【Ⅰサムエル記16:12~17:37】(2022/10/16)


【16:12~13】
『エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。』
 サムエルの前に連れて来られたダビデは、『血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった』ので、正しく王に相応しいと感じられる人でした。ヒトラーを考えても分かるでしょう。立派な印象を持つ支配者に民衆は服従したくなるものなのです。ほとんど崇拝される寸前の状態にあったヒトラーは、支配者に適した外観を持っていました。このヒトラーの心は支配者として良くありませんでしたが、ダビデのほうは支配者に相応しい良い心を持っていました。サムエルは携えて来た角に入っている油を(Ⅰサムエル16:1)、この時、ダビデの頭から垂れるようにして注ぎました。この油注ぎは王に任ずるための儀式です。サムエルが持って来た角の大きさは、応援用のメガホンぐらいだったと考えられます。つまり、ダビデに注がれた油はかなりの量でした。ほんの少しだけではありませんでした。ダビデは『兄弟たちの真中で』王として正式に任じられました。ダビデは8人兄弟のうちで最も下です。ダビデは下にいたのに神から栄光の高みへと引き上げられました。神はこのように、人が下に位置しているからこそ、高みへと引き上げられる御方なのです。それは既に高い状態である者たちが驚いて辱められるためなのです(Ⅰコリント1:27)。これが神のやり方です。既に見た通り、サウルも低い位置にいたからこそ神から高みへと引き上げられました。

【16:13】
『主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。』
 サムエルがダビデを王に任じて以降、神の霊がダビデに激しく臨まれました。ダビデは自分に主の霊が臨んでおられるのを知っていました。彼は罪を犯した際、『あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。』(詩篇51:11)と言ったからです。主の霊がダビデに下られたので、ダビデはこれから王として歩むことになりました。まず霊が下られ、それから王として歩むようになったのです。サウルも王になる際は、主の霊が激しく下られました(Ⅰサムエル10:6)。この2人はどちらも、もし主の霊が下っておられなければ、イスラエルの王として歩んではいなかったはずです。

 ダビデを王に任ずるという目的を遂げたので、サムエルはラマの自宅へ帰りました。もう生贄も捧げ終わっています。これ以上、ベツレヘムに留まる理由はありませんでした。

【16:14】
『主の霊はサウルを離れ、主からの悪い霊が彼をおびえさせた。』
 主の霊はサウルに下っておられましたが(Ⅰサムエル10:6)、ダビデが王に任じられると、サウルから離れられました。これはサウルがもう王として必要なくなったからです。もしサウルが退けられていなければ、主の霊はサウルを離れておられなかったと思われます。そして、サウルには『主からの悪い霊』が遣わされました。非常な注意を要しますが、これを主の霊だと考えては決してなりません。何故なら、主の霊は聖であられ『悪い』のでは決してないからです。サウルに遣わされたのは『悪い霊』ですから、つまりサタンの霊です。神はサウルに対する復讐として、サタンの霊がサウルに臨むことを許されたのです。この悪霊はサウルを『おびえさせ』ました。悪霊がどのような恐怖によりサウルを怯えさせたかは分かりません。単に何の理由もなく怯えさせていたのかもしれません。いずれにせよ、サウルは悪霊のゆえに不幸な怯えを味わわなければなりませんでした。このようにサウルには大きな悲惨が襲いかかって来ました。サウルは神から呪われていました。それはサウルが神の使命を行なわないという致命的な罪に陥ったからでした。神の正当なる裁きがこれからも注がれ続けることになります。

【16:15~16】
『そこでサウルの家来たちは彼に言った。「ご覧ください。神からの悪い霊があなたをおびえさせているのです。わが君。どうか御前にはべるこの家来どもに命じて、じょうずに立琴をひく者を捜させてください。神からの悪い霊があなたに臨むとき、その者が琴をひけば、あなたは良くなられるでしょう。」』
 サウルの家来たちもサウルが悪霊に怯えさせられているのを知りました。サウルが悪霊から怯えさせられているのは誰の目にも明らかだったからです。サウルは自分に感じた怯えを隠しませんでしたし、恐らく隠すことはできなかったのでしょう。それを見た家来たちは、『じょうずに立琴をひく者』に美しい音を奏でさせればいいはずだ、と言って解決案を提示します。これは何とも素朴な解決方法だと思えますが、正しい解決方法でした。サウルに遣わされた悪霊とその悪霊が生じさせる怯えには、良い旋律が効いたのです。ちょうど犬には鞭を振り回すのが効くように、です。

