【Ⅰサムエル記14:23~15:16】(2022/10/02)


【14:23】
『こうしてその日、主はイスラエル人を救い、戦いはベテ・アベンに移った。』
 このようにして主がイスラエルを救われたので、彼らはペリシテ人に打ち負かされないで済みました。もし主が御恵みを注いで下さらなければ、イスラエル人はペリシテ人に打ち負かされていたでしょう。こうして『戦いはベテ・アベンに移った』のですが、これは『ペリシテ人が逃げた』(Ⅰサムエル14:22)ので、イスラエル人がその『ペリシテ人に追い迫った』からです。

【14:24~26】
『その日、イスラエル人はひどく苦しんだ。サウルが民に誓わせて、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる。」と言い、民はだれも食物を味見もしなかったからである。この地はどこでも、森にはいって行くと、地面に蜜があった。民が森にはいると、蜜がしたたっていたが、だれもそれを手につけて口に入れる者はなかった。民は誓いを恐れていたからである。』
 サウルの中身は異常で壊れていたゆえ、彼は望ましくないことをしていました。サウルが復讐するまで食物を食べる者は呪われる、と民に誓わせていたのです。これは王が命じた誓いの命令ですから、民に拒絶することはできませんでした。王には民を好きなように服させる権利が与えられているからです。このため、ベテ・アベンの森には蜂蜜が大量に満ちていたものの、民は誓いを恐れて食べることが出来ませんでした。「もし蜜を食べたら呪いにより裁かれてどうなるか分かったものではない…。」民がこのように感じていたことは間違いありません。ところで、この森に蜜がたくさんあったというのは、この森に無数の蜜蜂が住んでいたことを意味しています。私たちはこのような森を見たことがありません。しかし、古代のパレスチナにはこのような森が実際に存在していました。私たちは見たことがないからというので、このような森がかつて存在していなかったと結論することはできません。

 愚かな者は愚かなので、すべきではない誓いをします。逆に知恵ある者は知恵があるので、賢い誓いをします。修道士たちは愚かなので、修道誓願などという愚かな誓いを平気で立てています。彼らが愚かでなければ、そもそも修道士になっていなかったでしょう。十字軍も愚かだったので、エルサレム遠征のことで愚かな誓いを立てました。もし彼らが狂った愚かさに取りつかれていなければ、そもそもエルサレムまで遠征しようとはしていなかったでしょう。愚かな誓いは、その誓いを立てた者が愚かであることの証拠です。そのような誓いは、たとえその通りに行なわなくても、呪われることはありません。何故なら、その誓いはそもそも最初から神の御前に受容されない内容を持っているからです。例えば、「あと4年以内にアンドロメダ銀河まで旅行に行かなかったとすれば私は呪われても構いません。」という誓いがどうして神に受け入れられるでしょうか。これが受け入れられるのはありえないことです。この誓いはそもそも内容からして異常であり無効だからです。修道誓願について言えば、ルターも「修道誓願について」という本の中で、このような愚かしい誓いは守らなくても問題ないと述べています。実際、独身の誓いを立てていた修道士たちが誓願を破り結婚しても、呪われることはありませんでした。サウルの誓いも同じであり、その誓いを守らなかったとしても呪われることはありませんでした。実際、これから見ることになる通り、ヨナタンはサウルの誓いに違反しましたが呪われることがありませんでした。私たちは、そもそも最初からサウルがしたような誓いを立てないようにすべきです。

【14:27】
『ヨナタンは、父が民に誓わせていることを聞いていなかった。それで手にあった杖の先を伸ばして、それを蜜蜂の巣に浸し、それを手につけて口に入れた。すると彼の目が輝いた。』
 ヨナタンは父であるサウルの誓いを知らなかったので、何の躊躇もなく、森に滴っていた蜂蜜を取って食べました。ヨナタンがもし父の誓いを知っていたならば、この時に蜂蜜を食べていたかどうかは分かりません。恐らく食べはしなかったでしょう。もっとも、食べなかったとしても父の誓いについて幾らかの不満を述べてはいたことと思いますが。

