【Ⅰ列王記16:8~23】(2024/04/28)


【16:8】
『ユダの王アサの第二十六年に、バシャの子エラがティルツァで、イスラエルの王となった。治世は二年である。』
 エラは『ユダの王アサの第二十六年に』『イスラエルの王となった』のですが、この「26」という数字に聖書的な意味はありません。聖書で「26」には何の意味もないからです。これを分解して考えることもできません。「13」かける「2」に分解したとしても、そもそも聖書で「13」には何の意味もありませんから、無意味な分解でしかないのです。このエラは『ティルツァ』で王となりました。彼が父バシャが王になったのと同じ場所で王になったのは、父の時から続く流れがあったからでしょう。エラの『治世は二年』と非常に短い期間でしたが、これはエラが呪われていたからです。この治世における「2」という数字にも象徴性はないでしょう。「2」という数字自体は聖書で意味を持ちます。しかし、少なくともここでの「2」に特別な意味はないはずです。私たちは長く保たれるため、エラのようになるべきではありません。もし彼のように堕落するならば、神の呪いが注がれ、長く保たれなくなりかねないからです。

【16:9】
『彼がティルツァにいて、ティルツァの王の家のつかさアルツァの家で酒を飲んで酔っていたとき、』
 ある時にエラはティルツァで『酒を飲んで酔ってい』ました。酒を飲むこと自体は全く問題ありません。酒を飲みたければ望むままに飲めばいいのです。何故なら、酒は人間に対する神の御恵みとして造られたからです。『人の心を喜ばせるぶどう酒をも』神は造られたと詩篇で言われている通り、聖書は酒を否定していません。しかし、飲んでから酔うことは罪となります。何故なら、パウロも言った通り『そこには放蕩があるから』です。エラはこのように「酔う罪」に陥っていました。これはエラの罪深さを示しているのでしょう。つまり、罪深いその堕落した傾向が、泥酔という形で現れたということです。しかし、酒に酔う人が全てエラのような堕落した極悪人だというのでもありません。泥酔の罪を犯したノアを考えても分かるように、敬虔で偉大な人物さえ酔うことがあったからです。ノアを偉人であると思わない人がどこにいるでしょうか。しかし、このエラの場合は、ノアと異なり、酷く堕落していたからこそ泥酔したのです。

【16:9~10】
『彼の家来で戦車隊の半分の長であるジムリが彼に謀反を企てた。ユダの王アサの第二十七年に、ジムリははいって来て、彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。』
 エラが酒に酔っていると、家来である『ジムリ』がエラを殺し、新たな王となります。エラが酔っていたので容易く殺せたのでしょうか。それともジムリは最初から酔っている時を狙ったのでしょうか。先に見た『王の家のつかさアルツァ』とジムリは共謀したのでしょうか。詳細はここで書かれていませんが、とにかくエラの死はこの時が主の御心だったのです。ジムリがエラ王を『打ち殺し』た方法は、ここで何も示されていません。ジムリが『はいって来』た際、他に仲間を連れていたのかどうかも分かりません。神はこのようにエラの『家来で戦車隊の半分の長であるジムリ』が逆らうようにされました。つまり、外敵からでなく内部からエラが死ぬようにされました。カエサルの場合もそうでしたが、内側から刑罰が起こるのは決して珍しくありません。このジムリは『ユダの王アサの第二十七年に』新しいイスラエル王となりましたが、この「27」という数字に意味はありません。これを「9」かける「3」に分解しても、何かの意味は見出せません。「3」はともかく、「9」は聖書で何も意味を持たないからです。このようにしてまたイスラエルでは王が新しい系譜へと切り替わりました。もはやヤロブアムの系譜は消え去り、その次の系譜であるバシャ家も流れが途絶えました。一方でユダ王国のほうはダビデから続く系譜がずっと保たれ続けていました。

【16:11~12】
『彼が王となり、王座に着くとすぐ、彼はバシャの全家を打ち、小わっぱから、親類、友人に至るまで、ひとりも残さなかった。こうして、ジムリはバシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーによってバシャに言われた主のことばのとおりであった。』
 ジムリが新しいイスラエル王になると、それまで王家だったバシャ家をことごとく粛清しました。それは『小わっぱから、親類、友人に至るまで』文字通り全ての者であり、例外は全くありませんでした。このようにかつての王家が粛清される理由は、既に述べた通りです。ジムリはこの粛清を『すぐ』に実施しました。それは即座に新しい体制を堅固にするためであり、またなるべく早く危険を取り除くためだったはずです。もし遅くなれば遅くなるほど、負の要素が増大するばかりとなるからです。しかしながら、私たちはこういった粛清を少しでも参考にすべきでありません。そもそも私たちはジムリのごとく権威者に逆らうことをすべきではありません。私たちは寧ろ、そういった反逆を思いとどまったダビデに倣うべきなのです。

