【Ⅰ列王記15:6~15】(2024/04/07)


【15:6】
『レハブアムとヤロブアムとの間には、一生の間、争いがあった。』
 レハブアムとヤロブアムは、いつまでも対立し続けていました。この2人は和合することが決して出来なかったのです。先に見た通り、レハブアムの死によりその子アビヤムが王となったのは、『ヤロブアム王の第十八年』の時でした。ですから、レハブアムとヤロブアムが争っていた期間は、18年を越えなかったことになります。この箇所は、言葉が幾らか異なるものの、内容的に先の箇所(Ⅰ列王記14:30)と同じことが言われています。この繰り返しは、2人の争いが決して無視されるべき事柄ではないことを示しています。何故なら、神の呪いにより2人は対立することとなったからです。このようにレハブアムとヤロブアムの対立が強調されるのは、その対立の背景にある神罰を強調することにもなるのです。私たちがこの対立において神罰の事柄を考えるべきであることは明らかでしょう。そのような神罰が齎されたのは、ソロモンが酷い堕落に陥ったからでした。もしソロモンが堕落していなければ、神の呪いも無かったでしょうから、この2人の王は争い合うことが無かったはずです。その場合、そもそもイスラエルは2つの国に分裂していませんでしたから、イスラエルにおける王はレハブアムただ一人だけだったでしょう。罪によりこういった対立が呪いとして齎されるということは、聖徒であれば是非とも知っておくべき重要な事柄です。

【15:7】
『アビヤムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
 アビヤムの生涯における記録でも、先に見た王たちの場合と同様、聖書は工夫しています。もしアビヤムの記録が全て記録された場合、他の王たちの記録とも合わせれば、それは非常に多い分量となっていたはずです。これでは聖書のバランスがおかしくなってしまいます。ですから、聖書はアビヤムのことでも『ユダの王たちの年代記の書』を参照せよと導いているわけです。この『年代記の書』に記されたアビヤムの記録は、かなり少なかった可能性が高いでしょう。何故なら、アビヤムが王であった期間は3年だけだったからです。繰り返しになりますが、この『年代記の書』はもう既に失われています。この文書が失われたことについては、もう既に述べられましたから、これ以降、また繰り返して述べなくても問題はないでしょう。

『アビヤムとヤロブアムとの間には争いがあった。』
 このアビヤムとヤロブアムの間にも、レハブアムとヤロブアムの間にあったのと同様、対立がありました。アビヤムも父と同じでレハブアムと和合できなかったのです。アビヤムはレハブアムの子ですから、これは当然だったかもしれません。何故なら、父である者に対する反発は、往々にしてその父の子である者にも継承されるものだからです。実際、ヤロブアムがレハブアムに抱いていた反発は、その子アビヤムに継承されています。先に見た通りアビヤムの治世は3年間だけでしたから、アビヤムとヤロブアムが対立していた期間も3年だったはずです。

【15:8】
『アビヤムは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をダビデの町に葬った。』
 こうしてアビヤムも短い統治をした後、死にました。『彼の先祖たちとともに眠り』という表現は既に確認した通りです。このアビヤムが何歳の時に、またどのようにして死んだかは、ここで示されていません。父であるレハブアムが死んでから僅か3年後に死んだというのは、子の死としてはかなり早いものでした。アビヤムは死んでから『ダビデの町』すなわちベツレヘムに葬られました。アビヤムも父であるレハブアムと同じく、しっかりと墓に葬られたのです。これは例外者を除いて墓に葬られなかったヤロブアム家の者たちと大きく異なる点です。

【15:8~10】
『彼の子アサが代わって王となった。イスラエルの王ヤロブアムの第二十年に、ユダの王アサが王となった。彼はエルサレムで四十一年間、王であった。』
 先に見た通り、南王国ユダは世襲制の国でしたから、アビヤムが死んでから、『彼の子アサが代わって王とな』りました。この『アサ』はユダにおける第3代目の王であり、サウルから数えればユダヤにおける6代目の王となります。アサは『イスラエルの王ヤロブアムの第二十年に』王となりましたが、既に20年も王職に就いているヤロブアムからすればまだまだ初心者の王に見えたかもしれません。ここでの「20」(年)という数字に象徴性は全くありません。このアサは『エルサレムで四十一年間、王で』した。これは王としてはかなり長い期間です。神がこれだけ長い間、彼を王としてユダに立てておられたのです。この「41」(年)という数字に象徴性はありません。これが「40」か「42」であれば、象徴性があったかもしれません。もし「40」年であれば、それは十分な期間だったことを示していたかもしれません。もし「42」年であれば、短い期間もしくは少しだけにしか感じられない期間だったことを示していたかもしれません。しかし、「41」は聖書で全く特別な意味を持っていない数字です。

