【Ⅰ列王記5:7~17】(2023/08/20)


【5:7】
『ヒラムはソロモンの申し出を聞いて、非常に喜んで言った。「きょう、主はほむべきかな。このおびただしい民を治める知恵ある子をダビデに授けられたとは。」』
 ソロモンから遣わされた使者たちを通してソロモンの言葉を聞いたヒラムは、ソロモンのことを知り、ソロモンのことで『非常に喜』びました。何故なら、ダビデの子ソロモンが幸いな支配者であると分かったからです。これはヒラムがダビデと真の友情を持っていた証拠です。ヒラムとダビデの間に真の友情があったからこそ、ヒラムはダビデの子のことで喜べたのだからです。もし友情が無ければ、ダビデについてどうでもいいと感じるのと同様、ダビデの子についてもどうでもいいと感じていたでしょう。ソロモンの知恵の噂は、このヒラムにも当然ながら届いていたはずです。諸国がソロモンの知恵について知りながら、ヒラムが知らなかったというのは考えられない話です。ヒラムは、使者たちを通して聞いたソロモンの言葉から、ソロモンの噂が本当に確かであることを感じ取りました。というのも言葉は知性を如実に示すからです。このため、ヒラムはソロモンのことを『知恵ある子』と言いました。

 このソロモンとダビデの場合もそうでしたが、正しい者には、神が恵まれた後継者を与えて下さるものです。ダビデが正しかったので、神はソロモンをダビデに続く王として立てて下さったのでしょう。つまり、恵まれた後継者が現われるのは、神が正しい者を喜んでおられる目に見える印であると言っていいかもしれません。アブラハムにはイサクが与えられましたし、イサクにもヤコブが与えられました。モーセの後継者としてヨシュアが立てられたのも、これの良い例です。エリヤにエリシャが続いたのも、そうでしょう。

 ヒラムは、ソロモンがダビデに続いて立てられたのを、ヤハウェによる出来事であると認識していました。これは正しい認識です。ダビデの後継者としてソロモンが立てられたのは、幸いなことでした。ですから、ヒラムはソロモンを王として立てて下さった主に『ほむべきかな。』と言い賛美しています。これは神がヒラムの友ダビデとその国に良くして下さったからなのです。ヒラムがこのように主を賛美しているのは、何を意味しているのでしょうか。これはヒラムが主を信じる選ばれた者であったことを示しているのでしょうか。そうではないでしょう。ヒラムは救われていなかったものの、主を賛美したに過ぎなかったはずです。何故なら、ヒラムにとってヤハウェとは、友であるダビデの神だったからです。つまり、ヒラムはダビデへの友情および宗教的な思いやりからヤハウェを賛美していただけであり、ヤハウェ信仰を持っていたという証拠とは考えにくいのです。今でも未信者でありながら主を賛美したり高く評価したりする者が存在します。例えば、松下幸之助はキリストを大いに尊んでいましたし、J・S・ミルもキリストを激賞し良いことばかり言いました。ヒラムもこのような種類の人だったのでしょう。

【5:8】
『そして、ヒラムはソロモンのもとに人をやって言わせた。「あなたの申し送られたことを聞きました。私は、杉の木材ともみの木材なら、何なりとあなたの望みどおりにいたしましょう。』
 使者によりソロモンから要請を受けたヒラムは、ソロモンの要請を快く聞き入れます。これはヒラムとダビデの友情ゆえだったはずです。ヒラムはダビデと友だったので、ダビデの子ソロモンも友であるかのように取り扱ったのです。ここにおいてヒラムとダビデの間における友情は、ソロモンに引き継がれたと言っていいでしょう。もしヒラムがダビデと友情を持っていなければ、ヒラムはソロモンの要請を聞き入れていなかったかもしれません。ヒラムは『杉の木材ともみの木材』であれば、ソロモンに提供できると言います。先にソロモンは『杉の木』(Ⅰ列王記5章6節)だけを求めましたが、ヒラムはそれに加えて『もみの木材』も提供できると言いました。ヒラムは提供できる木材として、この2つを示したのです。もし更に提供できる木材があったならば、ヒラムはその木材についても提供できると言っていたでしょう。というのも、出し惜しみしないところに真の友情があるからです。それゆえ、ヒラムはソロモンがどれだけの量を求めようとも、その求めに応じていたことでしょう。もちろん、物理的な限界の領域内においてではあったでしょうが。

