、その適切な解釈もできない始末だったからである。…」(『新約聖書註解Ⅷ コリント前書』13章 p301 新教出版社)「読者は章の区切りの不手際に煩わされないため、この文章が前章の最後の二節に続くものとして読んでもらいたい。…」(『旧約聖書註解 創世記Ⅰ』12:1 p223:新教出版社)
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【1:1】
イエス・キリストの黙示。
 これは、聖書でよくなされる書き方である。これと似たような書き方がされているのは、他にも、次の箇所がある。『神の子イエス・キリストの福音のはじめ。』(マルコ1章1節)『エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。』(伝道者の書1章1節)『イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。』(箴言1章1節)『ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼパニヤにあった主のことば。』(ゼパニヤ1章1節)『ニネベに対する宣告。エルコシュ人ナホムの幻の書。』(ナホム1章1節)聖書は、どの巻も、神の宣言文である。だからこそ、このような宣言文が、冒頭で書かれている。もちろん、このような宣言文が冒頭で書かれていない巻もあるが、だからといって、それが神の宣言文でないということにはならない。また、この簡潔な言葉は、その文書の内容を一言で言い表わす要約的なものでもある。

 黙示』とは、原文では「αποκαλυψιs」(アポカリュプス)である。英語では「revelation」と訳される。これは、「神の真理や奥義が公にされる」という意味である。「隠されていたことが明らかにされる」とか「被いが取り除かれる」という意味でもある。(※)だから『イエス・キリストの黙示』とは、すなわち「イエス・キリストが示された未来に関する秘密」という意味となる。これは、あたかも「イエス・キリストがこれから起こる様々な出来事を遂に開示して下さるのだぞ。」とでも言おうとしているかのようである。確かに、これはその通りである。これから書かれる註解を読めば、正にこの文書が『黙示』に他ならないということがよく分かるようになるであろう。それは、黙示録を少しパラパラと眺めているだけでも、感覚的に把握できることである。確かに、この文書では、ヨハネの時代にとっての未来の事柄、すなわち再臨の時期に起こる諸々の出来事が預言されている。だからこそ、私は、本作品の第3部で黙示録の註解を組み入れることにしたのだ。それというのも、この作品は再臨を徹底的に考究することが目的とされているからである。この黙示録には再臨の時期に起こる出来事が豊かに書かれているのだから、この黙示録を理解することなしに、再臨を十全に理解することは非常に難しいと言わねばならない。

