【Ⅰ列王記3:14~4:6】(2023/07/30)


【3:14】
『また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」』
 ここで神が言われた通り、ソロモンが神に聞き従うならば長生きできました。命令を守るならば長生きできるというのは、律法の中でも約束されていることです。神は御自分に聞き従う者に長寿という褒美を与えて下さるわけです。私たちは、もし部下であれ生徒であれ子どもであれ、非常に良い歩みをしたならば、その者に褒美を与えてやらないでしょうか。人によっても違うでしょうが、そのようにする人は少なくないはずです。神の場合もそれと同じなのです。ですから、ソロモンは箴言でこう言ったのです。『謙遜と主を恐れることの報いは、…いのちである。』ダビデは神の命令に聞き従って歩みました。勿論、ダビデもバテ・シェバの件や不遜な人口調査などにおいて、神に背くことがないわけではありませんでした。何故なら、ダビデも罪人に過ぎない存在だったからです。ソロモンは『罪を犯さない人は一人もいない』と言っています。しかし、ダビデは全体的に見れば、神にいつも従って歩んでいたと言えるのです。神はここでソロモンがそのようなダビデと同じようにして歩むよう求めておられます。というのも、ダビデが神に聞き従ったのは良いことであり、その子ソロモンもダビデと同じようになるべきだからです。神がここで言っておられるのは普遍的な内容のことです。つまり、いつの時代であっても、律法を守り行なう者は神に祝福され長生きできるのです。ですから、私たちは神に聞き従って歩むべきでしょう。そうすれば私たちも神から地上での長寿を受けられることを期待できます。私たちが純粋かつ熱心に仕えるならば、確かにそれを期待していいのです。私たちは地上での長寿を望まないでしょうか。もし望むならば神の命令に聞き従うのが良いのです。もし神に背くならばニーチェのごとく呪われて悲惨になっても自業自得です。なお、ここで『おきて』『命令』『道』と言われているのはどれも律法を指しています。聖書で「3」回は強調を示す回数ですから、ここでこのように言われているのは、つまり「律法」を強調していることになります。

【3:15】
『ソロモンが目をさますと、なんと、それは夢であった。そこで、彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげ、すべての家来たちを招いて祝宴を開いた。』
 このような神とソロモンの記憶すべきやり取りは、『夢』でした。これは文字通りの『夢』であって、私たちが寝ている際に見るあの夢です。つまり、この『夢』とは夢でない別の事柄を示す象徴表現ではありませんでした。このやり取りは夢でしたから、ここでは『なんと』と書くことで驚くべき出来事だったと示しています。神が夢でソロモンと特別なやり取りをされたのです。それなのに、どうして『なんと』と言って驚きを示さないで済ますことができたでしょうか。私たちの経験からも分かる通り、夢とは曖昧である場合も珍しくありません。しかし、この時にソロモンの見た夢は、非常にはっきりしていたはずです。また夢とは往々にしてすぐ忘れてしまいがちです。しかし、ソロモンの脳にはこの夢がしっかり刻み付けられたはずです。そして、ソロモンはその記憶を家来たちに話したはずです。文書で記録した可能性もあります。だからこそ、Ⅰ列王記の記者は、ここでソロモンの見た夢について書き記すことができたのです。というのも、もし文書で記録されていたら、その文書によりここでこのように記せるからです。また口伝によりこの話が語り継がれていたとしても、その口伝を通してここでこのように記すことができました。神は、この夢の中でソロモンに現われて下さいました。これはソロモンの脳が勝手に作り出した空想ではありませんでした。これを空想的な夢だったと考えるのは、聖書に対する侮辱です。ソロモンの見た夢は、私たちが普段見る夢とは、ワケが違ったのです。

 ソロモンはこの夢を見て感激したり感謝の念に満ちたはずです。もしこのような夢を見ながら全く良い意味で揺り動かされない人がいたとすれば石も同然の愚か者なのです。このため、ソロモンはギブオンから『エルサレムに行き』、幕屋にあった『主の契約の箱の前に立って』、敬虔な思いで『全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげ』ました。これは神に対する感謝の礼拝でした。この時のソロモンはまだ神を愛していました。だからこそ、このように敬虔な応答を返したわけです。それというのもパウロがⅠコリント13章で言ったように、愛とは礼節に違反しないことだからです。また、ソロモンはエルサレムに戻ると、『すべての家来たちを招いて祝宴を開』きました。ソロモンは夢により生じた大きな喜びを、家来たちと共有しようとしたのでしょう。

