【Ⅰ列王記8:59~9:3】(2023/11/26)


【8:59】
『私が主の御前で願ったことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの言い分や、御民イスラエルの言い分を正しく聞き入れてくださいますように。』
 ソロモンは、自分の言った言葉が、『神、主のみそば近くにあ』ることを求めています。これはソロモンの言葉が、主のおられる宮で実現するようにという願いです。すなわち、ソロモンは宮で捧げられる民の祈りがいつも主に聞き入れられることを求めています。ソロモンが『昼も夜も』そのことを願ったのは、イスラエル人が『昼も夜も』宮で祈りを捧げるからです。ソロモンは、イスラエルの祈りが重要な事柄でない『日常のことにおいても』聞き入れられるように願っています。それは『しもべ』であるソロモンであれ、『御民イスラエル』であれ、そうです。何故なら、イスラエル人は重要な事柄だけでなく日常においても、神との関わりのうちにあるからです。イスラエル人はその日常においても神の支配下に置かれているからです。この通り、神は聖徒たちの日常的な事柄についても祈りを聞き入れて下さいますから、私たちは『日常のことにおいても』祈りを捧げるべきです。使徒ヨハネも日常のことで祈りを捧げていました。聖徒たちの祈りが重要な事柄に限られるべきだということはありません。聖書は重要な事柄だけを祈るようになどと教えていません。

【8:60】
『地上のすべての国々の民が、主こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるためです。』
 前節で言われていた通り、イスラエルの祈りが『日常のことにおいても』神から聞き入れられるのは、『地上のすべての国々の民が、主こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるため』でした。重要な事柄だけでなく日常的な事柄でも全て祈りを聞いて下さるような神が、他にいるでしょうか。真の神以外にそのような神は決してありません。ですから、神がそのような御方であるならば、諸国民はイスラエルの神こそ真の神であると知るようになるのです。というのも異邦人たちの神々は、真の神のように、日常的な事柄についても全てを聞き入れてくれるということはないからです。このように神は御自分のために御民が捧げる祈りを『日常のことにおいても』聞いて下さいます。つまり、民の祈りを聞き入れるのは神にとって益となるのです。しかし、諸国民がこのようにして『主こそ神であ』ることを知ったとしても、だからといってその民が救いを受けられたということはありませんでした。旧約時代において救われたのはイスラエルだけだったからです。けれども、ユダヤ以外の諸国民も、やがては救われることが決められていました。ですから、このように異邦人も『主こそ神であ』るのを知ることは、事前教育として大きな意味があったと思われます。

【8:61】
『あなたがたは、私たちの神、主と心を全く一つにし、主のおきてに歩み、今日のように、主の命令を守らなければならない。」』
 ソロモンは、民が『神、主と心を全く一つに』するように求めています。『主と心を全く一つに』するとは、どういう意味でしょうか。これは民が、主の御心を自分の心・思いにするということです。その御心は律法の中で明瞭に示されています。神の側がイスラエルの心に一致する必要性はありません。何故なら、神はイスラエルの主であって、イスラエルのほうが神に合わせるべきだからです。しかし、神も民の祈りを聞き入れるという形で、イスラエルの心に御自分を合わせて下さいます。それはイスラエルが主の御心に適った事柄を祈り求めるからです。今の時代に生きる聖徒たちも『主と心を全く一つにし』なければなりません。例えば、「この戒めは私の感覚に一致しないから受け入れ難い。」などと言うべきではありません。寧ろ、聖書で示されている御心の事柄を聖徒たちは自分の思想・意思とすべきなのです。ですから、詩篇の記者はこう言ったわけです。『どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。』(詩篇119:97)

 ここで『今日のように』とある通り、ソロモン時代のイスラエル人は『主の命令を守』っていました。これはダビデ時代が霊的に良い状態だったからでしょう。敬虔なダビデに治められていた頃、イスラエル人たちはダビデのように主の命令を守っていたはずです。それというのもダビデは民が命令に従わないことを許さなかったはずだからです。そのような良い状態が、まだソロモン時代のイスラエル人においても続いていたのです。ですから、ソロモン時代のイスラエル人はダビデ時代と同じように『主の命令を守』っていたわけです。イスラエル人が命令を守っていた『今日のように』、イスラエル人はこれからも『主の命令を守らなければならない』とソロモンがここで命じています。これはイスラエルが神の民であって、神の民はいつでも『主の命令を守らなければならない』からです。神の民が命令を守らなくてもよい時など一瞬たりともないのです。

