【Ⅰ列王記11:18~34】(2024/01/21)


【11:18~20】
『彼らはミデヤンを出立し、パランに行き、パランから幾人かの従者を従えてエジプトへ行き、エジプトの王パロのところに行った。するとパロは彼に家を与え、食料をあてがい、さらに、土地をも与えた。ハダデはパロにことのほか愛された。パロは自分の妻の妹、すなわち王妃タフぺネスの妹を彼に妻として与えた。タフぺネスの妹は彼に男の子ゲヌバテを産んだ。タフぺネスはその子をパロの宮殿で育てた。ゲヌバテはパロの宮殿でパロの子どもたちといっしょにいた。』
 ハダデたちは、ミデヤンからパランに、パランからエジプトに、という順路で進みました。エドムからエジプトまではかなりの距離です。彼らは途中、パランで『従者を従えてエジプトへ行き』ました。その『幾人』がどれぐらいだったかは詳しく分かりません。これは人数が多ければ何かと良かったからなのかもしれません。こうしてハダデがエジプトに着くと、パロから厚遇されました。パロは王の子孫であるハダデに良くすれば後々のためになると考えたのでしょうか、それとも単なる善意から厚遇したのでしょうか。どちらにしても、神がパロの心に厚遇する意思を与えられたことは間違いありません。パロはハダデに『家』と『食料』と『土地』を与えました。更にパロは妻の妹をも、このハダデに妻として与えました。これはハダデが『パロにことのほか愛された』紛れもない証拠でした。パロが妻の妹を与えることで、ハダデとの関係を密接にしようとしたのは明らかだからです。もしハダデが愛されていなければ、このように王妃の妹まで妻に与えられることはなかったでしょう。ハダデに妻として与えられた王妃の妹は、『男の子ゲヌバテ』を産みました。王妃の妹から子が産まれたとなれば、もはやハダデとパロの関係は切っても切り離せないものとなります。こういった王族間の強固な関係が王と王国にとって有益さを齎すものなのです。こうして産まれた子ゲヌバテは、王妃に育てられただけでなく、『パロの宮殿でパロの子どもたちといっしょにい』るという幸いに与かりました。このようなわけでハダデがエジプトに逃げたのは、ハダデにとって正解であり幸いなことでした。もしハダデがヨアブから逃げていなければ、エドムの地で殺されていたでしょうから、ソロモンへの敵対者として神から起こされることもありませんでした。

【11:21】
『さてハダデは、ダビデが彼の先祖たちとともに眠ったこと、また、将軍ヨアブも死んだことを、エジプトで聞いた。』
 エジプトで保護されていたハダデは、ダビデとヨアブが死んだことを聞き知りました。まずダビデが恐らく寿命か病気で死に、それからヨアブがソロモンにより殺されました。ダビデは大国の王だったのですから、その死は諸国で大きなニュースとなったはずです。ですから、ハダデもそのことを知らないままでいることはありませんでした。ヨアブもカエサルのような大将軍でしたから、その死は諸国に知れ渡ったことでしょう。これもハダデは聞かないままでいることがありませんでした。支配者や大人物が死んだら諸国に伝え知らされるというのは昔から何も変わっていません。このことから分かる通り、ハダデは少年の頃からヨアブが死ぬ時期までエジプトに住んでいました。

【11:21~22】
『ハダデがパロに、「私を国へ帰らせてください。」と言うと、パロは彼に言った。「あなたは、私に何か不満があるのか。自分の国へ帰ることを求めるとは。」すると、答えた。「違います。ただ、とにかく、私を帰らせてください。」』
 ダビデとヨアブが死んだのを知ったハダデは、パロに対し『私を国へ帰らせてください。』と言います。『国』とはエドム国のことです。どうしてハダデはこの時になって祖国へ帰ろうとしたのでしょうか。それはイスラエルに対し復讐するためだったことでしょう。何故なら、先の箇所で『主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人のハダデを起こされた。』(Ⅰ列王記11章14節)と書かれていたからです。もしハダデがずっとエジプトに留まっていれば、ソロモンに敵対して苦しめることはできないままなのです。しかし、ハダデは祖国に帰る理由を何も言わなかったので、パロは自分に不満があるから帰りたいとでも言うのかと問います。この問いに対しハダデは『違います。』とハッキリ答えました。確かにハダデはパロが嫌なので祖国に帰ろうとしたのではありません。ハダデは何とかイスラエルに敵対してやろうと思っていたはずですが、しかしその企みをパロに言うことはできませんでした。というのもソロモンはパロの娘を娶っておりパロと関係を持っていましたから、パロに自分の企みを言えば上手く行かない可能性もあったはずなのです。ですから、ハダデは『ただ、とにかく、私を帰らせてください。』と帰る理由を言わずに帰ろうとしました。このようにハダデがエドムに帰ったのは、ソロモンが酷い罪に陥ったからです。こうしてハダデは知らず知らずのうちにソロモンに対する刑罰の道具として神から用いられることとなりました。