 このようにジムリがバシャ家を根絶やしにしたのは、『預言者エフーによってバシャに言われた主のことばのとおりで』した。つまり、バシャ家が根絶やしにされるのは、前から定められていたことでした。神はこのようにして御自分の定めを実現されたのです。バシャ家が粛清された際は、全ての死体が動物に喰われることとなりました。つまり、墓にしっかり葬られるバシャ家の者はいませんでした。これもやはり神の言われた通りのことが実現されたのです。

【16:13】
『これは、バシャのすべての罪と、その子エラの罪のためであって、彼らが罪を犯し、また、彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。』
 バシャ家の根絶やしにされた理由が、ここで2つ示されています。まず一つ目の理由は、『バシャのすべての罪と、その子エラの罪のため』でした。バシャとその子エラが実に多くの罪を犯したのは間違いありません。こういった不敬虔な王は神に忌み嫌われます。神から忌み嫌われるのであれば根絶やしにされることにもなります。二つ目の理由は、この2人が『イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためで』した。バシャとエラは自分が罪を犯すだけでなく、イスラエルの全体にも罪を犯させました。バシャ以前の頃からもうイスラエルは偶像崇拝の罪を犯していましたが、バシャとエラはその罪をイスラエルに継続させたのです。そういったことをして、自分だけでなくイスラエル全体をも堕落させたこの2人の王は、神から罰せられて断ち切られるに値しました。もしこの2人の王が堕落せず、民衆をも堕落させなかったとすれば、神も怒られなかったでしょうから、根絶やしにされることは決して無かったはずです。

【16:14】
『エラのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
 『イスラエルの王たちの年代記の書にしるされている』『エラのその他の業績、彼の行なったすべての事』は、『治世は二年』(Ⅰ列王記16章8節)だけでしたから、それほど多くの分量ではなかったと考えられます。もう今やその記録を参照することはできません。この文書がどこかで見つかるということでもない限りは、です。しかし、それについて知らなかったとしても問題が生じることはありません。

【16:15】
『ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となった。』
 バシャの家を根絶やしにしたジムリは、『ユダの王アサの第二十七年に』イスラエル王となりました。彼はイスラエル王国における第5代目の王であり、サウルから数えれば第8代目となります。しかし、ジムリが王だったのは『七日間』だけでした。この短さはジムリが呪われていたからです。もしジムリが呪われていなければ、その治世はもっと長くされていたでしょう。このジムリが王だった「7」日間という数字に、特別な意味はありません。聖書で「7」は多くの良い意味を示す数字ですが、少なくともジムリにおけるこの「7」(日間)は何の意味も持たないはずです。ジムリの王だった「7」日間が神聖だったとか完全だったとかでもいうのでしょうか。とんでもないことです。このように特別な意味を有していない「7」という数字も聖書ではあることが分かります。

【16:15~16】
『そのとき、民はペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いていた。陣を敷いていたこの民は、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した。」と言うことを聞いた。すると、全イスラエルがその日、その陣営で将軍オムリをイスラエルの王とした。』
 ジムリが王になった頃のイスラエルは『ペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いてい』ましたが、これはそこにいたペリシテ人を打ち倒そうとしていたのでしょう。この時もイスラエルには戦いが続いていました。その時にイスラエル軍はジムリの謀反を聞かされましたが、それが聞かされると、イスラエル軍の陣営で『将軍オムリ』が新しいイスラエル王として立てられました。つまり、イスラエル人はジムリが自分たちの王であることを拒絶しました。もし拒絶していなければジムリがそのまま王であり続け、オムリが新たなイスラエル王となることは無かったでしょう。このように軍において新しい王が立てられる出来事は、古代の国家においてしばしばあったことです。

【16:17~18】
『オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿にはいり、みずから王宮に火を放って死んだ。』
 イスラエル人から王に立てられたオムリは、ジムリがイスラエルにおいて拒絶されたのですから、ジムリのいる『ティルツァを包囲し』ました。ティルツァはギベトンから60kmほど北東に離れています。これはかなりの距離です。オムリは最初からジムリを亡き者にすべく上ったはずです。単に捕えて王位を剥奪するだけという目的では無かったと思われます。こうして『ジムリは町が攻め取られるのを見ると』、もはや勝ち目はあり得ないと悟ったはずです。このため、ジムリは『王宮の高殿にはいり、みずから王宮に火を放って死』にました。サルダナパロスをはじめ、このような死に方をした王はこれまで珍しくありませんでした。たったの七日間だけしか王権を持てなかったとは何と虚しいことでしょうか。このようであれば、王権を持たないもののずっと生き続けていたほうが、ジムリにとってどれだけ良かったことでしょうか。

