【Ⅰ列王記8:8~21】(2023/10/15)


【8:8】
『そのかつぎ棒は長かったので、棒の先が内堂の前の聖所から見えていたが、外からは見えなかった。』
 箱には『かつぎ棒』が備え付けられていました。その棒は聖なる箱と一体でした。つまり、箱は最初から運ばれるという前提で作られていたのです。ケルビムの翼は、この『かつぎ棒』をも上から覆っていました。これは棒が箱の延長物であり、箱の一部分だったからです。ケルビムの翼はこの棒をも覆うような長さとして作られていました。この『かつぎ棒は長かった』のですが、長くなるように作られていたのです。それは複数人で箱を運ぶためでした。このように棒は長かったので、『棒の先が内堂の前の聖所から見えてい』ました。これは設計ミスだったのではありません。最初からこうなることは分かっていたはずです。神がどうしてミスとなる設計をさせられたでしょうか。ソロモンの英知も失敗を許させなかったはずです。しかし、聖所の『外』すなわち宮の外部からは見えませんでした。どうして宮の外からは見えなかったかといえば、それは距離的に至聖所までかなり遠かったからでしょう。こうして祭司でない人々はイスラエル人であれ異邦人であれ、聖なる箱の一部分でさえ全く目に触れることがないようにされました。こうなるのが御心だったのです。

『それは今日までそこにある。』
 この箇所はかなり重要です。何故なら、ここで言われていることから、大まかにではあれ私たちの今見ているⅠ列王記がいつ書かれたか分かるのだからです。ここで言われている通り、Ⅰ列王記の記者が生きていた時代には、まだ聖なる箱が至聖所にありました。つまり、まだ宮が存在していました。もう宮が破壊されて無くなっていたならば、このようには言われていなかったでしょう。ですから、このⅠ列王記が書かれたのは、宮が滅ぼされる紀元前585年よりも前だったことになります。しかし、いつの年に書かれたかという詳しいことまでは分かりません。ここで記者は、宮が再建されてからのことを言っているのではないはずです。そのように捉えるのはあまり自然ではありません。ここで言われているのはまだ宮が滅ぼされる前における『今日』だったはずです。

【8:9】
『箱の中には、二枚の石の板のほかには何もはいっていなかった。これは、イスラエル人がエジプトの地から出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれたときに、モーセがホレブでそこに納めたものである。』
 聖なる箱の中には『二枚の石の板』が入っていました。それ以外には何も入っていませんでした。その板は、モーセが手に持った正真正銘の律法の板でした。モーセはもうとっくの昔に死んでいましたが、この板は無くなっていませんでした。ソロモンの時代になるまで約300年の間、この板はずっと残されていたのです。しかし、その板は箱の中に入っていましたから、誰も勝手に中を覗くことはできませんでした。そうするのは神に対して不敬なことだからです。そもそも板の入ったこの箱は至聖所に置かれていましたから、イスラエル人は開けて中を見るどころか、箱の外観を実際に見ることさえできませんでした。

【8:10~11】
『祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。』
 どれだけの祭司たちが聖所に入って作業をしていたかは分かりません。箱は複数の祭司たちが運びましたから、1人か2人だけしか入らなかったということは考えられません。祭司たちが作業を完了して宮から出て来ると、『雲が主の宮に満ち』ました。その時、宮の中にはもう誰もいなかったはずです。聖書において雲は神の栄光と権威を象徴しています。この時もそのような意味で雲が現われました。この時、主は御自身の栄光と権威をイスラエル人に対して示されたのです。こうしてイスラエル人は、主が宮におられるということを、まざまざと感じたはずです。その時まではまだ祭司たちが宮で仕えることができました。しかし、雲が現われたので、『祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができ』ませんでした。雲により宮の中が見えなかったのでしょうか、それとも雲に妨げられて入ろうにも入れなかったのでしょうか、または畏怖により入ることを躊躇したのでしょうか。どうだったかは分かりませんが、とにかく雲により遮られたため祭司たちは宮で仕えることができませんでした。

【8:12~13】
『そのとき、ソロモンは言った。「主は、暗やみの中に住む、と仰せられました。そこで私はあなたのお治めになる宮を、あなたがとこしえにお住みになる所を確かに建てました。」』
 宮に雲が満ちたのは、宮が完成したという聖なる合図だったと考えてよいでしょう。この聖なる出来事が区切りの出来事だったのは間違いありません。ですから、ソロモンは神に対して言葉を述べました。まずソロモンは、主が『暗やみの中に住む』ということについて述べます。これは主が御自身で言われたことです。神御自身はヨハネも言ったように『光』であられます。しかし、光であられる神は『暗やみの中に住む』のです。これは光であられる神が決して見られないということを示しています。何故なら、神は光であられるものの、『暗やみ』の中に御自身を隠されるのだからです。

