【Ⅰ列王記5:18~6:10】(2023/08/27)


【5:18】
『ソロモンの建築師と、ヒラムの建築師と、ゲバル人たちは石を切り、宮を建てるために木材と石材とを準備した。』
 『ソロモンの建築師』は、『ヒラムの建築師』および『ゲバル人』と共に宮の工事を行ないました。『ヒラムの建築士』は異邦人だったでしょう。『ゲバル人』も異邦人でした。この『ゲバル人』とはイスラエル人が占領すべき地域にいた異邦人です(ヨシュア13:5)。つまり、彼らは滅ぼされず生き残ったゲバル人の子孫たちです。『ソロモンの建築師』はもちろんイスラエル人だったでしょう。このようにイスラエル人は、宮建設という仕事において異邦人と働きました。イスラエル人が、しかも聖なる宮の工事において、異邦人と共に働いてよかったのかという疑問を持つ人もいるかもしれません。しかし、聖書は異邦人がイスラエル人と共に働いたことについて何も問題視していません。ですから、異邦人も宮のために働いてよかったのです。これは今でも同じことが言えるでしょう。例えば、教会の会堂が建てられる際、牧師はその会堂の建築を未信者しかいない建築企業に頼んでも問題ありません。勿論、その企業がサタン的であったり、不正を働く可能性が高いと分かっていたならば、決して頼むべきではありません。古代の神殿でさえ異邦人が建てて良かったとすれば、今の教会堂は尚のこと聖なる民でない人々に頼んでもよいのです。この通り、神は異邦人も御自分の宮が建設されるために用いられました。これには深い意味があったと考えるべきかもしれません。当時のイスラエル人は、宮は異邦人とあまり関わりがないと考えたかもしれません。しかし神は、やがて異邦人もイスラエル人と共に聖なる宮とされる時代が到来することを知っておられました。ですから、当時においては宮が異邦人とそれほど関連していなかったとしても、将来的には異邦人も宮と強い関わりを持つこととなります。このため、全てを予知しておられる神は、異邦人も宮の建設事業に参加させられたのでしょう。この時に雇われた建築師は、ソロモンの建築師もヒラムの建築師も、どちらも熟練した優れた建築士だったはずです。神の宮という重要極まりない建造物が建てられるのに、最高の建築師が雇われないというのは全く考えられない話だからです。人間の王宮でさえ有名で卓越した建築師が雇われるのですから、尚のこと神の宮は最高の建築師が雇われるべきなのです。

【6:1】
『イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建設に取りかかった。』
 ソロモンが宮の建設に取りかかったのは、出エジプトから『四百八十年目』でした。もうエジプトを出てから480年も経過していました。もうモーセやヨシュア、また士師たちもいなくなっています。長そうで実は短かった年月が流れ過ぎていました。この「480」という数字に何か象徴的な意味はあるのでしょうか。これには何も象徴性がないはずです。「480」という数字に聖書的な意味はありません。これを「240」かける「2」に分解しても意味は見出せません。「3」かける「160」に分解しても意味はないでしょう。「5」かける「96」という成り立ちは全く意味不明です。アウグスティヌスであれば「3」かける「160」という分解に興味を示しそうです。何故なら、この分解では同じ数字が3つあるからです。アウグスティヌスは、これを神の3位格として考えようとしたかもしれません。しかし、このような分解において神の位格を読み取ろうとするのは、かなり難しいのではないかと思われます。またこの神殿建設の始まった年は、『ソロモンがイスラエルの王となってから四年目』でした。つまり、ソロモンが王職に就いて幾らか安定してから、建設が始まったことになります。この「4」年目という数字は、ここで何も象徴性を持っていないはずです。神殿建設の始まったのは、この年の『ジブの月、すなわち第二の月』でした。古代イスラエルの暦では、それぞれの月に特定の名前が割り当てられていました。この『第二の月に』神殿建設が始まったのは、特に象徴性を持っていないはずです。

 神はこうして出エジプトから480年目に御自分の宮を建てさせられました。神はそれまで長らく御自分の住まいとして幕屋で良しとしておられました。神はもちろん、もっと前に宮を建てさせることもおできになりました。しかし、神は480年後に建てられることを良しとされました。これは何故だったのでしょうか。これは神殿の建てられるべき時期があったからなのです。何事にもそれに相応しい時期というものがあります。種を蒔いたらすぐに実が生るということはありません。まだ文字も知らないのに四字熟語を学び始める子どもなどいません。宮が建設されるべき時期もあったのであり、それがソロモンの時代だったのです。このように神でさえ時期をしっかり弁えられました。ですから、私たちも神に倣い、何事であれ時期をしっかり弁えるべきでしょう。もし時期を弁えなければ悲惨になっても仕方がありません。ソロモンが『急ぎ足の者は躓く』と箴言で言っている通りです。

