【Ⅰ列王記11:3~17】(2024/01/14)


【11:3~4】
『その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。』
 多く娶られた異邦人の妻たちが、ソロモンの心を偽りの神々に引き込みました。こうしてソロモンは偶像崇拝に陥ったのです。神はこのようなことが起こると予め全く知っておられました。ちょうど綺麗な水に泥を混ぜれば一体どうなるか混ぜる前から既に私たちが知っているように、です。だからこそ、神はイスラエル人が誰であれ異邦人を娶らないよう予め命じておられたのです。ここでソロモンが偶像崇拝に陥った原因は異邦人の妻だったとされています。つまり、もしソロモンが一夫多妻だったにせよ同族女としか結婚していなければ、決して偶像崇拝には引き込まれなかったということです。何故なら、イスラエル人の女はソロモンと同じ神の民であって、真の神だけを求めているため、ソロモンを偽りの神々に引き込む恐れはないからです。異邦人の妻がソロモンを偶像崇拝に引き込んだのは、『ソロモンが年をとったとき』でした。つまり、それまで妻たちはソロモンを惑わさなかったか惑わしてもソロモンに抵抗されていたのです。私たちは老年のソロモンが偶像崇拝になったということを弁えるべきです。若い時のソロモンはただ主だけを崇める者だったのです。しかし、どうしてソロモンが偶像崇拝に陥ったのは『年をとったき』だったのでしょうか。これはこういうことです。つまり、ソロモンと異邦人の妻は霊的に一体だということが、遂にこの時になって目に見える形で現れたということです。隠れていた霊的な現実が遂に実際的な現実として反映されたわけです。違法な結婚という種が遂に実を結んだと見ることもできるでしょう。

 このようにしてソロモンの心は神から逸れてしまいました。このため、『彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった』のです。これは不倫をした者の心が正式な妻だけでなく別の女にも向けられるのと似ています。ソロモンは不逞の輩になってしまったのです。しかし、ダビデはこうでありませんでした。ダビデはいつまでも神と一つ心であり、清い貞節さを保ち続けていました。

 私たちはこの出来事から教訓を得るべきでしょう。もし聖徒たちがソロモンのように不信者を娶るならば、霊的にまともでいることは決してできなくなります。不信者と一つ霊になりながら、霊的に堕落しないのは不可能な話です。もし自分は不信者と結婚しても純粋なままでいられるとあえて言う人がいれば、そのように言うのは綺麗な水に泥を混ぜても綺麗なままであり続けると言うのと似て笑うべきことです。

【11:5~6】
『ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。』
 ソロモンの娶った異邦人女が、異邦人の偽神にソロモンを引き込みました。ソロモンは妻の誘う偶像崇拝に抵抗することができませんでした。何故なら、夫婦は霊的に一体であり、もし抵抗できたとすればもはや一体でないことになるからです。こうしてソロモンは偽りの神々『に従った』のです。『従った』とは、偽りの神々が与える命令や規定通りに何かすることです。聖書は偽りの神々がすなわち悪霊どもであると教えています。ですから、ソロモンは異邦人が崇拝する偽りの神々を通して悪霊に仕えたことになります。イスラエルを北に越えたシドンに住む異邦人は『アシュタロテ』という偽りの神々を拝んでいました。『シドン人』の妻はソロモンをこのアシュタロテに誘いました。イスラエルを東に越えたアモンの地では『ミルコム』という偽りの神々が拝まれていました。『アモン人』の妻はソロモンをこのミルコム崇拝に引きずり込みました。このミルコムが『あの忌むべき』偶像だったと書かれているのは、イスラエル人にとってこのミルコムが特に嫌悪されていたことを示します。『アシュタロテ』のほうは『あの忌むべき』などと書かれていませんから、ミルコムよりはアシュタロテのほうが邪悪さにおいて劣っていたのかもしれません。このようにソロモンが偽りの神々に従うのは、御心に適いませんでした。『ソロモンは、主の目の前に悪を行な』ったのです。というのも真の神に従わず、邪悪な偽りの神々に従うというのは、『悪』でなくて何でしょうか。こうしてソロモンの場合、『父ダビデのようには、主に従い通さなかった』のです。ソロモンがこれからずっとこのような邪悪さに陥り続けたのかどうかは分かりません。死ぬ直前に悔い改めた可能性もありますが、それについて私たちは何も知ることができません。こうなってしまったソロモンですが、彼は本来的にどうすべきだったのでしょうか。それはこのような偶像崇拝に陥らないことでした。つまり、そもそも偶像崇拝へと誘う異邦人の妻を娶るべきではなく、娶ってしまったのであれば離婚してその女たちから遠ざかるべきでした(Ⅰ列王記11:2)。