【11:23】
『神はまた、ソロモンに敵対する者として、エリヤダの子レゾンを起こされた。』
 罪に陥ったソロモンには、先に見たハダデだけでなく、『エリヤダの子レゾン』も神が起こされました。彼が起こされたのも、やはりソロモンを苦しめて思い知らせるためでした。もしソロモンが堕落していなければ、先に見たハダデだけでなく、このレゾンも敵対者として起こされていなかったことでしょう。レゾンもソロモンに対する刑罰としての意味を持つ人物でした。このように罪を犯して堕落すれば神により敵対者が起こされます。そして、その敵対者により悲惨を味わうことになるのです。罪と引き換えに敵対者を得たいとでもいうのでしょうか。そのように願うのはおかしいことです。

【11:23~25】
『彼は、自分の主人、ツォバの王ハダデエゼルのもとから逃亡した者であった。ダビデがハダデエゼルの兵士たちを殺害して後、彼は、人々を自分のところに集め、略奪隊の隊長となった。彼らはダマスコに行って、そこに住みつき、ダマスコを支配した。彼は、ソロモンの生きている間、ハダデの悪を行なって、イスラエルに敵対し、イスラエルを憎んだ。こうして彼は、アラムを支配していた。』
 レゾンは『ツォバの王ハダデエゼル』から逃亡して、『略奪隊の隊長となった』者でした。ダビデはかつてハダデエゼル王の兵士たちを殺していました。レゾンはダマスコを拠点としていました。『ダマスコ』とはイスラエルの地を北東に越えた場所です。このような者となることがレゾンに対する神の定めでした。

 このレゾンは、ソロモン時代において、ソロモンおよびソロモンの支配するイスラエルに敵対しました。これはソロモンが憎きダビデの子だったからなのでしょう。このダビデがハダデエゼル王の兵士たちを殺害していたのです。ですから、レゾンにとってイスラエルを憎むというのは自然なことだったのです。しかし、イスラエルは神の民ですから、本来的に憎むべきではありませんでした。それでも神はこのレゾンがイスラエルを憎むようにされました。それはソロモンが罪を犯したので、レゾンをソロモンへの懲らしめとして用いるためだったのです。ここで『ハダデの悪』と言われているのは、先に見たハダデが行なったような悪だという意味でしょう。レゾンが支配していた『アラム』とはシリヤのことです。

【11:26】
『ツェレダの出のエフライム人ネバテの子ヤロブアムはソロモンの家来であった。彼の母の名はツェルアといい、やもめであった。ところが彼も王に反逆した。』
 ソロモンには、先に見たハダデとレゾンだけでなく、ヤロブアムも敵対することになりました。それまでヤロブアムは『ソロモンの家来』であり、ソロモンに対する敵対者ではありませんでした。しかし、この家来が敵に変わったのです。このような変化は、ソロモンに対する刑罰のためでした。もしソロモンが偶像崇拝を犯していなければ、恐らくヤロブアムはソロモンへ敵対する者とならなかったでしょう。こうして神はヤロブアムを通してもソロモンが苦しむようにされました。この通り、偶像崇拝という大きな罪を犯せば、何重にも苦しみが与えられることとなります。しかし、そのようになっても、それは偶像崇拝の罪を犯したためなので、自業自得なのです。ちょうど毒を毒であると分かっていながら飲んだ人が、その毒により苦しむのと同じです。偶像崇拝とは霊的な毒でなくて何でしょうか。このヤロブアムは『ソロモンの家来』であり、ソロモンと近い関係を持っていました。遠い国にいる異邦人であれば敵対されても多かれ少なかれ我慢ができたかもしれません。しかし、家来が反逆するというのは、自分の身体に癌が生じるのと似て、厳しい悲惨があります。けれども厳しいからこそそれが刑罰となるのです。ヤロブアムは『エフライム人』であるイスラエル人でした。先に見た2人の敵対者たちはイスラエル人でなく異邦人でした。今度はイスラエル人が敵対者になったという点で、ヤロブアムは先に見た2人と大きく異なっています。ヤロブアムの相続地であった『エフライム』はベニヤミンとダンの北に位置しており、ユダの相続地とは少しも接していません。ここではヤロブアムの母が『やもめであった』と書かれています。つまり、ヤロブアムの父は母と何か理由があったため離れたのです。ここでヤロブアムの母が『やもめ』であると書かれているのは、特にこれといった意味はないはずです。これは単に情報として『やもめであった』と書かれているだけであると思われます。