【8:62~63】
『それから、王と王のそばにいたイスラエル人はみな、主の前にいけにえをささげた。ソロモンは主へのいけにえとして和解のいけにえをささげた。すなわち牛二万二千頭と羊十二万頭。』
 ソロモンが民衆を祝福すると、『王と王のそばにいたイスラエル人はみな、主の前にいけにえをささげ』ました。これは罪の贖いや和解や宥めが無い限り、誰も神の御前に立つことが出来ないからです。この『いけにえ』は御子イエス・キリストを象徴しています。御子を父なる神は愛しておられます。ですから、御子を示すこの『いけにえ』が捧げられることで、イスラエルは神の御前で受け入れられるのです。この時にソロモンが捧げた『和解のいけにえ』は、『牛二万二千頭と羊十二万頭』でした。羊が『十二万頭』だったのは、それらが生贄のため選別された群れだったということでしょう。というのも聖書で「12」は選びを示す数だからです。牛が『二万二千頭』だったのは、数字的な意味を持っていません。これは単に多くの牛が捧げられたというだけのことです。しかし、この『十二万』と『二万』を合計すると「14万」になります。「14」は聖書で短さや少なさ、また部分であることを意味します。ですから、これを合計して「14」と捉えるならば、これらの生贄はソロモンが所有する家畜の部分であったということになります。すなわち、ソロモンが所有する家畜を全て捧げたというのではありません。このように聖書で「14」という数字を見出したならば、よく考える必要があります。

【8:63】
『こうして、王とすべてのイスラエル人は主の宮を奉献した。』
 神へ生贄が捧げられると、宮が神に『奉献』されました。神に宮が奉献されるとは、つまり宮が全く神に関わるものとして正式に献上されたということです。こうしてこの宮は完全に神の御前で捧げられることとなりました。ですから、この宮はもう民衆的な建造物ではありません。それは神的な建造物なのです。この時に『主の宮を奉献した』のは、イスラエルの全体でした。つまり、宮は民族的に神の御前で献上されました。ソロモンが個人的に献上したというのではありません。というのもソロモンだけが宮と関わるのではないからです。民全体が宮と関わるため、民全体が宮を神に奉献しなければなりませんでした。

【8:64】
『その日、王は主の神殿の前の庭の中央部を聖別し、そこで、全焼のいけにえと、穀物のささげ物と、和解のいけにえの脂肪とをささげた。主の前にあった青銅の祭壇は、全焼のいけにえと、穀物のささげ物と、和解のいけにえの脂肪とを受け入れるには小さすぎたからである。』
 既に見た通り、この時に用意された捧げ物は非常に多い量でした。ですから、『主の前にあった青銅の祭壇』では、それら全てを捧げるには『小さすぎ』ました。この『青銅の祭壇』は宮の庭の北側にあり、それは宮から見れば左側にありました。この祭壇の詳細は既に見た通りです。こういうわけでしたから、ソロモンは『主の神殿の前の庭の中央部を聖別し』、その場所で捧げ物が捧げられるようにしました。『中央部を聖別』したならば、そこにも犠牲式の祭壇を置けるようになります。そうすればそこで大規模に捧げ物を捧げることができます。つまり、このように庭の中央部を使わなければならなくなるほど用意された捧げ物は多かったわけです。しかし、このように庭の中央部が聖別されたのは、あくまでもこの時に限られました。これからも聖別された状態が続き、中央部で捧げ物を捧げることができたわけではありません。これからは通常通り『主の前にあった青銅の祭壇』でのみ捧げ物が捧げられたはずです。この時にソロモンが『中央部を聖別し』たのは、どうしても仕方が無かったのです。ソロモンが捧げたのは全部で3つでした。『全焼のいけにえ』は罪の贖いのためです。『穀物のささげ物』は感謝の捧げ物です。『和解のいけにえ』とは神と和解するための犠牲です。この時の大規模な犠牲式における捧げ物を、神はその御前で受け入れられたことでしょう。何故なら、この時は記念すべき喜ばしい時だったからです。またこの時のイスラエル人は神に対する背きの罪を犯していなかったはずです。ですから、この時のイスラエルに神への捧げ物が拒まれる理由は何もありませんでした。

【8:65】
『ソロモンは、このとき、彼とともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大集団といっしょに、七日と七日、すなわち十四日間、私たちの神、主の前で祭りを行なった。』
 この時には、『レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの』『全イスラエル』がやって来ていたので『大集団』となっていました。しかし、『大集団』といってもその実際的な人数がどれぐらいだったかまでは分かりません。この時にイスラエル人は『七日と七日』、宮の場所にいました。最初の『七日』は『祭壇の奉献』(Ⅱ歴代誌7章9節)が行なわれ、次の『七日』は『祭り』(同)が行なわれました。これらがどちらも「7」日だったのは、どちらも聖なる行事だったからです。ここでの「7」は明らかに意味があります。またこの『七日と七日』を合計した『十四日間』における「14」も、明らかに意味があります。これは「14」ですからこの期間が長くなかった、もしくは短く感じられた、という意味でしょう。このようにイスラエル人は『祭りを行なった』のですが、これはこの時が記念すべき喜ばしい時だったからです。この祭りはかなり大規模だったはずです。何故なら、祭りの規模とある出来事の大きさは比例しているのが常だからです。それゆえ、もしこの時における出来事があまり大きくなければ、それに応じ祭りの規模もそこまで大きくはならなかったでしょう。

