【Ⅰ列王記10:25~11:3】(2024/01/07)


【10:25】
『彼らはおのおの贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサム油、馬、騾馬などを、毎年きまって携えて来た。』
 多くの富と神から与えられた知恵を持っていたソロモンの偉大さを考えるならば、ソロモンには贈り物を多く贈るのが望ましかったでしょう。「望ましかった」と言うより、それは「義務」だったと言えるでしょう。もしソロモンに贈り物を贈らない人がいれば、そのような人はソロモンを低く見積もっているのです。そのような間抜け者がいたかどうか疑わしいでしょう。こういうわけで、ソロモンに謁見を求めた者たちは、『おのおの贈り物』を『毎年きまって携えて来た』のです。それゆえ、ソロモンは時間が経過するにつれ、ますますその資産を増し加えたことが分かります。神がソロモンに物質的な御恵みを注ぎ続けて下さっておられたのです。『銀の器』がソロモンには贈られたものの、これは先の箇所から分かる通り、ソロモンに使われなかったでしょう。ソロモンでない誰か別の者がこれを使ったはずです。それは臣下とか臣下の家族などが考えられます。しかし、『金の器』であればソロモンにも使えたでしょう。このような金の物は、王者への贈り物として相応しい物です。何故なら、高貴さには金がよく似合うからです。『衣服』については詳細がよく分かりません。ただソロモンに贈られる贈り物でしたから、上質な衣服だった可能性が高いでしょう。偉大な王に対して価値の低い衣服を贈るのは失礼なことだからです。『武器』も詳細はよく分かりません。しかし、この武器が贈られたことで、ソロモンの軍隊における戦力が強められたことは間違いありません。『バルサム油』は、先にシェバの女王もソロモンへと贈っていた物です。しかし、ソロモンに最もバルサム油を贈ったのは、シェバの女王でした(Ⅰ列王記10:10)。『馬、騾馬』は古代人にとって便利な乗り物であり、現代における自動車やバイクと同じだったことでしょう。これがどれぐらいソロモンに贈られていたかは詳しく分かりません。この箇所でソロモンに贈られた贈り物として挙げられているのは「7」つです。ここでは『などを』と書かれていますから、ソロモンへ贈られた贈り物の種類がこの7つ以上だったのは間違いありません。しかし、ここで「7」つの贈り物が挙げられているのは象徴的な意味を持っています。ここでの「7」は、謁見する人々が完全で十分な贈り物をソロモンに贈ったということです。つまり、ソロモンに謁見を求めた人たちは謁見する際、心からの敬意により豊かな贈り物を携えて来たわけなのです。

【10:26】
『ソロモンは戦車と騎兵を集めたが、戦車一千四百台、騎兵一万二千人が彼のもとに集まった。そこで、彼はこれらを戦車の町々に配置し、また、エルサレムの王のもとにも置いた。』
 ソロモンは戦力を強化させました。すなわち、『戦車と騎兵を集めた』のです。『戦車』とは、車を複数の馬に率いさせて走る戦争兵器です。馬に牽かれている車に乗る兵士たちが、そこから弓や投石や投げ槍などによって敵を攻撃するわけです。『騎兵』とは馬に乗る重装兵士です。古代の軍隊においてこの『騎兵』は最強の兵士であり、王の護衛もこの『騎兵』が担当していました。この2つはどちらも馬を使います。ソロモンに贈り物として贈られた馬は(Ⅰ列王記10:25)、この『戦車と騎兵』のために多かれ少なかれ使われたと考えられます。また、この2つの存在が武器を必要とするのは言うまでもありません。これも先に見たソロモンへの贈り物が多かれ少なかれ使われたかもしれません。ソロモンの集めた戦車は『一千四百台』でした。これはかなりの数です。この「1400」という数字に何か象徴的な意味はあるでしょうか。「14」かける「100」に分解すべきでしょうか。これは「14」であれば意味が分かるものの、「100」のほうは何を示しているのか分かりません。では「70」かける「20」に分解すべきでしょうか。これも「70」であれば象徴性があるものの、「20」のほうは意味が分かりません。「7」かける「200」ならばどうでしょうか。これもやはり「7」は意味が分かるものの、「200」は不明です。このようですから、この「1400」という数字は恐らく何の象徴性も含んでいないはずです。『騎兵』は『一万二千人』が集まりました。これも多くの数です。この「1万2000」という数字には意味が含まれているでしょうか。これに意味があることは間違いありません。これは「12」かける「1000」に分解されます。つまり、この時には選り抜きの強者である騎兵たちがほとんど無敵と思えるほど無数に集まったということを、この数字は示しています。ソロモンはこの2つを『戦車の町々に配置』しました。この町々については既に見た通りです(Ⅰ列王記9:19)。『戦車一千四百台、騎兵一万二千人』が集まったのですから、この町々はかなり大きい規模だったと思われます。ソロモンはこの2つを『エルサレムの王のもとにも置』きました。これはエルサレムがイスラエルの首都であり中枢だからです。このエルサレムが陥落でもすればイスラエルは悲惨になってしまいます。よってエルサレムにソロモンは戦闘軍団を設置したわけです。このようにソロモンが戦力を強化したのは正しい行為だったのでしょうか。私がこう言うのは、律法では王が自己の戦力強化に向かうことを禁じているからです。『王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。』(申命記17章16節)と書かれている通りです。ソロモンが戦力を強めたのは666タラントの金を得てからの話です。既に見た通り、この収益はソロモンがそれ以降に堕落することの予兆でした。ですから、ソロモンの心は神を忘れて罪に暴走していた可能性があります。もし律法で自己を制御していたとすれば、ソロモンは恐らくこのように戦力を強めていなかったかもしれません。

