【Ⅰ列王記11:35~12:4】(2024/01/28)


【11:35】
『しかし、わたしは彼の子の手から王位を取り上げ、十部族をあなたに与える。』
 神は、ヤロブアムに『十部族』を与えることとされました。神は12部族を全てソロモンから取り上げませんでした。そのようにした場合、ダビデとエルサレムが蔑ろにされてしまうからです。神は誠実な御方ですから、そういったことはされませんでした。しかし、どうしてヤロブアムには「10」の部族が与えられたのでしょうか。「9」とか「8」では駄目だったのでしょうか。また「9部族と1部族の半分」とか「8部族と1部族の半分」では駄目だったのでしょうか。神が10の部族をヤロブアムに与えるのは、ソロモンに対する刑罰のためです。何故なら、10部族を取り上げるのがソロモンの子孫に対する最大のダメージとなるからです。9部族でも大きなダメージとなりますが、10部族のほうがダメージは大きいのです。ソロモンの酷い堕落は非常に大きな刑罰を受けるに値しました。ですから、神は上限ギリギリの『十部族』をソロモンから取り上げてヤロブアムに与えるのです。またこれは数字的な意味もあると思われます。これは「10」であり、10は聖書で完全数です。つまり、これはヤロブアムに与えられる『十部族』の群れが豊かだったことを示しているのでしょう。実際、10の部族におけるイスラエル人が豊かな群れだったことは間違いありません。

【11:36】
『彼の子には一つの部族を与える。それはわたしの名を置くために選んだ町、エルサレムで、わたしのしもべダビデがわたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。』
 ソロモンの子孫には『一つの部族』しか残されなくなります。これはダビデのゆえにそうされるべきだったからです。神は御自分の僕ダビデに連なる者がエルサレムで支配しているのを望んでおられます。ですから、もしダビデが考慮されなかったとすれば、ソロモンからは全ての部族が取り上げられていたはずです。しかし、ソロモンの治世では、まだこの刑罰が下されません。ソロモンはこの刑罰において直接的な痛みを受けないのです。その痛みを受けるのはソロモンの子孫です。往々にして先祖のゆえに子孫が悲惨を味わわねばならなくなります。

【11:37】
『わたしがあなたを召したなら、あなたは自分の望むとおりに王となり、イスラエルを治める王とならなければならない。』
 誰も神の召しが無くては王となれません。何故なら、ローマ書13章から分かる通り、人に王権を与えるのは神だからです。ヤロブアムもやはり神から召されなければ王となることはできませんでした。これまでヤロブアムはまだ王として召されていませんでした。しかし、これから王として召されることになります。そうしたらヤロブアムは『自分の望むとおりに王とな』らねばなりません。『自分の望むとおりに』と言われているのは、ヤロブアムが抱く王位への求めです。神は、ヤロブアムの心に王権への欲求を与えられます。ヤロブアムが王になることが神の御心ですから、ヤロブアムは自分の望み通りに王とならねばならないのです。こうしてヤロブアムは『イスラエルを治める王とな』ります。彼が治めるのは北王国イスラエルです。南王国ユダではありません。これまでイスラエルと言えば、12部族を治める国のことを指していました。しかし、ソロモン以降に国が分裂してからは、10部族を持つ北王国イスラエルがこの名前で呼ばれるようになります。南王国は「ユダ」であり、イスラエルとは呼ばれませんでした。

【11:38】
『もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行なったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行なうなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。』
 ここで『聞き従い』また『道に歩み』また『おきてと命令とを守って』また『見る目にかなうことを行なう』と言われているのは、どれも律法を心から守り行なうことです。もしヤロブアムがそうするならば、神はヤロブアム『とともに』いて下さいます。それは神がダビデと共におられたのと同じです。またヤロブアムが忠実に歩むならば、ダビデの家系が長続きするようにされたのと同様、ヤロブアムの家系も長続きするようになります。これはヤロブアムが忠実に歩むことで神から祝福されるからです。そして、神は北王国イスラエルをヤロブアムに与えられます。これはヤロブアムがその王権においてイスラエルを所有するということです。しかし、ユダ王国のほうはソロモンの子孫に与えられますから、ヤロブアムには与えられません。