 私たちも神に良くしていただくことがあれば、敬虔に応答すべきでしょう。その応答は、礼拝であれ祈りであれ奉仕であれ献金であれ善行であれ、御心に適っていれば何でも構いません。神に対し応答しないのは駄目です。私たちも誰かに良い行ないをした際、その人が何らかの応答をしたならば幸いな心となるはずです。ですから、私たちは良くして下さった神に応答し、決して礼節に違反すべきではないのです。

【3:16】
『そのころ、ふたりの遊女が王のところに来て、その前に立った。』
 ソロモンが素晴らしい夢を見てから後、『ふたりの遊女』が訴え事を持ってソロモンのもとに来ました。これはソロモンに裁判をしてもらうためです。古代の王制において、王とは裁判官であり、しかも最高裁判官でした。古代において王は法そのものだったからです。このため、古代の王は自分で法を定め、自分でその法を適用し、自分で廃止したり出来たのです。この時代のイスラエルでは、モーセ時のイスラエル共同体に倣い、多くの裁き司がいたはずです。そのような制度では、下位の裁き司が手に負えない案件を、上位の裁き司に委ねます。この2人の遊女の案件は、これまでずっと手に負えないとされたので、最高裁判官であるソロモン王のもとに持ち運ばれて来たのでしょう。つまり、これまでに既に解決されていたとすれば、遊女たちがソロモンのもとに来ることは無かったはずです。しかし、このように2人の遊女がソロモンの前に現われたのは、どのような意味があったのでしょうか。それはソロモンに与えられた神の知恵が公の場で示されるためでした。神は御自分がソロモンに与えた知恵を、人々に示そうと欲されました。ですから、このような裁判が実現されるため、神は前々からこのような出来事が起こるよう事象を仕組んでおられたのです。

【3:17~18】
『ひとりの女が言った。「わが君。私とこの女とは同じ家に住んでおります。私はこの女といっしょに家にいるとき子どもを産みました。ところが、私が子どもを産んで三日たつと、この女も子どもを産みました。家には私たちのほか、だれもいっしょにいた者はなく、家にはただ私たちふたりだけでした。』
 この2人の遊女たちは一つの家で共同生活をしており、他に共同生活する者は誰もいませんでした。恐らく遊女という職業だったので、一緒に住んだほうが何かと好都合だったのかもしれません。この遊女たちが正式な夫を持っていたかどうかは分かりません。しかし、夫がいたかどうかというのは別にどうでもいいことです。ある時に一方の遊女が子どもを産むと、その『三日』後にもう一方の遊女も子どもを産みます。ここまでの話には何も問題がありません。ここで話している遊女はありのまま事実を話しており、偽りは言っていなかったはずです。

【3:19~21】
『ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。この女が自分の子の上に伏したからです。この女は夜中に起きて、はしためが眠っている間に、私のそばから私の子を取って、自分のふところに抱いて寝かせ、自分の死んだ子を私のふところに寝かせたのです。朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きてみると、どうでしょう、子どもは死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、まあ、その子は私が産んだ子ではないのです。」』
 問題の話となるのはここからです。2人の遊女が子を産んでから、一方の遊女の産んだ子どもが死んでしまいます。これは事故による死だったと思われます。しかし、ここで話している遊女は、その子の死はもう一方の遊女によると主張します。この主張が嘘なのか本当なのか私たちには分かりません。というのも女の嘘は見抜けないことが多いからです。しかし、この2人の遊女は、ここで言われている話の内容が本当かどうかもう知っていたでしょう。もしこの遊女が真実を言っていたとすれば、悪いのはもう一方の遊女でした。しかし、この遊女が嘘を言っていたとすれば、この遊女は妬みからこう言ったのです。というのも自分の子は死んだのに、共同生活者の遊女の子が死んでいないというのは、耐え難いことだからです。

【3:22】
『すると、もうひとりの女が言った。「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子です。」』
 訴えられたもう一方の遊女は、『生きているのが私の子』であると言って反発します。ここでこの遊女が本当のことを言っているのか私たちには分かりません。女性は嘘でも本当であるかのように言って欺く力に長けているからです。しかし、2人の遊女は、この箇所で言われていることが本当かどうか既にもう知っていたでしょう。神と御使いとサタンもそのことを知っていました。