【6:2】
『ソロモン王が主のために建設した神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。』
 ソロモンは『主のために』宮を建設しました。すなわち、「自分のために」ではありませんでした。これは神が御自分の宮を建設させるため聖なる志をソロモンに与えられたからなのです。だからこそ、ソロモンは『主のために』宮を建てることができたのです。このような聖なる志もそうですが、何事であれ良いものは神によらねば受けることができません。『人は天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。』とヨハネ福音書で書かれている通りです。私たちも何かをする際は、『主のために』為すべきでしょう。何故なら、そうしなければ全てが虚しくなるからです。詩篇127:1~2の箇所でソロモンがこう言っている通りです。『主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。』さて、よく言われる「敬虔」とはいったい何なのでしょうか。それは何かを『主のために』為すことなのです。

 ソロモンが主のために建てた宮は『長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビト』であり、1キュビトは約44cmですから、つまり宮は長さ26.4m・幅8.8m・高さ13.2mでした。宮は横に細長かったことが分かります。このような形状が神の御心でした。この宮は高さが約13mもありますが、しかしあるのは1階だけです。私たちはこの宮における形状を、決して問題視したり、もっと良い形状があったなどと言ってはなりません。何故なら、このような形状の宮に神は住まわれたのだからです。つまり、神はこの形状で良しとされたのです。聖書で神はこの形状を全く問題視しておられません。ですから、宮の形状はこれで完全にベストだったのです。

【6:3】
『神殿の本堂の前につく玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、幅が神殿の前方に十キュビトであった。』
 宮の前面には『玄関』が備えられました。人間の家には前方に玄関があるものです。宮は『主の家』(Ⅰ列王記6章1節)でした。ですから、主の家である宮に玄関が備えられたのは自然なことでした。この玄関の長さは、『神殿の幅と同じ二十キュビト』すなわち8.8mでした。しかし、幅は神殿の幅の半分すなわち4.4mです。これはそれが玄関だからです。明らかに玄関は本堂よりも重要性が低いので、本堂よりも幅が小さくされたのです。何にでも重要さにおける釣り合いがあります。このように玄関が備えられるのも、やはり主の御心でした。ちょうどメノラーの形状が御心に適っていたのと同じです。

【6:4】
『神殿には格子を取りつけた窓を作った。』
 神殿には格子付きの窓も作られましたが、これは換気や外部を確認するためだったと思われます。この窓もやはり御心に適っていました。

【6:5~6】
『さらに、神殿の壁の回り、つまり、本堂と内堂の回りの神殿の壁に脇屋を建て増しし、こうして階段式の脇間を造りめぐらした。脇間の一階は幅五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトであった。それは、神殿の外側の回りの壁に段を作り、神殿の壁を梁でささえないようにするためであった。』
 宮は、その回りに階段式の脇屋も備え付けられました。その階段の数は『三階』です。先にも述べた通り、本堂は1階だけでした。この脇屋も巧みに作られたことでしょう。脇屋は、本堂の左右および奥の3方面に備え付けられました。前面部分に脇屋はありません。つまり、上から見れば脇屋は「п」のような形状でした。この脇間は階ごとに幅が異なり、『一階は幅五キュビト』すなわち2.2m、『二階は幅六キュビト』すなわち2.64m、『三階は幅七キュビト』すなわち3.08mでした。階が上がるごとに幅も広くなっています。この脇屋もやはり、その設置および形状どちらも、主の御心に適っていました。

