【Ⅰ列王記14:27~15:5】(2024/03/31)


【14:27~28】
『それで、レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。王が主の宮にはいるたびごとに、近衛兵が、これを運んで行き、また、これを近衛兵の控え室に運び帰った。』
 パロにソロモンの金盾がことごとく奪い取られましたから、『レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り』ました。どうしてレハブアム王は青銅の盾を代わりとして作ったのでしょうか。聖書はここでその理由について何も示していません。その理由は恐らく、レハブアムに父ソロモンの作った盾を失わせてしまったという罪悪感があったからなのかもしれません。偶像崇拝者が自分の行なっている偶像崇拝については全く罪悪感を抱かなかったとしても、親族や親しい者のことでは罪悪感を抱くものなのです。「どうしよう。父がせっかく作った盾を守り通せなかった。」このような思いをレハブアムが持った可能性は高いでしょう。その罪悪感を少しでも薄めるため、こういった青銅の盾を作ったのかもしれないのです。この『青銅の盾』がどれぐらい作られたのかまでは分かりません。金の盾と同数だったでしょうか、それとも多かったでしょうか、もしくはかなり少なかったのでしょうか。いずれにせよ、レハブアムが作った盾の数は分からなくても問題となりません。この『青銅の盾』を、レハブアム王は『王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託し』ました。レハブアムが神殿に入る時は、この近衛兵が青銅の盾を出し入れしていたのです。しかし、どうしてレハブアムはこのようなことをさせたのでしょうか。これはまたパロがエルサレムに攻めて奪い取ることを心配したと考えられます。実際、またパロがエルサレムを攻めたとすれば、青銅の盾を奪い取っていた可能性は高いのです。しかし、近衛兵にしっかり管理させておけば、幾らかでも盾が奪い取られるリスクを低められたと思われます。こういったことをレハブアムが考慮した可能性は十分にあります。この通り、レハブアムは大きな屈辱を味わうこととなりました。偶像崇拝の罪を犯したからこそ、神に罰せられて、このような悲惨を味わうことになったのです。罪を犯しても結局は神に罰されて悲惨となるのですから、罪に良いことがないのは明らかです。

【14:29】
『レハブアムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
 『レハブアムのその他の業績』とは、聖書で記録されていないレハブアムの業績です。その業績には、良い内容も悪い内容もあったはずです。しかし、良い内容と悪い内容の比率がどうだったかは分かりません。『彼の行なったすべての事』とは、業績に分類されないレハブアムの行為また仕事でしょう。この『すべての事』とは注目に値することだけです。どうでもいい些細な行為がこれに含まれていないことは確かです。この2つの事柄は『ユダの王たちの年代記の書にしるされてい』ました。つまり、それらを知りたければこの『年代記』で詳しく知ればいい、ということです。この通り、長々しくならないようⅠ列王記の記者は、レハブアムのことについて多くを記録しませんでした。もしレハブアムに関する全てがⅠ列王記で記録されていたとすれば、聖書は内容のバランスが多かれ少なかれ崩れていたことでしょう。しかし、この『ユダの王たちの年代記の書』は、もう既に失われています。ある時までは、まだこの文書を読むことができました。いつからこの文書が見られなくなったか私たちには分かりません。この文書は神が聖徒たちに必要ないとされました。ですから、私たちはこの文書を参照できなくても、神が聖書で書かれたレハブアムに関する記述を知るだけで満足せねばなりません。

【14:30】
『レハブアムとヤロブアムとの間には、いつまでも戦いがあった。』
 レハブアムとヤロブアムは、ずっと対立し続けていました。この2人の間には平和また平安が無かったのです。今の韓国と北朝鮮の間にも対立がありますけども、レハブアムとヤロブアムもそのような感じだったでしょうか。レハブアムは、ダビデから続くイスラエル全体の正当な支配権を主張していた可能性もあります。これに対し、ヤロブアムはヤロブアムに10部族が与えられるという神の御言葉で対抗できたでしょう。もしこのようなことがあった場合、正しい主張をしていたのは神の御言葉を持つヤロブアムのほうでした。いずれにせよ、この2人が対立していたと言っても、互いを嚙み殺す段階にまでは至りませんでした。神がユダとイスラエルを守っておられたのです。というのも、兄弟同士が殺し合うというのは相応しくないからです。しかし、神がこの2人を対立させておられました。何故なら、ソロモンの罪に対する罰として、イスラエルは2つの国に分裂したのだからです。神はイスラエルが2つに分かれたままでいるのを望まれました。もしレハブアムとヤロブアムが和合したとすれば、レハブアムの支配するユダとヤロブアムの支配するイスラエルはまた一つの国に戻りかねません。そうすれば、もはや神の罰は罰でなくなります。ですから、ソロモンの罪において注がれた罰が罰であり続けるため、神はこの2人が対立したままでいるよう定められたのです。