【14:28~30】
『そのとき、民のひとりが告げて言った。「あなたの父上は、民に堅く誓わせて、きょう、食物を食べる者はのろわれる、とおっしゃいました。それで民は疲れているのです。」ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ご覧。私の目はこんなに輝いている。この蜜を少し味見しただけで。もしも、きょう、民が見つけた、敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を打ち殺していたであろうに。」』
 ヨナタンが蜂蜜を味見したところ、あるイスラエル人がサウルの誓いについてヨナタンに告げ知らせます。確かにサウルは何か食べることを禁止させていましたが、ヨナタンはそのことを知らなかったのですから、誓いの内容に違反したとしても仕方がありませんでした。この時、この報告者はヨナタンのことで気の毒に思っていたかもしれません。何故なら、普通に考えれば、これからヨナタンが誓い破りのためサウルから罰されるであろうことは容易に予測できたからです。しかしヨナタンは、もし食物が禁止されていなければ今頃は更に多くの敵を打ち殺せていただろうに、と言って報告者に反論しています。このヨナタンの言葉は確かにその通りでした。民は誓いのため食べることができず、本来の力を発揮できていなかったからです。このためヨナタンはサウルが『この国を悩ませている。』と言って不満がりました。非は全てサウルにありました。ヨナタンは全く無罪に定められるべきでした。サウルのようでない正しい聖徒は、このように不自然な誓いを民に立てさせたりしませんでした。多くの体力が消耗される戦争において全く食物を禁じるというのは、非常に酷であって、体罰も同然だからです。「腹が減っては戦は出来ぬ。」という言葉は真実なのです。ところがサウルはこのような誓いを民に立てさせました。これは彼が愚かだったことの証拠でした。

【14:31~32】
『その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を打った。それで民は非常に疲れていた。そこで民は分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場でほふった。民は血のままで、それを食べた。』
 神がペリシテ人をイスラエル人の手に渡しておられたので、イスラエル人は『ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を打』ちました。イスラエル人が既に殺されたペリシテ人の持っていた武器を奪い使っていたことは間違いありません。近代のように敵を銃殺できるというのであればともかく、古代の戦争では自分の腕を振り回して殺さなければいけませんでしたから、兵士たちは死ぬほどの疲労を味わいました。敵を自分の力で打ち殺すというのはかなり力がいるのです。このため、古代の兵士たちは腕が棒のようになったり、腕に感覚が無くなったり、掴んでいた武器を全く手放せなくなったりしました。このような極度の疲労を伴う戦いが行なわれたというのに、食料の補給が禁止されていたのですから、『民は非常に疲れてい』ました。神が勝利を得させて下さるといっても、兵士たちが超人のごとき無限の体力を持つようになるわけではないのです。

 このように民は非常に疲れていたので、夕方になると、あたかも決壊したダムから水が勢いよく出て来るかのごとく分捕り物の家畜に飛びかかりました。サウルが食物を禁止していたのは夕方までだったので(Ⅰサムエル14:24)、もう呪いの誓いから民は解放されていました。お腹が非常に減ったことのない人はいないはずですから、この時におけるイスラエル人の気持ちがどのようであったか私たちは悟れるはずです。彼らは獣でもあるかのように飛びかかったことでしょう。ところが、彼らはあまりの空腹ゆえ思慮を失っており、何も考えることもなく、血の付いたままで肉を食べてしまいました。律法では血を食べるなと命じられています。血の禁止命令ほど厳しく神が命じられた戒めは他に少ししかありません。そのような命令でさえイスラエル人は考えることができなかったのですから、彼らの空腹が限界点に達していたことは間違いありません。しかし、だからといって血を食べてよいということにはなりません。彼らは血を避けるべきでした。

【14:33~35】
『すると、「民が血のままで食べて、主に罪を犯しています。」と言って、サウルに告げる者がいた。サウルは言った。「あなたがたは裏切った。今ここに大きな石をころがして来なさい。」サウルはまた言った。「民の中に散って行って、彼らに言いなさい。『めいめい自分の牛か羊かを私のところに連れて来て、ここでそれをほふって食べなさい。血のままで食べて主に罪を犯してはならない。』」そこで民はみな、その夜、それぞれ自分の牛を連れて来て、そこでほふった。サウルは主のために祭壇を築いた。これは彼が主のために築いた最初の祭壇であった。』
 血を食べるという大きな罪が犯されたことについて、サウルに報告がなされました。サウルに非は全くありませんでした。民が血を食べたことについて言えば、非はただ民の側にのみありました。民はサウルに強制された誓いを守ることについてはしっかりやりました。しかし、誓いを守ったその後の振る舞いで失敗したのです。

