【Ⅰ列王記1:53~2:19】(2023/07/09)


【1:53】
『それから、ソロモン王は人をやってアドニヤを祭壇から降ろさせた。彼がソロモン王の前に来て礼をすると、ソロモンは彼に言った。「家へ帰りなさい。」』
 ソロモンはアドニヤの嘆願でなく善悪を考えていたので、とりあえずアドニヤを祭壇から離れさせ、自分のもとに連れて来させます。するとアドニヤは王の前に導かれたので『礼を』します。アドニヤは恐怖と屈辱の入り混じった礼をしたに違いありません。ソロモンはアドニヤのうちに悪を見出しませんでした。少なくともこの時はそうでした。ですから、アドニヤに何もせず、彼を家へと帰らせました。もしアドニヤに何か悪があれば、ソロモンは家に帰さず、その場で殺し罰していたことでしょう。

【2:1~2】
『ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。』
 ダビデはキリストを予表する神から特別に選ばれた器でしたが、他の人と同じで罪人だったので、『死ぬ日が近づい』ていました。ダビデが『私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。』と言ったのは、死を人類に共通の運命として受け入れていたからでしょう。またダビデがこのように言ったのは、自分の死が間もなく訪れると知っていたからなのでしょう。自分がもうすぐ死ぬ頃になると、人はそのことが分かるものなのです。手塚治虫も、胃癌であることを医者から告げられず隠されたままでしたが、自分がもうすぐ死ぬことになると感じていたようです。実際はどうだったか分かりませんが、ダビデも何らかの病により衰弱し、死ぬことを悟っていたのかもしれません。

 死ねばもう誰にも何であれ話すことが不可能となります。この時のダビデは『死ぬ日が近づい』ていたのですから、死ぬ前に、ソロモンに遺言を与えようとしました。その遺言はここから2章9節目までに書き記されています。ダビデがこのソロモン以外の子にも何か個別的な遺言を与えたのかどうかは分かりません。ダビデがそのようなことをした可能性は十分にあります。しかし、聖書はただソロモンに対する遺言のことしか書き記していません。

【2:2】
『強く、男らしくありなさい。』
 ダビデはまずソロモンが『強く、男らしく』あるように命じます。王が強く男らしくなければ、しっかりした統治は難しいだろうからです。王のような指導者ほど強く男らしくあることが求められている存在はあまりいません。この命令は、神がヨシュアに命じられたのと同じ内容でした。神はヨシュアにこう言われたのです。『強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。』(ヨシュア記1章9節)このヨシュアも、ソロモンと同じで全イスラエルを統導する最高指導者でした。私たちも『強く、男らしく』あるべきです。地位や権力が高ければ高いほど、そのようであるべき度合いは高まります。軟弱な指導者は蔑ろにされたり非難されたりするのが常だからです。

【2:3】
『あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道に歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。』
 続いてダビデはソロモンが必ず神の御命令を遵守するように命じます。ダビデはそのようにするならば他の事柄を蔑ろにしても構わないとでも言おうとするかのようです。それというのも、神に従うことこそ人間の本分だからです。伝道者の書12章でも『神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。』と書かれています。実に人間が神に従わず背いたからこそ、人間は堕落して悲惨な状態となったのです。この命令も神がヨシュアに命じられたのと同じ内容です(ヨシュア1:7)。

 ソロモンが神の命令に聞き従うのであれば、『何をしても、どこへ行っても、栄える』ことができました。それは神が御自分に聞き従う者を祝福して下さるからです。このため、箴言の箇所ではこう言われているのです。『謹んで御言葉を行なう者は栄える。』私たちは自分の子や部下などが良い働きをしたならば、褒めたり良くしてやったりするでしょう。神が御自分に聞き従う者を祝福して栄えさせて下さるのは、これとよく似ています。これもやはり神がヨシュアに命じられたのと同じ内容です(ヨシュア1:7~8)。私たちも、神の命令に聞き従うべきです。そうすれば私たちも神に祝福されて栄えることができます。神はソロモンの時代に敬虔な者を祝福されたのと同様、今の時代でもそのようにして下さいます。何故なら、神は決して変わることのない御方だからです。それゆえ、使徒ヤコブはこう言ったのです。『このような人は、その行ないによって祝福されます。』