【11:7~8】
『当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。』
 イスラエルを南東に越えた国である『モアブ』では『ケモシュ』という偽神が拝まれていました。また先に見た『アモン人』は『ミルコム』だけでなく『モレク』という偽りの神々も崇めていました。この『ケモシュ』と『モレク』はどちらとも『忌むべき』と言われています。これはこの2つの偶像がイスラエルで非常に嫌われていたことを示します。モアブ人の妻がソロモンを『ケモシュ』に、アモン人の妻がソロモンを先に見た『ミルコム』だけでなく『モレク』にも、引きずり込みました。こうしてソロモンはこの2つの偶像のため、『エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた』のです。『高き所』とは、つまり偶像を祀る祭壇の場所です。その祭壇が『山の上』に築かれたのは、高い場所ほど偶像に近い場所だと考えられたからなのでしょう。ソロモンがこうしたのはほんの一例が示されているだけです。ソロモンは『外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをした』のです。先に見た通り、ソロモンの妻は700人もいましたから、ソロモンは実に多くの祭壇を築いたことになります。これはあまりにも大きな罪でした。こうして、ソロモンの妻たちは『自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた』のです。それまでイスラエルで偶像崇拝を行なうことは恐らくできなかったはずです。もし異邦人の妻たちが偶像を拝みたければ、自分の出身国に戻らない限りは難しかったと思われます。しかし、ソロモンが偶像の祭壇を築きましたから、彼女たちはイスラエルの場所で偶像崇拝を行なえるようになったのです。ソロモンは妻たちへの愛ゆえ、このように配慮してやった可能性もあります。しかし、それでもやはりソロモンがしたことは正しくありませんでした。何故なら、神は妻たちよりも重視されねばならないからです。ソロモンは妻たちのため神を蔑ろにしました。

 ソロモンはイスラエルの王で初めて偶像崇拝に陥った人物でした。1代目の王であるサウルも、2代目のダビデも、罪は犯したものの偽りの神々に従うという罪まで犯したりしませんでした。何でも最初に掴むのは喜ばしいことです。しかし、それはあくまでも良い事柄に限られます。ソロモンのように悪い事柄で最初となるのは大きな不名誉となるだけです。こうしてイスラエルの王にはこれからも偶像崇拝の流れが続くこととなります。ソロモンが悪しき前例を作ってしまいました。もしソロモンが偶像崇拝を行なっていなければ、これから後のイスラエル王は偶像崇拝に陥らなかったかもしれません。

【11:9~10】
『主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。』
 神が『ソロモンに怒りを発せられた』のは当然でした。何故なら、ソロモンは主なる神を裏切ったからです。多くの夫は妻が不倫をするならば、大いに怒ることでしょう。神がソロモンに怒られたのは、これとよく似ています。神はこのことで『二度も彼に現われ』ておられました。『現われ』たのはどのような仕方だったのでしょうか。それは夢か幻においてでしょう。しかし、二度とも同じ現われ方だったかどうかは分かりません。そのように現われた神は、ソロモンが『ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかった』のです。これでは神がソロモンに怒られるのは当然過ぎることでした。この件における非は全くソロモンにあります。神に非は全くありませんでした。

 この通り、神は聖徒たちが裏切るならば怒りを発されます。それはソロモンだけに限られないのです。そのようになれば聖徒たちは霊的にも実際的にも悲惨なことになります。ですから、聖徒たちは神への忠実さから離れないようにすべきなのです。