【8:66】
『八日目に、彼は民を去らせた。民は王に祝福のことばを述べ、』
 ソロモンは、『八日目』に民を各々の相続地へと『去らせ』ました。この『八日目』とは祭りの後における『八日目』であって、すなわち奉献式の第一日目から数えれば「15日目」です。ですから、15日目が『八日目』と言われていたとしても、間違っているということはありません。聖書は単にこれが祭りにおける『八日目』であると明瞭に述べていないだけです。ここでは『去らせた』と書かれていますが、これはソロモンが民を強制的に束縛していたというニュアンスではありません。これは単に去らせる時期となったので去らせただけのことです。そのように去る際、イスラエルの『民は王に祝福のことばを述べ』ました。これは王の栄えや長寿、また王に対する神の御恵みなどを願い求める言葉だったのでしょう。この時は宮が完成したのですから、こういった『祝福のことばを述べ』るのが相応しかったのです。

『主がそのしもべダビデと、その民イスラエルとに下さったすべての恵みを喜び、心楽しく彼らの天幕へ帰って行った。』
 民が王に祝福の言葉を述べると、民は『彼らの天幕へ帰って行』きました。近くから来た者は近くに帰り、遠くから来た者は遠くに帰りました。この『天幕』とは要するに住まいの家です。ここで言われている通り、神は『そのしもべダビデ』に恵みを与えられました。その恵みとは、神がダビデを召し出され、王として立て、戦いで勝利を得させ、ずっと守り続けたこと等です。また神は『その民イスラエル』にも恵みを与えられました。それは神がイスラエルをエジプトから連れ出されたこと、神の民とされたこと、約束の地を与えられたこと、等々です。民はこのダビデと御民に与えられた『すべての恵みを喜び』ました。何故なら、神がダビデと御民に恵みを与えられたというのは、非常に幸いなことだからです。こうして民は『心楽しく彼らの天幕へ帰って行』きました。彼らが『心楽しく』帰れたのは、この時に純粋な喜びがあったからです。その喜びを妨げる問題がこの時のイスラエルにはありませんでした。もしそのような妨げがあったならば、『心楽しく』帰るのは難しかったでしょう。つまり、この時のイスラエルは霊的に良い状態でした。しかし、これからイスラエルは霊的に堕落してしまいます。また、このように『楽しく』帰れたのは神の祝福があった証拠です。神の祝福があれば楽しさも生じるものだからです。その最も良い例は天国です。

【9:1】
『ソロモンが、主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成したとき、』
 ここで言われている『主の宮と王宮』については、もう既に見た通りですから、ここで説明する必要はないでしょう。しかし『ソロモンが造りたいと望んでいたすべてのもの』とは何でしょうか。これは町々のことでしょう。これらをソロモンが『完成』させることが出来たのは、神の御恵みによります。神はこれらの『完成』を妨げられませんでした。もしこれらの『完成』が御心でなかったとすれば、妨げにより完成されることはなかったでしょう。

【9:2】
『主は、かつてギブオンで彼に現われたときのように、ソロモンに再び現われた。』
 神は、かつてソロモンに現われ、ソロモンの願いを聞き入れられました。そのようにしてソロモンは神の英知を持つ者とされたのです。その時に神が『現われた』のは夢においてでした。神がソロモンに現われた『ギブオン』はエルサレムから20kmほど北西に離れており、そこはベニヤミンの相続地でした。この出来事は既にもう見た通りです。神は再びソロモンに現われて下さいました。それは『かつてギブオンで彼に現われたときのように』でしたから、この時も夢において神は現われました。それは単なる夢でありませんでした。神が本当に夢でソロモンに対し現われて下さったのです。そのように神が現われたのは御言葉を与えるためでした。その御言葉は次の3節から9節までに書かれています。

【9:3】
『主は彼に仰せられた。「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。』
 神はソロモンの祈りを聞いて下さいました。その祈りとは、つい先ほど見たあの祈りのことです。神はどれだけソロモンの祈りを聞いて下さったのでしょうか。それは祈りの全てです。何故なら、私たちが既に見たあの祈りの内容は、どれも御心に適っていたからです。もし何か御心に適わない部分があれば、神はその部分を指摘され、恐らく「但しあの願いについては別である。」などと言っておられたはずです。このように神はソロモンの祈りを聞かれたので、民が宮で祈るその祈りは神から聞き入れられることとなりました。またイスラエルが悔い改めて赦しを求めるならば、神はキリストにおいて赦して下さいます。神は宮にいつもその御目を向けていて下さいます。また異邦人も宮で祈るならば神はその祈りを聞き入れて下さいます。このように祈りが全て聞き入れられたのは幸いなことでした。ですから、祈りが聞かれたことを知らされたソロモンは大いに喜んだはずです。