【Ⅰサムエル記28:9~31:1】(2022/12/11)


【28:9~10】
『すると、この女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち滅ぼされたことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちにわなをかけて、私を殺そうとするのですか。」サウルは主にかけて彼女に誓って言った。「主は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」』
 霊媒女の名前は分かりませんが、彼女はサウルから霊媒の業を求められたことで恐れてしまいます。これは「死ね」と言われることも同然だったからです。もしサウルの求め通りに霊媒を行なえば、やがてサウルに知られて処罰されると思ったからです。状況を考えればサウルのした行ないは無思慮だったのです。しかし、霊媒を求めたのは霊媒の追放者であるサウル自身でしたから、彼女がサウルに罰せられる危険は全くありませんでした。ですから、サウルは彼女が全く安全であると主において誓いつつ安心させようとしています。この出来事からも分かる通り、サウルは滅茶苦茶な人でした。自分で霊媒を追い出しておきながら、その追い出した霊媒を自分から進んで求め、霊媒という罪を愚かにも犯そうとし、霊媒女が尻込みすると聖なる主において誓いつつ安心させようとする。これがサウルという愚か者なのです。イカレて異常になった犬でさえ、これほどまで狂うことは出来なかったでしょう。キャンキャン吠え叫んでいる犬のほうがまだまともでした。

 この通り、サウルは神から離れていたのに、『主は生きておられる。』などと主において誓っています。このことから分かる通り、主において敬虔らしい誓いを立てたからといっても、その人が必ずしもまともな聖徒であるということはありません。キリストから悪魔の子だと言われたパリサイ人たちも、敬虔らしい誓いを立てていたのです。まともでない者も敬虔らしい誓いをするということ、これを私たちは知るべきです。問題なのは、誓いをするかしないかということより、その人が主の御前に正しく歩んでいるかいないかということです。全く誓いをしないものの御前に正しく歩んでいる人であれば、サウルやパリサイ人たちのように誓うので敬虔だと感じられるものの正しく歩んでいない人とは異なり、本当にまともな聖徒なのです。

【28:11~15】
『すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」』
 サウルはサムエルの呼び出しを霊媒女に求めましたが、既に見た通り、サムエルはもう死んでいます。しかし、サムエルの霊すなわち魂はずっと生きていました。この魂を呼び出すようサウルは求めたわけです。もしサムエルの魂を呼び出せたならば、今の悲惨な状況においてどのようにすればいいか教えてもらえると期待したからです。神は教えて下さいませんでしたから、今度は神の愛された祭司であるサムエルを求めたのです。サウルがこのようにしたのは自然でした。何故なら、神を除けばサムエルほど信頼できる存在は他にいなかったからです。

 サウルが霊媒女にサムエルを呼び出すよう求めると、霊媒女は本当にサムエルを呼び出しました。彼女の前にサムエルが現われたのです。サムエルとサウルの会話から考えれば、このサムエルは本物でした。霊媒女はサムエルを見て非常に驚き、自分に霊媒を求めたのがサウルだったと悟ります。恐らく、女の鋭い勘により分かったのかもしれません。そうでなければ、サムエルが何かサウルのことについて語ったのでしょう。聖書を見る限りでは、このどちらだったか分かりません。どちらが本当だったかは分かりません。サムエルが出て来たので、サウルは今の悲惨な状況をサムエルに聞かせます。そうすれば解決の言葉や助かる導きや慰めが得られると思ったのです。そう思ったからこそ霊媒においてサムエルを求めたわけです。

 聖書から分かる通り、この霊媒という業は罪の行ないです。それは神の御心に適っていません。しかし、この霊媒をするとサムエルが実際に現われました。これはどういうわけなのでしょうか。これは神がこの罪の行ないを、サウルに対する裁きのため用いられたということです。続く箇所を見れば分かる通り、霊媒でサムエルを求めたのはサウルに何も良い益がありませんでした。それどころかサウルは苦しむことになりました。神は罪の行ないを通して裁きが実現されるようにされる御方です。ですから、少なくともこの時は、霊媒という罪が特別的・例外的に有効な働きをしたのです。霊媒は罪ですから、霊媒女は普段であれば悪霊を呼び出すだけであり、本物のサムエルを呼び出すということは決して出来ませんでした。

【28:16】
『サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。』
 サウルの言葉を聞いたサムエルは、呆れて幾らか憤慨します。サウルはもう神の敵となっているのに、サムエルを通じて神の助けを得ようとしたからです。これは最高裁判所で死刑判決を受けた死刑囚が、弁護士を通じて裁判官に助けてくれるよう懇願するのと似ています。そんなことをしても裁判官は動かないでしょうし、弁護士も何一つ成し遂げられないでしょう。つまり、サウルは無意味で愚かなことをしていました。

