【Ⅰ列王記10:15~24】(2023/12/31)


【10:15】
『このほかに、交易商人から得たもの、貿易商人の商いで得たもの、アラビヤのすべての王たち、およびその地の総督たちからのものがあった。』
 ソロモンは、これまでに見た金の他にも、多くの財物を得ていました。それらもやはり神が御恵みにより与えて下さったのです。『交易商人』とはイスラエル国内にいる流通業者だったと考えられます。この『交易商人から得たもの』とは、献上物だったと思われます。それがどのぐらいの量だったかまでは分かりません。『貿易商人』とは、他国にいる流通業者だったはずです。この『貿易商人の商いで得たもの』とは、ソロモンが購入した物です。これもどれぐらいあったかまでは分かりません。『アラビヤのすべての王たち、およびその地の総督たち』とは、イスラエルの周囲にあったアラブ諸国を支配する者たちです。彼らはイシュマエル族であり、今でもその子孫は多く中東地域に存在していますが、民族的にはイスラエルの兄となります。彼ら『からのもの』とは、彼らがソロモンに贈った贈り物でしょう。ソロモンはアラブ人からも高く見られていたのです。というのも、もし低く見て軽んじていたとすれば、どうして贈り物を贈るということがあったでしょうか。このアラブの支配者たちがソロモンに贈った物も、どれぐらいあったかまでは詳しく分かりません。

【10:16~17】
『ソロモン王は、延べ金で大盾二百を作り、その大盾一個に六百シェケルの金を使った。また、延べ金で盾三百を作り、その盾一個に三ミナの金を使った。王はそれらを、レバノンの森の宮殿に置いた。』
 ソロモンは多くの金を得たので、金を大いに使うことができました。ここではその金を盾に使ったことが書かれています。ここでは『大盾』と『盾』の2種類が書かれています。『大盾』とは普通の『盾』よりも大きい盾のことでしょう。ソロモンは一つの『大盾』に『六百シェケルの金を使』いました。1シェケルは11.4グラムですから、つまり一つの大盾につき6.84kgの金が使われました。その大盾が『二百』作られましたから、全部で大盾には1トン368kgの金が使われました。これは666タラントの金における6%となります。『盾』は一つにつき『三ミナの金』が使われました。1ミナは570グラムですから、一つの盾につき1.71kgの金が使われました。その盾は『三百』作られましたから、盾には合計で513kgの金が使われました。これは666タラントの金における2.26%となります。ソロモンは、これらの盾を『レバノンの森の宮殿に置』きました。それはソロモン宮殿から2つ左に離れた建物でした。ソロモンはどうして金を盾に使ったのでしょうか。聖書はその理由について何も示していません。これは恐らく余興的なことだったのかもしれません。大量の金がそのままで固まっていれば、あまり面白味はありません。しかし、それが盾に使われるならば粋なことです。もう一つ、これには理由があったとも考えられます。それは「象徴」のためです。ソロモンは恐らく、多くの富が盾のように防御の役割を果たすということを示そうとしたのかもしれません。ソロモンが『金銭はすべての必要に応じる。』と言ったのは、当然ながら防御することにおける『必要』も含まれています。ソロモンは箴言で象徴的な表現を多く使っていますから、このように象徴的な盾を作った可能性はかなり高いと見ていいはずです。いずれにせよ、こんなにも多くの盾に金が使われたのは驚くべきことです。ソロモンには英知がありましたから、このような盾の制作が愚かだったとは決して言えません。作られた大盾の数が「200」だったのも、作られた盾の数が「300」だったのも、それらの合計が「500」だったのも、そこに象徴的な意味はないでしょう。また大盾に使われた金が「600」シェケルだったのも、盾に使われた金が「3」ミナだったのも、数字的な象徴性はないはずです。