【14:31】
『レハブアムは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにダビデの町に葬られた。彼の母の名はナアマといい、アモン人であった。』
 こうしてレハブアムは死にました。『彼の先祖たちとともに眠り』という表現は、もう既に先の箇所で確認した通りです。レハブアムが何歳で、どのようにして死んだか、この箇所では示されていません。死んだレハブアムは『ダビデの町に葬られ』ました。これはヤロブアム家と大きく異なります。先に見た通り、ヤロブアム家で墓に葬られるのは、あの御心に適った子だけでした。レハブアムの場合は、ダビデが祖父でしたから、ダビデのゆえ死後も神から慈しみを受けられたのだと思われます。更にレハブアムが支配していたユダは、イスラエルより長く存在していました。先に陥落したのはイスラエルのほうです。イスラエルのほうには10部族もいるのに、です。このことからユダ族およびダビデがいかに重要な存在であるのかよく分かります。

 この箇所では、先に見たⅠ列王記14:21の箇所で書かれていたナアマのことが、再び書かれています。このようにレハブアムの母についてまた書かれるというのは、それが重要だということです。つまり、レハブアムがアモン人を母として持っていたのは、決して無視されるべき事柄ではないのです。やはりレハブアムはアモン人が母であったからこそ、偶像崇拝に容易く陥ってしまったのかもしれません。つまり、母に影響されたわけです。このため、ユダの民衆も王に倣って偶像崇拝を行なったのかもしれません。こうだった可能性はかなり高いでしょう。

『彼の子アビヤムが代わって王となった。』
 南王国ユダの王は世襲制だったので、レハブアムが死んでからは、『彼の子アビヤムが代わって王とな』りました。このアビヤムはユダにおける二代目の王であり、サウルから数えれば5代目の王となります。このアビヤムの祖母はアモン人でした。

【15:1~2】
『ネバテの子ヤロブアム王の第十八年に、アビヤムはユダの王となり、エルサレムで三年間、王であった。』
 アビヤムが王となったのは、『ネバテの子ヤロブアム王の第十八年』目でした。ヤロブアムとレハブアムはほとんど同時期に王となりましたから、レハブアムは治世の18年目ぐらいで死んだことが分かります。この「18」という数字に象徴性は全くありません。「14」であれば象徴性があったかもしれません。このアビヤムが王であったのは『三年間』でした。神が3年の間だけアビヤムを王として立てておられたのです。聖書で「3」は確認また強調の意味を持ちますが、ここでの「3」(年間)は特に意味を持っていないはずです。たとえ短い治世だったとしても、その王が呪われていたとは限りません。祝福された王であっても、定めにより短い治世でしかない場合があるはずです。このアビヤムの場合、呪われていたからこそ短い治世しか与えられなかったはずです。すぐ後に見る通り、アビヤムが呪われていたのは明らかです。

【15:2】
『彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。』
 アビヤムの『母の名はマアカ』でした。彼女はレハブアムの妻である女性です。彼女は『アブシャロムの娘』でしたから、レハブアムにとって近い血縁だったことが分かります。今の日本で言えば、レハブアムに対するこの『マアカ』は、悠仁さまに対する愛子さまとなります。近い血縁の者と結婚するというのは、王族において昔から珍しくないことです。一般民からすれば違和感があっても、王族において違和感はありません。聖書も、叔父の子どもであれば結婚することを禁じていません。それは血縁的に許容できるほど遠く離れているからです。レビ記18:6~23の箇所からこのことが分かります。

