【Ⅰ列王記16:23~17:4】(2024/05/05)


【16:23~24】
『六年間はティルツァで王であった。彼は銀二タラントでシェメルからサマリヤの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリヤと名づけた。』
 オムリがイスラエル王であった12年間のうち、『六年間はティルツァで王で』した。何故なら、ティルツァにイスラエル王国の王宮があったからです。王宮のある場所で支配するのが最も自然なことです。今のアメリカで言えば、大統領がホワイトハウスのあるワシントンで治めることです。ある時になると、オムリは『銀二タラントでシェメルからサマリヤの山を買い』ました。そしてオムリはその『山に町を建て』ます。これがイスラエル王国の首都となるあの『サマリヤ』です。『サマリヤ』という名は、『その山の持ち主であったシェメルの名にちなんで』付けられました。有名なサマリヤはオムリにより建てられたのです。このサマリヤは、ティルツァから10~20kmほど西に離れた場所にあります。ティルツァからそう遠く離れてはいません。オムリは後半の6年間を、このサマリヤで支配しました。これは今の時代で言えば、インドネシアの首都がジャカルタからヌサンタラに移転するようなものでしょう。

【16:25~26】
『オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、』
 オムリは罪深く堕落した王であり、『主の目の前に悪を行ない』ました。しかも、彼は『彼以前のだれよりも悪いことをし』ました。つまり、これまでのユダヤ人の王のうち、このオムリが最も邪悪な王だったわけです。ソロモンよりもオムリは堕落性の強い王でした。このオムリもやはり『ネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み』、その堕落性をまざまざと示しました。イスラエルにおける堕落の流れはヤロブアムの頃から全く変わっていませんでした。またオムリもやはり以前の王と同じく『イスラエルに罪を犯させ』ました。オムリが新しいイスラエル王となってからも、国家全体の罪深い状況は何も変わらなかったのです。

【16:26】
『彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。』
 オムリは、自分自身で『むなしい神々』を拝んでいました。オムリにより罪を犯すこととなったイスラエル全体も、やはりこの『むなしい神々』を拝みました。つまり、この頃のイスラエルは上も下も偶像崇拝が満ちていました。そういった偶像崇拝のため、オムリは『主の怒りを引き起こした』のです。この偶像崇拝は神が最も忌み嫌われる罪の一つです。ですから、オムリの頃のイスラエルは最低最悪の堕落した罪深い状態だったことが分かります。この通り、イスラエルにおいて偶像崇拝はヤロブアムの頃からずっと続いていました。イスラエルは、神の呪いのうちに沈み込んでいたのです。イスラエル人たちがこの呪いから抜け出すことはできませんでした。

 ここでは、偽りの神々が『むなしい』とはっきり言われています。何故なら、存在しない神を存在するかのように取り扱い、その空想神に崇拝を捧げたり仕えたりすることは、あまりにも馬鹿げた振る舞いだからです。こんなにも馬鹿馬鹿しいことがあるでしょうか。これは愚かさの極みです。しかも、拝まれるべき真の神を無視して、そのような偶像崇拝が行なわれるのです。こうであれば聖書が偽りの神々を『むなしい』と断罪するのは当然なのです。聖書は、他の箇所でも偽りの神々を容赦なく非難しています。教会も、そのように偽りの神々を非難すべきでしょう。私はもう既に、これまで偽りの神々を断罪してきました。しかし、ここでもう一度、偽りの神々を断罪することにしましょう。それは糞にも等しい焼き捨てられるべき邪悪な汚物でしかない、と。こういった偽りの神々は、これからも消え去り、見られなくなるべきでしょう。虚しい偽りの神々に惑わされている多くの罪深い人々が、キリストにより救われて汚物から解放されるのを望むものです。

【16:27】
『オムリの行なったその他の業績、彼の立てた功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
 『イスラエルの王たちの年代記の書にしるされている』オムリの記録は、その治世が『十二年間』(Ⅰ列王記16章23節)でしたから、それなりの量があったと考えられます。オムリの記録には『功績』もありました。オムリは『彼以前のだれよりも悪いことをした』(Ⅰ列王記16章25節)のですが、しかし立派なことも成し遂げていました。その『功績』がどういった内容だったかは分かりません。また、それがどのぐらいあったのかも分かりません。