【10:27】
『王は銀をエルサレムで石のように用い、杉の木を低地のいちじく桑の木のように大量に用いた。』
 先に見た通り、『タルシシュの船団』はソロモンのもとに『銀』を持ち運んでいました(Ⅰ列王記10:22)。その持ち運ばれた銀は多くあったと推測されます。否、「推測」というより、恐らくそれは「間違いなかった」と言えるかもしれません。だからこそ、ソロモンは『銀をエルサレムで石のように用い』ることができたはずだからです。タルシシュの船団があまり銀を持ち運んでいなくても、イスラエルの所有する銀が既に多くあったとすれば、ソロモンは銀を大いに用いることができたでしょう。しかし、タルシシュの船団が銀を多く持ち運んでいたからこそ、ソロモンは銀を多く用いることができたのだと思われます。ここで言われている『銀』は、先の箇所で書かれていた贈り物の『銀の器』と関係がありません(Ⅰ列王記10:25)。何故なら、ここ言われている銀は未加工の素材であり、先の箇所で書かれていた『銀の器』は加工済みの銀だからです。ソロモンが『銀をエルサレムで石のように用い』たのは、どのような用途のためだったのでしょうか。これは書かれていないので詳しく分かりませんが、恐らく色々な物に使われたのでしょう。またソロモンは『杉の木を低地のいちじく桑の木のように大量に用い』ました。これは、つまりレバノン産の良質な杉材を考えられないほど豊かに使ったということでしょう。ソロモンはツロの王ヒラムと良い関係を持っていたのですから、そのようにすることができたでしょう。この杉材は何のために使われたのでしょうか。これも用途は書かれていませんが、別に用途が分からなかったとしても私たちにとってどうということはありません。ソロモンがこのように銀や杉材を多く使えたのは、ソロモンの財産的な豊かさが非常に大きかったことを示しています。聖書はそのような大量使用を驚くべきこととしてここで記しているのでしょう。神がそのようにできる物質的な御恵みをソロモンに注いで下さっておられました。

【10:28~29】
『ソロモンの所有していた馬は、エジプトとケベの輸出品であった。それは王の御用達が代価を払って、ケベから手に入れたものであった。エジプトから買い上げられ、輸入された戦車は銀六百、馬は銀百五十であった。同様に、ヘテ人のすべての王も、アラムの王たちも、彼らの仲買で輸入した。』
 ソロモンの所有する馬は、全部で4種類あったはずです。すなわち、第一は既に所有していた馬、第二はソロモン時代となってから新しく捕まえた馬、第三は贈り物として贈られた馬、第四はエジプトから買い上げた馬です。このうち4番目の馬がここでは言われています。『ソロモンの所有していた馬』がただ『エジプトとケベの輸出品』すなわち4番目の馬だけだったのではありません。何故なら、ソロモン時代よりも前からイスラエル王家が馬を持っていたのは明らかであり、またソロモンは贈り物として馬を受け取っていたからです。この4番目の馬は、『王の御用達が代価を払って、ケベから手に入れたもの』でした。これはソロモンのために買う馬ですから、かなり良質で高価だったはずです。今でも王の御用達は良質で高価な物ばかり作ったり献上したりします。もし低級な馬を御用達が買っていたとすれば、御用達として失格だったはずです。しかし、ソロモンのために買われた馬がどれぐらいの数だったかまでは分かりません。このエジプトから買われた馬の価格は、『戦車』が『銀六百』であり、『馬は銀百五十』でした。このことから馬に牽かせる『戦車』部分の価格をかなり詳しく知ることができます。戦車が二頭仕立てだったとすれば、戦車部分の価格は銀300だったことになります。戦車が三頭仕立てであれば、戦車部分の価格は銀150だったことが分かります。四頭仕立ての戦車であれば、戦車部分の価格は大したことがなかったでしょう。これは戦車ですから、1頭だけに牽かせるということはありませんでした。もし1頭だけだとすれば戦車部位の価格は銀450でしたが、これはあり得ません。また四頭を上回ると、ここで『戦車は銀六百』と言われているのと矛盾しますから、論外です。要するに、ソロモンのために買われた戦車は2~4頭仕立てだったことが分かります。買った戦車が全て同じ頭数ではなかった可能性もあります。その場合、買った戦車における頭数の詳細は詳しく分かりません。