 血を食べたイスラエル人に対しサウルは『あなたがたは裏切った。』と言います。イスラエル人は「誰を」また「何を」裏切ったのでしょうか。イスラエル人は神とその律法を裏切りました。何故なら、血を食べるという罪は神とその律法に背くことだったからです。民がサウルを裏切ったというのではありません。民はサウルにはしっかり服従していたからです。

 報告があってからサウルは『ここに大きな石をころがして来なさい。』と命じます。これは『主のために祭壇を築』くための石であり、民がこの祭壇の場所で分捕った家畜を祭儀として捧げ食べるためでした。神に捧げられた生贄の肉を血無しに食べるというのであれば問題はなかったからです。誓いから解放されたイスラエル人はもう食物を食べても良くなっていたのですが、その食べ方が間違っていたのでした。この時にサウルは初めて祭壇を築きましたが、祭司でもないサウルが祭壇を築いても問題なかったのでしょうか。聖書はこのことについて何も正否を述べていません。

【14:36~37】
『サウルは言った。「夜、ペリシテ人を追って下り、明け方までに彼らをかすめ奪い、ひとりも残しておくまい。」すると民は言った。「あなたのお気に召すことを、何でもしてください。」しかし祭司は言った。「ここで、われわれは神の前に出ましょう。」それでサウルは神に伺った。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。あなたは彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日は何の答えもなかった。』
 サウルはペリシテ人に対する進撃を続け、遂には滅ぼそうと意気込んでいました。ローマ人のように敵である他国人を屈服させてから従属させるという考えはありませんでした。サウルにとってペリシテ人は何かゴミやホコリのような存在に過ぎなかったのです。これは『ひとりも残しておくまい。』というサウルの言葉から分かります。すると民は『あなたのお気に召すことを、何でもしてください。』と言って、サウルに対する忠誠を示しています。民が求めたのでサウルという王がイスラエルに立てられました。ですから、民がサウルに忠誠を捧げていたのはごく自然なことでした。もしサウルが民の意に反し強制的に立てられていたとすれば、このように服従しようとしていたか定かではありません。

 祭司は霊的な専門家なので、神に属する事柄については、他の誰よりも長けています。サウルのような王でさえ霊的な事柄については、祭司と比べるならば子どもに過ぎません。ですから、もうすぐにも行動を開始しようとしていたサウルに対し、祭司はまず神の御心を求めるべきだと言います。祭司がこのように提案したのは正しいことでした。何故なら、まず祈り求めて御心を知ってから行動するというのは非常に大切なことだからです。しかし、サウルが御心を求めても、その日は神から答えが与えられませんでした。こうしてペリシテ人への追撃がその日は中止されることになりました。どれだけ進撃を続けたかったとしても御心が示されないのであれば出て行くことは許されないからです。

【14:38~39】
『そこでサウルは言った。「民のかしらたちはみな、ここに寄って来なさい。きょう、どうしてこのような罪が起こったかを確かめてみなさい。まことに、イスラエルを救う主は生きておられる。たとい、それが私の子ヨナタンであっても、彼は必ず死ななければならない。」しかし民のうちだれもこれに答える者はいなかった。』
 神から何の答えもない原因は誰かが犯した罪にあると思われました。つまり、誰かの罪に対し神が怒っておられるので、そのため御心が何も示されないのだと考えられました。このためサウルは『民のかしらたち』を集め、誰が罪を犯したのか確かめようとします。事態は非常に深刻でした。ですからサウルは罪を犯した者はたとえ自分の子ヨナタンであっても死ななければいけないと宣言します。しかも彼は『まことに、イスラエルを救う主は生きておられる。』と言って誓うことさえしました。これは、つまり主にかけて罪を犯した者はヨナタンであっても必ず死ななければならないということです。しかし、この宣言に対し民は沈黙し同意しようとしません。サウルの宣言が非人道的だと思われたからです。イスラエルに勝利を齎したヨナタンであっても死ななければいけないというのは、理に適っておらず、あってはならないことでした。このようにしてサウルはまたもや自分の愚かさを公の場で曝け出します。愚かな者は愚かなことをするものなのです。