【15:10】
『彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。』
 アサの母は『マアカ』であり、『アブシャロムの娘で』した。先に見たアサの父アビヤムも、このマアカが母でした(Ⅰ列王記15:2)。父アビヤムの母を子アサも持つというのは、どういうわけなのでしょうか。これの答えは一つしかありません。すなわち、アビヤムは自分の母と近親相姦をしたのです。そうしてアビヤムと母マアカに生まれた子が、このアサだったというわけです。このような近親相姦は聖書で禁じられています。それは非常に罪深いことです。このような近親相姦に多くの人は驚くかもしれませんが、しかし実際にそのようなことが行なわれたのです。何故なら、アビヤムの心は主と一つになっていなかったからです(Ⅰ列王記15:3)。心が主と一つになっていなければ、そのような人は御心に適わない罪深き行為を何の抵抗もなく犯すことにもなりましょう。そのような罪深き行為の一つとして近親相姦がされたとしても何か不思議なことはありません。

【15:11】
『アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行なった。』
 アサは、祖父レハブアムや父アビヤムと異なり、『主の目にかなうことを行な』いました。つまり、アサは主の律法に従って歩んでいました。これは主に喜ばれることでした。彼がそうしたのは、彼に神の御恵みと憐れみが注がれていたことを意味します。何故なら、御恵みと憐れみがなくては、誰も敬虔に歩むことなどできないからです。そられが注がれなければ人は堕落する以外にありません。レハブアムやアビヤムは正にその通りでした。ここではダビデがアサの『父』であると書かれています。アサの直接的な父はダビデでなくアビヤムです。よって、ここでダビデが『父』と書かれているのは、単に先祖という意味での父です。もし本当にダビデがアサの直接的な父だったとすれば、何が何だか分からなくなってしまうでしょう。

【15:12】
『彼は神殿男娼を国から追放し、』
 先に見た通り、ユダ王国には『神殿男娼』が存在していました。これは律法が明白に禁じている存在です。神はこのような犬どもを忌み嫌われます。ですから、アサはこのようなふざけた愚物どもを『国から追放し』ました。しかし、『追放し』たと言っても、どのようにして追放したかまでは分かりません。追放するには3種類の方法があるからです。すなわち、死刑にするか、国外追放するか、職務を失わせるか、の3つです。律法では貫通罪が死刑に定められていますから、アサが死刑にすることで彼らを追放した可能性もあります。

『先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。』
 既に確認した通り、アサの『先祖たち』は忌まわしい偶像を造り、それを拝んでいました。ソロモンの代から偶像が造られていました。神の民の群れである国にこういった忌まわしい偶像が見られるというのは、とんでもないことです。ですから、敬虔なアサはその『偶像をことごとく取り除』きました。彼がそうしたのは正しく御心に適っていました。これまでの王たちはこんなことさえしないほど深い堕落に染まっていたのです。

【15:13】
『彼はまた、彼の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を王母の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、これをキデロン川で焼いた。』
 アサの母マアカは、『アシェラのために憎むべき像を造』りました。このような像とその制作は実に忌まわしいことでした。それは十戒の第二番目に違反する極悪な罪なのです。しかし、アサはこのような母から偶像崇拝の影響を受けませんでした。神がアサを憐れみ、御恵みにより母から悪影響を受けないよう守っておられたからです。もし神の憐れみと御恵みが無ければ、アサは母から偶像崇拝の影響を受けてしまったことでしょう。