【11:27】
『彼が王に反逆するようになった事情はこうである。ソロモンはミロを建て、彼の父ダビデの町の破れ口をふさいでいた。』
 ヤロブアムが反逆に至った『事情』がこれから書かれます。この事情は重要です。何故なら、反逆したヤロブアムはこれから北王国イスラエルの王となるからです。ソロモンが『彼の父ダビデの町の破れ口をふさいでいた』と書かれているのは、つまり『父ダビデの町』であるベツレヘムの荒廃した場所を補修したという意味でしょう。ソロモンには豊かな資金がありましたから、補修はイスラエルのどこでも十分に行なえたと考えられます。『ミロ』とはベツレヘムの町における呼び方です。つまり、『ミロ』とは町のことであり、何かの像とか建物ではありません。

【11:28】
『ヤロブアムは手腕家であった。ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させた。』
 『ヤロブアムは手腕家であった』というのは、つまり優れた成果を挙げる力量ある社長のようだったということです。ヤロブアムは上手に為すべき事柄を成し遂げることができました。このような人は支配者や上司などの目に留まるものです。ですから、『ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させ』ました。ヤロブアムがヨセフ家の仕事を任されたのは、ヤロブアムの属するエフライム部族がマナセ部族と共にヨセフの部族だったからです。その部族はその部族の者に支配されるべきだという自然な考えがあったと思われます。つまり、もしヤロブアムがダン族であれば、ソロモンはヤロブアムにダン家の役務を管理させていたはずです。何であれ『働きぶり』とは表に現われざるを得ないものです。何故なら、目に見える勤勉さや無視できない優秀性が働きぶりと言われるのだからです。ヤロブアムが管理者に任じられたのはまだ『若者』の時でした。優秀な人はその若い頃から優秀性を多かれ少なかれ示すものです。

【11:29】
『そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい外套を着ていた。そして彼らふたりだけが野原にいた。』
 『ヤロブアムがエルサレムから出て来る』とは、どういった状況なのでしょうか。先に見た11:26の箇所では、ヤロブアムが『王に反逆した』と書かれていました。そして、この箇所から少し進んだ箇所では『ソロモンはヤロブアムを殺そうとした』(Ⅰ列王記11章40節)と書かれています。よって、ここで『ヤロブアムがエルサレムから出て来』たと書かれているのは、反逆に関連しているのでしょう。恐らくこの時にヤロブアムがエルサレムから出たのはソロモンに逆らったからであり、このためソロモンはヤロブアムを殺そうとしたのでしょう。ヤロブアムがエルサレムから出ると、『預言者であるアヒヤが道で彼に会』いました。この時代には預言者が多くいました。『シロ』とはエフライムのやや北東にある場所です。神がこのアヒヤとヤロブアムを会わせたのです。それは神の預言がアヒヤを通してヤロブアムに語られるためでした。この時にアヒヤが『新しい外套を着ていた』のは、決して偶然ではありません。そもそも偶然などというものはありません。何故なら、全ての事柄は神が予め定めておられるからです。彼が『新しい外套を着ていた』のは、これからその外套を用いて預言が語られるためでした。神が預言のため新しい外套を着るようアヒヤに指示しておられた可能性は高いでしょう。こうして『彼らふたりだけが野原にいた』というのは、どういったことなのでしょうか。これは神がソロモンに対して預言を語られるからです。預言を聞く対象はソロモンだけです。他の人ではありません。ですから、預言者アヒヤとソロモンだけが他に誰もいない野原にいれば、それで良かったのです。

【11:30~31】
『アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。』
 アヒヤがヤロブアムに会ったのは、神の預言を告げるという目的以外ではありませんでした。神はこのアヒヤを通してヤロブアムに語ろうとしておられました。ですから、神はアヒヤをヤロブアムに会わせたのです。もしソロモンが罪を犯していなければ、アヒヤがヤロブアムに会う必要もなかったでしょう。預言者も暇ではありません。ソロモンが酷く堕落したため、神はイスラエルを『十部族』とそれ以外の部族にこれから引き裂かれます。このうち十部族のほうがヤロブアムに与えられます。ソロモンの子孫には少ししか残されません。これを告げるため、アヒヤはヤロブアムに会ったのです。この通り、この時代は、神が預言者を通して語っておられました。アヒヤは預言をする際、『着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き』、10の部分をヤロブアムに取らせます。外套が12の部分に引き裂かれたのは、これからイスラエルが引き裂かれることを示します。10の部分をヤロブアムに取らせたのは、ヤロブアムが『十部族』を支配することになるからです。外套が新しかったのは、これからイスラエルが新しい2つの国となるからです。もっとも、新しいと言っても、それは良いことの結果として起きた新しさでなく、悪いことの結果として起きた新しさなのですが。この外套の詳細がどうだったかということは、別にどうでもいいことです。私たちはただアヒヤがその外套を預言のため引き裂いたと知っていればそれだけで十分です。またアヒヤがどのような感じで引き裂いたかというのも、分からなくて問題ありません。アヒヤは激しく引き裂いたかもしれませんし、穏やかに引き裂いた可能性もあります。しかし、いずれにせよ、私たちはただアヒヤが外套を引き裂いたとだけ分かれば何も問題ありません。