【16:17~19】
『そこでサウルは家来たちに言った。「どうか、私のためにじょうずなひき手を見つけて、私のところに連れて来てくれ。」すると、若者のひとりが答えて言った。「おります。私はベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。琴がじょうずで勇士であり、戦士です。ことばには分別があり、体格も良い人です。主がこの人とともにおられます。」そこでサウルは使いをエッサイのところに遣わし、「羊の番をしているあなたの子ダビデを私のところによこしてください。」と言わせた。』
 サウルは、家来たちの解決案を良いと思って受け入れます。サウルが受け入れたのは正しいことでした。それは後の箇所を見れば分かる通りです。この時に家来たちが巧みな琴弾きを捜そうとしたのは神から出たことでした。その解決案をサウルが受け入れるようにしたのも神から出たことです。これは神がダビデとサウルに関係を持たせるためでした。もし家来たちがフルート奏者を捜そうとしていたならば、神もダビデに琴ではなくフルートの技能を与えておられたでしょう。そしてサウルもフルート奏者を求めていたでしょう。何故なら、神はダビデとサウルの出会いを求めておられたからです。

 神の摂理により、サウルの家来たちの中に、琴の巧みだったダビデをよく知っている家来がいました。その家来はサウルにダビデを紹介します。彼がダビデについて言うのはどれも良いことばかりでした。実際、ダビデは多くの良いものを持っていました。神がダビデを恵んでおられたからです。このダビデは、先の箇所で書かれていた通り、『血色の良い顔』(Ⅰサムエル16:12)でした。ダビデには良い肌の状態を形成させる遺伝子があったわけです。栄養を十分に取っていたということでもあるのでしょう。栄養が不足すると肌の見栄えは悪くなりますから。ダビデが果物や野菜から多くのビタミンおよびミネラルを摂取していたことは間違いありません。この箇所でダビデは『体格も良い』と言われています。これも良質な遺伝子ゆえでしょう。羊飼いとして野にいた歩みが、更に体格に磨きをかけていたはずです。しかし、サウルと異なり、ダビデの背が高かったとは書かれていません。もしダビデが高身長だったら聖書はそのことを書いていたと思われます。またダビデの『ことばには分別があり』ました。これはダビデの心がしっかりしていたことを意味しています。キリストも言われた通り、人は『心に満ちていることを口が話す』(マタイ12:34)のだからです。しっかりした心からはしっかりした言葉が出ます。逆に、しっかりしていない心からはしっかりしていない言葉が出ます。サウルが正にこれでした。『琴がじょうず』だったのは、神がダビデに琴の才能を与えられたからです。これには2つの理由があります。一つ目はサウルの怯えを琴で鎮めるためでした。ダビデはあたかも落ち着きのない獣を手懐けて静かにさせる狩人のようでした。二つ目はダビデが神を賛美するためです。琴があれば神への賛美は更に輝きます。このダビデはまた『勇士であり、戦士』でもありました。これは羊飼いとして羊を猛獣から助け出していたからです。ダビデは『獅子でも、熊でも打ち殺し』(Ⅰサムエル17:36)た勇敢な野の戦士でした。これは『主がこの人とともにおられ』たからです。主はダビデを守り、強め、勝利に導いておられました。これは主がダビデを愛しておられたからです。

 サウルは、王であれば誰でも常とするように、有力な者を集めていたので(Ⅰサムエル14:52)、戦士であるダビデを調度良いと思ったのでしょう、ダビデを召し出すことにしました。サウルはダビデの保護者である父エッサイに使いを遣わし、ダビデを召し出そうとします。これは単にサウルが王としての正当な権利を行使しただけですから合法的な召し出しでした。