【16:28】
『オムリは彼の先祖たちとともに眠り、サマリヤに葬られた。』
 こうしてオムリは死に、『サマリヤに葬られ』ました。オムリはサマリヤに葬られた最初のユダヤ王となりました。それまでの王すなわちイスラエル王は、ティルツァに葬られていました。そこに王宮がありましたから、そこで葬られるのは自然なことだったのです。

【16:28~29】
『彼の子アハブが代わって王となった。オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。』
 オムリが死ぬと、『彼の子アハブが代わって王とな』りました。このアハブはイスラエル王国における第7代目の王であり、サウルから数えれば第10代目となります。聖書では「7」も「10」も良いことを示す数字です。しかし、このアハブにおける7と10には何も特別な意味がないはずです。アハブは『ユダの王アサの第三十八年に』イスラエル王となりましたが、この「38」という数字に象徴性はありません。アハブは王として『二十二年間』の職務に就きましたが、この「22」にも象徴性はありません。これは分解して意味を見出すこともできません。「11」かける「2」であれば、どうでしょうか。そもそも聖書において「11」は意味がありませんから、この分解は不可能となります。これが駄目であれば、他の仕方で分解することはできません。

【16:30~31】
『オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。』
 既に見た通り、オムリはそれまでで最悪に罪深い王でした(Ⅰ列王記16:25)。しかし、オムリの子アハブは、このオムリよりも罪深い王でした。つまり、最悪に堕落していたオムリでさえ、アハブの堕落性には敵いませんでした。オムリの場合、『彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み』(Ⅰ列王記16章26節)と言われているだけでした。ところがアハブの場合、『彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった』と書かれています。オムリの場合はこのように書かれていません。つまり、オムリであればヤロブアムの罪のうちを歩むことは少なくとも『軽いこと』ではありませんでした。このことから、アハブがどれだけ罪深かったかよく分かります。悪性の極めて強い呪われた王が、このアハブだったのです。

【16:31】
『それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。』
 アハブはヤロブアムの罪を容易く行なっていただけでなく、『シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり』ました。『シドン』とはイスラエルを北に越えた地域であり、そこはフェニキア人の国でした。当然ながら、そこには偶像崇拝者である異邦人が住んでいました。『シドン人の王エテバアル』もその『娘イゼベル』も、バアル崇拝者でした。神はこういった偶像崇拝者の異邦人をユダヤ人が娶らないように禁じておられました。何故なら、もし娶れば、その妻がユダヤ人を偶像崇拝に引き込むからです。それにもかかわらず、アハブは異邦人の娘を妻に娶ったのです。これはアハブの大きな罪でした。アハブは異邦人を妻にしたので、やはりその妻を通して偶像崇拝に引き込まれました。すなわち、アハブは妻の国であるシドンへと『行ってバアルに仕え、それを拝んだ』のです。こうならないため、神はユダヤ人が異邦人を娶らないように禁じられたのです。このように他国までわざわざ偶像崇拝のため行く王は、恐らくアハブが最初だったはずです。それまでのユダヤ王は偶像崇拝をしても国内におり、他国まで出向くことはしていなかったと思われます。この『バアル』という腐った忌まわしい偶像は、この地域における代表的な空想神の一つです。『バアル』は<人間>という意味です。このため、バアルという偶像は人間の姿をしていました。今でもバアル像が歴史を記録する意味で残されています。それを見ると、確かにバアルは人間の形であることが分かります。

【16:32】
『さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。』
 アハブはシドンまでバアル崇拝をしに行っただけでなく、自国内のサマリヤに『バアルの宮』を建てることさえしました。その宮には『バアルのために祭壇』が築かれました。このようにしてイスラエル王国にはバアル崇拝が持ち込まれたのです。これはとんでもないことでした。ですから、アハブは極みまで最悪に罪深い王だったことが分かります。

