【Ⅰ列王記15:16~26】(2024/04/14)


【15:16】
『アサとイスラエルの王バシャとの間には、彼らの生きている間、争いがあった。』
 アサはイスラエル王バシャと、ずっと対立し続けていました。ユダ王とイスラエル王が対立しているという状態は、これまでの王たちと全く変わりがありませんでした。神が、ユダとイスラエルの間に対立を置いておられました。ですから、誰もその対立を解消させることはできませんでした。神が置かれたのであれば、誰がそれを取り去ることなどできるでしょうか。ソロモンの堕落に対する呪いが続くため、ユダとイスラエルは対立し続けているべきでした。もしユダとイスラエルが和合したならば、神の呪いは一体どうなるでしょうか。ソロモンが酷い罪を犯したのですから、神罰としてユダヤは2つに分裂したままでいる悲惨を受けねばなりません。そのようにして神は罪に対する御自分の御怒りをまざまざと示されるのです。それゆえ、ユダ王とイスラエル王が争い続けているのは神の御心でした。

【15:17】
『イスラエルの王バシャはユダに上って来て、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにするためにラマを築いた。』
 イスラエルの王バシャはユダの王アサに敵対していましたから、『ユダに上って来て、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにするためにラマを築』きました。『ラマ』とは場所また街の名前です。これは防壁とか城塞を示す言葉ではありません。この『ラマ』という場所はエルサレムから10~20kmほど北に離れています。バシャは、このラマをしっかり建設することで、イスラエル人が誰もエルサレムへ行かないようにと企んだのです。何故なら、エルサレムには神の宮があるからです。もしイスラエル人が神殿のあるエルサレムまで行けば、アサの支配下に置かれている場所へ行くこととなります。そうならないため、バシャは『ラマ』を築くことにより、イスラエル人がそれ以上先へと進めないようにさせたかったのです。イスラエル人はエルサレムに行く際、このラマの場所を通るのです。イスラエル人が敵対しているユダ王国の領地に行くのは、バシャからすれば決して気持ちのいいことではありません。もしかしたらエルサレムに行ったイスラエル人がアサに帰順してしまう可能性さえあったのです。この『ラマ』はユダ王国の最北部に位置しており、すぐ北にはイスラエル王国の国境がありました。イスラエルの国を南に出ればすぐこのラマに着きます。つまり、バシャはラマを築く際、ユダ王国に不法侵入したことになります。ですから、ここではバシャが『ユダに上って来て』と言われているのです。これは、つまり「ユダの領地に入り込んで」という意味になります。このようなラマの建設は、かなり大規模だったことでしょう。何故なら、それは街の建設だからです。バシャにとってそれはかなり重要な事業だったはずです。

【15:18~19】
『アサは主の宮の宝物倉と王宮の宝物倉とに残っていた銀と金をことごとく取って、自分の家来たちの手に渡した。アサ王は、彼らをダマスコに住んでいたアラムの王ヘズヨンの子タブリモンの子ベン・ハダデのもとに遣わして言わせた。「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間に同盟を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金の贈り物をしました。どうか、イスラエルの王バシャとの同盟を破棄し、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」』
 ユダの神殿と王宮には、『銀と金』という財宝がありました。これらをアサは家来たちに渡します。その財宝がどれぐらいあったかは分かりません。アサが財宝を家来たちに渡したのは、それをアラム王『ベン・ハダデ』に渡させることで、アラム王と同盟を結ぶためでした。同盟を結ぶというのであれば、贈り物を贈るのが礼儀というものだからです。もし何も贈らず同盟を結ぼうとすれば、無礼な者として蔑まれても文句は言えないでしょう。アサは何としてもベン・ハダデと同盟を結びたく願いました。それゆえ、アサ王は『銀と金をことごとく』贈ることにしたのです。アサはアラム王と同盟を結ぶことで、アラム王が『イスラエルの王バシャとの同盟を破棄』することを願いました。ベン・ハダデとバシャは同盟を結んでいたのです。そうしてベン・ハダデがユダの地からバシャを『離れ去るように』してくれることこそアサの求めていたことでした。そうなれば、もはやバシャの脅威はユダから消え去るからです。つまり、アサが銀と金を犠牲にしてアラム王との同盟を求めたのは、自国を防衛するためでした。このベン・ハダデが住んでいた『ダマスコ』とは、イスラエル王国を北へ越えたアラムの首都であり、そこにはシリア人が住んでいました。この箇所でベン・ハダデが祖父の代から遡って書かれているのは、聖書において家系というのは重要な意味を持つからです。そのため、聖書ではこのような人名の書かれ方がしばしば見られるわけです。