【16:20~22】
『それでエッサイは、一オメルのパンと、ぶどう酒の皮袋一つ、子やぎ一匹を取り、息子ダビデに託して、これをサウルに送った。ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。サウルは彼を非常に愛し、ダビデはサウルの道具持ちとなった。サウルはエッサイのところに人をやり、「どうか、ダビデを私に仕えさせてください。私の気に入ったから。」と言わせた。』
 エッサイは子であるダビデと同様に分別のある人だったので、ダビデがサウルのもとに行く際、贈り物を持って行かせました。聖書はこう言っています。『高貴な人の好意を求める者は多く、…』(箴言19章6節)。サウルのような王からは多くの人が気に入られたいと思うものです。ですから、エッサイが贈り物をサウルに贈ったのは自然なことでした。もしエッサイが分別のない人であれば、贈り物を贈ろうとはしていなかったかもしれません。『一オメル(のパン)』とは2.3リットルです。『ぶどう酒の皮袋一つ』があれば多く葡萄酒を飲めます。『子やぎ一匹』は決して安くなかったはずです。つまり、エッサイがサウルに贈ったのはかなり良い贈り物でした。この贈り物はサウルに大きな効力を齎したでしょう。何故なら、聖書にはこう書かれているからです。『だれでも贈り物をしてくれる人の友となる。』(箴言19章6節)『人の贈り物はその人のために道を開き、高貴な人の前にも彼を導く。』(箴言18章16節)『わいろは、その贈り主の目には宝石、その向かう所、どこにおいても、うまくいく。』(箴言16章8節)私たちも贈り物を使わない手はありません。贈り物は王にさえ効き目を齎すほどの力があるのです。王にさえ贈り物が効くのであれば、個人により違いはあるにしても(精神的な借金が嫌なので贈り物を受け取らない人も世の中にはいます)、贈り物が効かない種類・立場の人はいないでしょう。ヤコブも、息子たちがエジプトを支配する者(ヨセフ)のもとに向かう際、贈り物を持って行かせました(創世記43:11)。ヤコブがこうしたのは間違っていませんでした。

 ダビデがサウルに仕えたところ、サウルから『非常に愛』され『道具持ち』にされたほどですが、王の道具持ちになるというのはかなり大きなことです。ダビデは神だけでなく人にも愛される人でした(Ⅰサムエル18:16)。ダビデは王の目にさえ適う人でした。誰からも愛される人気者が世の中にはいるものです。ダビデは正にそのような人でした。

 サウルはダビデが気に入ったので、エッサイのもとに使いを遣わし、正式にダビデを召し出そうとします。サウルが前に使いを遣わしたのは(Ⅰサムエル16:19)、仮の召し出しであり、ここまでダビデが仕えたのは確かめるためのテスト期間だったと考えればいいでしょう。憧れていた大スターのローディーになるというのではありませんでしたが、これは大スターのローディーになるのと同様、非常に恵まれたことでした。

【16:23】
『神からの悪い霊がサウルに臨むたびに、ダビデは立琴を手に取って、ひき、サウルは元気を回復して、良くなり、悪い霊は彼から離れた。』
 ダビデが自分の得意とする琴を奏でると、サウルの状態は改善し、彼を怯えさせていた悪霊が追い払われました。一体何が起こったのでしょうか。聖書は詳しいことを何も述べていません。恐らく、ダビデは琴の旋律に合わせて讃美歌を歌ったのかもしれません。悪霊は神を嫌っていますから讃美歌も嫌います。このため、ダビデが敬虔な讃美歌を琴と共に歌うと、悪霊が逃げて行ったのかもしれません。しかし、これはあくまでも推測に過ぎません。もしかしたらダビデは単に琴を奏でていただけだったという可能性も十分にあります。このことからも分かる通り、サウルがダビデを召し出したのは大正解でした。もしダビデが琴を奏でていなければサウルはどうなっていたでしょうか。これからも悪霊はしばしばサウルに臨みます。これはサウルが神の裁きに定められていたからでした。

【17:1~3】
『ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集まり、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に、谷を隔てて相対した。』
 またもやイスラエル人とペリシテ人の戦いが勃発します。イスラエルには『サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった』(Ⅰサムエル14:52)のです。今回の戦いは、エルサレムから西に40kmほど離れた場所で起こりました。『ソコとアゼカ』は10kmほどしか離れていない近くの場所にあります。この場所は谷のある山だったので、一方の山にイスラエル人が陣を敷き、もう一方の山にペリシテ人が陣を敷きました。