 ダビデがここで『主のおきて』とか『命令』とか『定め』などと言っているのは、どれも全て神の律法を指しています。つまり、ダビデは一つの律法を、複数の言葉で言い表しています。このような語り方また書き方は、聖書において珍しくありません。ここでダビデが律法を示すために述べている言葉は、数えてみると全部で「7」あることに気付きます。すなわち、『あなたの神、主の戒め』(1)、『モーセの律法』(2)、『主のおきて』(3)、『命令』(4)、『定め』(5)、『さとし』(6)、『主の道』(7)です。このようにカウントしてよいとすれば、ダビデはここで律法の完全さまた神聖さを示しているのです。聖書で何か意味なく書かれたとか偶然に書かれた箇所などはありません。ですから、ここで律法を示す言葉として7つがカウントできるというのであれば、それは象徴的な書き方であると考えたほうがいいのです。

【2:4】
『そうすれば、主は私について語られた約束を果たしてくださろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』』
 もしダビデの子孫たちが神に聞き従うならば、ダビデ王家がいつまでもしっかり存続すると神はダビデに約束されました。これは神が子孫たちに祝福を与えて下さるからです。ソロモンも神に聞き従うのであれば、その子孫から王座が取り去られることはありませんでした。しかし、ソロモンが不敬虔になるならば、その子孫から王座は取り去られることとなります。ですから、ダビデは何としても神に従うようソロモンに求めているわけです。このように命じられたソロモンは実際にどうなったでしょうか。ある時までソロモンは御前に正しく歩んでいたと言っていいでしょう。しかし、666タラントの金が入り込んで来た辺りからおかしくなり始め、晩年には大変な状態に陥りました。これを例えるならば、最初はコース通りに走っていたランナーが途中から道を間違え、暫くすると崖から池に落ちてしまうようなものです。途中からおかしくなる支配者が人間の中には存在します。あのネロも最初のほうはかなり良かったのですが、途中から堕落して最悪の暴君となったのです。最初は良くてもやがて堕落するというのであれば、あまり意味がありません。そのような人を神は喜ばれません。それならば最初のほうは駄目でも、途中から良くなり、その良い状態を最後まで続けるというほうが優っています。というのも、伝道者の書で言われている通り、『事の終わりはその始まりに優る』のだからです。勿論、もっとも良いのは、言うまでもなく最初から最後までずっと良い状態でい続けることです。

【2:5~6】
『また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルのふたりの将軍、ネルの子アブネルとエテルの子アマサにしたことを知っている。彼は彼らを虐殺し、平和な時に、戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。だから、あなたは自分の知恵に従って行動しなさい。彼のしらが頭を安らかによみに下させてはならない。』
 ダビデはこの時に至るまで、ヨアブがアブネルとアマサを殺したことを忘れていませんでした。この2人がヨアブに殺された出来事は、既にもう見た通りです。ダビデはこの2人の将軍の殺害が『私にしたこと』であると言っています。これは将軍がダビデという王の部分としての存在だったからです。ヨアブがこの2人を殺したのは悪であり罪でした。何故なら、ヨアブが行なったのは『虐殺』であり、彼は『平和な時に、戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけた』のだからです。ヨアブはこの2人を殺すべきではありませんでした。しかし、ヨアブはまだその罪に対する罰を受けていませんでした。ですから、ダビデはソロモンがヨアブを死刑にするよう命じています。『あなたは自分の知恵に従って行動しなさい。』と言われたのは、つまり「ヨアブという殺人者を死刑にすることで国家的な正義が実現されるようにせよ。」という意味でしょう。ヨアブはもう『しらが頭』であり、箴言で言われているように白髪は光栄の冠ですが、だからといってダビデはヨアブに情けをかけようとしませんでした。この箇所でダビデはヨアブがアブシャロムを殺したことについて何も言及していません。アブシャロムが殺されたのは彼の謀反に対する当然の罰だったと、ダビデは感じていたのでしょうか。ここでアブネルとアマサの殺害だけが記されており、アブシャロムの殺害に言及していないのは、深く考察するに値します。

 この通り、ヨアブの犯した悪は自分の身に返って来ることとなりました。ヨアブは悪を行なったのでその報いが降りかかるのです。悪を行なってもその時はまだ大丈夫かもしれません。しかし、その時は良くても、やがて悪に対する罰がやって来ます。このことからも分かる通り、悪を行なうのは損であり良くないのです。悪を行なうのは将来の自分を自ら不幸にすることなのです。