 この通り、神は象徴性を軽んじられない御方です。預言する内容を物理的に対応させて示す。ここに象徴性があります。私たちも象徴性を軽んじるべきではないでしょう。聖餐式を考えてみるとどうでしょうか。この聖礼典には象徴性が強くあります。パンでキリストの御身体に、葡萄酒でキリストの聖なる血に、それぞれ与かるのだからです。

【11:32】
『しかし、彼には一つの部族だけが残る。それは、わたしのしもべダビデと、私がイスラエルの全部族の中から選んだ町、エルサレムに免じてのことである。』
 ソロモンに『一つの部族だけが残る』というのは、ソロモンに対する報いでした。何故なら、ソロモンの子孫は本来であれば12の部族を支配し続けていただろうからです。それなのに一つしか支配できなくなります。もし全ての部族が子孫から取り上げられたならば、ソロモンへの極めて悲惨な懲らしめとなっていたでしょう。しかし、神はソロモンが堕落したにもかかわらず、その子孫に一つの部族を保って下さいます。それはここで書かれている通り、ダビデとエルサレムに免じてのことでした。神は御自分の選ばれたエルサレムをダビデとその子孫が支配することを望まれました。ですから、ユダ部族までソロモンの子孫から取り上げられれば、エルサレムとダビデが選ばれた意味はあまり無くなってしまうのです。神が『一つの部族だけ』でもソロモンに残されるのは、全くソロモンのゆえではありませんでした。

【11:33】
『というのは、彼がわたしを捨て、シドン人の神アシュタロテや、モアブの神ケモシュや、アモン人の神ミルコムを拝み、彼の父ダビデのようには、彼は、わたしの見る目にかなうことを行なわず、わたしのおきてと定めを守らず、わたしの道を歩まなかったからである。』
 神がソロモンに報いられるのは、理由なくしてではありませんでした。ソロモンが酷く堕落したので、神はソロモンに相応しい報いを注がれるのです。神はこのように言われることで、御自分が正しいことをしておられると示しておられます。悪いのはただただソロモンでした。ここでソロモンは神『を捨て』たと書かれています。何故なら、ソロモンは神を裏切り、偽りの神々を求めたからです。彼は自分の意思で自発的にそうしました。ですから、ソロモンに弁解の余地は全くありませんでした。この箇所で書かれている3つの偽神どもは、もう既に前の箇所で見た通りです。先に書かれていた『モレク』(Ⅰ列王記11:7)は、ここで書かれていません。しかし、ここでは単に書かれていないだけであり、ソロモンはこのモレクをも拝んだことでしょう。また、ソロモンがここで書かれている3つの偽神ども以外の偽神をも拝んだことは間違いありません。ここでは偽りの神々が「3」つ示されていますから、偽りの神々を強調しているのでしょう。ダビデは死ぬ時までずっと神に従い続けました。ダビデが神を裏切ることはありませんでした。しかし、ソロモンは神を裏切りました。ここにダビデとソロモンの決定的な違いがあります。ここで『わたしの見る目にかなうことを行なわず』と言われているのは、つまり律法で示された神の御心をソロモンが行なわなかったということです。『わたしのおきてと定めを守らず』と言われているのは、ソロモンが『おきてと定め』である律法を守らなかったということです。『わたしの道を歩まなかった』と言われているのも、やはり律法の命令が示す道にソロモンは進まなかったということです。つまり、これら3つはどれもソロモンの律法に対する不服従を述べています。このように3回続けて言われているのは、ソロモンの不従順を強調して示すためだったはずです。

【11:34】
『しかし、わたしは、彼の手から、王国全部は取り上げない。わたしが選び、わたしの命令とおきてとを守ったわたしのしもべダビデに免じて、ソロモンが生きている間は、彼を君主としておこう。』
 神はここで2つのことを言っておられまず。まず一つ目は、ソロモンからイスラエルの全てが取り上げられないということです。先に見た通り、ソロモンの子孫には『一つの部族だけが残る』(Ⅰ列王記11:32)のです。こうしてソロモンの支配力は子孫においてかなり失われます。ソロモンの子孫は『一つの部族だけ』しか支配できませんから、その名誉と尊厳もかなり失われたことでしょう。二つ目は、ソロモンがその『生きている間』ずっと『君主』であり続け得るということです。神はダビデを選び重視しておられました。このダビデに神はソロモンがイスラエルの支配者になると言われ、実際にそうなりました。ですから、神はダビデのことを考慮され、ソロモンから王位を取り去ることまではなさいませんでした。