【Ⅰ列王記6:11~22】(2023/09/03)


【6:11】
『そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。』
 宮が完成すると、神からの御言葉がソロモンに与えられました。これは宮の工事が完了したためです。工事中には御言葉が与えられなかったようです。ここまで見た箇所では、工事中に神の御言葉があったとは書かれていませんでした。神が御言葉を与えたのはどのようにしてだったのでしょうか。これには幾つかが考えられます。まず神は実際の音声により語られたかもしれません。しかし、その音声は物理的な音声であったものの、恐らくソロモンしか聞こえないようにされたでしょう。神はソロモンに脳内音声として語りかけられたのかもしれません。この場合も、御言葉を聞いたのはソロモンだけだったでしょう。預言者を通して御言葉がソロモンに与えられた可能性もあります。ちょうどナタンが神の御言葉をダビデに告げたのと同じようにして、です。

【6:12~13】
『「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行ない、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」』
 神は、もしソロモンが敬虔に歩むならば、ダビデに言われた約束を成就すると言われます。それはⅠ列王記2:4の箇所で書かれていた約束です。つまり、ソロモンがしっかり御前に歩むなら、神はダビデから続く王家をいつまでも存続させて下さいます。これは神が敬虔な者を喜ばれ恵んで下さるからです。十戒でも示されている通り、神は敬虔な者に対する御恵みを、その子孫に対しても注いで下さいます。ここで『おきて』『定め』『命令』と言われているのは、どれも律法を指します。つまり、ここでは律法が3回重ねて書かれることで強調されています。これは律法および律法を遵守することが非常に大切だからです。この通り、神の御前に正しく歩むならば報いが伴います。これは今の時代でもそうです。ですから、私たちは主の御前で敬虔に正しく歩むべきなのです。

 神はまた、ソロモンが敬虔に歩むなら、更に幸いを与えると約束しておられます。その約束とは、ソロモンが正しく歩んだら神は『イスラエルの子らのただ中に住み』、その『民イスラエルを捨てることはしない』ということです。神は正しい者と共にいて下さいます。支配者であるソロモンが敬虔に歩めば、神の子らであるイスラエルの民衆も倣い、敬虔に歩もうとするでしょう。ですから、ソロモンが敬虔であれば神は『イスラエルの子らのただ中に住』んで下さるのです。また神は正しい者に対して誠実であられます。何故なら、神は人の態度に応じる御方だからです。ソロモンが正しく歩めば民衆も正しく歩むでしょうから、その場合、神が『民イスラエルを捨てることはしない』のです。この通り、御前で正しく歩むならば神が共にいて下さり、神から捨て去られることもありません。これはいつの時代でもそうです。ですから、私たちは御前で正しく歩むべきなのです。

【6:14】
『こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成した。』
 こうしてソロモンにより宮が建てられました。ソロモンによるというのがポイントです。何故なら、これはソロモンが宮を建てる者として定められていたということだからです。他のいかなる人物も、宮の建設者としては定められていませんでした。つまり、ソロモンが建設者として神の御心に適っていました。しかし、どうしてソロモンが御心に適っていたのでしょうか。それはソロモンの治世にイスラエルに平和が訪れたからです。平和な時期に宮が建てられるのは、そこに住まわれる平和の神にとって望ましいことなのです。もし神が例えば単なる「戦いの神」でしかなかったとすれば、宮は激しい戦争時にでも建てられていたことでしょう。しかも、戦いを愛する好戦的な王の治世において宮が建てられていたはずです。しかし、神は出エジプト記で『いくさびと』(15:3)と言われているものの平和の神でもあられ、平和を愛されます。ですから、神は平和な時代に宮を建てさせられたのです。またソロモンが宮の建設を『完成』することができたのは、全く神の御恵みによりました。というのも神の御恵みによらなければ良いことは何もないからです。もしソロモンが建設者として御心でなければ、ソロモンは決して宮を完成させることができませんでした。その場合、工事中に大きな妨害が入ったり、ソロモンがやる気を無くすなどして、宮は完成まで至らなかったでしょう。

【6:15】
『彼は神殿の内側の壁を杉の板で張り、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板で張った。なお神殿の床はもみの木の板で張った。』
 ここからは宮の工事における詳しい説明が書かれています。ソロモンが建てた宮の内部は、どこも板張りとされました。この板はどれもそれ以上のものがない最高級のものだったはずです。最高の素材が宮で使われるのは、栄光の神に相応しいことなのです。もし最高級の素材を宮で使わなければ、それは神を侮辱することになるのです。

