【Ⅰサムエル記31:1~13】(2022/12/18)


【31:1】
『そのとき、イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺し殺されて倒れた。』
 イスラエル人がペリシテ人と戦うと、イスラエル人はペリシテ人から打ち殺されます。これはサウルの罪に対する呪いでした。そもそも、この戦いはサウルの罪に対する呪いとして起こりました(Ⅰサムエル28:18)。もしサウルがアマレク人を容赦なく聖絶していれば、このような戦いは起こらなかったか、たとえ起きてもイスラエルが悲惨になることは無かったでしょう。つまり、全てはサウルに責任がありました。『ギルボア山』とは『イズレエル』(Ⅰサムエル29章1節)のすぐ南にあり、この山は南北に連なっています。

【31:2】
『ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。』
 戦争において、王や王族は最も死ぬ可能性の低い存在です。彼らは最も守られ注意を払われる存在だからです。しかし、この時にペリシテ人は『サウルとその息子たち』に追い迫りました。そして、ペリシテ人はまずサウルの息子たち3人を打ち殺します。これはサウルの呪いにより起きた死です。

【31:3】
『攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。』
 サウルの息子たちが殺されると、続いてサウルが狙い撃ちにされ、サウルは矢で刺し通されてしまいます。とうとうサウルの死ぬ時がやって来ました。これまではまだ死の裁きが下されていませんでした。どうして神はこの時までサウルに死の裁きを下しておられなかったのでしょうか。神は当然ながらサウルがアマレク人を聖絶しなかった時から間もなく死なせることもおできになりました。しかし、神はこの時まで死を先延ばしにしておられました。これはサウルを生かしておくことで、ダビデが成長できるようにするためでした。もしサウルが生きてダビデを殺そうとするならば、ダビデは苦しみながら逃げねばなりませんから、ダビデの忍耐と精神力が研ぎ澄まされることになります。ダビデはこれから王になるのですから、このように鍛えられるべきでした。ですから、サウルが殺されずに生かされ続けていたのは大きな意味を持っていたのです。

【31:4】
『サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。』
 サウルは自分の身体が負傷したことにより、もう駄目だと諦めました。このままでは敵に捕らえられることは避けられないと感じたはずです。しかし、敵に捕らえられて『なぶり者』となることは耐えられませんでした。何故なら、王にとって恥辱は死よりも耐え難いからです。このため、サウルは敵が近付くまでに死ぬことを選びます。そこで、サウルは道具持ちに自分を殺すよう命じますが、その道具持ちはサウルを殺害することなど出来ませんでした。道具持ちが不忠実だったからでなく、忠実だったからこそ殺せなかったのです。道具持ちが命令を聞こうとしないので、もう余裕が無くなっていたサウルは、自分で自分を殺しました。こうしてサウルは遂に死にます。自殺がサウルの最期でした。敵は誰一人としてサウルを殺した栄誉に与かれませんでした。これは小カトーが毒により自殺したのと同じです。彼も恥辱を味わうぐらいなら…と考えて自殺したのでした。このようにしてサウルに対する神の裁きは全うされました。もうダビデがサウルにより鍛えられる時期は終わったからです。もうダビデはサウルの苦難を通して十分に鍛えられました。これからダビデがサウルによる苦しみを味わう必要はもう無かったのです。

 このようにサウルは神の裁きである自殺で最期を迎えました。神がサウルを裁かれたので、サウルは自殺せざるを得ない状況に追い込まれたのです。神の裁きは誠に正しい裁きでした。神の裁きを問題視するのは邪悪な不遜です。しかし、サウルが自殺したことにおける善悪は問題視しても大丈夫です。神の裁きでなくサウルの行為を見るのです。サウルの自殺を否定する人も多くいるかもしれません。しかし、聖書はサウルの自殺について何も善いか悪いか言及していません。聖書は他の箇所でも、自殺について善悪を何も言及していません。教会が自殺を否定するようになったのは、アウグスティヌスがヨセフスに倣って自殺を否定したからです。つまり、聖書の明白な御言葉に基づいて自殺を否定しているわけではありません。これについては以前の註解書でも述べたことです。しかし、呪われたからこそ自殺せねばならない状態や状況が生じるのですから、やはり自殺は否定されるべきでしょう。もし祝福されていれば自殺するようなことは決してないからです。祝福されているのにどうして自殺するでしょうか。それゆえ、私たちは自殺を自殺として考えるというより、自殺を呪いという観点から考えるべきです。こういうわけで、私たちも自殺したりすべきではありません。何よりも罪を避けるべきです。そうすれば自殺せねばならない状態や状況も生じないはずです。