【14:40~41】
『サウルはすべてのイスラエル人に言った。「あなたがたは、こちら側にいなさい。私と、私の子ヨナタンは、あちら側にいよう。」民はサウルに言った。「あなたのお気に召すようにしてください。」そこでサウルはイスラエルの神、主に、「みこころをお示しください。」と言った。すると、ヨナタンとサウルが取り分けられ、民ははずれた。それでサウルは言った。「私か、私の子ヨナタンかを決めてください。」するとヨナタンが取り分けられた。』
 サウルは犯人が誰か確かめる前に、まず自分とヨナタンを民から遠ざけました。これは王族と一般民衆を区別するためでした。サウルは差別・侮辱また優越意識からこのようにしたわけではありません。ですから、民もサウルたちと自分たちが区別されたことに違和感を持ったりせず文句も言いませんでした。こうして取り分けが行なわれます。まず『ヨナタンとサウルが取り分けられ』、次に『ヨナタンが取り分けられ』ました。取り分けの方法は、聖書に書かれてはいないのですが、恐らく籤によったと考えられます。全てを知っておられる神がヨナタンを取り分けられたのです。

【14:43~45】
『サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、私に告げなさい。」そこでヨナタンは彼に告げて言った。「私は手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を、確かに味見しましたが。ああ、私は死ななければなりません。」サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン。おまえは必ず死ななければならない。」すると民はサウルに言った。「このような大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはありません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。神が共におられたので、あの方は、きょう、これをなさったのです。」こうして民はヨナタンを救ったので、ヨナタンは死ななかった。』
 サウルから何をしたか告げるよう命じられたヨナタンは、自分が誓いに違反したことを告白します。状況がヨナタンに素直な告白を強いていました。ですからヨナタンは言い訳しようともせず死を覚悟します。するとサウルは当然とでも言わんばかりにヨナタンに死を命じます。『神が幾重にも罰してくださるように。』とサウルは言っています。彼は自分が正義の審判者であって、敬虔に振る舞っているつもりでもいたのでしょう。

 死にそうな事態となったヨナタンでしたが、民は神がヨナタンを通して勝利させて下さったのだから死刑にすべきでないと抗議しました。神が勝利のために用いられた人を無謀にも殺すというのは、あってはならないことだからです。もしヨナタンを死なせたとすれば、それはヨナタンを用いられた神に悪を行なうことも同然でした。ここで民が『あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。』と言っているのは、ヨナタンの髪の毛一本でさえ滅びてはならないということです。つまり、1本の髪の毛でさえ滅びるべきではありませんから、ヨナタンが滅ぼされるのは尚のことありえないということです。民がこのように抗議したのでヨナタンは死を免れました。

 こうしてサウルはまたもや自分の愚かさを曝け出し、恥をかくことになりました。サウルが民に立てさせた誓いは何の意味・益もありませんでした。彼はそもそも最初からあんな誓いを立てさせるべきではなかったのです。私たちもサウルのような誓いを立てたり立てさせたりしないようにしましょう。愚かな誓いは良いことを何も私たちに齎しませんから。

【14:46】
『こうして、サウルはペリシテ人を追うのをやめて引き揚げ、ペリシテ人は自分たちの所へ帰って行った。』
 このようにしてイスラエルとペリシテ人の戦いは一旦、終わりとなりました。サウルはもうペリシテ人を追撃しようとしませんでした。ペリシテ人を追撃するべきかどうか神から何も御心が示されなかったからです。神はサウルたちの進撃により、ペリシテ人が全滅することを望まれませんでした。それは敵であるこの異邦人を残しておくことにより、イスラエル人がいつも警戒してナヨナヨしないようにするためです。ペリシテ人たちも、もうイスラエル人が追って来なくなったので、『自分たちの所へ帰って行』きました。彼らは滅ぼされずに済んだのでホッとしていたはずです。彼らの住まいはユダヤの西側にある地中海に面した地域一帯でした。