 神はこのように暗い場所に住まわれます。ですから、ソロモンは神の住まわれる宮を建てたのです。というのも、神の住まわれる至聖所は暗い場所だったからです。聖所はメノラーの灯火によりいつも明るかったのですが、その向こうにある至聖所は明るくありませんでした。この宮は神が『お治めになる宮』です。神はこの宮の至聖所の場所からイスラエルを支配されたからです。また、その宮は神が『とこしえにお住みになる所』でした。確かに神は宮にとこしえまでも住まわれます。神の住まわれる宮は今や石造りの宮から聖徒となりました。ですから、神は昔も今もこれからもずっと宮に住まわれます。

【8:14】
『それから王は振り向いて、イスラエルの全集団を祝福した。イスラエルの全集団は起立していた。』
 この時に『イスラエルの全集団』は宮の前の庭で全員が『起立してい』ました。『イスラエルの全集団』とは、ソロモンおよびイスラエルの長たちであり、一般の人々もいたかもしれません。彼らが起立していたのは、神の箱が宮に運び入れられていたからです。これは神が移動しておられたことです。であれば、どうしてそのような出来事の際、その出来事を見ている人々は起立していなくていいはずがあるでしょうか。律法では、白髪の老人の前でさえ起立しているべきだと命じられています。老人の前でさえ起立しているべきだとすれば、尚のこと神の御前では起立しているべきでしょう。もしこの時に起立していないユダヤ人がいたとすれば、どれだけ不敬だったことでしょうか。そのような人は、老人より神のほうが下だと言っているのも同然なのです。その全集団の前にソロモン王が立っていました。これはソロモンが民の代表者だったからです。宮が雲で満ちると、ソロモンは人々のほうを『振り向いて』、それから『イスラエルの全集団を祝福し』ました。このように重要な出来事の際は、民を祝福するのが相応しかったのです。

【8:15】
『彼は言った。「イスラエルの神、主はほむべきかな。』
 ソロモンがこのように神を賛美したのは、遂に宮が建てられたからです。神の住まわれる聖なる宮がやっと完成しました。その建設は神の御恵みによりました。ですから、神はこの時に崇められるべきだったのです。ここでは『イスラエルの神』と言われていますが、この神は全宇宙・全人間の神であられます。古代ではまだイスラエル人だけがこの神を奉じていましたから、このように言われているのです。しかし、このように言われているからといって、神が単にユダヤ人だけの民族的な神に過ぎなかったというわけではありません。『主』と訳されているのは原文で『ヤハウェ』だという点に注意せねばなりません。

【8:15~17】
『主は御口をもって私の父ダビデに語り、御手をもってこれを成し遂げて言われた。『わたしの民イスラエルを、エジプトから連れ出した日からこのかた、わたしはわたしの名を置く宮を建てるために、イスラエルの全部族のうちのどの町をも選ばなかった。わたしはダビデを選び、わたしの民イスラエルの上に立てた。』それで私の父ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけていた。』
 ソロモンは自分の父ダビデのことを回想しています。神はダビデの時でさえ、まだ御自分の宮を建てさせるため、どの町をも選んでおられませんでした。イスラエルの中でもっとも重要な部族であるユダの町でさえも、まだ選んでおられませんでした。ユダの町でさえ選ばれていなかったのであれば、尚のこと他部族の町は選ばれる余地がありませんでした。何故なら、ユダでない部族の町が選ばれるぐらいならば、ユダの町のほうが選ばれていたに決まっているからです。神が宮のため町を選んでおられなかったのは、神が『民イスラエルを、エジプトから連れ出した日からこのかた』約300年の期間でした。これはかなり長い期間です。しかし、神は町を選んでおられなかったものの、ダビデを選んで王としておられました。ダビデは宮を建てる町に先んじて選ばれたのです。ですから、ダビデは『イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけてい』ました。これは、ダビデがもう選ばれているのに対し宮を建てる町のほうはまだ選ばれていなかったからです。