【10:18~19】
『王は大きな象牙の王座を作り、これに純粋な金をかぶせた。その王座には六つの段があり、王座の背には子牛の頭があり、』
 ソロモンは王でしたから、自分の座る王座を作りました。それは『大きな象牙』による王座です。それは大きかったでしょうが、具体的にどれぐらいの大きさだったかは分かりません。ソロモンはこの王座に『純粋な金をかぶせ』ました。王座の大きさがどれだけであるか分かりませんから、王座にどれぐらいの金が使われたのかも分かりません。ただかなりの量だったことは間違いありません。この王座には『六つの段があり』ました。この段の数は明らかに象徴的な意味を持っています。『六つの段があ』ったとは、つまりソロモンの座る王座が7段目だったということです。ソロモンがいる場所は、下から数えて7ですから、ソロモンが「7」となります。これはソロモンの王権における絶対性・完璧性・卓越性を示しています。神により与えられた王権がこのようであるというのは、何もおかしなことではありません。ソロモンはこの段を9段にすることもできたでしょう。その場合、ソロモンの位置は10段目となります。聖書においては「10」も「7」と同じ完全数です。しかし、ソロモンは6段と7番目の位置であることを選びました。この王座の背『には子牛の頭があり』とは、70人訳聖書による文章です。ヘブル語の原文では『の頭は丸く』です。これはヘブル語のままにしておくべきでした。『王座の背の頭は丸く』とは、どういったことでしょうか。これは単に王座の外面的な美しさを示しているのだと思われます。美しいものが往々にして丸みを帯びているというのは、誰でも少し考えればすぐ分かることです。しかし、どうして70人訳聖書の訳者たちは、これを『には子牛の頭があり』と訳したのでしょうか。『の頭は丸く』だと少し分かりにくいと感じたからなのでしょうか。ルターも指摘している通り、70人訳聖書の訳文には原文通りでない訳が幾つもあり、この部分もそうですがそのような訳は往々にして考えさせられてしまいます。

【10:19~20】
『座席の両側にひじかけがあり、そのひじかけのわきには二頭の雄獅子が立っていた。また、十二頭の雄獅子が、六つの段の両側に立っていた。このような物は、どこの王国でも作られたためしがなかった。』
 ソロモンは、この王座に肘を置くための『ひじかけ』を作りました。もし肘掛けが無ければ、肘を置く場所が王座にはないままです。その場合、王の肘は安定しません。そのようであると王の尊厳に関わります。王者は王者らしく見えるトリックがどうしても必要です。ルイ14世を考えても分かる通り、王者は堂々としていてこそ王者らしく見えるものです。ですから、ソロモンは王座に肘掛けを付けずにおきませんでした。もし肘掛けが無ければ、座った時のソロモンは少し惨めに見えていた可能性もあります。この『ひじかけのわきには二頭の雄獅子が立ってい』ました。すなわち、右の肘掛けの右に1頭の雄獅子がおり、左の肘掛けの左にも1頭の雄獅子がいました。当然ながらその雄獅子は作り物です。どうして肘掛けの脇に雄獅子が作られたのでしょうか。これは王の王権および威圧する恐ろしさを示すためです。聖書において獅子は権威や恐ろしさを象徴する存在だからです。この雄獅子における大きさや雰囲気は詳しくここで書かれていません。しかし、それは恐らく強い雰囲気を放つ獅子だったことでしょう。王は1人でいてさえ恐るべき存在です。であれば王の横にこのような獅子がいたとすれば、王の威厳はどれだけ際立ったことでしょうか。ソロモンの下にあった6つの段には、その両側に『十二頭の雄獅子』が立っていました。すなわち、1段の左端と右端にそれぞれ1頭の雄獅子が立っており、それが6段ありました。これが合計で12頭だったのは象徴性があるはずです。これは12頭の雄獅子がそこに立っているという状態を、ソロモンが「選んだ」ということでしょう。12は聖書で選びを示すからです。つまりソロモンは王座を作らせる際、6つの段の両側に雄獅子を作るよう指示したのです。だからこそ、そこには12頭の雄獅子が立つことになったわけです。この通り、王座には合計で14頭の獅子―右側に7頭、左側に7頭―が立っていました。このような王座は、その王座だけであっても恐ろしいと感じさせられたかもしれません。そこに恐るべき存在である王が座ります。ですから、この王座に座ったソロモンを見た人々が圧倒された可能性はかなり高いでしょう。20節目で言われている通り、このような王座は『どこの王国でも作られたためしが』ありませんでした。つまり、この王座には創造性・独自性・貴重性がありました。真似事でない真に優れた製作品は、優れた知恵により生み出されます。ソロモンは神の英知を受けていましたから、こういった王座を作ることができたのです。今の時代でこのような王座が見られるでしょうか。決して見られません。それはソロモンのような英知ある強大な大王が、今の時代には全く存在していないからです。今の時代でこの王座に座るに相応しいような支配者はどこにもいないでしょう。

