【Ⅰ列王記12:17~31】(2024/02/11)


【12:17】
『しかし、ユダの町々に住んでいるイスラエル人は、レハブアムがその王であった。』
 このようにしてイスラエルの10部族は、レハブアムに反逆しました。それは神の約束が実現されるために必要な反逆でした。神の約束は必ず実現されます。そのために、10部族がどうしてもレハブアムに逆らわねばならなかったのです。それゆえ、彼らの反逆は特例的に認められた合法的反逆でした。通常の場合、このような反逆は、王とその王に権威を与えられた神への悪しき反逆となります。しかし、ユダ族だけはレハブアムから離れませんでした。これもまた神の約束が実現されるためでした。神はかつてソロモンの子に一つの部族を保ち続けると約束しておられました。もしユダ族さえもレハブアムに逆らえば、この約束が実現されなくなります。ですから、ユダ族だけはレハブアムに留まるというのが御心だったのです。もしユダ族までもレハブアムに逆らっていたなら、レハブアムは誰の王でもなくなり、かなり悲惨な状態に陥っていたことでしょう。しかし、ダビデとエルサレムのゆえレハブアムからユダ族までも取り上げられることはありませんでした。

【12:18】
『レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが、全イスラエルは、彼を石で打ち殺した。それで、レハブアム王は、ようやくの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。』
 レハブアムに反発した10部族に対し、『レハブアム王は役務長官アドラムを遣わし』ました。これはアドラムにより10部族を管理させるためか、アドラムを通して説得させようとしたのでしょう。レハブアム王は、自分自身で民に会おうとせず、このような代理者を遣わしました。これは反発した民を避けるための恐怖心からだったでしょうか、それとも自分が行くまでもないという高慢からだったでしょうか。いずれにせよ、レハブアムはアドラムを通して10部族に働きかけようとしました。ところが、『全イスラエルは、彼を石で打ち殺し』ました。民がアドラムを殺したのは、民がレハブアムを嫌っていたからです。レハブアムに遣わされたアドラムは、レハブアムの部分また延長です。ですから、レハブアムを嫌っていた民は、レハブアムの遣わしたアドラムをも嫌ったのです。レハブアムは嫌いであるもののアドラムならば問題ないというわけにはいきませんでした。この時にアドラムが石で打ち殺されたのは、つまり死刑に処せられたのです。何故なら、石で打ち殺すというのは当時の死刑方法だったからです。このようにアドラムが殺された時、『レハブアム王は、ようやくの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げ』ました。これは民がアドラムだけでなくレハブアムも捕まえて殺そうとしたことを示しています。この時のレハブアムはエルサレムでない場所に出張していました。エルサレムに逃げたレハブアムは、ひとまずのところ安全になったはずです。というのもエルサレムのあるユダの人々はあくまでもレハブアムを王として持ち続けていたからです。レハブアムは民に反発したからこそ、こういった悲惨を味わうことになりました。しかし、こうなったのはそもそもソロモンが酷い堕落に陥ったからです。ソロモンが偶像崇拝の罪を犯さなければ、レハブアムはこのように悩まされることもありませんでした。しかし、神はこのように民がレハブアムに反発することを許されました。それはソロモンにおける呪いを通して神の御計画が実現されるためだったのです。

【12:19】
『このようにして、イスラエルはダビデの家にそむいた。今日もそうである。』
 こうしてイスラエルの10部族は、『ダビデの家』に治められているユダ族と離れ去りました。こうなったのはソロモンのゆえに注がれた呪いです。しかし、もう死んだソロモンはこの呪いを感じることがありません。ソロモンの子孫がその呪いを味わうのです。このようにして神の呪いは全うされるのです。ここで『今日もそうである。』と書かれているのは、このⅠ列王記が書かれた時代でも10部族はダビデ王家に背いたままだったということです。このことから、この巻の書かれた時代が分かりそうです。このように書かれているのであれば、この巻はまだ北王国イスラエルが存続している時代に書かれたのでしょう。つまり、まだ捕囚の刑罰が北王国イスラエルに下されていない時期です。そうだとすれば、このⅠ列王記はアッシリア捕囚が起こる紀元前720年よりも前に書かれたのでしょう。

【12:20】
『全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞き、人をやって彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従うものはなかった。』
 ヤロブアムが『全イスラエルの王』となることこそ神の御心でした。それゆえ、ヤロブアムがエジプトより戻ってから、全イスラエルはこのヤロブアムを自分たちの王としました。神がヤロブアムに王権を与えられたのですから、ヤロブアムがレハブアムを差し置いて王となったとしても合法でした。この時にヤロブアムは正式な王となりました。それまでヤロブアムは一般の人物に過ぎませんでした。しかし、ユダ族だけはあくまでもレハブアムに従い続けました。それ以外の部族は、レハブアムを嫌ったので、もうレハブアムを自分たちの王と認めませんでした。