【28:17~19】
『主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」』
 サウルはサムエルから良い言葉を聞きたかったのですが、サムエルから返って来たのは断罪と裁きを告げる喜ばしくない言葉でした。サムエルは、サウルが罪を犯したのでこうして悲惨に陥ったのだと告げます。幸いな言葉はサウルに与えられませんでした。またサムエルは、これからサウルとイスラエルがペリシテ人の手に渡され、サウルが息子たちと明日に死ぬことを預言します。この死はサウルが犯した罪の罰におけるクライマックスでした。ここで神の御怒りは極みに達するのです。サムエルが『あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。』と言ったのは、サムエルが死んだようにサウルとその息子たちもこれから死ぬという意味です。サウルがサムエルと同じく至福と平安の状態に入るという意味で『私といっしょになろう。』と言われたのではなかったはずです。何故なら、恐らくサウルは永遠の幸いに入れなかったと思われるからです。神の敵となったサウルが天国の恵みを受けられたとは考えにくいのです。ですから、サウルは死ぬという点でサムエルと一緒だったものの、サムエルのように天国へは行けなかったでしょう。このようになったのは全てサウルが罪を犯したからでした。一切はサウルの自業自得だったのです。

 もし罪を犯すならばこのように悲惨な状態となりかねません。罪に対して神は呪いを下されるからです。私たちの前にはサウルという教訓が置かれています。罪を犯して呪いが注がれるようにするか、それとも正しく歩んで祝福を得られるようにするか。聖徒たちはサウルのようにならないため、前者を避けるべきです。神も私たちがそのようになるのを望んではおられません。

【28:20】
『すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。』
 サムエルから恐ろしい宣告を聞かされたサウルは、聞いた途端、急に倒れてしまいます。ペリシテ人の齎す絶望感に恐るべき宣告の恐怖感が積み重なりました。またサウルは非常に空腹だったので健全な状態を保てていませんでした。あまりの空腹によりフラフラして倒れそうになった経験を持たない人は恐らくいないはずです。この2つが重なりサウルを押し潰したので、倒れずにはいられませんでした。これは既に荷物を長らく運んでいるので疲れて弱々しくなったロバに、更に大きな荷物を背負わせるのと一緒です。このようなロバが立ち続けることは不可能です。倒れたサウルは『棒のようにな』り、全く動かなくなります。恐怖と空腹のダブルパンチによりKOされたので、もはやサウルに動く力はありませんでした。しかし、まだ死んでのではありません。このようになったのはサウルへの裁きです。これから間もなくサウルは死ぬことになります。ですから、この時に倒れたのは死の前触れだったと捉えて問題ないでしょう。ナバルにもこういった死の前兆がありました(Ⅰサムエル25:37~38)。この2人はどちらも神に敵対する罪深い愚か者でした。

【28:21~25】
『女はサウルのところに来て、サウルが非常におびえているのを見て彼に言った。「あなたのはしためは、あなたの言われたことに聞き従いました。私は自分のいのちをかけて、あなたが言われた命令に従いました。今度はどうか、あなたがこのはしための言うことを聞き入れてください。パンを少し差し上げますから、それを食べてください。お帰りのとき、元気になられるでしょう。」サウルは、これを断って、「食べたくない。」と言った。しかし、彼の家来とこの女がしきりに勧めたので、サウルはその言うことを聞き入れて地面から立ち上がり、床の上にすわった。この女の家に肥えた子牛がいたので、急いでそれをほふり、また、小麦粉を取って練り、種を入れないパンを焼いた。それをサウルとその家来たちの前に差し出すと、彼らはそれを食べた。その夜、彼らは立ち去った。』
 サムエルから告げられた恐るべき言葉により苦悩しているサウルを見た霊媒女は、サウルに軽食を与えて元気づけようとします。元気づけても、もう明日には死んでしまうのですが。これは死刑囚が死刑を受ける直前に食事するのと似ていなくもありません。霊媒女は命懸けてサウルに聞き従ったので、今度はサウルが自分の求めに応じてほしいと言います(21~22節)。これは理に適った求めでした。この求めをサウルは断りますが、サウルはイスラエルの主権者だったので、断るのも受け入れるのも全く自由でした。しかし、『彼の家来とこの女がしきりに勧めたので、サウルはその言うことを聞き入れ』ました。何度も言えば君主でさえ受け入れるものなのです。『忍耐強く説けば、首領も納得する。』と箴言で書かれている通りです。ところで、霊媒女はどうしてサウルに食物を与えて元気づけようとしたのでしょうか。聖書はその理由を詳しく示していません。女の慈愛また母性本能からだったのでしょうか。それとも君主に対する当然の義務感からだったのでしょうか。またはサウルが疲れのせいで狂って霊媒女と共死にすることを恐れたからでしょうか。どれだったかは分かりませんが、恐らく慈愛のためこうした可能性が高いと思われます。この時に霊媒女が『種を入れないパン』を差し出したのは、『急いで』いたからです。これは単に急いでいたからであり、種無しのパンを食べる過ぎ越し祭とは何も関連が無かったはずです。差し出された食物は、サウルだけでなくサウルの家来たちも食べました。恐らく家来たちも空腹で疲れていたのでしょう。