 このようにエジプトから馬を買ったのは、律法に違反していたかもしれません。何故なら、律法は馬を手に入れる目的のためエジプトへ戻るなと命じているからです。こう書かれている通りです。『王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない」と主はあなたがたに言われた。』(申命記17章16節)『王の御用達』がエジプトに帰ったかどうかは分かりません。しかし、この購入は御心に適わなかった可能性がかなりあります。何故なら、この律法における御心はイスラエル人がエジプトへ霊的な回帰を決してしないことであると思われるからです。このようにエジプトから馬を買い上げたのは、ソロモンに666の数字が示されてからのことです。ですから、この購入はもしかするとソロモンが堕落した現われである可能性もかなりあるのです。

 ソロモンの御用達がそうしたのと『同様に』、『ヘテ人のすべての王も、アラムの王たちも、彼ら』すなわち『ケベ』の人々からエジプトの馬を『仲買で輸入し』ました。エジプトは輸出できるほど多くの馬を持っていたのでしょう。何かの分野で豊かに満ち溢れている国がいつの時代にもあるものです。しかし、ケベのように『仲買』を行なう人々であれば必ずしも常にいるというのではありません。

【11:1】
『ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。』
 ソロモンは、もう既に『パロの娘』というエジプト人の異邦女を娶っていました。ソロモンはこのエジプト女『のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛し』ました。『愛した』とは、つまり妻として娶ったことです。何故なら、愛するからこそ娶るのであり、娶っているのであれば愛しているからです。ここで挙げられているのは、『パロの娘』を含めれば全部で6種類の女たちです。『多くの外国の女』とは具体的な種類でありませんから、種類としてカウントされません。ここで6種類の女が挙げられているのは意味を持っています。「6」は不完全性を示すのですから、ここではソロモンの外国女における一夫多妻が正しくないとされているのです。これは続く箇所を見ても明らかなことです。『モアブ人の女、アモン人の女』は不義によって生まれた者の子孫です。彼らはイスラエルと民族的な親戚ですが、異邦人です。『エドム人の女』はエドムすなわちエサウの子孫である女です。エドム人はイスラエルの民族的な兄になりますが、しかし彼らも異邦人です。『シドン人の女』もやはり異邦人です。この『シドン』はイスラエルを北に越えた場所であり、そこは地中海に面しています。『ヘテ人の女』もやはり異邦人です。彼らは聖絶すべき民族として定められていた民族の一つでした。ソロモンがこのような異邦人を多く妻として持っていたのは、イスラエル社会にとって周知の事実だったと思われます。というのも多くの異邦人を妻として娶っていながら、それを隠し通すことは決してできなかったはずだからです。どの国でも王の一夫多妻は秘密にされていないのが普通でした。

【11:2】
『この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。』
 ソロモンが娶った異邦人の女たちは、主がイスラエル人に結婚することを禁じておられた民族でした。『あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。』と神が言われたのは、イスラエル人が異邦人の国に行きそこで異邦人女を妻にして住むことについてです。ソロモンが違反したのはこれでありませんでした。『彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。』と神が言われたのは、異邦人女がイスラエルの地に来てイスラエル人と結婚し住むことについてです。ソロモンが違反したのはこれでした。『はい』る、また『入れ』る、というのはつまり結婚して夫婦になることです。要するにイスラエル人はどうすべきだったのでしょうか。それはイスラエル人がイスラエル人とだけ結婚するということでした。イスラエル人が異邦人と結び合うのは罪なのです。神がイスラエル人に異邦人との結婚を禁じられた理由は、『彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる』からです。イスラエル人と結婚した異邦人は、イスラエル人を自分たちの神々に帰依させようとするでしょう。たとえイスラエル人が真の神から離れなかったとしても、真の神と同時に異邦人の神々をも拝むよう求めるわけです。すると、イスラエル人は彼らの神々に引き込まれることとなります。何故なら、夫婦とは一体の存在であって、霊的にどうしても動かされざるを得ない力が働くからです。もし動かされなかったとすれば夫婦は一体でないことになりましょう。神が『必ず』そうなると確言しておられますから、絶対にそうなってしまうのです。実際にソロモンはこれから異邦人の妻から強く動かされることとなりました。イスラエル人が異邦人の妻から偶像崇拝に引き込まれるというのは、あってはならないことです。そういった悲惨なことが起きないため、神はイスラエル人が異邦人と結婚するのを禁じられたのです。それにもかかわらず『ソロモンは彼女たちを愛して、離れ』ませんでした。聖書はこう言うことでソロモンを非難しています。ここにソロモンの大きな罪がありました。