【12:21】
『レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選抜戦闘員十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした。』
 反発した民にレハブアムは対抗し、『王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとし』ました。レハブアムは民に反発されたままじっとしているわけではありませんでした。もし10部族が言葉の説得で態度を変えるようであれば、レハブアムは説得しようとしていたかもしれません。しかし、明らかにもう10部族は説得など受け入れようとしていなかったはずです。ですから、レハブアムは武力による屈服を通して、反発した民から王位を取り戻そうとしたのです。この時に『十八万』もの戦闘員が召集されたのは、レハブアムが焦っていたことを示しているのでしょう。しかも、召集されたのは『選抜』された戦闘員たちです。レハブアムは何が何でも王位を取り戻そうとしていたに違いありません。この時に『ユダの全家』だけでなく『ベニヤミンの部族から』も戦闘員が召集されたのは、ユダのすぐ北に位置していたベニヤミンの相続地もその大半が南王国ユダとなったからです。この時にレハブアムが召集した選抜戦闘員の「18」万という数字に象徴的な意味はあるでしょうか。続く箇所から分かる通り、レハブアムが兵士たちを召集したのは御心でありませんでした。ですから、この「18」(万人)は御心に適わないことを示す数字であり、三つの6(666)に分解できるのだ、と考える人がいるかもしれません。しかし、666を合計数18で示している箇所は他に聖書で見られません。この箇所もそうではなく、単なる象徴性のない18万人という数字に過ぎないと思われます。もし聖書が666を18で示していたとすれば、同じやり方で777も21として示せるでしょうが、聖書に777を21として示している箇所は無いはずです。もしここでの「18」が666を示すというのであれば、他にも同じ示し方がされている箇所が聖書であったはずです。もし聖書でここ一つだけであるとすれば根拠が弱いと言わざるを得ません。

【12:22~24】
『すると、神の人シェマヤに次のような神のことばがあった。「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、および、そのほかの民に告げて言え。『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。』
 レハブアムたちがイスラエルを鎮圧しようとしていた際、神が『シェマヤ』に御言葉を与えられました。その御言葉をシェマヤはレハブアムおよび民に告げ知らせました。シェマヤは『神の人』でしたが、これは神から特別に親密な取り扱いを受けている敬虔で信仰的な聖徒のことです。ダビデでさえ聖書では『神の人』と呼ばれていません。神はこのように、ある特定の個人を通して多くの人々に語られます。それが神のやり方なのです。古代ユダヤでは、本当は神の御言葉を受けていないのに、あたかも神の御言葉を受けたかのように語る忌まわしい者もいました。しかし、シェマヤは本当に神の御言葉を受けていました。ここで神はシェマヤが『ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、および、そのほかの民に告げて言』うように命じています。これはつまりイスラエルの全体に言えということです。というのも、この時に起きていた出来事は、全てのイスラエル人に関わる問題だったからです。神はシェマヤを通して、レハブアムに戦うなと命じられます。何故なら、レハブアムとユダ族にとってイスラエルは『兄弟』だからです。兄弟が互いに争い合うならばヤコブの群れは滅茶滅茶となります。神はそうなるのを望まれませんでした。ですから、神はレハブアムたちが『おのおの自分の家に帰』るよう命じます。このような事態となったのは、神が『こうなるようにしむけたのだから』です。神がこうされたのであればレハブアムたちはどうすることもできません。こうしてレハブアムと召集された兵士たちは自分の家に帰りました。レハブアムはまさか自分が王位に就いて後、民からあのような改善の求めをされるとは恐らく思っていなかったかもしれません。またレハブアムは民が反発して自分から離れ去るということも考えていなかったはずです。そして、戦おうとしていたのに戦えなくなるということも想定していなかったでしょう。つまり、レハブアムは王に就任してから想定外続きでした。これは正にソロモンが『何が起こるかを知っている者はいない。』と言っている通りのことです。

 この時のイスラエル人は、このような『主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行』きました。彼らはシェマヤに対して反発しませんでした。何故なら、シェマヤは本当に『神のことば』を語ったのだからです。この時のイスラエル人はまだ御言葉に聞き従う態度を持っていました。しかし、これからイスラエル人は神の御言葉にさえ聞き従わないほど堕落してしまいます。そのように堕落したならば最悪となります。神がそのような堕落に対し罰を注がれるので悲惨となるからです。実際、北王国イスラエルも南王国ユダもこれからそのような悲惨を受けることになりました。

【12:25】
『ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。』
 ヤロブアムはイスラエルの王となってから、エフライムの山地『シェケム』を再建しました。この『シェケム』はもう北王国イスラエルに属する地であり、南王国ユダの支配する場所ではありません。かつてはまだユダ王が支配する範囲内だったのですが。この『シェケム』はエルサレムから40~50kmほど北に離れています。この『シェケム』が再建されたのは、つまりまだそこがあまり開発されていなかったからです。ヤロブアムはこの『シェケム』に住みました。そこからイスラエルを支配したわけです。そして、このシェケムからヤロブアムは『ペヌエル』に移り、そこも『再建』しました。ここも『再建』されたのですから開発があまりされていなかったのです。この『ペヌエル』は、シェケムから40kmほど東に離れており、シェケムとの間にはヨルダン川が縦方向に流れています。