【29:1~2】
『さて、ペリシテ人は全軍をアフェクに集結し、イスラエル人はイズレエルにある泉のほとりに陣を敷いた。ペリシテ人の領主たちは、百人隊、あるいは千人隊を率いて進み、ダビデとその部下は、アキシュといっしょに、そのあとに続いた。』
 イスラエル人とペリシテ人の戦いがまた一歩進みました。前に敷いた陣営を別の場所へと移したのです。ペリシテ軍は『シュネム』(Ⅰサムエル28章4節)から30kmほど北西の『アフェク』に移り、イスラエル軍は『ギルボア』(Ⅰサムエル28章4節)からやや北の『イズレエル』に移りました。古代の戦争において陣営を移動させるのは珍しくありません。ダビデはアキシュの求めに応じ(Ⅰサムエル28:1~2)、自分の意志でペリシテ軍と共に来ていました。これからイスラエルの王になるダビデが、イスラエルと戦おうとするのは何とも不思議な光景です。

【29:3】
『すると、ペリシテ人の首長たちは言った。「このヘブル人は何者ですか。」アキシュはペリシテ人の首長たちに言った。「確かにこれはイスラエルの王サウルの家来ダビデであるが、この一、二年、私のところにいて、彼が私のところに落ちのびて来て以来、今日まで、私は彼に何のあやまちも見つけなかった。」』
 イスラエル人であるダビデがアキシュ王と共に来ているのを見たペリシテ人の首長たちは、イスラエル人との戦いにイスラエル人がいることを訝りました。ダビデがアキシュとペリシテ軍を裏切ったら大変なことになりかねないからです。首長たちが心配したのは自然でした。しかし、アキシュはダビデを完全に信頼していました。ダビデはアキシュによく仕えていましたし、主の御恵みにより上手くアキシュを欺くことが出来ていたからです。信頼していたからこそ、対イスラエル戦であるにもかかわらず、アキシュはイスラエル人のダビデを連れて来ていたのです。これは凄まじい信頼です。もしダビデへの信頼に僅かでも欠けがあったならば、アキシュは恐らくこの戦いにダビデを連れて行かなかったかもしれません。

【29:4~5】
『しかし、ペリシテ人の首長たちはアキシュに対して腹を立てた。ペリシテ人の首長たちは彼に言った。「この男を帰らせてください。あなたが指定した場所に帰し、私たちといっしょに戦いに行かせないでください。戦いの最中に、私たちを裏切るといけませんから。この男は、どんなことをして、主君の好意を得ようとするでしょうか。ここにいる人々の首を使わないでしょうか。この男は、みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』と言って歌っていたダビデではありませんか。」』
 アキシュはダビデを信頼していましたが、ペリシテ人の首長たちはダビデを信用していませんでした。何故なら、首長たちはダビデと直に交わっていなかったはずだからです。誰であれ実際に交友するからこそ、その人のことがよく分かります。このため、ダビデとあまり関係を持たない首長たちはダビデがどれだけ信頼できる人物なのか分かりませんでした。彼らもアキシュのようにダビデと関係を持っていたとすれば、ダビデが信頼できる人物であると思っていたでしょう。領主たちはダビデを信用していなかったので、ダビデを戦いのメンバーから外すようアキシュに求めます。ダビデを信用していなかったので、領主たちがこのように求めたのは当然でした。私たちにしても、例えば中国から反日家として知られる政治家が日本に来て何か政治活動を行なっていたとすれば、その政治家をあえて信用しようとするでしょうか。恐らく、多くの人が疑いの目でその政治家を見るでしょう。ペリシテ人の首長たちがダビデを疑いの目で見たのも、これと同じでした。この首長たちは『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』という歌を知っていました。一般のペリシテ人やアキシュも当然ながらこの歌を知っていたはずです。ダビデが非常に強く、そのため民から正しく持ち上げられていたのは、この歌からも明らかでした。このようなダビデが、イスラエルの王サウルを喜ばせるため、本格的な戦いが始まってから、ペリシテ人の首長たちを裏切って殺すのではないか。このような恐れをペリシテ人の首長たちは抱いたのでした。ダビデがこのようなことをしたかどうか実際は分かりません。していたかもしれないし、していなかったかもしれません。アキシュの場合、まさかダビデがそんなことをするとは少しも思わなかったでしょう。しかし、ペリシテ人の首長たちはダビデであればそういったことをしかねないと思いました。このため、首長たちはダビデがペリシテ人の皆と一緒に戦うことを望まなかったのです。首長たちのこの考えに不思議なところは全くありません。