 Ⅱ歴代誌13:2の箇所では、このマアカについて『ミカヤといい、ギブアの出のウリエルの娘であった』と書かれています。Ⅰ列王記の『マアカ』は、Ⅱ歴代誌では『ミカヤ』です。またⅠ列王記で『アブシャロムの娘』と書かれているのは、Ⅱ歴代誌では『ギブアの出のウリエルの娘』となっています。これに矛盾はありません。聖書に書かれていることは全て真実だからです。それでは、どうしてアビヤムの母について異なる人物であるかのごとくⅡ歴代誌では言われているのでしょうか。これに矛盾はありませんが、解釈がどうしても必要となります。私はこう考えます。ここで言われている『アブシャロムの娘』である『マアカ』は、もともと『ギブアの出のウリエルの娘』である『ミカヤ』だったのですが、アブシャロムに養子として引き取られたのです。つまり、アブシャロムは養子とした『ミカヤ』という女に『マアカ』という新しい名前を付けたのです。古代ユダヤで養子は何も珍しくなかったのであり、養子も実の子と同じように取り扱われていました。ですから、アブシャロムが養子とした女に新しい名を付けたとしても不思議なことはありません。このように解釈すれば全く矛盾はなくなります。Ⅱ歴代誌で違う名前と違う親が書かれているのは、このように解釈する以外にないはずです。何か別の解釈が他にあるとすれば、Ⅱ歴代誌のほうでは別の呼ばれ方がされていると考えるべきでしょう。すなわち、Ⅱ歴代誌で『ミカヤ』と言われているのは、『マアカ』の別名だったのです。また『ギブアの出のウリエル』とⅡ歴代誌で書かれているのは男でなく、アブシャロムの妻とされた女性でした。もしこの『ウリエル』を男として考えるならば、『ミカヤ』は養子にされたと考えるしかありません。しかし『ウリエル』が女だったとすれば、『ミカヤ』は『マアカ』の別名だったと考えることもできるでしょう。この2つ目の解釈より、先に述べた養子説のほうがもっともらしいと私には思われます。

【15:3】
『彼は父がかつて犯したすべての罪を行ない、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。』
 アビヤムは、父であるレハブアム『がかつて犯したすべての罪を行ない』ました。アビヤムもレハブアムと同じように偶像崇拝者だったのです。アビヤムが犯した罪は、偶像崇拝だけに限らなかったでしょう。その罪の総量は非常に多かったと思われます。このようなアビヤムの心は神と一つになっていませんでした。神と心が一つになっていなかったので、アビヤムは神に喜ばれない数々の罪を犯したわけです。心が神と一つになっていなかったのは、彼の父レハブアムも同じでした。アビヤムもレハブアムも、もし心が『主と全く一つ』になっていたとすれば、ダビデのように多くの罪を犯すことはなかったでしょう。この箇所ではこのようなアビヤムの不敬虔さが非難されているのです。アビヤムは父のように罪を犯すべきでなく、その心を神と一つにしているべきでした。

【15:4~5】
『しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。それはダビデが主の目にかなうことを行ない、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。』
 アビヤムは悪の道に進んだのですから、後継者となる王を残さず断ち切られても文句は言えませんでした。アビヤムのような堕落した偶像崇拝者は、神の御怒りを燃え上がらせるからです。しかし、神は『ダビデに免じて』アビヤムを断ち切られませんでした。神はアビヤムの子がしっかり次の王となるようにされたのです。アビヤムにおいて王の流れを断ち切るのは、ダビデからの流れを断ち切ることです。神はそのようにするのを望まれませんでした。ダビデのゆえに神はそれを望まれなかったのです。もしダビデが存在しなければ、恐らくアビヤムは容赦なく断ち切られていたかもしれません。こうして神は『エルサレムを堅く立てられ』ました。アビヤム『の跡を継ぐ子』が起こされ、その子が王となりエルサレムを統治したからです。もし王が不在であればエルサレムは堅く立たず揺らいでしまうのです。

 神が『ダビデに免じて』アビヤムの代で流れを断ち切られなかったのは、ダビデが敬虔に歩んだからでした。ダビデは神の御前で本当に敬虔に正しく歩んでいました。それは神の御心に適いました。このようなダビデとアビヤムには強い繋がりがあります。アビヤムはダビデの子孫だからです。ですから、神は敬虔に歩んだダビデを重んじるゆえ、そのダビデの子孫であるアビヤムが後継者を残すように恵まれたのでした。しかし、ダビデが敬虔に歩んだと言っても、『ヘテ人ウリヤのこと』では忌まわしい罪を犯しました。ヘテ人ウリヤにおける罪は本当に大きな極悪でした。その罪は普通の人でさえ犯さないような考えられないものです。けれども、そのような極悪を犯したのは、ダビデの歩みにおいて例外的なことでした。ダビデの歩みを全体的に見るならば、それは実に敬虔なものでした。ですから、ヘテ人ウリヤの罪をダビデが犯したにせよ、神がダビデという存在の全体を嫌うことはされませんでした。だからこそ、この『ダビデに免じて』神はアビヤムのことで大きな配慮をされたのです。