【14:47~48】
『サウルは、イスラエルの王位を取ってから、周囲のすべての敵と戦った。すなわち、モアブ、アモン人、エドム、ツォバの王たち、ペリシテ人と戦い、どこに行っても彼らを懲らしめた。彼は勇気を奮って、アマレク人を打ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した。』
 サウルは王となってから、周辺諸国の敵を打ち負かして懲らしめました。サウルとサウル率いるイスラエル人たちは、敵を懲らしめることができました。これは彼らの国のうちで偶像が取り除かれていたからです。もしまだイスラエルに偶像が残っていたとすれば、このように敵を懲らしめることはできなかったはずです。律法からも分かる通り、神に逆らう者たちが敵の上に立つことはできない話だからです。またサウルはアマレク人をも打って懲らしめましたが、それは『勇気を奮って』でした。これはアマレク人が手強くイスラエル人の脅威だったことを示しています。実際、バラムはアマレク人が最強の民族であったと述べています(民数記24:20)。彼らが『略奪者』と呼ばれているのは、イスラエルに入り込んで略奪していたからでしょう。このアマレク人からサウルがイスラエル人を『救い出した』と言われているのは、アマレク人を懲らしめ、もうイスラエル人から略奪しないようにしたということなのでしょう。

【14:49~51】
『さて、サウルの息子は、ヨナタン、イシュビ、マルキ・シュア、ふたりの娘の名は、姉がメラブ、妹がミカルであった。サウルの妻の名はアヒノアムで、アヒマアツの娘であった。将軍の名はアブネルで、サウルのおじネルの子であった。サウルの父キシュとアブネルの父ネルとは、アビエルの子であった。』
 サウルの親族について示されます。サウルは王という非常に重要な存在だったので、その血縁関係にまで注目の範囲が広げられるのです。今の世界でも、やはり重要であれば重要であるほど、その人物は顕微鏡の上に置かれ詳しく観察されます。しかし重要でなければ重要でないほど、顕微鏡で調べられることもなくなります。この箇所で書かれている通り、サウルにはヨナタン以外にも2人の息子と2人の娘がいました。5人子どもがいたというのは、この時代においてごく普通の数でした。この5人のうち、『ヨナタン』はダビデの親友となり、『ミカル』はダビデの妻となります。サウルは自分の親戚である『アブネル』を将軍に任じていました。サウルがアブネルを将軍にしたのは、裏切る可能性がないため親戚を選んだか、単に「血」への愛着から親戚を選んだかのどちらかでしょうが、どちらだったのかは分かりません。このアブネルとサウルは『アビエル』という共通の祖父を持っていました。

【14:52】
『サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけると、その者をみな、召しかかえた。』
 先にも述べた通り、神はペリシテ人をイスラエル人が軟弱にならないよう残しておかれましたので、『サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあ』りました。それそのものとしては害であっても、それが存在することによりかえって大きな益となるものは珍しくありません。イスラエル人の場合、ペリシテ人が正にこれでした。つまり、ペリシテ人という害が存在しないのでイスラエル人が腑抜けになるよりは、ペリシテ人という害が存在しているためイスラエル人が精神的に引き締まっているほうが優っていました。ですから、神がイスラエル人を憎んでいたというので、イスラエル人の敵であるペリシテ人を残しておかれたというのではありませんでした。このペリシテ人との戦いのため、サウルは『勇気のある者や、力のある者を見つけると、その者をみな、召しかかえ』ました。これは王の正当な権利でした(Ⅰサムエル8:11)。このような権利が王制樹立の前から示されていたにもかかわらず、イスラエル人は王が立てられることを求めました。つまり、イスラエル人はこのような王の権利を前もって受容していました。ですから、サウルの行なった息子たちの徴集を誰も拒絶することはできませんでした。もし拒絶したとすれば、「だったら何故にあなたがたは王を立てたのか。」と言われて口を閉ざされてしまうのです。然り、もし拒絶するようであれば最初から王など立てなければよかったのです。