【29:6~7】
『そこでアキシュはダビデを呼んで言った。「主は生きておられる。あなたは正しい人だ。私は、あなたに陣営で、私と行動を共にしてもらいたかった。あなたが私のところに来てから今日まで、私はあなたに何の悪いところも見つけなかったのだから。しかし、あの領主たちは、あなたを良いと思っていない。だから今のところ、穏やかに帰ってくれ。ペリシテ人の領主たちの、気に入らないことはしないでくれ。」』
 領主たちの言葉を聞いたアキシュは、領主たちの求めに屈する形で仕方なくダビデを帰らせようとします。アキシュは出来るならばダビデを共に連れて行きたいと思っていました。ここでのアキシュの言葉からは残念さがよく感じられます。領主たちの言葉にアキシュが揺り動かされ、ダビデに対する信頼が揺らいだということはありませんでした。何故なら、ダビデにはこれまで全く問題点が見られなかったからです。アキシュはこれからも問題点は見られないと思っていたはずです。アキシュのダビデに対する信頼はほとんど無限だったはずです。ダビデのように忠実となれば、この通り敵の支配者にさえ信頼されることが可能となります。

【29:8~11】
『ダビデはアキシュに言った。「私が何をしたというのでしょうか。私があなたに仕えた日から今日まで、このしもべに何か、あやまちでもあったのでしょうか。王さまの敵と戦うために私が出陣できないとは。」アキシュはダビデに答えて言った。「私は、あなたが神の使いのように正しいということを知っている。だが、ペリシテ人の首長たちが、『彼はわれわれといっしょに戦いに行ってはならない。』と言ったのだ。さあ、あなたは、いっしょに来たあなたの君主のしもべたちと、あしたの朝、早く起きなさい。朝早く起きて、明るくなったら出かけなさい。」そこで、ダビデとその部下は、翌朝早く、ペリシテ人の地へ帰って行った。ペリシテ人はイズレエルへ上って行った。』
 帰るよう求められたダビデは、あくまでもアキシュに忠実であることを言葉で示します。アキシュがダビデを連れて行くことも不可能では無かったでしょう。しかし、そうすればアキシュと領主たちの関係が悪くなりかねません。重要な戦争の際、そのようになることは危険です。ダビデを帰したほうが無難だったのは、愚か者でもなければ誰でも分かりました。ですから、アキシュは自分の意志でなかったもののダビデを帰したのです。つまり、アキシュは妥協したことになります。そして、ダビデはアキシュの求め通り、翌朝になって帰りました。ダビデがこの時に何を思ったのか、また何を言ったのかは、書かれていないので分かりません。

 こうしてダビデを排除したペリシテ軍は、ユダヤ軍が陣を敷いている『イズレエルへ上って行』きました。先に歩み寄ったのはペリシテ軍のほうでした。

【30:1~5】
『ダビデとその部下が、三日目にツィケラグに帰ってみると、アマレク人がネゲブとツィケラグを襲ったあとだった。彼らはツィケラグを攻撃して、これを火で焼き払い、そこにいた女たちを、子どももおとなもみな、とりこにし、ひとりも殺さず、自分たちの所に連れて去った。ダビデとその部下が、この町に着いたとき、町は火で焼かれており、彼らの妻も、息子も、娘たちも連れ去られていた。ダビデも、彼といっしょにいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。ダビデのふたりの妻、イズレエル人アヒノアムも、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルも連れ去られていた。』
 アキシュから帰るよう求められたダビデは、ツィケラグに家来たちと帰りますが、ダビデと家来たちの家族はここに残されていました。家族たちを戦いに連れて行くわけにはいかなかったからです。普通に考えて、戦士でない者たちまで戦争に参加させるというのはどうかしています。ツィケラグに家族たちを置いて行くならば、当然ながら家族たちが敵に襲われる恐れは高まります。それは親が子どもたちを家に残して外出するのと一緒だからです。親が出て家に子どもだけとなれば、悪い者は家やそこにいる子どもたちを狙い易くなるでしょう。しかし、だからといって家族までイスラエルとの戦いに連れて行けませんでした。この『ツィケラグ』は先に見た通り、アキシュからダビデに与えられたペリシテ人の領土でした(Ⅰサムエル27:6)。ダビデたちがペリシテ軍から離れてツィケラグに帰るまでは『三日』かかりました。ペリシテ軍のいた『アフェク』(Ⅰサムエル29章1節)からツィケラグまでは南に100km以上も離れていたからです。ダビデたちがツィケラグに帰ったところ、そこに残してきた家族たちはアマレク人に拉致されて全ていなくなっていました。これは子どもだけを残して外出した親が帰って来た際、留守番をしていた子どもたちが全て連れ去られていたのと同じです。これは悲劇としか言いようがありません。このため、ダビデと家来たちは大いに悲しんで泣きます。泣いたのは無理もありませんでした。この状況で泣かなければかえっておかしかったでしょう。アマレク人とはイスラエルの宿敵であり、イスラエルを憎んでいたからこそ、このように酷いことをしたのです。サウルがもし神にきちんと従い、アマレク人を絶滅させていたとすれば、決してこういった悲劇は起こらなかったでしょう。ですから、この悲劇の原因は元を辿ればサウルが愚かで罪深かったことに求められます。