 アサの父アビヤムとベン・ハダデの父『タブリモン』は、同盟を結んでいました。しかし、この2人の王の子たちである王は、同盟を結んでいませんでした。ベン・ハダデはユダ王と同盟を結んでいた父と異なり、イスラエル王と同盟を結んでいたのです。アサは、ベン・ハダデにおけるイスラエル王との同盟を失わせ、再び父たちの同盟状態を回復させようとしたわけです。アビヤムとタブリモンの同盟関係は、両方の子が王となるまでにリセットされてしまったのでしょう。

 ここでアサが贈ったような贈り物は、それを贈った相手との間に効果を生じさせます。贈り物の有効性は、ソロモンも箴言で教えています。その贈り物が良ければ良いほど、また多ければ多いほど、有効性も高まるでしょう。これは経験からも分かるところです。だからこそ、アサは何としてもベン・ハダデとの同盟交渉を成功させるべく、財宝を『ことごとく』贈ることにしたわけです。

【15:20~21】
『ベン・ハダデはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の将校たちをイスラエルの町々に差し向け、イヨンと、ダンと、アベル・ベテ・マアカ、および、キネレテ全土と、ナフタリの全土とを打った。バシャはこれを聞くと、ラマを築くのをやめて、ティルツァにとどまった。』
 アサ王の同盟要求をベン・ハダデは聞き入れましたから、2人の間には同盟関係が結ばれました。こうしてベン・ハダデはイスラエルとその王を裏切り、再びアラムとユダに同盟関係が戻ったのです。ユダにとっては幸いなことであり、イスラエルにとっては望ましくありませんでした。ベン・ハダデがアサの願いを聞き入れたのは、神がそれを聞き入れるようベン・ハダデの心に働きかけて下さったからです。神はベン・ハダデが願いを聞き入れないようにすることもできました。しかし、神はそうされませんでした。何故なのでしょうか。それはアサが『父ダビデのように、主の目にかなうことを行なった』(Ⅰ列王記15章11節)からであり、その心が『一生涯、主と全く一つになっていた』(同14節)からでしょう。つまり、アサが神に忠実だったので、神もアサに良くして下さったのです。もしアサが不忠実であれば、神は恐らくベン・ハダデにアサの願いを退けさせておられたはずです。何故なら、不忠実な者は神に嫌われるからです。神に嫌われる不忠実な者の求めは往々にして実現されないものです。

 こうしてユダと同盟を結んだベン・ハダデは、『自分の配下の将校たちをイスラエルの町々に差し向け』、イスラエル王国の北部に攻撃をしました。これはバシャがラマ建設を止めるようにするためです。イスラエル王国の北部が侵攻されるならば、イスラエル王はその侵攻を無視することができないでしょう。無視できなければ、ラマ建設を止め、その侵攻のほうにこそ対処する必要が生じます。そうなることこそベン・ハダデの狙いだったのです。この時にベン・ハダデの『差し向け』た『配下の将校たち』がどれぐらいいたかは分かりません。ベン・ハダデの打った『イヨン』とは、イスラエル王国の最も北にある場所です。『アベル・ベテ・マアカ』は、イヨンから10kmほど南に離れています。『ダン』は、アベル・ベテ・マアカのすぐ東に位置しています。『キネレテ全土』とは、キネレテ海の北部に広がる地域一帯です。『ナフタリの全土』とは、これら4つを含めたナフタリ族の相続地における全体部分です。それらの場所はかなりの広さでした。ここまで広い地域を打つからこそ、ベン・ハダデはバシャの意識をラマ建設から引き離させることができたのです。もしこれほど広い地域が打たれても無視したとすれば、バシャほど愚かな者は他にいなかったことになるでしょう。こうしてバシャは『ラマを築くのをやめて、ティルツァにとどま』りました。『ティルツァ』はイスラエル王国のだいたい中央部分に位置しており、そのすぐ南にはエバル山およびゲリジム山またシェケムがあります。そこはラマから50kmほど北に離れています。このようにラマ建設を止めたのは、バシャにとって思いがけないことであり、望ましくないことでした。

【15:22】
『アサ王はユダ全土にもれなく布告し、バシャが建築に用いたラマの石材と木材を運び出させた。アサ王は、これを用いてベニヤミンのゲバとミツパとを建てた。』
 ベン・ハダデがバシャのラマ建設を止めさせましたから、アサはラマにあった建築用の『石材と木材』を用いることにしました。状況から考えるならば、このラマにバシャが築いた資材は、アサが自由に使用できる権利を持っています。何故なら、この時のバシャはユダに対立していたのであり、バシャは勝手にラマに侵入して望むことを行なったからです。ですから、アサはその資材を『運び出させ』るため、『ユダ全土にもれなく布告』したのです。その資材をアサは『ベニヤミンのゲバとミツパとを建て』るために用いました。『ゲバ』は、ラマのすぐ北東にあります。『ミツパ』は、ラマのすぐ北西にあります。アサがラマより北にあるこの2つの場所を建てたのは、またバシャがユダ王国に侵入しないためだったはずです。もしこの2つをしっかり建てるならば、その場所により、バシャの侵入を妨げることができるからです。