【11:39】
『このために、わたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、それを永久に続けはしない。』」』
 ソロモンは、自分の犯した罪のため、自分だけでなく、その子孫まで呪われることとなりました。神はこの通り、子孫にまで呪いを継続させる御方です。罪を犯して堕落したその人だけが悲惨になるというのではないのです。これは神が罪に対しどれだけ怒っておられるか御示しになるためなのです。もし呪いが1代だけで止んだとすれば、神の御怒りがあまり示されなくなるでしょう。いや、そもそも1代だけで止む呪いであれば、神はそこまで大きな怒りを持っておられなかったのです。ソロモンの場合、その子孫にまで呪いが言わば貫通することとなりました。これはソロモンの犯した罪が極めて大きく、そのため神のソロモンに対する怒りも極めて大きかったからです。しかし、神はその呪いを『永久に続けはしない』と言われます。つまり、ソロモンの呪いは子孫において止みます。これは神が愛の御方であられるからです。神は憐れみに傾く御方なのです。神は御恵みを子孫にまで長く注がれますが、呪いはそこまで長く注がれ続けることがありません。それは神がこう言われた通りです。『あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。』(申命記5章9~10節)私たちも堕落するならば、私たちだけでなく、その子孫にまで悲惨な報いが注がれてしまいます。私たちだけに呪いは限定されないのです。私たちだけが報いを受けるというのでも悲惨です。そのうえ更に子孫まで神から報いを受けるのであれば、どれだけ大きな悲惨があるでしょうか。ですから、私たちは自分自身と子孫のことを考え、決してソロモンのように堕落しないよう注意すべきなのです。ここまでがヤロブアムに与えられた神からの預言でした。神はこの通り、ヤロブアムをこれから王となるよう召されます。ヤロブアムがイスラエルの王になるのは全く合法だったのです。

【11:40】
『ソロモンはヤロブアムを殺そうとしたが、ヤロブアムは立ち去り、エジプトにのがれ、エジプトの王子シシャクのもとに行き、ソロモンが死ぬまでエジプトにいた。』
 ヤロブアムがソロモンに逆らったのですから、『ソロモンはヤロブアムを殺そうとし』ました。そうしなければソロモンの王位はヤロブアムにより危うくなるからです。この時にソロモンはヤロブアムの反逆に対し死刑を下そうとしたわけです。たとえソロモンがヤロブアムを殺したとしても、それは王が反逆者に対し死刑を下したことですから、罪に定められることは無かったと思われます。しかし、ヤロブアムはエジプト王シシャクのもとに逃れ、そこでシシャクから保護を受けることになります。こうすればヤロブアムはソロモンに殺されることがありません。何故なら、ソロモンはエジプト王と関係を持っていましたから、ヤロブアムの逃れたエジプトにおいて手荒なことは出来なかったはずだからです。こうしてヤロブアムは『ソロモンが死ぬまでエジプトにい』ました。つまり、ヤロブアムは亡命したわけです。イスラエルの国にいれば、ソロモンによる危険がありますから、ヤロブアムはどうしてもエジプト王シシャクの支配下にいる必要がありました。神がソロモンにヤロブアムの殺害を許されなかったのです。何故なら、ヤロブアムがソロモンへの敵対者として起こされたのは、堕落したソロモンに対する神からの報いだったからです。

【11:41】
『ソロモンのその他の業績、彼の行なったすべての事、および彼の知恵、それはソロモンの業績の書にしるされているではないか。』
 『ソロモンのその他の業績』とは、聖書で記録されていないソロモンの業績です。その業績は実に多くあったことでしょう。『彼の行なったすべての事』とは、日常や公の行事など大小様々な行動また歩みのことでしょう。これもやはり注目すべきことが多くあったはずです。『彼の知恵』とは、神がソロモンに与えた御恵みの英知です。そのような英知はソロモンだけに与えられていたものです。これら3つの事柄は『ソロモンの業績の書』に記されていました。Ⅰ列王記の記者が生きていた時代には、まだこのような文書が残っていたのです。それは一般的によく知られていたのかもしれません。だからこそ、『ソロモンの業績の書にしるされているではないか。』などとここでは言われているのです。これはつまり「その業績の書を見れば誰でも確認できることである。」ということです。Ⅰ列王記におけるソロモンの記録が、この業績書を参照して書かれたことは間違いないでしょう。しかし、今はもうその文書が失われています。古代はこの文書に限らず大半の文書が失われましたから、ソロモンの業績書が失われたとしても何か特別なことはありません。しかし、神はその文書が失われることを良しとされました。つまり、神は聖徒たちがその文書を見なくても良しとされました。これは聖徒たちが聖書にこそ集中すべきだったからであるはずです。何故なら、もしその文書が残っていれば聖徒たちはそれに注目しただろうからです。それは聖書記者が示している文書なのです。であれば、そのような文書があることにより、それだけ聖徒たちの心は聖書から逸れてしまいかねないのです。ですから、ソロモンの業績書が失われたのは聖徒たちに対する神の配慮だったはずです。