 しかしながら、アマレク人たちはダビデたちの家族を『ひとりも殺さず』、ただ『とりこにし』て略奪しただけでした。アマレク人はどうしてイスラエル人を全く殺さなかったのでしょうか。ダビデに復讐されるのを避けるためだったのでしょうか。イスラエルと交渉するカードを得るため人質にしたかったのでしょうか。後の箇所を見ると、アマレク人は戦利品として家族たちを奪ったことが分かります(Ⅰサムエル30:16)。つまり、単なる強奪でした。このようにダビデたちの家族が殺されなかったのは、神がアマレク人たちに血を流さないよう働きかけておられたからです。その働きかけは恵みと憐れみによりました。「不幸中の幸い」とは正にこのことです。もし神が働きかけて下さらなければ、アマレク人はダビデたちの家族を皆殺しにしていたかもしれません。その場合、ダビデたちの悲しみは略奪されただけの場合と比べ数百倍に増し加わっていたでしょう。

【30:6】
『ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。』
 家来たちは略奪の責任をダビデに求めましたから、ダビデは大いに悩まされました。ダビデはリーダーでしたから悲惨の責任を負うとすればダビデ以外にいなかったからです。神に責任を求めることは全く出来ませんでしたし、そもそも神に責任などありませんでした。家来たちにも責任が帰せられるべきではありません。よく不祥事の責任を取って辞任する社長や会長がいますけども、トップが責任を負うべきなのは明らかです。ダビデもそのことが分かっていたからこそ、民に責められて悩まされたわけです。

【30:6~10】
『しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。ダビデが、アヒメレクの子、祭司エブヤタルに、「エポデを持って来なさい。」と言ったので、エブヤタルはエポデをダビデのところに持って来た。ダビデは主に伺って言った。「あの略奪隊を負うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」するとお答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」そこでダビデは六百人の部下とともに出て行き、ベソル川まで来た。残された者は、そこにとどまった。ダビデと四百人の者は追撃を続け、疲れきってベソル川を渡ることのできなかった二百人の者は、そこにとどまった。』
 苦悩させられたダビデでしたが、『主によって奮い立』ち、主を頼りました。すなわち、ダビデは神に伺いを立ててどうすべきか答えていただこうとしました。そのため、ダビデは祭司エブヤタルにエポデを持って来させます。このエポデは古代のユダヤ人が御心を伺う際に使っていた祭儀用具です。ダビデが神に伺うと、神は必ずペリシテ人から家族たちを救い出せると答えられました。ダビデが神とその答えに信頼し、動き、救い出すことこそ御心でした。ですから、敬虔なダビデは神から言われた通りに略奪隊を追いかけます。この箇所では書かれていませんが、ダビデは家来たちに伺ったことを話して聞かせたはずです。私たちも危機に陥った際は、ダビデのように伺いを立てるべきでしょう。それが罪により下された危機でない限り、神は答えと解決を与えて下さいます。しかし、それが罪による悲惨であれば、伺っても答えを得られないことがあるかもしれません。サウルが正にこのようだったのです(Ⅰサムエル28:6)。

 こうしてダビデは『六百人の部下とともに出て行き』ましたが、600人の家来たち全員が出陣したのは、彼らが全て家族を取り返すべく奮い立ったからでしょう。しかし、ベソル川まで来ると、疲れ果てた『二百人の者』がそこに留まります。あまりにも猛スピードで進んだゆえ体力を消耗し過ぎたのでしょう。ダビデは体力が残っている『四百人の者』と共に再び追撃を続けました。キリストが言われたように『心は燃えていても、肉体は弱いのです。』(マタイ26:41)精神的にどれだけ張り切っていても、身体のほうが精神に付いて行かないというのは、私たちがしばしば経験することです。