【17:4~7】
『ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。足には青銅のすね当てを着け、肩には青銅の投げ槍を背負っていた。槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。盾持ちが彼の先を歩いていた。』
 今に至るまで語られ続けてきたあの有名なゴリヤテが、ペリシテ人の陣営からイスラエルの前に現われます。彼のような人物は今の時代にいませんし、恐らくこれからも出ないかもしれません。ゴリヤテ『の背の高さは六キュビト半』ですが、1キュビトは44cmですから、286cmの身長でした。229cmあったNBAの姚明でさえゴリヤテに比べれば小さいほどです。これは背の小さな成人女性を縦に2人繋げたのと同じぐらいです。正に驚くべき背の高さです。ゴリヤテはその身長だけでもう敵を打ち負かせていたでしょう。人間は自分より大きい者を恐れる傾向があるからです。彼の生まれた『ガテ』は、アゼカから20kmほど南西に離れており、地中海の沿岸からはかなり離れています。ガザからは北東に40kmぐらいの場所です。彼の身体は大きく、筋肉の量もかなりあったでしょうから、その身には『五千シェケル』すなわち57kgもの鎧を着けていました。これは成人男性を常に背負っているのと同じです。普通の人間では考えられません。このゴリアテは、その肩に背負っている巨大な『青銅の投げ槍』を自分の武器としていました。振り回したり、突いたり、投げたりしていたのでしょう。『槍の穂先は、鉄で六百シェケル』すなわち約7kgありましたので、たとえ投げたとしても、敵が拾って再利用することは難しかったはずです。ゴリアテにとっては使い勝手の良い武器だったわけです。彼の身体は防具で覆われていました。また、その前には盾持ちがいて盾でゴリアテを守っていました。これは身体が大きかったため飛び道具に当たりやすかったからなのでしょう。もし防御をきちんとしていなければ彼は愚かだったことになります。このような大男はこれまでに全く見られなかったというわけでもありませんでした。大洪水の前には巨人がいましたし(創世記6:4)、モーセの時代にも背の高いネフェリム人がいました(民数記13:33)。しかし、ダビデの時代にこのような大男はかなり珍しかったはずです。

 どうしてゴリアテのような大男がダビデの時代に、イスラエルの前に現われたのでしょうか。これは神がダビデの足台とさせるためでした。ゴリアテのような猛者をダビデが倒せば、ダビデは輝かしい名誉を得ることになります。神はダビデを高めようとしておられました。ですから、神はゴリアテがダビデの時代に調度良く現われるようゴリアテを生まれさせておられたのです。最強の戦士を倒すことほど大きな名誉となる行為は珍しいのです。小物を倒してもそこまで大きな名誉とはなりません。

【17:8~10】
『ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」そのペリシテ人はまた言った。「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」』
 ゴリヤテは、ごつごつした野性的な口調で、1対1の戦いをするようイスラエルに提案します。大勢で攻められたら流石にゴリヤテも危険だと思っていたのかもしれません。彼は相手が1人であれば必ず勝てると思っていたはずです。何故なら、もし勝算がなければどうして自分から1対1で戦おうと提案したでしょうか。ゴリヤテは自分の強さに絶対的な自信を持っていたのでしょう。この提案はまともであり卑怯な点がありません。彼は真っ当な戦いをしようとしているだけです。もしイスラエル人が勝ちたければイスラエル人は強い勇士を戦わせればいいのだからです。勝負の条件・立場はどちらも一緒でした。

 ゴリヤテはイスラエルを憎む敵でしたから、負けたイスラエル人を奴隷にすることで、神とその聖なる群れを嬲(なぶ)ろうとしていました。というのもイスラエル人を奴隷にすることは、ゴリヤテにとって神とその陣営を踏みつけることだったからです。これは何と悪魔的でしょうか。彼は許し難い邪悪な冒涜者でした。

【17:11】
『サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。』
 ゴリヤテの言葉を聞いたサウルたちは、大いに絶望し、戦う気力を失いました。これは例えるならば、公園で遊んでいる子どもたちに鍛え抜いた男が戦いを挑むようなものだからです。子どもたちの中で、誰があえてこのような大人に挑戦しようとするでしょうか。もし戦っても打ち負かされるのは目に見えています。というのも身体の大きさと力があまりにも違い過ぎるからです。