【6:7】
『神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった。』
 宮のために使う石は、あらかじめ宮から離れた場所で全て加工済みとされました。その加工をした『石切り場』については詳しく分かりませんが、これは分からなくてもどうということがありません。今でもこのようなやり方で建物であれ道路であれ作られることがあります。例えば、最近に行なわれた老朽化した首都高速道路の建て替え工事の際は、前もって別の場所で完成された道路が工事現場に持ち運ばれ組み立てられました。このようにすれば、現場では加工済の物を組み合わせればいいだけとなります。このようなやり方はソロモンも時代から既に行なわれていたのです。このため、『工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった』のです。どうして宮に使う石はあらかじめ他の場所で仕上げられたのでしょうか。どうして宮の場所では工事音が聞かれないようにされたのでしょうか。これは神に対する礼節のためだったと思われます。工事の音が宮で聞かれるのは、そこに住まわれる神の御前で騒がしいため、あまり相応しいとは言えません。人間の王にしても、例えば王がいる謁見の場で騒がしい工事をしたとすれば、それは不敬なことでしょう。ところで、このように宮の場所で工事音が聞かれなかったのは、石に工具をあててはならないと命じられたあの律法と何か関わりがあるのでしょうか(出エジプト記20:25)。確かにその律法では、工具を石にあてるなと言われています。しかし、その律法とこの宮のことは関係がありません。何故なら、あの律法で言われているのは『祭壇』のことだからです。ソロモンが建てていたのは「宮」です。ですから、ソロモンは宮で使うための石に工具をあてて加工することができました。宮はこのようなやり方が採用されましたが、私たちもこのやり方に倣うべきでしょうか。例えば教会堂を建てる時があったとすれば、私たちはこのやり方に倣う必要がありません。何故なら、古代における神殿と今の教会堂は対応していないからです。古代の神殿に対応しているのは教会堂でなく、聖徒という神殿です。ですから、教会堂が建てられる場合は、会堂の工事中にそこで工事音が聞かれても問題ありません。

【6:8】
『二階の脇間に通ずる入口は神殿の右側にあり、らせん階段で、二階に上り、二階から三階に上るようになっていた。』
 脇間は『神殿の右側』から入るようになっていました。左側でなく『右側』からだったのは、太陽が右側すなわち東から出て来るためだったのでしょうか。聖書は明らかに左より右を優位に置いていますが、脇間の入口が『右側』にあったのも、聖書の思想と強い関係がありそうです。この脇間は『らせん階段』で繋がっていました。その階段を使い、地上部分から2階へ、2階から3階へと上るわけです。1階と3階は繋がっていませんでした。

【6:9】
『彼は神殿を建て、これを完成するにあたって、神殿の天井を杉材のたるきと厚板でおおった。』
 宮の天井は『杉材のたるきと厚板』で覆われました。天井を覆うこれらの物も最高級だったはずです。先に見た通り、宮は高さが13.2mもありましたから、下から天井まではかなりの距離です。また宮は長さと幅がかなりの大きさだったので、天井もかなりの大きさだったでしょう。ですから、宮の天井を覆うというのは、かなりの大仕事だったはずです。台を幾つも積み重ねて天井の作業をしたのでしょうか、それとも梯子と板を巧みに組み合わせて作業したのでしょうか。どのような作業方法だったかは分かりませんが、ソロモンの英知により、安全で確かな作業が為されたはずです。建築師たちの経験と知恵も役立てられたかもしれません。先にも見た通り、宮の場所で工事音が聞かれるべきではありませんでした。ですから、天井を覆う『杉材のたるきと厚板』も、宮から離れた場所であらかじめ加工済みとされたはずです。天井を覆う際は、強力な接着剤でも使われたのでしょうか。どのようにして『杉材のたるきと厚板』で覆われたかは分かりません。しかし、それらが釘を打ち付けることにより覆われなかったのは確かです。何故なら、釘で打ち付けるならば工事音が出てしまうからです。この天井を覆う作業は、宮が『完成する』時期に行なわれました。恐らくこの作業は完成直前の作業の一つだったかもしれません。この作業をする頃には、もう宮のほとんど全てが完成していたはずです。「もうこれでやっと完成するのだ。」といった感じだったのでしょう。

【6:10】
『神殿の側面に脇屋を建てめぐらし、その各階の高さは五キュビトにして、これを杉材で神殿に固着させた。』
 この箇所は、脇屋について書かれていた先の箇所(Ⅰ列王記6:5~6)を補足しています。この箇所によれば、脇屋は『神殿の側面』に建て増しされました。すなわち、神殿の内側ではありませんでした。また『その各階の高さは五キュビト』すなわち2.2mでした。各階の高さを合計すると6.6mとなります。宮の高さは13.2mです。この脇屋は宮に『杉材で』『固着』されました。この『杉材』は最高の品質だったことでしょう。またこの脇屋を固着させる際も、やはり工事音が聞かれないようにされたはずです。