【11:42】
『ソロモンがエルサレムで全イスラエルの王であった期間は四十年であった。』
 ソロモンが王としてイスラエルを支配した『期間は四十年』でした。聖書で「40」は十分さを意味しますから、これはつまりソロモンが十分なだけイスラエルで支配したことを示しています。確かに40年も支配するというのは十分だと感じられる期間です。ソロモン以降の王はもう『全イスラエル』を支配することがなくなりました。何故なら、これからイスラエルは北のイスラエル国と南のユダ国に分かれるからです。このソロモン時代のイスラエルが繁栄の絶頂期であり、これ以降のイスラエルはピークを過ぎて衰えてしまいます。

【11:43】
『ソロモンは彼の先祖たちとともに眠り、彼の父ダビデの町に葬られた。彼の子レハブアムが代わって王となった。』
 こうしてソロモンも、他の人と同様に死にました。ソロモンは『彼の父ダビデの町』であるベツレヘムに葬られました。エルサレムに葬られたのではありません。ここで『先祖たちとともに眠り』と書かれているのは、イスラエル人の先祖たちが死んだのと同じように死んだという意味です。『眠り』とは死の暗喩表現です。ソロモンの死因が何だったかは分かりません。老衰だったでしょうか、それとも何かの病気だったでしょうか。恐らく他殺されたというのは無かったと思われます。しかし、晩年のソロモンは酷い堕落に陥り、死ぬ時に悔い改めていたかどうか不明です。ですから、呪われた病気や事故により死んだ可能性もあるでしょう。死んだソロモンの葬式は、国家の栄華に相応しく壮大だった可能性があります。しかし、それはあくまでも可能性としか言えません。もしかしたら、ソロモンは葬式をしないかしても小規模にするよう指示していた可能性もあります。ソロモンは伝道者の書で、人生がどれだけ虚しいか繰り返し述べています。実際に感じられる人生の実内容でさえ虚しいとすれば、もう死んだので体験できない自分自身の葬式はどれだけ虚しいことでしょうか。葬式が人生より虚しいとすれば、ソロモンが自分の葬式に積極的で無かった可能性もあるのです。しかし、ソロモンの葬式は私たちにとってあまり重要な意味を持っていません。もし本当に重要であれば、聖書はソロモンの葬式について何か示していたことでしょう。このようにソロモンが死んでからは、『彼の子レハブアムが代わって王とな』りました。レハブアムはここで初めて出てきます。彼はダビデの孫でした。このレハブアムが王になったというのは、そうなるのが神の御心だったということです。つまり、神がレハブアムに王となるよう王権を与えられました。彼はイスラエル国家における四代目の王となります。ダビデ王朝においては三代目の王となります。

【12:1】
『レハブアムはシェケムへ行った。全イスラエルが彼を王とするため、シェケムに来ていたからである。』
 イスラエルがレハブアムを王とするためシェケムに集まっていたので、レハブアムはこのシェケムへと向かいました。この『シェケム』とはエルサレムから40~50kmほど北にあり、そこにはエバル山とゲリジム山があります。そこはマナセの相続地でした。レハブアムがエルサレムからそこに行ったとすれば、北に向かったのです。レハブアムはここで正式に王とされるのです。この時はまだ『全イスラエル』が一つの国でしかありませんでした。これからこの『全イスラエル』はユダとイスラエルという2つの国に分かれてしまいます。