 このように神はソロモンの時代に至るまで、御自分の宮がないままにしておられました。神はモーセたちがエジプトを出てから、すぐにも宮を建てさせることもおできになりました。しかし、神はこれまでずっとそうされませんでした。どうして神はここまで宮なしで済ませておられたのでしょうか。これは何事にも「順序」というものがあるからです。人間であれば、最初の人間であるアダムとエバを除き、誰も最初から成人として生まれる人などいません。キリストも人間が堕落してからすぐには現われず、堕落してから約4000年後に現われました。これらのことからも分かる通り、神はまだ順序に沿っていなかったので、宮がないままにしておられたのです。しかし、今やもう宮が建てられるべき順序となりました。ですから、ソロモンの時代となってはもう宮が<建てられねばならなかった>のです。

【8:18~19】
『ところが、主は、私の父ダビデにこう仰せられた。『あなたは、わたしの名のために宮を建てることを心がけていたために、あなたはよくやった。あなたは確かに、そう心がけていた。しかし、あなたがその宮を建ててはならない。あなたの腰から出るあなたの子どもが、わたしの名のために宮を建てる。』』
 ダビデは出来るならば何とかして宮を建てたいと強く思っていました。その志は神の御心に適いました。何故なら、宮が建てられるのは神の御心だったからです。つまり、ダビデは非常に幸いなことを願っていたのです。神がダビデに『あなたは、わたしの名のために宮を建てることを心がけていたために、あなたはよくやった。』と言われた通りです。しかし、神はダビデに宮を建てさせられませんでした。何故なら、ダビデは戦いで多くの人の血を流していたからです。たとえ戦争で合法的に人を殺したにしても、多くの血に濡れたダビデが宮を建てるのは相応しくありませんでした。それというのも宮に住まわれるのは『平和の神』であられるからです。もしダビデが何も血を流していなかったとすれば、ダビデは宮を建てるに相応しい人物でした。このようにダビデは血を流したからこそ建てることが出来なかったのであり、ダビデその人は本来的に宮を建てるため用いられることが可能な人物でした。しかし、ダビデでは難しくなっていたので、神はダビデに対し『あなたの腰から出るあなたの子どもが、わたしの名のために宮を建てる。』と言われたのです。ソロモンであればダビデのように血を流してはいませんでしたから、宮を建てるに相応しかったのです。ソロモンすなわち「平和」という彼の名前も、平和の神が住まわれる宮を建設する者として似合っています。平和の神が住まわれる宮は、平和な時代に平和の王によって建てられるべきだからです。誰がこのことを疑うでしょうか。

【8:20】
『主は、お告げになった約束を果たされたので、私は父ダビデに代わって立ち、主の約束どおりイスラエルの王座に着いた。』
 神は真実で正しい御方ですから、約束されたことを必ず果たされます。ですから、ソロモンはダビデに続いて『主の約束どおりイスラエルの王座に着いた』のです。既に見た通り、アブシャロムが王座に着くのは御心に適っていませんでした。

【8:20~21】
『そして、イスラエルの神、主の名のために、この宮を建て、主の契約が納められている箱のために、そこに一つの場所を設けた。』
 神からイスラエルの王として立てられたソロモンは、聖なる宮を建てました。このためにソロモンは王となるよう神から定められていたのです。この宮の詳細とその建てられた過程は既に見た通りです。ソロモンは『主の名のために』宮を建てました。つまり、自分のため、自分の栄光のため、宮を建てたのではありませんでした。またソロモンは聖なる箱が置かれる至聖所を、宮の中に設けました。至聖所は箱が置かれるためにこそ作られました。宮が作られたならば、その宮には必ず至聖所がなければなりません。至聖所がもしなければ、宮が建てられても意味はありませんでした。それは心臓や顔のない身体が決して生きられないのと似ています。ここで『主の契約』が箱に納められていると言われているのは、契約の言葉の記された律法の板が箱に納められているということです。律法では、この契約の言葉を守り行なうようにと命じられています。『あなたがたは、この契約のことばを守り、行いなさい。あなたがたのすることがみな、栄えるためである。』(申命記29:9)と書かれている通りです。何故なら、神はイスラエルと契約を結ばれたので、契約の民とされた者たちが守るべき律法をお与えになったからです。

【8:21】
『その契約は、主が、私たちの先祖をエジプトの地から連れ出されたときに、彼らと結ばれたものである。」』
 神が契約をイスラエルと結ばれたのは、モーセたちがエジプトを出てからでした。ソロモンの時代に至るまで、その契約はずっと保たれていました。ですから、聖なる箱とそこに入っている律法の板も、失われずずっと保たれていたのです。しかし、今やもう箱と2枚の板は失われています。これはもう神とイスラエルとの契約が断ち切られたからなのです。それというのも、ユダヤ人は契約の本体であられるキリストを否んで殺したからです。契約の主を否認したのであれば、どうして契約が今でもイスラエルに保たれているはずがあるでしょうか。