(※)
黙示録は世俗においても有名な文書であり、その名を知らない人がいないほどであって、この文書の中に見られる内容や名前がよくファンタジー作品の中で使われているのを見かける。日本で言えば世界的に有名なゲームであるファイナルファンタジーというシリーズの中で、アポカリプスという名前が幾つも使われている。他にもドラゴンクエストやモンスターハンターやモンスターストライクというゲームの中でも、アポカリプスという名前が使われている。世界で最も有名なトレーディングカードゲームの「マジック・ザ・ギャザリング」の中でも、このアポカリプスという名前が使われている。BABYMETALという日本の有名なバンドのメンバーズサイトは、かつて「APOCALYPSE WEB」という名前であった。ラルク・アン・シエルという日本のバンドのアルバムの中にも「REVELATION」という名の曲がある。2020年に発売の「ゼルダ無双」というゲームにおけるサブタイトルは「厄災の黙示録」である。今挙げたのはほんの少数の例であって、他にも探せば、この名前が使われている作品はいくらでも見つかるであろう。もちろん、アポカリプスという名前を黙示録から取っている人たちは、単に名前の響きや印象を理由としてこの名前を取り入れている。何故なら、この名前は、武器や魔物や特技などに付けられており、ほとんど言葉の意味が適合するかどうかということは考慮されていないからである。アポカリプスという名前の魔物や武器とは一体何なのであろうか…。このように黙示録は世俗からすればファンタジー系の作品と相性が良いように感じられるかもしれないが、黙示録が世俗の作品などよりも遥かに卓越しており崇高であることは言うまでもない。
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これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、
 示録に示されているのは、すぐに起こるはずのことである。その『すぐ』とは、もちろん、ヨハネが黙示録を書いている当時にとっての『すぐ』である。この言葉は文字通りに捉えなければいけない。我々の日常的な感覚に基づいて、この『すぐ』という言葉を捉えても差し支えない。事実、ヨハネは自分の日常的な感覚に基づいて『すぐ』と書いている。注意しなければいけないのは、これは神にとっての『すぐ』と考えるべきではないということである。神にとっては『千年は1日のよう』(Ⅱペテロ3章8節)だから、たとえ千年でも、いや千万年であったとしても「すぐ」だということになる。しかし、これは言うまでもなく、人間的な感覚から言った『すぐ』である。今の教会には、これを神の感覚から言った『すぐ』だと捉えたがる人が多いから、そうしないよう注意しなければいけない。第3部の2章で言われたように、ヨハネが黙示録を書いたのは、紀元37~41年の間である。13章に書かれているネロの教会迫害は紀元64年に始まるのだから、ヨハネが黙示録を書いてから23~27年後にそれは起こったことになる。また20:7~10に書かれているエルサレム包囲は紀元66~70年の間のことだから、それは、ヨハネが黙示録を書いてから約30年後に起こったことになる。確かにヨハネは本当にすぐに実現することを、この文書の中で書いたのである。しかし、30年が『すぐ』だとは思えない方も、読者の中にはもしかしたらおられるかもしれない。人にはそれぞれ感覚があるから、30年をすぐだと思えない人がいたとしても不思議ではない。しかし、聖書はこの30年を『すぐ』だと言っているのだから、聖徒である者は、この期間を「すぐ」だと捉えなければいけない。もし捉えられなければ、強引に自分の理性をねじ曲げよ。そうしなければ神に喜ばれることはできない。既に語られたように、その事象が大きければ大きいほど、日常であれば長いと感じられる期間でも非常に短く感じられることになる。例えば、これから30年後に、人口およそ3500万人のカナダやアルジェリアに巨大な隕石が落ちるとすれば、どうか。その時、3500万の人が、すべて死んでしまう。これは非常に大きい出来事であるから、日常では長いと感じられる30年後であったとしても、短いと感じられるのではないかと思う。「そんなにすぐにカナダやアルジェリアが滅亡してしまうのか?」と思う人も多いはずである。黙示録で預言されているユダヤの滅亡も、非常に大きな出来事である。紀元1世紀にユダヤが滅亡した際には、最高で110万人の人が死んだと言われる(※)。これは2019年の今でいえば、比率的に言って3500万人と同じ数であり、カナダやアルジェリアが一挙に滅亡するのと同じことである。このような前代未聞の悲劇がこれから30年後に訪れるというのだから、これを『すぐに』と言わずして何と言えばいいであろうか。これが小さい出来事であれば30年後を「すぐ」と言うのは適切ではなかったが、ユダヤの滅亡は小さい出来事ではないのである。あの神の聖なる民における集団が、一挙に滅ぼし尽くされてしまうのだから。

(※)
これは推定上の最高数であって、他にもユダヤ人の死者数には異なる見解がある。オロシウスの場合、「60万人のユダエア人がこの戦争で殺されたと、コルネリウス・タキトゥスとスエトニウスは伝えている。」(「世界史梗概」7・9・7)と言っている。
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 この『すぐに起こる』という短い文を、今まで教会は、まったく注目してこなかった。今までにいた高名な教職者で、この文に多くの注意を払った人は、恐らく一人もいなかったはずである。もしいたら私に知らせてほしいものである。今に至るまで、この黙示録は闇に包まれた文書であった。黙示録の全体がそうであった。だから、今まで教職者たちが、このような些細だと思われる部分に着目してこなかったのは、自然なことであると言えるかもしれない。それは、あたかも人が真っ暗な倉庫の中に入って、人類の秘密が隠された太古の文書を探し出して読むようなものである。今まで教会はこの部分に着目して来なかったから、黙示録には『すぐに起こるはずの事』が示されているということに、まったく気付くことができなかった。それゆえ、今まで教会は、黙示録には「すぐには起こらない事」また「(自分たちが生きている時代を基点として)これから起こる事」が示されているのだと思い続けてきた。例えば、ある人たちは8:11に書いてある『苦よもぎ』による死が、チェルノブイリ事故のことを言っていると考えてしまった。ある人は、12:7に書いてある「ミカエルたちと竜の戦い」が、教会と異端との戦いを霊的に示していると愚かにも考えた。ある人は11:4の『オリーブの木』が、プロテスタントにおける改革派の教会を示しているなどと考えた。ある千年王国論者は20:7~10に書いてあるのは「ロスチャイルドのこと」ではないかと考えてしまった。どれもこれも大変素晴らしい解釈である!タルムードに書いてあるように「よくぞ彼らは