【15:1~3】
『サムエルはサウルに言った。「主は私を遣わして、あなたに油をそそぎ、その民イスラエルの王とされた。今、主の言われることを聞きなさい。万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにしたことを罰する。今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。』」』
 サムエルは神の命令をサウルに告げる際、まずサウルが神から王として立てられたことについて示します。神が立てられたからこそサウルは王になりました。サウルが自分自身から王になったのではありません。もし神が立てられなければ、サウルは自分から王になろうとしていなかったでしょう。つまり、サウルは王に立てられましたが、このサウルにも王がいて、それは三位一体の神でした。ですから、サウルは自分の王である神に聞き従わねばなりませんでした。サウルがそうするのは義務であって、もし神に服従しなければ罪となりました。

 神は、サウルがアマレク人を全く聖絶するように命じます。神は例外として生き残すアマレク人を定めませんでした。か弱い女も幼い子どもも全て消し去らねばなりませんでした。つまり、文字通り100%のアマレク人を滅ぼすべきでした。神がアマレク人の聖絶を求められたのは、彼らがかつてイスラエル人に酷い愚行をしたからです(申命記25:17~18)。この時に神の御怒りは極みまで燃え上がっていたはずです。ヨセフスによればアマレク人はイスラエル人の性器を切り取ったのであり、これは聖書に書かれていないことなのですが、もしこれが本当だったとすれば、神が彼らの絶滅を望まれるほどに怒られたのは当然であったと誰でも分かるはずです。しかし、その時はまだ聖絶が実現されませんでした。実現されるのは、その時から約300年後の時代でした。これは恐らく神がキリストを予表するイスラエル王においてこの憎き敵どもを滅ぼしたく願われたからだと考えられます。要するに、この聖絶は神の復讐です。実際に復讐するのはイスラエル人たちです。しかし、それは神の復讐です。何故なら、イスラエル人は神に従って神の復讐を代理として実行するのだからです。

 この時に神は御自分の言われたことを成就しようとしておられました(出エジプト記17:14)。これは神が言われたことを成就される御方だからです(民数記23:19)。アマレク人に対する聖絶の場合は、神が言われてから約300年後に成就されようとしていました。このように人間の感覚からすれば、神が言われたことはなかなか成就されないと思える事柄もあります。しかし、神は人間からすれば長いと思えたとしても、必ず御自分の言われたことをいつか成就されます。

【15:4~6】
『そこでサウルは民を呼び集めた。テライムで彼らを数えると、歩兵が二十万、ユダの兵士が一万であった。サウルはアマレクの町へ行って、谷で待ち伏せた。サウルはケニ人たちに言った。「さあ、あなたがたはアマレク人の中から離れて下って行きなさい。私があなたがたを彼らといっしょにするといけないから。あなたがたは、イスラエルの民がすべてエジプトから上って来るとき、彼らに親切にしてくれたのです。」そこでケニ人はアマレク人の中から離れた。』
 サウルは神に従いアマレク人を聖絶しようとしたので、自分に与えられた王の権利を行使し、戦いのためイスラエル人を兵士として召集します。その数は『歩兵が二十万、ユダの兵士が一万』でした。これはそれなりの数です。ここでユダ部族の兵士だけが個別的に書かれているのは、このユダ部族としてメシアが御生まれになるからです。聖書は、メシアがユダ部族から出ることを知っていたので、多くの箇所でユダ部族を特別扱いしています。

 サウルはアマレク人を打ち取る前に、まず『ケニ人』をアマレク人の巻き添えとしないため、隔離するという配慮を取りました。これはケニ人たちがかつてイスラエルに『親切にしてくれた』からでした。ソロモンはこう言っています。『善に代えて悪を返すなら、その家から悪が離れない。』(箴言17章13節)この御言葉からも分かる通り、もしイスラエルにかつて善を行なってくれたケニ人に滅ぼすという悪を与えるならば、イスラエルは取り返しのつかないことになっていたでしょう。ですから、サウルがケニ人に配慮するというのは正しいことでした。サウルはこのケニ人のことでしっかり思慮を働かせました。しかし、問題となるのはこれからの振る舞いでした。この『ケニ人』とはモーセの妻における民族であり、異邦人でしたが、もしモーセとの関わりからイスラエル民族と繋がりを持っていなければ、恐らくイスラエル民族とは全く無関係な存在だったかもしれません。