【12:26~27】
『ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」』
 ヤロブアムは、イスラエルのことで大きな心配を持ちました。その心配はしっかり根拠のあるものでした。レハブアムは10部族の民が『エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行く』と言っています。これは律法がそうするように命じているからです。その場合、エルサレムに上ったイスラエル人は『彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り』かねません。何故なら、エルサレムの支配権を持つ者こそイスラエル王に相応しいと感じるのは自然なことだからです。民がレハブアムと離反したにもかかわらずエルサレムに行くならば、このことを強く感じるようにもなりましょう。ですから、ヤロブアムがこのような心配を持ったとしても不思議なことはありません。更にヤロブアムはレハブアムのもとに帰ったイスラエル人が自分を殺すだろうと恐れます。民衆から退けられた王が処刑されるのは何も珍しくありません。ヤロブアムもそのことはよく分かっていたでしょう。レハブアムがこういった事柄を心配したのは、心配性だったからというのではなかったはずです。確かにこのままであればレハブアムが予想した通りのことが起きていたかもしれません。何故ならソロモンが言ったように、罪深い者の恐れる出来事はその通りになるものだからです。

【12:28~30】
『そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。』
 このままであれば、本当にイスラエルがレハブアムに回帰し、ヤロブアムは殺されてしまいかねません。そうならないため、ヤロブアム『王は相談』しました。相談した相手は長老とか側近とかだったと考えられます。相談した具体的な内容については書かれていません。このような相談をした結果、ヤロブアムは『金の子牛を二つ造り』ました。この子牛は偶像です。ヤロブアムは、イスラエル人がレハブアムのもとに帰らないため、このような子牛の偶像を造りました。というのもこの子牛を礼拝するならば、民はそれで十分とし、レハブアムのいるエルサレムには行かないことになるからです。この子牛が『金』で造られたのは、それを神だと思わせるためです。金ほど何かを神だと思い込ませるに相応しい物質はないでしょう。またこれが『二つ』造られたのは、『一つをベテルに据え、一つをダンに安置』するためでした。『ベテル』は北王国イスラエルの最も南に位置しており、『ダン』は最も南西の場所にあります。ヤロブアムはこの子牛を『神々』と呼んでいます。申命記で書かれている通り、神は『ただひとり』であられます。パウロも『神は唯一』であると述べています。つまり、真の神とは「神」であり「神々」ではありません。それなのに真の神を『神々』と呼んだヤロブアムは気が狂っていました。このような偶像制作が極めて大きな罪である理由の一つは、神の無限性を物質の有限性に閉じ込めるからです。神がこのような偶像にまで下げられるのは、神を最大に侮辱することです。何故なら、このような偶像は神が有限であると主張しているのも同然だからです。ですから、ヤロブアムは子牛の制作により実に大きな罪を犯したのです。この罪は、十戒の第二番目に違反しています。そこでは偶像を造るなと命じられているからです。しかし、十戒の第一番目には違反していないと思われます。何故なら、ヤロブアムは神を子牛の偶像として表示しただけであり、何か他の神々を捏造したわけではないからです。

 民は、このうち『ダンに安置』された子牛を礼拝しました。70人訳聖書では、ベテルのほうも礼拝したと訳されている写本があります。しかし解釈上の安全のため、ここではヘブル語原文の内容だけに沿って考えておくのがよいでしょう。民がダンの子牛を拝んだのは罪となりました。これもやはり十戒の第二番目に違反しているからです。そこでは偶像を拝むなと命じられているからです。このようにしてヤロブアムも民も偶像崇拝者となり堕落してしまいました。

 先にも述べた通り、相談すること自体は間違っていません。ヤロブアムが相談したことは聖書に適っており良いことでした。しかし、相談は良かったものの、相談した結果が最悪だったのです。このような最悪の結果が生じるぐらいであれば、寧ろ相談しないほうがましでした。これでは相談した意味がありません。何故なら、相談する目的は良い結果を生じさせるためだからです。ですから、ヤロブアムは相談したとしても、最悪の結果となるぐらいならば、その相談を無効にすべきでした。しかし、ヤロブアムはその相談を有効としました。「愚か」とはこのようなことを言うのです。このことからも分かる通り、相談が必ず良い結果を生じさせるわけではありません。しかし、なるべく良い結果を生じさせるべく相談は行なうのが望ましいことです。

【12:31】
『それから、彼は高き所の宮を建て、』
 ヤロブアムは子牛を造ってから、『高き所の宮を建て』ました。これは子牛を祀るための宮です。ヤロブアムは、何とかして民を『エルサレムにある主の宮』(Ⅰ列王記12:27)へ行かせないようにしました。何故なら、もし民が『高き所の宮』に行ったのであれば、それで満足しエルサレムの宮へは行かないことにもなるからです。この宮は『高き所』に建てられました。これは既に述べた通り、高い場所が神のおられる天とよく対応しているからです。しかし、この『高き所』が建てられたのは、ベテルとダンのどちらだったのでしょうか。どちらにも偶像の子牛が置かれました(Ⅰ列王記12:29)。続く箇所から考えると、これは間違いなくベテルのことを言っています。しかし、ダンにある子牛のためにも宮が建てられた可能性はあります。