『先の女は言った。「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。」こうして、女たちは王の前で言い合った。』
 先の遊女はまたもや自分の主張を繰り返します。こうして彼女たちは言い合いをすることとなりました。どちらも相手に譲ろうとはしません。このような女の言い合いは今でも行なわれています。女性の言語能力は男性よりも発達しています。ですから、女同士が言い合った際は、かなりしつこいやり取りが続くことになるのです。

【3:23】
『そこで王は言った。「ひとりは『生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子だ。』と言い、また、もうひとりは『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ。』と言う。」』
 遊女たちの発言を聞いたソロモンは、何がどのようになっているのかまず状況を把握しました。ソロモンは真っ直ぐに起きている状況を認識しようとしています。まず正しく認識しなければ正しい解決法も決して出て来ないからです。誤った認識からは誤った解決策しか出て来ません。

【3:24~27】
『そして、王は、「剣をここに持って来なさい。」と命じた。剣が王の前に持って来られると、王は言った。「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい。」すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」しかし、もうひとりの女は、「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください。」と言った。そこで王は宣告を下して言った。「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」』
 遊女たちの話からでは真実が全く隠されたままの状態でした。だからこそ、この案件はソロモン王のもとにまで運び込まれたわけです。発言からだけで判断できていれば、この案件はもうとっくの昔に解決されていたことでしょう。遊女たちの発言が本当かどうかは、ソロモンでさえ見抜けませんでした。このことから女の嘘は誰も見破れないことが分かります。ソロモンは、言葉に取り組んでいる限り、問題の解決はないと判断したはずです。ですから、ソロモンは実行力に解決を求めます。すなわち、『生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与え』ようとしたのです。こうすれば、生きている子どもの母は子を殺さないでくれと言うはずであり、死んだ子どもの母は激しく心を揺り動かされたりしないはずだからです。つまり、ソロモンは女の母性愛と自分に関わりのない対象に対しては無頓着で愛が僅かさえも向けられない特質を利用したわけです。実際にソロモンの想定した通りとなりました。ソロモンが生きている子どもを殺すように命じると、生きている子どもの母は、それが本当に自分の子どもだとよく知っていたので、決して子どもを殺さないでくれと王に懇願します。特別な理由でもない限り、母は子どもを死へと引き渡すようなことなど出来ないからです。しかし、もう一方の遊女は生きている子どもを殺すよう求めます。彼女がこう求めたのは、生きている子どもも自分の死んだ子どもと同じようになれば、多かれ少なかれ自分の子どもを失った悲しみも慰められるだろうからです。人は自分だけが不幸を味わうならば耐えられないものです。「どうして私だけがこんな状態に…」などと言って嘆くのです。しかし、他の人も自分と同じ不幸を味わっているのであれば、それが自分の不幸を幾らかでも和らげる効果となるのです。このようにして生きている子どもの母が分かったので、ソロモンは『決してその子を殺してはならない。』と言って制止します。生きている子どもの母は『初めの女』でした。彼女が言った通り、もう一方の遊女は自分の子を押し潰して絶命させてしまったのでしょう。ソロモンは最初から生きている子どもを殺すつもりなど有りませんでした。ソロモンはただ真実を知るため口先だけで殺すよう命じたに過ぎません。

 このようなのが知恵というものです。知恵とは、謎や判断の難しい事柄や複雑な問題を解決に至らせる精神の力だからです。その問題が難しければ難しいほど、また解決のスピードが早ければ早いほど、知恵の度合いも高いことになります。この遊女の問題は非常に難しかったのですが、ソロモンはすぐにもその問題を解決させました。このことからソロモンが非常に優れた知恵を与えられていたことは誰の目にも明らかでした。なお、ここでの問題事の内容を寓意的に解釈するべきではありません。アウグスティヌスが創世記を象徴的に解釈したように解釈するのは間違っています。というのも、ここで書かれている出来事は全てそのまま実話なのだからです。