【15:7~8】
『サウルは、ハビラから、エジプトの東にあるシュルのほうのアマレク人を打ち、アマレク人の王アガグを生けどりにし、その民を残らず剣の刃で聖絶した。』
 こうしてサウルはアマレク人を攻撃して打ちのめします。サウルたちはこのようにすることが出来ました。神がアマレク人に滅びを定めておられたからです。神はイスラエル人と共におられました。もし神がイスラエル人と共におられなければ、恐らくイスラエル人はアマレク人に打ち負かされていたでしょう。何故なら、アマレク人は最も強い民族だったからです。この時のイスラエル人はもう『剣』を所持していました。イスラエル人に鍛冶屋を禁じていたペリシテ人の支配からイスラエル人はもう解放されていましたし、これまでの戦いでイスラエル人は敵から剣を奪い取っていたからです。イスラエル人は十分に剣を持っていたはずです。少し前まではサウルとヨナタン以外は誰も剣を持っていませんでした(Ⅰサムエル13:22)。このようにしてサウルはアマレク人を聖絶しました。遂に神の復讐が果たされるのです。

【15:9~11】
『しかし、サウルと彼の民は、アガグと、それに、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しみ、これらを聖絶するのを好まず、ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶した。そのとき、サムエルに次のような主のことばがあった。「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」』
 サウルは神の命令を行なっているように見えましたが、実は行なっていませんでした。何故なら、サウルはアマレク人における全てを聖絶しないで、『アガグと、それに、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いもの』だけは残したからです。神が命じられたのは『そのすべてのものを聖絶せよ。』(Ⅰサムエル15:3)ということでした。サウルは一部を残しています。ですから、サウルは神とその命令『に背を向け』ていました。サウルが神の命令を部分的に行なっていた、と言うことはできません。というのも、神の命令においては、行なうか行なわないかのどちらか一つしかないからです。すなわち、行なっているのであれば行なっていないということはなく、行なっていなければ行なっているということはありません。サウルはどうして『良いもの』だけを聖絶しなかったのでしょうか。それはサウルが『ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶した』からです。つまり、サウルは欲に突き動かされました。彼は自分の欲望を神の命令よりも優先させたのです。彼の物欲が神聖な命令を押しのけたので、彼は神に従うことができませんでした。これは「罪」に他なりません。

 ここにおいてサウルは神の御心を全く損ねてしまいました。何故なら、サウルがしたのは神を偽り者に仕立てることだったからです。それは致命的な罪であり、取り返しがつかないものでした。神はかつて『わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。』(出エジプト記17章14節)と誓っておられました。これは神の誓いですから、アマレク人は絶対に絶滅されなければいけませんでした。もし神がこう誓われたにもかかわらず、アマレクが完全に滅ぼされなかったとすれば、神は偽り事を誓う偽り者になってしまいます。神はこの誓いを実現させるため、サウルを用いてアマレク人を滅ぼそうとされました。ところがサウルは神に従わず、アマレク人を全滅させませんでした。ですから、サウルがしたのは神を偽り者にすることでした。このため、神は『サウルを王に任じたことを悔い』られました。『悔いる』というのは表現であって、神が本当に悔いたと言われているのではありません。『この方は人間ではないので、悔いることがない。』(Ⅰサムエル15:29)とすぐ後ほどサムエルは言っています。これは人間が悔いて計画を方向転換させるかのように、神が御自分の計画を新しい段階へと方向転換させたという意味です。その方向転換とは、イスラエルの王がサウルからダビデに変えられるということでした。そもそも神は最初からサウルを永続的な王として立てておくつもりがありませんでした。しかし、神は最初の王としてこのサウルを選んでおかれました。それは、この愚かな王を、後の王たちに対し教訓的な存在とするためだったのです。つまり、サウルは反面教師とするための見せしめでした。

【15:11】
『それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。』
 神からサウルについて言われたサムエルは怒りを持ちます。サムエルが怒ったのは、サウルの不敬虔に対してです。何故なら、サムエルのように敬虔な者にとって、サウルのような不敬虔は受け入れ難いことだからです(詩篇119:136)。サムエルが怒ったのは、神が予め不敬虔なサウルのことを知っていながらサウルを王に立てられたからではありません。そしてサムエルは『夜通し主に向かって叫』びました。何を叫んだかと言えば、サウルに代わる新しい正しき王が立てられるようにということなのでしょう。サムエルが『夜通し』叫んだのは、彼の心が激しく燃えていたことを意味しています。