【6:16】
『ついで、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで、杉の板で張った。このようにして、彼は神殿に内堂、すなわち、至聖所を造り上げた。』
 先に見た通り、宮の長さは『六十キュビト』すなわち26.4mでした。これは50m走の半分ぐらいであり、ちょうど4~5秒ぐらい走ったほどの長さです。そのうち『二十キュビト』すなわち8.8mが奥のほうに『至聖所』として区切られました。私たちはこの『至聖所』を一般的に至聖所と言うだけです。しかし、ここでは至聖所が『内堂』と書かれていますから、至聖所をこのように呼んでも問題はありません。この至聖所の場所も、やはり杉の板張りとされました。木材で張られたというのがポイントです。すなわち、他の素材ではありませんでした。木材で内部を張るのが御心だったのです。神は至聖所にも木材が張られるのを良しとされたのです。これが今の時代であっても、やはり宮の内部は木材で張られたことでしょう。もっとも、もう人の手による神の宮は二度と建てられないのですが。この至聖所は、宮の中で、またイスラエル全土において、最も重要な場所です。イスラエルのどの場所もこの至聖所には及びません。何故なら、至聖所には神がおられるからです。もちろん、神が『天にも地にも、わたしは満ちているではないか。』(エレミヤ23:24)と言われた通り、神はどこにでもおられます。しかし、神は至聖所に強く臨在しておられたので、人間的な認識の見地から神は至聖所におられたと言われるのです。

【6:17】
『神殿、すなわち、前面の本堂の長さは四十キュビトであった。』
 至聖所の前にある『本堂の長さは四十キュビト』すなわち17.6mであり、そこは「聖所」と呼ばれる場所です。この聖所には祭司たちが入り、聖務を行ないます。しかし、至聖所に入れるのは大祭司だけであり、しかも入れるのは年に1度だけです。この至聖所に神がおられます。聖所はこの至聖所の前にある場所であって、至聖所からは区切られています。このことから、至聖所と聖所における大きな違いがよく分かります。

【6:18】
『神殿内部の杉の板には、ひょうたん模様と花模様が浮き彫りにされており、全部、杉の板で、石は見えなかった。』
 宮の内部に張られていた木材は『ひょうたん模様と花模様が浮き彫りにされて』いました。つまり、宮の木材は素材そのままの状態ではありませんでした。この『ひょうたん』と『花』がどのような感じで刻まれていたかは分かりません。しかし、芸術的な巧みさで浮き彫りにされていたのは間違いありません。どうして木材の装飾として『ひょうたん』と『花』が選ばれたのでしょうか。これは、『ひょうたん』であれば特徴的であり、『花』は美しいので、見栄えのためちょうど良かったからだと考えられます。また宮は石で建てられていましたが、その内部の石は『杉の板』で覆われており見えなくされていました。このようにするのが主の御心でした。この石は人体で言えば「骨」かもしれません。骨も筋肉や皮膚で覆われていますから、外からは見られないようにされています。もし皮膚と筋肉を取り去るならば骨も見えるようになります。それと同じで、宮の内部も、木材の後ろには石が隠れていたのです。しかし、どうして宮の木材には『杉』が使われたのでしょうか。杉材が御心に適っていたその理由は何だったのでしょうか。これは杉がレバノン産で強かったからなのでしょう。宮に使われた杉がレバノン産だったのは、先に見たソロモンとヒラムのやり取りから明らかです。杉の強度は個々の木によりまちまちのようですが、レバノンの杉は力強いことでよく知られていました。このような杉の強さは、無限の力を持つ神の宮に使われる素材として相応しかったのでしょう。