【30:11~12】
『彼らはひとりのエジプト人を野原で見つけ、ダビデのところに連れて来た。彼らは彼にパンをやって食べさせ、水も飲ませた。さらに、ひとかたまりの干しいちじくと、二ふさの干しぶどうをやると、彼はそれを食べて元気を回復した。三日三晩、パンも食べず、水も飲んでいなかったからである。』
 神の御計画により、ダビデたちの前にあるエジプト人が現われたので、家来たちはそのエジプト人をダビデのもとへ連れて行きます。彼は『三日三晩』何も飲み食いしていませんでした。これは実際の日数ですが、本当に何も飲み食いしていなかったことを強調してもいます。何故なら、3日とは1日が3度繰り返されることだからです。ダビデたちは、このエジプト人に飲食を与えて助けます。するとエジプト人は元気を回復して良くなりました。彼は『アマレク人の奴隷』(Ⅰサムエル30章13節)でしたが、このことをダビデたちはまだ知りませんでした。もし知っていれば、家族たちを取り戻すため、このエジプト人を利用すべく助けるという考えが浮かんだかもしれません。しかし、彼がアマレク人の奴隷だと分かるのはこれからです。つまり、打算から助け飲食を与えたわけではありませんでした。ダビデたちは純粋に心からエジプト人を助けました。これは『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という戒め通りの行ないでした。ダビデは神に従う敬虔な聖徒でした。ですから、相手が異邦人、しかもかつてイスラエル人に酷くしたエジプト人であるにもかかわらず、ダビデは彼を助けたのです。この行ないは御心に適っていました。私たちもこうすることが求められています。相手が敵であってもそうです。『あなたの敵を愛せよ。』とキリストは言われました。私たちが今見ているダビデたちもエジプト人という敵に愛を行ないました。

 古代のユダヤ人が異邦人を神から見放された汚らわしい存在だと認識していたことは事実です。しかし、だからといって古代ユダヤ人が、異邦人に対し鬼のごとく振る舞ったというわけではありませんでした。ダビデがここでエジプト人にしている行ないを見てもそれは明らかです。ソロモンも、神殿に来て祈る異邦人の祈りが聞かれることを願いました(Ⅰ列王記8:41~43)。この神殿では、異邦人も庭でヤハウェに対する礼拝を行なうことが出来ました。古代ユダヤ人はローマの有力な政治家が亡くなった際、ローマまで葬式に出向きましたが、ユダヤ人ほど激しい悲しみを示した非ローマ人はいなかったといいます。この通り、古代ユダヤ人は『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という戒めを守っていました。ところが、今のユダヤ人は異なります。彼らはタルムードの教えに惑わされ、『隣人』という言葉が同胞だけを指していると限定します。タルムードでは、異邦人が相手であれば盗んでも罪にならない、などと明白な罪の行ないが教えられています。ですから、タルムードを奉じる今のユダヤ人は隣人を愛していません。何と忌まわしいことでしょうか。今のユダヤ人に、かつてのユダヤ人はいなくなりました。それは彼らが罪に罪を重ねて神から全く捨てられたからなのです(紀元70年)。

【30:13~15】
『ダビデは彼に言った。「おまえはだれのものか。どこから来たのか。」すると答えた。「私はエジプトの若者で、アマレク人の奴隷です。私が三日前に病気になったので、主人は私を置き去りにしたのです。私たちは、ケレテ人のネゲブと、ユダに属する地と、カレブのネゲブを襲い、ツィケラグを火で焼き払いました。」ダビデは彼に言った。「その略奪隊のところに案内できるか。」彼は答えた。「私を殺さず、主人の手に渡さないと、神かけて私に誓ってください。そうすれば、あなたをあの略奪隊のところに案内いたしましょう。」』
 ダビデがエジプト人に尋ねると、そのエジプト人が『アマレク人の奴隷』であったと分かります。ここで、「アマレク人は奴隷を持っていたからこそ残虐な民族だったのだ。」などと考える人がいれば、その考えは正しくありません。何故なら、古代では実に多くの民族が奴隷を持っていたからです。もし奴隷の所有を残虐さの証拠とするならば、キケロも奴隷を所有していたので残虐だったとせねばならないことになります。このエジプト人は病気になったので主人から置き去られたのでした。これは酷いことですが、これもやはりアマレク人の残虐さを示す証拠とは見做せません。古代において奴隷を酷く取り扱うのは一般的だったからです。この奴隷がかかった病気は、私たちにとってどうでもいいことです。エジプト人は、アマレク人がイスラエルとツィケラグに行なった暴虐を語ります。奴隷が話している通り、アマレク人はツィケラグ以外の場所も襲撃していました。アマレク人がこうしたのはサウルのせいでした。サウルがアマレク人を滅ぼさなかったので、このような害が生じることになったのです。つまり、サウルはアマレク人を滅ぼさないことで、多くの人々を害したことになります。