【16:33】
『アハブはアシェラ像も造った。』
 アハブはバアルの宮と祭壇を備えただけでなく、『アシェラ像も造』りました。この『アシェラ』も、この地方で拝まれていた代表的な空想神すなわち存在しない偽りの神々の一つです。このようにアハブは神の御前でますます罪を積み重ねました。バアルのことだけでも最悪なのに、アハブはアシェラにおいても最悪なことをしたのです。これは原爆投下が1回だけでも極めて悲惨なのに、もう1回投下されるような悲惨さです。何故なら、こういった偶像のゆえイスラエル王国は破滅したからです。日本も偶像崇拝のため、原爆投下により破滅の刑罰を受けたのです。

『こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。』  ヤロブアムの邪悪性を遥かに越えていただけでなく、バアル崇拝を国内に持ち込みアシェラ像まで造ったアハブは、『彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行な』いました。ヤロブアムもナダブもバシャもエリもジムリもオムリも、アハブほどに邪悪ではありませんでした。これまでで最低最悪の王がこのアハブだったのです。これはドイツにヒトラーという支配者が出たのと似ているかもしれません。しかし、このアハブはイスラエル王国に自然発生したのでなく、神がアハブをイスラエル王国に王として立てられたのです。それはイスラエルがずっと罪深い歩みを続けていたからでした。つまり、神は罪深いイスラエルに対する復讐として、邪悪なアハブ王を与えたのです。ですから、アハブの存在は、この頃のイスラエルがどれだけ罪深かったかよく示しています。私たちも罪深いのであれば、アハブのような支配者が国に与えられることとなるかもしれません。しかし、そうなったとしても、それは私たちの罪深さが原因ですから自業自得なのです。

【16:34】
『彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子ゼグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。』
 これまであのエリコはずっと荒れ果てたままの状態でした。つまり、エリコを再建しようとする者は誰もいませんでした。それはエリコが神の働きかけにより荒廃したからです。エリコが荒れ果てていたのは、だいたい400~500年ぐらいだったはずです。しかし、アハブの頃になると、『ベテル人ヒエルがエリコを再建し』ました。『ベテル』はエリコから20~30kmほど北西に離れています。このヒエルは『その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子ゼグブを失』いましたが、これはかつて主が宣告しておられた通りのことでした。『礎を据えるとき、長子アビラムを失』ったのは、礎が第一に造られるように長子も第一に生まれるからです。『門を建てるとき、末の子ゼグブを失った』のは、門と末の子が順序的に共通しているからなのでしょう。『長子』と『末の子』の中間である子たちは、失われなかったようです。このような悲惨をヒエルが受けたのは、エリコを荒廃されたのが神だったからです。エリコが荒れ果てることとなったのは、明らかに神の御業によりました。そのようなエリコを再建するというのは、神の御業を蔑ろにすることです。そういったことをする者が、悲惨を受けるのは当然のことなのです。もしヒエルがエリコを再建しなければ、2人の子を失うこともなかったでしょう。もしヒエルでない者がエリコを再建したとすれば、その者の子たちが失われていたことでしょう。しかし、このヒエルがエリコを再建することこそ主の御心でした。それはこのヒエルに呪いが注がれることで、神の語られた御言葉における真実性がまざまざと示されるためでした。

【17:1】
『ギルアデのティシュベの出のティシュべ人エリヤはアハブに言った。』
 あのエリヤは、ここで初めて登場します。これまでの箇所では、エリヤが現われる前触れのようなことさえ書かれていませんでした。このエリヤは、多くの預言者の中で最大の預言者です。これは福音書から分かることです。キリストが山上で変貌された際、そこにモーセとエリヤが現われたからです。モーセは律法を象徴しており、エリヤは預言の象徴です。多くの預言者の中で、神はこのエリヤ一人を預言者の代表として選ばれたのです。ですから、エリヤこそ預言者の中で最大の人物だったことは間違いありません。このエリヤはイスラエルの東部地域である『ギルアデ』の人でした。そこにある『ティシュべ』という場所がエリヤの出身地です。このティシュべはガド族の相続地でしたから、エリヤもガド族だったと思われます。このティシュべからサマリヤまでは50~60kmほど西に離れています。ティシュべからサマリヤへと行くためには、ヨルダン川を西に渡らなければなりません。これはティシュべからエルサレムへと行く場合も同じです。このティシュべは、エルサレムやサマリヤやティルツァに比べれば何でもないような場所だったでしょう。しかし、神は最大の預言者であるエリヤを、このティシュべから起こされました。偉大な存在が取るに足らない場所から出たり、そのような場所に住んでいたりする。これが神のやり方なのです。主も、ナザレというほとんど注目されない町で過ごされました。アウグスティヌスのいたアフリカのヒッポも、もしそこにアウグスティヌスがいなければ誰も言及しないような場所でした。これは神が不思議なことを為される御方だからです。そのため、神は御自分のことを『不思議』であると言われたのでした。