 宮がソロモンにより建てられるのは、神の御心に適っていました。神は御自分の宮が建てられることを欲しておられました。だからこそ、ソロモンのヒラムに対する求めは、ここまですんなりと聞き入れられたのです。というのも神がヒラムの心に働きかけ、ソロモンの求めに応じるようにされたからです。もし宮がまだ今は建てられるべきでなかったとすれば、神はヒラムがソロモンに応じないよう働きかけておられたでしょう。このように神の御心であれば、事はすんなりと運ぶものです。上手く行くだろうかと不安になっていても、驚くほどスムーズに事の流れが進みます。これは神が御心の方向へと流れを動かされるからなのです。神の御心でない場合は、私たちがどれだけ努力し知恵を働かせても、事が上手く進むことはありません。神の御心でなければどうして何か実現するということがあるでしょうか。

【5:9】
『私のしもべたちはそれをレバノンから海へ下らせます。私はそれをいかだに組んで、海路、あなたが指定される場所まで送り、そこで、それを解かせましょう。あなたはそれを受け取ってください。それから、あなたは、私の一族に食物を与え、私の願いをかなえてください。」』
 ソロモンの要請を聞き入れたヒラムは、これからどのようにして木材を提供するか説明します。このように説明したのは友情があったからでしょう。友情とは愛の一つだからです。すなわち、それは「友愛」と呼ばれます。パウロが言ったように『愛は親切』です。それゆえ、友情とは愛することであり、親切にすることなのです。ヒラムは、レバノンから切り出した木材を『いかだに組んで』海から持ち運ばせると言います。『いかだに組』むというのはよく分かることです。しかし、その筏を流す『海』『海路』とはどこなのでしょうか。この海とは地中海のことでしょうか、それともキネレテの海からヨルダン川に流して運ばせるということでしょうか。キネレテの海も一応は『海』です。またそこから出ているヨルダン川は『海路』と呼ぶことが可能でしょう。このⅠ列王記を見るだけではどちらなのか分かりませんが、Ⅱ歴代誌2章を見ると、これは地中海を指していることが分かります。それというのも、Ⅱ歴代誌2:16の箇所で、ヒラムは『海路をヤフォまで』運ばせると言っているからです。『ヤフォ』また「ヨッパ」とは、地中海の沿岸に面したペリシテ人の住む地域です。ですから、この箇所でキネレテの海について言われていると考えるのは誤っています。勿論、キネレテの海からヨルダン川を通して流すというのも、不可能ではなかったでしょう。しかし、ヨルダン川には荒々しい流れがありますから、ヨルダン川からの場合、技術的な難しさが伴っていたはずです。つまり、ヒラムの提案はこのようになります。まずツロの人々がレバノンから切り出した木材を、西の地中海まで運びます。そして、その木材を筏に組んで流し、かなり南にある『ヤフォ』まで運びます。そこに到着したならば、そこでユダヤ人が木材を受け取ります。そうして後、ユダヤ人は受け取った木材を、南東に位置するエルサレムまで移動させます。そして、そのエルサレムで提供された木材を宮建設のため使用するのです。ですから、木材は「コ」の字を逆にした進路でレバノンから運ばれることとなります。その運ばれる距離はかなりのものです。ヒラムは、そのようにして任務を果たしたツロ人たちに対し、ソロモンが『食物を与え』るように求めます。ヒラムがこのように求めたのは当然でした。ソロモンも自分自身で、働いたツロ人たちには報酬を与えると言っています(Ⅰ列王記5:6)。もしソロモンが木材を提供してくれたツロ人たちに報いなければ、ただ働きさせたことになるのです。木材のために働いたツロ人は報酬を受ける権利がありました。キリストも言われたように、『働く者が報酬を受けるのは当然』だからです。

【5:10~11】
『こうしてヒラムは、ソロモンに杉の木材ともみの木材とを彼の望むだけ与えた。そこで、ソロモンはヒラムに、その一族の食糧として、小麦二万コルを与え、また、上質のオリーブ油二十コルを与えた。ソロモンはこれだけの物を毎年ヒラムに与えた。』
 このようにしてソロモンとヒラムは木材における契約を結びました。ですから、ヒラムはソロモンに対し『杉の木材ともみの木材とを彼の望むだけ与えた』のです。これに対し、ソロモンは対価として毎年、『ヒラムに、その一族の食糧として、小麦二万コルを与え、また、上質のオリーブ油二十コルを与えた』のです。ソロモンはこの時からもう富んでいたでしょうから、このぐらいの対価を与えても、財政的に負担となることはなかったはずです。