【17:12~15】
『ダビデはユダのベツレヘムのエフラテ人でエッサイという名の人の息子であった。エッサイには八人の息子がいた。この人はサウルの時代には、年をとって老人になっていた。エッサイの上の三人の息子たちは、サウルに従って戦いに出て行った。戦いに行った三人の息子の名は、長男エリアブ、次男アビナダブ、三男シャマであった。ダビデは末っ子で、上の三人がサウルに従って出ていた。ダビデは、サウルのところへ行ったり、帰ったりしていた。ベツレヘムの父の羊を飼うためであった。』
 ダビデとその家族のことが示されています。ダビデとその父エッサイはユダ族であり、ダビデは『ベツレヘムのエフラテ人』でした。エッサイは『八人の息子』を持っていましたが、このような多産は古代イスラエルで普通のことでした。この「8」(人)という数字に象徴的な意味は含まれていないはずです。エッサイの息子の中で、ダビデは『末っ子』であり、最も低い位置にいました。ところが神はダビデが低かったからこそ高みに引き上げられたのです。それが神のやり方だからです。エッサイの息子のうち、上の三人は『サウルに従って戦いに出て行』きました。人間の王に徴集されるのは、イスラエル人が人間の王を求めたからです。もしイスラエル人が神を退けなければ、この三人も他のイスラエル人と同様、人間に服する必要などなかったはずです。このように人間に服従しなければいけなくなったのは自業自得でした。神にだけ徴集されていたほうがどれだけよかったでしょうか。ダビデもサウルに奉公していましたが、彼には『父の羊を飼う』羊飼いの仕事もありました。ですから、『ダビデは、サウルのところへ行ったり、帰ったりしてい』ました。今で言えば「掛け持ち」というやつです。

 キリストは、ダビデが住んでいたのと同じベツレヘムのエフラテという場所で御生まれになりました。ミカはキリストの生誕についてこう預言しました。『ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。』(ミカ5章2節)これはダビデがキリストを予表する人物だったからです。神はこのようにダビデとキリストが対応するよう仕組んでおられました。つまり、偶然にダビデの住まいとキリストの生誕地が一致したのではありません。

【17:16】
『例のペリシテ人は、四十日間、朝早くと夕暮れに出て来て姿を現わした。』
 ゴリヤテは、『四十日間』も『朝早くと夕暮れに出て来て姿を現わし』ていました。これはイスラエルが対戦相手を出さなかったので、ずっとゴリヤテが待ち続けていたからです。この『四十日間』というのは、それが十分な期間だったことを意味しています。しかし、この日数は象徴的な意味を持ちながら実際の日数でもあります。イスラエルが対戦相手を出せないままでいたのは無理もありませんでした。何故なら、普通に考えて、ゴリヤテに勝てそうな戦士は誰もいなかったからです。「人類最強の男」と呼ばれたマイク・タイソンがこの時、イスラエルの陣営にいたとしても、ゴリヤテを打ち負かすことはできなかったでしょう。タイソンの身長は178cmしかありませんでしたから。古代ギリシャで最強のレスラーとして名高かったミロンでも無理だったかもしれません。

【17:17~22】
『エッサイは息子のダビデに言った。「さあ、兄さんたちのために、この炒り麦一エパと、このパン十個を取り、兄さんたちの陣営に急いで持って行きなさい。この十個のチーズは千人隊の長に届け、兄さんたちの安否を調べなさい。そしてしるしを持って来なさい。サウルと兄さんたち、それにイスラエルの人たちはみな、エラの谷でペリシテ人と戦っているのだから。」ダビデは翌朝早く、羊を番人に預け、エッサイが命じたとおりに、品物を持って出かけた。彼が野営地に来ると、軍勢はときの声をあげて、陣地に出るところであった。イスラエル人とペリシテ人とは、それぞれ向かい合って陣を敷いていた。ダビデは、その品物を武器を守る者に預け、陣地に走って行き、兄たちの安否を尋ねた。』
 エッサイは3人の息子たちの安否を確かめるため、ダビデを食料と共に戦地へ行かせます。食料を持って行かせたのは、手ぶらで行ったら冷やかしに来たと思われかねないからでしょう。ダビデのいたベツレヘムから戦場のエラまでは、西に30kmほど離れています。エッサイはダビデに3人が生きている『しるし』を持って来るよう命じます。これはエッサイが3人の安否をしっかり知るためです。エッサイ自身は戦場に行きませんでした。『年をとって老人になっていた』(Ⅰサムエル17:12)からです。