【2:7】
『しかし、ギルアデ人バルジライの子らには恵みを施してやり、彼らをあなたの食事の席に連ならせなさい。私があなたの兄弟アブシャロムの前から逃げたとき、彼らは私の近くに来てくれたからだ。』
 ヨアブが罰せられるべきだと言われたのに対し、バルジライの子らには良くしてやるようここで言われています。バルジライがダビデにどのような行ないをしたかは、もう既に確認した通りです。ダビデはこのバルジライの行ないを忘れていませんでした。ダビデがこのようにバルジライの子らに報いて良くしようとしたのは、御心に適っていました。何故なら、パウロはⅠコリント書13章で『愛は礼儀に反することをせず』と言ったからです。ダビデはバルジライの子らが、ソロモンの『食事の席に連な』るよう指示します。王の食卓に与かるというのは非常な光栄となります。バルジライの善はこのようにして報いられることとなったのです。私たちもバルジライのように善を行なうべきでしょう。そうすれば主に喜ばれます。善を行なうべきだというのは、聖書の全体が命じていることです。この通り、ヨアブは罪のため罰せられ、バルジライは善のため報いられることとなりました。この2人の違いは、善を行なったか悪を行なったかという点にあります。ヨアブとバルジライの行ないおよびその受けることになった報いは、あまりにも異なっています。

【2:8~9】
『また、あなたのそばには、バフリムの出のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私をのろった。しかし、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は主にかけて、『あなたを剣で殺さない。』と言って彼に誓った。だが、今は、彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人だから、彼にどうすれば彼のしらが頭を血に染めてよみに下らせるかを知るようになろう。」』
 ダビデはシムイが自分に行なった悪事も忘れていませんでした。前に見た通り、シムイはダビデを『非常に激しく』『のろった』のです。これは『民の上に立つ者を呪ってはならない。』という律法に違反していますから、死刑に値しました。しかし、後ほどシムイはダビデを迎えにヨルダン川へと来たので、死刑を免れることができました。つまり、ダビデはシムイに情けをかけたわけです。しかし、ダビデはソロモンの治世においてこのシムイを殺すべきだと指示します。これはシムイがソロモンとその治世にとって脅威となりかねなかったからなのかもしれません。ダビデが生きている最中は、シムイのことで多かれ少なかれ安心できたのでしょう。しかし、ダビデが死にソロモンの時代となれば、このシムイがどうなるか分かりませんでした。シムイもやはり『しらが頭』となっていました。ダビデは、シムイが律法で敬われるべきだとされている白髪の老人だったとしても、情けをかけようとはしません。つまり、容赦なく死刑にするよう命じています。白髪という外面的な特徴が免罪符になるという法はどこにもないからです。ダビデはシムイをどのようにして死なすべきか何も指示していません。これはソロモンが『知恵のある人だから』でした。ソロモンは知恵者だったので、たとえダビデが何も言わなくても、シムイに対してどのようにすればいいか分かる人だったのです。こうしてシムイも結局は報いられることとなりました。罪を犯したその当時はまだ何も起こらず大丈夫だったかもしれませんが、このようにしてやがて悲惨な報いが下されることになったのです。もしシムイがダビデを呪っていなければ、ソロモンの治世でもずっと生き続けられたことでしょう。私たちはシムイのようにならないため、悪の道から離れねばなりません。このシムイもそうでしたが、悪に対しては報いが与えられます。それゆえ、私たちが悪を行なうのは将来の自分を不幸にすることなのです。

【2:10】
『こうして、ダビデは彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町に葬られた。』
 このようにしてダビデも遂に死にました。ダビデの死因が何だったかは分かりません。ダビデは70歳頃に死んだのですから、何かの病気で死んだ可能性が高いでしょう。70歳であれば老いによる自然死だったとは考えにくいのです。まさかダビデだけ他の人と異なり老いるスピードが早かったということもなかったはずです。ここで『眠り』と書かれているのは、死んだことの隠喩です。死んだダビデは『ダビデの町に葬られ』ましたが、これはベツレヘムのことです。このダビデが葬られた町で、やがてキリストが御生まれになるのです。『きょう、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』とルカの福音書に書かれている通りです。