【15:12】
『翌朝早く、サムエルがサウルに会いに行こうとしていたとき、サムエルに告げて言う者があった。「サウルはカルメルに行って、もう、自分のために記念碑を立てました。それから、引き返して、進んで、ギルガルに下りました。」』
 サムエルはサウルを問い詰めようとしていましたが、サウルは既に勝利した者が常とする行為を行なっていました。すなわち、サウルは北にある『カルメルに行って』、『自分のために記念碑を立て』ていたのです。サウルがどこからカルメルに行ったかにもよりますけど、カルメルまではかなりの距離だったはずです。そして、サウルはこのカルメルから南にあるギルガルへと戻りました。カルメルからギルガルまでは非常に長い距離があります。これはある選手のドーピングが発覚したのでチャンピオンの資格を剥奪しようとしていた協会の幹部に、その選手がもうチャンピオンになった記念として旅行をしたり総理大臣に報告したという知らせが聞かされるのと似ています。この偽チャンピオンは、せっかく心地良い勝利の幸せを味わっていたのに、これからチャンピオンでなくなるので、いきなり最悪の不幸に陥ることとなるのです。ちょうど高い山に登って気持ち良くなっていたのに、いきなり崖から落とされ地上に叩きつけられるようなものです。

【15:13】
『サムエルがサウルのところに行くと、サウルは彼に言った。「主の祝福がありますように。私は主のことばを守りました。」』
 サウルが自分のところに来たサムエルに会うと、サウルは『主の祝福がありますように。』と挨拶の言葉をかけます。このように出会ったら互いに幸せを願うのがユダヤ人です。今もユダヤ人はこのようです。これが普段だったら、サムエルも『主の祝福がありますように。』と言ってサウルに応じていたでしょう。しかし、この時にサムエルは挨拶を返しませんでした。これはサムエルがサウルを裁くために来たのであって、何か親しい会話でもするために来たわけではなかったからです。またサウルは『私は主のことばを守りました。』と言います。サウルは自分自身では神に従ったつもりでいました。何故なら、サウルはアガグ王と良い物を除けば、アマレクに聖絶の滅びを下したからです。サウルは愚かで何も知らない腑抜けでした。サウルのように御言葉を中途半端にしか行なわないのであれば、それは行なわないことです。確かなところ、御言葉は十全に行なって初めて行なったことになりますが、サウルは愚かだったのでこのことを知らないでいました。

【15:14~16】
『しかしサムエルは言った。「では、私の耳にはいるあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」サムエルはサウルに言った。「やめなさい。昨夜、主が私に仰せられたことをあなたに知らせます。」サウルは彼に言った。「お話しください。」』
 罪の紛れもない証拠である家畜が、聖絶されないまま五月蠅い声で鳴いていました。この鳴き声がサウルの不敬虔を告発していると言ったとすれば、詩的な粉飾になるかもしれませんが、このように言いたくなるような状況がこの時にはありました。サムエルはこの家畜を指し示し、「これは何だ。」とサウルを尋問します。するとサウルは、民の意向によりそれらの家畜たちが生き残されたと言い訳をします。家畜が残されたのは、確かに民がそのように願ったからでした。サウルは民の声に屈し民の言う通りにしてしまったのです(Ⅰサムエル15:24)。しかし、悪の責任はサウルに全てありました。何故なら、一切の決定権はサウルにあったからです。サウルは民の声を退けることも出来ましたが、退けなかったのですから、サウルがこの悪を行なったことに変わりはありませんでした。サムエルはサウルの言い訳を受け入れようとしません。もう既にサムエルには神の断罪が示されていたからです。サウルがどのような言い訳をしてもサウルの有罪は確定していました。それからサムエルは神の言葉をサウルに告げ知らせようとします。戦慄すべき運命の宣告がサウルに告げられようとしていました。サウルは『お話しください。』と言って、神の言葉を聞こうとします。状況がサウルにその場から逃げることを許していませんでした。