 ダビデは父エッサイの命令に従い、飼っていた羊を番人に預け、兄たちのいる戦場まで行きます。そして戦場に着いたら『兄たちの安否を尋ね』ました。ダビデが父の命令通りにしたのは正しいことでした。聖書にはこう書かれているからです。『あなたを生んだ父の言うことを聞け。』(箴言23:22)ダビデがこのようにしたのは『父と母を敬え。』という律法に適ったことでした。

【17:23~24】
『ダビデが兄たちと話していると、ちょうどその時、ガテのペリシテ人で、その名をゴリヤテという代表戦士が、ペリシテ人の陣地から上って来て、いつもと同じ文句をくり返した。ダビデはこれを聞いた。イスラエルの人はみな、この男を見たとき、その前を逃げて、非常に恐れた。』
 ゴリヤテが、いつものようにイスラエルの前へと現われ、傲慢な言葉を口にすると、イスラエル人は恐れて逃げ去ります。ダビデもこの言葉を聞きました。この男はこんなことを40日も続けていたのです。彼が嬲っていたのは神の聖なる陣営でした。これでは神の裁きを免れるはずがありません。実際、これからゴリヤテは神の裁きを受けることになります。神がゴリヤテの傲慢を40日も放置しておかれたのは、彼が裁きを受けて殺されるためでした。神はその裁きにおいてダビデを高めようとしておられました。この40日の間に両軍の衝突は起きていませんでした。どちらの軍勢も敗北する可能性を恐れたのでじっとしていたのでしょう。もし高い勝算があれば、1対1の勝負など無視して、どちらか一方が敵の陣営に攻め込んでいたはずです。

【17:25~27】
『イスラエルの人たちは言った。「あの上って来た男を見たか。イスラエルをなぶるために上って来たのだ。あれを殺す者がいれば、王はその者を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言った。「このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」民は、先のことばのように、彼を殺した者には、このようにされる、と答えた。』
 サウルは、ゴリヤテ退治に莫大な報いを約束していました。この怪物を倒さなければイスラエルが大変なことになるからです。強敵への勝利者に大きな報奨を与えるのは、今の時代に至るまでごく普通のことです。倒したいものの倒すのが難しいので報いを大きくするのです。サウルがゴリヤテ退治に約束していた報奨は破格の内容でした。勝利者には富と自由が与えられ、サウルの娘を娶りサウルと近親者になれるのです。この大きな報奨はゴリヤテがどれだけ脅威だったかよく示しています。ダビデは民が報奨について話しているのを聞いていたので、周囲の人に報奨のことを聞いて自分の耳でよく確かめようとしますが、その人はダビデに報奨のことを話しました。この人はまさかダビデがこれからゴリヤテに立ち向かうなどと思っていなかったでしょう。ただダビデから報奨について聞かれたので詳しく話し聞かせただけだったはずです。

 ここでダビデはゴリヤテを『この割礼を受けていないペリシテ人』と言って見下しています。これはゴリヤテが無割礼の死んだ異邦人だったからです。これは選民思想ですが不当な差別でもありませんでした。何故なら、古代において神は汚れた異邦人と御自分の聖なる民とをはっきり区別させておられたからです。神はユダヤ人が汚れた異邦人と交わらないように命じておられました。ですから、古代ユダヤ人が異邦人を見下すようになるのは自然であったと言えます。もし見下さなかったとすれば、好意や敬意が親交への道を開くことにもなり、その結果、ユダヤ人は異邦人と交わって汚染されることにもなったでしょう。ちょうど水の中に泥を混ぜたので水が汚くなってしまうように。しかし見下していれば、望ましくない親交から遠ざかることにもなります。