【10:21】
『ソロモン王が飲み物に用いる器はみな金であった。レバノンの森の宮殿にあった器物もすべて純金であって、銀の物はなかった。銀はソロモンの時代には、価値あるものとはみなされていなかった。』
 ソロモンは666タラントもの金を持っていましたから、その『飲み物に用いる器』さえも金にすることができました。飲む物さえ金の器に入れられるとは何と贅沢なことでしょうか。これはソロモンだからこそ出来たことです。触れる物が全て金に変わったというミダス王の伝説は作り話である一方、ソロモンの飲み物に用いる器が全て金だったというのは本当の話です。しかし、その器の数や形などについては詳しく分かりません。ソロモンのことですから、良い物を多く作った可能性が高いでしょう。また『レバノンの森の宮殿にあった器物もすべて純金』でしたが、これもまた豪華なことです。これはソロモンがどれだけ富んでいたかよく示されています。これも器物の詳細についてはよく分かりません。ただこれもやはり良い物が多くあったと思われます。ここで言われている通り、ソロモンは銀の物を作っていませんでした。何故なら、『銀はソロモンの時代には、価値あるものとはみなされていなかった』からです。銀があまり価値高く見做されていなかったとすれば、ソロモンが銀製の物を作らなかったとしても不思議なことはありません。何故なら、王には価値高い物こそが相応しいからです。

 ソロモンの時代に銀が価値高く見做されていなかったというのは、歴史的な知識として重要です。このことは、私たちがソロモン時代の世界をより良く理解するのに役立つからです。ソロモン時代に価値高く見做されていなかった銀は、今や金ほどでないにせよ価値のある物質と見做されています。金の場合、恐らくこれまでその価値を認められなかった時代はないでしょう。しかし、この金もこれからどうなるかは分かりません。人工的に自然の金と同等の金を作り出せる技術が発明されたり、考えられないほどの金を産出する鉱山が見つかるなどした場合、金にあまり価値が無くなる可能性もあるからです。ガラスも昔はその貴重性ゆえ非常に高価な物質でした。しかし今や貴重では無くなりましたから、それほど価値があると見做されない物質となり、100円ショップでさえ買えるほどの物となったのです。しかしながら、真理の価値は銀や金と異なりいつでも変わることがありません。これは間違いないことです。

【10:22】
『王は海に、ヒラムの船団のほか、タルシシュの船団を持っており、三年に一度、タルシシュの船団が金、銀、象牙、さる、くじゃくを運んで来たからである。』
 先に見た通り、ソロモンには『ヒラムの船団』がありました。これはヒラムの船員とソロモンの船員から成る同盟船団です。ソロモンはこれ以外にも『タルシシュの船団』を持っていました。この名前は、タルシシュに行く目的を持つ船団だったという意味でしょう。旧約聖書においてこの『タルシシュ』はよく出てくる言葉です。この『タルシシュの船団』は『三年に一度』、ソロモンに価値ある物を運び込んでいました。どうして『三年に一度』の頻度だったのでしょうか。これについては詳しく分かりません。3年ごとに1度だけ行けば十分だったのでしょうか。あまりに多く行って資源が無くなってしまわないためでしょうか。タルシシュで3年分を費やして得た収穫を一挙に持ち運んでいたのでしょうか。いずれにせよ、私たちはこの船団が『三年に一度』ソロモンに獲得物を齎したとだけ知っていれば問題ありません。ここではタルシシュの船団が運んだ物が5つ書かれています。ここでの「5」には数字的な象徴性がありません。タルシシュの船団は『金』をソロモンに持ち運んでいました。先に見た通り、ソロモンは既に666タラントの金を得ていました。666タラントの金に加え、ソロモンには3年ごとに更なる金が増やされていました。タルシシュの船団が齎す以外の方法でもソロモンは金を得ていた可能性はあります。ですから、ソロモンが666タラント以上の金を所有していたことは間違いありません。先の箇所ではただ1年間にソロモンの得た金が666タラントだったと言われていただけなのです。タルシシュの船団は『銀』もソロモンに運んでいましたが、既に見たように銀はソロモン時代において価値高くありませんでした。しかしソロモンが銀を使わなくても、イスラエルでは銀が使われていたはずです。現代でもアルミはあまり価値がないものの、一般的によく使われています。銀はイスラエル社会にとって必要な物質だったはずです。タルシシュの船団は『象牙』をも運んでいました。この象牙における量や使用用途は詳しく分かりません。『さる、くじゃく』は何のために運び込まれたのでしょうか。金になるからでしょうか、贈り物として使えるからでしょうか、観賞用や娯楽などのためでしょうか。『さる、くじゃく』が運び込まれた目的については詳しく分かりません。またその数や質の良し悪しなども詳しく分かりません。ただ次のことは確かに分かります。すなわち、ソロモン時代のイスラエル人は『さる、くじゃく』を見ており見ていないイスラエル人もその存在について多かれ少なかれ知っていたということです。