【11:11】
『それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、』
 このようにソロモンは神の『契約とおきてとを守』りませんでした。『契約』とは、神とイスラエル人における主従契約のことです。『おきて』とは律法であり、ここでは偶像崇拝に関する『おきて』が言われていると考えるべきでしょう。ソロモンのこういった『ふるまい』は実に邪悪で忌まわしいものでした。ソロモンは神から実に多くの御恵みを受けていました。またソロモンは民の代表者として律法を守る大きな義務と責任がありました。このようなソロモンが神を裏切ったのですから、その『ふるまい』はあまりにも罪深いものでした。

『わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。』
 偶像崇拝者となったソロモンに神が刑罰を宣告されます。その刑罰とは、ソロモンの治める国が引き裂かれるというものでした。ソロモンはその偶像崇拝により、霊的な貞節を全く引き裂きました。ソロモンは真の神と偶像という2つの存在を自分の主としたのです。それまでソロモンの主は神だけでした。ですから、神はイスラエルを引き裂いて複数にされるのです。こうしてイスラエルの支配者は複数とされます。つまり、ソロモンが自分の主を複数存在にしたため、神もソロモンの支配する国に支配者を複数存在とされるのです。このようにして神はソロモンがした通りに報いられます。これは『あなたがしたようにあなたにもされる。』とオバデヤ書で書かれている通りのことです。そのように引き裂かれたイスラエルは、ソロモン『の家来』であるヤロブアムに与えられることとなります。ヤロブアムはソロモンと血の繋がりを持ちません。このため、ヤロブアムがソロモンに対する報いの役割を果たすのです。何故なら、もしソロモンが罰せられていなければ、ソロモンは次の王として自分が生んだ子を指定しただろうからです。実際、ソロモンは自分の子に王権を継がせたはずです。子でないイスラエル人を王にしたりはしなかったことでしょう。このような神の刑罰は実に正しいものでした。何故なら、神がこのようにされるのは適切であり、ソロモンの行なった悪に全く対応しているからです。

【11:12】
『しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。』
 ダビデは神にとって大きな意味を持つ人物でした。何故なら、ダビデはキリストを予表する面が強い存在だったからです。このダビデからソロモンが生まれました。ですから、神はソロモン『の父ダビデに免じて』ソロモン『の存命中は』、王国に刑罰を下されませんでした。もしダビデが重要な意味を持つ聖徒でなければ、ソロモンは自分の世代において刑罰を受けていたかもしれません。このようにソロモンの存命時に神の刑罰は下されませんが、ソロモン『の子』においてその刑罰が下されることとなります。実際、ソロモンの子レハベアムの時代になると、その刑罰が下されイスラエルは引き裂かれてしまいました。ソロモンは自分の世代に刑罰がまだ下されないというので、幾らかでも安心したでしょうか。そうではなかったと思われます。ソロモンが書いた伝道者の書から考えるならば、ソロモンはこのような刑罰を聞いて、今の繁栄も次世代にまでは引き継がれないと知り虚しく感じたことでしょう。