【17:28~30】
『兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして、言った。「いったいおまえはなぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう。」ダビデは言った。「私が今、何をしたというのですか。一言も話してはいけないのですか。」ダビデはエリアブから、ほかの人のほうを振り向いて、同じことを尋ねた。すると民は、先ほどと同じ返事をした。』
 ダビデが民と話していたら、長男のエリアブが野次馬で見に来ただけなんだろうと言ってダビデを叱りました。ダビデは実際そのような目的を持っていませんでした。またエリアブはダビデが『うぬぼれと悪い心』により来たのだとも言います。兄は往々にして弟を悪く考えてしまうのです。ダビデはただ父の命令に従って来ていただけでした。このエリアブは他の兄弟たちと、ダビデが油注ぎを受けたのを目にしていました(Ⅰサムエル16:13)。しかし、ダビデはまだ正式に王として歩んでいませんでした。このためエリアブはダビデを単なる弟としていつものように取り扱ったのです。もしダビデが王職に就いていたとすれば、このような取り扱いはしていなかったでしょう。ダビデが戦場に来たのは正しい目的からでした。彼は悪に関して『何をしたという』のでもありませんでした。ですから『一言も話してはいけない』ということはありませんでした。話すべきでなかったのは、むしろダビデに対するエリアブの意地悪い言葉のほうでした。

 ダビデは意地の悪い兄など無視し、民のほうを振り向き、報奨のことを再び聞いて確認しました。これはダビデがゴリヤテと戦うつもりでいたからです。神に敵する傲慢な怪物を打ち倒してやろうという激しい義憤の炎が、王からの報奨という油で更にその勢いを増していました。ゴリヤテの巨体が齎す恐れは完全にこの炎で消し去られていました。これでダビデが報奨について聞いたのは3回目です。ダビデが短時間のうちに3回も繰り返し報奨のことを聞いたのは、3回の繰り返しには確認の意味があると教えている律法に適ったことでした。

【17:31~33】
『ダビデが言ったことを人々が聞いて、それをサウルに知らせたので、サウルはダビデを呼び寄せた。ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」サウルはダビデに言った。「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」』
 ダビデが怪物と戦おうとしていたので、そのことを知ったサウルはダビデを呼び寄せます。この時は誰もがダビデの言葉に驚いていたはずです。ダビデは、自分が怪物を退治するからもう心配は無用だとサウルに言います。これは何という勇気、何という自信、何という意気でしょうか。他の全ての人々が震え慄いているのに、ダビデ一人だけが大いに奮い立っているのです。ルターやコペルニクスもこのようでした。ルターはカトリックが傲慢な支配をしている中において、一人でカトリックに立ち向かいました。コペルニクスも天動説が絶対的な主流の時代にあって、地動説に堅く立ち続け、最後までそれから離れることがありませんでした。しかし、サウルは意気込むダビデに対し勝つことなどできないと宣言します。ダビデの体格が不十分であるというわけではありませんでした(Ⅰサムエル16:18)。経験に問題があると思われたのです。ダビデは若くてまだ経験が足りないと思われるのに対し、怪物は『若い時から戦士だった』からです。経験がモノを言う場合は決して少なくありません。サウルはそのことをよく弁えていました。ですから、普通に考えるならば、ここでサウルが何かおかしいことを言ったというわけではありません。サウル以外のユダヤ人もサウルと同じように言ったはずです。私たちも、もしサウルの陣営にいたとすれば、サウルと同様のことを思ったり言ったかもしれません。ダビデとゴリヤテが戦うのは、小人と巨人が戦うのと一緒だからです。

【17:34~37】
『ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」』
 ダビデは、これまで自分が羊を救い出す際に神から助けられた経験に基づいて強い自信を見せます。確かに神はこれまでダビデを強い動物から救い出しておられました。「しかし、動物には打ち勝ててもゴリヤテに打ち勝てるとは限らない。」と思う人もいたかもしれません。ダビデはゴリヤテも動物と同じように打ち殺せる確信がありました。何故なら、ゴリヤテは『生ける神の陣をなぶった』からです。このような罪を犯していたゴリヤテは裁かれて死ぬに値します。ですから、ダビデは冒瀆罪を犯しているゴリヤテに必ず勝てると確信していました。実際、これから神は裁きとしてダビデにゴリヤテを打ち取らせました。ダビデはこれまで神に助けられていたからこそ、ゴリヤテからも助けられると確信できたのです。もしダビデが全く動物から助け出された経験を持っていなければ、ゴリヤテに対する勇敢さを持てていたかどうか分かりません。流石にダビデといえども神から助けられるという確信なしに大怪物を打ち倒せるとは思わなかったでしょうから。もし神の助けを確信できなければ、ダビデもゴリヤテを目にして恐れていた可能性が十分にあります。