【12:2】
『ネバテの子ヤロブアムが、そのことを聞いたころは、ヤロブアムはソロモン王の顔を避けてのがれ、まだエジプトにおり、エジプトに住んでいた。』
 レハブアムがシェケムで王になるということは、諸国で大きなニュースとなったことでしょう。ソロモンは諸外国から大いに注目された王でした。ですから、ソロモンが死んだことは諸国で大きなニュースとなったはずです。そして、そのソロモンに続いてレハブアムが王になるというのも大きなニュースとなったことでしょう。今であれば新聞のトップニュースになったことは間違いありません。『ネバテの子ヤロブアム』も、エジプトでそのことを知りました。このニュースはエジプトにまで流れていたのです。この頃のヤロブアムは、まだ『ソロモン王の顔を避けてのがれ』、『エジプトにおり、エジプトに住んでい』ました。イスラエルに戻れば命の危険がありますから、どうしてもエジプトに住んでいるしかなかったのです。ソロモンが死んだならば、もうヤロブアムはイスラエルに戻ることもできたでしょう。しかし、この時はまだソロモンが死んでからあまり経っていませんでした。ですから、まだヤロブアムはエジプトに留まっていたわけです。

【12:3】
『人々は使いをやって、彼を呼び寄せた。それで、ヤロブアムはイスラエルの全集団とともにやって来て、』
 ソロモンがもう死にましたから、ヤロブアムはイスラエルに戻っても安全な状況となりました。そこで、イスラエル人はヤロブアムをイスラエルに呼び寄せようとします。それはヤロブアムも、新しく王となったレハブアムに会うべきだったからです。イスラエル人はヤロブアムを呼び寄せ、ヤロブアムはそれに応じました。これはヤロブアムがソロモンだけから邪魔者扱いされていたことを示しています。ヤロブアムはイスラエルの民衆からは悪く思われていなかったでしょう。もし悪く思われていれば、こうしてイスラエル人がヤロブアムを呼び寄せたり、ヤロブアムが呼び掛けに応じることもなかったはずです。この時にヤロブアムを『呼び寄せた』『使い』たちがどれぐらいいたかは分かりません。しかし別にその数はどうでもいいことです。こうしてヤロブアムはエジプトから北東へ向ってイスラエルに戻ることとなりました。

【12:3~4】
『レハブアムに言った。「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」』
 ここでレハブアムが言っている通り、ソロモンは国民に『過酷な労働と重いくびき』を課していました。国家の栄華は、このような重労働をその背景としていたのでしょうか。労働すればするほど利益が生じるのは一般的なことです。その可能性はあるでしょう。何故なら、もしイスラエル人が怠けていたとすれば、イスラエルに豊かな繁栄は与えられていなかったはずだからです。このようにソロモンは国民に重労働を負わせる王でした。しかし、誰もソロモンの意思を変えさせることはできませんでした。ソロモンが重労働を課すと決めたので、そうなってしまったのです。というのも、古代の王が持つ権力は絶対的だったからです。ソロモンがイスラエル人『のくびきをかたくし』たのですから、ソロモン以前にイスラエル人は重労働を課せられていなかったことが分かります。ダビデはイスラエル人に重い労働を負わせていなかったのです。ここにもソロモンとダビデの大きな違いがあります。

 レハブアムに会ったヤロブアムは、このような重労働を軽くするようレハブアムに求めます。何故なら、ソロモンが国民に重労働を課したのは悲惨だったからです。ですから、レハブアムはこの時にまともな求めをしたと考えていいでしょう。過酷な労働を負わせるのが良くないことぐらい、誰でも理解できるはずです。恐らく、ヤロブアムがソロモンに逆らったのは、このような重労働に反発したからだったのかもしれません。ソロモンが偶像崇拝に陥るまで、まだヤロブアムはソロモンに逆らっていませんでした。しかしソロモンが偶像崇拝に陥ると、ソロモンは罰せられるべき者となりました。ですから、神はソロモンへの報いとして、ヤロブアムが重労働のことで逆らうようにされたのかもしれません。このヤロブアムは、もしレハブアムがソロモンの課した重労働を軽くするならば仕えると約束します。仕えるとは、つまり喜んで仕えるということです。王であるレハブアムが国民に良くしてくれるならば、国民もそれに応じて良い態度で仕えることができるのです。ヤロブアムはこのように求めることで、レハブアムに交渉を持ち掛けているのです。