 サウルは追い込まれて仕方なく自殺の死を遂げました。罪深い支配者でこのような最期を迎える者はこれまで珍しくありませんでした。例えばネロがそうでした。ネロは元老院から国家反逆罪により死刑と定められた際、自分がもう少しで悲惨な鞭打ち刑により死ぬと分かったので、大いに恐れました。ネロはそのような恥ずべき死を恐れたので、元老院から遣わされた捕えるための騎兵が近付く前に、自分で自分を刺し殺したのです。この死に方はサウルと一緒です。ヒトラーも同様でした。私たちがよく知っているこの独裁者は、ドイツがほとんど敗北しかかっていた時、もう間もなく連合国軍に捕えられると悟りました。この少し前にはムッソリーニが連合国軍から見せしめの死を味わわされていました。屠殺された家畜のように死体が死刑台から逆さまに吊らされたのです。ヒトラーは自分もこのようにされたら…と思って身震いし、そうなる前に銃で自殺したのです。これもサウルと同じ死に方だと見做して間違っていません。小カトーも似たような死に方をしましたが、この哲学的な政治家は、ネロやヒトラーとはまた種類の違う人間です。ですから、小カトーには先の箇所で言及し、この箇所でネロやヒトラーと一緒に取り扱わないでおきました。

【31:5】
『道具持ちも、サウルの死んだのを見届けると、自分の剣の上にうつぶせに倒れて、サウルのそばで死んだ。』
 サウルが自殺したのを見届けた道具持ちは、続いて自分もサウルと同じようにして自殺しました。主君が死ぬと後追い自殺する者は、今に至るまで珍しくありません。明治天皇や昭和天皇が崩御した際も、やはり幾人かの日本人が後追い自殺しています。主君と臣下また民衆は契約的に一体です。頭である主君が死ねば、その身体である国家の構成員にも大きな衝撃が走ります。このため、主君に続いて死のうとする者が多かれ少なかれ現われるわけです。しかし、前述の通り、呪われるからこそ何であれ自殺に進むのですから、この道具持ちが自殺したのも間違いでした。自殺するというのは神からの祝福が無いか少ないということです。豊かに祝福されていたら自殺することはあり得ません。実際、大いに祝福されていた預言者と使徒たちは誰一人として自殺しませんでした。もしこの道具持ちが自殺していなければ、主君であるサウルに対する忠誠心が足りなかったと思われていたかもしれません。しかし、どう思われていても、道具持ちが自殺しなかったことで忠誠心を持たないということにはなりませんでした。何故なら、自殺するか自殺しないかは忠誠心の度合いと関わりがないからです。関わるのは忠誠心というより親愛や虚栄だと思われます。

【31:6】
『こうしてその日、サウルと彼の三人の息子、道具持ち、それにサウルの部下たちはみな、共に死んだ。』
 サウルと共にいて戦っていたイスラエル人は全てペリシテ人から滅ぼされました。これは全てサウルの罪がその原因でした。ご覧ください、これが神に逆らう反逆者とその群れが受ける結末です。私たちはこのサウルを教訓とすべきでしょう。ただこの出来事を読むだけではいけません。読み、悟り、益とするのです。私たちはサウルを避けねばなりません。

【31:7】
『谷の向こう側とヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの人々は、イスラエルの兵士たちが逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見て、町々を捨てて逃げ去った。それでペリシテ人がやって来て、そこに住んだ。』
 『谷の向こう側とヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの人々』は、谷のこちら側にいたサウルたちとは違い、ペリシテ人から攻撃されていませんでした。これは単に距離が遠かったためです。彼らもペリシテ人が攻めて来たら大変なことになりますから、『町々を捨てて逃げ去った』のでした。その放置された町々にペリシテ人がやって来て占拠します。こうしてイスラエル人は自分たちの領土を奪われます。これもまた呪いとして起きました。