【5:12】
『主は約束どおり、ソロモンに知恵を賜わったので、ヒラムとソロモンとの間には平和が保たれ、ふたりは契約を結んだ。』
 神は約束されたことを必ず果たされる御方です。何故なら、神は真実で正しい御方だからです。神は御自分を偽ることが決してありません。ですから、神はそもそも最初から偽りによる約束をされることがありません。このため、神は『約束どおり、ソロモンに知恵を賜わ』りました。その知恵は完全な知恵であり、『神の知恵』でした。この知恵は恐らくソロモンが死ぬ時までソロモンから取り上げられなかったかもしれません。聖書はソロモンから知恵が取り去られたなどと示していません。

 このような神の知恵をソロモンは受けていましたから、『ヒラムとソロモンとの間には平和が保たれ』ました。これは知恵ある者が争いをなるべく避けようとするからなのです。逆に愚かな者は自ら進んで争いを起こそうとします。ソロモンが箴言の中でこう言っている通りです。『争いを避けることは人の誉れ。愚か者は争いを引き起こす。』このようにヒラムとソロモンとの間に平和があったのは、神の御心だったことでしょう。何故なら、神とは「平和の神」であられるからです。この神は『平和を求め、これを追い求めよ。』と言われました。もしソロモンが愚か者だったとすれば、ヒラムとの間に平和を保つことができなかったかもしれません。

 このようにしてソロモンとヒラムは『契約を結んだ』のでした。この『契約』とはどのような契約でしょうか。これは支配者間における平和な親交の契約だったと思われます。つまり、ソロモンはヒラムの益を求め、ヒラムもソロモンの益を求める、などといった内容の契約だったはずです。互いに害を決して与えないようにするという内容であった可能性もあります。このような契約により、ソロモンとヒラムは互いに敵対することがなくなりました。こういった契約は、益と安全のためにはかなり有効な手段となります。そのような契約は私たちに対し、盾また保険のような効果を齎すのだからです。そのような契約による平安を得ることのメリットは大きいものがあります。

【5:13~14】
『ソロモン王は全イスラエルから役務者を徴用した。役務者は三万人であった。ソロモンは彼らを一か月交替で、一万人ずつレバノンに送った。すなわち、一か月はレバノンに、二か月は家にいるようにした。役務長官はアドニラムであった。』
 ソロモンは早速、宮の建設に取り掛かることとしました。まず最初に行なうのは木を伐り出すことです。木が無ければ、宮を建てられないからです。このため、ソロモンはまずヒラムに木のことで頼んだわけです。ソロモンは『全イスラエルから役務者を徴用』しました。彼らはレバノンに行って木を伐り出す労働者たちです。ソロモンが集めた役務者は『三万人』でした。ソロモンは、この3万人を1万人ずつ3つのグループに分け、それぞれ『一か月交替で、一万人ずつレバノンに送った』のです。3つに分けられたグループをA、B、Cとし、4月から仕事が始まるとしましょう。すると、このようになります。まずAのグループが4月にレバノンで働き、それから5月と6月は休み、7月になればまたレバノンで働きます。Bのグループは5月から働き始め、6月と7月は休み、8月になるとまたレバノンに行って働きます。Cのグループは6月から働き、7月と8月は休み、休んでから9月になると再びレバノンで働きます。このようなサイクルが仕事の完了時までずっと繰り返されるわけです。このような働き方は実に特徴的です。ソロモンはどうしてこのようなやり方をしたのでしょうか。恐らくソロモンは、効率化を求めたのかもしれません。つまり、1か月間に全力を出させるため、2か月間は休ませることにしたのかもしれません。またこのようにしたのは象徴的な意味を持たせようとした可能性もあります。というのも、3万人を3つのグループに分けて3か月ごとにそれぞれを割り振るというのは、数字の「3」だからです。聖書で「3」は強調の意味を持ちますから、ソロモンはこの仕事を象徴的に強調させようとしたのかもしれません。いずれにせよ、ソロモンがどうしてこのようなやり方をしたのか、私たちははっきりと知ることができません。しかし、当時のことをあまり知らない私たちには分からない何か幸いな理由があったのでしょう。ソロモンは神の知恵を持っていたのですから、知恵に基づいてこのようなやり方をしたはずです。もしこのようなやり方が愚かであれば、聖書はその愚かさを指摘していたかもしれません。