【2:11】
『ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。』
 ダビデが王だった期間は『四十年』であり、それはヘブロンでの7年とエルサレムでの33年に分けられます。ヘブロンで治めていた時期は、まだユダ族だけの王でしかありませんでした。この7年に続く33年間では、全イスラエルの王として治めることになりました。ヘブロンでの7年は、「7」ですから、その統治期間が神聖で完全だったことを示しているのでしょう。エルサレムでの33年は、聖書で清めを示す「33」ですから、その期間が聖なる律法により清く統治されていたということなのでしょう。ダビデが王だった40年間は、その期間が十分だったことを意味しています。この『四十年』とは実際の期間でしたが、これは「40」ですから、そこには象徴性も強く含まれています。

【2:12】
『ソロモンは父ダビデの王座に着き、その王位は確立した。』
 こうしてソロモンはイスラエルでダビデの次の王となりました。パウロがローマ13章で述べたことから分かる通り、王権とは神が与えられるものです。ですから、正式な王権を持つことになったソロモンは、神により王になったことが分かります。もしソロモンが神の御心に適わなければ、アドニヤか他の誰かが新たな王として立てられていたでしょう。たとえダビデがソロモンの王権と治世を死ぬほど願い求めたとしても、です。このソロモンが王になったのは紀元前970年頃でした。このようにしてソロモンの『王位は確立した』のです。『王位は確立した』というのは、つまりソロモンが王として誰からも認められる存在になったということです。せっかく王になっても、人々から正式な王として認められないか、認められても時間がかかるという場合は、あるはずです。ソロモンはそのようではなかったのです。彼の王権はすぐにも認められ確立されました。そのように確立させて下さったのは他でもない神であられます。何故なら、権威は神によらねば与えられないだけでなく、神の働きかけなしに堅く確立することがないのだからです。

【2:13~15】
『あるとき、ハギテの子アドニヤがソロモンの母バテ・シェバのところにやって来た。彼女は、「平和なことで来たのですか。」と尋ねた。彼は、「平和なことです。」と答えて、さらに言った。「あなたにお話ししたいことがあるのですが。」すると彼女は言った。「話してごらんなさい。」彼は言った。「ご存じのように、王位は私のものであるはずですし、すべてのイスラエルは私が王となるのを期待していました。それなのに、王位は転じて、私の弟のものとなりました。主によって彼のものとなったからです。』
 ある時になると、アドニヤがソロモンに対する頼み事を抱え、バテ・シェバのもとにやって来ました。バテ・シェバを通してソロモンに話してもらおうとしていたのです。ここでバテ・シェバとアドニヤは普通に会話しています。これはもうアドニヤの騒ぎが昔のこととして過ぎ去っていたからでしょう。この時にはアドニヤが一般的に問題を持たない者として見做されていたはずです。もしそうでなければ、どうしてこのようにアドニヤは王の母バテ・シェバとすんなり会話が出来たでしょうか。しかし、ここでバテ・シェバは『平和なことで来たのですか。』などとアドニヤに言って、僅かながらアドニヤに対する不信感を見せています。これはアドニヤが前科持ちだからでしょう。もしアドニヤがまだ何も騒ぎを起こしていなければ、バテ・シェバもこんなことは言っていなかったはずです。

 ここでアドニヤが言っている通り、本来であれば王位はアドニヤのものでした。これは確かなことでした。何故なら、私たちが先に見た通り、イスラエルでは多くの人々が、アドニヤを新しい王として望み求めていたからです。しかし、それにもかかわらずアドニヤは王となれなかったので、アドニヤの心には多かれ少なかれ不満があったはずです。ソロモンがいなければアドニヤが王になれていたはずなのです。ですから、アドニヤが不満を持っていたとすれば、その不満は不自然な感情とは言えませんでした。この王位は『主によって』アドニヤからソロモンに移されました。これは主がソロモンの王位を望まれたからです。アドニヤもこのようなことが分からなくなるほど愚かではありませんでした。