 このように古代イスラエル人が異邦人と結婚すべきでなかったのは、要するに異邦人が神の民では無かったからです。もしイスラエル人が異邦人と夫婦になれば、罪に汚されざるを得ません。例えば、綺麗な水に泥を混ぜたら、泥のせいでもう綺麗な水ではなくなります。イスラエル人が異邦人と結婚して罪に汚されるのはこのようです。もし綺麗な水すなわち古代イスラエル人に泥を混ぜても偶像崇拝という罪で汚されなかったとすれば、その混ぜられた液体は泥すなわち異邦人で無かったことになります。これは今の聖徒たちでも同じことが言えます。すなわち、今の聖徒たちも神の民でない不信者と結婚してはいけません。もし結婚すれば呪われて霊的にまともではいられなくなるでしょう。不信者と結婚して霊的な純粋さを保ち続けるというのは不可能な話です。ですから、パウロは聖徒たちにこう言ったわけです。『不信者と釣り合わぬくびきを一緒に付けてはいけません。』しかし、結婚した時は両方とも不信者だったものの、結婚してからどちらか一方が信仰を持つようになったというのであれば話は違います。この場合、聖徒はどうしても不信者の配偶者を持つことになりますが、これは回避できなかった事柄ですから非難に値しません。しかし、聖徒が回避できるにもかかわらず不信者との結婚を強行したならば、それは当然ながら非難に値します。

【11:3】
『彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。』
 ソロモンには、総計で1000人の『妻』と『そばめ』がありました。現代人であれば、このような一夫多妻に驚く人も多いはずです。何故なら、現代において一夫多妻は珍しい夫婦形態となったからです。エリトリアやシンガポールやスリランカなど、今でも一夫多妻を容認している国が全く消え去ったというのではありません。しかし、そのような国はほんの少しだけであり、しかも一夫多妻が合法となるのは限定条件の下においてのみなのです。しかし、ソロモン時代で王が一夫多妻というのはごく普通のことでした。ですから、この時代にソロモンが多くの妻を持っていたとしても、それは特別に異常なことだと見做されなかったはずです。ソロモン時代は今と時代性が異なっていたわけです。しかし、ソロモンが多くの妻を娶ったのは、御前で2つの点において正しくありませんでした。一つ目は、ソロモンが禁断の異邦人女を娶ったということです。これについては既にもう見た通りです。二つ目は、ソロモンが多くの妻を持つなと命じる律法に違反していたことです。律法ではこう命じられています。『多くの妻を持ってはならない。』(申命記17:17)これは一夫多妻が罪に定められるということです。ソロモンは、たとえ禁断の異邦人女でなく同族のイスラエル女だけを多く娶っていたとしても、律法に違反していました。であれば禁断の異邦人女を多く娶ったのは尚のこと良くなかったことになります。ソロモンは実際にどうするのが正しかったのでしょうか。それはイスラエル女の妻をただ1人持つだけで満足すべきことでした。ここで示されている妻とそばめの数には象徴的な意味が含まれているでしょう。まず、妻とそばめが総計で「1000」人だったというのは、ソロモンがとにかく多くの女性を持っていたということです。「1000」という数字の象徴性は既にもう説明されている通りです。ソロモンにはどれだけ多くの妻とそばめがいたことでしょうか。『王妃としての妻』が「700」だったのは、「70」かける「10」に分解されます。「70」は十分さを示しており、「10」は完全性を示しています。つまり、ソロモンは実に豊かな数の妻を持ったということです。『そばめ』が「300」だったのは、「30」かける「10」に分解されます。「30」は70と同じで十分性を示します。ですから、ソロモンはそばめも実に豊かな数を持っていたことが分かります。ソロモンの持つ妻とそばめは10人とか100人でなく1000人でした。10人や100人でも多く思えたでしょうが、その100倍また10倍の数です。ここに王としてのスケールの大きさが現われていると言えましょう。