 知恵者ソロモンはこのようなやり方をしましたが、私たちもこのようなやり方に倣うべきでしょうか。あらゆる場合に何であれこのようなやり方をするというのは、あまりにも思慮が無さ過ぎるでしょう。このようにするのが適切で有益な場合に限り、このようなやり方をするのが良いでしょう。ソロモンもこの時はこのようなやり方が良かったので、このようにしたはずなのです。知恵者ソロモンが意味もなくこのようなやり方をしたはずはありません。何故なら、知恵とは的確に何かを識別したり行なったりする精神的な働きのことだからです。

【5:15】
『ソロモンには荷役人夫が七万人、山で石を切り出す者が八万人あった。』
 ソロモンは『荷役人夫』も徴用しました。『荷役人夫』とは、木材などを運び出す労働者たちでしょう。彼らが『七万人』徴用されたのは、「7」ですから、彼らが不足ない十分な労働者たちだったことを示しています。つまり、ソロモンは数においても質においてもしっかりとした徴用をしたということです。7万人も荷役人夫が集められたのは、宮建設の工事が非常に大きかったことを意味します。これがもし数か月ぐらいで済む工事であれば、流石にここまで多くの人数は必要なかったことでしょう。しかし、宮の建設にはかなりの年数がかかりました。ですから、『荷役人夫が七万人』徴用されたとしても、多過ぎるということはなかったはずです。寧ろ、その規模と工事の年数を考えるならば、7万人も徴用されたのは妥当だったと言えるでしょう。またソロモンは『山で石を切り出す者』も徴用しました。宮には木材だけでなく石も必要だったからです。宮の礎に使う石は特に重要でした(Ⅰ列王記5:17)。この石は非常に重大な意味を持っています。というのも、石は聖書においてキリストの象徴だからです。今でも聖徒という神殿の礎は、パウロが言った通り、石なるキリストであられます(エペソ2:20)。また『石を切り出す者』の数が『八万人』だったのも、明らかに象徴性があります。聖書において「8」は新生を示します。ですから、『石を切り出す者』が8万人だったのは、石なるキリストにより人は新しく生まれるということを意味しているのでしょう。この石を切り出す労働者たちも、荷役人夫の場合と同じで、非常に多くの人数です。これもやはり宮建設の工事が非常に大規模だったことを示しています。神の神殿が建てられるのは大事業なのです。

【5:16】
『そのほか、ソロモンには工事の監督をする者の長が三千三百人あって、工事に携わる者を指揮していた。』
 ソロモンは、工事する者たちの監督者をも選んでいました。その監督の数は『三千三百人』でしたから、工事の規模がどれだけ大きかったかよく分かります。日本大学も規模が大きいので、教職員だけで2540人もいるのです。もしこの工事が普通程度のものであれば、監督者は数百人もいれば足りたかもしれません。この監督者の数である「3300」は、何か象徴的な意味を持っているのでしょうか。象徴的な意味を見出そうとすれば、これは「33」かける「100」に分解されるでしょう。この場合、ソロモンが選んだ監督者たちは監督として非常に純粋な集団だったことを意味しています。何故なら、「33」とは聖書において清めを意味しており、それが「かける100」なのだからです。しかし、このように分解すべきだと確言することはできません。この「3300」という数字は、特に象徴的な意味を持っていない可能性もあります。そうだとすれば、この人数はただ数が多かったとだけ考えるべきことになります。

【5:17】
『王は、切り石を神殿の礎に据えるために、大きな石、高価な石を切り出すように命じた。』
 ソロモンは宮の礎として石を切り出すよう命じます。この石が無ければ何も始まらないからです。この礎の石の上に神殿が建設されるのです。ですから、礎の石は人体で言えば「骨」と似ているかもしれません。この骨なしに人間の身体は全く成り立たないのです。骨があってこそ様々な部分や結合がしっかり成り立つのです。ソロモンは、『神殿の礎』として『高価な石』を切り出させました。これは神の神殿における礎がイエス・キリストであられるからです。実際、先にも述べた通り、聖徒という神殿の礎はキリストであられます。ですから石なるキリストを示す『礎』の石が、いい加減な石であったり安価な石であったりしてはならないのです。キリストは永遠に崇められる至高の神であられます。それゆえ、神殿の礎となる石は最も価値高い石でなければなりませんでした。