【3:28】
『イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。』
 このようにしてソロモンに与えられた神の知恵が、公に示されました。それはイスラエル全体で知られることになりました。ただ個人だけとか少人数とかいうのではなかったのです。これはソロモンが正しく巧みな統治のために優れた知恵を求めたのだからです。つまり、ソロモンは公のためにこそ知恵を願いました。ですから、神はその知恵が与えられたことを、公に対して示されたのです。神はこのように御自分が与えた特別な賜物を、公に知らせる御方です。それは神の御恵みと御力とが明らかになるためなのです。神はモーセにおいてもそのようになさいました。こうして人々はソロモンにおいて神の知恵を見たので、ソロモンを恐れました。神はソロモンに強大な支配力を与えただけでなく、凄まじい知恵をも与えて下さったのです。であれば、ソロモンが恐れられたのは自然なことだったはずです。このように王を恐れるのは罪となりません。寧ろ、それは神の御心に適っています。何故なら、パウロは『恐れなければならない人を恐れ』(ローマ13章7節)なさいと命じているからです。ソロモンのような王が『恐れなければならない人』であるのは明らかです。このようにして示された知恵は、ただ神の御恵みによりました。その知恵はソロモンの知恵というより『神の知恵』と言うべきものです。ですから、もし神が恵んでおられなければ、ソロモンはここまでの知恵を持てていなかったでしょう。

【4:1】
『こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった。』
 このようにしてソロモンは『全イスラエルの王』として神から立てられました。『全イスラエル』と書かれているのは、つまりユダ部族だけとか幾つかの部族だけとかではないということです。しかし、ソロモン以降の時代になると、長らく全イスラエルを支配する王は現われなくなってしまいます。このソロモンはイスラエルの王として3代目ですが、多くの場合、3代目において確立や不動化が達成されるものです。ソロモンの場合もやはりそうでしたし、イスラエル人もそうだったと言えます。何故なら、ユダヤ人を構成する諸部族は3代目であるイスラエルから出て来たのだからです。

【4:2~6】
『彼の高官たちは次のとおり。ツァドクの子アザルヤは祭司。シシャの子らエリホレフとアヒヤは書記。アヒルデの子ヨシャパテは参議。エホヤダの子ベナヤは軍団長。ツァドクとエブヤタルは祭司。ナタンの子アザルヤは政務長官。ナタンの子ザブデは祭司で、王の友。アヒシャルは宮内長官。アブダの子アドニラムは役務長官。』
 ここではソロモンが王になった頃の『高官たち』が示されています。Ⅰ列王記の記者が生きていた時代は、もうソロモンの時代から数百年も経過していました。その記者はソロモンの治世を全く経験していません。しかし、このようにソロモンの治世における『高官たち』が記されています。これは当時の記録が、口伝であれ文書であれ、Ⅰ列王記の記者が生きている時代まで残されていたことを意味します。その記録を参照しつつⅠ列王記の記者はこの箇所を記したわけです。ここで示されている人または名称の数に何か象徴的な意味はあるでしょうか。まず人の数であれば何も象徴的な意味は見出せません。何故なら、ここで挙げられている人の数は「11」だからです。聖書において「11」は何も象徴的な意味を持ちません。名称の場合、重複も含めて考えるならば、全部で「10」ですから、象徴的な意味があると見てよいでしょう。名称を「10」としてカウントするならば、ここではソロモン時代の統治体制が完全だったことを示しているのでしょう。確かにソロモンによる統治体制は完全だったはずです。何故なら、ソロモンの統治における『高官たち』は、神の知恵を持つソロモンにより任命されたのだからです。

 『祭司』は、イスラエルの祭儀を律法に基づいて執り行ないます。彼らはレビ人でなければならないと律法は規定しています。『書記』は、国家の議事録や様々なデータを作成また管理する職務だったのでしょう。『参議』は、議会の統括に関わった職務でしょう。『軍団長』は、イスラエル軍の将軍であり王の側近でした。『政務長官』は、政務を管轄するトップです。『王の友』は職務と呼べませんが、恐らく『ナタンの子ザブデ』はソロモンの幼馴染みだった可能性があります。何故なら、『ザブデ』はダビデと強い関係を持っていた『ナタン』の子だからです。ナタンと共に王宮に来ていた子のザブデが、王子であるソロモンと仲良く遊んでいたというのは十分に考えられる話です。『宮内長官』はイスラエル王室の事務的なトップであり、今の日本であれば宮内庁長官がこれです。『役務長官』とは、国家事業のため雇われた役務者を管理する役人です。ソロモンには神の知恵がありましたので、ここで示されている高官たちは最高の実力を持つ人物だったはずです。もし他に誰か更なる実力の持ち主がいたとすれば、ソロモンはその人を高官に任職させていたはずだからです。