 ソロモンはこのアドニヤに対して『弟』でした。王にまで高められたダビデも兄弟のうち末っ子でした。エジプトの支配者とされたヨセフも弟でした。モーセも兄ではなく弟です。敬虔だったアベルもカインに対して弟でした。更にイサクも弟。ヤコブすなわちイスラエルもエサウの弟でした。神がこのように聖書で弟のほうばかり恵まれたり特別視されたりしておられるのは、一体どういうわけなのでしょうか。これは神がより低い者や遜った者にこそ働きかけて下さるということです。それは聖書でこう書かれているからです。『神は高ぶる者を退け、遜る者に恵みをお与えになる。』ですから、このようなことから、私たちは神の御前で謙遜になることの重要性を学べます。もし高慢になれば、私たちが今見ているアドニヤのように、御恵みを受けられなくなりかねません。確かにこの通り、聖書では弟のほうが兄より優先されているケースをよく見ます。しかしながら、これは神がいかなる時も必ず弟だけを優先させるということではありません。聖書はこのように弟のほうばかり優先されているケースを示すことで、謙遜さこそ神の喜ばれる要素なのだということを教えているだけです。ですから、この世界では神の御心であれば、弟より兄のほうが優先されるケースも実際に決して少なくないのです。

【2:16~18】
『今、あなたに一つのお願いがあります。断わらないでください。」彼女は彼に言った。「話してごらんなさい。」彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断わらないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを私に与えて私の妻にしてください。」そこで、バテ・シェバは、「よろしい。私から王にあなたのことを話してあげましょう。」と言った。』
 アドニヤがソロモンに頼もうとしていたのは、かつてダビデに仕えていたあの『アビシャグ』を妻にすることでした。アビシャグはダビデの召使い女でしたから、王家では誰でも知っていたと思われます。しかし、どうしてアドニヤはこのアビシャグと結婚したかったのでしょうか。それはアビシャグが絶世の美女だったからでしょう。つまり、アドニヤはアビシャグの美貌に心を奪われていたのです。アビシャグはただの一般人に過ぎなかったはずです。つまり、普通の民衆だったのにダビデの召使い女として採用されていました。ですから、アドニヤが何か政略からアビシャグと結婚しようとしたのではなかったはずです。もしアビシャグが王家と血縁関係を持っていたとすれば、話は別だったかもしれません。しかし、聖書はアビシャグの出自について何も述べていません。アドニヤはこのことを自分からソロモン王に頼むのであれば、上手く行かないと思っていたのです。だからこそ、アドニヤはソロモンの母にこのことを頼もうとさせたわけです。というのも、母であればその言うことを聞くのが人間にとって自然なことだからです。これは私たちの経験からもよく分かるはずです。

 このような願いを聞いたバテ・シェバは、アドニヤの願いを快く引き受けます。バテ・シェバはアドニヤの願いが悪いことでないと判断したのです。もし悪いことだと判断したならば、どうしてその願いを引き受けたのでしょうか。バテ・シェバがアドニヤの願いを引き受けたのは、アビシャグに自分を重ね合わせたからである可能性もあります。何故なら、王族である者が非常に美しい一般人を妻として求めたという点で、王であったダビデがバテ・シェバを求めたのと、王子であったアドニヤがアビシャグを求めたのは、全く一緒だからです。もしダビデがバテ・シェバを求めていなければ、間違いなく今のバテ・シェバはありませんでした。ですから、アドニヤとその願いに強く感じるところがあったからこそ、バテ・シェバは快諾した可能性が高いのです。あくまでも推測に過ぎませんが、バテ・シェバはアドニヤのうちにダビデを見ていたのかもしれません。ここまではアドニヤの思い通りに事が進みました。しかし、最初が良くても悪い結果となるならば何も意味はありません。それならばスタート時点で悪くても良い結果に至るということのほうが優っています。

【2:19】
『バテ・シェバは、アドニヤのことを話すために、ソロモン王のところに行った。王は立ち上がって彼女を迎え、彼女におじぎをして、自分の王座に戻った。王の母のためにほかの王座を設けさせたので、彼女は彼の右にすわった。』
 バテ・シェバがアドニヤの願いを叶えるべくソロモン王のもとに行くと、ソロモンは母を丁重に迎えました。ソロモンがこのように出迎えるのは恐らくバテ・シェバだけだったはずです。もしダビデがまだ生きていれば、ソロモンはダビデにもこのような類の応じ方をしていたことでしょう。

 ソロモンがこのように母を迎えたのは、『あなたの父と母を敬え。』という律法に適っています。この時のソロモンはダビデの遺言通り、神の戒めにしっかり従っていたのです。この通り、王であっても神とその戒めにはしっかり従う必要があります。何故なら、神とは王の王であられる御方だからです。王が国家において最高の存在だったとしても、神の御前においては1人の僕に過ぎないのです。