【11:13】
『ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」』
 神はこれからソロモンが治めていたイスラエルを引き裂かれ、王権をソロモンの家系でない者に移されますが、ソロモンの子から全く王権が取り去られるわけではありませんでした。ソロモンほどではないにせよその子にも王権が少しだけ保たれます。すなわち、これからイスラエルは『一つの部族』とそれ以外の部族とに分裂しますが、前者のほうをソロモンの子が治めることになります。ソロモンの場合は12部族を全て支配していました。ですから、ソロモンの子はソロモンの支配力の12分の1の支配力しかなくなります。これは父であるソロモンからすれば喜ばしくありませんから、ソロモンに対する刑罰となるわけです。ソロモンは出来るならば自分の子に12部族の支配力を継承させたかったはずです。人間の自然な感情を考慮すれば、ソロモンがこのように願ったと推測するのはおかしくないでしょう。しかし、ソロモンは罪を犯したので、子に支配力を減少させないで継承させることができませんでした。神がこのようにソロモンの子にも支配力を保たれるのは、『わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのため』でした。神は『エルサレム』を御自分の御住まいとして選ばれました。神はダビデをそこに置かれ支配させました。ですから、そのダビデの子孫がエルサレムを支配することこそ望ましかったのです。そのようになるのは「ソロモンのため」ではありませんでした。ソロモンは罪を犯して堕落したからです。この通り、罪を犯すならば喜びが失われ、悲惨なことが起こります。それはソロモンもそうでしたが、神の命令を蔑ろにしたからです。人が神の命令を蔑ろにすれば、神も報いとして人の喜びを蔑ろにされるわけです。ですから、悲惨を味わいたくなければ罪に陥るべきではありません。ソロモンはもし偶像崇拝に陥っていなければ、自分の王権をそのまま子に継承させることができ喜べたでしょう。

【11:14】
『こうして、主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人のハダデを起こされた。』
 ソロモンが酷い罪に陥ったので、神は報いとして『エドム人のハダデ』という敵をソロモンに対して起こされました。これはソロモンに思い知らせるためです。罪を犯すならば敵に苦しめられると律法で定められているからです。ここではソロモンが罪に陥った出来事が書き記されてから、『こうして』ハダデが敵対者として起こされたと書かれています。つまり、もしソロモンが罪を犯していなければ、こういった敵対者も起こされていなかったということです。このハダデはソロモンへの刑罰そのものだったと考えていいでしょう。このように罪を犯すならば、神により敵が起こされることとなります。そして、その敵対者により苦しめられるのです。しかし、どのような敵が起こされるかまで私たちには分かりません。神は御心のままに敵対者を起こされるからです。ソロモンの場合と同じで、外国人が敵対者として起こされることもあるでしょう。ダビデに対するアブシャロムのように身内の者が敵として起こされる場合もあるでしょう。このような敵対者による苦しみを避けたければ罪から遠ざかるべきです。聖書が教えるように『命令を守る者はわざわいを知らない』のですから。

【11:14~17】
『彼はエドムの王の子孫であった。ダビデがかつてエドムにいたころ、将軍ヨアブが戦死者を葬りに上って来て、エドムの男子をみな打ち殺したことがあった。―ヨアブは全イスラエルとともに六か月の間、そこにとどまり、エドムの男子をみな断ち滅ぼした。―しかしそのとき、ハダデは、彼の父のしもべの数人のエドム人と逃げ去ってエジプトへ行った。当時、ハダデは少年であった。』
 ハダデの詳細について書き記されています。ここで言われている通り、かつてヨアブはエドムでエドム人の男子を全て断ち滅ぼしていました。エドムとは、イスラエルを南に越えた場所の国であり、モアブ国の南にあります。ヨアブは『六か月』かけて全てエドム人を殺しました。これは「6」ですから、恐らくヨアブの虐殺行為が正しくなかったことを示しているのかもしれません。その時に逃げて生き延びたのがこのハダデでした。ハダデがヨアブの剣から逃れた時はまだ『少年』でした。その時におけるハダデの年齢はここで詳しく記されていません。その時にハダデは『父のしもべの数人のエドム人と逃げ去』りました。どのような戦いや虐殺であっても、いつも少しぐらいは生き延びて死を免れる者がいるものです。ハダデと逃げ去った『しもべ』が実際にどれぐらいいたかは詳しく分かりません。このハダデは逃げてから『エジプトへ行った』のですが、どうしてエジプトへ逃れたのでしょうか。それはエジプトであれば保護してくれる可能性があると多かれ少なかれ思ったからなのでしょう。しかし、どうしてそのようにエジプトを頼ったのでしょうか。それはかつてエジプトがイスラエル人を奴隷として取り扱っていた国だったからかもしれません。そのような国であればヨアブをはじめとしたイスラエル人から守ってくれると考えるのは、別に何もおかしいと思えません。