【10:23】
『ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。』
 ソロモンを上回る『富と知恵』に恵まれた王は全く存在していませんでした。どの王も、ソロモンを下回る『富と知恵』しか持っていませんでした。これは神がソロモンに御恵みを大いに与えて下さったからです。『富』について言えば、先に見た通り、ソロモンは少なくとも666タラント以上の金を所有していました。他の王は全てこれ以下の資産しか持っていませんでした。しかも、先に見た通り、ソロモンの資産はそのままでなく更に増し加えられていました。ソロモンが王の中で最も富む者だったというのは、ソロモンの死ぬ時まで変わらなかったはずです。このようなことのため、今に至るまで「ソロモンの栄華」という言葉が言い伝えられているわけです。『知恵』について言えば、これもやはりソロモンを上回る知恵に恵まれた王はどこにもいませんでした。ソロモンと同等程度の知恵を持つ王さえ全くいませんでした。何故なら、神の英知が与えられたのは地上でソロモンだけだったからです。もしソロモンと並び立つ知恵の持ち主である王がいたとすれば、その王にも神の英知が与えられたことになります。ソロモンと知恵比べをしようとする王がいたとすれば、それは神と知恵比べをするようなものでした。何故なら、ソロモンは神でなかったものの神の英知が与えられていたからです。このように『富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた』ソロモンでしたが、だからといって自分自身を誇ることはできませんでした。その『富と知恵』は神が与えて下さったものであり、ソロモン自身から出たものではないからです。もしソロモンが富と知恵のことで自己を誇っていたとすれば、ソロモンは神に栄光を帰さなかったことになります。ですからソロモンは、「この富と知恵は私が自分自身で得たものだ。」などと決して言えませんでした。もし言えばネブカデネザルのようになっていたことでしょう。

【10:24】
『全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた。』
 ここで『全世界』と言われているのは、慣用的な意味での『全世界』すなわち西洋社会および中東社会が認識する限りでの『全世界』です。当時の西洋と中東はまだインドより東の地域についてよく知らなかったからです。彼らはアメリカ大陸の存在も全く認識していなかったでしょう。古代ローマは「全世界の主人」などと言われましたが、これは厳密に言えばインドより西側の地域を意味する「全世界」です。私たちは古代人の世界観がまだ狭かったことを考慮すべきです。このような『全世界』にいる『者』とは、イスラエルでない外国に住む大小様々な者だったはずです。そのような者には、シェバの女王のような支配者や貴族や有力な一般人また無名の一般人までいたと考えられます。彼らはソロモンに神が『授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた』のでした。これはソロモンに与えられた英知が価値高く非常に貴重だったからです。それは単に価値高く貴重なだけでなく、ソロモンという大王の持つ英知だったわけですから、人々から求められるのは当然だったと言えましょう。ソロモンの英知を聞こうと求めた人々は実に多かった可能性が高いでしょう。しかし、それが実際にどのぐらいの数だったかまでは詳しく分かりません。