 ダビデたちは何としても略奪隊を見つけたかったので、この奴隷に道案内を求めますが、奴隷は自分に害を与えないと神かけて誓うならば道案内すると応じます。彼はアマレク人の所有物に過ぎず、しかも捨てられたのであり、更にはアマレク人ではありませんでした。ですから、彼には憐れむべき余地がかなりありました。彼はアマレク人でありませんから、必ず殺すべきだということもありません。ダビデも、もし彼が道案内をしてくれるのであれば殺すつもりは全く無かったはずです。こうしてこのエジプト人奴隷がダビデたちを案内することになります。

【30:16】
『彼がダビデを案内して行くと、ちょうど、彼らはその地いっぱいに散って飲み食いし、お祭り騒ぎをしていた。彼らがペリシテ人の地やユダの地から、非常に多くの分捕り物を奪ったからである。』
 エジプト人がダビデたちを案内したところ、アマレク人たちは分捕り物の祝いとして宴会に興じていました。彼らが『その地いっぱいに散って』飲み食いしたのは、高揚した精神状態を示しています。アマレク人がどこでお祭り騒ぎをしていたかは分かりません。エジプト人の奴隷が置き去りにされてから3日も経ったのですから、かなり遠くまで行っていたかもしれません。アマレク人が奪った略奪物は『多く』ありました。しかし、実際にどのぐらいの量だったかは分かりません。

【30:17~20】
『そこでダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを打った。らくだに乗って逃げた四百人の若い者たちのほかは、ひとりものがれおおせなかった。こうしてダビデは、アマレクが奪い取ったものを全部、取り戻した。彼のふたりの妻も取り戻した。彼らは、子どももおとなも、また息子、娘たちも、分捕り物も、彼らが奪われたものは、何一つ失わなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。ダビデはまた、すべての羊と牛を取った。彼らはこの家畜の先に立って導き、「これはダビデの分捕り物です。」と言った。』
 アマレク人のお祭り会場に着いたダビデたちは、アマレク人を打ち、彼らに奪われた略奪物を全て取り返します。それらはどれも全く害されていませんでした。神が御恵みにより守っておられたのです。神がダビデの手にアマレク人を渡されたので、アマレク人は全く対抗することが出来ませんでした。この時、ダビデは全く容赦しませんでした。サウルもこのようにすべきだったのです。サウルは欲に目が眩んで容赦しました。しかし、戦争の常ですが、網からこぼれ落ちる魚のように殺されないで逃げるアマレク人が『四百人』もいました。このように逃げる者が多く出てもダビデの責任ではありませんでした。何故なら、ダビデは情けをかけたり手加減していなかったはずであり、もしこの400人も殺すことが出来たら殺していたはずだからです。なお、ダビデがこのようにアマレク人を殺したのは全く問題ありませんでした。このアマレク人は神の滅びに定められた民族であり、必ず滅びるべきだったからです。もしダビデが殺していなかったとすれば、それこそ問題になっていました。アマレク人に暴虐を与えないのは、神の御心に対する霊的な暴虐だからです。

 20節目で書かれている『すべての羊と牛』とは、アマレク人が前から所有していた家畜を指します。これはダビデたちから奪った家畜と異なります。この羊と牛が『ダビデの分捕り物』になることを家来たちは同意しました(20節)。何故なら、ダビデは指揮官でありリーダーだったからです。社長もそうですが、トップに立つ者が最も多くの報酬を得るというのはごく自然なことです。

【30:21~25】
『ダビデが、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来たとき、彼らはダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデはこの人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。そのとき、ダビデといっしょに行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らはいっしょに行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物を、彼らに分けてやるわけにはいかない。ただ、めいめい自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」ダビデは言った。「兄弟たちよ。主が私たちに賜わった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」その日以来、ダビデはこれをイスラエルのおきてとし、定めとした。今日もそうである。』
 神により勝利を得たダビデは、疲れ果てたのでそれ以上進めなくなったあの『二百人の者』が留まったベソル川に戻り、彼らの『安否を尋ね』ました。ダビデは非難や軽蔑をせず、彼らを気遣いました。ダビデはこの200人たちが立ち止まったことを全く問題にしていません。状況を考えれば彼らが良く取り扱われなかったとしても不思議ではありません。もし指揮官がダビデでなければ、200人を悪く言う者も多くいたかもしれません。