【31:8~9】
『翌日、ペリシテ人がその殺した者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルとその三人の息子がギルボア山で倒れているのを見つけた。彼らはサウルの首を取り、その武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地にあまねく人を送って、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。彼らはサウルの武具をアシュタロテの宮に奉納し、彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらした。』
 ペリシテ人が戦場に戻ると、そこにはサウルとその息子たちの死体が横たわっていました。それを見たペリシテ人はサウルの『首を切り、その武具をはぎ取』りました。これは自然な行ないでした。残虐だというわけではありません。何故なら、戦争で敗けた敵に対してこうするのは一般的なことだからです。ダビデもゴリアテに同じことをしました(Ⅰサムエル17:54)。ペリシテ人がサウルだけでなくサウルの息子たちや兵士たちの武具をも剥ぎ取ったのは間違いありません。それは戦利品として奪い取るためです。サウルが死んだ『ギルボア山』は、メギドの東南にあります。山は聖書において神や聖徒たちと肯定的な関わりがあります。しかし、サウルが山で死んだことに何か良い意味はなかったはずです。彼は呪われて死んだわけですから。ペリシテ人はサウルの死を自分たちの民にことごとく知らせます。敵の支配者が死んだのです。これを仲間たちに報告するのは当然でした。そして、ペリシテ人は『サウルの武具をアシュタロテの宮に奉納し』ましたが、アシュタロテとはペリシテ人が拝んでいた偶像です。この奉納は偶像崇拝であって、忌まわしいことでした。ペリシテ人たちはサウルの武具をアシュタロテに奉じることで、勝利の栄光と恵みをアシュタロテに帰しているからです。またペリシテ人はサウル『の死体をベテ・シャンの城壁にさらし』ましたが、これはサウルとイスラエルに対する愚弄です。見せしめにして威嚇するという意味もあったかもしれません。サウルは首と胴体を切り離されましたが、首と胴体がどちらも晒されたのか、どちらか一つだけだったのかは分かりません。『ベテ・シャン』とはギルボア山の東にあり、ヨルダン川が近い場所です。ところで、サウルのこの死は、神がバランスを取らせるために起こされたことでもあったかもしれません。それは、かつてペリシテ人の大将であるゴリアテがイスラエル人(ダビデ)に殺されていたからです。ダビデたちの家族が奪われたのも(Ⅰサムエル30:1~4)、ダビデが多くの略奪をしていたので、バランスを取る出来事だったのかもしれません。神はバランスにより調和を取られる御方だからです。

【31:11~13】
『ヤベシュ・ギルアデの住民が、ペリシテ人のサウルに対するしうちを聞いたとき、勇士たちはみな、立ち上がり、夜通し歩いて行って、サウルの死体と、その息子たちの死体とをベテ・シャンの城壁から取りはずし、これをヤベシュに運んで、そこで焼いた。それから、その骨を取って、ヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。』
 サウルが晒されたことは、恐らくすぐにもイスラエル全体に知れ渡ったはずです。その話を聞いた『ヤベシュ・ギルアデの住民』は、ギルアデから北西にあるベテ・シャンの城壁まで、ヨルダン川を渡って取り返しに行きました。『勇士たち』が取り返しに行ったのは、ペリシテ人の妨げや攻撃を想定したからなのでしょう。しかし、実際に取り返す際、ペリシテ人の危険があったかどうかは分かりません。ただ分かるのは神がサウルの死体をヤベシュ・ギルアデの住民に渡されたということです。こうしてイスラエル人は、取り返したサウルの死体を、ヤベシュの地できちんと葬ります。サウルが王であった以上、王に相応しい適切な処理をされるべきだったからです。この時にヤベシュ・ギルアデの住民は『七日間、断食した』のですが、これは「7」ですから、期間の完全さ・十分さを示しています。サウルは王でしたからこのような期間が定められるべきでした。しかし、これは『断食』の期間です。「喪」の期間ではありません。「喪」のほうはどれぐらいの期間だったか分かりません。ヤベシュ・ギルアデの住民がこのようにしたのは正しいことでした。王に対して民は最後まで礼節を尽くすのが道理だからです。