 この母マアカは、『王母』という光栄ある地位にありました。王の母が『王母』という称号を持つのは、どこの国でも珍しいことではありません。王はこのような称号を母に与えることで、産みの親に対する敬意を示すのです。そのようにするのはまた王の健全な人間らしさが現われることにも繋がります。そういった人間らしさが、民衆に対しては重要な意味を持つのです。というのも、民衆のうち誰が人間らしくない王に支配されたいと願うでしょうか。しかし、アサはこのマアカから『王母』という称号を取り上げました。何故なら、聖徒たちの王国において忌まわしい偶像崇拝者が名誉を持つべきではないからです。ユダにおいて誉れを持つべきなのは当然ながら神の御前で敬虔な者です。アサがこうしたからといって、母を蔑ろにしたと非難されるには値しませんでした。聖徒たちは母よりも神を優先させねばならないからです。もしアサが母を神とその戒めより優先させていたならば、母のほうを神よりも上位に置くこととなり、偶像崇拝となってしまいます。アサは何よりも優先すべき存在である神を母よりも優先させ、神のために母から称号を取り上げたのですから、そうしたのは正しいことだったのです。しかし、アサが母を『王母の位から退けた』と言っても、死刑にすることで退けることはなかったでしょう。アサは母から光栄ある称号と地位を取り除いただけであるはずです。しかしながら、もう母に二度と偶像を造らせないよう、隔離するなど何らかの制限により行動を縛り付けた可能性はかなりあります。こうしてアサは母の造った『憎むべき像を切り倒し、これをキデロン川で焼』きました。アサが母の造った物だからというので、偶像に対して手加減するわけにはいきませんでした。もし手加減して母に思いやりをかけるならば、アサは神を恐れていないことになるからです。当然ながらアサは母の感情より神をこそ恐れるべきでした。

 アサがこのように母の偶像を取り除けたのは、アサが王であり、神から強大な権威を与えられていたからです。アサの持つ王権には母さえも服さねばなりませんでした。アサは神から受けた王権を正しく行使したことになります。私たちも、もし偶像を取り除ける合法的な権威があるならば、是非ともそうすべきでしょう。例えば一家の父である者ならば、自分の家では偶像を完全に禁止し、もし家族の誰かが偶像を家に持ち運んだならば捨てさせ、どうしても捨てないようであればその家族を家から追い出すべきです。アサがユダ王国に対する支配権を持っていたのと似て、一家の父はその家に対する権威を持っていますから、このようにすることは可能であり、可能であれば是非ともそうすべきなのです。もし家に偶像が置かれることでもあれば、神の御怒りがその家に対して燃え上がり、その一家は呪われた悲惨を味わうことにもなりかねません。

【15:14】
『高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた。』
 アサは神殿男娼と偶像を取り除き、神のために母から称号を取り上げることさえしましたが、しかし『高き所は取り除』きませんでした。『高き所』とは偶像を置くために設けられた専用の場所です。アサは偶像を取り除いたのであれば、その偶像を置く『高き所』も一緒に取り除くべきでした。しかし、アサはそうしませんでした。これはアサが徹底していなかった点です。もし徹底していれば『高き所』をもアサは取り除いていたはずだからです。つまり、アサの敬虔さは完全の域にまで達していませんでした。もし達していればアサは中途半端なことをしていなかったでしょう。アサの敬虔さはあと一歩が足りなかったのです。この通り、行ないにおいて人の敬虔さが現われ出ます。何故なら、行ないとは敬虔さ(または不敬虔さ)の度合いをその背景として持つからです。こういうわけで、主は実により木を知れと言われたのです。

 しかしながら、『アサの心は一生涯、主と全く一つになってい』ました。つまり、アサは主の御心を自分の思いとしていました。これは正しく主に喜ばれることです。ソロモンやレハブアムやアビヤムの場合は、主と心を一つにしていませんでした。彼らのこういった態度は主に喜ばれなかったでしょう。聖徒である者は誰でも、このアサと同じように、いつも主と一つ心になっているべきです。そうしなければ主に喜ばれることは難しいでしょう。誰がそのことを疑うでしょうか。

【15:15】
『彼は、彼の父が聖別した物と、彼が聖別した物、すなわち、銀、金、器類を、主の宮に運び入れた。』
 アサの父アビヤムには『聖別した物』がありました。それがどのような物であり、どのぐらいあったかは、ここで何も示されていません。またアサも『銀、金、器類』を『聖別』していました。しかし、アサがこれらをどのぐらい聖別したかまでは分かりません。『聖別』するとは、神のため使われる聖い物となるように捧げることです。そのように聖別した物は、もう全く神のために使われる物となるのであって、それをもともと所有していた者から所有権は全く失われます。このような聖別は良いことであり、神に喜ばれます。その聖別にパリサイ的な見せかけが伴っていない限りは、確かにそうです。アサは、父と自分が聖別した物を『主の宮に運び入れ』ました。恐らくアサは自分が聖別した物を神殿に運び入れる際、父が聖別した物も一緒に運び入れたのでしょう。アサの父アビヤムは聖別したものの、その聖別した物を神殿に運び入れていなかったのです。これはアビヤムの短い治世がその理由だったかもしれませんし、不敬虔な態度が理由だった可能性もあります。もし前者であれば時間的な問題により仕方なかったはずであり、後者であれば神の御前ですることがいい加減だったのでしょう。