【6:19】
『それから、彼は神殿内部の奥に内堂を設け、そこに主の契約の箱を置くことにした。』
 『それから』と書かれています。つまり、ソロモンが『神殿内部の奥に内堂を設け』たのは、その前にある聖所が設けられてからでした。聖所のほうが先に設けられました。これは至聖所のほうが聖所よりも重要だったからなのでしょう。人間も被造物の中で最大に重要だったので、もっとも後で創造されたのです。この至聖所は宮の奥に設けられましたが、これはどうしてだったのでしょうか。これは神が闇の中に隠れられる御方だからなのでしょう。至聖所は聖所から隠れて見えなくされているので、神のおられる場所としてちょうど良いわけです。もし至聖所のほうが聖所よりも前に設けられていたら、とんでもないことになっていたでしょう。宮に入ったらいきなり至聖所であるというのは、正にカオスなことです。これは顔の前面と後ろが逆になっているのも同然です。先に見た通り、この至聖所には大祭司しか入ることができませんでした。王でさえ至聖所には入ることが許されません。しかしながら、至聖所の工事がされている時期はまた別の話です。その時期であれば、工事する者や指揮官またソロモン王も至聖所となる場所にいることができたでしょう。というのも、工事中から既にいてはならないとすれば、どうやって至聖所を設けるというのでしょうか。ソロモンはこの至聖所に『主の契約の箱を置くことにし』ました。神はこの『契約の箱』のところにおられました。すなわち、神は先にも見た通り全宇宙のどこにでもおられるのですが、この箱に強く臨在しておられたので、人間的に見ればこの箱の場所にこそおられたと言われるのです。ですから、宮にあるこの至聖所こそ、古代において神がおられる場所でした。この神は全てに優って重要な存在であられます。その神がこの箱におられたのです。ですから、神の箱は計り知れない重要性を持っていたことが分かります。このため、神の箱が置かれた宮とその至聖所は、古代において間違いなく地球上でもっとも重要な場所でした。神のおられる場所よりも重要だと言える場所がいったいどこにあるでしょうか。ところで、ここで書かれている『主の契約の箱』が今はどうなっているのか、まだ存在していればそれはどこにあるのか、などと疑問に感じる人もいるかもしれません。この事柄については、話が横道に逸れてしまいますから、また別の機会に取り扱ったほうがいいでしょう。

【6:20】
『内堂の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、』
 ここでは内堂すなわち至聖所の大きさが精確に示されています。Ⅰ列王記の記者は、残されていた宮の正式な記録か口伝の記録により、至聖所の大きさをここで書いたのでしょう。もうⅠ列王記が書かれた時代には、ソロモンにより建てられた宮は失われていたと考えられます。ですから、Ⅰ列王記の記者が、自分で実際に宮の大きさを調べることはできなかったでしょう。とすれば、文書であれ口伝であれ残されていた記録を参照して、このように書いたことになるはずです。その至聖所の大きさは『長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビト』すなわち長さも幅も高さも8.8mでした。至聖所は全き立方体だったのです。このような形と大きさが主の御心でした。至聖所がこのように整合的な形だったのは、神の完全性に相応しいからだったと思われます。立方体より完全性を示すのに相応しい形が何かあるでしょうか。「球」であれば立方体と同じぐらい完全性を示せますが、球も立方体を越えるということまではいかないでしょう。このため、アレイスター・クロウリーなど魔術師たちは祭壇の形として立方体を採用するわけです。彼らが邪悪な業のために完全性を示す形を使うのは良くありません。神はこのような形と大きさの至聖所におられるのを望まれました。これは覚えておいて損のないことです。何故なら、これを覚えておけば神に関する知識が一つ増えるからです。

【6:20~22】
『純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇にも純金を着せた。ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内堂の前に金の鎖を渡し、これを金でおおった。神殿全体を、隅々まで金で張り、内堂にある祭壇もすっかり金をかぶせた。』
 至聖所は金張りとされました。また、この至聖所だけでなく『杉材の祭壇』や『鎖』に至るまで、ソロモンは『神殿全体を、隅々まで金で張り』ました。使われたのは銀でなく金です。これは金のほうが銀よりも美しく高い価値だったからでしょう。栄光の神がおられる宮に銀でなく金を使うべきだというのは、いちいち説明する必要もないことです。また、この金は『純金』でした。それには全く混じり気が無かったのです。栄光の神の宮に混じり気のある金を使うというのは、とんでもなく不敬なことです。純金は宮の内側を覆い尽くしたのですから、その総量はかなりのものだったはずです。しかし、この時代のイスラエルはそのような金を用意することができました。「ソロモンの栄華」と言われるように、この時代のイスラエルは非常に繁栄していたからです。神はこのように宮が金張りとされるためにも、ソロモン時代のイスラエルを栄えさせられました。もしイスラエルが貧しければ、宮もその貧しさに応じて貧相になりかねないからです。