 しかし、『意地の悪い、よこしまな者たちが』この200人は立ち止まったのだから分捕り物に与かる資格など持たないと主張します。聖書はこの非難者たちを『よこしま』だと言っています。彼らは神による勝利を全く考慮しておらず、ただ分捕り物を自分たちだけの獲得物にしたいという欲望しか考えていなかったからです。彼らの主張は理に適っていませんでした。彼らは断罪に値しました。

 ダビデはこの『よこしまな者たち』の主張を全く退け、200人の者たちも分捕り物に与かる資格があると言います。ダビデたちが追いかけたからこそアマレク人を打ち倒せたのではありません。神がアマレク人をダビデたちに渡されたからこそ、ダビデたちの追撃によりアマレク人が打ち倒されたのです。もし神がアマレク人をダビデたちに渡されなければ、ベソル川に留まらなかった400人の者たちがアマレク人を打ち倒すことは出来ませんでした。それゆえ、200人の者に分捕り物を与えるべきでないと言った者たちの主張は不当でした。こういうわけでダビデは、200人の者たちにも分捕り物を与えました。彼らはただ疲労したからこそそれ以上進めなくなっただけであり、まだ体力が残っていれば追撃を続けていただろうからです。明らかに彼らは分捕り物を受けることができます。勿論、彼らが臆病とか怠惰により立ち止まったとすれば話は別でした。しかし、彼らは肉体の限界から仕方なく立ち止まっただけでした。これ以降、ダビデはこの取り決めをイスラエルにおける法としました。これは神と人とを愛せよと命じる律法の精神に適っています。ですから、この法をダビデが勝手に考えた人間的な法だとするのは難しいでしょう。この法は『今日』に至るまで廃止されることがありませんでした。『今日』とは私たちが今見ているⅠサムエル書の書かれた時代です。

【30:26~31】
『ダビデはツィケラグに帰って、友人であるユダの長老たちに分捕り物のいくらかを送って言った。「これはあなたがたへの贈り物で、主の敵からの分捕り物の一部です。」その送り先は、ベテルの人々、ネゲブのラモテの人々、ヤティルの人々、アロエルの人々、シフモテの人々、エシュテモアの人々、ラカルの人々、エラフメエル人の町々の人たち、ケニ人の町々の人たち、ホルマの人々、ボル・アシャンの人々、アタクの人々、ヘブロンの人々、および、ダビデとその部下がさまよい歩いたすべての場所の人々であった。』
 ダビデは自分に与えられた分捕り物の幾らかを、自分の同族ユダの長老たちに送ります。ダビデがどれだけ送ったかは分かりません。また、送った長老ごとに量の違いがあったのかどうかも分かりません。ダビデがこのように分捕り物を分与したのは、御心に適っていました。何故なら、神は分け与えるという善を喜ばれる御方だからです。『善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。』(ヘブル13章16節)と書かれている通りです。ダビデの行ないは律法に全く適っていました。律法の本質は『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という戒めに示されているからです。ダビデの贈り物は間違いなく効果があったでしょう。何故なら、贈り物とは全てを滑らかに進ませる油だからです。『その向かう所、どこにおいても、うまくいく。』(箴言17章8節)と書かれている通りです。ダビデは贈り物を送ることで、これから王になった時のため種蒔きをしていたと言ってよいでしょう。その種とは、忠誠と親愛という実を結ばせる種です。この出来事から、ダビデとサウルの違いは明らかです。その違いは「欲望」にあります。サウルは欲望に打ち負かされましたが、ダビデは欲望の上に立っていました。サウルがもし欲望に勝っていたら、アマレク人をことごとく滅ぼしていたでしょう。ダビデが欲望の奴隷であったならば、このように贈り物を送ることはしなかったでしょう。

 私たちも贈り物を有効活用すべきです。充分な量を、心から、違和感なく自然に送るならば、送った相手の心は私たちのものです。贈り物で相手の心を買うことが出来るのです。相手の心を獲得できたならば、その相手は私たちに反発したり悪いことを言ったり出来ません。これは経験からも明らかです。今の私は何だかマキャベリのようなことを書いていますが、とにかくこの贈り物を利用しない手はありません。心の商売は贈り物を贈与することなのです。

【31:1】
『ペリシテ人はイスラエルと戦った。』
 ペリシテ人とイスラエル人の戦いに話が戻ります。この箇所はⅠサムエル29:11からの続きです。30章目はダビデとアマレク人の話となっていました。