『「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」』
 エリヤがアハブに宣告しています。すなわち、エリヤはアハブに対し、イスラエル王国に露と雨が降らなくなると宣告しました。これはイスラエルがずっと罪深い歩みを続けていたことに対する呪いでした。もし神に背くならばこういった自然の悲惨が起こると律法では示されています。何故なら、神に背くような者たちが神から御恵みを受けられなくなるのは当然だからです。このような呪いが『二、三年』続くと言われたのは、呪いが確認されるためです。聖書において「2」と「3」が確認の意味を持つというのは、もう既に述べたことです。もしこれが「1年」だけであれば、これから露と雨が降らなくても、そこに確認の意味は生じなくなります。またエリヤが『私のことばによらなければ』と言ったのは、エリヤの言葉により露と雨の有無が決まるということです。神はエリヤの言葉を呪いにおける言わば発動スイッチ(また停止スイッチ)とされました。これはエリヤが神に仕える敬虔な僕だったからです。エリヤ自身が自分は神に『仕えている』と言っている通りです。

 『私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。』と言われているのは、絶対にそうなるという誓いの言葉です。誓う際はこのようなことを言うのが古代ユダヤ人のやり方でした。このように言う際は、いつでも言う言葉が全く同一だったということはなく、少しの違いがありました。例えば、単に『主は生きておられる。』とだけ言う場合も珍しくありませんでした。このような誓いの定型句については、もう既に詳しく説明した通りですから、ここでまた繰り返す必要はないでしょう。

【17:2~4】
『それから、彼に次のような主のことばがあった。「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」』
 エリヤがアハブに宣告してから後、エリヤに『主のことばがあ』りました。主が実際的な音声すなわちヘブル語でエリヤに語られたのです。主は御自分の僕である預言者たちに、このようにして語っておられました。

 神は、エリヤがサマリヤから離れて『ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとり』に行くよう命じられます。これはエリヤが邪悪なアハブ王と不敬虔なイスラエル民衆から遠ざかるためでした。何故なら、彼らはエリヤを敵視し迫害するだろうからです。つまり、神はエリヤを守ろうとされたのです。それはエリヤが神に仕える敬虔な僕である預言者だったからです。『ケリテ川』はヨルダン川の東にありますから、エリヤはサマリヤから離れて後、ヨルダン川を東に渡ったことが分かります。このように西から東に行くことにおいて、象徴的な意味は何もないはずです。これは単にエリヤが西から東に向かっただけのことでしょう。

 神は、エリヤをこのケリテ川で『烏に』より養うこととされました。人間によってではなかったのです。普通であれば烏に養われるというのは誰も考えないことでしょう。しかし、神は烏にエリヤを養わせることとされたのです。烏に養われると言われてその通りにするかどうか。ここにエリヤの信仰がありました。すなわち、ケリテ川に行くならばエリヤには信仰があり、行かなければ信仰はありませんでした。飲料のほうはケリテ川に流れる水がありました。水が流れていても飲めない川は地球上に多くあります。しかし、神はこのケリテ川の水を飲めるようにしておかれました。それはエリヤが川の水を飲んで悲惨な状態にならないためでした。この飲料のほうで信仰はあまり求められていなかったはずです。何故なら、川の水を飲むというのは人類全てに共通した一般的なことであり、不信仰な人でさえ普通にすることだからです。信仰が求められる難しいことは、烏に養われると聞いてその通りにするかどうかでした。もしエリヤが不信仰な者だったとすれば、烏に養われると神から言われても信じることはできなかったかもしれません。