 この箇所から分かる通り、ティルツァにイスラエル王国の『王宮』がありました。ユダのほうは王宮がエルサレムにありました。以前のイスラエル王がこのティルツァで王になったのは、そこに王宮があったからでしょう。また以前のイスラエル王がここで葬られたのも、同様の理由からだったはずです。何故なら、通常の場合、王が王宮のある場所で葬られるのは最も相応しいことだからです。

【16:19】
『これは、彼が罪を犯して主の目の前に悪を行ない、ヤロブアムの道に歩んだその罪のためであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためであった。』
 ジムリがこのようにして死んだのは、『彼が罪を犯して主の目の前に悪を行ない』続けたからです。そうしてジムリは『ヤロブアムの道に歩んだ』のです。非常に罪深い歩みをしたという点で、このジムリはヤロブアムと全く変わりませんでした。ジムリが悲惨な死に方をしたのは、『イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためで』もありました。何故なら、民を正しく歩ませるべき王が、民を悪く歩むようにさせるのは、とんでもないことだからです。このようなことをする王は、呪われて悲惨な死に方に陥っても自業自得なのです。このように2つの理由から、ジムリは罰されたとしても弁解の余地が全くありませんでした。これまでのイスラエル王も、やはり同様の理由から神罰を受けましたが、弁解の余地は全くありませんでした。

【16:20】
『ジムリのその他の業績、彼の企てた謀反、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
 『イスラエルの王たちの年代記の書にしるされている』『ジムリのその他の業績』は、ジムリの王権が『七日間』しか続きませんでしたから、それほど多く書かれていなかったと考えられます。7日だけしか王でなければ、そもそも王として出来ることも限られているからです。しかも、ジムリという堕落した人物について考えるならば、その『業績』は素晴らしくなかった可能性が高いはずです。ジムリの記録については『謀反』もありました。これについては、かなり詳しく書かれていた可能性もあります。何故なら、この謀反はイスラエルにとって重大なことだったからです。しかし、かなり詳しく書かれていても、聖書は簡潔に書くことが多いのですから、サルスティウスによる「カティリナの陰謀」ほど長い内容ではなかったと考えられます。いずれにせよ、他の王たちの場合でもそうですが、この記録書は既にありませんから、どうしても様々な事柄を推測として述べねばならない制約があります。

【16:21】
『当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギテナの子ティブニに従って彼を王にしようとし、あとの半分はオムリに従った。』
 オムリ時代のイスラエルは、国内で分裂が生じており、オムリ派とティブニ派という『二派』がありました。北朝鮮と南朝鮮のように外部で分裂しているのではありません。内部において分裂が生じていました。今のアメリカで言えば、国民がバイデン支持派とトランプ支持派に分かれているようなものでしょう。イスラエルが『二派に分裂していた』のは、国における罪がその原因でした。つまり、神から与えられた呪いのため、国内では分裂が生じていたのです。この時のイスラエル人は、神との正しい関係を偶像崇拝により自ら引き裂いていました。ですから、神もそのようなイスラエルが内部で引き裂かれるようにされたのです。引き裂くことを好む者に対する報酬は引き裂かれることなのです。ダビデ時代のイスラエルでは偶像崇拝が行なわれていませんでした。つまり、呪われる原因を持たないため、その時のイスラエルで分裂は生じていなかったのです。その頃はダビデ派しかいない状態がありました。この『ティブニ』について、ここでは詳しく書かれていません。これは彼があまり重要な存在ではないからなのでしょう。

【16:22~23】
『オムリに従った民は、ギテナの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。』
 オムリ派はティブニ派より強い人々でしたから、『ティブニが死ぬとオムリが王とな』りました。これはオムリがイスラエル王になることこそ神の御心だったからです。ティブニではありません。ティブニはイスラエルの正式な支配者として選ばれていませんでした。オムリがイスラエル王となったのは、『ユダの王アサの第三十一年』でした。しかし先の箇所からは、『ユダの王アサの第二十七年』に王とされたことが分かります。この4年の違いは、ティブニが生存していた期間によります。つまり、オムリが本当の意味で正式なイスラエル王となったのは、ティブニが死んでからのことでした。この「31」(年)という数字に象徴性は何もありません。しかし、オムリが「12」『年間、王であった』のは、象徴性があるかもしれません。何故なら、オムリには対抗相手としてティブニが存在していたからです。神はこのティブニでなくオムリをこそイスラエル王として選んでおられました。ですから、『十二年間』の王権が与えられたのは、オムリが選ばれていたことを示しているのかもしれないのです。