【15:23】
『アサのその他のすべての業績、すべての功績、彼の行なったすべての事、彼が建てた町々、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
 アサに関する記録で、聖書に書かれていない事柄は、あの『年代記の書』に記されていました。ここで書かれている『業績』とは、既に他の王たちについても書かれていた言葉です。しかし、『功績』はこれまでの王たちの場合、書かれていませんでした。この『功績』は明らかに『業績』と区別されています。この『功績』とは長く記憶されるべき優れた事業また成果のことでしょう。それは『業績』と呼ぶには物足りないものだったはずです。しかし、それらの『功績』がどのぐらいあったかまでは分かりません。かなりあったのかもしれませんし、少しだけだった可能性もあります。『彼が建てた町々』とは、先に見たゲバやミツパといったアサが建設した町々です。この2つの町々はアサによる建設であることが確定しています。この2つ以外にどれぐらいアサが建設したのかまでは分かりません。これもやはり多かったもしれませんし、少しだけだった可能性もあります。

『ただ、彼は年をとったとき、足の病気にかかった。』
 アサがかかった『足の病気』については、どのような病気だったかここで示されていません。また、その病気によりアサが死んだのかどうかも分かりません。しかし、ここでこのように書かれているほどですから、大きい病気だった可能性は高いでしょう。もし取るに足らない小さな病気だったとすれば、聖書がここでそのことを取り上げていたかどうか疑問に感じられるからです。アサがかかったこの病気は、神の呪いによったはずです。先に見た通り、アサは『高き所』(Ⅰ列王記15章14節)を取り除きませんでした。そこは偶像崇拝の罪に関して足が置かれる場所です。そのような足を置く罪深い場所が取り残されていたので、神はアサの足を通して報いられた可能性が高いのです。神はそのようにして御自分の不満を示されたのでしょう。ですから、もしアサが高き所を取り除いていれば、アサの足も病気にかからなかったはずです。この通り、敬虔さは徹底していなければ悲惨を齎します。私たちはこのアサを教訓とせねばなりません。ただ敬虔なだけではいけないのです。その敬虔さは完全であることが求められています。キリストが『天の父が完全であるように、あなたがたも完全でありなさい。』と言われた通りです。敬虔に欠けがあるのは、このアサを考えても分かる通り、ダムにヒビ割れがあるのと似て危険なことです。

【15:24】
『アサは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともに父ダビデの町に葬られた。』
 こうしてアサは『先祖たち』と同じように死に、ベツレヘムの町に葬られました。アサがどのようにして死んだかはここで何も示されていません。聖書はここでアサの死をただ簡潔に書いているだけです。

『彼の子ヨシャパテが代わって王となった。』
 アサの次は『ヨシャパテが代わって王とな』りました。このヨシャパテはユダ王国における第4代目の王であり、サウルから数えれば7代目となります。神はこのヨシャパテがユダ王となるよう定めておられました。だからこそ、彼がアサの次に王となったのです。もし他の人物が御心だったとすれば、ヨシャパテはアサが死んでも王になっていませんでした。

【15:25】
『ユダの王アサの第二年に、ヤロブアムの子ナダブがイスラエルの王となり、二年間、イスラエルの王であった。』
 イスラエル王国では、『ヤロブアムの子ナダブ』がイスラエルにおける二代目の王となりました。彼はサウルから数えれば5代目となります。ナダブは、『ユダの王アサの第二年』にイスラエル王となりました。しかし、ナダブが王だった期間は『二年間』だけでした。アサが王となってから4年目にナダブは死にました。つまり、ナダブはアサよりも遅く王となり、アサよりも早く王ではなくなりました。ナダブが少ししか王でいられなかったのは、後の箇所から分かる通り、ナダブが罪深く呪いを受けていたからです。

【15:26】
『彼は主の目の前に悪を行ない、彼の父の道に歩み、父がイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ。』
 このナダブは『主の目の前に悪を行ない』ました。『悪』とは律法に違反した邪悪な行ないのことです。一時的に悪を行なっていたのではありません。ナダブは、ずっと長く悪を行ない続けていたのです。こうしてナダブは『彼の父の道に歩み』ました。悪に歩むという点で、このナダブは父であるヤロブアムと何も変わりませんでした。ですから、ここではナダブについて『父がイスラエルに犯させた罪の道に歩んだ』と言われているのです。これはナダブを非難しているのです。ナダブは父ヤロブアムの罪を避けるべきでした。この箇所では、ナダブの悪について3通りの言い方がされています。すなわち、『彼は主の目の前に悪を行ない』が一つ目であり、『彼の父の道に歩み』が二つ目であり、『父がイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ』が三つ目です。このような三重の言い方は、ナダブの罪を強調して示しているのです。というのも、ナダブの罪深さはかなり酷かったからです。